雨音に耳を傾けながら

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昨日からは想像ができないほどの雨降りとなった月曜日。それでなくとも月曜日は何時だって憂鬱なのに、朝から雨降りではどうしようもなかった。お手上げというか降参というか。雨だと言うのに近所の犬がテラスに出てきて私に吠える。怒っているわけではなく、単に挨拶をしているだけだ。その証拠に私が手を振りながらチャオと声を掛ければ吠えるのをぴたりと止める。可愛い犬。思いがけず大きく成長して飼い主を少々困らせたけど。

仕事中にふと思い出した。土曜日の晩に女友達から連絡を貰い、急遽彼女に会いに行った時のこと。今年の幕開けに小さな男の子を出産した彼女。それまで頻繁に会っていたけれど赤ん坊が生まれてからはそうもいかず、6週間ぶりのことだった。近所に暮らしているならまだしも、ボローニャ市内に住んでいるならまだしも、彼女はもう直ぐフェッラーラ県境というところに暮らしているからだった。彼女は私と大の仲良しで彼女の相棒は私の相棒と大の仲良しだ。年齢も様々なら性格も思想も様々の私達は、良いバランスを保ちながら付き合っていた。待ち合わせ場所は近所のプラガ・カフェ。夜も10時を過ぎていたのでてっきり赤ん坊を両親に預けてきたのかと思えば、小さな小さな赤ん坊が腕の中に納まっていたので驚いた。こんな遅い時間のこんな騒がしい場所で、しかもこんなに人が沢山いる場所に来て赤ん坊が驚いていやしないか。と、思えば赤ん坊は目をくりくりさせながら周囲に愛想を振りまいていた。ぐずることもなくただただ皆に笑顔を向ける。一体誰に似たのかと聞けば、どちらでもないと言う。それにしても顔が父親にそっくりだった。。食欲旺盛で快眠、目を覚ませば機嫌が良く、手間いらずだと彼女は言って笑った。シンプルで健康なのは彼女に似たのかもしれなかった。店の奥でジャズの演奏が始まった。ああ、これは泣き出すに違いないと思ったが、赤ん坊は知らん顔。しかも少しすると深い眠りに落ち、私達を感嘆させた。音楽が好きなのだろうか。それにしても私達にだって音が大きすぎるというのに、眠りにつくとは。そのうち私達も寝くくなりだして、また近いうちに会う約束をしてそれぞれの場所に戻っていった。

夕方になると雨はますます強くなり、冷たい雨から逃げるように帰宅した。家の中は温かく、私を安心させてくれた。雨はさらに強い降りとなり家の中に居ても雨音が聞こえた。と、私は気がついたのだ。私は雨が嫌いだけれど家の中で寛ぎながら雨音に耳を傾けるのは好きらしい。実際こうして耳を傾けていると興奮していた心が徐々に静まっていく。彼女の赤ン坊も今頃、同じ雨音に耳を傾けながら静かな眠りにつこうとしているのかもしれない。


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色の魅力

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少し前のことだ。街を歩いていた時にふと目に入った。エルメスの良く磨かれたガラスの向こうに飾られていた男物のセーター。実際はセーターを飾ってあった訳ではないが、ジャケットの隙間から見えるセーターに目の焦点が合ったと言った感じだった。ジャケットの仕立て具合は申し分なかったが、その中に来ているセーターの色合いが特別私の感覚を強く刺激した。幾何学模様とでもいうのだろうか、こんな柄のセーターは何処にもありそうで無かったし、それにスモークがかったモカ色に赤とピンクは一際粋に見えた。私の思考の中で何かが騒いでいた。何だろう、何だろうと探ってみたら、それはマネキンが身に着けているピンク色と赤だった。

