美しいもの

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自分を見失いそうになった一週間。忙しくて自分の時間を作り出すことが出来なかった。思い返して浮かんでくるのは夜中を過ぎた頃にようやく一息つけるようになって、しかし、そうかといって本を読む気にもなれず、明日の為にとベッドに潜り込むしかなかった。テラスに置かれた金木犀が小さな橙色の花を沢山つけてほんのり良い匂いがするので、その傍に座って食後のジェラートを頂く時間を得るのが精いっぱいだった。忙しそうな私を猫も目を丸くして眺めていた。私らしくもない。そんなことをしていたら、いつか自分が自分でなくなってしまうに違いない。そう思って、金曜日の夕方に、リセットすることにした。リセット。さあ、これからのんびり行こう。

仕事帰りに見た美しい空。高く青く、鱗雲が向こうの方に広がっていて、秋が近いことを感じ取った。まだ昼間は暑くて汗ばむほどだが、朝晩の空気は初秋のようだ。
旧市街の、男性向けの店。男性向けであることが残念に思えるくらい、美しい店。いや、自分が女性であることが悔しくなるくらい、と言うべきか。店主のセンスが光る、洒落たジャケットやコート、コットンのシャツが、さあ、どうぞ、ご覧下さいよ、と言わんばかりに飾られている。洒落た店には洒落た客が来るもので、出入りする男性たちのさりげないお洒落と言ったら。例えばこんなジャケットに、木綿のシャツとてれんとしたジーンズ、裾を少し巻き上げて足首を見せたら素足にモカシンシューズなどを履く、大変私好みなのだが、この店の客たちと言ったら、そんな崩したお洒落心を持っていて大変憎いのである。かと言ってパターン化などはしていなくて、ちょっと人と違う、そう言うセンスで他の人に差をつける技を隠し持っているような男たち。店の奥は床屋になっていて、散髪師も客も共に実にいい感じ。類は友を呼ぶとはよく言ったものだと感心する。アメリカに居た頃、周囲のアメリカ人女性たちがイタリアの男性に酷く憧れていたけれど、それは例えばGQマガジンに出てくるような男性のことで、この店に来るような男性のことだった。と言ったら褒めすぎかもしれないけれど。美しい男物ジャケットに美しい空が良く似合う。そんな金曜日。

夕食時に栓を抜いたハンガリー産白ワイン。グラスたった一杯の其れが、疲れた細胞のひとつひとつを優しく癒してくれるようだ。


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太陽の光

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昨日の快晴。皆がゆったりした服装で、街をぶらぶら歩いていた。本来、ボローニャの9月とは、こういう感じなのだ。そんなことを考えながら、ぼんやりとその様子を眺める。何時までこんな天気が続くだろうか。もう3日、もう一週間。そんなことを考えていた筈なのに。今日は予期せぬ雨が降った。南の空が妙に暗いと思っていたら、あっという間に雨が降り始めた。アスファルトが雨に濡れて黒く光り、私達はジャケットやカーディガンで肩や腕を覆う。

目に痛いほどの太陽の光。膝丈のパンツ姿の人達、肩を出した女性達。あれが、夢だったかのようだ。


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美しい9月の週末

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疲れていたらしい。目覚まし時計が鳴ったのを直ぐに止めて、もう一眠りしたら随分な時間になっていた。でも、よく眠ったので気分がよく、ああ、こんな眠りが必要だったのだと今更ながら気が付いた。被害をこうむったのは猫。いつもの時間に朝食のサービスが無いので、朝から酷く怒っている。それも朝食が済めばいつものように上機嫌。やはり、食事は大切なことなのだ。お腹が空いていては、何も始まらないのである。
猫の朝食の後は人間の朝食。カフェラッテと先日フランス屋で購入したビスケットでゆっくり朝食を楽しんだ。窓の外は酷く天気が良く、テラスの植物がきらきら光っていた。あれこれ片づけをして、そうだ、暫く水をくべていないことに気が付いて、植物と言う植物に水をくべた。涼しくなったとはいえ、もう少し頻繁に水を与えなければいけないと反省をしながら。そうして身支度をして外に出た。

