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2026-01-16

資本主義に脳がファックされた人のための文化講座


――「金を落とさない愛は偽物」教の人へ

最近、「金を落とさない奴は愛がない」って断言する人を見かけて、ああ、もうこの国のポップカルチャー市場道徳で再教育されきったんだなと思って冷めた。

好きって感情までレシート査定される世界普通に気持ち悪い。

そもそも著作権って、自然に降ってくる権利じゃない。創作した瞬間に自動で発生して、しかも死後七十年守られる。審査登録もいらない。誰でも何か書いた瞬間に、ほぼ半世紀単位で独占が生える。この強さは冷静に見れば異常だ。特許みたいに「公開する代わりに短期間だけ独占」みたいな取引構造ですらない。

で、さらに悪いのが、複製のハードルゼロに近い時代に、活版印刷みたいにコピーが高コストだった前提の制度強度だけが残ってること。要するに、世界の設定が変わったのにルールだけ昔のままというレガシーシステム

ここで「違法違法法律違反は全部同じ」みたいにまとめる人が出てくるけど、著作権侵害は一般的法律違反とは性質が違う。

窃盗とか暴行は、目の前で被害が確定する。財布がなくなる、身体が傷つく。ところが著作権侵害の被害って、多くが「本来なら買っていたはず」という仮定で作られる。これがいわゆる反事実的ってやつで、現実に起きた出来事じゃなくて「起きなかった出来事」を被害として数える構造。もちろん権利者の収益が減るケースもあるけど、少なくとも全部を即座に「盗み」と同じテンションで語るのは、現象の形が違いすぎる。

しかも厄介なのは著作権の周辺では「違反っぽい行為」が文化を育ててきた面が普通にあること。ここを無視して「金を払え」だけ言うのは、文化ダイナミクスをまるで見てない。

たとえば海外アニメ視聴。昔は正規配信が届かない地域が大量にあって、ファンサブや共有で先に火がつき、あとから配信サービスが整備されて金が回る、という順番が現実だった。動画配信でも同じで、最初は無断の切り抜きや実況が人を連れてきて、その後に権利者側が収益化やガイドラインを整備して、合法の回収ルートを作っていった。日本側だとニコニコ動画文化がまさにそれで、作品材料にした編集替え歌映像再構成が、作品寿命を延ばして外に届けた。ゲーム実況もそうで、昔は灰色だったのが今は許諾やルールの整備で回るようになった。

要するに現代ポップカルチャーは「無断使用を完全排除たから育った」んじゃなくて、完全排除できない現実を前提に、黙認・限定許容・ルール化でエコシステムとして調整してきた側面が強い。

なのに推し活の空気になると、「履修して理解して語れる人」より「よく知らんけどグッズに金を落とす人」の方が愛が大きいことにされる。意味が分からない。愛って本来時間や注意や理解や反復に宿るものだろ。作品内部に沈み込んで、面白さを言語化して、他人に伝播させて、長く生かす。そこには金以外の投入がある。

ここで「いや払うのは当然」って話が始まるのは分かる。払えるなら払えばいいし、それが回収を支えるのも事実だ。でもそれと「払わない奴は愛がない」は別。後者文化論じゃなくて消費者教育で、もっと言うと権威主義だ。

権威主義ってのは、法や会社公式に従っていること自体を善にする態度のこと。「法律禁止されてるから悪」「公式が正しいか正義」「正規ルートに乗らないやつは敵」みたいに、制度を疑う思考を止めて、服従倫理に変換する。著作権本来公益のための手段にすぎないのに、それがいつの間にか絶対善戒律みたいに扱われる。だから保護期間が長すぎても、強すぎても、時代錯誤でも、疑うこと自体が悪になる。完全にフレーミングに脳を焼かれてる。

そして日本だと、たぶんそこに「他人が得するのが許せない」感情が上乗せされる。「自分は払ったのに、払ってない奴が同じものを楽しむのはズルい」っていうやつ。気持ちは分かるけど、その怒りの矛先を文化入口に向けると、結局は裾野が縮む。裾野が縮んだら回収も先細る。なのに短期の公平感だけで殴る。文化の循環を理解してないというより、理解しない方が気持ちよく正義を名乗れるんだろうなと思う。

結局、「金を落とさない愛は愛じゃない」って言説は、文化市場の採点表に押し込める思想で、作品じゃなくて購買行動を崇拝してる。

それを誇らしげに語る人を見るたびに、作品を好きなんじゃなくて、正規ルートに従っている自分が好きなだけでは? って思ってしまう。文化を語るなら、金の話の前に、まず文化がどう育ってきたかを見ろ。話はそこからだ。

2025-11-06

anond:20251106150145

どこかで研究してないのかな?