イタリアに暮らし始めたのは随分昔の5月の終わりだった。それは初夏と言っても良いような、開放的な季節だった。最近は黒や茶、グレーを好む人が多くなったが、当時のイタリアは他国の人々が口々に言うイタリアンカラー、つまり発色の良い軽快な色が当たり前だった。例えば女性は初夏になるとレモン色や目の覚めるようなグリーン、オレンジ、明るい紫と白を組み合わせるなどして華やかだった。アメリカから引っ越してきたばかりの私と言えば、履きなれたジーンズに真っ白なシャツが定番で、地味で目だた無いはずが街を歩いていると逆に酷く浮いてしまうのだった。そんな私に周囲の人は、何故そんな地味な装いをしているのかと訊いたものだけど、私はそんなラフすぎるかもしれない装いが良いと思っていたのだ。ある日知人が素敵なワンピース姿で現れた。膝上のワンピースの裾から長い素足、そして白いモカシンシューズを履いていた。シンプルな形のワンピースは光沢のある緑色。足元の白との組み合わせが大変新鮮で周囲の目を大いに惹いた。イタリア人女性は見せることを知っているなあと私は酷く感心し、ああ、それだからこの国は様々な斬新なデザインを生み出すことができたのかもしれないと思った。そんなことを考えているところに今度は髭面の男性がやって来た。それは知人のそのまた知人で、背丈はさほど高くなく顔もごく一般的なのに周囲の女性たちが一瞬くらいは振り返らざるを得ない、感じの良い人だった。いや、なに、ごく普通の人なのだ。白い麻のシャツにアイロンがぴしりうと掛かった赤いパンツ、そしてやはり素足にモカシンを履いていた。たったそれだけなのに、何故もこう女性の目を惹きつけるのかと頭をひねっていると、知人がそっと耳打ちした。ねえ、赤という色は、男性に良く映えると思わない? それからピンク色も。この2色は女性が身に着けても色の魅力を発揮することができないと私は思っているの。悔しいわねえ。と、彼女はそんなことを言って笑った。男性が身に着ける赤とピンク色。あの日から私は男性が身に着けると魅力を発揮する色、というものが気になるようになった。

確かにこのセーターは良くできている。多分、女性が着てもそれほど素敵には見えないだろうこのセーターは、男性らしい男性が着ると粋で格好良く見えるに違いない。それも大人の男性。そのうち私の隣には40代後半ほどの男女がやってきて、女の方が指さして言った。ねえ、あのセーター。私はあんなセーターが好きなのよ。すると男がすかさず言った。ねえ、きみ。この手の色は男でなくては駄目なんだよ。     ふーん、やっぱりそうなのか。と、横で私は感心するのだ。


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リスボン

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2月2日は確かに雨が降ったけれど、かと言ってその日を境に冬が終わった様子はない。やはり今日も襟巻をぐるぐる巻いて冬の長いコートを着込まねばならなかった。帽子は当然のことだった。これ無しではどうしようもない。すぐに頭が冷えて酷い頭痛に悩まされるから。ところがどうだろう、いつもの革の手袋は気がついたら鞄の中に突っこんだままだった。むしろ手袋をしない素手が気持ちよくて、ああ、もしかしたらこんな風にして寒さが去っていくのかもしれないと思った。それでよい。少しづつ、少しづつが良いと思う。

私は冬休みの始まりにヴィエンナを訪れて気が清々したらしく、暫く何処かへ行きたい病が納まっていたのだ。ところが最近恋しくて、何が恋しいかといえばリスボンのあの日差しとがたがたの石畳がなのだけど、居てもたってもいられなくなった。それはもう1年半も前のことで、しかし私にはまるで昨日のことにさえ思えた。あの夏私はリスボン旧市街のテージョ川から直ぐそばの旧式のひとりには広いくらいのアパートメントを借りて暮らした。確か5階という上の階だったにも拘らずエレベーターが無くて毎日息を切らせながら階段を上った。途中の階に住む女性の飼い犬が、ドアの前で足を止めて息を切らせている私の気配を不審に思ったらしく、ドアの向こう側から吠えたものだ。そのうち私の気配が日常となると、吠えると言うよりは挨拶風の声を出すようになり私を安心させた。そしてある日遂に私と対面すると、ああ、奥さんでしたか、いつもの息切れさんは、とでも言うように犬は私にすり寄って甘えた。あの階段は確かに心臓破りだったが、テラスに続く大窓から入ってくる涼しい風が火照った肌を冷やして労わってくれた。私はあの窓が好きだった。それからあのテラスが好きだった。隣の住人と時々テラス越しに会うことがあった。若い男性が数人住んでいるらしかった。彼らのうちのひとりは本が好きらしく、窓枠に寄りかかって本を読み耽っていたものだ。それから時々いい匂いがした。あまりにいい匂いなので一度テラス越しに声を大きな独り言を言ったことがある。ああ、いい匂い。美味しそうな匂いがする。イタリア語で言ったが、彼らは多分わかった筈だ。その証拠に窓の奥からくすくすと笑う声が聞こえ。私が好きだったのはそんな大窓とテラスのある居間でワインを堪能することだった。アレンテージョの赤。アレンテージョの白。私は決して大酒飲みではない。遅い夕方に小さな小さなグラスにワインを注いでのんびり過ごすのが好きなのだ。誰かと一緒でも良い、でもひとりでも構わなかった。そういう時間が好きだった。時々昼時に家に戻ってきた。簡単な昼食を外で済ませてから。昼間の日差しがあまりにも強すぎてくたくたになったからだ。そんな日もテラスの大窓から入る風は涼しくて私を安心させた。子供の頃から昼寝が嫌いな私だから、長椅子に寝転がって本を読んだ。そうして元気を取り戻すと、再びあの階段を下って出掛けるのだ。

