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歴史を歪める特定亜細亜

先日、外相会談が開催されました。
その内容について様々な話が飛び交っておりますが、私は今のままでは改善しないと思っております。
なぜなら歴史を歪めているのは中共の外交戦略であり、恫喝外交と呼ばれるものだからです。
最近では手も出しており、南モンゴルの人々や東トルキスタンの人々、チベットの人々がその弾圧、虐殺の被害をこうむっております。
フィリピンでは島をとられ、その島が要塞化しているとの情報も入っており、気が抜くことが出来ません。
様々な国々に対して全方位的に戦争を吹っかけているように見える中共ですが、日本に対して行っている歴史戦が今回の外相対談に表れています。

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歴史を忘れた民族に未来はない、某斜め上の国が発した言葉とも言われておりますが、これは真実でしょう。歴史を知るすなわち自国の建国から今に至る道筋、先祖の活躍を知る事であり、それがその国に住んでいる人間の背骨になります。
その背骨があるが故、自国に対して誇りと責任を感じるのです。我が国の教育のように歴史をきちんと教えない教育を施されると我が国を愛する愛国心が損なわれてしまいます。それだけは阻止していかなくてはなりません。
戦後70周年と言われる今年は歴史戦がピークに達するとも言われております。
ちなみに中華人民共和国と大韓民国は建国70周年立っておりません。戦後出来た国であることを覚えていないといけませんね。
我が国2675年の歴史をすべて教育で教えることは不可能と言われております。
かの有名な聖徳太子が十七条の憲法を作ったのが建国して1000年以上経過しておりますし、明治帝が五箇条の御誓文を作ったのはつい最近です。悠久の時を経て培われた歴史を認識するとともに現代の問題も一緒に教わらなければならない子供達、なかなか大変ですね。
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さて、歴史問題にて特定亜細亜並びに戦勝国連合が絶対に拒否したいのが安倍談話による正しい歴史感の発案です。
国際法を全く守らなかった戦勝国、アメリカは民間人を虐殺し、支那は民間人の格好をした軍隊を作り、朝鮮は戦ってすらいません。オランダやイギリスなどはアジア諸国に昔から君臨していた王国、歴史を蹂躙して植民地を作り、ソ連においては戦争終結後、武装解除した我が国に対して軍隊を向けてきました。それらを今日において我が国が発表することは阻止したいのではないでしょうか?なので様々な伝手を使って妨害していているのでしょう。
我が国は立派に全世界中の列強と戦いました。その歴史は忘れてはなりません。

さて、70年を経て発表されるといわれている安倍談話についていろいろと意見があるそうです。
このような話を紹介します。
歴史を見る目歪める「北岡発言」 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子
≪定義づけのない「侵略戦争」≫

 「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」-3月9日、或(あ)るシンポジウムの席上で北岡伸一氏が述べたと伝えられるこの発言は、大変な問題発言と言うべきものです。「安倍談話」について検討する懇談会の座長代理を務める方が、いわば場外である公の場で自らの私見を述べる、というマナー違反もさることながら、一番の問題は発言の内容です。
 日本が侵略戦争をしたのか否かという話を政治の場に持ち込んではならない-これは単に、そういう問題は歴史学者にまかせておけばよいから、というだけのことではありません。もしも本当に学問的良心のある歴史学者ならば、そんな問いには答えることができない、と突っぱねるはずです。
 なぜなら「侵略戦争」という概念そのものが極めていい加減に成り立ったものであって、今に至るまできちんとした定義づけがなされたためしはないからなのです。
 ここで簡単に「侵略(アグレッション)」という言葉が国際法の舞台に登場してきた経緯を振り返ってみましょう。今われわれが使っているような意味での「侵略(アグレッション)」という言葉が最初に登場するのは、第一次大戦後のベルサイユ条約においてです。
 いわゆる「戦争責任(ウォー・ギルト)」条項として知られる231条には「連合国政府はドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果、連合国政府および国民が被ったあらゆる損失と損害を生ぜしめたことに対するドイツおよびその同盟国の責任を確認し、ドイツはこれを認める」とあります。
 そして、このような罪状によって、ドイツには連合国の戦費すべてを負担する全額賠償という巨額の賠償が負わされたのでした。