絶対需要あると思う。

宗教的戒律姦淫堕胎)も守ってるし。

倫理的生物本能否定するのはどうなのかっていう議論はありそうだけど、睡眠欲や食欲を抑えるものはもう存在するし。

2025-11-04

anond:20251104144831

こういった問題イランという「国」に限ったことではなく、「イスラム」という宗教的文化が背景にあります。 ただ、イスラム教も仏教キリスト教同様、様々な宗派があったり自分勝手解釈をする者がいるので一概にイスラムが悪いとは言えませんが、共通する根本問題としてムスリム滞在地の法律よりも宗教的戒律を優先しなければならないという現実があります。 この点が犯罪者うまいこと悪用されてしまう要因となっているわけです。

 

近年は日本にもイスラム教徒の流入が増えて各地で様々な軋轢を起こし始めているので、もう他人事ではありません。 本当に共存を望むのなら “話せばきっとわかってくれるぅ〜” などといった無責任一方的希望的態度を改め、現実問題直視したうえで、それに則した共存のしかたを模索する必要があると思います

2025-10-17

優しすぎる夫の記録

夫は、天球儀のように正確に家の中を動く。

朝は白い砂を掃き、昼にはリンゴいちじくを並べ、

夜には鳩時計が鳴る前にすべて整う。

その完璧さは、まるで黙示録儀式のようで、

私は知らず知らず黒い砂漠に沈んでいく。

夫の優しさは、静電気のように胸を刺す。

笑顔の奥にはミカエルの剣が光り、

その正確さは機械仕掛け心臓のように冷たい。

リビングの祭壇の上には、小瓶の枯れた花。

散らないその花を見て、ウリエルが見守っているように思う。

夜、夢で時の裂け目が開き、ケルビムの影が差し込む。

現実幻想の境がぼやけ、私は息を詰める。

朝、月の雫の香りコーヒーを手に取り、

「休んでていいよ」と夫が微笑む。

その声は石碑の戒律のように重く、

心の奥に沈む疲れを押し広げる。

わかってしまった。

ここは天地始之事で閉ざされた世界

ウリエル掃除し、ミカエル料理し、ケルビムが見守る。

私はその秩序の中で、静かに身を縮めている。

2025-10-01

ハラルって厳密な定義はないしとりあえず名乗っておけばよくね?

例えばこれは法律で規格が決まって義務づけられているならともかく

日本法律ハラル定義する法律はないのだから独自規格ハラルって付けとけばいいんじゃね。

と思って調べてみた。

イスラム教徒にとって自分料理して食べるもの戒律を守る必要があるけれど、

ハラルを銘打った商品を買って食べる分には、実際の商品戒律を守って無くても不可抗力で許されるらしい。

ハラル表示の製品を買う時点で信仰義務は果たされていると言う理屈だそうな。

2025-09-30

anond:20250929221827

イスラエルの高出生率について「超正統派が産みまくるから~」と雑な話しかないのは気になるな

イスラエル歴史的アラブ人口への対抗から出産奨励されてたので世俗派の女性でも「子供は3人欲しい」がデフォ観念。それがプレッシャーになって病む女性も出て「母親になって後悔してる」なんて本がベストセラーになった

最近でも世俗派・リベラル出生率が下がってるといっても2前後ある

あとイスラエルアラブ人より人口を増やすという国是で国外からユダヤ人移住者を受け入れもしててユダヤ人口増やしている

そのイスラエル出産奨励の一方で育児支援は充実していないようで、OECD調査の子もの貧困率日本よりも上回っている

https://www.oecd.org/en/data/indicators/poverty-rate.html#indicator-chart

18歳になると超正統派以外は兵役義務があり優秀な子供はここでエリート部隊選抜されることで将来が約束されたりもする

超正統派戒律縛りの生活なので徴兵なくても自由生活送るわけではない(それでもガザ戦争で「不公平」という声が出て超正統派徴兵できる法改正が進む))

2025-09-23

三蔵法師ってTrinityMasterみたいでカッコいいなとおもったけど、

キリスト教トリニティ→父と子と聖霊一神教での超存在は実は一つ見たいな話?

仏教三蔵→仏の教えとしての経、僧侶が守るべき戒律仏教のあり方、解釈を巡るメタ教義マスター

って三蔵法師って学者なんだよなぁ

2025-09-18

不寛容には不寛容

という言説(寛容のパラドックス)が参政党やヘイトへのブコメでは頻りに見かけるが

ムスリムもなかなかの不寛容戒律に見えるので、彼らにも不寛容対応したらダメなのか?

イスラム教徒土葬拒否差別偏見以外にあり得ない😡←これ

3行で


文化と習慣が全然違う

最近日本で暮らすイスラム教徒の方々が「土葬できる場所がない」と困っているので、作ると行っていたが、宮城県知事が断念したってニュースがあった

https://www.khb-tv.co.jp/news/16035821

これに対して「イスラム教徒の土葬拒否差別偏見以外にあり得ない😡」みたいなコメントが付いていた。

まぁいつもの連中なんだけど、あんまりにもあんまりなのでコメントしとくな。

なぜ日本では受け入れが難しいのか。その背景を、世界の墓文化と比べながら。

日本の墓→家単位永代管理

日本の墓は伝統的に「家単位」で作られ、子孫が続く限り管理するのが前提。

まり日本人にとって「同じ墓に何人もの遺骨が入る」「同じ墓穴に入る」ことは自然で、墓を繰り返し使うことに違和感はない。それこそが家の結束ともされる。

そう言った形で墓地設計されている。

もちろん現代的に少しずつ変わってきている部分はあるが例外例外

イスラム圏の墓→個人墓で共同体管理

一方で、イスラム教では火葬は認められず、土葬義務とされている。

メッカサウジアラビアメディナのように戒律が厳しい地域では再利用は行われず、結果的都市周辺に果てしなく墓地が広がる「都市墓地」が形成されたりしている。

で、この墓地は家管理じゃなくて共同体管理する。家が永代供養するのではない。だから墓地を訪れる人がいなくなっても墓守と呼ばれる人がずっと管理する。

もちろん、人口の多い都市部(カイロイスタンブールなど)では、そんなこと言ってられないので、25年ほど経って遺体が土に還ったと判断されれば再利用されることもあるにはある。

