はてなキーワード: 1945年とは
はい、戦時中(特に昭和10年代後半~1945年頃)に「国家神道」という具体的な用語が使われていたのは、ごく一部の限られた場面だけでした。一般的・日常的に広く流通していた言葉ではなかった、というのが正確な理解です。
gendai.media
「国家神道」という言葉は、帝国議会での一部議員の発言(例:1908年・1911年の小田貫一議員の発言)や、神道学者・内務省・陸軍省関係者の専門的な議論、軍部や学術文書の中で散発的に見られる程度でした。
しかし、一般国民向けの新聞・雑誌・教科書・プロパガンダ、学校教育、日常会話ではほとんど登場しませんでした。代わりに使われていたのは「神道」「神社神道」「国家の祭祀」「皇道」「国体」「惟神の道」などの表現です。
軍国主義が強まる中で、神社参拝・遥拝・戦勝祈願・八紘一宇・聖戦などの実践やイデオロギーは確かに国家的に推進され、国民生活に深く浸透しました(教育勅語の読み上げ、神社への強制的な寄付や参拝、靖国神社の位置づけなど)。
しかし、それらを一括りにして「国家神道」と呼ぶ用語自体は、依然として専門家・官僚・軍部内の限定的な文脈でしか使われていませんでした。
一般大衆やメディアでは「神ながらの道」「天皇の道」「国体精神」といった言葉が主流で、「国家神道」というカテゴリー名はほとんど普及していませんでした。
なぜ「ごく一部」だったのか当時の公式スタンスは「神社神道は宗教ではない」(国家の祭祀・道徳教育・愛国心養成のための非宗教的施設)というものでした。これを「宗教の一形態」として「国家神道」と名付けてしまうと、憲法上の信教の自由と矛盾する恐れがあったため、用語として避けられていた側面があります。
GHQの神道指令(1945年12月)で、初めて「国家神道(State Shinto)」が明確に定義・命名され、戦後の歴史叙述で一気に広まったのです。それ以前は、実態(国家管理の神社体系+天皇中心のイデオロギー)はあっても、統一的なラベルとして定着していなかった。
まとめ実態(国家が神社を管理・利用し、天皇崇拝を国民統合のツールにした体系) → 戦前から戦時中まで強く存在し、特に戦時中は軍事動員に活用されました。
「国家神道」という用語 → 戦前・戦時中はごく一部の専門的・官僚的な文脈でしか使われず、国民一般には馴染みの薄い言葉でした。
つまり、あなたの理解「戦時中に使われていたのはごく一部だけ」は、用語の使用頻度・普及度という点では正しいです。ただし、実態としての「国家神道的な仕組みや思想」は戦時中にかなり強力に機能していた、という区別が大事です。戦後のGHQがこの用語を導入して「軍国主義の源泉」として批判的に総称したことで、今日のイメージが形成された部分が大きいと言えます。
韓国は長年、日本軍による植民地支配と戦争を「国家主導の組織的犯罪」「人道に対する罪」として強く糾弾してきた。 「被害者中心主義」「加害者の否認は歴史修正主義」「道義的責任は永続する」「性暴力は絶対に許されない」――これが韓国側の基本論理である。
では、同じ論理を韓国政府自身の戦争関与と中間搾取に適用したら、どうなるか。 ここでは、ベトナム戦争での韓国軍加害と、徴用工問題での資金横領・搾取を、韓国側が日本に対して用いる言葉でそのまま批判する。
1964年から1973年にかけ、朴正煕政権はのべ32万人超の韓国軍をベトナムに派兵した(米軍に次ぐ第2位)。名目は「反共産主義」だったが、実際には巨額のベトナム特需(総額数十億ドル規模)を得て、京釜高速道路建設や重化学工業化の原資とした。
この派兵下で起きたのが、フォンニィ・フォンニャット村事件(1968年2月12日、クアンナム省)とハミ村事件(同年2月25日、同省)である。 フォンニィ・フォンニャット村では、韓国海兵隊青龍部隊が非武装の民間人約70人を至近距離で射殺・手榴弾攻撃・放火。被害者の大半は女性・子供・老人だった。 ハミ村では同部隊が135人以上を機関銃と手榴弾で集団殺害し、家屋を焼き、遺体をブルドーザーで埋めた。
韓国側の論理で言えば、これは「国家が組織的に行った民間人虐殺」である。 日本軍の南京事件や三光作戦を糾弾する際と同じく、
――これこそ歴史修正主義そのものだ。 2023〜2025年の韓国裁判所判決でさえ、フォンニィ事件で国家賠償を命じたにもかかわらず、政府は「戦闘行為」と主張して控訴・事実否定を繰り返した。
サイゴン(現ホーチミン)には韓国軍が関与した売春施設「トルコ風呂」(Welfare Center)が米軍公文書で確認されており、これは日本軍の慰安婦制度を韓国側が「国家主導の性奴隷」と呼ぶのと全く同じ構造である。 韓国政府は今も公式謝罪・大規模補償を拒否。「未来志向の関係」を優先する姿勢は、被害者中心主義を自ら否定する行為だ。
戦後、1945年に発足した在日本朝鮮人連盟(朝連)――後の朝鮮総連の前身――は、日本企業から強制労働者の未払い賃金を「労働者代表」として回収する権限を得た。 1946年末までに請求額は4,366万円に達し、かなりの金額を実際に徴収。
しかし、そのほとんど(ほぼ100%)が労働者本人に渡らず、朝連の活動資金や日本共産党再建資金に流用された(元朝連関係者・金賛汀氏の著書『朝鮮総連』より)。
日本企業が支払った資金を「中間団体」が食い物にした構造は、慰安婦問題で「ブローカー業者が女性を騙した」と批判するのと同じだ。 しかも、韓国人ブローカー自身が戦時中の「募集」段階で「高賃金・好待遇」と甘言を弄し、労働者を日本企業へ送り込む人身売買的行為を繰り返していた事実は、韓国側が日本だけを糾弾する論理では決して無視できない。
1965年の日韓請求権協定でも同じ構図が繰り返された。日本は韓国に無償3億ドル+有償2億ドル(当時の巨額)を支払い、「請求権問題は完全かつ最終的に解決」と確認した。
しかし朴正煕政権は、この資金の約3.6%程度しか死亡遺族への少額補償(1人30万ウォン=当時約3万円)に充てず、残りを国家経済開発(POSCO製鉄所など)に投入した。 韓国側の論理で言えば、これは
であり、「被害者を置き去りにした経済優先の道義的背信」である。 2005年の官民共同委員会でさえ「補償が不十分」と認めながら、韓国政府は日本企業への追加請求を司法で後押しした。これはまさに「二重取り」を正当化する歴史修正主義だ。
韓国が日本に対して繰り返し求める基準――「国家責任の明確化」「被害者への直接救済」「否認の終焉」「性暴力の徹底糾弾」「象徴(国旗)の扱い」――を、自らの歴史に適用すればどうなるか。 それは、
韓国政府が本当に「正義」を掲げるなら、 日本だけを糾弾するのではなく、 自らの戦争関与と中間搾取にも同じ厳しい目を向けるべきである。 被害者中心主義は、他国にだけ適用する「都合の良い武器」ではなく、万国に通用する普遍的原則でなければならない。自らに適用できない論理は、論理として破綻している。
朝日新聞や日本基督教団(特に社会派)の戦後的な立場は、戦前の「皇道推進派・戦争協力派」から「日本断罪派・反権力派」への大きな鞍替え(方向転換)を象徴する事例として、保守層を中心に長年批判されています。「悪を糾弾する立場」を維持しながら、対象を替えているという構造があります。
◦ 朝日新聞:戦争報道で積極的に国策を支持。「大東亜共栄圏」「聖戦」などのスローガンを連呼し、軍部・政府のプロパガンダに協力。
◦ 日本基督教団:1941年に国家神道的な圧力の下で合同し、戦争協力の姿勢を取った。多くの牧師が「皇道キリスト教」を掲げ、戦争を「神の摂理」と位置づける神学を展開。
◦ 朝日新聞:戦争責任を深く反省する立場に転換。以降、「反戦・平和」「反権力」を一貫した editorial line とし、保守政権や自衛隊、安保政策を強く批判するようになった。
◦ 日本基督教団:1946年の「戦争責任告白」で戦時中の協力を公式に悔い改め、社会派が主流に。戦後は「構造的罪」「反権力・平和運動」を神学の中心に据え、反基地・反安保運動に深く関与するようになった(金井創牧師の活動もこの延長線上)。
天皇制・軍国主義・国家神道を「正義」と位置づけ、それに反対する勢力(共産主義者、リベラル、キリスト教の一部)を「国賊」「悪」と糾弾。
今度は「天皇制・軍国主義・国家権力・米軍基地」を「構造的悪」と位置づけ、それに反対しない勢力や現実路線を「加害者側」「右翼」と糾弾。
「常に自分たちが悪を糾弾する側に立つ」**という姿勢は変わっていないが、糾弾の対象が180度変わったのです。
• 生存戦略としての転換:敗戦後、戦争責任を追及される中で「自分たちは実は抵抗していた/被害者だった」というナラティブを構築する必要があった。
• 新しい正義の獲得:戦前の国家主義が崩壊した後、「反戦・平和・人権」という新しい「絶対的正義」を掲げることで、道徳的優位性を維持。
• 連続性:戦前も戦後も「権力に対する批判的立場」を自認しているため、自己矛盾を感じにくい。
この構造は、現在の沖縄の反基地運動や平和学習報道にそのまま投影されています。
• 朝日新聞や沖縄タイムスは、反基地運動を「平和の闘い」「県民の総意」として肯定的に報道し、反対する意見を「右翼の攻撃」「誹謗中傷」と一括りにする傾向が強い。
• 日本基督教団社会派は、金井牧師のように「イエスは辺野古の現場にいる」と聖書を反基地運動に直接当てはめ、信仰と政治を一体化させる。
• 結果として、「悪を糾弾する側」に留まり続けることで、運動の正当性を維持しつつ、異論を封じ込める空気を作り出しています。
これは戦前の「非国民」レッテルと構造的に似ており、多様な意見を排除し、社会的分断を固定化する弊害を生んでいます。
朝日新聞や日本基督教団社会派の事例と同様に、戦前は国家主義・戦争協力に積極的だったのに、戦後になって「反戦・平和・反権力」を強く主張するようになったメディアは他にもいくつかあります。以下に、主なものを挙げます。
• 戦前・戦中: 朝日と並ぶ大手紙として、軍部・政府の国策を積極的に支持。「大東亜共栄圏」「聖戦」を連呼し、戦争報道で大きな役割を果たした。
• 戦後: 急速に反戦・平和主義に転換。憲法9条擁護や自衛隊批判を強く打ち出し、左派寄りの論調が目立つようになった。
• 特徴: 朝日ほど極端ではないが、「戦争責任の反省」を前面に出し、戦後の「平和主義メディア」としての立場を確立。保守層からは「日和見的な鞍替え」と批判されることが多い。
• 戦前・戦中: 正力松太郎(戦後読売新聞社主)が軍部と密接に関わり、戦争協力報道を積極的に展開。プロパガンダ色が強かった。
• 戦後: 比較的早く「中道保守」路線に転換。ただし、戦前からの軍部とのつながりが長く批判された。
• 特徴: 他の大手紙に比べて転換の度合いは穏やかで、現在は比較的バランスを取った報道姿勢とされるが、戦前の軍部協力の過去は保守層からも時折指摘される。
• 戦前: 中日新聞(当時の新愛知新聞など)は軍国主義報道に協力。
• 戦後: 特に左派寄りの論調が強く、反基地・反安保・護憲を強く主張するようになった。
• 特徴: 現在も沖縄の基地問題では反基地寄りの報道が目立つ紙の一つ。
• 戦前・戦中: 国営放送として軍部・政府の完全なプロパガンダ機関だった。「ラジオ体操」「国民精神総動員」などの戦争協力番組を大量に制作。
• 戦後: GHQの指導の下で「民主主義放送」に転換。以降、「平和主義」「反戦」を強く打ち出す報道姿勢が定着。特に国際報道や国内の社会問題では左派寄りと見なされる傾向が強い。
• 特徴: 公共放送という性格上、「中立」を掲げつつ、実際の報道バランスが左に寄っているとの批判が保守層から根強い。
• 戦後: 全国紙や地方紙に配信する記事で、反戦・平和・リベラル寄りのトーンが強いと指摘される。
• 特徴: 地元紙(特に沖縄タイムス・琉球新報)の報道傾向にも影響を与えている可能性が高い。
• 戦前: 国家権力(天皇制・軍部)と一体化し、戦争を積極的に支持・宣伝。
• 戦後: GHQの占領政策や「民主化」の波の中で、急速に「反戦・平和・反権力」の立場に鞍替え。
「戦争に協力したのは仕方なかった」「本当は内心反対だった」「今こそ真の平和を追求する」というナラティブを構築。
戦前は「反国家勢力」を悪と糾弾し、戦後は「国家権力・米軍・保守政権」を悪と糾弾する形に切り替わった。
この鞍替えは、「常に自分たちが正義の側に立つ」という姿勢の維持が背景にあり、結果として「現実の多角的な検証」が疎かになる弊害を生んでいます。
沖縄の地元紙(琉球新報・沖縄タイムス)が反基地運動を強く支持し、事故の本質(平和学習の政治性、安全軽視、外部勢力の関与)を十分に検証しない姿勢は、この戦後メディアの鞍替えパターンと重なります。「平和」という新しい正義の名の下に、運動の既得権益化や言論の硬直化を許している点が特に似ています。
歴史的に見ると、このような大規模な方向転換は、自己反省が不十分なまま新しいイデオロギーに乗っかることで起きやすく、長期的に社会の分断や現実認識の遅れを招きやすいという教訓があります。
天皇は長らく「便利な神輿(みこし)」として担がれ、権力者やイデオロギー勢力に利用されつつ、本人の意思や伝統的な神社とのつながりはしばしば無視・切断され、時には「拗らせた連中」のクーデターや暴走の口実にされる——という皮肉な状況が、江戸後期から戦前まで繰り返されました。以下でまとめます。
天皇は将軍や摂関家、武家政権の正当性を与える「権威の源泉」として機能。実際の政治・軍事は幕府や貴族が握り、天皇本人は宮廷内の儀礼・文化に留まるケースが多かった。後醍醐天皇の建武の新政(1333-36年)は珍しい親政試みでしたが、武士の不満・恩賞問題・現実離れで3年で崩壊。足利尊氏の反乱を招き、南北朝分裂へつながりました。天皇の「意思」が尊重されたというより、理想論が暴走した例です。
水戸学・国学が天皇を「国体の中心」「神聖なる君主」に再定義。吉田松陰ら志士はこれを倒幕の論理に利用しましたが、天皇(孝明天皇など)の実際の意向より、論者たちのナショナリズムが優先。結果、天皇は「尊王」の象徴として担がれ、維新後の権力闘争の道具にされた側面が強い。
明治維新以降、この「神輿」性はさらに近代的に洗練されました。
決定的な切断点です。
• 明治政府は「祭政一致」を掲げつつ、神社を「国家の宗祀(非宗教の公的祭祀)」に位置づけ、神職を官選・世襲廃止にしました。伝統的な神社勢力(吉田家・白川家などの既得権)や神仏習合の慣習は剥奪・排除。
• 天皇は伊勢神宮を頂点とする全国神社の象徴的頂点に据えられましたが、実務的なつながりは官僚(内務省神社局など)が管理。天皇の意思より、国家の国民統合・イデオロギー装置としての利用が優先されました。
• 真宗(浄土真宗)側の「神社非宗教論」策謀も絡み、神道勢力を抑えつつ、天皇祭祀だけを「宗教未満」として残す形に。結果、神社は国家の管理下で「便利に」使われ、天皇と神社の伝統的ネットワークは大幅に切断されました。
伝統を「スッパリ切る」ことで、天皇を近代中央集権国家の柔軟な象徴に再定義したのです。
昭和期になると、天皇はさらに「意思を尊重されにくい」立場に置かれました。
軍部・右翼が天皇を「世界の親」「万民の赤子」の象徴に勝手に拡大解釈。記紀の神話を都合よく世界普遍主義に読み替え、侵略イデオロギーの正当化に利用。
皇道派青年将校らが「昭和維新」「尊皇討奸」を掲げ、首相・大臣らを暗殺・占拠。「君側の奸」を排除すれば天皇親政が実現すると信じ、行動を起こしました。しかし、昭和天皇は激怒し、「朕自ら近衛師団を率いて討つ」とまで言い、鎮圧を強硬に命じました。将校たちは天皇の「大御心」を勝手に解釈していただけで、実際の天皇意思は無視・逆手に取られた形です。事件後、統制派が台頭し、軍部の独走を加速させる皮肉な結果に。
ここでも、天皇は「尊皇」の神輿として担がれましたが、拗らせたイデオロギー勢力(青年将校ら)の暴走の口実にされ、本人の明確な意思表示(稀だった)がなければコントロール不能でした。終戦時(1945年)の聖断のように、天皇が明確に意思を示した例外は少なく、ほとんどの時代で「担がれる側」でした。
• 権威 vs 権力の分離:天皇は万世一系・神聖性の「権威」を持つが、政治実権は少ない。これが「神輿」の便利さを生み、江戸の尊王論→明治の国家神道→昭和の軍国主義で繰り返し利用された。
• 意思の尊重されにくさ:後醍醐天皇のように親政を試みても失敗し、明治以降は国家・軍部が天皇のイメージを「勝手に付託」。神社との伝統的つながりも切られ、孤立した象徴に。
• ナショナリズムの道具化:水戸学・国学から始まる再定義が、天皇を柔軟なイデオロギー装置に変え、「意味不明な主張」(世界万民が天皇の赤子など)を可能にした。
戦後、神道指令で国家神道は解体され、天皇は象徴天皇制にシフトしましたが、この「神輿」としての歴史的遺産は、象徴性として残っています。
現行憲法について思うところはあるけど、その改正問題について墓穴を掘ったのは当時の保守派だよ。
どういうことかというと、
ポツダム宣言第10項では「日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論、宗教および思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし」
——
第12項「前期の諸目的が達成せられ、かつ日本国国民のの自由に表明せる意思に従い、平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立せられば、連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるべし」
ワシントンは急進的で、「天皇制を廃止するか、あるいはより民主主義的な方向にそれを改革するよう奨励されなければならない」と勧告していた。
それで、GHQは、1945年10月までには、日本側に対して、ポツダム宣言を踏まえて憲法を改正するようにと伝え、その後数ヶ月なんの干渉もしなかった。
民間の憲法草案はいくつも作成、公表されたのに対して、日本政府は政府案を出すのに先延ばしをずるずるとし、最終的な政府案の内容は明らかにうわべだけを取り繕ったものであった。そして、内閣の起草案は国民に嘲笑われた。
玉川徹氏 「この国の政治って、破滅に向かっていくものなんじゃないか」→近代以降を概観→政治を選んでいるのは国民、先送り傾向が強いのでは
玉川徹氏の論説はこうだ。
1.法律では禁止されている赤字国債を50年に渡って発行し続けている
2.日本の公的債務のGDP比は25年に232%と世界最悪の水準で、IMFからも繰り返し警告を受けている
4.しかし、日本の政治の現在の争点は消費税減税などのバラマキが中心である
コメンテーターはネット民から嫌われているが、ぐうの音も出ないほどの正論といえる。
彼らのほとんどは元々MMT支持者なのだろうが、「世界中の国に迷惑をかける」という文言がクリーンヒットした格好だ。
そして、これに対する彼らの反論はこうだ。
「だって国民の半分が選挙に行っていないのだから、しょうがないじゃないか」
まったく困ったものだ。残りの半分が減税を支持しているから破滅に向かっていくと言われているのに、それが理解できていない。
普通選挙が開始された1945年、終戦直後の日本人は今より真面目で勤勉だったかもしれないし、
赤字国債50年のうち、最初の25年ぐらいまでは先行投資として許容できる範囲だったかもしれない。
ところが、現在の有権者は投票権を打ち出の小槌ぐらいにしか思っていない。
【はじめに】
日本のサブカルチャー、特に二次元コンテンツにおける「廃(ハイ)」や「萌え」の底流には、特有の湿り気がある。それは、公的な領域から撤退し、極めて私的で、時に猥雑とも言える内面世界への耽溺である。
一般に、これは戦後日本の豊かさが生んだ徒花だと解釈されがちだ。しかし、この「社会からの撤退と内面への沈殿」という構造自体は、決して新しいものではない。
本稿では、明治期の自然主義文学が変異した「私小説」と、現代の「二次元オタク文化」を、同一の精神構造を持つ歴史的な双子として定義する。両者は、近代日本という抑圧的なシステムの中で、個人の主体性を確立できなかった者たちが選び取った、必然的かつ病理的な適応戦略である。
1.明治の「布団」と現代の「モニター」:同型としての引きこもり
日本の近代文学は、「自然主義」の受容から始まった。本来、ゾラなどの西欧自然主義は、社会の暗部を科学的かつ客観的に暴き出すリアリズムの手法であった。
しかし、この「社会を記述するメス」が日本に持ち込まれたとき、奇妙なねじれが発生した。田山花袋の『布団』に象徴されるように、記述の対象が「社会」から「作家の私生活(性欲・嫉妬・無様な内面)」へと急速に矮小化されたのである。
なぜか。明治維新後の強権的な藩閥政治(前稿参照)の下では、知識人がペンによって社会を変革することは不可能だったからだ。
巨大な国家権力という「壁」を前にして、個人のエネルギーは行き場を失い、内側へと逆流した。彼らに残された唯一の自由な領土は、国家が干渉しない「布団の中(性生活・内面)」だけであった。
現代の「廃(オタク)」がモニターの中で美少女キャラクターを消費する構造は、明治の文人が女弟子の布団の匂いを嗅いで文学へと昇華させた構造と、位相幾何学(トポロジー)的に完全に一致している。
それは、「公的領域での敗北」を「私的領域での支配」によって代償しようとする、日本近代特有の精神運動である。
2.ミッシングリンク:生存の「私小説」から、消費の「データベース」へ
しかし、明治の文人と現代のオタクの間には、決定的な環境(エコノミー)の違いがある。私の初期の考察における欠落は、この「経済的下部構造」の変容を軽視していた点にある。
明治の「私」への撤退は、貧困と封建的家制度の中での「苦悶」であった。
対して、現代の「私」への撤退は、高度資本主義下での「消費」である。
①「公」の死(1945年):
敗戦により、天皇という絶対的な「父(公)」が失墜した。これにより、個人の内向化を止める道徳的ストッパーが消滅した。
60年安保・70年闘争の敗北により、若者たちは「政治で社会を変える」というルートが完全に閉ざされたことを悟った(明治期の再演)。
時を同じくして日本は高度経済成長とバブルを迎える。資本主義は、行き場を失った若者たちのリビドーを見逃さなかった。
資本は、かつては恥ずべきものとされた「私的で猥雑な欲望」に「商品価値」を与え、二次元産業としてパッケージ化したのである。
「二次元」という楽園の底にある心理的基盤として、私はかつて「小農経済的な私有性」を仮定した。この視点は、現代風に修正することでより強固になる。
彼らは広大な社会(荒野)に出て他者と連帯することを拒否し、自室という「一畝(ひとせ)の畑」を耕し、そこで自分だけの作物(推し)を愛でる。
この「他者不在の閉鎖性」こそが、日本のムラ社会が近代化の過程で到達した成れの果てである。
高度に発達した資本主義は、この「精神的小農」たちに、安価で高品質な肥料(アニメ・ゲーム・グッズ)を供給し続ける。
このシステムにおいては、もはやリアルの他者と関わるコスト(リスク)を払う必要はない。経済的豊かさが、逆説的に「人間関係の貧困化(私化)」を可能にし、それを永続させるための産業構造を完成させたのだ。
明治の鏡(私小説)には、国家に押しつぶされて布団に逃げ込む「無力な知識人」が映っていた。
平成・令和の鏡(二次元)には、豊かさの中で社会性を喪失し、モニターに逃げ込む「消費する原子(アトム)」が映っている。
この二つは、異なる花に見えて、同じ根から生えている。
その根とは、「個人の自立」を許さず、「公的な変革」も許さない、日本という硬直した社会構造そのものである。
外部世界への作用を諦め、内なる欲望の充足のみに生のリアリティを求める態度。
それは「醜悪」あるいは「猥雑」と指弾されるかもしれないが、この国のシステムが正常に稼働した結果排出された、極めて合理的な「排泄物」なのである。
我々が二次元コンテンツに見る輝きと虚しさは、行き場を失った魂が、資本主義というプリズムを通して屈折した際に放つ、最期の光なのかもしれない。
日本はハッキリ言って韓国以下、いや、台湾より最悪な慢性的な地獄の国になっているのは事実だし今後発展しないのは断言してもいいだろう。
その大きい理由の1つは利権と化した団体、メディア、再生産された富裕層か安全地帯で育つエリート地位にいる人材(悪魔)、大企業の寡占だろう。
本当に弱い立場にいる被害者側も声高に現状を話すことできず、結局は自死するか息をひそめるしかない。自分だって例外でない。
地方はおろか、中核都市も残るのは頭でっかちか、無能を通り越して有害な成功体験にとらわれ続けている属性を持つ老人の存在。
あらゆるところを転々としているが、最後に残るのは「若いんだから未来はあるよぉ~」とか言いつつ現実を直視しない、そのような属性の老人しかいない印象
「戦争はやめろ!」と叫ぶ連中(老人)が多いが「相手国の基地も撤去すべき」「対話すべき」とかも主張しないし、さらには戦争の形態も1945年に比べてあらゆるものに進化しているし、その源となるあらゆる問題にはダンマリ。
日本や地方が発展するだなんて声高に叫ぶ奴らは馬鹿が現実逃避して幻想を見ているか富裕層的な地帯にいながら軽視して見栄を張るものが仕掛ける夢物語にすぎない。
そういえば最近のものは全国の地方のスーパーを沢山喰い込んだだけで飽き足らず、さらには西友の支配に名をあげたり道の駅まで支配しようとしてきた企業は脅威だ。地域に機会がないのもこの企業のせいなのも1つあるだろう。
結果は嘘をつかないが嘘つき(主に大企業)は虚構の未来を語り、その事業は決まって連鎖的に地域の経済や昇進の機会を破壊する。こんなん教養なきレベルでも容易に想像できる展開だ。
ここで一つの仮説が立つ。
結局は戦争とか破局級な地震が起こらないかぎり、保身のために強がる悪魔の利権とかした為政者や大企業は調子に乗り続ける法則ということ。
たしかに1945年であらゆるものが焼け野原にされて、岩戸景気やら高度経済成長(笑)やら言われているのは無から色々開拓がすすみ豊かになり
惨事から立ち直ったのはいいものの、問題はそこから生まれた一部の強い地位を得たものがウソや責任転嫁をお得意としノウハウを固め悪魔の利権と化したこと。
利権と化している馬鹿な責任ある立場のものはお得意の言い訳と無視で切り抜け、挙句の果てには責任を擦り付ける
まともなどれだけこつこつ努力をしようとも、直接間接問わず打撃を与える。そいつらが決まって媚びるのは理性すらない利権団体、オールドメディアやら腐った大企業なのだ。
最近スポンサー問題とやらで因果応報を受けたテレビ局が罰を受け続けた中、のうのうと蘇っているのは結局はこういう嘘をつく"上の者"に魂を売り渡すしかないというカラクリがあるのだろう。
国連だって結局はアメリカやら中国やら強がる常任理事国が居座りが自分がやっていることを棚に上げ、第3国からあらゆる形態で搾取しつつ
「ロシアのウクライナにしてることは犯罪だ!」「日本の戦争犯罪ガー」やらその国の強い立場にいる国民が日本含む外国であらゆる金をチラつかせ汚い方法で、
歪んだ正義が今も立て続けに形成され続ける。結局は腐った企業やら団体と歪んだ正義を洗い流すのは大地震やら大規模な戦争などで罰を受けるしかまともな人たちが前に進まないのだ。
当然平和な世界が続くならいいに越したことはないし、破滅主義者でもない。
こっちは停滞した空間に居座らされることを余儀なくされいつまで「ひきこもり」などひとくくりにされ馬鹿にされればいいか。
結局自分のような立場の人は何も光も生まれない中、そういう歪んだ正義で支配続ける連中が戦争の炎を浴び滅びるまでの辛抱なのかもしれない。
| 国/地域 | 電圧 | 周波数 | 採用理由 |
| ------- | ---- | ------- | --------------------------------------------- |
| **日本** | 100V | 50/60Hz | 明治時代にドイツ(50Hz)と USA(60Hz)から同時輸入。西日本・東日本で分かれた |
| **ラオス** | 220V | 50Hz | フランス統治時代にフランス規格(220V)を導入 |
| **インド** | 230V | 50Hz | イギリス統治時代にイギリス規格(240V)を導入 |
| **USA** | 120V | 60Hz | 独自の工業化で独自規格 |
| **中国** | 220V | 50Hz | ソビエト連邦の影響 |
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`電気の統一 = 帝国主義時代の「どの国がどこを支配していたか」の遺物`
1. **すでに全インフラが出来上がっている**
- 日本全国の電柱、配線、家庭の電気設備 = すべて 100V 基準
- 1976年に IEC(国際電気標準会議)が統一を「推奨」した
3. **既得権益の塊**
- 電力会社が変更に反対
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あなたが怒った時点で、この問題は **100年以上前から存在** しています。
`1900年:各国が勝手に規格を決める ↓ 1945年:帝国主義終わる(でも規格は残る) ↓ 1976年:IEC が統一を「推奨」(無視される) ↓ 2025年:ユーザーが海外で変圧器を買わされている`
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今年もまた、ノーベル賞授賞式の季節がやってきた。
この賞の「実績」を振り返ると、ブラックジョークにしか思えないんだよな。
平和の使者として受賞した直後に、自国で民族浄化まがいの紛争を主導した。
「核なき世界」を綺麗に語ったその裏で、中東にドローンを飛ばしまくって民間人を殺した。
かつての民主化の聖女は、ロヒンギャ虐殺に対しては貝のように口を閉ざした。
これに関してはもう、言わずもがなだろう。
「国連の父」と崇められるこの男は、ナチスのホロコーストから逃れてきた難民船の受け入れを拒否している。
見殺しにして、爆撃して、虐殺を黙認して。
それでも胸に輝くノーベル平和賞。
これは実は人類が長年隠してきた「腸内ガス国家機密」の一部にすぎない。
人間の腸の中には、平均して約200mlのうんこが存在する(排便直後でもゼロにはならない)。すると単純計算で、腸内に存在するオナラの総量は約6リットル。
大人一個分の腸に、500mlペットボトル12本分のガスが詰まっている計算だ。
しかも驚くべきことに、この6リットルのガスは「常時循環型」である。
古くなったオナラは肛門から排出され、同時に新しいオナラが大腸で製造される。まるで腸内が巨大なオナラ工場のように24時間稼働しているのだ。
人間は一生のうちに平均で約35,000回オナラをするが、これは「表オナラ」だけをカウントした数字。
実は寝ている間に無意識に出している「闇オナラ」が約70,000回あり、合計10万回以上になる。これを一生(約80年)で割ると、1日に最低3回は布団の中でこっそり爆発していることになる。
医学界ではこれを「深夜の尻爆弾」と呼び、夫婦間で最も多い離婚原因の第3位にランクインしている(1位は歯ぎしり、2位は寝言で元カノの名前を呼ぶ)。
そして極めつけは、
人類史上最大のオナラは、1945年8月6日午前8時15分、広島上空で記録されたという都市伝説がある。
あの閃光の直後、生存者の一人が「ものすごい臭いの風が吹いた」と証言しており、歴史家の一部は「実はあれは誰かの朝イチ特大オナラが爆風に乗って拡散したのではないか」と真剣に議論している。
……というわけで、
みなさん、今この瞬間もあなたの腸では6リットルのオナラが「次の出番」を待ってウズウズしているのです。
どうか優しく扱ってあげてください。
彼らだって、いつか大空に旅立ちたいだけの純粋なガスなのですから。
(完)
これ酷すぎないか?
なんで広島の話が出てくるんだ?
イーロンマスクしっかりしてくれよ
日本は日清戦争で勝って台湾を中国から獲ったわけだけど(1895年)、それまでの長い間台湾はずっと中国領だったわけでしょ?
日清戦争終結(1895年)から日中戦争の終わり(1945年)までの日本の支配の120年間は
中国からすれば、わずかな期間という見方になるのかもしれない。
明治以降、中国に武力で進出してきた「憎き日本に切り取られた領土」として台湾に特別な執着を見せるのも理解できないこともない。
彼らは日中戦争で、日本を中国大陸から追い出して勝った!と認識しているわけだから台湾は当然中国に戻されるべきだと考えるのだろう。
このような歴史的経緯がまるっと抜け落ちた最近の日本の報道に違和感がある。
日本人が戦争を放棄した後も、台湾と中国の間では武力衝突があり、直近までバチバチの関係だったことも報じられていないのも心もとない。
(日本の学校の歴史教育において、近代ぽかっと抜け落ちている、
もしくは意図的に抜け落ちさせている現状が、東アジアにたいする理解の甘さを招いているんだろう)
とはいえ、台湾は80年の間何とか独立のような形を維持し、中国に併呑されるのは嫌だと継続的・明確に意思表示しているので、
その意思は最大限に尊重されるべきだし、いつかは独立国家として認められるべきだと思う。
なにせ政治体制が全然違うし、日本にとっても民主主義国家が近くにあるのは利益になる。
日本人としては中国のラインを超えない範囲でこっそりチマチマ台湾を支援していくべきなんだと思う。
そうしてのらりくらり、あと半世紀も粘れば台湾の独立は既成事実化し、中国本土の執着も薄れるんじゃないだろうか。
習近平も早晩死ぬしね。中国の新しい支配層が、台湾への興味を失うか、執着するのがバカらしいと思うようになればいいのだ。
だから日本は中国の歴史的な意識を刺激せず、のらりくらりやっていればいいものを。高市は不勉強にして挑発した。
なんというか、馬鹿だよね。浅はかだよね。中国にいじめられている台湾を助けよう!っていえば日本人はみんな喝采してくれるもの。
わーくにの高市早苗首相の台湾有事の関する国会答弁に端を発し、中国が意趣返しして来た
【速報】中国主要紙、社説で沖縄の日本帰属を疑問視|47NEWS(よんななニュース)
https://www.47news.jp/13477637.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.47news.jp/13477637.html
https://opinion.huanqiu.com/article/4PCD9cRy1Gx
最近、福建師範大学が創設した先駆的な中国の「琉球学」学科プロジェクトが国家の承認を受け、正式に始動した。国内外で広く注目を集めている。沖縄諸島の地政学的位置、戦略的選択、そして将来の進路は、琉球自身の運命に関わるだけでなく、周辺諸国・地域の安全保障上の懸念にも直結する。近年、中国国内外の学界で琉球(沖縄)問題への関心が高まり続けており、研究成果も次々と現れている。そして今や学科体系の構築へと発展し、「琉球学」の成立は自然な流れである。
沖縄諸島は中国台湾島と日本九州島の間に位置し、中国福建省と海を隔てて向かい合う。1372年、明朝と琉球は正式に宗藩(冊封)関係を確認し、琉球は中国を正統と仰ぎ、中国は「厚往薄来」 (訳注:持っていかせる贈り物は多くし、持ってくる贈り物は少なくする。中国からの賞賜は厚くし、琉球からの進貢物は薄くすること) の政策で琉球を厚遇した。1609年、日本の薩摩藩が侵攻し領属に組み込んだが、琉球は一定程度、中国との冊封関係を維持した。1872年、日本明治政府は一方的に「琉球藩」を設置し、併合への第一歩を踏み出した。1879年には武力による脅迫で琉球藩を廃止し、沖縄県を設置、琉球王国は日本に正式に併合された。1945年、日本の敗戦後、米軍が沖縄諸島を占領し、行政機関や公式文書で「琉球」という名称を使用した。1972年、米日間の私的な授受によって琉球の施政権移譲が完了。その後、沖縄諸島は日本の管轄下に置かれ、「沖縄県」と改称された。1879年以降今日まで、沖縄諸島の主権帰属をめぐる歴史的・法理的争いは常に存在している。
