はてなキーワード: 入学式とは
私が大学生になって初めてできた彼氏は、とにかく「理解のある彼くん」だった。名前は達也。出会いは入学式の日、私が人混みで落とした学生証を拾ってくれたことがきっかけだ。声をかけられたときに見上げた彼の顔は、少し人懐こそうな笑みを浮かべていた。春の日差しの中、なんだかドラマみたいな瞬間で、そのまま私たちはサークルも一緒、帰り道の駅も一緒で、自然と連絡先を交換するようになった。
その頃の私は、大学に合格した安堵感と新生活への期待で、浮き足立っていたと思う。地元を離れて初めての一人暮らし。両親の目も届かず、どこか少し自由を楽しみたい気持ちもあった。人間関係も一から作り直し。そんな中で、拾われた学生証が縁となってできた関係……要するに、私は軽い運命めいたものを感じて、あっという間に達也と付き合い始めたのだ。
付き合い初めのころ、達也は自分のことを「あんまり目立つタイプじゃない」と言っていたけれど、その通り、目立って派手に騒いだりはしない。友達と喧嘩したり、悪口を言いふらしたりといった話も聞かない。とにかく落ち着いていて、穏やかで、私のどんな話にもにこにこ耳を傾けてくれる。そのうえ、自分の意見をしっかり持っていて、私が間違った方向に走ろうとしたら、きちんとそれとなく正してくれる。否定するときも、「それは違うよ」「やめたほうがいいよ」なんて強い言い方をせず、「こう考えたらどうかな?」と別の道を示してくれたりするのだ。
そんな性格に惹かれて付き合い始めたはずなのに、一年も経たないうちに私の中では「どうしてこんなに物わかりがいいんだろう?」という感情が芽生え始めた。普通だったら多少揉めたりぶつかったりして関係が深まっていくものだと思うのに、達也との間にはいつも波風が立たない。もちろん、穏やかな生活はありがたい。だけど、私自身がもう少し衝突してみたかったのかもしれない。青春とは、もっと揺れ動く気持ちだとか、勢いで飛び出した言葉からお互いの気持ちを探るような、“熱量”のイメージがあった。私たちにはそういう“ドラマチックな盛り上がり”が足りない気がしていた。
友人たちは「そんな彼、最高じゃん。大事にしなよ」と口をそろえて言っていた。私も頭ではわかっている。「みんなが羨むぐらい完璧な彼なのだ」と。でも、心がついてこない。「最高すぎる彼」は時に息苦しくなるぐらい完璧だった。デートは私の都合や好みに合わせてプランを立ててくれるし、行きたい場所があったら何も文句を言わずについてきてくれる。私が仕事やサークルで忙しかったら、時間を調整してくれる。記念日もきっちり覚えてくれて、ささやかなサプライズを用意してくれる。ここまでしてくれたら文句をつけようがない。一方で、私がたまにかまってちゃんモードになって自爆しかけても、何も咎めたりはしない。私の言い分を一度受け止めたうえで、「つらかったんだね、わかるよ」と言ってくれる。
正直、最初は「そうだよね、私の気持ちを分かってくれるんだよね!」と心が満たされていたけれど、少しずつ物足りなさ、というか「理解されすぎている」という歯がゆさが募っていった。私が気持ちを伝えようとする前に、先回りして理解してしまう。「あ、もしかして今日は機嫌悪い? 無理しないでね」「なんだか元気ないね、何かあった?」。そんな優しい言葉をかけられるたびに、なんだか妙に恥ずかしくなって、私が自分で自分の感情を見つめる前に、達也の側がそれを代弁してしまう。まるで読みすぎるくらい、私の心を読んでしまうのだ。
実家を出てから初めてできた彼氏だったし、彼が優しいからこそ居心地がいいはずだった。でも、いつしかその「居心地の良さ」が「退屈」と感じられるようになってしまった。平穏すぎて、ストーリーがないのだ。私が望んでいないのに、いきなり波乱万丈な出来事なんてわざわざ起きはしない。とはいえ、現実に刺激を求めるのもおかしな話だが、私の中でくすぶるモヤモヤは消えなかった。
ちょうどその頃、サークルであるイベントの準備に追われていたとき、年上の先輩とやり取りをする機会が増えた。彼は私を振り回すようなタイプで、こっちの予定を無視して仕事を押し付けてきたり、「なんでそんなこともできないんだ?」とイライラをぶつけてきたりする。最初は嫌で仕方なかったが、逆に言えば、彼は感情をむき出しにしているぶん、私の腹立ちや焦り、苦しさもそのまま表に出していいと思わせてくれた。そこで初めて、私が「ちゃんと反論してもいいんだ」と感じられるようになったのだ。彼と何度もぶつかり合いながらも、実はその刺激を楽しんでいる自分に気づいてしまった。静かな湖畔に石を投げ込んで波紋が広がるように、感情が大きくうねっているのを感じた。
その感覚を一度でも知ってしまうと、もう達也との平穏な日常に戻るのが息苦しく感じられてしまった。彼は決して悪くない。むしろ、私が“もっと波風立てたい”なんて勝手な理由を抱えているだけ。でも、その気持ちは抑えきれなかった。ある日、ふと「私、達也と別れよう」という考えが頭をかすめた。もちろん、そんなの間違ってる、と思った。あんなに優しくて理解のある彼を手放すなんて、普通ならありえないし、友達が聞いたら大反対するに決まっている。けれど、その日は全く眠れなかった。頭の中でずっと「このまま付き合っていて、本当に私は幸せなの?」という疑問が渦を巻いていた。
結局、私がとった行動は「思い切って別れ話をする」という選択だった。季節は夏。夜風が生ぬるくて、不快感すら感じるような夜に、私は達也を近くの公園に呼び出した。別れるつもりで呼び出したのに、いざ目の前に立たれると、胸がぎゅっと締め付けられる思いがした。「なにかあった?」と心配そうに私を見る彼を見て、罪悪感で胸がいっぱいになりそうだった。けれど、私はもう“刺激”を求めてしまった自分に嘘はつけない。少しもめてもいいから、感情をさらけ出して、もう一度自分の気持ちを確かめたいとすら思っていた。
私は震える声で言った。「私、もう達也とは付き合えない。ごめんね」
達也は驚いたような顔で、それから俯いて小さく息をついた。「そうか……辛い思いをさせてたのかな?」と心配する言葉がまず返ってくる。私はなんて身勝手なんだろうと思った。別れ話を切り出した私が、逆に相手を心配されるのだ。泣いてすがるとか、怒るとか、そういう感情の爆発はない。いつものように冷静で、「君の言葉を受け止めるよ」と言わんばかりの態度だ。それを見た瞬間、私の心の中でむき出しになっていた感情に、何か冷水を浴びせかけられた気がした。
「そうじゃないの。達也が悪いわけじゃないんだよ」と、私は必死で伝えた。「ただ……刺激がなさすぎるの。こんなの自分勝手だってわかってる。でも、もっとぶつかったりして、本音をさらけ出し合いたかった。達也はいつも私を傷つけないように、慎重に言葉を選んでくれて、でもそれが……私には物足りなかったの」
自分で言っていても、我ながらどうかしている。こんな理由で別れを切り出すなんて。けれど、達也はそれすら「うん、わかったよ」と受け止めてしまう。私は「ここで少しは怒ってくれないの?」とさえ思った。結局、きちんと話し合った末に、私は彼を振る形で別れが成立した。言い分が自分勝手すぎて、最後は私が泣きそうになったが、達也は静かに「ありがとう。今まで楽しかった」とだけ言って、私をそっと抱きしめ、それから家まで送ってくれた。
