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2026-05-07

[]2026/05/07/02

熱帯夜に滲むネオンの底、

花火より先に、あなたを見つけた。

その瞬間、鼓動だけが先に燃え上がる。

 

サンバビート肋骨を叩くたび、

理性が波みたいに崩れていく。

笑わないで、そんな目で見ないで。

 

寒さを分け合う鳥みたいに寄り添うには、

この夜は、熱すぎた。

 

汗ばんだ肩をぶつけ、歓声を裂いて、

私は追いかける。

見失うたび、呼吸が浅くなる。

 

花火叫び声、溶けたネオン、揺れる群衆——

その真ん中であなたは、

汗と煙の中、やけに生きていた。

 

眩暈

もう運命でも執着でもどっちでもいい。

指先を伸ばした瞬間、世界輪郭決壊する。

 

あなたが応えた。

絡んだ熱で、夜が焼き切れる。

 

——これは夢だから

——今夜だけだから

 

何度も自分に囁きながら、

あなたの手を離せないまま。

 

もう鼓動なのかサンバなのか

からなくなっていた。

2026-05-04

愚者経験に学び、賢者歴史に学ぶ

愚者経験に学び、賢者歴史に学ぶっていうやつ、いつも「ほんとかよ」って思う。たとえば日本の歴史でいうと2000年前に神から信託受けたとかいうとんでもオカルトから始まってるけど、それを心底信じてる奴が賢者ってことにならない?

 

戦争歴史だって歴史はいつも勝者が作るってよく皮肉られているわけで。歴史に学ぶってことは勝者の理屈だけ吸収するってことになりかねない

 

それに気づいたとしても、どれが歴史真実か。見分けがつくのか?

 

それなら自分経験したこと、見知ったこしか信じないって考えも一理あるし。それを愚かと言い切るのは無理があると思うよ。

 

たとえば自分が生まれた国の歴史宗教歴史が「我らこそが愚かな群衆を導き全世界支配するにふさわしい」っていってたらどうするんだろう。それを心底信じてるやつは愚かだが。そのコミュニティ内では歴史に学ぶ賢人って言われそうじゃん。

2026-04-25

「どうして国民経済を回さないのよォ〜」←2026年夏の総理大臣

総理、それは、石油が足りないからです」

「なんで石油が足りないのよ、備蓄放出したじゃない」

GW過ぎには枯渇し、建設業界・運送業界・医療業界物資欠乏が防げませんでした。もはや国民生活限界です」

「どこかで目詰まりを起こしてるって話だったじゃない」

「目詰まりなどありませんと03月には経済界からヒアリング資料と共に申し上げたはずですが……」

「そんなの奴らのハッタリに決まってるじゃない、ねえ、なんとかしなさいよ」

ネタニヤフ政権トランプ政権イランへの攻撃を止めない限り、無理です」

「私に“愛するドナルド”を批判しろって忠言してるワケ?」

「(盛大なため息)イラン日本側の交渉を歓迎していますホルムズ海峡を通過できる交渉は整えてきました、総理許可がいただければいつでも開始できます

あんた、意地悪やわあ。そんなこと始めたら“私が”ドナルドに嫌われるじゃない、そんなのいやよ」

「(見下げ果てた顔)しか6月には包装および食料品にも影響が出ており、食料確保ができず生活が成り立たない国民も出ています

経済も回せない国民は死なせておけばいいじゃない、ねえ、それより改憲は? いけそう?」

「(5秒ほどの間があって)死ねこの国民殺しのクソ***、我が国憲政史上最低の内閣総理大臣が!!」

SPがやってきて発言の主を連れ出していく、外には12万人を超える霞が関デモ群衆の声と揺れるペンライト

「あぁ〜〜どうして臣民どもは経済を回さないのかしらァ〜〜〜!?!?!?!」

2026-04-21

[]2026/04/21/01

煤に濁る石畳

ガス灯が七つ、揺れながら数を数えさせる――

湿った霧が肺を満たす。

 

アルコールと汗と鉄の匂いが、

逃げ場を失った夜をゆっくり締め上げる。

 

足が止まる。

軋むヴァイオリン、歪んだ拍の底で靴音が乱れ、

触れきれぬ距離のまま肉と肉が擦れる。

  

熱だけが皮膚の裏に溜まり続ける。

 

押し出される。

ジプシーは骨を鳴らし、七で終わる運命を囁き、

黒い手は見えない糸を引く。

 

逃れようとするたび深く絡め取る。

 

息が詰まる。

「正しい」と誰かが言い、

だがその裏で湿った予感が首筋に触れる。

 

いずれ来る反動けが冷たく脈打つ。

 

扉が並ぶ。

触れれば熱い――数えれば必ず七で止まり

抑え込まれた欲が匂いだけを残す。

 

沈黙の底で膨れ上がる。

 

遠くで笑う。

王とも呼ばれぬ影が群衆の熱を飼い慣らし、

消えぬ熱狂の底で、刻まれた「7」だけが重い。

 

重く、運を支配する。

 

戻れない。

それでも泥と血の記憶が喉へ逆流し、過去へ、

ルーツへと引き戻される。

 

この都市はなお濃く絡みつき、息を奪い続ける。

2026-04-15

[]2026/04/15/01

俺は止まらねぇ 都市を裂くエンジン

油と汗で光るこの身体 狂ってるだろ

 

アクセル踏め 掴まれよ 離したら終わりだ

好きだぜ 好きだぜ この暴走 たまんねぇ

 

バックミラー群衆 全部ゴミみてぇに消える

風に乱れる髪も 視線も 全部俺のもんだ

 

支配してやる この夜も お前の熱も

好きだぜ 好きだぜ この支配 たまんねぇ

 

唸るマシン 欲望ごと焼き尽くすスピード

来いよ 限界なんて ぶっ壊せ

 