やはり私は太陽が好き。強い日差しが作り出す、濃い影が好き。あの細い路地が好き。サンダルのつま先を幾度も石畳に引っ掛けて、しまいにはサンダルがボロボロになってしまったけれど、そんながたがたの石畳すらも好きだ。遅い夕方に吹く涼しい風が好き。リスボンが呼んでいる。近いうちに戻っておいでよ、と。


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2月2日に雨が降れば

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昨日クリーニング屋の女主人と立ち話をした。雨ばかり降るけど、これからも引き続き雨降りだろうか。そんなことを話していた時、女主人が、あのね、と話し始めた。2月2日に雪か雨が降るならば其れを境に冬が終わり、ところが曇りや晴天になるならば暫く冬が続くと言われているのよ。なあに、迷信みたいなものなんだけどね、この辺りの古い人たちは皆それを固く信じているのよ。私はその手の話が案外好き。特に老人たちが言うことは案外的を得ていることが多いと感心している。彼らは伊達に年を取ってはいない。沢山の経験や前の世代から引き継いだものを経験を通じて実感したりするならば、また次の世代に継いでいくのだ。勿論単なる迷信も沢山あるし、頑なな考え方に辟易したり反発を感じることもあるけれど、案外物知りで為になることを教えてくれる。私はその話に感心して、女主人と2月2日が雨になるようにと口々に言いながら別れた。

そうして迎えた2月2日。昼前から雨になった。いつもなら雨にうんざり顔を向ける私が文句のひとつも言わないことに相棒が不思議に思ったらしく、顔を覗き込んだ。それで昨日の話を言ってみた、多分一笑されてお終いになることを承知の上で。2月2日に雨が降ったら、と話し出すと、相棒が先を続けたので驚いた。何処でそれを聞いたのかと訊ねると、これはCandeloraという聖人の有名な言葉なのだそうだ。そんな古いことをよくも私が知っていたと今度は相棒が驚いた。時々古い本を引っ張り出して読んでいる私だから、相棒は何かの本に書いてあったのかと思ったらしい。しかし違う。クリーニング屋の女主人だ。彼女は古い習慣の生き字引みたいなもので、店に行くと色んな事を教えてくれるのだ。イタリアやボローニャの古い習慣を面白いと言って耳を傾ける私だから、教え甲斐があるのかもしれない。兎に角雨が降った。ということは、これを境に春がやって来るのだろうか。そういえば旧市街の街路樹の花が咲いていた。2年ほど前に植えられた、梅や桜によく似た木。まだこんなに寒いのに、こんなに冷たい雨が降っているのに咲き始めた花を見て、春は案外背後まで来ているのかもしれないと思ったことを思い出したのだ。そうか、背後まで来ているのだな。と、声に出して言ってみたら本当のことのように思えてきた。明日も雨。明後日も雨の予報だけど、案外そのうちすっきりと雨が上がったら、気温が上がって陽気な毎日になるのかもしれない。

