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ハワイ・真珠湾で特攻企画展

●ハワイの真珠湾に係留されている戦艦ミズーリ記念館で4月11日、「特攻企画展」が始まりました。11月11日まで続くそうです。以下4月12日付け産経新聞の記事です。

(紹介始め)
 戦時中、米戦艦ミズーリに特攻して死亡した日本兵は手作りの「日の丸」で覆われ、米兵に手厚く水葬されていた-。米・ハワイの真珠湾に係留されている戦艦ミズーリ記念館で始まった特攻企画展では、関係者も新たに知るエピソードが披露され、日米の出席者が交流を深めた。

 企画展開催のきっかけになったのは、昨年12月7日付産経新聞朝刊(一部地域は6日付朝刊)に掲載された本紙写真企画「戦後70年~記憶の風景」を「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)管理係の桑代睦雄さん(54)が目にしたことだった。

 「特攻機が突入した戦艦と分かっていても、多くの人が詳しい歴史を知らないのでは…」

 記事を読んだ桑代さんが疑問を感じ、産経新聞社を通じて戦艦ミズーリ記念館に連絡を取り、「後世に事実を正しく伝える必要がある」と一致。桑代さんが今年3月、同記念館に赴いた。

 記念館で桑代さんは、新たな事実も知った。昭和20(1945)年4月11日、鹿児島県の喜界島沖で特攻機がミズーリ右舷後方に突入した際、操縦していた日本兵は艦上で戦死していたが、乗組員は手作りの日の丸で遺体を覆い手厚く水葬、記録写真も残っていたことなどだ。

          150418ミズーリ号と特攻      

 「双方が憎み合っていないことが分かり、一緒に事実を伝える催しを開きたいと思った」。桑代さんはこう振り返った。

 企画展での展示品は遺書や手紙の複製、軍服など19点と隊員の写真約80枚。特攻の傷跡が残る甲板で行われた式典では、戦死した隊員が恋人にあてた「会いたい…」と、つづった手紙が日本語と英語で紹介され、出席者が涙する一幕もみられた。

 式典終了後、南九州市の霜出(しもいで)勘平市長(74)ら日本側関係者は、戦艦ミズーリ記念館のマイク・カー館長(65)から特攻を受けた当時の説明を聞くなどして親交を深めた。

 カー館長は「日米が協力して実現した展示を誇りに思う」と語り、霜出市長も「特攻の資料を持つ日本の施設と特攻を受けたミズーリの記念館が協力する意義は大きい。今後もさらに理解を深め事実を伝えたい」と話していた。
(紹介終わり)
http://www.sankei.com/life/print/150412/lif1504120045-c.html

●少し古い話ですが、青山繁晴さんが平成26年6月11日の関西テレビ「水曜アンカー」で、ミズーリの乗組員が遺体を「海軍葬」として手、厚く葬った状況を紹介しています。

(青山さんのお話)
 ここに、この零戦が突入しようとしてるんですね。で、これは突入にいわば成功して、ここにへこみを作るんですよ。へこみを作りますが、実際はそれ以上の、まあ火災は起こしましたけど、大きな被害はなかった。

 大きな被害はなかったっていうことは、実は零戦も、タイヤが上向きになってこの辺に乗っかったりして、そして、パイロットもですね、パイロットの上半身が、顔も、よく分かる状態で、ここに転がったんですよ。で、それを、アメリカの水兵たちは、あるいは士官も含めて、自分たちを殺しに来た飛行機ですから、この野郎、この野郎って、蹴ってたわけです。

 蹴ってたら、この上から、キャラハンっていう艦長が、やめろと。

「この日本のパイロットは我々と同じ軍人じゃないか。生きている時は敵であっても今は違う。激しい対空砲火をかいくぐってここまで接近してきたパイロットの勇気と技量は、同じ武人として称賛に値する。祖国を守るために戦ってる若者だ。敬意を表し水葬に付したい」と、乗員の反対を押し切って海軍葬に処しています。