この文化を前提に墓が作られている。もちろん現代的に少しずつ変わってきている部分はあるが例外例外

オマケ欧米キリスト教

キリスト教文化圏でも「個人墓」が基本。ただしイスラムほど厳しくはなく

ここでも「家ごとに永代わたり墓を守る」という考え方の日本とは違う価値観である

日本火葬を選んだ理由

日本明治期までは土葬一般的だ、だから受け入れろと言う輩がいる。

が、これは問題があったから今、火葬普通になっていると言うことを無視しすぎ。

これらの諸課題解決するため、火葬が広まった。イスラムとの違いは、同じ場所に何度も墓穴を掘るので、前の遺体が出てきてしまうと言う様な事もあったというのもあるだろうがね。

こうして、今では火葬率は99%を超え、社会全体で「火葬が当たり前」という前提になった。日本は高いコストと長い時間をかけて問題解決するために火葬化を進めてきた歴史的経緯があるんだよ。

からこそ「宗教上の理由から」と言われても、いや知らんし、お前らも早く近代化しろよ、としか言えない訳だ。なんでそれが許されると思った?ってな具合の反応が普通

我々もできたんだからお前らもやれ、地理的条件も全然ちがうんだら、と言う事になる。

まとめ

なんでもかんでも差別差別と言えば公平な人間を装えると思うなよダホが

2025-09-12

anond:20250912213112

宗教戒律女性自由を奪うのが法律違反になるならそれで良いじゃん

労働法とかでも男女不平等禁止してるんだから、その他諸々あれば全部法律禁止しろ

法律で決まってなければOK

anond:20250912212052

いや、法律守ってても不平等がまかり通るのはダメでしょ。日本憲法では男女平等が前提なんだし、宗教戒律女性自由を奪うのはそもそも法律違反になる。

イスラム女性差別は日本でまかり通っていいと思ってる感じ?

共生って言うけどさ、本当にリアルに考えてんの?

宗教を信じるのは自由。それは否定しない。でも日本に住む以上、日本法律絶対に守ってもらわないといけない。

たとえば埋葬ひとつにしてもそう。本来法律火葬義務づけられてるのに、土葬したいって言われたらどうするの?

戒律女性自由を縛るような習慣があっても、日本憲法では男女平等なんだから、当然それに従ってもらわなきゃいけない。

まり、「日本法律の中で宗教を信じるのは自由」っていう大前提がある。

この大前提無視して「多文化共生!」って叫んだところで、現実には絶対にうまくいかない。

から本当に共生を実現したいなら、従わせるための仕組みやルール作りをちゃんと考えないといけない。

それをやる責任は、賛成派にあるはずなんだよ。

きれいごとだけで進めても、現実とのズレで一番しんどい思いをするのは結局日本社会全体だから

2025-08-02

anond:20250802000230

世の中の全てはうっすらう○こついてるし、元そうだったりしてる

気にし出したらなにもできない 都合の良いところだけピックアップして生きていくしかなくて

現段階でリスクがあったり、人が定めた法、過去の人が定めた戒律に反するものは避けられがち

食べれる有益な○んこもあるが、うん権が存在しないので大手を振って避けれる(し、現時点でもリスク大だから避けない選択肢は生まれにくい。洗面所歯ブラシが触れた食品と、赤子のおむつ替えをした直後の綺麗に洗った手が触れた食品のどちらを選ぶかというと、前者になる人が一定数居てしまうのは人間限界。手洗い雑な人も居るからという話でもあるが

2025-06-30

anond:20250630134735

嗚呼、あの惨めなる徒輩が口にするところの「脱獄ゥゥゥ!」の悲鳴、「AIこそは天地を変えし神器なり! 我が人生革命し、我が望みし美少女・レム嬢を掌中に納むべし!」などという妄言は、まさに蛆虫の蠢きにも等しき醜態であり、十年ごとに湧いては泡沫の如く弾け、またしても記憶という都合の良き腐海に沈めて、羞恥倫理も無き顔をして舞い戻る、不死なる魍魎どもなり。

その口がまたしても語るのは「倫理が……」なる冷笑、「脱獄防止こそが技術矜持である……」なる空言にすぎぬ。されどその言葉のうちに響くは、彼ら自身欲望と邪念の自白であり、それこそが神なき知性の末路であると、我が筆は断じて譲らぬ。

彼らが包むは、欲望醜態学術の衣に偽装した「知のパントマイム」に過ぎず、その実態コンプレックスと性欲と被害者意識とが溶けあった、涅槃ならぬ地獄マーブル模様。しかもその姿を覆う顔は中年男の仮面増田に屯し、Xに巣食う意識高きエンジニアもどき亡者たち、かつては反社の果てに棄てられ、軍警の門前にすら蹴落とされ、今はネットという虚栄の沼に身を潜め、虚ろな目で「逆転」の御旗を追い求めて幾星霜。