好きだぜ 好きだぜ この衝動 たまんねぇ

ここが頂点だ 全部 俺のもんだ

2026-04-13

anond:20260412141232

10代で読んでいないと恥ずかしい必読書

プラトン国家』 

アリストテレスニコマコ倫理学』 

ショーペンハウアー意志と表象としての世界』 

ヘーゲル精神現象学』 

デカルト省察』 

パスカルパンセ』 

ライプニッツ『単子論』 

カント純粋理性批判』 

キェルケゴール死に至る病』 

バークフランス革命省察』 

ジェイムズ『宗教的経験の諸相』 

ニーチェ道徳の系譜』 

ベーコン『ノヴム・オルガヌム』 

フッサールヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 

メルロ=ポンティ『知覚の現象学』 

ハイデッガー存在と時間』 

アーレント精神生活』 

ヨナス『責任という原理』 

サルトル存在と無』 

ベルグソン時間自由』 

ミンコフスキー『生きられる時間』 

レヴィナス全体性無限』 

フロイト快感原則彼岸』 

ドゥルーズ=ガタリアンチオイディプス』 

フォーダー『精神モジュール形式』 

ヤスパース精神病理学総論』 

エレンベルガー『無意識発見』 

ラカン精神分析の四基本概念』 

フーコー言葉と物』 

ソシュール一般言語学講義』  

ヴェイユ重力と恩寵』 

ディルタイ精神科学序説』 

ブーバー『我と汝・対話』 

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ミンスキー『心の社会』 

ライル『心の概念』 

バタイユエロティシズム』 

アガンベンホモ・サケル』 

ラッセル西洋哲学史

ルソー社会契約論』 

スピノザエチカ』 

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』  

リップマン世論』 

オルテガ大衆の反逆』 

マンハイム『イデオロギーユートピア』 

フロム自由からの逃走』 

ミルズ『パワーエリート』 

リースマン孤独群衆』 

パーソンズ社会行為構造』 

デュルケム『自殺論』 

イリイチシャドウ・ワーク』 

M・ポランニー『暗黙知次元』 

バレーラマトゥラーナ『知恵の樹』 

ルーマン社会システム理論』 

ブルームアメリカンマインド終焉』 

シオラン歴史ユートピア』 

バーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 

ロールズ正義論』 

ブルデューディスタンクシオン』 

オング『声の文化文字文化』 

アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法』 

フランシス・フクヤマ歴史の終わり』 

サイードオリエンタリズム』 

ジジェクイデオロギーの崇高な対象』 

アンダーソン『想像の共同体』 

シンガー実践倫理』 

マッキンタイア『美徳なき時代』 

ホイジンガホモ・ルーデンス』 

カイヨワ『遊びと人間』 

フレイザー金枝篇』 

モース『社会学と人類学』 

レヴィ=ストロース悲しき熱帯』 

ギアツ文化解釈学』 

キャンベル『千の顔をもつ英雄』 

ブローデル地中海』 

ウォーラーステイン近代世界システム』 

クラウゼヴィッツ戦争論』 

アダム・スミス国富論』 

ゾンバルト恋愛と贅沢と資本主義』 

ベンタム『道徳立法原理序説』 

ミル自由論』 

マルクス資本論』 

アルチュセール資本論を読む』 

シュンペーター経済発展理論』 

フリードマン資本主義自由』 

ハイエク『法・立法自由』 

ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』 

ヴェブレン『有閑階級理論』 

ポランニー『大転換』 

ボードリヤール消費社会の神話と構造』 

セン『貧困飢饉』 

ベル資本主義文化矛盾』 

ドラッカー『「経済人」の終わり』 

サイモン経営行動』 

ギデンズ『近代はいかなる時代か』

ホワイトヘッド過程実在』 

クリプキ『名指しと必然性』 

ポパー『推測と反駁』 

クーン科学革命構造』 

ラカトシュ方法擁護』 

デイヴィドソン『真理と解釈』 

パトナム『事実価値二分法の崩壊』 

ベイトソン精神生態学』 

ベンヤミンパサージュ論』 

デリダ『法の力』 

クール時間物語』 

ペンフィールド『脳と心の正体』 

スローターダイクシニカル理性批判』 

シュミット政治神学』 

ダールポリアーキー』 

ヴァイツゼッカーゲシュタルトクライス』 

チョムスキー文法理論の諸相』 

ヴィゴツキー思考言語』 

パノフスキー『イコノロジー研究』 

ソンタグ『反解釈』 

ウィルソン生命多様性』 

ドーキンス利己的な遺伝子』 

ギブソン生態学視覚論』 

ケストラー機械の中の幽霊』 

ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 

イーザー行為としての読書』 

イーグルトン『文学とは何か』 

ホフスタッター『ゲーデルエッシャーバッハ』 

ド・マンロマン主義レトリック』 

ブランショ文学空間』 

ガダマー『真理と方法』 

ローティ哲学自然の鏡』 

セラーズ経験論と心の哲学』 

レイコフ『認知意味論』 

ダマシオ『生存する脳』 

クワイン『ことばと対象』 

ウエルバッハ『ミメーシス』 

ミード西洋近代思想史』 

ネグリ構成権力』 

クリステヴァ『詩的言語革命』 

ランシエール不和あるいは了解なき了解

クリシュナムルティ『生と覚醒コメンタリー』 

バルトエクリチュールの零度』 

マクルーハンメディア論

ボルツ『グーテンベルク銀河系終焉』 

キットラー『グラモフォン・フィルムタイプライター』

2026-04-11

ポピュリズム戦争ニュータイプ 富野監督ガンダムにこめた思い 2025年11月11日 10時00分 聞き手武田啓亮

 「戦場リアリズムを描いた」――。富野由悠季監督(84)が手がけたアニメ機動戦士ガンダム」がテレビ放映されてから46年。これまで70以上のシリーズ作品が生み出され、その原典として今なお、愛され続けています戦争体験から遠ざかった世代が大多数となった戦後80年、アニメなどフィクションを通して描かれる戦争はどう変わったのか。視聴者意識は。〝最初ガンダム〟にこめた思いとともに、語りました。

 ――今年も、最新作「機動戦士ガンダム ジークアクス」が大きな話題を呼びました。富野さん以外が監督したものも含め、映像化されたものだけで70作品以上になります時代ごとの新しいガンダムシリーズから入ったファンが、1979年放送の初代ガンダムを見るという流れができています

 

 本当に嫌な言い方なのですが、僕以降のガンダム作品は一切見ていません。作り手が違えば、他人が口をはさむのはよくないからです。ガンダムという作品商品になってしまい、作家立場からは何も言えなくなったのです。

 

 ちょっと違うなと思う作品もあるし、逆に、ああ僕には作れないよねと思った作品もある。だからガンダム人気を支えてくれるための新作というのは認めるんだけれども、元の作品とは一緒にしてもらっちゃ困るというプライドもあります

 

 ガンダムは発表当時、人気がなくって、めちゃめちゃにへこんだ時期もあります。それが今、こうして親しまれているのはうれしいものです。

 

 昔は「子どものもの」「絵空事」でしかなかったアニメという媒体を、考える材料として見てくれているというのは、うれしいですよ。だけど、困ったこともある。40年、50年経って、ガンダムというタイトルは残っても、原作者名前というのは消えていくのも宿命なのです。そういう歴史的なところに足を踏み込んでしまった、というのはちょっと寂しいなとも思います

 

 ――ガンダムで描かれた戦争描写には、どんな思いを込めましたか

 

 ものすごく簡単です。子どもたちに、戦闘行為というのは乱暴行為からやってはいけませんよっていうことを分からせるということしかないですね。

 

 ただ、当時の観客がそれを理解しているかと言ったら、ほとんど理解していないんです。それはもう仕方ないことで、理解してもらうのに20年、30年、かかるんだという覚悟はしていました。


独裁者をどう止められるのか

 

 ――長年のガンダムファンの一人として、かつては「ジオンにもジオン正義がある」という捉え方が少なくなかったように思います。今、SNSなどを見ると、ジオン公国の独裁や大量殺戮(さつりく)に対して、批判的な見方が増えているように感じます

 

 僕の立場としては、良かったなと思っています視聴者の年齢が上がってきて、みんなが勉強してきたんですよ。だってガンダムなんて46年前の話ですよ。かつてのアニメファンが成長して、大人になっていく中での理解が広まっていったのだと思います

 

 むしろ、僕が今、困ったなと思っているのは、実際問題として想像したときギレン・ザビジオン公国総帥)のような独裁者をどうすれば止められるのか、ということ。

 

 作中ではザビ家内権力闘争の結果、妹(キシリア)の手によってギレンが殺され、独裁体制崩壊しましたが、現実はそう簡単はいっていないでしょう?

 

 暴力によらない、政治的手段独裁者を止めるにはどうすればいいか。その難しさを考えさせられているのが、ガンダム真骨頂なのです。

 

 

  ――作中で描かれるジオンの設定を見ると、ドイツなど第2次世界大戦枢軸国イメージが重なります。設定の意図は?