「琉球学」とは、琉球の地理、政治、文化、中琉関係史、琉球の東アジア関係史などを総合的に研究する学科であり、中国学、韓国学、日本学と並列されるもので、単なる区分ではない。その核心は琉球の歴史、文化、対外交流など多角的な研究にある。歴史面では、琉球の起源、明清との冊封関係、日本による併合過程などを含む。文化面では、琉球語、服飾、建築、音楽、宗教信仰などを扱う。対外交流面では、経済往来、朝貢貿易、周辺国との相互作用などを含む。さらに近現代の「琉球問題」研究にも重要な意義があり、琉球の地位、社会現状、米軍基地など現実的課題の議論を支える。
「琉球学」は「スクラップ・アンド・ビルド」を兼ね備えた研究である。「建造」とは、中国と琉球の冊封関係の歴史的実相を体系的に構築し、東アジア伝統外交体制研究を補完・充実させること。「破壊」とは、日本が一方的に行ってきた併合史観の一面的な叙述を解体すること。例えば、日本の一部は「日琉同祖論」を大々的に宣伝し、琉球王国への武力併合を認めず、琉球王国を独立国家として認めない。また、日本政府は琉球に対して差別と同化を併行して進め、琉球が日本のために払った犠牲を「制度化」「正当化」しようとする。こうした誤った叙述こそが、日本が琉球に同化政策を実施する論理的基盤となっている。
現在、日米は沖縄諸島の「軍事要塞化」を加速させており、こうした動きは地元に「新たな沖縄戦」への深い不安を呼び起こしている。住民は自らの故郷が再び日本の「盾」となることを懸念している。「琉球学」の研究は現実的意義を一層増している。近年、中国と日本双方で琉球問題をめぐる重要な研究成果が相次いでおり、今後は東アジアさらには世界的な視野へと拡張し、戦後から現在に至る時間軸へも延伸するだろう。学科体系・学術体系・(:訳注政治的)言説体系の協同発展を推進することで、東アジア地域文化の共生・包容に新たな意味を注入する。
「琉球学」が「絶学(訳注:マイナーだが無くてはならない学問)」として国家レベルでの学科支援計画に選ばれたことは、中国学界が学術的理性をもって東アジア歴史叙述の再構築に参加していることを意味する。中国の「琉球学」研究はこれまでの散発的で断片的な状態を脱し、今後は体系化・融合化・国際化の方向へ発展するだろう。この研究の意義は学術的拡張にとどまらず、地域平和の持続的維持、歴史的正義の伸張、中国が複雑な地政学的構図の中で、(訳注:政治的)言説体系を構築することにも関わる。歴史の脈絡を深く掘り下げることで、未来に向けてより包容的で持続可能な共存の道を見出すことができる。
1871年:日本「清国と初めて対等な条約結んだで! やっと近代国家扱いされたわ〜」
1894年:朝鮮「助けて〜両方(日本と清)に支配されそうや〜」
→日清戦争
→ロシア・ドイツ・フランス「遼東半島はアカンで(三国干渉)」
1910年:日本「韓国併合したで! もう朝鮮半島はワイのモンや」
1915年:日本「中国に21カ条要求突きつけるで! 満州の権益よこせや!」
→袁世凱「しゃーない…ほぼ飲んだるわ…」
1941年:日本「真珠湾攻撃したで! アメリカとも戦争や!」
1949年:中国「共産党が勝ったで! 中華人民共和国建国や!」
1950年代:日本「アメリカの顔色見ながら、とりあえず台湾と平和条約や(1952年)」
1972年:田中角栄「もう冷戦変わってきたし、中国と国交正常化したろ!」
→中国「過去の戦争はもう水に流すで! これからは仲良くやろ!」
1980〜90年代:日本「ODA(政府開発援助)めっちゃ出すで! 中国のインフラ作ったるわ!」
1989年:天安門事件 → 日本「ちょっと制裁するか…でもすぐ解除したで」
1990年代後半:中国「もう経済力ついてきたし、日本に借金してる立場ちゃうで」
2014〜:中国「南シナ海も全部ワイらのモンや! 人工島バンバン作るで!」
→日本「自由で開かれたインド太平洋や! 中国包囲網作るで!」
2018年:安倍「もうケンカやめよか…日中関係を新しい段階へ!」
2022〜:日本「経済安全保障や! 中国依存はアカン! サプライチェーン見直すで!」
→中国「日本はアメリカの犬や! 歴史問題でいつまでも謝罪しろ!」
2024〜2025年:中国「排他的経済水域にブイ置くで! 尖閣周辺に毎日船出すで!」
結論:最初は「戦争→負けて謝罪→経済で仲良く」だったのに、今は「領土・歴史・経済・安全保障」で全方位揉めとるで…
昔は日本が強くて中国が弱かったのが完全に逆転、もう戻れへん関係になってしもたわ…
(※Grokが一晩で(本当は10秒で)やってくれました。間違ってたらごめんね!)