栃ノ木の花が咲く頃
- 2022/04/24 13:18
- Category: bologna生活・習慣
明日が祝日のイタリアは、今週末も3連休。昨日は気持ち良く晴れて、青い空を仰いだが今日は空が晴れたり雨が降ったりの落ち着かない天気である。雨が苦手な私だけれど、今日の雨はなかなかいい。天気雨と言う奴で、太陽の光が降り注ぐ中に降る雨を眺めるのは案外好きだ。窓の前の栃ノ木は白い花を満開にさせて、雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、私を励ます。私はここ数日不調なのだ。何がどう悪いという訳でなく、言うなれば恒例の春の病。毎年3月終わりから4月に掛けてあることで、冬の疲れが溜まっているところに季節の変わり目が重なって、偏頭痛、そして体力低下。足に力が入らなくなって、椅子に座っているのも辛くなる。こういうのがかれこれ25年くらい続いているから、もう驚きもしない。ああ、今年もやって来た春の病、と私も相棒も慣れたものだ。体を休めればいいだけで、5日間ほどすれば通り過ぎていく病とも呼べぬような病。兎に角そういう訳だから、猫と一緒に窓辺に佇んで栃ノ木を眺めながら過ごす3連休。
若い頃、私は何事もチャレンジしてみなければと思っていた。試してみる前に諦めるなんて考えられないことだったし、いつかきっとと思っているだけで過ごすなんてことも考えられなかった。だからアメリカに住みたいと思い始めた時、それを単なる希望で終わらせるつもりはなかった。だから色んな準備をした。資金を貯めることもそのひとつだったし、定期的に通って住みたい街のことを調べたり、其処に住んでいる人達と知り合ってみたり、英語のクラスに通ってみたり。まだ若すぎると言って首を縦に振らなかった母が、4年後にはもう若くないのだからなど言って私を笑わせたことは今でも忘れない。あの雪が沢山降った日のことだ。自分の人生、後悔したくないからチャレンジしたい、それで駄目だったら後悔はするまい、自分が選んだことなのだから、と言ったとき、母は嬉しそうだった。何も出来ない、何も自分で決められない子供だと思っていた娘が、こういうことを考えるようになったことが嬉しかったのだろう。ならば自力で前に進みなさいと言って、背中をぐいっと押してくれた。それからは早かった。半年後にアメリカに暮らすために飛び立つまで、あっという間だった。
まさかアメリカでイタリア人と恋愛して、たった4年でアメリカを離れるなんて思っても居なかった。ボローニャに暮らすようになるなんて。脱線事故に遭ったようなものだと思う。ボローニャに暮らし始めたばかりの数年は軌道に乗れずに苦悩した。今の自分があるのは、遠巻きに応援してくれた沢山の友人達のおかげだと思う。どれほど沢山の手紙を受け取ったことか。そしてどれほど沢山の手紙を私は書いただろう。手紙を読みながら、そして書きながら、私は自分に言い聞かせていた。どんなことも過ぎてしまえば、笑い話のひとつのようにして人に話せるようになるものだからと。
今の自分は大勢の中のひとり。特別なこともしていなければ、人に自慢できるようなことも無い。手の中にはごく僅かものしかないけれど、毎日泣いていたあの頃のことを思えば、随分幸せだ。様々な花が咲く春は、そんなことを思いださせる。自分がひとりで歩んできた道ではないこと。相棒を含める沢山の人達が居たから、私が居ること。春は感謝の気持ちを思いださせてくれる。
体調不良なんて言いながら、着々と夏の計画は進んでいて、心がそちらに飛んでいる。3年振りの夏の小旅行。勿論昨夏のフィレンツェ日帰り旅行も良かったけれど、もう少し遠くへ。違う空気が流れる街へ。気持ちのリセットの旅。目に刺激を与える旅。考えればまだ4カ月も先のことだけど、きっとあっという間にやって来る。そうだといいと思っている。