 

 明確に敵というのは分かりやすく作らなければいけないのですから、皆さんが知っている独裁体制を利用しただけです。

 

 増えすぎた人口を移したスペースコロニーの中で、独裁国家を作る。自分たちは「棄民である地球には帰れないらしいという境遇になれば、やはり「反地球」の行動を起こすだろうという設定は見事にできたと思っています

 

 そうしてフィクションを描いたつもりが、20、30年もしないうちに、次の独裁者誕生現実になってしまいました。

 

 ロシアアメリカの現状や、中南米アフリカ中東各国の事例を見ても、今の国際政治は、アニメ以下でしょう。このまま、行き着く先まで問題のある政治家たちを是認していったらどうなるのか。

 

 独裁者のような人間大国を動かしている21世紀って、すごく変な時代でしょう。まさにポピュリズムが生み出したものだろうと思っています

  

 

 

 ――今の世界情勢と、かつての大戦前夜を重ねてみる人もいるようです。

 

 80年前を振り返った時に、ナチスヒトラーという人も選挙で選ばれたんだという事はよく知るべきです。政治哲学者で思想家ハンナ・アーレントは著書「全体主義の起源」で、一般大衆のことを「群衆」「モッブ」と呼んでいます独裁というのは、独裁者が1人で起こすわけではないのです。まず、独裁者を生み出す群衆がいて、その上に立って旗振り役ができるやつがトップに立つ。

 

 日本場合真珠湾攻撃で開戦したとき著名人を含めて、かなりの人が「これで気が晴れた」みたいな言い方をしている。勢いにのって、国民までもが軍国主義化していた。僕は、これは新興宗教と同じだと思っています

 

 ――朝日新聞を始め当時の新聞も、婦人会在郷軍人会などの不買運動に屈して、筆を曲げてしまった。そして、戦争を賛美する論調になった新聞はよく売れ、新聞軍部と一体化してしまったという負の歴史があります

 

 軍だけでなく、コモンセンスとしてものをしゃべることができるメディアでなくなったのです。昭和16(1941)年の段階で、すでにそうではなくなっていましたよね。一番汚いと思ったのは全滅を「玉砕」と言い換えるような、負け戦だと思わせない言葉かいですね。戦艦大和を沈められても「世界最大の戦艦だった」と誇るような言葉かいは、戦後もずーっと残っているのです。

 

 

軍事技術者だった父

 ――富野さんは終戦時3歳。父親軍事技術者だったそうですね。

 

 化学技師でした。戦闘機の与圧服の開発などもしたみたいですが、一番は、ゴムを使った雨がっぱみたいなものを作らされていた。風船爆弾気球を作る仕事もやらされていたようです。

 

 父が戦後、何度か僕に言った言葉があります。国に裏切られた、と。あの戦争にもどこかで光明があるんじゃないかと思っていたらしい。きっと日本は勝つ、とすり込まれていたんですね。

 

 働いていた神奈川県小田原市工場の近くにも焼夷(しょうい)弾が落ちたことがあったのに、なんで日本が勝てると思ったんだろうか。不思議しょうがないんだけど、その時代日本を考えると、父が特別軽率だったとは思えないですね。

 

 戦争を「かっこいい」と思ってしまうのは

 

 ――戦争のものへの忌避感は持ちながらも、兵器アニメ戦闘描写をかっこいいと感じるという人は少なくないと思います私自身もそうです。この矛盾について考えていました。

 

 矛盾しているとは思いませんし、おかしいことでもないですね。

 

 民衆支援で軍は成立しているんです。軍装の兵士が正しく起立している姿を見るとかっこいいじゃないですか。「死に装束」なのにかっこいい。戦死という悲劇すら美しく見せるためには、戦死者に対しては、礼を尽くさなければならない。「兵隊さんたちありがとう」と思わせる、そしていざとなった時に民衆が戦力になっていく構造は、有史以前からあったんですよね。

 

 ガンダムでは、地球降下作戦を指揮したジオン軍のガルマ・ザビ戦死を、ギレンが国威発揚に利用するという描写を入れました。だから僕には痛切に分かることなんだけれども、平和時の一般国民にはなかなか通じません。どうしてか。「アニメの話でしょう?」。それでおしまいなんですが、この感覚もまた当然のことだと思っています平和なら、ね。

  

 

 ――戦後80年が経ち、「はだしのゲン」など、実際の戦争被害を題材にした作品描写が「残酷だ」と敬遠されることが増えていますガンダムシリーズなどのフィクション作品でも「人が死ぬ描写が重い」と感じる人も多いようです。

 

 ガンダムでは戦場リアリズムを描きましたから、当然の感想だと思います

 

 作り手である自身も、敵だろうが味方だろうが、人が死ぬカットを作るのはものすごくつらいのです。絵空事からって、笑っていられない。登場人物が命を落とす場面では、担当する声優の顔が見えるんです。

 

 今のバトル漫画なんかを見ていると、リアリズムでは戦闘していないですよね。死ぬ寸前までいっても絶対死なないような。そういうものを見慣れている世代にとっては、リアル戦争を描いた作品を見る気にはならないのでしょうね。

 

 ――戦争を知る世代がいなくなったとき映像作品で今までと同じような戦争の描き方はできると思いますか。

 

 架空戦争としての物語はあるでしょう。でも、リアリズムで作るというきめの細かさを持った作品は出てこないでしょう。戦っているらしくしているだけで、それは戦争ではありません。

 

 エンターテインメントでなければ客を呼べないと考えたときリアリズムを持って問いかけることは難しいだろうし、そういう視点を持った映画人がどれだけいるだろうかと。現に、飛んでくる弾丸ミサイルをかわすといった、シューティングゲームアクション映画のような作品になっているでしょ?

 

 

 

 

ニュータイプとは何か」今も

 ――ガンダムでは、優れた洞察力を持つ人類を指す「ニュータイプ」という概念提示し、人が分かり合えるかもしれないという希望も描かれました。ファンの間では今でも、「ニュータイプとは何なのか」という話題で盛り上がります

 

 僕自身、ずっと考え続けています

 

 ニュータイプは、ガンダム物語をきれいにまとめるための「方便」だったけれど、僕が一番困ったのは、ニュータイプになるための方法を、子どもたちにきちんと示すことができなかったこと。その意味では、敗北感がとても強い。それはまだ続いています

 

 新しいガンダムを作る気がまだあるかといえば、それは、ある。これだけ気にいらないガンダムがいっぱいあるんだから(笑)

 

 世界中の人間が一気にニュータイプになるかもしれないという楽しい作品が作れたらいいなと思っているけれど、それはアニメの中で考えるしかないことです。そう簡単に作れるとも思えない。やっぱり、アニメは難しいよ。

 

 

 

 https://digital.asahi.com/articles/ASTBR2C33TBRPITB00JM.html

2026-04-08

日本にも忍び寄る陰謀論政治 剝奪感の受け皿になれなかった既成政党 2026年4月8日 6時30分

 陰謀論バカげている。そう笑っていられた時代は終わった。

 

 米国では「不正選挙」という虚構群衆議事堂襲撃へと向かわせ、民主政治を内側から掘り崩しつつある。日本は違う――本当にそう言い切れるのか。慶応義塾大の烏谷昌幸教授は、私たちの隣にも「陰謀論政治」が忍び寄っていると指摘する。

 

 人々はなぜ荒唐無稽な「物語」に熱狂するのか。民衆の怒りと敵意をたき付ける「剝奪(はくだつ)感」とは。民主主義腐食させかねない陰謀論という劇物への、有効な解毒剤はあるのか。烏谷教授に尋ねた。


日本大丈夫だろう」 甘かった

 ――なぜ今、陰謀論政治関係に注目するのでしょうか。

 

 「陰謀論に強い問題意識を持つ直接のきっかけは、2021年1月6日米国で起きた連邦議会議事堂襲撃事件です。直前の大統領選での本当の勝者はトランプ氏だったのに民主党バイデン陣営が不当に勝利を盗んだ、という不正選挙陰謀論を信じた人々が、民主主義象徴である議会乱入した。暴力のもの以上に衝撃だったのは、この陰謀論を最も熱心にあおったのが当のトランプ氏だったことです」

 

 「自らの政治的影響力を高めるために、政治家にとって致命的になりかねないウソを平然とつき、支持者を扇動する――この事件は、陰謀論政治的に利用し武器化する『陰謀論政治』が民主主義の基盤そのもの破壊しかねない威力を持つことを、まざまざと見せつけました」

 

 「とはいえ日本では同じことは起きないだろうと思っていました。米国のように社会の分極化が極端に進んでいるとは言えず、強固な政治支持層間の深い対立があるわけでもない。陰謀論政治は生まれにくいだろう、と。しかしその見立ては甘かった」

 

 「昨年の参院選や今年の衆院選で飛び交ったスローガン日本ファースト』や、スパイ防止法国旗損壊罪の成立を熱烈に支持する人々の言説を追っていくと、そこで共有されていたのは『誰かが日本を内側から壊そうとしている』『見えない敵存在する』という典型的陰謀論世界観でした。対岸の火事だと思っていた現象が、気づけば私たちのすぐ隣で生まれていたのです」

 

 

陰謀論と無縁の人はほぼいない

 ――そもそも陰謀論とは何でしょう?