ドアの前まで見送り、こちらが断っても「最後だから」と一緒に歩いてくれた彼に、私は後ろめたさと切なさが同時に込み上げた。別れた直後に背を向けるとき、彼の優しい笑顔を何度も思い出して、「本当にこれでいいんだろうか」という後悔が頭をよぎった。友達に後日報告すると案の定、「あんたバカじゃないの?」という反応が返ってきた。それでも、私は別れると決めた。これは私が抱えてしまった矛盾だ。彼の優しさに包まれているときはとても幸せなはずだった。でも、それを重荷に感じてしまったのも事実なのだ。
その後、私は一時的に先輩との関係にのめりこみかけたものの、やはりそれは長くは続かなかった。先輩はただ率直に言葉をぶつけるタイプで、常にバタバタとトラブルを呼び寄せていた。いろいろなドラマが日々起きる反面、心が疲弊してしまうことも多かった。私が欲しかったのは“穏やかすぎない関係”だけれど、かといって“安らぎ”まで手放す気はなかったんだと、今さら気づかされる。わがままだと思う。でも、そういうものだろう。人間の欲望は複雑で、“当たり前にある安心感”と“突き動かされるような刺激”の両方を兼ね備えた関係なんて、そう簡単に手に入るものではない。
それでも私は、あの夏の夜に達也に伝えた気持ちを「間違いだった」とは思わないようにしている。なぜなら、あのときは本当にそう思ったし、そうしなければ自分に嘘をつくことになっていたから。もし我慢して付き合い続けていたら、いずれもっと酷い形で爆発していたかもしれない。それに、達也は最後の最後まで私の気持ちを受け止めようとしてくれた。私に必要だったのは、「誰かに受け止めてもらう」ことではなく、「自分で自分の感情をはっきり言葉にする」ことだったのだと思う。
その後、卒業間近に達也とは偶然キャンパスで会った。久しぶりに見た彼は、少し髪が伸びて、相変わらず穏やかな笑顔で「元気?」と声をかけてくれた。どうやら新しい彼女ができたらしく、私には思わず「おめでとう」と口から出ていた。嫉妬心とか、そういうのはほとんどなかった。ただ、本当に安心したのだ。あれだけ理解のある彼なら、きっと誰とでも上手くやっていけるのだろうし、彼自身が幸せになってほしいと思ったからだ。
帰り道、私は少しだけ思い出を振り返りつつも、もう達也が隣にいない生活を特に寂しく思わなかった。それは私が成長したからかもしれないし、あるいはもう達也のことを「元彼」としてしか見られなくなったからかもしれない。そう考えると、あの日あの夜、汗ばんだ手のひらで彼の手を握りしめ「別れたい」と告げた決断は、私にとって間違いではなかったのだと、改めて思う。
私には私の人生がある。達也には達也の人生がある。私たちはそれぞれ別の道を歩んでいく。そして、今度誰かと出会い付き合うときには、同じ過ちを繰り返さないとは言い切れないけれど、自分が本当はどんな関係を望んでいるのかを、もう少し丁寧に見つめられると思う。刺激的でドキドキするだけの恋よりも、安心して本音をぶつけ合える相手。そんな相手と出会えたらいいなと願う。
こうして、私は「理解のある彼くん」を敢えて振るという選択をした。周りから見れば「何を贅沢なことを」と思われるかもしれない。でも、そのときの私は自分の心の声に正直になりたかった。衝突し合うことも、時には幸せの形のひとつだと感じていたから。あれから時間が経ち、今の私は達也みたいに優しいだけの人よりは、自分の気持ちを素直にさらけ出せる相手がいいかもしれないと思う。そんな私は、結局わがままで矛盾だらけなのだろう。けれど、恋愛において100点満点の答えなんて最初から用意されていないのだ。自分に正直であることが、私にとっては一番大切なことだった。
――これは、私が理解のある彼くんを敢えて振ってみた話。後悔がないかと問われれば、少しはあると言わざるを得ない。それでも、あの別れがあったからこそ、私は自分が何を求めているのかを知ることができたのだ。人生には数えきれない選択があって、どれが正解かなんて誰にもわからない。だからこそ、自分で選んだ道を信じて、進んでいくしかない。いつか振り返ったときに、「あのときそうしたかったんだもん。仕方ないよね」と笑い飛ばせるぐらいには、自分を大事にしてあげたいと思う。
途切れたので続き
2024/05/19(日) 23:38:10 ID:uXzZY6GEi
>>284 あー、深みにハマっていく感じ分かります。どんどんエスカレートしていくのが自分でも分かってるが止められない的な笑
タゲは独身前から目をつけ、好意を持っていて散々、唾液やら精子やら飲ませていて、結婚後は精子だけでは留まらず小便や便所の水、うん◯水まで飲ませ身体を壊し、更にス◯ーキング行為からの、嫌がらせで新婚生活をぶち壊し精神的に追い詰めて病んでしまいましたw
個人情報も生活圏も分かっているので、集団レ◯プでも依頼して知らない男たちに襲わせて中出しされまくって妊娠したりしたら面白いのにとか思ってます。俺はその動画を見て楽しむ。
好意が別のモノに変わる瞬間ですねw
ね、引くレベルでしょ笑
292名無しさん
2024/05/20(月) 19:03:04 ID:oAudODCki
学校帰りだろうとバイトに来る時には必ず午後の紅茶を半分程飲んで持ってくるJKの夢ちゃん。
ロッカーは鍵もかかってないので毎回その紅茶にペットボトルのキャップ一杯分の尿を入れて飲ませてました。
平均して週3回のJK1からJD1までの4年間やり続けました。
一回一回の量は少ないけど改めてざっくり計算すると、キャップ一杯=5ml
5ml×週3回=15ml(1週間)
15ml×4週間=60ml(1ヶ月)
720ml×4年間=2160ml
塵も積もればなんとやらおおよそ2リットル以上飲ませてる計算に。
JKとゆう成長期も相まって俺の尿をしっかり吸収して今の夢ちゃんの身体を作ってると思うと興奮がヤバいです
294名無しさん
2024/05/20(月) 21:08:08 ID:uymkyPT6i
大学時代、サークルが同じで密かに想いを寄せてた同級生の優佳子とは仲の良い友達関係が続いてた。ただ、彼女からは自分をあまり男としてみてもらえておらず、あくまで友達関係だった。
告白する勇気も手も出す勇気もない俺は、優佳子の飲みかけのペットボトルに唾液を入れたり、爪の垢をいれたりして、小さな征服感に満足し、そしてそんな自分の性欲が歪んでいくのを止められなかった。
やがて小便を入れてしまったときは、来るとこまできた思いだった。自分の小便ジュースを優佳子が目の前で飲んだときは興奮よりも申し訳ない気持ちしかなかったけど、でもそれもすぐに慣れて興奮に変わった。
お昼もよく一緒する中だったのもあり、あるときから常習的に、彼女が食べる学食の中に乾燥させた0.5センチ角くらいの自分のウンコを入れて食べさせるようになった。まさにカレー味のうんこだ。
可愛らしい若い女の子が、本人も知らずのうちに、かなりの量の人糞を食べさせられ、それを栄養にしていたのだ。
あの頃の彼女は、自分が出すウンコの中に俺のウンコも混ざっていたことを知らない。
この思い出は、数年経った今でもいまだに自分の股間を熱くします。
299名無しさん
2024/05/21(火) 07:27:01 ID:qeDZwAaUi
にしても
尾行してる時とかの、家に辿り着くまでの動画も撮ったりして、自宅が分かった瞬間の興奮はたまらない!
