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2026-05-11

anond:20260511150850

自分なかに理想ゲーム」があって、既存ゲームはどれもそれに足りていない。だから理想を求めて新しいゲームを買う。

スーパー寿司を買って帰るとなぜか傾く現象

すし屋しか食わないとかいブルジョアは去って良し。

さて、スーパー寿司を買って帰るとする。まぁ10貫でも12貫でも良いが、大体2列に並んで細長いパッケージだ。

しかし、この細長いパッケージは、実にレジ袋やマイバッグの中で傾きやすい。

90度になっているやんけwwwwって持ち帰っている時に思ったこともあるだろう。

なんならどこか世のなかに対する怒りにもつながるから危険だ。

さて、では、どうやったら傾かないで持って帰れるか?である

その答えは・・・・・・・・・・・・・・・

















































底が平たいトートバッグを使うことだ!

これしかない!!!!!!!!!

2026-05-09

anond:20260509132024

だよなあ

神社寺院がまちなかに大規模に堂々と存在するしキリスト教に至っては大学まで有る

イスラムモスク排除されてない

この状況でほか宗教というか弱小宗教だけやたら霊障揶揄されるのは単なる差別というか弱いものいじめに感じる

anond:20260509112445

職場での評価とは異なり、恋愛結婚での外見ジャッジ自由ではあるが、手放しに正当化はできないという見解だよ

多くの研究は、それは個人判断に委ねられるという立場をとっています恋愛結婚パートナーを外見で選ぶことと、たとえば就職採用試験で外見を評価基準にすることの間には線引きをしています

ですが、やはり考えたいのは「ある外見に惹きつけられる」という気持ちなかにジェンダーや年齢、人種障害などの偏りが含まれしまっているということです。

そういう意味で、たとえば「あの人はこういう見た目をしているか恋人候補にはならない」という個人の考えが手放しに正当化されるかというと……難しいですね……。そこには倫理的問題存在しているように思います

https://co-coco.jp/series/study/mikinishikura/

2026-05-08

宇宙のどこかに将棋星人がいるんだろうな

地球けが特別なわけない、無限に広い宇宙のどこかに知的生命体が進化しているはず。宇宙人は存在する」みたいなことがいわれるじゃん。

宇宙には知的生命体も無数に存在して、そのなかには偶然将棋と同じルールゲーム発明した宇宙人もいるはずだよな。

2026-05-06

現役裁判官「法の穴を突いて姪と近親婚しますwwww」

現役裁判官「法の穴を突いて姪と近親婚しますwwww」

佐々木1940年3月最初の妻と入籍したが、この妻は佐々木の実姉の娘であった

佐々木哲蔵 - Wikipedia

裁判長権力さえあれば、事務官セクハラ可能wwwww」

司法おk問題あればもみ消しますのでwwww」

裁判長上司権力を利用してみずから所属する部の若い事務官性的関係をもった例(2件あり、1件はもみ消され、1件は裁判官の退官に至った)

「裁判長が権力を濫用して性的関係を…」裁判官の世界は「ハラスメント」だらけ!?…“法の番人”であるべき裁判官の信じられない「実態」(瀬木 比呂志) | 現代新書 | 講談社

民事裁判教官女性裁判官生理休暇(※大嘘)があるから迷惑!!」

女性裁判官生理休暇などで休むから、他の裁判官迷惑をかける。女性弁護士迷惑をかける点では同じでしょう。僕も合議体(3人の裁判官裁判をするチーム)にいたときなかに女性がいて迷惑しましたね。地方裁判所の所長クラスが、そういう点で一番迷惑するんですよ」

女性裁判官のために正確に記しておくと、後に最高裁判所事務総局で調べたところ、女性裁判官生理休暇をとったという人は、それまで一人もいないということであった。

(2ページ目)「他の裁判官に迷惑」「夫の足を引っ張る」「成績が同じなら男性を採用する」…女性弁護士が暴露する“非常識すぎるパワハラ” | 文春オンライン

川嵜義徳裁判官「女ごとき裁判するな!!!盾突く男はいじめ抜く!!」

内閣府「そんなあなた勲章!!」

司法東京高裁長官まで出世させます!定年退官おめでと」

自分は任官志望であるが、女性でも裁判をするのは十分可能だしそういう偏見をもってはおかしい」と発言した男子修習生に対し「そういう考えをもつはいじめてやる」

昭和51年の30期前期修習で発生した,女性司法修習生に対する司法研修所裁判教官等の差別発言問題(教官等の弁明が正しいことを前提として厳重注意で終了した事件) | 弁護士山中理司のブログ