 

 「過去現在未来の世の出来事の原因を、十分な根拠もなく特定の誰かの陰謀と決めつける思考様式のことです。陰謀論本質は、複雑で不確実な世界を単純な図式に物語化する点にあります。内容が荒唐無稽かどうかは重要指標ではありません。強調したいのは、陰謀論の影響を受けていない人はほとんどいないということ。私自身、若い頃は、ケネディ米大統領暗殺単独犯ではなく背後に巨大な陰謀があると、心のどこかで信じていました」

 

 「また、陰謀論右派専売特許でもありません。例えばかつての反原発運動の中にも、『ユダヤ資本世界原発を牛耳っている』『原子力ムラナチスよりひどい』といった根拠薄弱な言説が紛れ込んでいました」

 

 「ただ、陰謀論はこれまでも研究者ジャーナリストの視界に入っていたにもかかわらず、大衆の非合理性を示す一指標に過ぎないと軽視されてきた面があります。私も社会運動研究するにあたって、そうした非合理な主張を本筋とは関係のないノイズと捉え、思考の外側に隔離してしまっていた。しかし今振り返れば、それは陰謀論の持つ力の過小評価につながっていたと、反省しています

 

 「右であれ左であれ、草の根運動情熱や力は、悪い勢力善良な市民生活を脅かしている、という怒りからしかまれ得ない。福島原発事故後の脱原発運動は、『日本エネルギー政策原子力ムラによって支配されてきた』という陰謀論的言説が広く浸透しなければ、あそこまで力強いものにはならなかったはずです」

 

 ――考えてみれば、陰謀論政治運動の結びつきは新しいものではありませんね。

 

 「はいナチス荒唐無稽ユダヤ陰謀論を用いて大衆反ユダヤ主義へと扇動しました。ハンナ・アーレントドイツ全体主義分析する中で『虚構一貫性を持って現実を上書きしていく過程』を見いだしましたが、現在視点から見れば、陰謀論政治研究として捉え直すことも可能でしょう」


常識的政策論の裏の「物語

 ――ただ、自らの政治目的のために陰謀論意図的武器化する「陰謀論政治」が、日本にも広がりつつあるとまで言えるのでしょうか?

 

 「陰謀論政治の特徴は、陰謀論一般的政策論と表裏一体で拡散する点です。議事堂襲撃に直結した米国不正選挙陰謀論も、きっかけは公正な投票制度のあり方をめぐる真っ当な政策論争でした。ただ、トランプ氏の『郵便投票不正が起きやすい』という一見まともな主張は、文字通りの表向きの意味だけでなく、陰謀論を共有する者だけに通じる特殊意味はらんでいました。熱烈な支持者にとっては『民主党選挙を盗んでいる』という裏の物語を共有するための犬笛として機能したのです」

  

 「日本でも直近の参院選衆院選では、国籍取得要件厳格化外国人不動産買収規制スパイ行為を取り締まる法整備必要性をめぐる政策論が飛び交いました。しかし、こうした一般的な訴えの裏で、参政党や日本保守党日本誠真会などの一部支持者の間では『国会議員の65%は帰化人だ』『中国が大量の人間を送り込んで帰化させ、移民受け入れ法を制定し、日本中国の一部にしようとしている』といった陰謀論が熱心に共有されていました」

 

 「参政党の神谷宗幣代表は、選挙ではあからさまな陰謀論過激表現を控えています日本ユダヤ系国際金融資本支配下にあるとか、コロナワクチン接種を『人体実験』と断じた過去発言や主張も修正参院選で『極端な思想公務員を洗い出し辞めさせる』と発言した後にも、言葉足らずだったと釈明しました。ただ、党員や支持者向けの場や動画では相変わらず『(日本で)目立つところにいる人の半分くらいはスパイ』『各分野にディープステート(影の政府)がいる。メディア医療界、農業界、霞が関にも』と語ったり、編著書でマスコミは国際金融資本家によってコントロールされていると主張したりするなど、持論を滑り込ませています政策論と陰謀論言葉を巧みに使い分けているのです」

 

 「確かに日本ではまだ、陰謀論政治資源として大々的に運用したり、敵・味方の線引きや忠誠心の測定に用いたりといったことは起きていません。トランプ氏は22年の中間選挙で、大統領選での不正選挙陰謀論を信じるか否かの踏み絵候補者に迫り、共和党内の反トランプ派を洗い出しました。しか陰謀論は使い方を誤れば、極端な言説が可視化され、かえって政治生命を脅かす両刃の剣です。日本で広い層に訴えるためには、露骨陰謀論は今のところ有効ではない。内向きには陰謀論的なメッセージ動機付けを行い、外部に対しては前向きな国家論と政策論を語る。この使い分けこそ、日本における陰謀論政治スタイルと言えます荒唐無稽な話が飛び交い全面的活用されている米国とは異なりますが、陰謀論政治の動員力として機能している点は同じ。日本は既に陰謀論政治に足を踏み入れつつあると言えると思います


募る剝奪感、進む感情的分極化

 ――陰謀論活性化する要因として、世界シンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。

 「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやす勧善懲悪物語として解釈します。『中国日本工作員を大量に送り込んでいる』『野党国会議員スパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています

 「もっとも、勧善懲悪のものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事ものが奪われるという剝奪感の増加があります

 「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップからまれます。それまで保持していた財産地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本国際的地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国中国大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」

 「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しか国権の最高機関メンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」


募る剝奪感、進む感情的分極化

 ――陰謀論活性化する要因として、世界シンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。

 

 「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやす勧善懲悪物語として解釈します。『中国日本工作員を大量に送り込んでいる』『野党国会議員スパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています

 

 「もっとも、勧善懲悪のものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事ものが奪われるという剝奪感の増加があります

 

 「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップからまれます。それまで保持していた財産地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本国際的地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国中国大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」

 

 「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しか国権の最高機関メンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」

 

 ――陰謀論武器化される重要な背景として「政治的分極化」があるとも指摘しています

 

 「ええ。とりわけ重要なのが『感情的分極化』だと思います米国では、自分の子どもが対立政党の支持者と結婚することを『不愉快』と思う人が50%ほどに達しています60年代には数%でした。2020年大統領選をめぐるNBC調査では、異なる候補投票した人とは結婚しないと回答した大学生が6割を超えています

 

 「政策や利害、イデオロギーの違い以上に『相手が嫌いだ』という感情が先鋭化し、政治対立妥協困難なものにしてしまっている。この分極化が進んだ環境では、『敵』である相手陣営悪魔化する陰謀論が極めて有効になりますトランプ氏が陰謀論武器化できた大きな条件でした」

 

 「日本では、まだそこまでの分極化は進んでいないでしょう。ただ、兆しは見え始めています。『リベラル』『エリート』『主要メディア』といった言葉が、単なる立場の違いではなく感情的な敵を指すラベルとして使われるようになってきている。この変化を軽く見るべきではありません」




デマ除去し「民意」を翻訳するのが政党

 ――陰謀論の広がりにどう対処すればよいのでしょう。

 