仕事場でも散々、飲み物に唾液やら精子やら入れられて自宅まで特定され、もう年中無休のオモチャですよ笑
2024/05/24(金) 02:26:11 ID:4ASpJhI60
年齢は30代後半かな、色白で太ってないけどムチムチした尻がたまらなくそそる女だった。大学生の俺からしたら何だか年上の女性いいなと初めて思った人。会話をすることは一切なかったけど、エロいなーといつも。
休憩室の冷蔵庫が1つ全員共有、ペットボトル飲料は銘柄被るので蓋上部にマジックで記名。
水分補給で自分の飲み物を手に取り飲み、タゲのペットボトル見た時に理性が飛んだ。。
開封済みだったので、綺麗な人と間接キスしたと思うとたまらなく、初めて飲み物を飲んで脳天に突き刺さった思い出があります。
322名無しさん
2024/05/28(火) 09:15:32 ID:45YByvgci
本人の知らないところで、、
俺の汚ったねえ精液や唾液、小便などを飲ませる。
更にはお腹を壊しちゃいそうなものまでバレないように混入して飲ませる。
困った本人は俺に相談。
あーー
たまんなく興奮して楽しいww
こういうの好きな方多いのでは、、w
2024/05/28(火) 10:36:00 ID:zYQDAGTMi
スポイトに精子や尿を入れて女にぶっかけるのが中毒性ありすぎて定期的にやってしまう。
気になる女がいたら歩いている時でも通り過ぎる時にサッとぶっかけられるから怪しまれにくいのも良いです。
自分の場合は手の中に収まるぐらいの大きさのスポイトを使っていて、精子と尿のブレンドを3本程用意。(精子だけだとスポイトに入りにくいのと量を増やすため)
基本は商品棚を見ている女の後ろを通り過ぎる
際にぶっかけたり、後ろにいても怪しまれない状況エスカレーターの下り等でかけています。
毎回スポイトが無くなるまで複数人にかけ続けて無くなった後も気になる女がいたらトイレに行き尿のみを急いで入れてぶっかけたり。
気になる女がいなくてスポイトが余った時は大体ドンキの女性の下着コーナーを通りすぎる際に無差別に下着にぶっかけて帰ります。
一度だけ好みの女過ぎて調子に乗って1人の女の背中とスカートに追加含めた6本分のスポイトをぶっかけた事がありますが、別の所にいた友達が合流した際になんか濡れてない?って気付かれて焦った事があります。
ですがかけすぎなければ基本バレません。
332名無しさん
2024/05/30(木) 00:14:16 ID:DKmTcrY2i
>>322 そのぶっ壊した女はとってもまじめな仕事の部下w
独身の頃からずっと精液など混入してオモチャにしてて、結婚しても俺の精液飲ませられてた無様な新婚。
色々やりすぎて壊しちゃった笑
494名無しさん
2024/07/12(金) 19:32:06 ID:uPQwu/Qs0
一番卑劣な行為は同僚が痴漢されているのに痴漢男のアシストをしたこと。
痴漢男が巨尻を堪能できるように同僚の逃げ道を塞いだ。
巨尻なのにパンティラインくっきりの服で電車乗ったら痴漢される。
548名無しさん
2024/08/03(土) 11:32:21 ID:Z0rQILIc0
末妹には度々こっそり混ぜ物入りの飲み物を飲ませて悪戯をした。
時期をずらして捨てアカのtwitterに3人の動画を上げたところ、
末妹だけぶっちぎりで人気が出てしまい、某所のランキングに乗ってしまったが数日後には通報されたのか消えた
553名無しさん
2024/08/03(土) 19:18:49 ID:yNq08unI0
家庭内...いいですよね!かくいう自分も同じく妹を撮っている身でして...帰省する度の楽しみになってますw
599名無しさん
2024/08/17(土) 17:41:24 ID:W3qHwzdA0
業務中の同僚の事務服のスカートの中にカメラ突っ込んで逆さ撮りしたものを、本人の名前と顔写真を添えてネットで晒し者にしています。
それらの画像を観た知らない人の卑猥なコメントを読んで、同僚が第三者にレイプされてるみたいで余計に興奮する(笑)
708名無しさん
2024/10/03(木) 21:16:51 ID:ocGBnPIs0
20歳の大学生をデリヘルで指名してラブホに入る時『菊〇です。チェックインします』って源氏名じゃない名前(恐らく本名)で店に連絡入れていた。その後、それとなく学部やサークルなどを聞いたら普通に特定出来てしまった。(もう一度指名して確かめたかったが1ヶ月で退店)
その後大学に忍び込み、上の画像を印刷して、店舗名/源氏名/本名/サークルを裏に記入して、所属するサークル棟最寄りの男子トイレに貼ってきてしまった…
767名無しさん
2024/12/31(火) 17:31:11 ID:K3OPf4Sw0
ほとんどのママさんがフォーマルなスカートだから差し込みやすいし
お子さんの晴れの舞台だからパンティも比較的キレイめなチョイスだし
778名無しさん
2025/01/01(水) 06:02:48 ID:OGaVM5NM0
昔、コンビニでバイトしてた時、店長の娘がいて彼氏いるのに他の男と絡んだりボディタッチしまくる様な女で俺に対しても、そんな感じだった。
ある時、機嫌悪かったのか軽い冗談を言ったらブチギレられてムカついたから仕事終わりに更衣室で、そいつのユニフォームのニオイ嗅ぎまくって家帰ってで「ふざけやがってクソ女が」とか文句言いながらニオイを思い出してシコってやった。
イッた瞬間、何とも言えない気持ち良さで速攻でSNS漁って画像集めまくってオナペットにしてやった。
それからボディタッチされる度に息子が反応する様になっちゃってwww交代勤務の時は私服のニオイを嗅いでは我慢汁を出し帰った後はユニフォームのニオイ嗅いだり名札を舐めまくって我慢汁を出し家に帰って画像見ながらシコる毎日。
辞める前に思い残すコトが無いように夜勤の休憩中トイレに名札持っていって、ぶっかけてやったwww
一回、一線を越えると止まらなくなって出勤する度に名札にぶっかけwww
最後の勤務の日。冬場だったのでジャケットの下にユニフォームを隠してトイレに行き、これが最後のオナニーになるからユニフォームのニオイ嗅ぎながら袖にチンコ入れてシコシコwww胸ポケットにチンコ入れてシコシコwww最後は名札にぶっかけフィニッシュwww
後日、客を装ってユニフォーム姿を盗撮www俺のザーメンまみれの名札付けて仕事してたwww帰って動画見ながらオナニーwww
780名無しさん
2025/01/01(水) 07:29:39 ID:R8xpS4bUi
この前はムカつく上司が履いているサンダルをベロベロ舐め回してやった
何だか少ししょっぱい感じだったな
2023/12/05(火) 19:23:42 ID:hk3O4X920
職場のエロい身体した若妻のコップでオナニーしてたっぷりコップの中に出している。
精液まみれのコップで飲んでいるところを見るのがたまらない。
2023/12/07(木) 22:02:35 ID:w92QlBgUi
2023/12/08(金) 00:55:14 ID:2fafju6Ui
4の投稿者です!下剤混入良いですね!