≪敗戦国だけに責任負わせる概念≫
 では、そのような重大な罪であるドイツの「侵略」はどんな根拠に基づいて認定されたのかといえば、ほとんどいかなる客観的検証もなされなかった。むしろ逆に、前例のない巨額の賠償を根拠づけるために、降伏文書では単なる普通の武力攻撃を意味していた「アグレッション」という語を、重大な罪を意味する言葉「侵略」へと読みかえてしまったのです。
 現在のわれわれは、第一次大戦がいわば誰のせいでもなく起こってしまった戦争-各国のナショナリズムの高揚の中であれよあれよという間に拡大してしまった大戦争だったことを知っています。
 その戦争の原因をもっぱら敗戦国だけに負わせる概念として登場したのがこの「侵略」という言葉だったのです。こんな言葉を使ったら、歴史認識などというものが正しく語れるはずはありません
 でも、それからすでに100年近くたっているではないか。こんなひどい概念がそのままということはあり得ない、と言う方もあるでしょう。確かに、第一次大戦と第二次大戦の間には不戦条約というものが成立して、それに違反した戦争は違法な侵略戦争である、という言い方ができるようになってはいました。
 ところが不戦条約には米国の政府公文の形で、この条約は自衛権を制限するものではなく、各国とも「事態が自衛のための戦争に訴えることを必要とするか否かを独自に決定する権限をもつ」旨が記されています。現実に個々の戦争がこれに違反するか否かを判断するのは至難の業なのです。

≪「力の支配」を肯定する言葉≫
 第二次大戦後のロンドン会議において、米国代表のジャクソン判事はなんとか「侵略」を客観的に定義づけようとして、枢軸国のみを断罪しようとするソ連と激しく対立しますが、最終的にはその定義づけは断念され、侵略戦争の開始、遂行を犯罪行為とする、ということのみが定められました。しかも、それは枢軸国の側のみに適用されるということになったのです。そしてその後も、この定義を明確化する国際的合意は成り立っていません。
 つまり、「侵略」という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていないというわけなのです。この概念が今のまま通用しているかぎり、国際社会では、どんな無法な行為をしても、その戦争に勝って相手に「侵略」のレッテルを貼ってしまえばこちらのものだ、という思想が許容されることになるといえるでしょう。

 こんな言葉を、安倍晋三首相の談話のうちに持ち込んだら大変なことになります。首相がしきりに強調する「未来志向」ということは、もちろん当然正しい歴史認識の上に立って、平和な未来を築いてゆくのに役立つ談話を出したい、ということに違いない。だとすれば、歴史を見る目を著しく歪(ゆが)めてしまうような言葉や、国際社会において、「法の支配」ではなく「力の支配」を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念は、決して使ってはならないのです。国際政治がご専門の北岡さんには改めて、本来の学識者としての良識を発揮していただきたいものです。(はせがわ みちこ)

正しい歴史認識、歴代の総理を継承するというのは何も戦後だけの事ではありません。
戦前も我が国の歴史であり歴代の総理大臣がおりました。
歴史を語るうえで戦前と戦後を切り離して語ることは愚の骨頂です。
そりゃ~まあ、特定亜細亜は戦後の歴史しか持ちませんので仕方ないのかもしれませんが相手に合わせて我が国の歴史を捻じ曲げても仕方ありませんし、意味がありません。
歴史認識を語るうえで2675年で培われた歴史認識、民族性、文化、伝統を踏まえなければそれは嘘になってしまいます。
安倍総理がどのように考えているのかはわかりません。
安倍総理 in 靖国神社 (2)
少なくとも我が国の歴史は戦後から作られたと考えてはいないはずです。
党大会で靖国神社へ参拝することを話した安倍総理、毎日でも参拝してほしいです。
そして、今上天皇と共に例大祭へ参拝なされることも期待します。
歴史を語るに戦後だけの歴史観は必要ありません。
長きにわたる歴史観が不可欠だと思います。
(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2015/03/27 06:00
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