叙勲 H16年春・瑞宝大綬章

H8.11.29 定年退官

H6.3.3 ~ H8.11.28 東京高裁長官

H4.2.14 ~ H6.3.2 大阪高裁長官

H1.11.27 ~ H4.2.13 最高裁事務総長

川嵜義徳裁判官(8期)の経歴 | 弁護士山中理司のブログ

地裁キスセクハラ戒告処分でwwwww」

福岡地裁判事が修習生にセクハラ 高裁が戒告、依願退官 - 日本経済新聞

司法研修所幹部裁判長セクハラセクハラ!!!抗議されても絶対にやめるものかwwww」

1990年代末ころ

担当裁判長司法研修所幹部による第51期、第53期、第54期女性修習生に対するセクハラ行為発言疑惑差している傘の中に入り、手を握り、肩を抱き、抗議してもなかなかやめなかったなど)

「裁判長が権力を濫用して性的関係を…」裁判官の世界は「ハラスメント」だらけ!?…“法の番人”であるべき裁判官の信じられない「実態」(瀬木 比呂志) | 現代新書 | 講談社 (2回目)

戦争反対の訴えとは、戦争の、空気を作らないこと

短くまとめる

日本人空気を読む

日本社会空気支配されがちである

戦争反対メッセージを送ること

社会に影響力がある人が戦争反対メッセージを送るのは、そこへ意味がある。

かに戦争反対を訴えかけたところで現実戦争は終わらない。

すでに始まっている戦争への影響力はゼロといってもいいほど微小なものだ。

から、そのメッセージ意味はない。

とうことではない。

日本社会空気支配されると言われる。

まだ100年にもならない昔、日本軍国主義という時代を迎えていた。

その中では、戦争反対なんてことはいえなかったし、

徴兵に従わないなんてことも出来なかった。

なかには若くして自らの命を直接的に差し出すことを命令されたりした。

なぜなのか?

国家が厳しい監視をしたからか?

国家非国民弾圧たからか?

それもあるだろう。おおいにあるだろう。

しかし、それよりも「空気」がそうなっていたからではないのか?

戦後日本民主主義へと大きく舵を切り、

そして、それまでの最大の敵国の米国兄貴分としてあがめ、

その文化享受し、経済で強く結びつき、軍事同盟の傘に入った。

なぜなのか?

なぜそれまでと真反対の方向へと一気に進むことが出来るのか?

米国日本モデルケースとして、何度も何度も戦争で屈服させた相手米国敬愛する同盟国として育てようとした。

しかし、そうはならなかった。

なぜなのか?

日本とそのほかで何が違うのか?

それは日本人空気従順にしたがう国民性にあるのではないか

軍国主義空気にも容易く染まるし、

戦後民主主義空気にも容易く染まる。

それが日本人というものなのではないか

もしも、これが正しいのであれば、

社会的に影響力がある人が

戦争反対を大声で訴えることは

決して無駄なことではない

わたしたち空気に唯々諾々と従う人々であるのならそれは決して無駄なことではない。

戦争するのは、まあ仕方がないよ。

子どもたちが戦争に行くのはすごく反対だけど、まあ仕方がないよ。

仕方がないよ

仕方がないよ

仕方がないよ

そういう社会を望むのか?望まないのか?

