写真と彼女

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夏の陽がようやく暮れて1時間も経った頃、鳴きだしたCivetta。日本語に訳せばフクロウだけど、恐らく何か特別な名があるに違いない。日本では何という名で呼ばれているのだろうか。自然豊かな場所に住み着く鳥だそうだが、何故こんな住宅地に住み着いたのだろう。大きな樹が沢山あるにしたって、である。一定の間隔を置いて鳴くこの鳥の声をはじめは車か家の防犯アラームだと思っていたが、そんな風に思っている人は案外少なくないのではないだろうか。周囲の住人たちが休暇に出掛けたので晩も遅くなると全く静か。だからCivettaの声が響き渡る。街にまだ残っている近所の人達も心を惹かれたようだ。何処にいるんだろう。あの樹のあたりかな。窓越しにそんなことを言っているのが聞こえ、街に居ながら鳥の声を聞けるこの界隈を嬉しく思うのだ。

今朝は3度もにわか雨が降った。そのせいか涼しく、案外快適な一日だった。勿論、夏なのである。だから少し歩けば汗もかく。でも、先週の暑さを思えば、やはり快適というべきだった。夕方旧市街に立ち寄ったのは、気になる写真があったからだ。ボローニャ旧市街で催されている写真展の宣伝の一枚で、大通りに面したところに貼られている。これを初めて見つけた時、何か感じるものがあって釘付けになった。何が私を惹きつけたのかは分からない。ただ、何か懐かしいもの、何か忘れていたもの、ああ、そうだった、なんて思わせる一枚だった。あの日、私は急いでいて、もっと眺めていたかったけれど、後ろ髪を引かれる想いで歩きだしたのだ。先日前を歩いた時は、フードデリバリー業の外国人青年たちが自転車を止めて眺めることが出来なかった。その次もやはりそうで、まさか、ちょっとその前からどいて頂戴、なんて言える筈も無く、泣く泣くその前を退いたのだ。今日はどうだろう、と思って出向いてみたら、例の青年たちの姿はなく、たっぷり鑑賞することが出来た。あまりにじっくり眺めるものだから、道行く人に不思議がられたりもしたけれど。そうして私に声を掛けてきた女性。いい写真だと言って私の横に並んだ。ボローニャのポルティコの下で撮ったに違いないこの写真を眺めながら、80年代を思い出すと彼女は言った。その当時彼女はイギリスに夢中だったそうだ。そして初めて行ったロンドン。刺激的で、こんな街があるのだなあと感激したそうだ。ボローニャに生まれ育ったという彼女にとってロンドンが刺激的だったのは分かるような気がする。と言っても私はロンドンどころかイギリスという国の土を踏んだことすらないけれど。イタリアに暮らしたらヨーロッパの近隣国に簡単に足を延ばすことが出来ると思っていたのに、いまだにイギリスもロンドンも遠い存在なのだ。10分くらい写真を眺めながら彼女と話しただろうか。そのうち例のフードデリバリー青年たちが写真の前に自転車を止めて立ち話を始めたので、私と彼女は顔を見合わせて、それを合図にお互い違う方向に歩きだした。ちょっと片手をあげて私に挨拶を送りながら歩く彼女はいい感じだった。フィーリングが似た感じの人だった。またどこかで会う事があればいいと思う。そうしたらちょっとテラス席に座って話をしてみたいと思った。

今夜はとても蒸し暑い。気温は僅か26度と低めだけれど。さあ、テラスの植物に水をあげよう。夏の晩のこの習慣は、一日だって怠けてはいけないのだから。




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綺麗

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昨日の雹交じりの風雨はエミリア・ロマーニャ州の多くの街を脅かしたらしい。晩のテレビでその様子が映し出され、うちの界隈が如何に大したことがなかったかが分かった。そう言え少し前にヴェネト州でも雹が降ったそうだ。それはテニスボールほどの大きさだったそうで、車や農作物に大きな被害を与えたらしい。暑い日が続くとこんな事がある。でもそれは近年のこと。私がボローニャに暮らし始めた頃や、20年前、10年前にはなかったことだから、地球の温暖化に大いに関係しているのかもしれない。地球はどうしてしまったのだろう。昔は存在しなかった、人間が生み出したり壊すあれこれを、空が自然が怒っているのではないだろうか。

