ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝

金剛杵による魔女の調伏に思わず快哉を叫ぶ
今枝由郎先生の最新作『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝』(岩波文庫・2017)が年末に送られてきたので、このたびの上海行で一気に読破した。いやはや痛快の一言。なんだか嬉しくて仕方ない。愉快で幸福で脂下がる自分に呆れています。凡例の七番目に「本文中に、今日からすると不適切な表現があるが、原文の歴史性を考慮してそのままとした」と予め注記されているが、昭和映画DVDの冒頭にだって同じようなフレーズがでてくるので、前近代の芸術に接する場合、決して珍しい注意事項というわけではない。
この注記に呼応するように、口上-四「この物語を読む資格のある人」(p.24-)に比喩に富む注意書きがあり、「物事の是非がわからず、仏の深い御教えに信心のない人、自らを制することができない人たちはお読みにならないように」と戒めている。大学で講義・演習を担当している身から述べるならば、本書を読むべきでない学生はたしかにいます。だからゼミ等で紹介するのは難しいかもしれません。しかし、大人の社会人には強く推薦したいですね。ぜひ本書をお買い求めください。愉快なチベット文学を堪能し、おおいに笑ってほしい。

さて、数奇な行動で知られる中世チベットの高僧、ドゥクパ・クンレー(1455-1529)は、チベット本国以上にブータン(ドゥクパの国)で英雄視されています。2013年に訪問したプナカのチメラカン(↑)は、クンレーの建立した仏塔チョルテンが始まりだと伝承されていますが(本書p.124)、当時はこれほど愉快な人物の創建とは露知らず、短時間の訪問を学生の測量演習にあてただけでした。ただし、チョルテンの古材を若い僧が輪切りにしてくれたので、あるいは将来15~16世紀の年輪データが得られるかもしれません。
本書はクンレーに係わる伝承を集成した口承文学の日本語訳であり、日本人のチベット・ブータン理解に新しい一面をもたらしてくれるでしょう。クンレーはチベット・ブータン各地を放浪し、谷筋の悪霊・魔女を次々と退治していきます。その最終兵器は巨大な金剛杵(ポーの暗喩)であり、いかに邪悪な魔女と雖もその法力にはなす術もなく、クンレーの御脚に礼拝してしまいます。悪霊・魔女は仏法により調伏され、その地は浄化されて平穏な土地に生まれ変わるのです。内容はこの繰り返しですが、文学的な修辞が桁違いに豊かであり、読んでいて飽きることがありません。男ならだれしも、思わず快哉を叫びたくなるでしょう。


↑ラサの角地にたつ茶館「マキェアメ」(左)とそこから俯瞰したバルコルの町並み(右)


ダライラマ六世の茶館
ドゥクパ・クンレーの諸行はダライラマ六世の放蕩を彷彿とさせます。ダライ・ラマ六世ツァンヤン・ギャツォ(1683-1706)は若くして受戒するも、仏法の生活になじめず、成人後に還俗してしまいます。しばしばポタラ宮を抜け出して妓館に通い詰めていていたようです。女体に溺れていただけではなく、真剣に恋をして即興のラブソングを謡いました。その恋愛詩集がやはり今枝先生により和訳されています(『ダライ・ラマ六世 恋愛彷徨詩集』トランスビュー・2007)。わたしと会長は昨年8月下旬のラサ訪問時に、6世が通ったというバルコル(八角街)の茶館「マキェアメ」で甘茶を飲みました。バター茶ではなく、仄かな甘みのある薄いミルクティーです。パロのダカルポ-ゲムジャロ寺のミルクティーを思い起こしました。
マキェアメは上海ウルムチ南路の「六辺形珈琲店」と同じく不整形な角地に建ち、外壁は真っ黄色の石壁で覆われているので、よく目立ちます。内部は純木造で、江南の茶館と大差ない瀟洒な構えをしており、やわらかい空間がそこにあります。こういう茶館なり妓館を愛した人間らしさがラサ民衆の心を掴んだのです。女好きの放浪僧ドゥクパ・クンレーが信者から慕われたのと同じ構図をみてとれるでしょう。酒と女が大好きな男は必ずしも嫌われるわけではない。聖職者で許されるなら、況や教師をや・・・


↑甘茶 ↓茶館内部


↑↓スタッフのユニフォームはスタバ風