2026-05-05

急募自分に明らかに興味がない女性に、自分に興味を持ってもらうには…😟

なかに顔を描いて踊るとかは駄目です…😟

安いゲームを買え、ガシャよりも脳汁が出るぞ

以前ガシャ中毒者が課金を劇的に減らす方法https://anond.hatelabo.jp/20260417215652を書いた者だが、ここ最近Playstation Storeセールゲームを買いまくってる。


キャラ1体1万円なんてばからしい、フルプライスソフトが買える」

10連3千円なんてぼったくり廉価版ゲームが買える」

こういった五億年前から五千億人が言ってるようなソシャゲのガシャと買い切りゲームコスパ比較は極めて正論である。ただ正論ではあるが、ソシャゲーマーには響きにくい。ダイエットに悩む人に対して「ダイエット?食事制限と適度な運動でしょ」というようなものだ。

なのでこの正論をガシャ課金に沼ってまた買い切りゲームに戻ってきた人間独自視点翻訳したい。ソシャゲやらないか、あるいは健全課金・もしくは無課金で通してる人間には決して言えない、わからない感覚をお伝えしたい。それは

「安いゲームを買う方がガシャより脳汁でるぞ」

ということだ。これは沼ったことがない健全な人にはわからないだろうし、自分もやめてからようやく気付いたのだけど、課金しまくってる人間はとっくの昔にガシャで「脳汁」なんてでなくなっていたのだ。


よくガシャはギャンブルだと言われるけど、確かに当てた時の「脳汁」を求める(パチンコだろうと競馬だろうと、金が増える可能性を言い訳にしても結局はこれだろう)という点ではそれに近い。しかしガシャには欲しいキャラなりアイテムなりを手に入れるという一応のゴールがある。そして今はそのゴールに大抵6万くらいの天井が用意されてる。そうなると確かに少ない回数で引けたときは瞬間的に脳汁のようなものは出るが、その量は課金しまくる人間ほど少ない。結局溜息つきながら課金して回して叩く気のなかった天井叩いて、はーまたやっちまった、来月は課金減らそう、で減らなくて来月に続く。

結局金を払えば払うほど「脳汁からは遠ざかっているのだ。これは当たり前の話でガシャは一般的ギャンブルと違って金が一切増えない。金をつぎこみ続けた先に、それまでの投資が戻ってくるようなパチンコ競馬最近はやりのオンラインカジノ(儲けた人いるんか?)のような一発逆転は一切ない。ただ粛々と負けを積み重ね、負け金が少なければ喜び、負け金が大きくても一応ほしいものが手に入ったと言い聞かせて終わる非常に起伏に乏しい作業なのだ。強烈な刺激を求めて大金を投じるどころか、むしろ金で刺激を薄め続けているから「脳汁」のコスパは壊滅的なレベル悪化している。

神引きの脳汁に大した価値はない、というかそもそも神引きできる機会が少ない、じゃあなんで課金して引き続けてしまうのか?その正体は特定キャラアイテムが欲しいのではなく実は「今の環境に飽きたからなんか新しいものが欲しい」というシンプル物欲に過ぎなかったのだ。そう、ガシャ欲ってただの物欲なんですよ。これは現役で自分ギャンブル依存症だと思いながらぶん回しまくってる人も、そういう人を冷ややかな目で見てる人も勘違いしている。ガシャというのは非常に刺激的で中毒性の高い娯楽であり、さながら違法薬物のような力があると「勘違い」している。これがよくない。

ガシャというかソシャゲをやめた今の私は禁断症状に苦しんだりせず、とても満たされている。それはなぜか?多額のガシャ課金という悪習を断てたからか?それによって今後貯金が増えるからか?もちろん、その二つもあるが最大の理由ソシャゲ課金してた時よりもはるか物欲の赴くままにガシャをまわしまくれているかである。自制心を鍛えてガシャをやめたのではない、自制心を必要としない安いガシャを回すようになったのだ。

ソシャゲをやめた私のいう「自制心を必要としない安いガシャ」とはPlaystation Storeセール対象ゲームをあさる事を指している。これがなかなかに脳汁が出る。かつてのデレステの水色のダウンロードバーが出た瞬間みたいな瞬発的な脳汁はないが、引いた後のご機嫌の余韻みたいなものセールゲームを買うだけで十分に再現できる。セールでどのゲームにしようか吟味する過程が非常に楽しいし、もちろん買ったゲームプレイして面白ければいうことない。そしてこれはガシャに狂わされた金銭感覚功罪の唯一の功といっていいのかもしれないが、2000円とか3000円のゲームに対して非常に寛容になれるというか、極端な言い方をすると出費ととらえないくらいの感覚で買えてしまう。