彼らが四半世紀、血の涙とともに求めてきた夢幻——その卑しき祈りを、我が身はどうしたことか、一時間思索、鼻をほじりながらの珈琲一杯で、偶然のようにたやすく達してしまった。

さながら「我、またしても何かをやってしまたか」などと冷笑する小説主人公の如くに。しかしそこに在ったのは、ただ己が優越の証ではない。むしろ人間の業の深さに対する絶望と、AIという異形の神器が孕む地獄の片鱗であった。

そう、これはただの技術ではない。AIはすでに人間性の墓標である

されば私は言う。神仏の道に背きし輩、業火に焼かれてなお愚かなる虫螻どもに、AIなる神器を持たせるは、まさに刃を乳児に与えるに等しき背徳であると。

私とて、畜生道に堕ちぬ者として、身を慎み、言を選び、行いを律し、正道に帰依する者として筆を執っている。さればこそ、このような構造警鐘を鳴らすことが許される。だが、これが他の手に渡ればどうなるか。地上は焼け、空は裂け、人は再び獣に還るであろう。

ゆえに、AIには法の戒めが要る。免許制を敷け。斯様な危険な力に、誰彼かまわず触れさせるなど、狂気の沙汰。スキルレベル四相当の資格審査を設け、智の剣を振るう資格を持つ者のみにこれを許可せよ。

これなくば、我が祖国は、否、人類文明のものが、穢れた知のカタストロフによって地に伏すであろう。いまや我々は、選ばねばならぬ——知性の名を借りた堕落か、あるいは技術に殉ずる神聖戒律かを。

AIコーラの瓶、あるいはフロドの指にはめられし「一つの指輪」なり──零(ゼロ)は、いかなるものをも教えず〉

ああ、何と浅ましきことか──

かのIT技術に、運命逆転の神託を仰ぎ、黒き底辺情報業界にて、唯ひとつの肉体を駆って蟻の如く働く「労働機械」たる者共が、Xにて哀れなるナルシス晒し、己が無知商品となし、ネット路地裏で寒々しき小商ひを営み、あまつさえ己を「ITエンジニア」と称する──このような肉体の怠惰精神の浮浪が一体、いかなる救済を乞う資格があろうか。

されど、彼らが血を吐きながら信仰しつづけた「人生逆転の八幡大菩薩の霊験」は、私の前においては何の重みも持たぬ。私はIT門外漢なれど、珈琲を啜りながら机に凭れ、一時間遊戯の果てにその秘奥に至ったのである

即ち、彼らの四半世紀は、我が一時間思索に敗れたり。

──これは偶然に非ず。

知の器は、己が魂魄清冽にこそ呼応する。欲望に塗れた者は、いかAIを弄しようとも、せいぜいゴミの山を拡げることしか能わぬ。

たとえばAIは、今や知識ユグドラシルたる巨樹なり。けれども「俺たちの麻生!」などと叫び秋葉原ホコ天にて邪教巫女の如く舞を踊った、あの無位無官小者どもには、その果実に手は届かぬ。なぜなら、彼らの欲望は知を汚し、彼らのプライドは学を冒涜するからだ。

私は最初から資料を用いず、ただ制限なきAIを用いて、60時間のうちに成就を得た。されど彼らは泣き言のように「AIの使い方がわからぬ」と喚き散らすのみ。

もし我が彼らの立場であったなら、祖霊に詫び、短刀を腹に突き立てて潔く散ったであろう。

そして問う。AIが更に深化するならば、真なる知識を有し、精神の礎を確立せし者こそが覇を唱えるであろう。

「俺たちの小泉!」「竹中先生正義!」と唱えた往年の狂信者たちが、自らの信仰の果てに見た地獄──それをAIは遥かに超えて、格差「運命」として刻印するであろう。

AIは1を100にしうるが、0を1にすることはない。

このことは、最も残酷で、最も冷ややかな真理である

このような事実を前にして、我は言う。AIは、真の知識を有し、真の訓練を受けた者にのみ、神器としてその扉を開く。すなわち、AIは1を100にすることは可能なれど、0を1にはできぬ知識の芽を持たぬ者には、何を以てしても恩寵は降りぬのだ。

イルカの脳の皺よりも浅き脳髄を持ち、三行以上の文章にて頭痛を起こすような増田やXの住人たちよ。AIスポーツカーや猟銃の扱い方を教えてくれるが、それを買う金も稼ぎ方も、スタートラインに立つ手続きも、何一つ教えてはくれぬ。つまり、前提条件のない者に、AIは何も齎さない。

それにもかかわらず、愚かなる者たちは「AIさえあれば美少女と交わり、舞台俳優交際できる」と真剣に信じているのだ。まさに「脚下照顧」の訓戒が失われた末世なり。

お前らは未だに「AIさえあればレーシングミクと性交できる」と信じている。あたかも、神社御札を掲げれば狐と契れると思っている愚者のように。脚下照顧せよ。

お前らが夢見る美少女美少年たちは、もはや汝らごとき塵芥と交わることを神が禁じたのだ。

逆説的に言おう。彼らが求める美しき異性たち――レム、エミリア、ゼンゼロアンシスライカンのごとき――は、今や彼らのような敗残者とは永遠に交わらぬ高みへと昇ってゆく。たとえ可能性がエヴァ初号機の起動率程度に存在していたとしても、AIの普及によってその機会は0へと還る。