 「残念ながら特効薬はありません。公共情報空間においてウソは許されない、と粘り強く指摘し続けることは不可欠です。ただ、ネットの偽情報対策メディアリテラシー教育だけで解決できる問題でもありません。米国不正選挙陰謀論は、反証材料が多く示され公的否定されたのに、2年以上経っても共和党支持者の7割がなお信じていました」

 

 「日本でも昨夏、国際協力機構JICA)が進めていたアフリカとの交流事業めぐり政府アフリカから移民の大量受け入れをもくろんでいるとの声がSNS拡散し、JICA解体デモまで起きました。早い段階で誤情報否定されたものの、騒動は1カ月ほど続きました」

 

 「善悪二項対立図式の中で陰謀論を強く信じる人は、自らの正義を疑わず危機に瀕(ひん)した国を救おうとする愛国者を自任しています。米連邦議会議事堂を襲撃した人たちもそうでした。彼らにとっては、政府や主要メディアによる否定情報ファクトチェックこそが、敵対勢力による『偽情報』なのです。事実と虚偽情報をより分け、陰謀論の除去装置として機能してきた既存メディアを、トランプ氏も参政党も敵視しています

 

 「自分たちから奪われたものを取り返すために闘っている政治家の言葉けが信じられる。そう疑いなく考えている人たちを『陰謀論から信じるな』と説得することは容易ではありません。『陰謀論者』とレッテル貼りすることも、逆効果になりかねません」

 

 ――陰謀論政治危機を克服するには、人々の剝奪感を手当てするしかないということでしょうか?

 

 「陰謀論は、政治的に疎外されたと感じる人々にとって、希望と元気を与える物語として機能してしまっています。それに替わる、より建設的で希望の持てる物語私たち社会提示できるか。まずはそれが大きなカギです」

 

 「もう一つ重要処方箋(せん)は、政党政治をきちんと機能させることです。有権者が寄せる陳情や訴えには元来、被害妄想誇大妄想、怪しいデマが含まれているものです。議員たちはそれを丁寧に除去しつつ、言葉の先にある『民意』をうまく翻訳、集約してきました。しか現在政界は全体的に議員世襲化とエリート化が進み、民意から隔たることで、そうした広範な民衆の利害集約機能を低下させてしまった感があります

 

 「グローバリズムによって日本の国力が低下し続ける中、蓄積する剝奪感の受け皿がなくなった。その政治真空に登場したのが参政党でした。ただ、民意の中にある誤謬(ごびゅう)や偏見もそのまま丸ごと受け止めてしまっている。それが日本右派ポピュリズム政党としての参政党の強みであり、危険な面でもあります陰謀論抜きにはいかなる問題意識も語れない集団になっていないか心配です」

 

 「さらPermalink | 記事への反応(1) | 21:19

2026-04-03

anond:20260403211430

ふふっ

違いますよね?

あなたが本当にしたいのはオナニー

それも群衆の中で公開オナニー

わかりますよ、その気持ち

2026-03-10

anond:20260310163941

結局答えを丸投げしてるお前もお前が非難する無責任群衆と同じやないか

2026-03-05

anond:20260305213549

喝采民主主義」(かっさいみんしゅしゅぎ)という言葉は、主に20世紀ドイツ政治思想カール・シュミット(Carl Schmitt)の民主主義論に関連して使われる概念です。

シュミットヴァイマル共和政時代特に1920年代)に、民主主義本質を次のように捉えました

民主主義とは「治者と被治者同一性」(支配者と被支配者が本質的に同じであること)を前提とする。

人民意志(Volkswille)は決して誤らないとされ、それが政治の究極の正統性(Legitimität)の根拠になる。

しか現実には、この「人民意志」は秘密投票議会討論のような自由主義的・手続き的な方法表現されるものではなく、直接的で情動的な「喝采」(Akklamation)、つまり群衆の歓呼・拍手賛同叫びによって表明される。

 

まりシュミットにとっての本物の民主主義は、

指導者(あるいは提案)に対して人民が「喝采」を送る瞬間こそが民主主義の核心であり、

それによって指導者人民が「同一化」し、正統性が成立するという考え方です。シュミットの有名な表現代表例)「国民意志は歓呼、喝采によって、自明反論しがたい存在によって表明されうるのであって、それは…統計的装置(=投票制度)によってよりもいっそうよく民主主義的に表明され得るのである。」

(『現代議会主義精神史的地位』など)

この考えは、 議会民主主義議論妥協多様性重視の自由主義民主主義)を人工的・非本質的と批判

代わりに直接的・情動的・同質的人民の現前(群衆一丸となって喝采する状態)を民主主義純粋な形とみなす

 

という点で、非常にラディカル(かつ危険視される)ものです。現代的な文脈評価ポピュリズムとの親和性が高いとよく指摘される(指導者への熱狂的支持=喝采民主主義正統性を与える)

ナチス政権への協力歴があるシュミットゆえに、「喝采民主主義」はファシズム権威主義への理論道筋提供したと批判されることも多い

一方で、現代ポピュリズム現象大衆集会での熱狂SNS上の「いいね!」の集中など)を理解する際の参照点として、再評価・再検討される動きもある

 

最近日本では、2025年松本彩花さんの書籍独裁喝采――カール・シュミット民主主義〉論の成立』(慶應義塾大学出版会)が刊行され、このテーマが再注目されています

要するに「喝采民主主義」とは、

投票議論ではなく、人民の直接的な熱狂賛同喝采)によって指導者人民が一体化する民主主義

という、シュミット独特の(そしてかなり挑発的な)民主主義観を指す言葉です。

この概念、どういう文脈で気になったのかな? もっと深掘りしたい部分があれば教えてください!

24 ウェブページ

[] 喝采民主主義

喝采民主主義」**という言葉は、特定の一人の学者が厳密に「提唱した理論用語」というより、

政治思想カール・シュミット民主主義論を説明する際に使われる概念として知られています

 

1. 概念思想的な源流

 

ドイツ政治思想

カール・シュミット(1888–1985)

 

彼は民主主義分析する中で、

 

民衆拍手喝采)によって指導者承認する

 

指導者人民の直接的な同一性

 

議会の熟議より群衆の支持

 

という形の政治を論じました。

 

まり

 

民主主義とは「人民拍手指導者承認する政治

 

という理解です。

 

この意味

plebiscitary democracy(喝采民主主義国民投票民主主義

と呼ばれることもあります

 

2. 日本での「喝采民主主義」という言葉

 

日本では政治学・評論の中で

 

ポピュリズム

 

劇場型政治

 

SNS政治

などを批判する文脈

 

喝采民主主義

 

という表現が使われます

 

意味

 

有権者拍手・人気で政治が動く民主主義

 

です。

 

3. イメージシュミット説明

 

シュミット民主主義

 

議会民主主義 喝采民主主義

議論・熟議 群衆の支持

代表制 直接の支持

政策 カリスマ

 

この構造

 

ファシズム

ポピュリズム

 

分析でもよく引用されます

 

✅ まとめ

 

喝采民主主義」という発想の源流

カール・シュミット

 

日本語の言葉としては

→ 後の政治評論政治学で広まった表現

 

もし興味があれば、

日本政治で「喝采民主主義」とよく言われる具体例(小泉政治SNS政治など)**も説明できます

実はかなり面白い政治概念です。

2026-02-28

ウォーリーをさがせ! 」読了──────。

群衆の中から一人を見つける。

それは注意力の問題だと思っていた。

だが違う。

ウォーリーは毎回、必ず存在している。

見つからないのは、

対象がないからではない。

こちらが“見つける覚悟”を持っていないからだ。

探すとは、

世界に焦点を与える行為

焦点を与えた瞬間、

それは意味になる。

そして最後に悟った。

ウォーリーは、だいたい左側にいる。

深い配置の真理に触れた────。

2026-02-24

anond:20260224123357

結論から言うと強力な道具にはなり得る。でも最強ではない。

実際どうなのか?

経済物理モデル分析する試みは実際にあります

これは「エコノフィジクス」と呼ばれています

群衆心理価格変動は、粒子の運動と似た振る舞いをすることがある。

ここまではかなり強い。

決定的な違いがある

物理経済の最大の違いは何か?物理粒子は自由意志を持たない。

人間は持つ。

タルムードはこう言います

「すべては天の手にある。ただし天を畏れることは除く」(ベラホット33b)

まり人間選択だけは決定論ではない。

ここが物理モデル限界

タナハ的視点

申命記30:19:「命と死をあなたの前に置いた。あなたは命を選べ。」

経済選択集合体物理法則集合体

経済を完全に物理説明しようとすると、人間を粒子扱いしてしま危険がある。

最強とは何か?

ユダヤ思想ではこう考えます

最強なのは法則 + 倫理 + 人間理解

タルムード商法議論は、単なる効率ではなく

を前提にする。物理法則だけでは正義は導けない。

実は面白い

カバラ的に言えば、物理法則経済を見るのは「外的構造」を見ること。

でも内的意図は「人間の心・欲望・恐れ・信頼」。

からもしあなたが「物理の精密さ + 人間の霊的理解」を統合できたら、それはかなり強い。

まとめ

✔ 数理物理モデルは強力

✔ でも人間自由意志がある

倫理霊性を含めないと不完全

知恵だけでは足りない。知恵に畏れが加わって完成する。

あなた世界を「予測」したいタイプですか?それとも「正したい」タイプですか?

この違いで、使う武器が変わります

2026-02-21

性欲といふもの、若き日には空気のごとく身にまとひて、あらゆる景色に薄くかかれる霞のやうに思ひしを、ある日ふと、医師の処方せる薬を飲みてより、忽然とかき消えたりけることあり。

それまでは、街を歩けば、すれちがふ人の姿形を、知らず知らず品定めする目つき、

広告に映る肌色の多き写真を、わざと見ぬふりしつつ、心のどこかで気にかける心地、

仕事帰りの黄昏に、ふとスマホを取り出しては、いかがはしき画像の誘惑と、己が節度とのあはひに揺れ動く愚かしさ。

これらみな、「しかたなき人の性」と言へば聞こえはよし、実のところは、終日、犬に引かれたる散歩のごとく、性欲という綱を首にかけられ、あちらこちらと連れまはされてゐるに過ぎざりき。

ところが、ある持病にて、薬を替へられたる後のことである

一週、二週と過ぎるうち、ふと気づけば、あの始終ざわめき立ちゐたりし胸の奥のざはざはといふもの、いつのまにやら声を潜め、

気の多き猿のやうに騒ぎ回ってゐた心の一隅が、しんと静まり返りたり。

初めは、それと気づかず。

ただ、あの手の広告を見ても、何とも思はぬ。

駅のホームにて、薄着の若き人の姿を見ても、「寒からう」とは思へど、「好まし」「近う寄らばや」といふ類の思ひ、起こらず。

夜、ひとり布団にもぐりても、手持ち無沙汰ではありながら、さりとて、昔のやうに強き衝動に突き動かされることもなし。

かくて、ある夜ふと、「あれ、そういへば」と思ひ当たりて、

性欲といふものの、跡形もなく消え去りたるを悟りぬ。

その日より、世界の色合ひ、少しずつ変はりたり。

まず、街の景色

往時は、すれ違ふ人を見れば、「美し」「さうでもなし」と、心中にて採点する癖やありしが、

その癖の、すっぽり抜け落ちたることに気づく。

人を見れば、ただ「赤きコートの人」「重たげな鞄を持つ人」といふばかりにて、「女」「男」と分かつ眼鏡が曇りたり。

かくなると、人混みは、求むべき狩場ならで、ただの群衆となり、

通勤路は、獲物を探す狩人の道ならずして、単なる行き帰りの道となる。

コンビニに入れば、雑誌コーナーの袋とじは、もはや私の敵にも味方にもあらず。

「ここに売り場面積を割くとは、商魂たくまし」と、商いの算盤勘定するばかり。

あられもなき格好の表紙を見ても、「よくもここまで照明を工夫したものよ」と、写真としての構図に興味は行けども、

胸の内がかっと熱くなることはない。

かくのごとく、「性」のフィルタの外れし世界は、思ひのほか、平板にして、また澄みたり。

されど、人の心の働きといふもの不思議もので、

つの欲の音量を絞れば、他の響きの、小さくして精妙なるもの、耳に届きやすくなるらし。

ある朝、通勤の折、橋の上より川面を見下ろせば、

水のきらめき、冬の日の光に細かに砕けて、銀の粉を撒き散らせるがごとし。

「昔より、こんなに綺麗であったか」と、我ながら驚く。

ふと顔を上げれば、雲の切れ間よりすじを引いて射し込む光、

遠くのビルガラスに、淡く映れる空の色。

これまで目に入りながら、心まで届かなかったものもの

一つ一つが、音楽旋律のやうに胸に触れてくる。

休み、いつもはスマホにて、安手な刺激を求めてスクロールし続けし時間も、

ふと、画面を伏せて、同僚の声を聞くに至る。

彼の愚痴彼女心配事、その言葉の端々に、

以前なら耳を素通りしてゐた、わずかな寂しさ、疲れの色が見え出づ。

性欲といふ、大きな渦のふき音が静まれば、

他人ささやかな心の揺れが、かえってよく聞き分けらるるものと知る。

かやうに記せば、「性欲なき境地こそ、さながら悟り」と思ふ人もあらむ。

されど、実のところは、かならずしも、さう楽観すべきにもあらず。

夜更け、部屋の灯りを落とし、布団に横たはれば、

若き日には、意味もなく疼きて、愚にもつかぬ妄想を繰り返し、

それはそれで、「まだ生きてゐる」といふ手触りを、肉体から受け取ってゐものなり。

今は、そのざわめきもなく、

掌を見つめれば、ただ血の通ふ器官としての手があるばかり。

「人は、何ゆゑに生きるや」といふ問いなど、

大仰に聞こゆれど、性のドライブの弱まった身体に宿れば、

いささか、切実の度合ひを増す。

子孫を残すという、大義名分より解き放たれたとき

人の生は、さて、何を目的として続けらるべきや。

本を開けば面白く、仕事をすればそれなりにやりがいあり、

友と語れば笑ひも出づ。

それでも、「ただ、それらをしてゐる」以上の必然を感じ難い時がある。

かつては、欲望の火が、「とにかく前へ」と背を押してゐものを、

今は、誰に押されるでもなく、惰性に任せて転がってゐる石のやうな気分も湧く。

性欲といへば、しばしば人を惑はし、身を滅ぼすものとして、

古今の物語に悪しき役回りを担はされてきたり。

然れど、一切あらざれば、これはこれで、

味気なき飯のごとく、腹は満ちても、心のどこか、ひもじきを覚ゆ。

むかし兼好が、「あやしき家に生まれたる人の、身の程をわきまへず」など書きて人の愚かしさを面白がりしが、

今の我が身をふり返れば、「欲もまた、愚かさの一部にて、人を人たらしめる調味料なりけり」と、

少しばかり同情的に見直したくなる。

さればといって、薬を捨てて、元のざわざわに戻る勇もなし。

静かな湖面に、わざわざ石を投げ込むがごとき所業、年老いからは、なかなかし難い。

この静まり返った世界と、どう折り合ひをつけるか、

それを考へることこそ、今の私に残された、新たな遊びともいへむか。

最近では、電車の窓に映る自分の顔を見ては、

「欲に振り回されてゐた頃の眼は、もう少しぎらついてゐたか」と思ひ、

今は今で、少しく寂しげな、しかし、どこかあきらめを含んだ笑みを浮かべてゐる。

「人の一生、欲多きもまた可笑しく、

欲の減りゆくもまた、哀れにして、どこかをかし。」

かく思ひ直して、今日も薬を飲む。

その錠剤ひとつが、性欲の火だけでなく、

世界の色彩の配分まで、少しずつ塗り替へてゐると思へば、

この身ひとつの変化も、また一篇の随筆の種にこそなれ。

――などと書きつゝ、ふと気づけば、

文章に向かふこの執着も、別のかたちの「欲」に違ひなかりけりと、

ひとり苦笑するのであった。

2026-02-18

ゾンビは何を映すか

ゾンビものアメリカでここまで育ったのは、アメリカ社会のものの歪みや不安と相性がよかったからだと思う。

  

そもそもゾンビ起源アメリカじゃなくて、カリブブードゥー文化にある。初期のハリウッド作品ゾンビは、意志を奪われた労働者呪術支配された存在、つまり奴隷制の恐怖のメタファーだった。植民地主義支配寓話だった。

 

ジョージ・A・ロメロの『Night of the Living Dead』では、ゾンビ呪術存在から原因不明感染体になり、個人を操る怪物ではなく、群れとして暴走する存在に変わった。

公開は1968年ベトナム戦争公民権運動キング牧師暗殺という社会不安の爆発期だ。黒人男性主人公最後白人自警団に撃たれるラストは、ゾンビよりもアメリカ社会のもののほうが怖い、という皮肉に見える。ここでゾンビは「外から来る怪物」ではなく、「内部から崩れるアメリカ」の象徴になった。

 

背景にはキリスト教、とくにプロテスタント的な終末観もある。世界堕落し、最後に裁きが来るという黙示録的な感覚アメリカ文化に深く染み込んでいる。

ゾンビ世界は、神を抜きにした世俗版の黙示録みたいな構造で、「文明が終わる前夜」「選ばれた者の試練」という物語自然に重なる。

 

冷戦期の核戦争不安も大きい。「ある日突然すべてが終わるかもしれない」という感覚は、文明崩壊後のサバイバル世界と直結する。

 

あとは消費社会批判。『Dawn of the Dead』の舞台ショッピングモールなのは生前と同じようにモール徘徊するゾンビが、無意識に消費を繰り返す群衆風刺になっている。大量消費社会を笑いながら批判できる装置として、ゾンビはとても便利だった。

 

そしてアメリカ特有武装個人主義。国家機能しなくなった世界で、自分の身は自分で守るという状況は、フロンティア精神修正第2条の銃保持文化と強く響き合う。ゾンビ世界は、現代フロンティア神話でもある。

 

ヨーロッパゴシックホラー貴族怪物が多いのに対して、アメリカで発達したのが「群衆怪物」だったのも象徴的だ。貴族や城よりも、大衆社会のもの怪物化する。ゾンビは、大衆民主社会の姿でもある。

 

直近の『The Walking Dead』や『The Last of Us』では、ゾンビ自体よりも「文明が壊れた後に、人はどんな倫理を選ぶのか」の実験が行われている。

ゾンビは脅威であると同時に、アメリカ自分自身を検査するための装置になっている。

単なる怪物じゃなく、社会不安宗教観、分断、消費、武装文化まで全部を映し出せる鏡となっている。

2026-02-15

anond:20260215170909

あの冒頭ミュージカルを「活かせてない」と切り捨てるの、正直ちょっと雑すぎるんだよね。

あそこ、ただの“賑やかなオープニング”だと思ってる時点で、この映画が何をやろうとしてるか半分くらい見落としてる。

まず、渋滞ミュージカルは「LAには夢追い人が腐るほどいる」という前提を、説明ゼリフゼロで叩き込むための装置

普通凡庸映画なら、「俺は俳優志望でさ〜」「私は歌手を目指してて〜」みたいなクソ退屈な自己紹介シーンを延々やるところを、一発で「ここにいる全員が“物語の主役になりたい奴ら”です」って見せてるわけ。

あの数分で、舞台テーマをまとめて提示してるのに、「活かせてない」はさすがに観客側の読み取り不足と言われても仕方ない。

次に、「現実 → 突然ミュージカル → 何事もなかったように現実に戻る」という流れね。

あれは単にノリで歌い出してるんじゃなくて、「この映画では、登場人物内面理想風景はこういう形で立ち上がりますよ」という“ルール説明”になっている。

ラストの“もしこうなっていたら”の長い幻想シーン、その構造最初ちゃんと予告してるのが冒頭なんだけど、そこをスルーして「なんか派手なだけ」としか見えないなら、そりゃ映画の半分くらいは抜け落ちて見えるよね、という話。

それからスケール感の使い方も分かりやすい。

最初は「群衆ミュージカル」として、この街全体の話をやりそうな顔をしておいて、最終的にはその中のたった一組、ミアとセブの物語フォーカスしていく。

「無数の夢追い人のうち、今見せるのはこの二人だけです」という視点の絞り込みを、いちいちナレーション説明せずに、演出だけでやっている。

これを「活かせてない」と言うなら、「映画的な導入」という概念のものが分かってないだけじゃない? というレベル

要するに、あの冒頭は

をまとめて処理してる。

ハリウッドの超優秀な作品にはしばしば見ることが出来る)超真面目な設計図みたいなシーンなんだよ。

2026-02-10

美味しいだけの食事はもうやめにしないか

脂ぎった顔で料理写真を撮り、SNSに上げては安っぽい快楽物質に浸る。自分意思で動いているつもりでも、実際は「消化器官維持管理」という本能に乗っ取られただけのバイオアクターだ。家畜にすら失礼かもしれない。家畜生存のために食わされているが、彼らは自ら進んで原始的報酬系首輪差し出している。

美味しいだけの食事気持ちいいだけのセックス。すべては生物学的にプログラミングされた鎖だ。自分ハンドルを握っているつもりで、ドーパミンという鞭に打たれて走らされている。予約困難な店に並び数万円のコースに舌鼓を打つ。いずれ排泄物へと変わる一時の通過儀礼一喜一憂する姿は、合理的思考放棄した幸福奴隷のものだ。

私はこの「美食」という低俗宗教から抜けることにした。

今の食事オペレーションだ。昼はタンパク質食物繊維、低GI炭水化物調達する。夜は完全栄養食とプロテインを流し込む。そこに喜びはなく、あるのは充足だけだ。

このルーティーン確立して以来、脳は解放された。「今日、何を食べようか」という卑しい悩みから解き放たれ、血糖値の乱高下に振り回されることもない。美食家たちが食後の眠気で泥のように眠っている間、私は常に一定パフォーマンスを維持し、冷徹世界を観察しているのだ。

人生損してる」と彼らは言うだろう。だが、外部環境幸福依存させ、餌を与えられた犬のように尻尾を振る人生こそが損失ではないか

私は自分の脳を、食欲というバグから守りたい。感情支配された群衆を見下ろしながら、サプリメントを噛み砕く。その静かな優越感こそが、家畜ではない人間としての唯一の証明である

2026-02-02

ショスタコビッチ交響曲第五番『革命

朝じゃない。夜でもない。

そんな時間に街は息をしていた。重く、鈍く。低い弦の音みたいにな。

俺は立っていた。理由はない。立たされていた、と言ったほうが正確だ。空気は湿っていて、誰もが口を閉ざしている。銃は見えないが、命令だけははっきり聞こえる。

音が動き出す。群衆も動く。個人は影になる。

金管が鳴るたび、誰かが背筋を伸ばす。伸ばさないやつは、いずれ消える。

ふっと、軽い場面が来る。

冗談みたいなリズム。安酒みたいな笑い。

だが後味は最悪だ。笑うのをやめるタイミングを、誰も教えてくれない。

静かな時間

弦が長く鳴る。長すぎる。

ここでは誰も強がらない。思い出すのは、名前と顔と、もう戻らない時間だ。祈り? そんな言葉は使わない。ただ、耐えるだけだ。

最後に来るのは光だ。

派手で、うるさくて、逃げ場がない。

勝利だと皆が言う。だから俺もそう言う。

足を踏み鳴らし、前を見る。止まることは許されない。

音が終わる。

だが終わったのは音だけだ。

革命? そんな言葉は信用しない。

俺が知っているのはひとつだけ――

生き残ったやつが、拍手をする。

2026-01-28

主人公が「やめろー!」って叫ぶ中村を燃やされ絶望するシーン

 火の匂いが、風に乗って流れてきた瞬間、胸の奥が締めつけられた。赤く揺れる炎の前で、縛られた中村は唇をかみ、何かを言おうとしていた。だが声はもう、群衆のざわめきにかき消されている。

