夢を見た
- 2015/09/20 22:19
- Category: ひとりごと
急に涼しくなったように感じる。もう昼間の気温が25度を超えることは無いだろう。
昨晩、急に熱が出て、日曜日だと言うのに寝込んでしまった。久しぶりのことで、予期せぬことでもあったから、ほんの少し心配した。何かが自分の体に起きたのではないだろうかと。しかし一日眠ったら熱が下がり、熱による体の痛みだけが残ると、単に疲れていたのだと分かった。
それにしても沢山の夢を見た。熱の苦痛で目を覚ましてはまた別の夢を見た。そのうちのひとつはとても印象的で、他の夢は既に記憶が蒸発してしまったと言うのに、脳裏にこびりついて離れない。
夢は、実は夢ではなくて、実際にあったことだ。アメリカに暮らして相棒と出会い、相棒との生活が始まると、人間関係の世界が広がって行った。それは私が持っていた世界とは全く違う、とても人間身溢れ、人間臭い世界だった。写真家のトーマス。同じく写真家のシャロンと一緒に居た。昔は夫婦だったらしいが、私が彼らと知り合った頃には夫婦関係は解消していて、それでいていつも彼らは一緒に居た。それからジム。イタリア人女性のアンナにぞっこんで、アンナと一緒に暮らすようになったのは、私が彼らと知り合ってから一年後のことだっただろうか。それまでのアンナはとても気まぐれで、とても惚れやすく、彼女の美しい外見の虜になった男性が次から次へと彼女の傍らに立っていた。そんな彼女を遠くから眺めていたジムが、やっとアンナを射止めたことを周囲は嬉しく思っていたが、しかし彼らがうまく行っている様子は少しもなく、ジムはいつも嘆いていた。彼女は、アンナは何を考えているのか全然わからない、と。一緒に居るけれど、自分に愛情があるのかどうかすらわからない、と。だから周囲はいつも言っていたのだ。彼女はそんな女さ。其れに我慢が出来ないようなら、別れてしまえばいいだけさ、と。そんなことを話していたのは、かれこれ22年も前のことだ。時々友人たちから貰う便りには必ずこの一件が書かれていた。ジムとアンナはそれでもまだ一緒に居る、信じられないだろう、と。夢の中で私は久しぶりにジムと会っていた。場所は私達がよく行った、カフェ・トリエステ。サンフランシスコに住んでいる人なら知らない人などひとりも居ないと言う程名の知れた店。かと言って近代化するでもなく、拡大化するでもなく。狭い道の角っこに窮屈そうに存在していた。古い椅子。古いテーブル。壁には様々な写真とメモ書きが貼られていて。久しぶりに会ったジムは困惑していた。いつもの髪型に鼻の下には立派な髭を生やして、彼は彼のトレードマーク的黒の革のジャンパーを着て、とてもリラックスしているように見えながら、表情は戸惑いの色で一杯だった。アンナは、僕が離れようとすると縋り付く。しかし僕がアンナに愛情を注ごうとすると、途端に冷たくなる。22年前にあのカフェでの会話其のままだった。どうしてそんな夢を見たのだろう。何か意味があるのだろうか。
ボローニャには、カフェ・トリエステのような店は無い。あの店は実にイタリア的な店と誰もが思い込んでいたけれど。ここ数か月のうちにボローニャにはテラス席を持つ店ばかりが急に増えた。店内は狭くてカウンターを設けるのが精いっぱい、だからテラス席、と言うことらしい。もしボローニャにカフェ・トリエステのような店が出来たらば、私は常連になるだろう。昔足繁く通ったように。陽が射しこむ一面ガラスの傍の席に座って、書き物をしながらカップチーノを頂く。多分、それが、私があの町に残してきてしまったことの、大切なことのひとつなのだ。
micio
美味しいのですが、そういえばイタリアに行ったときは食べなかったなと。
ボローニャの街並みを思い出しながら、惜しいことをしたとちょっと後悔しながらパニーノにかぶり付いていました。