安倍首相、殉職警察官に献花
安倍首相は、この20日(木)午後3時半過ぎ、イギリスで行われたG8サミット(主要国首脳会議)への出席を含む6日間のヨーロッパ歴訪から帰国し、少し間をおいた午後6時30分過ぎ、折からの都議選の応援に駆けつけ、神田淡路町で街頭演説をしました。
引き続き翌6月21日(金)は、午後1時前官邸を出て6時半過ぎまで、都内5カ所を駆け巡り、街頭演説をこなしました。G8では国家の大戦略を売り込み、東欧4カ国訪問では、シナ包囲網を念頭に首脳会談を行い、原発などのトップセールスもこなしてきました。帰国するや都議選の応援演説など、落差の大きい仕事に切れ目なく取り組んでおり、正に首相としてまた自民党総裁として大車輪で回っている状況です。時差ボケなど関係ないようですが、くれぐれも身体を壊さないようにして欲しいものです。
21日の街頭演説では、板橋区内の東武東上線ときわ台駅前を訪れました。
今を去る6年前の平成19年2月、このときわ台駅踏切で事故が起こりました。線路内に入った女性を助けようとして、駅前交番勤務の宮本邦彦警部(53)が殉職したのです。いつも大声でまた独特の笛の吹き方で交通整理に当たっていた近所の商店街でも評判のおまわりさんでした。
平成19年2月と言えば第1次安倍内閣の時です。安倍内閣は前年9月に発足するや、外交では日中首脳会議をこなし、内政では戦後日本の懸念であった教育問題に取組み、12月には教育基本法を改正、同じく12月には防衛庁の省昇格を実現していました。しかし一方では12月の税調会長の本間正明の愛人問題や厚労大臣柳澤伯夫の「女性は産む機械」発言などで、官僚の情報リークやマスコミの安倍バッシングが始まっていました。
そのような中を安倍首相は、宮本警部の弔問に警視総監を伴い板橋署を訪れたのです。そして遺族にお悔やみの言葉を述べ、宮本警部の長男には「お父さんを見習って頑張って下さい」と声をかけました。弔問の後、記者団に「危険を顧みず人命救助に当たった。日本人として誇りに思う」と語りました。
なぜ首相の立場で、殉職とは言え一市井の警察官の弔問に訪れたのか、経緯は分かりませんが、多分戦後レジームからの脱却を唱え、教育再生問題に取組み、その中で戦後日本人の道徳や人としてのあり方についても問題意識を持っていた首相に対して、周囲がこのニュースを伝えたのだと思います。そしてこのような人こそ大事にしなければならないと、何はおいてもと弔問に駆けつけたのではないでしょうか。
奥様は告別式で「主人の性格と人間性を考えるとこれも天命」とおっしゃったそうです。そのような人物であったようです。
この弔問に対して、マスコミなどから、「異例すぎて売名行為だ」、「殉職警官が出る度に出かけるのか」、「誇りなどとは板橋署長が言えばいいだけの話だ」などと、安倍バッシングの空気の中で嫌みな批判がありました。
6月22日(土)の産経新聞は、ときわ台駅前での街頭演説の後、その後建てられていた宮本警部の記念碑に立ち寄り、総理大臣として献花した安倍首相について報じました。首相は次のように訴えました。「ここに立つと宮本警部を思い出す。人のために自らの命を投げ出した。国も同じ。誰かが国のためにと言う人がいて国は成り立つ」。

そして官邸フェースブックで次のように自戒の言葉を表しました。
「本日、現場となった東武東上線のときわ台駅を訪問した際、総理大臣として献花させていただきました。人のために我が身を顧みず尽くす。この至高の精神を肝に銘じながら、日々の職務に臨んでいかなくてはならないと、思いを新たにしました。」
安倍首相は、半端でない多忙の中で、市井の一殉職警官に対して、6年前のことを忘れず、素晴らしい心配りをしました。「神は細部に宿る」、このような細部への心配りが出来る安倍首相は、大きな偉大な仕事も出来ると、信頼したいと思います。一方これも選挙運動の一つと言ってしまえば身も蓋もありませんが。
そして安倍首相には、この市井のレベルから次は国家のレベルとして、国のために命を捧げた靖国神社に祀られている英霊に対して、断固参拝される時期に来ていると、参院選勝利後は覚悟を決めていただきたいと思います。諸外国が何と干渉してこようとも断固はねつけてです。それが正に「日本を取り戻す」のスタートのはずです。