ちなみに私は下剤では無いですが、文面にあるように、、
精子などでは飽き足らず飲んだ証に身体に異変を起こさせてそれを見て興奮したい、、の内容ですが、、
う○こをした便所の水、う○こ水を飲みものに入れてやりました!笑
その翌日、タゲは発熱、腹痛、嘔吐、下痢となり会社を休みました笑
その直接連絡を受けた時、何も知らずに俺のう○こ水を飲まされタゲ、自分の手でタゲをぶっ壊した興奮と快感で俺は勃起してました🤣
2023/12/08(金) 20:49:22 ID:Qor.oMCsi
さすがにそこまでしたこたないw
言うて私も女が苦痛に歪んでる姿を心配してるふりしながら見てたの楽しかったです
おならを必死に我慢しようと尻をすぼませたり机に突っ伏して腰をもじもじしてたりね
可愛い中で一番好みだった女
ロッカー漁って制服コキしたりメスの匂いが充満した更衣室で全裸になってブリッジオナニーしてぶちまけたあの夜は最高だった
一応変装用に🕶️とウィッグと女物の服まで準備してたけど、やけに警戒心強くて自宅までストーキングするのは未遂に終わりました
もったいないことしたなー
2023/12/08(金) 22:09:46 ID:2fafju6Ui
4の投稿の通り、俺は1人の部下に異常執着してるので、徹底してこの女1人のみにやってる笑
自分のう⚪︎こ水飲んで、苦しんでる姿も、その鬼畜の所業の張本人に体調不良の連絡や説明をするのも、すべて興奮のネタですね!笑
性欲とストレス発散のおもちゃにされた、部下ちゃん、ごめんね🤣
でも、う⚪︎水で体壊した連絡受けた時は、大興奮!勃起ものでしたね!笑
2023/12/12(火) 16:13:00 ID:ukKYHkG2i
>>4 >>8 >>11 の投稿したものです。
一方的に好意を持って執着してる25歳部下にしたひそかに卑劣な行為。
②飲物に唾液、小便、精子、う⚪︎こ水混入済
*レ⚪︎プや痴⚪︎など、妄想的にはやりたいが本人にバレない、知らない、ひそかに、が前提になります笑
2023/12/12(火) 19:30:58 ID:FVukOrT.0
究極のひそかな卑猥行為って対象の女が結婚してその旦那が自分と同じ血液型だったらどうにかして対象の女のま〇こに出したての精子入れて自分との子を産ませて育てさせる事だと思う。
結構難易度高いけど薬とかで使われてるカプセルに精子入れてそのカプセルをタンポンの中に入れておけばワンチャン、、、なんて妄想。
32名無しさん
2024/04/27(土) 02:29:07 ID:oI0ZCKysi
駅とかで見かけた、可愛い子に目をつけ、ストーキングし自宅や一人暮らしのアパート特定するの楽しい(^^)
34名無しさん
2024/04/27(土) 08:59:45 ID:EI/SXeYwi
まじめでおとなしそうな私立女子校のかわいい子を狙って色々やってた
。声かけ、痴◯、尾◯、自宅特◯、ぶっ◯けなど、自分が性の対象のターゲットされてると気がついた時のあの表情とかたまらなく興奮するね。
本当、まじめそうな子が多い学校を調べて獲物探して楽しんでたなぁ〜笑
湘◯白百合、鎌◯女子大付属、鎌◯女学院、聖◯女学院、北◯倉女子、清◯女子、カ◯タス女子、田園◯布女子、東◯女子学院などなど
37名無しさん
2024/04/28(日) 01:10:29 ID:giNL/H7U0
勤めてた女の子の財布から、学生証をつい盗み見してしまったことがあった。
某教育大学の学生で、化粧っ気も薄い清楚な感じで、絶対風俗に居るなんて思えないような子。
よくオナぺ掲示板とかだと同じ大学に通ってる学生同士でマッチングして学部女子について語り合うみたいなスレがあったんだけど『〇〇教育大学、〇〇実里知ってる人連絡ください』みたいな感じで書き込み。
凸された帰り道、最初は我慢してようだが後部座席で途中からガチ泣きされた。
凸男からは滅茶苦茶感謝された。話を広めない、今後凸しないという約束で本番中出しまでしたらしい。
48名無しさん
2024/04/28(日) 19:27:06 ID:zZP4oKlE0
よく生徒のお尻を触っていますw
49名無しさん
2024/04/28(日) 19:35:30 ID:aAWbKsxs0
最高
50名無しさん
2024/04/28(日) 19:37:58 ID:zZP4oKlE0
三点倒立してる時のプリっと突き出たケツを隠し撮りしたり、、、
帰って家でシコシコしてまするw
59名無しさん
2024/04/28(日) 21:28:23 ID:giNL/H7U0
デリヘル身バレ凸されたのが春休みで、新学期明けたら呼び出しレイプする気満々でしたからね^^;
それを思うと休学は正解だったかと。
撮影はすごい勢いで拒否されてどうしても不可能だったと言ってました!