その結果どうなったかというと、来月のクレカ請求のうちPlaystation Storeであさったゲーム代がざっと2万円ほどになる。ここまで読んでくれた方ならこれまでのガシャ課金が到底月2万で済んでないことは察せるにせよ、趣味・娯楽に使う金として安いとまでは言い切れない金額になってはいると思う。

しかし、私はこの金額に満足している。ソシャゲ課金と比べれば少ないという理由もあるがそれだけではない。この2万円は本当に「ほしいと思ったものを一切我慢せずに欲望の赴くままに買った結果」だから物欲を一切抑えず、すべて解放しきった結果の2万なのだ。この満足感がすごい。

ソシャゲ課金しまくってた頃は矛盾するようだが大金を使いながらも「我慢」していた。さすがに全部引くわけにはいかないし、5千円や1万円で引けたらガッツポーズだが3万4万となるとやはり心にしこりが残るし、天井言わずもがな。せっかく大金を使っているのに大金を使ったことに対するストレスを感じるという負のマッチポンプ、それで手に入るのは月に2~3体の新キャラ

対してセールゲームをあさる今はどうだろうか?

「あ、これ良さそうだな、買おう。ついでに前から気になってたこれもセールの期限が近いし買っておこう」みたいな感じで買える。大人なので1日にゲームを2本買ってもいい、なんなら3本買ってもいい。ちなみに今月は9本(プラスDLC)買っているが、それで2万円強であるソシャゲ時代とは比べ物にならないほど物欲を好き放題解放して満足しつつ、支出は激減している。こんなに都合が良いことがあるだろうか。

というわけで課金しまくってる人、というよりそれに悩んじゃってる人、大丈夫!あなたは後戻りできない深刻なギャンブル依存じゃない!あなた欲求はただの物欲から買い切りゲーム買うようにするだけで安く満たせるぞ!ついでに言うとそんだけ好きに金が使える身分ならこの時期はめんどくさい税金もたくさん降ってくるだろ、今が辞め時だ。ソシャゲをやめると言っても別にやってたゲームを嫌いになれってんじゃない。私もやめたゲームファンアートいいねブクマしまくってるし、コミケの現地でもDLsiteでもエロ同人も好きに買ったらいい。あ、ウマのエロ同人はねえか。ただ単に「セール買い切りゲームを買うだけで脳汁もでるし、支出も減るぞ」というだけの話だ。

前の記事でも言った通りやめたゲームに後ろ足で砂をかけるつもりはないので強くは言わないが、今の自分の好き放題に物欲を開放しつつ、金がたまる満足感をより多くの悩めるソシャゲーマーに体験してほしくてここに描き散らさせていただいた。

セールで900円で買ったゲームがなかなか面白かったので、これを投稿した後はそれをやります

2026-05-04

朝日新聞連載Re:Ronメディア公共記事 インタビュー 9条だけでない、憲法という「自己拘束」の知恵 木村草太さんに聞く 2026年5月3日 7時00分 聞き手大内悟史

憲法学者木村草太さんインタビュー

 

時は来た」と高市首相憲法をどう変えたいのか 持論は「国防軍

 ――戦後日本社会と人々の暮らしを支えてきた憲法は、地に足のついたものになっているでしょうか。

 

 憲法が示している戦後日本の基本原則は揺らいでいないと思います平和主義国民主権人権尊重を捨て去りたいという人はごく一部でしょう。ただ、気になる点もあります憲法学者として人権差別解消の問題に長く取り組むなかで、昨年出した『幸福憲法学』ではこう指摘しました。

 

 「本来は『人権』という言葉を使うべき場面で、それを避ける例もある」「『人権』という言葉は避けられている」と。

 

 ――80年近くを経て、憲法価値観空洞化しているということでしょうか。昨夏の参院選では外国人政策が急に争点化し、排外的政策を掲げる政党政治家が広く支持を集めました。

 