以上
(うまし太郎)
引き続き翌6月21日(金)は、午後1時前官邸を出て6時半過ぎまで、都内5カ所を駆け巡り、街頭演説をこなしました。G8では国家の大戦略を売り込み、東欧4カ国訪問では、シナ包囲網を念頭に首脳会談を行い、原発などのトップセールスもこなしてきました。帰国するや都議選の応援演説など、落差の大きい仕事に切れ目なく取り組んでおり、正に首相としてまた自民党総裁として大車輪で回っている状況です。時差ボケなど関係ないようですが、くれぐれも身体を壊さないようにして欲しいものです。
21日の街頭演説では、板橋区内の東武東上線ときわ台駅前を訪れました。
今を去る6年前の平成19年2月、このときわ台駅踏切で事故が起こりました。線路内に入った女性を助けようとして、駅前交番勤務の宮本邦彦警部(53)が殉職したのです。いつも大声でまた独特の笛の吹き方で交通整理に当たっていた近所の商店街でも評判のおまわりさんでした。
平成19年2月と言えば第1次安倍内閣の時です。安倍内閣は前年9月に発足するや、外交では日中首脳会議をこなし、内政では戦後日本の懸念であった教育問題に取組み、12月には教育基本法を改正、同じく12月には防衛庁の省昇格を実現していました。しかし一方では12月の税調会長の本間正明の愛人問題や厚労大臣柳澤伯夫の「女性は産む機械」発言などで、官僚の情報リークやマスコミの安倍バッシングが始まっていました。
そのような中を安倍首相は、宮本警部の弔問に警視総監を伴い板橋署を訪れたのです。そして遺族にお悔やみの言葉を述べ、宮本警部の長男には「お父さんを見習って頑張って下さい」と声をかけました。弔問の後、記者団に「危険を顧みず人命救助に当たった。日本人として誇りに思う」と語りました。
なぜ首相の立場で、殉職とは言え一市井の警察官の弔問に訪れたのか、経緯は分かりませんが、多分戦後レジームからの脱却を唱え、教育再生問題に取組み、その中で戦後日本人の道徳や人としてのあり方についても問題意識を持っていた首相に対して、周囲がこのニュースを伝えたのだと思います。そしてこのような人こそ大事にしなければならないと、何はおいてもと弔問に駆けつけたのではないでしょうか。
奥様は告別式で「主人の性格と人間性を考えるとこれも天命」とおっしゃったそうです。そのような人物であったようです。
この弔問に対して、マスコミなどから、「異例すぎて売名行為だ」、「殉職警官が出る度に出かけるのか」、「誇りなどとは板橋署長が言えばいいだけの話だ」などと、安倍バッシングの空気の中で嫌みな批判がありました。
6月22日(土)の産経新聞は、ときわ台駅前での街頭演説の後、その後建てられていた宮本警部の記念碑に立ち寄り、総理大臣として献花した安倍首相について報じました。首相は次のように訴えました。「ここに立つと宮本警部を思い出す。人のために自らの命を投げ出した。国も同じ。誰かが国のためにと言う人がいて国は成り立つ」。

そして官邸フェースブックで次のように自戒の言葉を表しました。
「本日、現場となった東武東上線のときわ台駅を訪問した際、総理大臣として献花させていただきました。人のために我が身を顧みず尽くす。この至高の精神を肝に銘じながら、日々の職務に臨んでいかなくてはならないと、思いを新たにしました。」
安倍首相は、半端でない多忙の中で、市井の一殉職警官に対して、6年前のことを忘れず、素晴らしい心配りをしました。「神は細部に宿る」、このような細部への心配りが出来る安倍首相は、大きな偉大な仕事も出来ると、信頼したいと思います。一方これも選挙運動の一つと言ってしまえば身も蓋もありませんが。
そして安倍首相には、この市井のレベルから次は国家のレベルとして、国のために命を捧げた靖国神社に祀られている英霊に対して、断固参拝される時期に来ていると、参院選勝利後は覚悟を決めていただきたいと思います。諸外国が何と干渉してこようとも断固はねつけてです。それが正に「日本を取り戻す」のスタートのはずです。
以上
(うまし太郎)
コメント:
