地球の何処か
- 2022/04/25 16:15
- Category: bologna生活・習慣
3連休最後の日。今日はイタリア全土の解放を記念する日である。そうと聞けば大抵の人が説明なしに理解するが、それをあえて説明するなら、ファシスト政府からのイタリアの解放、そしてナチスファシズムからのイタリアの解放の日だ。舅が生きていた頃は、此の祝日が感慨深いらしく、舅も姑もしんみりしたものだった。解放されたのは1945年、祝日とされたのは1946年のこと。でも、この日のことを覚えている人は少なくなった。戦争を通過した世代が姿を消したら、此の記念日の意味合いも多少は異なることだろう。だけど此の祝日が存在することで、私達は思いだすのだ。戦争をしてはいけないこと。同じ過ちを繰り返してはいけないこと。自分の国ばかりのことでなく、地球の何処であっても戦争なんて起きてはいけないこと。此の気持ちだけは、戦争を知らない世代に受け継がれる。私はそう願っている。
南東の空の色が宜しくない。などと思っていたら、南東ばかりでなく南西も北も南も濃い鼠色の雲に覆われていた。僅かに見える青空が、雲の向こう側には青空が存在していることを教えてくれて、ちょっと勇気つけられた。そんな空を眺めていたら思いだしたことがある。
1992年のちょうど今頃のことだ。私がアメリカに住むようになって仕事探しが上手くいかず、貯金が減る一方で、このままではどうしたらよいのか分からないと途方に暮れていた頃、知人の其のまた知人とたまたま帰り道で一緒になって、その辺でカッフェでもしようかと言うことになって、時々立ち寄る雑多な小さなカフェに入ったのは。彼は見掛けの良い日本人男性で、日本に居たらさぞかしモテるだろうと思われたが、アメリカに居ても男性からも女性からも目を惹く華のある人だった。私達は単なる知人だが、住む界隈と歩く界隈が同じの為に、帰り道や、土曜日などに催されるストリートフェアでばったり会っては、並んで腰掛けて長々と世間話などする仲だった。そんな彼と、最近どうしている? 上手くいっているよ、君はどうしてる? 仕事が見つからなくて、そのうち生活に困るようになるかもしれない、などと話していたら、此処に電話をしてみたら? 人を探している筈だから雇ってくれると思う、と紙きれをくれた。直ぐに電話しなよと促されて、カフェの中に備え付けられた黒い公衆電話で電話をしたら、あら、彼の紹介ならば、と数時間後に会ってくれることになった。会ってくれるって! 良かったなあ、頑張れよ。そんな風にして私達はカフェを出て別れた。その日、私は仕事を得た。あの日、あの通りで偶然彼に会わなかったら如何なる展開が待っていただろう。3年働いた。店での立ち仕事だったが、若かったから辛くなかった。時給は安かったが構わなかった。其れで私はアメリカ生活を続けられることになったのだから。
思えば22年前にフィレンツェの職場に通う始めたのも今頃。そして17年前にその仕事を辞めて今の仕事に着いたのも今頃だった。偶然にしてもあまりに偶然。春の神様が私に味方をしてくれているとしか思えない。だから春はいい。私に希望を与えてくれる。昔、上手くいかないことが続いていた頃、友人が私に言い聞かせたものだ。長い冬は何時か終わって必ず春になる。あの頃の私は、ふん、そうかしら、と心の中で思ったけれど、あの言葉は正しかった。必ず春がやって来るのだ。
あれほどよくしてくれた知人の名を思いだせなくなって25年以上が経つ。そんな今日、思いだした、彼の名前。Yasu、とみんなに呼ばれていた。私が彼について知っているのはそれだけ。苗字も知らなければ家の電話番号も住所も知らない。彼が私について知っているのもせいぜい名前くらいに違いない。そんな彼が私に手を貸してくれたことは、今になってもよく分からない。
その後彼がどうしているかは知る由もない。あの日カフェで彼が言っていたように、地球の何処かで、上手くいっていればいいと思う。