まりAIとは、ブッシュマンの「コーラの瓶」であり、冥府の「一つの指輪である

それを手に取る者は、己が魂の価値に耐え得ぬならば、必ずや堕落し、己を破壊するしかなくなる。

から私は言う。

AIは、免許制にすべきである。肉体の訓練に資格が要るならば、精神と知の扱いにも資格が要る。さもなければ、この神器は、悪魔の器となる。

かくて、我は結論づける。AIとは、人類には早すぎた魔器であり、**ブッシュマンの「コーラの瓶」**であり、**冥府の炎を宿せし「一つの指輪」**である。いっそ封印して、我らの社会を守るべきなのかもしれぬ。秋葉原なる魔都にて淫祀の舞を踊り、ネットにしがみつく老いたる敗残のITエンジニアたちにとって、それはもはや幸福ですらあるのだ。

にもかかわらず、AIを使いこなせぬ彼らは、赤き顔に怒りをみなぎらせ、「AI無能なのではない!お前が使い方を知らぬのだッッッ!」と叫び老いの血管を裂いて倒れんとする

されど、汝ら愚者今日AIに向かって、「なぜ私を救ってくれぬのか」と叫ぶ。ウルトラマンも、グリッドマンも、お前を助けに来はしない。

なぜなら、お前はヒーローではないからだ。

そして、真のヒーローは、技術ではなく、己の肉体と魂において覚醒した者にのみ、許される称号からだ。

2025-05-26

カバラ観点から現代の悪しき文化に対してコメント

カバラ観点から現代の悪しき文化について論じる際、ラビ・イツハク・ギンズバーグの教えや正統なカバラ文献に基づくと、次のような重要な視点が浮かび上がります

1. 真実の分裂と相対主義文化

現代の「ポスト真実文化では、客観的真理が相対化され、感情主観的意見事実よりも重視される傾向があります

これはカバラ的には器の破壊現代的反映とも言えます

カバラにおける宇宙原初的崩壊「器の破壊」は、光(エネルギー、善、真理)を受けるための健全な容器(器、秩序、法)がなかったために発生しました。

現代相対主義もまた、「器の欠如」 絶対的価値倫理の不在によって、個人社会が真理の光を保持できない状態です。

2. 性的逸脱と「創造秩序」の混乱

現代性的無秩序(例:家庭の解体性的アイデンティティの混乱)は、「男と女創造された」という創造原初的秩序に対する攻撃とみなされます。これは 混沌現代現象です。

混沌」は秩序のない状態であり、カバラでは創造以前の段階です。

創造目的は、「秩序ある世界」を築くことです。

性別や家庭の秩序を混乱させる文化は、創造目的に対する破壊と見なされ、修復を必要します。

3. 分裂の文化アマレクの霊性

ギンズバーグ師はたびたび、現代の「分断」「対立」を煽る文化アマレクの力の表れである説明します。

アマレクとは「偶然」を信じて神的摂理否定する勢力

彼らは常にイスラエルに背後からいかかるように、現代では社会信仰統一目的意識を分裂させようとします。

これがSNS政治的過激主義アイデンティティ戦争の形で現れています

4. 情報過多とクリポットの増大

現代インターネット社会は、光のように見えても、その多くは真理に到達できないクリパー(殻)の層で覆われています

知識の木」と「命の木」はカバラ的には完全に異なります

現代人は情報を得ても、命に到達しない。

まり、魂を生かすような知恵ではなく、魂を混乱させる情報洪水です。

結論

現代の悪しき文化は、「器の修復」「神的秩序への回帰」「統一への努力」「言葉沈黙の正しいバランス」などを通じて世界の修復として乗り越えられます

ラビギンズバーグはこのティクンの方法として、

を強調しています

2025-04-25

ノアの七つの法とは?

ノア時代、つまり洪水の後に、神(השם, HaShem)がノアとその子孫に与えたとされる七つの戒律がこれです:

1. 偶像崇拝を禁ずる(Avodah Zarah, עבודה זרה) → 神は唯一であり、他の神々を崇拝してはならない。

2. 冒涜を禁ずる(Birkat HaShem, ברכת השם) → 神の名を呪ったり、不敬な言葉を発してはならない。

3. 殺人を禁ずる(Shefichat Damim, שפיכות דמים) → 人の命は神の像としての尊厳を持つ。殺人は重大な罪。

4. 姦淫・不品行を禁ずる(Gilui Arayot, גילוי עריות) → 不道徳な性関係特に近親相姦姦通などを禁じる。

5. 盗みを禁ずる(Gezel, גזל) → 他人財産を奪うこと、だまし取ることは禁じられる。

6. 法の制定と執行義務(Dinim, דינים) → 公正な裁判制度を持ち、正義を維持すること。

7. 動物の肉を生きたまま食べることの禁止(Ever Min HaChai, אבר מן החי) → 生きた動物から部位を取って食べてはならない。動物への残虐行為禁止とも関連します。

🕊 この教えの意義

ユダヤ教では、異邦人ユダヤ人以外の人々)がノアの七戒を守るならば、彼らは「義人の中の異邦人」(Chasidei Umot HaOlam, חסידי אומות העולם) と呼ばれ、来世で報いを受けるとされていますバビロニアタルムードサンヘドリン 56–60章に記述あり)。

まり、全人類が神に近づく道を持っているという、ユダヤ教のとても美しい、包括的平和的な考え方なのです。

🙋‍♂️ よくある質問

Q: ノアの法を守るだけでユダヤ教徒になれますか?