春を待つのは素敵なこと。考えるだけでわくわくする、それが春なのだ。


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土曜日が好き

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1月が駆け足で過ぎていった。つい最近シャンパンの栓を抜いて新しい年のお祝いをしたばかりのようなのに、と相棒がぼそりと呟いていたが、全く同感だった。それでいて長い時間が経っているような気がするのは、その間に様々なことがあったからだ。良いことあり、つまらないことあり。それらを全て纏めて、わりと良いひと月だったと思えるのが私の幸運である。

今朝はゆっくり起きた。昨晩強いワインを頂いたせいだ。プーリア地方で作られたよく寝かせたデザートワイン。15度+4度と表示されていたとおりだった。小さな小さなグラスにふたくち分だけ注ぎ、口に含んでみたらその美味しさと強さに驚いた。此れのおかげで深い眠りにつき、目を覚ましたら空がすっかり明るかった。雨が降っていない土曜日に、家でじっとなどしていられない。歩きやすいブーツを履いて、首元に気に入りのシルクの襟巻を巻き付けて家を出た。それにしても最近視力が落ちたようだ。散策の時には眼鏡を掛けなくてもなんの支障もなかったのに、いや、少しぼやけて見えるにしても不便なことはなかったのに、眼鏡が無いと目の前にいる友人にすら気がつかない。これを私は仕事のし過ぎと呼んでいるが、どうだろう、私の同僚たちは同意してくれるだろうか。兎に角、そんな訳で今日は眼鏡をかけて歩いた。昨夏日本で作った気に入りの眼鏡。少しも女っ気のない、堅物風の素っ気ない眼鏡。昔見た映画の中の女性がしていた眼鏡によく似ている。ずっとこんなのを探していたから、見つけた時に迷わず決めた。これ。これは私の眼鏡。眼鏡をかけたら世界が鮮明に見えた。私は今まで色んなことが見えずに歩いていたのかもしれない。そう思ったら酷く可笑しくなった。眼鏡をかけて歩いてみて初めて気がついた。色んな事を見ていたような気がしていただけなのかと思って。空に大きなシャボン玉。此れも眼鏡をかけていなければ気がつくこともなかっただろう。歩いているうちに小腹が空いた。いつもならエノテカイタリアーナでパニーノとワインで済ますところだが、今日に限ってはテーブルについて昼食をとりたくなった。しかしあと少しで14時で、レストランや食堂に入るのは遅すぎる時間だった。さてどうしたものか、やはり今日もエノテカイタリアーナか、と思いながら歩いていたら思い出した。そうだ、あの店はどうだろうか。それは昔から古いポルティコの下にある店。私は単なるバールと思っていたが、実はパン屋さん的存在であり、美味しいお菓子や手打ちパスタも販売していた。あまり商売っ気が無いのか内装も外装も実に素っ気なく、そして古臭く、初めての客が好んで入るような店ではなかった。ただ、ショーウィンドウに並んでいた生パスタが実にいい感じで、前を通るたびに足を止めずにはいられなかった。その店が急に美しくなった。テーブルが幾つも並び、中で色んなものを頂けるようになった。ワインだけでも良いし、カッフェだけでも良い。菓子を持ち帰ることもできるし、手打ちパスタを中で食することもできる。12月ごろからとても気になっていたのだが、何となく入らずにいたけれど。店の名はSOVERINI。前と同じ名前だった。席に着くなり店の人に訊いてみたら、新しくなったけれども同じ家族が経営している、前と同じSOVERINIなのだと教えてくれた。私は小腹を宥めるには随分と重いラザーニャと赤ワインを注文した。少し待つと熱々の大きなラザーニャが出てきた。美味しかった。今までどうして足が向かなかったのかが惜しまれてならなかった。あっという間に平らげた。先客たちが店を出る都度店の人に声を掛けた。とても美味しかったよ、ありがとう。誰もが満足しているようだ。多分新しくなったこの店に関心を持ちながらも多少なりとも不安を持って入ったのだろう、私のように。兎に角私の舌とお腹は大変満足し、また近いうちに寄るからと言って店を出た。お腹が満たされたが懐はあまり痛まなかった。私にぴったりの店だった。近いうちに、今度はトルテッリーニを注文することにしよう。外に出ると人混み。それを上手くかわしながら新しい知人との待ち合わせ場所に向かって歩き出した。

良い土曜日。土曜日はやはり一週間で一番楽しい。


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