それだけは非常に残念…。時間いっぱいまでで2回中出しをして、2回目は四つん這いバックで尻を叩きながら犯したと言っていました。
復学・卒業は、その男子から返信が来なくなり確認出来ていません。
ちなみにその子が勤務していたのは合計でも3~4ヶ月足らずです。
元々塾講師と家庭教師を掛け持ちでやっていたそうなんですが、コロナの緊急事態宣言で同時に仕事が無くなって初めて風俗を考えたと言っていました。
教師の卵が、理不尽な理由でチンポをしゃぶって稼ぐことを覚えたという状況だけでもヤバいですよね。
しかも、それが身近な男子複数に知られたと考えたら頭おかしくなりそうなくらい興奮します…。
63名無しさん
2024/04/29(月) 13:50:26 ID:2N7DFdKM0
デリ嬢の免許証、学生証を盗み見するのは何度かやりました(笑)
今思えばなんとかしてハメ撮り撮って欲しかったんですが、凸男子が実家住みだったのでホテルしか使えなかったんですよね~。
FC2動画とかで販売して、本格的に人生終わらせてほしかったです^^;
知人凸の報告&やり取りまでしたのは、その一回だけです。
コロナ下で密回避とか言ってたのに、面接を受けに来る子はぐっと増えましたね!
住所氏名を見れた子は家まで行ったり、休日に探偵まがいなこともしました・・・
短期だと現役大学生が多くて、介護士、美容師、看護師、携帯ショップ店員あたりが風俗業界に流れてきているようです。
66名無しさん
2024/04/29(月) 18:15:44 ID:2N7DFdKM0
SNS、というかその子が所属していたサークルのHPから拝借した画像と、店のHPの写真を並べて、
『〇〇教育大学・〇〇実里 / エロエロ星人〇〇(1日4人のチンポくわえてます♡)』
180名無しさん
2024/05/05(日) 15:27:52 ID:DyMNQg/I0
過去に同僚のエロ画像を晒して女優デビューさせたらネット上で拡散されていた。
2024/05/09(木) 19:02:54 ID:s5LQrcB6i
会社の更衣室やシャワー室の映像を詰め込んだお宝USBを冴えないおっさん職員のロッカーに「自宅で1人で見ること」と書いたメモと一緒に放り込もうか迷ってる
2024/05/09(木) 22:21:14 ID:RccfJJI20
娘の麦茶の水筒に1ドピュ分のザーメン混ぜてよく撹拌し、後で飲む所を見て興奮する変態親父です。
ベタつく唇を少し気にしていましたが、喉が乾いていたのか全部ゴクゴク飲みました。
(妄想話です)
2024/05/09(木) 22:34:43 ID:26fTSvJo0
今はどうだかわからないけど夏休みのナガシ◯スパーランドはいつも満員で痴漢し放題だった
特に流れるプールはそこそこの早さで流れるから例え痴漢と気がついても誰が触ったかまったくわからなかったと思う
当時高校生だったがロリコンだったから標的小2〜小5ぐらいで最初は軽くケツ撫でる程度だったけど全然感づかれないから段々と大胆になってきて最終的にはマンマン撫でたりケツの穴に指つっこむ勢いで触ってた
マンマンとかそれまで触った事なかったから柔らかさに感動してた
今でも思い出して勃起する
219名無しさん
2024/05/10(金) 00:46:59 ID:TZnAf6vI0
その後家が近かったからかなりのペースで痴漢しに通ってたけど成功体験積みすぎて頭完全におかしくなってた
夏が終わると今度は混雑してるゲームセンターで痴漢し始めたけどこっちも撫でる程度ではバレなくて調子乗ってケツ揉みまくってたら「お母さん!」って叫ばれたから死にものぐるいで全力で逃走する羽目になった
痴漢で逮捕されたら当然退学かつ地元にいられないのに完全に性欲に支配されてた
そういうわけで痴漢からは撤退したけど今度は痴漢よりはリスク低い下着泥棒始めた
2024/05/14(火) 23:47:41 ID:xB315u1Ii
一方的に好意を寄せていた、仕事場の若い部下の飲み物によく、精子、唾液、小便などバレないように入れ飲ませていた。
その子が独身時代から結婚して新婚となってもやり続け飲ませている。
おそらく旦那のより、俺の精子の方が飲んでるはずだ。しかも小便なんて、旦那のでも飲んだことはないはず。
そんな部下より22歳くらい?の妹がバイトを探してるので雇ってくれないか?と相談を受け人手不足だったので採用した。
正直、妹の方が可愛いかったので、隙を見て、ほんとに数回だが妹の飲み物にも精子や唾液を入れた。
姉に続き妹にも精子を飲ませることが出来て最高に興奮。
特に2人の休憩が同じ時間で2人が俺の目の前で俺の精子や唾液、小便入りの飲み物を談笑しながら飲んでる姿を見た時は、気が狂いそうになるほど興奮した。まさに姉妹を犯した気分。
まさか姉妹で俺の性処理道具にされてたなんて夢にも思ってないだろうw
欲望を言えば、2人のマ◯コどっちが気持ちいいか犯りくらべをしてみたいところである。
もちろん、2人の子宮にたっぷり俺の精子を中出ししてやりたいですねw
2024/05/16(木) 21:44:59 ID:CZtEuA3wi
その後もその部下に異常なほど執着してしまい、色々飲ませまくり、ス◯ーキングして自宅特定したり、めちゃくちゃやって、心も体もぶっ壊しちゃいましたw
2024/05/16(木) 23:00:42 ID:gSNRyCaYi
最高に楽しい!w
254名無しさん
2024/05/17(金) 23:14:03 ID:jLgyfke.0
私も10歳年下の29歳の同僚の歯ブラシに、精液ぶっかけ、私のちんこシゴキ、私のケツ穴をしごくといったイタズラをしています。
この同僚は他にも逆さ撮りをしてネットに晒したりしてるのですが、私の仕事が忙しく、休日出勤したり休憩を取らないでいると「ちゃんと休んで下さい!!」と、私のことを気遣ってくれます。
同僚ちゃんは、気遣っている相手が、実は無類の変態で、まさかスカートの中を盗撮されてネットに晒されたりとか、精液や汚いケツ穴をしごいた歯ブラシを使わされているとは思っていないところが、背徳感を高め、シコリティポイントをバク上げしてくれてます。
乱文失礼しました!
255名無しさん
2024/05/18(土) 04:54:06 ID:Y2SHXZfgi
>>253 ひとつひとつ話すと長くなりますので簡単に書くとこんな感じですw
②飲物に唾液、小便、精子、う⚪︎こ水混入済
③②の異物を飲ませタゲの身体的変化(げり、嘔吐、発熱など)確認済
⑥特定した自宅へのイタズラ
こんな感じです。
271名無しさん
2024/05/19(日) 02:25:26 ID:IZeJyMHQ0
追跡すると単身者向けのアパートに帰宅し、乗っていた自転車を確認すると大学名が書かれたステッカーが貼られていたので近くの大学に通うJDだと判明。
さらに郵便物で名前を確認し、手始めに自転車にぶっかけました。
またある日は、外の廊下に面していた窓が開いていたので中を確認するとキッチンのようでした。
しばらく楽しんだのですが、学生ですから大学を卒業する時が来てしまい、今は引っ越しをされてしまいました。
ちなみに、ポストに入っていた内定ハガキのようなもので就職先は特定済み。
という妄想です。
2024/05/19(日) 22:11:31 ID:uXzZY6GEi
>>255です。自宅特定後の所業ありがとうございます!なかなか良いですね!