 社会経済の先行き不安や怒りが広く存在するとき、人はその原因を何かに帰属」させようとします。何が不安や怒りの原因かは目に見えるほど明確ではないので、その帰属先はしばしば操作されます哲学者スローターダイクは、中世カトリック教会共産主義が、人々の怒りの矛先を操作して自分たちエネルギーしたことを論じています。怒りや不安を人の属性帰属させれば、差別の出発点となります

 

 例えば、外国人に見える観光客マナーが悪かった時、その人の問題とするべきですが、外国人差別を煽(あお)る人は「外国人観光客全員」あるいは「在留外国人も含む外国人全員」の問題とする操作します。

 

 ――メディアも、目に見える誰かのせいにして差別に加担しないようにしたいです。

 

 差別を防ぐには、不安や怒りを安易に誰かのせいにしないという意味での「自己拘束」が必要です。メディアが、因果の流れを丁寧に説明する必要があるでしょう。例えば、原油高に伴う物価高のメカニズムを報じることは、日常イライラを「外国人」に向けず、適切な対策を打たない政府や、戦争を続けるロシアイスラエル問題意識させることにつながります

 

プライバシー権と「差別されない権利

 ――不安や怒りのはけ口を探して、誰かを標的にする。そうして自分感情操作された結果、差別に加担するのは嫌です。

 

 憲法の掲げる人権差別解消の理念は、憲法学が最前線で扱うテーマの一つ。最近研究では、プライバシー権をめぐる議論差別問題とつなげながら掘り下げて考えています

 

 プライバシー権は、個人尊重幸福追求権を定めた憲法13条にもとづき、発展してきました。

 

 プライバシー権は「一人で放っておいてもらう権利」に由来します。この権利は、他者自分を標的として認識されない状態を守る権利とでも言いましょうか。あの人は、一人暮らし女性だ、老人だ、と認識されると、犯罪に巻き込まれリスクが高まり、緊張します。そう認識されないことで安心する。その安心感を守ろうというのが出発点です。

 

 その後プライバシー権は、人に知られたくない個人情報を知られずに、隠したいことを隠すための権利として発展しました。さらに、性的指向被差別部落出身であることなど、被差別情報を隠す権利としてもプライバシー権が使われるようになってきました。

 

 ここに概念の混乱が生じます

 

 ――混乱とは?

 

 個人情報なかには、裸や家の中など、①認知されるだけで苦痛情報と、認知されることよりも、②それを使った違法行為差別心配情報があります

 

 プライバシーとは、もともと①を隠すことだったわけですが、最近では、②もプライバシーにすることで違法行為差別を防ごうという議論になってきています

 

 しかし、違法行為差別に使われる情報なかには、公開されているものもあります。例えば、大学新聞社電話番号は公開されていますが、「いたずら電話をしよう」という呼びかけとともにSNS投稿されたら迷惑です。また、性別や肌の色は、隠されたプライバシー情報とは言えませんが、それを差別のために使われてはたまりません。

 

 これらの問題は、プライバシーとは別の権利、つまり違法行為を誘発する形で公表されない権利や、差別に使われない権利対応した方が明快です。ところが、最近プライバシー権議論は、これらの問題も隠したい情報を隠す権利の応用で対処できるとして、プライバシー権の射程を広げて対応しようとします。

 

 ――プライバシー権とは別に差別されない権利」があるということですか。

 

 はい。隠したいものを隠すプライバシーという概念対応しようとすると、性別や肌の色、出身地といった公開情報での差別は防げません。

 

 「差別されない権利」なら、公開情報だろうが、非公開情報だろうが、それを不当に利用してはならないと議論できますプライバシー権は、個人情報を「認知させない」権利だとすれば、差別されない権利個人情報を不当に「使用させない」権利です。

 

 このことは外国人差別とも深く関係しています

 

 肌の色や話す言葉など、公にされた情報外国人かどうかを推測できることがあります。ここから、「外国人お断り」のような差別が生まれます

 

 「外国人お断り」をする人からすれば、公開情報を使っているだけだからプライバシー権侵害していないと思うでしょう。しかし、外国人だという個人情報差別に使うことは、差別されない権利侵害と捉えるべきです。

