5月3日 知覧特攻慰霊祭
今年も知覧にて特攻慰霊祭が執り行われます。

特別攻撃隊についておさらいしましょうか?
特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃しています。
本格的な特攻作戦は、陸海軍共同で4月6日第1次総攻撃として始まり、7月19日第11次総攻撃の終了まで続きました。
特攻部隊のうち、九州から出撃した部隊は" 振武隊(しんぶたい)"、台湾から出撃した部隊は" 誠飛行隊(まことひこうたい)" と呼称しています。
3月26日開始された慶良間(けらま)列島海域への特攻作戦は、沖縄本島・石垣島・宮古島から出撃しましたが、4月1日沖縄本島に上陸後は、九州及び台湾から出撃するようになりました。
その特別攻撃隊の歴史を伝えるために知覧護国神社の横には知覧特攻平和会館があります。
この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。
この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。
そして知覧平和会館の初代館長である板津さんつい最近亡くなられました。
知覧特攻平和会館初代館長の板津忠正さん死去
旧日本軍の特攻隊の生き残りで、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館の初代館長を務めた板津忠正(いたつただまさ)さんが6日午後0時41分、慢性心不全急性増悪で死去した。90歳だった。通夜は8日午後7時、葬儀は9日午後1時から愛知県犬山市犬山薬師26の犬山愛昇殿で。喪主は長男昌利さん。
名古屋市出身。太平洋戦争中の1945年5月、旧陸軍の特攻隊として沖縄へ向け出撃したが、戦闘機のエンジン故障で不時着し生還。終戦を迎えた。
戦後、名古屋市役所に勤務する傍ら、全国の元特攻隊員の遺族らを訪れて遺影や手紙などを集めて回った。86~88年、鹿児島県知覧町(当時)の知覧特攻平和会館の館長に就任。語り部としても活動した。退職後も「特攻の真実と平和」をテーマに各地で講演を続け、平和の尊さを訴えた。
みなさん一緒に慰霊祭への参列はいかがでしょうか?
第61回知覧特攻基地戦没者慰霊祭
平成27年5月3日 受付11時より南九州市知覧体育館
慰霊祭:13時より知覧特攻平和観音堂前
主催:知覧特攻慰霊顕彰会(事務局TEL0993-83-1526)
知覧平和会館 横
以上、宜しくお願いします。
(ブラッキー)

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特別攻撃隊についておさらいしましょうか?
特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃しています。
本格的な特攻作戦は、陸海軍共同で4月6日第1次総攻撃として始まり、7月19日第11次総攻撃の終了まで続きました。
特攻部隊のうち、九州から出撃した部隊は" 振武隊(しんぶたい)"、台湾から出撃した部隊は" 誠飛行隊(まことひこうたい)" と呼称しています。
3月26日開始された慶良間(けらま)列島海域への特攻作戦は、沖縄本島・石垣島・宮古島から出撃しましたが、4月1日沖縄本島に上陸後は、九州及び台湾から出撃するようになりました。
その特別攻撃隊の歴史を伝えるために知覧護国神社の横には知覧特攻平和会館があります。
この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。
この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。
そして知覧平和会館の初代館長である板津さんつい最近亡くなられました。
知覧特攻平和会館初代館長の板津忠正さん死去
旧日本軍の特攻隊の生き残りで、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館の初代館長を務めた板津忠正(いたつただまさ)さんが6日午後0時41分、慢性心不全急性増悪で死去した。90歳だった。通夜は8日午後7時、葬儀は9日午後1時から愛知県犬山市犬山薬師26の犬山愛昇殿で。喪主は長男昌利さん。
名古屋市出身。太平洋戦争中の1945年5月、旧陸軍の特攻隊として沖縄へ向け出撃したが、戦闘機のエンジン故障で不時着し生還。終戦を迎えた。
戦後、名古屋市役所に勤務する傍ら、全国の元特攻隊員の遺族らを訪れて遺影や手紙などを集めて回った。86~88年、鹿児島県知覧町(当時)の知覧特攻平和会館の館長に就任。語り部としても活動した。退職後も「特攻の真実と平和」をテーマに各地で講演を続け、平和の尊さを訴えた。
みなさん一緒に慰霊祭への参列はいかがでしょうか?
第61回知覧特攻基地戦没者慰霊祭
平成27年5月3日 受付11時より南九州市知覧体育館
慰霊祭:13時より知覧特攻平和観音堂前
主催:知覧特攻慰霊顕彰会(事務局TEL0993-83-1526)
知覧平和会館 横
以上、宜しくお願いします。
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