ところで昨日の風雨で気温が下がった。最近の習慣で夜中も窓を開放して眠っていたら、朝方あまりの冷えで目が覚めて、家中の窓を閉めて歩かねばならなかった。気温は18度まで下がったらしい。最近は最低気温でも22度だったから、雨が随分と空気を冷やしてくれたと言うことになる。此のくらいが丁度いいと思う。そして昼間が27度くらいなら完璧。
それで涼しい朝を利用して相棒が久し振りにテラスの植物の手入れをすることになった。暑さのあまりに先延ばしにしていたことである。このところ成長が著しくて昨年の植木鉢では窮屈になった茗荷。今は植え替えの時期ではないことを承知の上で大きい植木鉢に移し替えた。さあ、どうだろうか。こんな時期に引っ越しさせられた茗荷はどんな気分だろうか。枯れなければよいけれど。それとも広い場所に移って案外喜んでいたりして。兎に角8月に茗荷の蕾を収穫できることを祈るばかりである。他にも色んな鉢があって、作業を終えたのは3時間後。すっかり気温も上がって、額や背中に汗をかきながらの作業、まったくお疲れさまという感じだ。腰は重いが始めるといい加減な仕事をしない、結構忍耐強い人のようだ、相棒は。猫は綺麗になったテラスの隅から隅まで見て回った。と普段は暑さで緩慢な動きの彼女が飛び上がったと思ったら足元に駆け寄ってきた。何かと思えば蝉。生きている蝉だった。飛んでいる蝉をキャッチするとはお見事、と取敢えず彼女を褒めるべく頭を優しく撫で、そして蝉を救出して外に逃がした。彼女の残念そうな顔と言ったら。兎に角テラスが綺麗になった。テラスが綺麗なのは色んなことが上手くいっている印。心に余裕がある印。これは良い兆しなのだ。
ボローニャで10年ほど住んでいたアパートメントがある。ローマの仕事を辞めてボローニャに戻るにあたり、相棒が探してくれた場所。旧市街に歩いて行ける、周囲に青果店などがある便利な場所、そして広いテラスという私が出した条件に当て嵌まる場所だった。混みあった住宅街だったけれど、確かに旧市街に10分歩けば行けたし、バスの停留所や青果店と言ったものが歩いて3分もしない場所に存在して便利だった。そして広いテラス。広いテラスを取り囲む4世帯の為に4つに仕切って使う方式。だからプライバシーも何もあったものではないけれど、私は充分嬉しかった。テラスに沢山の植木鉢を並べた。隣の家長も植物好きらしく、仕事が休みの日は庭仕事に専念した。それを彼の妻も息子たちも快く思っているようで、ときには皆で一緒に作業して、そんな様子を窓から眺めると心が和んだ。ある日、私が鉢に水をくべていると、君たちのテラスはなかなか綺麗にしているねと声を掛けられた。初めは私が言葉の分らぬ東洋人だと思っていたようだけど、そのうち口の達者な東洋人だと分かると、挨拶がてら立ち話をするようになったのだ。それで彼が言うには庭やテラスが綺麗なのは物事がうまくいっている証拠なのだそうだ。心に余裕がある証拠なのだそうだ。ならばあなたのテラスはいつも綺麗だから、色んなことが上手くいっているのでしょうと私が言うと、彼はあははと高らかに笑い、そして嬉しそうに幾度も頷いていた。
隣のおじさんが教えてくれたこと、今も心の抽斗にしまってある。これからもずっと大切にしたいおじさんの教えなのだ。

今年はテラスの花が咲くのがどれも遅く、ジャスミンも周囲よりひと月ほど遅れて開花した。そしてゼラニウムも同様。小さな固い蕾がなかなか膨らまず心配したが、やっと花が咲いた。まるでテラスが綺麗になるのを待っていたかのように。動物も植物も敏感だ。環境や人の心が分かるかのようだと。




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早起きして散策

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土曜日なのに早起きしたのには訳がある。このところ続いている暑さで歩くのを怠けていて、何となく足の調子が宜しくない。人間なんて歩かないと直ぐに足が弱るのだなあと驚き落胆していたから、今日は早起きして涼しいうちに散策に出掛けようと企んでいたのである。早起きと言ってもせいぜい7時。世の人からすれば少しも早くないかも知れないけれど、平日は夜明け前に起床する私だ、週末は朝寝を愉しむのが習慣だから7時起きは充分早起きなのである。今朝は涼しかった。久しぶりに20度という爽やかさで心が躍った。朝食を頂き猫の世話をして身支度をして外に出たのはもうすぐ9時という時間だった。私は朝の準備に時間が掛る人間。それは朝から急ぐのが嫌いだからで、此れだけはこれから先も変わらないだろう。

