宝物のような存在
- 2015/09/19 18:59
- Category: bologna生活・習慣
誰が止めたのだろう、私の目覚まし時計のアラームを。目を覚ましたらすっかり外が明るかった。勿論今日は土曜日で、いつものように早起きする必要はないにしても、それなりの時間に起きてゆっくり一日をスタートさせて、それから昨日帰りのバスの窓から見た中央郵便局前の広場で催されている花市場を見に行こうと考えていたのだ。予定より1時間も多く眠ってしまったことを嬉しくも残念に思いながら、ごそごそとベッドから抜け出た。最近は猫も忍耐強くなり、それとも、週末の朝食は決まって遅いと腹をくくったのか、私を揺り起こしに来ることは無い。有難いことだ。もっとも揺り起こしに来てくれていたら、こんなに朝寝坊することもなかったけれど。
半袖姿で外を歩ける晴天、しかし晴れた空の色が夏のそれとは異なっていた。だってもう9月も後半だもの。そう言ったのは13番のバスの中で背後に座っていた女性だった。彼女は傍らに立っている連れの男性と、ちょうど私が考えていることと同じようなことを話していたのだ。みんな考えることは同じ。まだ暑いけれど、朝晩の冷え込みや、空の色が一瞬違うことから秋の到来を感じているのだ。
中央郵便局の広場は賑わっていた。数年前にこの広場を綺麗にしてからというもの、様々な催し物をするようになった。広場は小さいながらも足元がよく整備されているので歩きやすく、取り囲むようにして幾つかのベンチが置かれているので疲れたら座ることもできる。体の弱い人や老人、小さな子供を連れている人には、多分とても嬉しい場所に違いないのだ。幾つもの園芸店が出店していた。とても高価な植物もあれば、2ユーロほどの鉢植えもあって、どんな人も気軽に植物を購入できる感じがとても良いと思った。美しい花あり、雑草かと思うような植物あり、そして様々なハーブあり。そして向こう側にはチーズや食料品を販売する店もあって、週末を楽しむ人たちで賑わっていた。私はもみじを探していたが、残念ながら見当たらず。そうね、イタリアだもの、などと思いながら、ゆっくりと植物を見て歩きまわり、そして食料品市場界隈へ行った。すると音楽が聞こえてきた。サックスの演奏だった。そう言えば知人から、昨晩から3日間、旧市街でジャズの演奏があるとの知らせがあった。夜とのことなので残念ながら行けそうにないと思っていたのだが、昼間も演奏をするのだろうか。音楽が聞こえる方へ歩いて行ったが、驚くほどの人垣で誰が演奏しているのか見えなかった。長い長い演奏で、演奏中は周囲の人達は声ひとつ立てなかったが、演奏が終わると滝の轟音とも思えるような拍手と歓声が沸き起こった。それはいつまでも鳴りやまなかった。5分以上であることは確かだ。私が薬屋さんに入って買い物をして、今日は店内の音楽は必要ないねと店の人と話をして、出て来てもまだ鳴りやんでいなかったのだから。今夜の演奏もこんな風だろうか。聞いている人の心を打つような。揺さぶるような。掻きたてるような。
平日は時間の拘束が大きい分、週末は時間に追われたくない。日曜日は決まって、体が不自由ですっかり老いた姑のところで過ごすから、自分のことに時間を使える土曜日は私の宝物のような存在だ。でも、単なる散策だって、後に予定があるために時間を気にしなくてはいけないとなると、楽しみが半減してしまう。そう説明する私に、日本語を話す手伝いをしてほしいと2年前から毎週土曜日の15時半に会うようになったイタリア人の女の子が残念そうな顔をしながらも、その通りだと同意してくれた。だから、土曜日の待ち合わせは今日で終わり。その代わりに、時間があるときに連絡をすることにしよう。ねえ、ちょっと出て来て一緒にカップチーノでもどう? そんな風にして。
つばめ
今日は、ちょっとつかれてしまいました。
おいしいカプチーノが日本でも飲めたらな。