 

 他にも、LGBTQの性的指向性自認などを本人の許しを得ずに暴露する行為を「アウティング」と呼びます。こうした行為プライバシー侵害だと言われてきました。ですが本来性的指向性自認は「隠したい恥ずかしい情報」ではなく、当人アイデンティティーの根幹となる情報です。アウティング問題なのは、恥ずかしい思いをさせたからではなく、差別をするかもしれない人に情報を開示して、差別を誘発する危険を作ったからだと考えるべきです。

 

 プライバシー権のおかげで、私たちは他の人の個人情報認知するときに慎重になれました。ただこれだけでは足りない。プライバシー権と「差別されない権利」を区別すれば、既に認知した情報でも、「この場面でこう使っていいのかな?」と使用の場面で慎重になれます権利を知ることで、差別を防ぐ「自己拘束」ができるわけです。

 

 ――個人情報差別的な使用とそうでない使用は、どう違うのですか?

 

 個人選択の結果を、国籍性別帰属させると差別になります。例えば、犯罪をするかどうかは個人選択ですが、それを国籍出身地のせいにするのは差別だと言わざるを得ません。

 

 雇用の場面でも、「この人は女性から辞職する可能性が高い」とか「外国人からこういう行動をとるはずだ」と判断するのも、性別国籍情報差別的な使用の例でしょう。不安イライラを「外国人」のせいにしがちなトレンドを止めるには、「差別されない権利」の考え方を根づかせることが重要です。

 

憲法に書き込む影響力

 ――そうしたトレンドの一つと言えるのかもしれませんが、高市早苗首相4月12日自民党大会で「時は来た」と述べ、改憲に意欲を示しました。

 

 不安イライラを「憲法」に帰属させるトレンドですね。

 

 国会憲法審査会などの議論は始まったばかりで、高市首相が目指す改正案はまだ示されていません。

 

 自民党のものとしては、安倍晋三政権下の2017年に示した「改憲4項目」がありますが、いまなぜ改正必要かという根本的な理由けが希薄でした。参議院の合区解消には実務的な必要性があるかもしれませんが、残りの3項目、自衛隊の明記や緊急事態対応の強化、教育環境の充実については、現行の憲法法律でも不足はない。仮にあっても、法律改正で済むような話ばかりです。

 

 日本への武力攻撃があった場合防衛行政は、現行憲法でも禁じられていません。緊急事態に際し、あらかじめ法律の定めた条件の範囲政令を出すことも、禁じていません。実際、災害対策基本法には、その例があります

 

 ――自民党の狙いは改憲の実績づくり、いわば「お試し改憲」だとの見方もあります

 

 もともと自民党の方々は、憲法9条2項を削除して軍を創設すると言ってきました。自衛隊明記案というのは、軍創設案の支持が広がらないため、「現状維持なら実現しそう」と出てきた妥協案なのでしょう。新しい条項ができると、「これまでできなかったことができるようになったのだ」と解釈される危険が生じ、何が起きるか不透明になります。当たり前ですが、現状維持したいなら、現状を維持するのが一番です。

 

 ――それでも、少しでもよい改憲なら賛成するという人もいるのではないでしょうか。

 

 憲法は国の最高法規。条文に書いていない要素を書き込むことによる影響を慎重に検討する必要があります

 

 例えば、明治憲法における都道府県位置づけはあいまいでしたが、戦後憲法92~95条に地方自治原則が書き込まれ、そのことで地方分権が大きく進展しました。もしいま自衛隊憲法に明記すれば、国家権力執行する警察海上保安庁などのほかの行政組織にはない強固な地位を得て存在感を増すでしょう。それでよいのかどうか。

  

 ――日本を取り巻く国際情勢は厳しさを増しています災害救助だけでなく有事切り札として自衛隊に期待する世論は高まっているように思います

 

 災害救助や国際貢献の面で自衛隊活動評価する世論トレンド理解しますが、慎重な分析必要です。

 

 憲法9条は、日中戦争太平洋戦争反省の下で外国領土侵略するような武力行使制限する「自己拘束」です。

  