 みんなが納得して何をしたかというと、艦内で、白い布と赤い布を探して、何と日本の旭日旗を作ったりして、この石野さんっていう方は19歳、岡山出身の、元は鉄道員だった方を、こうやってくるんで、アメリカ海軍の正式な、まさしく敬礼をして、実は海軍葬を行ってくれたんです。

(お話終わり)

 祖国を守るために死を賭して戦った兵士に対しては、たとえ敵であっても、立場を超えて自分もそうであった軍人同士はよく分かり合えるのかもしれません。

●宮崎正弘さんのメルマガの最近号で、勇敢な日本軍兵士のエピソードについて、読者の方がご自分の体験を記していました。

(紹介始め)
 今、米国ハワイの真珠湾で特攻企画展が行われている。この中で戦艦ミズーリの乗組員が特攻隊の操縦士の遺体を手作りの日の丸で包んで水葬したという挿話が公開されている。

 私もこうした話を昔米軍人から聞いたことがある。

 私は20代のころ米国を横断旅行したが、中西部で白人の家に泊めてもらった。夕方、裏庭で遠い大平原に落ちる雷の稲妻を見ながらビールをご馳走になった。主人は日本との縁を話した。

 彼は元海軍の軍人で、第二次大戦では駆逐艦の機関長として大西洋、太平洋の主要海戦にすべて従軍した歴戦の強者である。ミッドウェー海戦では、夕暮れ迫る海を航行中、漂流する日本の飛行士を発見した。
 おそらく母艦を失った日本軍機が燃料切れで不時着水したのであろう。そこで救出に向かった。そして彼を艦上に引き揚げた。大層疲労困憊している様子なので、炊事係が急いで食事を用意し飛行士に差し出した。すると、驚いたことにその飛行士は食事用のナイフを使って自決したのである。

 これをみた米軍側はショックを受けた。そして敵ながら偉いと深く感動した。戦場で戦う最前線の戦士の心理である。彼はその後、沖縄攻略戦に参加し、日本進駐も経験し帰国した。彼は日本軍は実によく戦った、偉かった、と尊敬していた。
 
 そして彼はミッドウェーでの出来事は忘れられない。それで今日貴方をお招きしたと語った。私は自分と変わらない年齢の同胞青年の死を思い心の中で合掌した。
(紹介終わり)

●青山さんの話の続きです。青山さんはその番組で、真珠湾記念館の展示物の紹介をしているのですが、我々日本人は、真珠湾と言えば、「日本は奇襲攻撃をした、日本は卑怯な国だ、日本は軍国主義の国だ」と思い込んでいました。

 しかし展示物には、そのようなことは一切書かれていない、書かれているのは
「日本は海軍力に於いて、アメリカより先端を行っていた。特に大きな軍艦ではなく、飛行機こそ大事だと言うことを教えてくれた」、「アメリカはその反省のもとに航空戦力を強くして、1942年6月のミッドウェー海戦でやり返して祖国を守った」というフェアな内容とのことです。

 そして、なぜ日米が戦争に至ったのかを、次のように説明しているとのことです。

「アジアでは紛争が起こっていた。古い秩序が変わろうとしていた。世界の舞台で、新しい主導的な役割を果たそうと、二大パワーとしてアメリカと日本が勃興してきた。」
「双方は一層の国益を追求していた。双方は戦争を避けようとしていた。双方は真珠湾で衝突することになってしまった。」


 「双方」は英語では「both」です。アメリカと日本を対等に考えているのです。そしてこの施設は政府の施設ですから、アメリカ政府の公認の見解として「双方は戦争を避けようとしていた」と言うことになるし、「日本は奇襲攻撃した、卑怯だという見解はない」と言うことになります。

 そして青山さんは、「日本は悪いことをしたと思い込まされてしまった。その思い込みを今、中韓が反日歴史戦争で利用している。今こそ子供達には、捏造や宣伝ではない真実の歴史を伝えなければ行けない」と警鐘を発しています。同感します。

以上
(うまし太郎)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2015/04/18 14:38
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