新婚で一軒家の新居に住みやがったので、汚してやりました。ボトルに溜めといた精子や小便をを玄関のドアやドアノブにぶっかけたり、ゴミの日に出されてたゴミを拝借し、タゲの使用済みのナプキンをゲットし、それをチンコに巻いてシコって出してやつをポストに入れたり。玄関ドアに貼っておいたり、玄関前にばら撒いたり。
⑦精神的追い詰め
新婚生活をぶっ壊してやりたかったので、玄関前に女物のピアスをワザと落としておいたり(タゲはピアスしないので)また今度よろしく!と書いた紙と一緒にコンドームをポストに入れたり、忘れ物と書いて、女物の下着をドアノブにかけておいたり。旦那にタゲの浮気を疑わせ、タゲに旦那の浮気を疑わせる。
俺は会社で心配するふりして相談にのり状況聞き出し、親身になりつつも、更に不安を煽るような事を言い、精神的に追い詰める。
細かく話すとまだまだありますが、ざっくりこんな感じですw
2024/05/19(日) 22:35:15 ID:uXzZY6GEi
>>282 バレるかどうかの不安はありましたよ。
素人レベルの考えですがもちろん指紋とかは残らないように細心の注意を払いましたし、相談された時に警察とかに言うと大ごとにされて、聞かれたくないことまで聞かれるから警察には言わない方が良いんじゃない?とか言ってどんどん環境を閉鎖的な方向に仕向け精神的にどんどん追い詰めてやりましたけどねw
ちなみに俺も調べられたら一発アウトなので笑
2024/05/19(日) 23:38:10 ID:uXzZY6GEi
>>284 あー、深みにハマっていく感じ分かります。どんどん Permalink | 記事への反応(1) | 20:48
もうけして完結しないだろう少女漫画「NERVOUS VENUS」
中3の主人公は男友達のことが好きで、告白はしていないが両思いなのが明らかだった
同じ高校に進学予定で、高校生になったらなにか進展するかもなという感じ
しかし男友達は高校入学式を前に、交通事故で車ごと橋から海へ落下
男友達の遺体は上がらなかったが、生存は絶望的として葬式が行われた
漫画的に考えれば実は生きてる展開がありそうなところだが、それから数カ月後に男友達の遺体の一部(ちぎれた腕)が見つかった
せめて腕だけでも見送りたいとまた旧友らは集まることになったが、数ヶ月水にさらされた腐った腕を見に行くなんて、
それを男友達の最後の姿にするのが忍びなくて主人公は参加しなかった
高校生になった主人公は男友達のことを思ってナーバスでいたが、新しい出会いがあったりする
男友達と似た雰囲気のイケメンと親しくなるが、似すぎているから避ける
同じ中学出身の者たちは「似てる」とイケメンについてささやきあい、でも誰も事情を話してくれずイケメンは居心地悪く思う
なんか寝てる主人公にイケメンがキスをしてしまい、そのことを後で明かされた主人公が猛烈に歯を磨き、
炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。
*
(前編)
私は小中高と地方の公立を出て、浪人して都内の医学部を卒業している。
「東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータが話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。
まず医学部では「親が医者」なのは当たり前で、教授や講師と話す時も、世間話は最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。
ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化まである。「マグル」は家系に医者がいない学生が、自虐的に苦笑いしながら使う単語だ。
しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。
出身高校もほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。
蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったか、SAPIXや鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。
私のように地方公立校から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。
*
大学生はお金がかかる。私も美容や服飾、外食や旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死に時間をお金に変えた。
学費や家賃、生活費などは親持ちだったが、その他は自分のバイト代で賄うように言われていた。
けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ「禁止」される方が普通だ。特に、家庭教師はOKでも、高卒やフリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。
そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達の給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。
この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。
こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。
限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。
当然、金額を理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。
*
ここまでの話だけ聞くと、「地方出身の庶民が階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。
実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間のほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである。普通に暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。
尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日が面白かった。
地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。
生まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺に位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。
要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである。
*
(中編)
私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内の大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。
先祖代々続く大病院の家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親は医者ではないので「半純血」だ。
金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味で生活に困ったことはないと思う。
「全身脱毛の費用を自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費も家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。
そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。
よって親の学歴も自分が大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。
*
わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事の練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノやヴァイオリン、新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。
しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。
校内のヒエラルキーのトップにいたのは、我が家のクローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力や窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカと卑猥な言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味も理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。
一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。
外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい、面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。
生まれてからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。
ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。
何か作業をする時、見るからに効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやすく説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。
*
何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。
クラスでナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノやポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンやバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。
その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。
「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう」
たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言が拡散された。
子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。
自分の性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。
たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています!可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか。
別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。
*
万事がそういった雰囲気だった。
あまり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校のテストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。
何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。
お金や学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。
そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。
そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗で差別的な感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。
よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。
やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。
体力面の自信のなさから、ほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。
*
(後編)
立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員の民度も低かった。
病院があるのは中途半端な田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルとゴシップしかない。
都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。
数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝、他人の悪口や噂話、そして「女性職員の容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。
百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。
「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情をストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。
彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。
*
立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的に地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。
気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭に涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。
救急車がタダだから、生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシーや無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。
特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババア・ジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。
*
バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。
一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。
特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。
これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみません、ちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばないからだ。
根本的な問題は、学歴や収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。
病院の同僚医師たちも、私立医学部を卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりのカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。
地方にいた頃の私のように——。
*
医者や政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民の感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。
実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。
それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。
同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか、公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。
公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別や偏見、選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。
免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層の人間の存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか。
だからこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供は絶対に私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。
「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生ものの財産だ。
社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間。差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。
もしかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。
もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。
わたなべ問題というものがあるらしいが、わたべ問題についても知ってほしい。
わたべさんは知らない人からはまず間違いなくわたなべさんと呼ばれることになる。自分はわたべとして生まれて久しいが、それこそ小学校の入学式、病院の受付から会社まで、必ず最初はわたなべと間違えられた。授業を数年受けた現代文の先生にも間違えられたこともある。ふりがなが振ってあっても関係なしだ。
さらにこの問題はグローバルだ。一度、アメリカで会った中国人にわたなべさんと呼ばれたことがある。ドイツに行ったときのホテルでもわたなべさんと呼ばれた。世界的に見れば渡邊雄太、渡辺謙など、わたなべという苗字は圧倒的に有名だ。Watabeと書いてあったとしても、それこそ単なるスペルミスだと思われているのだろう。
このようにわたべ問題の闇は深い。渡部建、渡部篤郎につぐスーパースターが現れて、わたなべ姓を圧倒してくれないものかと日々願っている。
こう長文になってしまったこと、それでも吐き出しきれないことからすると、SEXに幻想など捨てろと言う俺も、いまだになにか引きずってるのかもしれない。
確かに、脱童貞は成人式みたいなものかもしれない。今思い出すと、成人式の当日のことはほとんど全く覚えてない。町長の挨拶も、町長が誰だったかも。
成人式の準備のことばかり憶えてる。
成人式で昔の友人たちと再会するために、ダイエットした。大学入学のときのスーツが既にブカブカになっていて、二着目のスーツを買った。一度しか着なかった大学入学の時のスーツが可哀想に思った。でもそれだけ。スーツのデザインも、どんなシャツやネクタイを着たかも憶えていない。
たぶん、脱童貞もそれみたいなものなんだと思う。意味があると思えば、その時の自分には意味がある。
でも、本当の価値は、その後どれだけ憶えていられるかで決まる。あんなに思い悩んだのに、もう忘却の彼方だ。
入学式も卒業式も文化祭も成人式も結婚式も経験しなくたってなんのことはない。なのに、出られなかったことをいつまでも思い悩む。
ある女性は、貧乏な家庭環境を恨んでいて、みんなが成人式の準備で忙しい早朝、仕事に出てたことが惨めだったと吐露した。旦那さんが結婚式をしてくれなかったことも恨んでいた。生活費の大半が前妻の子の養育費に取られるのも不満をこぼしていた。他にも、父親のこと、母親のこと、兄のこと、妹のこと、色んな話を吐露した。
俺たちの心は、人生の色んなタイミングで穴をあけられる。穴を埋めようとする想いは生きる原動力でもある。趣味に没頭したり、恋愛したり、全ては心の穴を埋めるためだったりする。でも、なにをしても穴は埋まらないんだ。穴の形がわからないまま、適当なモノを差し込んでと、穴が埋まるどころか穴は広がるばかりだ。
なにを間違えたのか、彼女は素人童貞だった俺で心の穴を埋めようとした。ちんこを突っ込んで埋まるのはまんこだけだ。俺は、金目当てなんかじゃなくありのままの俺を愛してもらえた思って舞い上がった。あるとき、二人が冷静に戻り、関係は解消された。結果的に、バレずに本当によかったと思う。
童貞を悩んだ時、一度でも愛されれば、生まれ変われると思ってた。そんなことはなかった。前エントリーでも書いたとおり、愛なんて幻想だからだ。
童貞コンプレックスは素人童貞になっても解消されないし、素人童貞を捨てても解消されない。学歴コンプレックスも、貧乏コンプレックスも田舎コンプレックスも運動音痴コンプレックスも体型コンプレックスもだ。人生のうまくいかないことを、そのせいにして苦しんでるだけでしかない。
ヒトの欲に限りがなく、嫉妬にも限りがないので、どこまでいっても終わりはない。あの頃馬鹿にした連中を見返して終われるほど、人は賢くない。タワマンに住んでも低層階であることに苦しむ。ついには発狂して虎になって、溶けてバターになるまで木の周りを回り続ける。
こと、童貞に関しては、早い時期にソープに行けばなんとかなる。
ソープにいけ。
ヒトは優しくされると、他人にも優しくなれる。優しくされてくればいい。
独身の顧客のマネージャーさんとの定例会議で、うちんとこの上司がなんとなく家庭の話題出したんだよね
上司と別の顧客担当の方ともに、子供の式関係で出社できないから日をずらした、とそんな話題だった
スケジュールの報告・確認というよりは、世間話としての話題だったんだとは思う
けどその場にいたのは皆、独身の中高年だった
その上司の契約終了の話が先日出て、ふとこの時のことを思い出してしまった
いや、前々からここの現場の案件は人を減らして終了に向かっていたのだし、これまでも何度となく上司側のチームの終了話もあったから、この事が原因では決して無いだろうけど
だいたい仕事に私的な感情論持ち込んでたらキリがないし回せないだろう
それでも、ほんの少し引き止めるよう小さな力を出すか、流れに任せて手放すか、くらいの状況があった時に
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/05250900/
"削減をいったん凍結”ではなく、窓口を“復活”させるべき
については本当にそう思う。
昔よりは便利になっていってること、その為の努力してる事は分かってるけど、現状で使い勝手悪いサービスの対応コストを利用者側に押し付けるな、JR東は公共性高いんだしって感じ。
家族に学割で取りたい子が含まれる様になるとネットで完結しなくなるんだよ。
中学生〜高校生の6学年、もしくは大学まで含めると10学年幅があるし、兄弟いたらもっと幅がある期間対象家族が居るんだよ。
あと、ブクマの方に年寄りより若いカップの方が多いってのもあったけど、大学・専門学校生とかが学割使って旅行するなら窓口使わなきゃいけなくなるんだよ。
帰省先が、学割使える位は距離があって飛行機じゃないような場所とかじゃ無ければ知らないかもだけど、世の中には結構いるから混んでるの。
GWと秋のシルバーウィーク、夏季休暇と正月休みの帰省や旅行で、別に自分の家族が年4回全部出掛ける訳ではないが、世の中の需要は年4回ピークがある訳で、子どもの学校もあるからそこで出掛けるとなったら年2〜3回は面倒すぎる状況が10年近く続いてる。
1ヶ月と1週間前から特急券はネット予約出来るから、ネット予約した後に激混みな窓口で学割乗車券に行くの年々辛くなる。
https://www.jreast.co.jp/net-de-teiki/receive/tsugaku.html
>学校が発行した「通学証明書」をご提出(「通学定期券購入兼用証明書」をご呈示)いただき、窓口で「ネットde定期申込み」とお伝えください。
夏季休暇(7月下旬〜8月末)分の受取が、7月中旬〜8月中旬頃まで
で、実際には移動日直前で変更したい突発的な理由(子どもの体調不良とか)ができたら、ネット購入じゃないから窓口行かないと変更とか払い戻し出来ないんだよこれ。
で、実際に窓口に並んでると発券後の変更対応の人は結構いるんだよな。
閑散期が、1月下旬から3月上旬位と、5月中旬〜6月、10月〜11月中旬までじゃない。
まあ、これでも春休みには中高生を連れた帰省や旅行がない想定だけど。
話せる指定席券売機がある?