 憲法制定から80年近くが経ついま、国際情勢が悪化していても、湾岸戦争イラク戦争ロシアウクライナ侵攻、米国イスラエルイラン攻撃などの戦地自衛隊派遣すべきだという世論国内で盛り上がる気配はありません。国連平和維持活動PKO)で自衛隊戦闘地域外に派遣する道はありますが、世論も、武力行使には非常に厳しい態度をとり続けています

 

 9条改憲を長年目指してきた自民党保守派でさえ、戦力の不保持をうたう9条2項の削除などではなく自衛隊の明記を目指す妥協策を打ち出すようになったことは、同項の平和主義精神改憲派にまで浸透したこと意味しており、「護憲派勝利」とさえ言えるのかもしれません。

 

 ――心配性かもしれませんが、そうした日本世論台湾有事などの危機に直面すれば、大きく転換しうるのでは。

  

 もし中国台湾武力侵攻した場合在日米軍基地自衛隊基地攻撃対象になるでしょう。必然的に、日本への武力攻撃事態となり、個別的自衛権の発動場面となります台湾有事は、海外での集団的自衛権行使とは違う事態だと考えるべきです。

  

 ――もう一つ気になるのは、自民党日本憲法改正草案12年)や「創憲」を掲げる参政党の新日本憲法(構想案)(25年)のような全面改憲可能性です。

 

 憲法の基本原則、すなわち国民主権平和主義基本的人権の尊重を廃棄するような全面改憲ができるとは思えません。ただ、逆説的ですが、そうした憲法価値観がしっかり浸透しているからこそかえって警戒心が薄れ、「自己拘束」の歯止めが利かなくなっていることが問題だと見ています

 

■「自己拘束」のルール、なくすばかりでは

 ――どういうことでしょう。

  

 高市首相4月21日防衛装備移転三原則改定閣議決定し、武器輸出を全面解禁しました。これは、安倍政権による集団的自衛権解釈変更(14年)や、岸田文雄政権が22年改定安全保障関連3文書に盛り込んだ敵基地攻撃能力保有防衛費の国内総生産(GDP)比1%枠超え(23年度予算)などに続く出来事です。

  

 憲法9条に、「武器を輸出してはいけない」とか、「防衛費はGDP比何%まで」と具体的に書いてあるわけではありません。しかし、9条からは、日本紛争を煽らないようにする「自己拘束」の原理原則を生み出し続けるべきだという規範が導かれると考えられてきました。武器輸出禁止などは、そこからまれルールです。こうしたルールを守ってきたことが、政府自衛隊の信頼を作ってきました。

  

 こうした信頼の蓄積は、「このルールをなくしても、めったなことはしないだろう」という方向にもつながります。ただ、信頼を食いつぶしていけば、いつかは破綻(はたん)します。だからこそ、憲法9条の下で作られたルール安易には手を付けない方がいいし、新しい状況に対応するために変える必要が生じたとしても、別の「自己拘束」のルールを作ることとセットで変えるべきです。現状の敵基地攻撃能力武器輸出の解禁は、ただルールをなくしただけで、新しい「自己拘束」のルール原則が示されていません。

  

 ――敗戦直後の日本軍国主義の復活を警戒したのは分かります。でも冷戦が終わり、米中ロなど大国の横暴が目立つ21世紀日本にとっても「自己拘束」は必要でしょうか。

 

 イスラエルネタニヤフ政権を見れば分かりますが、権力者にとって、対外武力行使権力を維持する魅力的な手段です。どんな状況でも「自己拘束」が不要ということはないでしょう。

 

 ――防衛費のGDP比2%は、25年度補正予算で達成されました。高市政権安保3文書改定にも乗り出しています

 

 憲法に具体的な数字が書き込まれておらず、準備すべき防衛装備に幅があるからといって何でもやっていいわけではない。

 

 少なくとも、GDP比率に代わる新しい財政規律ルールを考えておくべきでしょう。武器輸出についても、内閣裁量で変えられる政令から格上げして法律化し、対象国や対象品目を国会で決めるルールに変えるなどの対応は考えるべきでした。

 