バスが旧市街をぐるりと囲む環状道路を超えて旧市街に入ったところで下車した。今日は歩くのが目的なのだ。しっかり、存分歩くのだ。朝の旧市街はまだ多くの店が閉まっていて新鮮だった。
ポルティコの下にテーブルを置く古いバールには近所に住む常連客のたまり場で朝から賑わっていた。話題は休暇のこと。既に楽しんだ海や山のこと、これから始まる旅のこと。皆一様に明るく、誰もが夏型の性格になっていると横を通り過ぎながら思った。昔、ボローニャの人達はカフェやバールで朝食をとるのが習慣だった。私の友人フランカなどはその典型で、旧市街で花屋を営む両親は朝から忙しいこともあり、彼女と妹は朝起きるとその足で花屋の前もバールに行ってカフェラッテとブリオッシュの朝食をとったと言う、それも毎日、週7日間。代金は月末払いと聞いて、私は呆れたものだった。でも、彼女ばかりでなく、私の周囲にはそんな人達が沢山居た。何故家で朝食をとらないのかと不思議がる私に、どうしてそんなことを訊くのかと逆に不思議がられたものだ。それも通貨がリラからユーロになると物価が上がって朝食代はあっという間に2倍になったから、随分の友人知人が家で朝食をとるようになった。
週末は人で一杯の七つの教会群の前の広場も人がまばらで感じが良かった。土曜日の7時起きはあまり好きではないけれど、こんな旧市街を見れるなら、これからは土曜日の早起きを習慣にするのも良いかもしれない。その先のいつものバールに吸い込まれた。家で朝食をとったけど、それはそれ、此れは此れだ。いつもの小さい菓子にカップチーノを注文したら、シニョーラ、今日は早起きなんだね、と店主に言われて照れた。あはは、人はよく見ている。店に立ち寄るのはいつも昼前なのを店主は気付いていたらしい。
暫く歩きまわってから、MUJIに入った。この店に用があったのである。旅行の時に必要な小さな容器。化粧水とかクリームなどを入れるための容器だ。詰め替えずにそのまま鞄に突っ込んでも良いのだが、重い、そしてかさばる。そうだ、と今迄で使っていたものがあった筈、と探してみたが、どうも間違えて処分してしまったらしい。それで必要な分だけ新調しようと思ったのである。店が開いたばかりなのに客で賑わっていた。この店は感心するほどいつも人の入りがいい。今日は特に旅行用品売り場が人気らしく、私同様小さな容器を選ぶ人が幾人も居た。ひとつ手に取ったら知らないイタリア人女性が言った。それがいいわよ、先日購入してとても良かった。どうやら彼女は店の常連客らしく、製品知識がとても豊富だった。もうひとつ手に取ったら、うーん、それよりもこっちのほうがいい、という。理由は洗った時の水切れが優秀だと言うではないか。成程、と感心しながら手に取ったものを棚に戻して彼女のお薦めを籠に入れた。そんな風にして、知らない女性と一緒に容器を選んだ。代金を払っていたら既に買い物を終えた彼女が私の肩を叩き、またね、と言って店を出ていった。店の人が友人かと訊くので、いいえ、知らない人と答えたら、あははと笑っていたけれど。
12時にはすっかり暑くなり、早々に旧市街から退散。冷房の効いたバスが嬉しかった。冷房が苦手な私ではあるけれど、暑さに弱くなったからだろう、今夏は冷房の有難さを実感している。勿論程々が良く、冷蔵庫のように冷たい必要は、ない。

午後3時を回った頃、空の様子が急変した。そして強い冷たい風。それは既にどこかで大雨が降っている証拠で、その雨がもうじきこの辺りにもやって来る証拠だった。30分もしないうちに大雨になった。北からの横殴りの雹交じりの雨。雨戸を叩いて大きな音を立てるので怖くなった、当然ながら猫も怖くて既に何処にも姿がなかった。長いこと降った。そのうち雨が完全にやみ、何事もなかったような顔して空が晴れた。心配した車への被害も植物、特に実をつけた柚子の木への被害もなく、運が良かったと思った。夏はこうしたことが時々ある。そうとは知っているけれど、雹は好ましくない、うん、全然好ましくないよ。