あれな、初手からオペレーターがzoomのMTGみたいに常駐しておきなよ。
呼び出してから繋げるんじゃなくて。
繰り返しになるけど、独占企業の公共性のある事業で利益上げるために利用者側に不便と時間的なコスト押し付けるなって思う。
そんな完成度になってないでしょ。
イギリスが公共事業の水道局を民営化したら、今、民営化した会社か利益あげて役員に巨額な報酬払う為にサービス劣化が酷いってのと同じ構造だよ。
将来的にAIとか使って窓口に人を雇わなくてもよくなるのは別にいいんだけど、サービスのクオリティは担保して切り替えてよ。
現状サービス維持出来ないクオリティーのものにしかなってないのに窓口減らすのは判断ミスでしょ。
「話せる指定席券売機」の導入で有人窓口減らせるはずって目論見は経営判断としては分かるけど、サービスクオリティが足りてませんでしたってミス。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193040
この大学を卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。東プレという会社だ。今は、産業用のキーボードとか作る仕事をしている。
オフィスや工場は、東京~神奈川にある。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民やはてな民とニアミスしてるかもしれない。
今では佛教大学に感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。
仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。
この道は、正しかった。第一志望の大学に不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格をバカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。
自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。
でも、実は後悔がひとつだけある。卒業式である。実は、自分は卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト+飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。
失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。
というわけで、先日3/18(月)に佛教大学の卒業式に参加してきた。もちろん保護者席である笑
後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。
焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館の和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。
式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館の和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。
会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。
とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後はプロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。
ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室で学位記を受け取る儀式があるのだ。
ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から「部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。
卒業式の会場を出てから、100席ちょっとの教室に入ると、今まさに社会学部のとある学科の学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。
約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまりに煩いものだから、学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑
あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後に卒業生代表が、ステージ上で「私がこの学校に入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月の最後の最後まで受験を続けて、それで最後に合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業生諸君は大騒ぎだった。卒業生代表の話なんて聞いちゃいなかった。
今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして、少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?
それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。
(以下要約)
・あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた
・入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う
・社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい
すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。
※推測だが、2020年当時って、入学式やオリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルがコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。
ちなみに、ほかの学部の学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生も学生も、熱の篭った感じで最後の儀式に興じていた。特に、教育とか保健とか看護の学部がよかった。
大学を出た後、近くにある千本北大路の交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。
社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。
これで結びになる。
若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分が雑魚すぎて嫌だった。
「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。
大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業、アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分の雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。
今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニングの勉強をしている。
なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツ机から立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。
「あきらめないでくれ……」
夢の中にいる自分は、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。
「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」
って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。
でも、現時点の感覚で、「学生時代は楽しかったか?」と自問すると、「楽しかったよ」が答えになる。
当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。
苦しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分で自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?
確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか。自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって。無意識ではわかってる。
だから、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。
苦しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。
今回、自分の記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学の卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。
2024/9/16
みなさまへ
先日、知人の一人から連絡がありました。
要約すると「これ多分お前やろwww学内で読んだ人がいる」というものでした。
一応本文を読み直してみたところ、わかりにくい表現や、一部写真のアップロード期限が切れていました。
もう一度だけ投稿します。文章もわかりにくい表現を直しています。
なお、当日記には不適切な表現(人間の質が低い学生、体育会の横暴、その他不祥事)がいくつも出てきますが、私が在学当時の事実をありのままに書いております。
最後に、もし佛大生でこちらの日記をお読みになる方に伝えます。
今でも、人間として低い次元で生きている学生は多々いるものと思料します。残念な気持ちになったり、将来が不安になっているかもしれません。
しかし、学生時代に自分や周りの社会のことをどれだけ考え、行動してきたかによって未来は変わります。
私の同期も、近い年代の方々も、きちんと努力を積み重ねた方は、一流どころの企業・官公庁・社会福祉法人・NPOへの就職、スポーツのプロ選手、社会人生活を経ての起業など、自らの道を選び取っています。
卒業時にうまくいかなくても、地道な努力を積み重ねて、道を切り開いた人も存じています。
過去の選択がどうであろうと、現在、今を生きることでしか未来は開けません。
今後、あなたが人生を失敗するのだとしたら、それは大学のせいでも社会のせいでもなく、「あなた個人が終わっている」から失敗したのです。
未来は決まっていません。
自分が将来、どういう人生を送りたいのか、どういう人間になりたいのか――その未来に向かって『今』を選択し続けてください。
卒業生より
(以下本文)
____________________________
約十年前に、とある4年制大学を卒業した。名を佛教大学という。
高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったことである。
※この日記の書き出しは、同じ佛大卒の方の書かれたはてなの日記を大いに参考にしています。先達に感謝します…
なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。
普段から増田に投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。
佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士や作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立に不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である。
なんで自分がここに入学したかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学の社会学部に進むことになった。
大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。
学業は一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。
アルバイトは金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態はサークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家のコピペだったのが記憶に残ってる笑
ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。
学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークルの飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。
冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。
大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族や兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。
でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である。
当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。
そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。
入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学の卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。
さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。
入学式と最初のオリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗の大学だったので、そういう縁からか、知恩院の僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。
今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。
この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代の日記を参考に書いていく。
以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。
新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。
先生がそれから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。
「もういい。お前は落とすっ!!!!」
先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。
当方は、京都生まれの京都育ちである。佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。
しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事の最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。
一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだから。マナーも常識もこれから勉強すればいい。
しかしbut。自分が学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。
(貸出物品のこと)
多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨の張り紙がしてあった。
「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」
久保帯人のブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。
キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食は禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間にステージ上で寝てる人が多数いた。
いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分の認識としては……「なんでこんな貼り紙が存在するのだろう。管理者がダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。
大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学は自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。
(コピーカードのこと)
何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的なもの(ex.学内新聞の関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味の出版物だと難しいものがある。
同じ部活にいた文学部(学科は忘れた)の女の先輩が、趣味で同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミの教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。
もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷費無料で販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。
「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。
「増田君。文学活動にはね、お金が必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」
だってさ。あまりにクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑
(参考:https://d.kuku.lu/m3mguzmej)
※度数1000のコピーカードの画像。自分も教授から借りてそのままだった笑
早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。
そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。
次
俺のところは九州の地方都市(福岡市じゃないよ)なんだけど、結構クラシック音楽とかのハイカルチャーが盛んな旧城下町なので、全国どこでも同じだというわけじゃないとは思う。
そういえば、俺の入った小学校は普通の公立小学校(市立)なのにオーケストラ部があったよ。入学式でシューベルトの交響曲の出だしのところを演奏してくれたのを覚えている。
やっぱりその辺の話だよな。
それは地域差も時代差もあると思う。最近は以前とくらべるとピアノ人気はだいぶ下がったみたいで、このへんでも散歩しててもピアノを練習している音が聞こえてくることがほとんどない。それと、地域差というのは、たとえばサッカーが盛んな地域もあればそうでない地域もあるでしょ。そういうこと。
俺のところは九州の地方都市(福岡市じゃないよ)なんだけど、結構クラシック音楽とかのハイカルチャーが盛んな旧城下町なので、全国どこでも同じだというわけじゃないとは思う。
そういえば、俺の入った小学校は普通の公立小学校(市立)なのにオーケストラ部があったよ。入学式でシューベルトの交響曲の出だしのところを演奏してくれたのを覚えている。