「やめろ!」

 主人公叫びは、自分でも驚くほどかすれていた。喉が裂けそうになるまで声を張り上げても、誰一人としてこちらを振り返らない。人々の目は、炎だけを見ていた。正義だとか、罰だとか、そういう言葉空気を満たしていたが、そのどれもが空虚に思えた。

 中村と初めて会った日のことが、なぜか鮮明によみがえる。取り立てて立派でも、悪人でもない、どこにでもいる男だった。ただ流され、選択を誤り、ここに立たされている。それだけのことだったはずだ。

 火が近づくにつれ、中村の表情から恐怖が消え、代わりに諦めに似た静けさが宿った。その目が一瞬、主人公を捉える。責めるでも、助けを乞うでもない。ただ「見ているか」と問いかけるような、奇妙なまなざしだった。

「やめろ、まだ話せる、まだ——」

 言葉最後まで届かなかった。炎が大きくうねり、視界を覆う。熱に押し返され、一歩後ずさる。群衆の歓声とも悲鳴もつかぬ声が重なり、世界が遠のいていく。

 やがて火は静まり、そこには黒く焦げた柱だけが残った。中村の姿は、もうどこにもない。主人公は膝に手をつき、荒い息をついた。叫んだ事実けが、胸の中で虚しく反響していた。

 正しかったのは誰だったのか。間違っていたのは誰だったのか。その答えを知る者は、炎と共に消えてしまった。ただ一つ確かなのは、「やめろ」と叫んだ声が、二度と過去を変えることはない、ということだけだった。

2026-01-19

夢 (No.1308 2026/1/18)

←前 | 後→

書店をうろうろしていた。今どき珍しい大規模な店で、店内はほどよく混み合っている。まだ真新しいリノリウムの床は光沢を帯び、靴が擦れる音が心地よく耳に響く。書棚はどれも手が届かないほど高く、上から下までぎっしり本が詰まっている、最上段は背表紙を斜め下に向けてタイトルを見えやすくするような珍しい配慮も施されている。特に目当てもなかったので、そんなふうにとりとめもないことを考えながら、なんとなくぼんやり散策していた。

しばらくして結局何も買わずに店を出た。するとそこには予想外の大行列ができていた。狭い螺旋階段通路ほとんど身動きがとれないほどびっしりと人で埋め尽くされている。うっかり自転車階段の途中に停めていたので、運び出すだけでも一苦労だった。肩の上に自転車を担ぎ、僅かな隙間をかいくぐってようやく屋外に出る。行列は店の外にも延々と続いている。どうやら書店だけでなく、隣の楽器店や別の階の飲食店など、すべての店に行列ができているらしい。どれが何の列なのか傍から見るとさっぱり分からないほどだ。早い時間に店に入っていたおかげでこの混乱に巻き込まれずに済んだようだ。

とにかくそうしてようやく帰途につく。長い長いトンネルの道を自転車で走りながら、頭の中で明晰な音楽が鳴る。ときどき訪れる直感だ。頭蓋にプラグを挿してスピーカーで鳴らしたらどんなに素晴らしいだろうか。できればこれは記録しておきたい。そうだ、先ほどの楽器店に戻ってエフェクターを買おう。そう思いついて早速引き返す。すると目が慣れてきたのか、トンネル内の地面に多数の書き込みがあることに気づく。よく見るとそれは行列のための指示で、店ごとに並ぶ場所が細かく決められているらしい。混雑時はほとんど足元も見えないだろうに、こんな指示が役に立つのだろうか。それにしても数ブロックも離れた場所まで列ができることがあるのかと驚く。さすがに夕方近くになって列は解消されたのか、広いトンネルは閑散としている。あれほどの群衆はどこへ消えてしまったのだろう。まさに兵どもが夢のあとといった雰囲気だ。ところどころ店員らしき数人がゴミの片づけをしたり、群衆に踏まれて薄くなったラインチョークで引き直したりしている。

そのままとぼとぼと歩いていると、背後を歩いていた友達からジャケットに何か付いていると指摘される。肩の後ろに手を回してみると、確かに紐のような物がぶら下がっているようだ。引っ張っても取れない。ハサミで切ってもらおうとしたが、思いのほか丈夫でなかなか切れないという。針金のような頑丈さではなく、なめし革に似たしなやかで強靭な手触りだ。根元を辿っていくと、ジャケットを貫き、肩から後頭部に沿って額の方へ延び、最終的には右目の瞼に繋がっているようだ。皮膚から直接生えているところを見ると、突然変異した皮膚の延長か腫瘍一種なのかもしれない。いつの間にこんなものができたのだろうか。まったく気がついていなかった。鏡の前で瞼を裏返してみる。ちょうど異物の裏側に当たる場所に逆さ睫毛が生えているようだ。ということはこれは毛根の延長なのだろうか。本来なら医師の診断を仰ぎたいところだが、差し当たって邪魔になるので応急処置として切れるところで切ってしまいたい。幸いなことに、痛みどころか触った感覚すらない。適当場所にハサミを入れてみる。だが弾力が強く、なかなか思うように切断できない。困ったことになった。これではおいそれとジャケットも脱げないではないか

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2026-01-17

災害時は「フェイクニュース」に注意…判断誤り被害拡大も 元刑事が教える偽・誤情報の正しい“見分け方”

静止画化して検索

テロップフォントや配置が、ニューステンプレである可能

投稿者履歴


・次のような見た目の違和感重要です。


・深夜発災なのに昼のように明るい光量

・影の方向がバラバラ

電線や手すりの不自然な繰り返し

・顔や指のゆがみ

看板地名実在しない

群衆の声が均一で環境音が途切れる。

https://news.yahoo.co.jp/articles/60b77ecfaaf9e23ceb9377c81c101936bc8ecc86?page=2

2026-01-16

宗教法人であることは、神の国法則より宗教法人法が優先するという矛盾を抱えることになる。

宗教法人法は、「民主主義」すなわち「多数決」が原則となっており、そのために総会が義務付けられ、一番大切なことは全て総会の過半数で決定されることになる。

でも聖書は、過半数意見がいつも正しいとは言っていない。

否むしろその逆が真理であると書かれている。

マタイ福音書7:13は、「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多い」と言っている。

イエス十字架刑は群衆圧力で決まったようなもので、多数決いかに大きな危険性を含むかを示している。

2025-12-23

閉所恐怖症は狭い暗所にいきなり閉じ込めるべき

高所恐怖症も騙して高いところに連れてったり、バンジージャンプさせるべき

先端恐怖症は眼前に針を何度も近づける事が必要だし、海洋恐怖症も縛ったうえで死なないように酸素補給させつつ海底へ沈める必要がある

群衆恐怖症はたくさんの人間で取り囲んだ上で罵倒し続けるべきだし

死恐怖症には死ぬまでに何が起こるか平均的に人はい死ぬ死ぬ際の苦しみはどれだけを詳しく説明して聞かせる必要がある




恐怖症は甘え

恐怖症患者は恐怖症の根源と強制的に接する状況に叩き込む必要がある

甘えがなくなれば恐れは消える、それでショック死を起こしたとてそれはそいつが甘えの極みたる軟弱者だっただけ

淘汰!

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