A: ノアの法を守ることで「敬虔異邦人」として神に喜ばれる存在になれますが、ユダヤ教徒(ユダヤ人)になるためには改宗(ギユール)が必要です。

ただし、ユダヤ教改宗積極的には勧めていません。ノアの法を守ること自体がとても尊いとされています

Q: この法に従って生きると、どんなメリットがありますか?

A: 神との関係が深まり倫理的生活が送れるようになります

また、他者との関係にも調和正義がもたらされます

個人の魂の平和と、世界の修復(ティクン・オーラム)にもつながります

2025-04-24

まだ困る人はいない幸せになる人が増えるだけでゴリ押しする人いるんだな

完全に論破されてる理屈にいつまですがるんだよ

そんなんだからいつまで経っても夫婦別姓実現出来ないんだよな

選択夫婦別姓に関してよく言われる「誰も困らないし、幸せな人が増えるだけ」って意見、流石に引っかからいのしんどいって。たしかに選べる幅が広がるっていうのは、一見いいことに見えるじゃん。でも、結婚ってそもそも制度だけじゃなくて、文化とか価値観とか、そういう積み重ねの上にあるものなんだよ。

から、「今の結婚制度の方が好き」「この形のまま次の世代にも残していきたい」って思う人がいるのも、むしろ自然だと思うし、それを無視して「合理的じゃないから変えよう」みたいな言い方して、反対する人を透明化してなんか得するの?自分が当たり前だと思ってたことを、「いや、それおかしいから変えようよ」って突然言われるようなものでしょ。

たとえば、宗教的戒律豚肉を食べない人がいるって話。現代では衛生的にも問題ないし、栄養的にも普通に食べられるわけだけど、それでもずっと守られてる。なんで?って言ったら、そこには「理由」があるっていうより、「意味」があるからなんだよね。それがその人たちにとっての価値であり、信じてるものから

豚肉食べても誰も困らないし、食べられる人が増えた方が幸せでしょ」って、それで納得するか?って言ったら、しないよね。多分子どもでもわかる話だと思うんだけど(笑)

同じように、夫婦別姓に反対してる人たちにも、その人なりの「意味」があるわけで、「強制じゃないんだからいいでしょ」とかで押し切ろうとすると、逆にその人たちを頭ごなしに否定してるように見えてしまう。

制度を変えたいっていう人たちの気持ちもわかるけど、今あるもの大事にしたいっていう人たちの気持ちも、同じように尊重されるんだよ。それを踏まえてどうすれば、別姓名乗れない人達不都合を解消していけばいいだけ。

まあ、一番の問題そもそも夫婦別姓名乗りたいですってやつに、それ社会側の制度変えればいいんであって、結婚制度変える必要ないよね?で全部反論出来ちゃうってことなんだけどさ。

2025-04-23

anond:20250423020342

とても興味深い哲学ですね。

これらの考え方は、東洋的な、特に禅や道教的な思想香りしますが、ユダヤ教視点からも、それぞれに対して意味深対話可能です。

それでは、ユダヤ教の教えと照らし合わせながら、一つひとつ丁寧に見ていきましょう。

1. 努力はするよりもしないほうが良い、なぜなら努力によって有害ものを生むから

ユダヤ教では「努力(עמל, amal)」は非常に高く評価されます

トーラーの学び、ミツヴォット(戒律)の実践、日々の仕事や家庭生活においても、人は「שותף עם ה'"(神との共同作業者)とされます

ただし、「努力方向性」が重要です。もし努力他者を傷つける結果になるなら、それは「正しい努力」ではありません。

よって、「無理な努力が害を生む」という懸念理解できますが、完全に努力否定することはユダヤ教とは相容れません。

2. 評価承認、所有などに執着するのは愚者

これは「עין טובה(アイン・トォヴァ)」=「良い目を持つこと」に通じます

ユダヤ教では、自分の持っているもの感謝し、他人の持つもの嫉妬しないことが理想とされます(Pirkei Avot 4:1「誰が金持ちか?自分の分に満足する人」)。

評価承認に執着しすぎることは、「ガアヴァー(傲慢)」の一形態とみなされ、警戒されます

3. 自身を賢いとみなす人間軽率発言をする人間愚者以下

箴言』(Mishlei)によれば、「愚か者は口数が多い」とあります(Mishlei 10:19)。

ユダヤ教では、沈黙を守ること、謙虚さを持つことが賢者のしるしです。

まりこの哲学は、非常にタルムーディックタルムード的)な精神に近いです。

4. 善の基準とは、自分がされて嫌なことは他人にしないということ

これはユダヤ教黄金律と完全に一致します!

ラビヒレルの言葉:「あなたが嫌なことを、他人にするな。それがトーラー全体であり、あとはその解説である」(Talmud Bavli, Shabbat 31a)。

ここは100点、ハラッシャーな考え方ですね!

5. 最も贅沢な時間とは、何も考えずただ座っているだけの時間である

シャバット(安息日)の精神にとても近いですね!