時間はもうじき昼で、太陽が高く上っていた。いつもならば15時ごろまでに帰ってこなければならない。毎週土曜日15時半に、知り合いの女の子の日本語会話の手伝いをしているからだ。この時間はちょうど良いようで実に不都合。いつも大急ぎで帰ってこなければならない。時間帯を替える提案をしようと思いながら、なかなか言い出せないでいるのは何故だろう。兎に角、今日は無しなので、気ままな散策を楽しめるのである。
行先は七つの教会群の前の広場の骨董品市。毎月とても楽しみにしているのだ。毎月第二週末に立つこの骨董品市だが、7月8月と夏休みだったので3か月ぶりなのである。時には同じものばかり置かれていて退屈なこともあるけれど、今日のそれは実に新鮮で、全く見ごたえがあった。面白かったのは化石の店。魚の化石を直に見たのは初めてだった。小さな魚のもあれば、20センチほどの大きな魚の化石もあった。ブラジルから持ってきたものだと言う。店主は髭が実にむさくるしく、よれよれのつばの帽子を被っていて、いかにもこういうものを求めて外国を彷徨っているような男性だった。これは、これは、と質問ばかりする私に辛抱強く答えてくれた。それからミネラルの石。拳ほどの大きなもので、乳白色の物や深い緑色のものもあった。私はこの手のものが大好きで、一頃酷く凝ったものだけど、アメリカを去って以来ずっと忘れていた。ミネラルの石を見ながら胸をときめかした、なんて言ったら、相棒は何と思うだろうか。変な奴だと思うだろうか。それとも、こうしたものを出窓のところに飾って、太陽の光で輝いていたことを思い出すだろうか。
絵を売る店は思いの外に観客が多かった。そのうちのひとりは購入に踏み切ろうとしているらしく、あれこれ質問をして絵を吟味していた。色のない、デッサン画のようなものだった。ひと目でみて素人ではないと分かる、確信をもって描かれた線だった。彼はあれを購入するのだろうか。いったい幾らで手に入れるのだろうか。そんなことを思いながら先へと進む。
鉄製の小さな家具を売る店に立ち寄ったのは、ずっと探しているものがあるからだ。もう1年以上探しているが、未だに見つからない。うちにひとつある、それに似たもの。同じである必要はないが、似た雰囲気を求めている。急いではいないから、妥協する必要はない。それに出会うまで探し続ければいいだけだ。
それから、いつもの、ボタンを売る店。店に置かれているボタンは半端ものだったり、古い衣服についていたものだったり。だから数が限られているし、サイズも色も限定されている。と、緑色のボタンを見つけた。小さくて深い味わいのある微妙なトーンの緑色。丁度身に着ていたカーディガンに良く似合うような。店の人に了解を得てボタン穴に合うかどうか試してみたが、ボタンの方が一寸大きかった。これはどうかしら、と店の人が探してきたものも駄目。こんな小さなボタンはなかなかないのよね、と店の人が言ったが、全くその通りだと思った。あっ、と思って取り上げた小さな緑色のボタン。大きさは丁度よかったが、たったのひとつしかなかった。残念。諦めて、来月は別のもう少しい大きいボタンを探しに立ち寄ることを約束して、店を離れた。
古い書物を無心に読む男性を見つけた。いや、読んでいたのではない。中を物色しては閉じて横に置いて、次のを物色しては前に置いた書物の上に重ねる。そんなことを10回ほど繰り返し、(私はそんな彼の様子を興味深く眺めていたが、ひょっとしたら不審に思われたのではないだろうか。) さて、と言って重ねた本を一抱えして購入した。まあ、一冊が3ユーロほどのものであるが、こんなにまとめ買いする人はあまりいないらしく、店の人は目を丸くしていた。彼は家に帰ったら、アームチェアに深々と座って、ひとつひとつを丁寧に読んでいくに違いない。
美しい9月の週末。2時間も見て歩いた。難点は足が酷く疲れること。何しろ広場一面に丸石を敷き詰めてあるから、歩きにくいこと夥しい。しかし、楽しかった、と心の中で呟く。このくらいのことでこんなに楽しい気分になれるのだから、私は案外簡単な、単純な人間なのだと思う。それでいい、それでいい。私は単純な自分でありたいと思う。

夕方暗くなるのが早くなったことに今日気が付いた。日没は18時半ごろらしい。そんなことに気が付かない程、私はぼんやり生活していたのか。それとも忙しすぎたのか。心に余裕がなかったのかもしれない。もう少しゆっくり行こうよ。そう、自分に語り掛けた。自分らしく生活することを忘れないようにしよう。そんなことを思った土曜日。


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好きな色

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街を歩いていて好きな色を見つけると、胸がどきどきする。


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幸せ者

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朝晩の冷え込み。窓を開けっぱなしにできないほどの冷えである。もうじき薄い毛布が必要になると言う私に、君は寒がり過ぎると相棒が言う。確かに私は寒がりだけど、君も暑がり過ぎるのだよ。猫は私の見方。早くも朝晩の冷えが身に沁みるらしく、テラスに出たいと強請ることもない。

仕事帰りにパン屋に立ち寄ることが多い。仕事帰りだから夕方6時半前後で、だから大半のパンが姿を消してしまっている。私の好きな全粒子の両手ほどの大きさの丸いパンを好んでいる客が多いと見えて、連日売り切れていて残念だった。金曜日の夕方、今日こそはと息込んで行ってみたら、あった。嬉しそうに笑みを湛える私に、店の女性が笑う。私がこのパンを求めて何日も通っていることを知っているからだった。ああ、今日はついている! と喜ぶ私に、本当、今日はついているわね、と彼女が言うので、妙におかしくて顔を見合わせて大笑いした。たかがパンごときで。でも、このパンがあると食が進むのだ。いつもの食事にこのパンがあると、不思議とご馳走に見えるのだ。例えば、チーズとワインしかない時だって、このパンがあると何となく賑やかで華やぐ。相棒も同じように感じているらしく、だから売り切れで他のパンを買って帰ると酷く残念な顔をする。ただ今、うちには近所のバールの常連のシルヴァーノ老人から貰った特別な赤ワインがある。その栓を抜くにはこのパンが無いといけないと相棒が言うので、どうしても手に入れたかったのだ。そうしてパンを持ち帰ったので、金曜日の晩は待ちにに待った赤ワインの栓を抜いた。私はパンにデンマーク製の少し塩分のあるバター、そしれ赤ワイン。素晴らしく相性が良くて、此れだけでご馳走。此れだけでご馳走? 君は幸せ者だねえ、と相棒は笑うけど。美味しいものを美味しいと感じられるのは、心と体が元気な証拠。相棒の言う通り私は幸せ者なのだろう。

今年は冬が早くやって来るのかもしれない。そんなことを街を歩いていたら耳にした。えっ、と振り向いてみたら声の主は老女だった。老女にしろ何にしろ、老人たちの言うことはよく当たる。とりわけ天気関係は。早くやって来るかもしれない冬。その言葉が心に沁みついて、暫く離れそうにない。


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