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青果店

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ああ、何処かで雨が降っているね。そう言ったのは近所の庭に居る人たちだ。暑い夏の日の夕方に吹く涼しい風は贈り物。ほっと一息つきながら、これから始まる週末のことを思うのだ。今週も色々あった。今週程、人間の欲の深さを考えたことはない。感謝の気持ちがあれば出てこない言葉を耳にしながら、残念に思った。それともそんなことを考える私は時代遅れなのだろうか。今の世の中は貪欲に、もっともっと追い求めなければ生きていけないのだろうか。もしそうならば、私は時代遅れな人間。でも、それでいいと思う。感謝の気持ちを大切にしたいと思う。そして同じような人達と拘りたいと思う。

昨夕旧市街の食料品市場に立ち寄ったら、イタリア人のおじさんが営む青果店が開いていた。久しぶりだった。先客の対応が終わるのを待って声を掛けた。美味しいメロンはあるかと。ある、ある、マントヴァーノ種のメロンが。とてもいい匂いがするよ、と言って私の鼻に近づけた。本当だ、いい匂い。これ頂戴、と言って買ってきたメロンを今夜頂いたのだけど、それが夢のように美味しかった。またおじさんの店に行こうと思う。次は美味しい桃を選んで貰いたいと思っている。そして茄子。ごろんと大きくて綺麗な色合いの茄子に心をすっかり奪われたから。

夜が更けていく。金曜日の晩は眠くても嬉しくて、なかなかベッドに入れない。




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挨拶

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今日も予報通り暑い一日だった。それも危機感を感じるような暑さで、額に浮かぶ玉のような汗をぬぐうのに忙しかった。学校という学校が長い休暇に入ったイタリア。交通量が減るこの時期は道路工事が本当に多い。今年に限ったことではない。例年の、恒例と言っても良いことである。その道路工事が生み出す渋滞。特に朝の其れは好ましくなく、作業にいそしむ人たちを恨めしく眺めては、しかしこの暑い時期にご苦労様なことだと思う。昼から夕方にかけては大量の汗を流すに違いない。そんな人々のことを思い出しながら今日一日を乗り越えた。暑かった一日。この暑さはいったいいつまで続くのだろう。

帰りのバスで隣に座った女性。知り合いではないが毎夕顔を合わせるために、互いに何となく親しみを感じている。彼女は何処かの会社の経理の仕事をしているらしい。誰に教えて貰った訳ではないけれど、何時だかそんな感じの話をしていたのを耳に挟んだのである。それから彼女は旧市街のVia San Feliceに住んでいること。これも彼女が誰かと話しているときに聞こえてきたことである。何時もお洒落をしている。驚くほど沢山の鞄を持っていて、それがどれもこれも名の知れたブランド品である。その彼女が今日は隣の席に座り、私に話しかけてきた。このバスが故障しないことを祈る、とかなんとか言って。何故なら昨夕、あの猛暑の中バスが故障して、折角乗ったバスから降りねばならなかったからだ。それが次のバスが全然来なくて、日陰のない歩道に長々と立っていたから気絶しそうになったわよ、とのことだった。ああ、それなら私にも経験がある。ある夕方はバスの故障で3度もバスから降ろされたから、との私の話に彼女は首を左右にぶんぶん振って、ああ、嫌だ嫌だと言うので笑った。表情は不愛想なのだが、案外良い人のようだ。今まで挨拶を交わしたことはなかったけれど、これから挨拶のひとつもしてみようと思った。もう何年も顔を毎日見ているのだから。そろそろ挨拶を始めても良いだろう。

今日も水を沢山飲んだ。家に帰ったらミネラルウォーターが沢山置いてあった。相棒が買い込んだらしい。最近店に行っても好きな種類の水が売り切れなことが多いと言っていたが、今日は店に沢山あったのだろう。これで暫く安泰。少なくとも金曜日まではカバーできるに違いない。
あっ。気持ちの良い風。南西から吹いてくるこの風は、何処かで降った雨が生み出した恵みの風だ。火照った剥き出しの肩や腕を覚ましてくれる恵みの風。




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