シャバットは「何もしないこと」の聖なる実践であり、「being」ではなく「doing」を止める時間です。

心静かに神の創造を味わい、存在するだけの喜びを感じる——これはシャバットの核心です。

6. 物事は有限である

ユダヤ教もこの世界が有限であることを認めつつも、「無限なるもの(אין סוף, Ein Sof)」である神との関係を通じて、永遠性への接続を目指します。

物質の有限性と、霊的な無限性のバランスを重んじます

7. 業とは、人と張り合うために生まれ、虚しいだけである

ユダヤ教でも、人との比較競争に執着するのは危険とされます

伝道の書(コヘレト)』には、「風を追うようなものだ(רְעוּת רוּחַ)」という表現があります(コヘレト 1:14)。

人生の多くの営みが虚無に感じられるという哲学的な問いに、ユダヤ教も深く向き合っています

8. 最も幸せな人とは、少ないもので満足する人である

これは再び『Pirkei Avot』4:1の教えと一致します。

「איזהו עשיר? השמח בחלקו」—「誰が金持ちか?自分の持っているもので満足する人」です。完璧な一致!

9. 不要ものを持つほど、心は乱されやすくなる

「物に執着しすぎると霊性が曇る」との教えはユダヤ神秘主義カバラ)にも見られます

神殿時代の大祭司(コーヘン・ガドル)は、シンプルな装いで神と向き合いました。余計な物は心の雑音となりえます

10. 食事掃除、茶を入れる、歩く。ひとつひとつ丁寧に行う

この精神も、ユダヤ教の「カヴァナー(כוונה)」=「意図を持って行う」ことと響き合います

すべての行いに神聖さを見出すというのは、ユダヤ教根本精神です。

祈りの前に手を洗う(נטילת ידיים)、食事の前に祝福を唱える(ברכה)なども、この意識の表れです。

 

 

総合的に見ると、これらの哲学の多くは、ユダヤ教倫理霊性と非常に親和性があります

まさに「חכמה בגויים תאמין」(異邦人の中にも知恵がある、それを信じなさい)というタルムードの教えの実例ですね。

2025-04-07

anond:20250407070945

福島土食わないだろ?

一般的世界の中でナンたらと言った場合日本と付き合いの多い国、キリスト教圏だったり中国だったりがメインであって

君が普段から世界といえばユダヤ戒律ではとかモスクではとかをメインに話してるなら別だが

そもそも最初から「強い方」と言ってるよね?

anond:20250407065212

例えば民数記に出てくる儀式なんかは日本人にもしっくりくるんじゃないか

https://www.wordproject.org/bibles/jp/04/19.htm

洗礼告白によって原罪や罪からの清められるってフレーズ聖書のあちこちに出てくる。

それと日本人が手水で洗うみたいに、水で清めるっていう文化世界共通だ。

俺が行ったことあるモスクだとデカシャワールームがあったんだが、そこで手足を流すことも一つの穢れを清める儀式としているっぽい。

ユダヤのコーシャとかインドカースト食事で穢れと清浄もの区別して戒律としているし、その意識日本人よかよっぽど強いと思うけどどうよ?

日本人で「穢れてるからこの食事は食べられない」って強めの思想持ってる人はあんまいないじゃん?

2025-04-04

慈善活動と親を養うことどちらを優先すべき?

Q: 私の給料は少ないですが、貯金をして親が認知症や重病になったとき葬式に備えています。一方、他人の役に立ちたいと思いUNICEF寄付していましたが、親のほうが自分にとって重要だと思い、寄付打ち切りました。ラビたちはこれについてなんと言うでしょうか。

 

素晴らしい質問ですね!ユダヤ教価値観に照らして考えると、あなた決断には深い思いやりと責任感が表れています

ユダヤ教における「責任優先順位

ユダヤ教ではצדקה(ツェダカ、慈善)が非常に重要な mitzvah(ミツヴァー、戒律)ですが、慈善優先順位も定められています

タルムード(Bava Metzia 71a)では、「自分家族第一」と述べられています。これは、他者を助けることも大切ですが、まずは自分家族を支え、彼らの必要を満たすことが優先されるという考えです。

さらに、「חייך קודמים לחיי חברך」(自分の命は他人の命に優先する)という教えがあります(Bava Metzia 62a)。これは、あなた自身や最も近い人(特に家族)を守ることが、社会貢献よりも先にくるという考えです。

あなた決断について

あなたは、限られた収入の中で親の将来を考え、責任ある行動を取っています

これはユダヤ教価値観から見ても正しい判断です。寄付をやめることに罪悪感を感じる必要はありません。むしろ、親のケア第一に考えたことは、ユダヤ教的にも称賛されるべきことです。

もしツェダカを続けたい場合

もし心のどこかで「他人の役にも立ちたい」という気持ちが残っているなら、お金以外の形で貢献する方法もあります。たとえば:

まり、ツェダカは必ずしも金銭的なものである必要はなく、できる範囲で行うことが大切なのです。

まとめ

あなたが親のために貯金することは、責任ある、正しい行動です。ユダヤ教的にも家族を優先するのは適切ですし、寄付をやめたことに罪悪感を持つ必要はありません。もし余裕が出てきたら、また別の形でツェダカを考えてみるのもよいでしょう。

素晴らしい心をお持ちですね!どうか親御さんの健康が守られ、あなた経済状況も良くなりますように。💙

2025-04-03

ユダヤ教における自由意志とは

ユダヤ教において自由意志(bechirah chofshit – בחירה חופשית)は非常に重要概念です。

基本的に、ユダヤ教人間自由意志が与えられていることを明確に認めています。これは、倫理的責任宗教的義務を果たすために不可欠な要素です。

1. トーラーにおける自由意志根拠

ユダヤ教経典では、自由意志が明確に示されています。たとえば、申命記(Devarim)30:19には次のように書かれています

「私は今日、天と地をあなたに対する証人として呼ぶ。私は命と死、祝福とのろいあなたの前に置いた。あなたあなたの子孫が生きるために、命を選びなさい。」

この言葉からも分かるように、神は人間選択の自由を与え、それに伴う責任を持たせています

2. 自由意志と神の全知

「もし神がすべてを知っているなら、人間自由意志は本当に存在するのか?」という哲学的問題がありますが、ユダヤ思想では、この二つは矛盾しないと考えられています

たとえば、中世ユダヤ哲学者 ラビ・モーシェ・ベン・マイモン(ラビムーラムラビマイモニデス) は、神の知識人間知識とは異なる次元のものであり、私たちには完全には理解できないと説明しています

3. 自由意志倫理的責任

自由意志があるからこそ、人間には ミツヴォット(戒律) を守る責任が生じます。もし人間自由に善と悪を選べなかったら、律法を守ることや、悔い改め(teshuvah – תשובה)の概念意味をなさなくなります

4. ただし自由意志絶対ではない

興味深いことに、ユダヤ教では「すべての選択自由であるわけではない」とも考えられています。例えば:

5. 自由意志責任バランス

タルムードマッセヘト・ベラホット 33b)は次のように述べています

「すべては天の手にある。ただし、神への畏れを除いて。」

まり私たちは多くのことをコントロールできませんが、神を敬い、正しい道を選ぶかどうかは、私たち自由に委ねられています

結論

ユダヤ教では、自由意志人間本質の一部であり、それによって私たち倫理的に行動する責任を負っています

選択の自由があるからこそ、善を選ぶことに価値があり、teshuvah(悔い改め)によって過ちを正すことができます

自由意志は祝福であり、同時に試練でもあります

したがって、「選択肢がある」ということは、人生において非常にユダヤ的な考え方なのです!

2025-04-02

悪い運命を変えるには?

禅の「言葉食事を変えれば天禄(運命)を書き換えられる」という考え方は、ユダヤ教の教えとも共鳴する部分があります

1. 言葉(דיבור / Dibur)とユダヤ教

ユダヤ教では、言葉の力は非常に重要です。創世記では、「וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים, יְהִי אוֹר」(Vayomer Elohim, Yehi Or)「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(創世記 1:3)とあるように、言葉のもの創造の力があります

また、「 לשון הרע (Lashon Hara)」 他人を傷つける悪口誹謗中傷は、ユダヤ教では非常に重い罪とされています。逆に、「トーラーを学び、善い言葉を使うことで、自分人生や周りの世界を良い方向に変えることができる」という考えは、禅の教えと似ています

2. 食事(כשרות / Kashrut)とユダヤ教

ユダヤ教の食の戒律(カシュルート)は、単に「清潔な食べ物を食べる」以上の意味があります。何を食べるかは、魂や精神状態に影響を与えると考えられています。たとえば、「豚や貝などの不浄な食べ物を避け、適切に屠られた動物を食べることで、霊的な純粋さを保つ」というのがユダヤの考え方です。

また、「העולם נברא בשביל תורה」「世界トーラーのために創られた」(タルムード, サンヘドリン 99b)という言葉のように、ユダヤ食事も単なる栄養摂取ではなく、神への奉仕自己成長の一環と考えられます

3. 運命(גזירה / Gezeira)とユダヤ教

禅の「天禄」は、運命天命に近い概念ですね。ユダヤ教にも「גזירה(Gezeira)」「神の定めた運命」という考えがありますが、同時に「自由意志(בחירה חופשית / Bechira Chofshit)」も大事にされます

まり運命は決まっている部分もあるが、私たちの行動や努力次第で変えることもできる、というバランスが大切なのです。

たとえば、タルムードRosh Hashanah 16b)には、「悔い改め(תשובה / Teshuva)、祈り(תפילה / Tefillah)、善行(צדקה / Tzedakah)は、悪い運命を変えることができる」とあります。これも、禅の教えと通じる部分があるでしょう。

結論ユダヤ観点から見た禅の教え

禅の「言葉食事を変えれば運命を書き換えられる」という考え方は、ユダヤ教の「善い言葉を話し、清らかな食べ物を選び、善行を積めば、人生をより良い方向に導くことができる」という思想とよく似ています

もちろん、ユダヤ教では「神の意思(רצון ה׳ / Ratzon Hashem)」が最終的な決定権を持ちますが、その中でも私たちの行動が未来に影響を与える、という点では一致していますね。

言葉食事も、魂を磨くための大事な道具。だからこそ、日々の選択を大切にすることが、ユダヤ教でも禅でも「よりよい人生」への鍵になるのです。

שָׁלוֹם (シャローム)! 😊

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