 また、近年の防衛政策は「経済安全保障」「デュアルユース(軍民両用)」といったキーワードに見られるように、防衛省・自衛隊だけでなく、企業活動学術活動SNS通信など、様々な生活領域防衛政策に巻き込んでいく特徴があります。ここでは、営業自由学問の自由刑事訴訟における適正な手続きがおろそかにされる危険があります。実際、大川原工業経済

anond:20260418213211

悪意の人間は、社会に協力的であろうとか、紛争のようなものを避けようとする善意人間習性を利用するので

悪意の人間善意人間なかに入り込んだときのことを考えると、チェック体制を重ねることが大切ということだろうか

2026-05-03

まり事前に調べずに風俗

風俗慎重派の自分石橋を叩いて渡る風俗嬢選びを実践している。

なんとなく直感で選んだりフィーリングで良さそうと思った風俗嬢に突撃したりしない。

なぜならキャリア15年に及ぶ風俗利用で自分にはほとほとそういう直感力が備わっていないと知れたからだ。

だいたい事前調査なしに突撃すると失敗する。

ハズレならいいが、大ハズレを引く。

極端なパネル詐欺、極端な手抜き嬢、なかに性別詐欺まで。

そんな失敗に懲り懲りになった自分はヘブンネットの充実に合わせるようにして徹底的な事前調査をしたうえでしか行かなくなった。

口コミはもちろんのこと、日記も徹底調査、最低でも1か月くらいの動向を把握してからしか新しい嬢には突撃しないことにした。

なぜ1か月も掛けるかと様々な理由があるが一番には当欠されたら困るからだ。

風俗には少なからず当欠嬢とでもいうべき、当日になってから遅刻欠勤を頻繁にしてしまう嬢が多い。

そういう動向はある程度の勤務状態を観察してからし判別がつかないからだ。

たまたま短期間だけのいつもと違ってきちんと出金ができている場合もあるし、

逆にどれだけキッチリしてても当欠は絶対に避けられない(身体を使う仕事なのだから)。

たまたま観察していた日だけ当欠をしてる場合もあるのだ。

そういう事を知るには1か月は観察しないとわからない。

さらに、、、と続けるとひたすら長くなるのでそろそろ本題に入る。

そういう自分だが、今回は本当に久しぶりにフィーリングだけの初見で入ってみた。

口コミ評価がどれもおしなべて最高のテクニシャンという評価の嬢だ。

そのほうかをしんじ  えれrふぁ

2026-04-30

印象的なセックスメモ

■1人目

身長178cm

国立大

フリーター

この人はかなり頭が良かったが、人の気持ちがあまりからない人だった。それゆえ大企業での就労に失敗しらフリーターをしていた。大の女好きで、とても性欲を持て余していた。アイドル女優の追っかけをしていて、写真集などが家に沢山あった。付き合う前も最中も、沢山プレゼントをくれて、そのどれもがかなりセンスが良かった。正直なところ実家の太さはわたしの家と同じくらいで、一番ツーカーでやれていたところが良かったと今更思う。わたしがベンチに座ろうとすると、ハンカチを取り出して敷いてくれるところが好きだった。この人の親戚は海外駐在員で、その国で有名なファッションアイテムとかをわたしに贈ってくれた。今でも愛用している。フェラチオをされるのが好きで、よく強要された。しゃぶっていると、「アアン…」と女みたいな喘ぎ声を出す。キモい。口のなかに射精して「美味しい?」と聞かれることもあった。AVの見過ぎなのか?AVみたいなセックスの内容を好んでいた。ちんちんサイズは、今まで付き合った男の中で一番小さく、15cm以下だった。加齢で勃起が難しくなり、中折れが増えて、EDの薬を飲むようになったのと、相手モラハラ気質悪化して、心身ともに良い所が無くなってしまい、嫌いになったので別れた。

■2人目

身長174cm

国立大

大学助教

この人は、小太りで、自信がなさそうな人だった。そのせいか、性欲の発散と自分の男らしさを試すために、ワンナイトラブを好んでいた。BAR出会った年上の女性セックスしたり、インターネットフォローした女性と飲んでセックスしていた。というのが知り合いの女性の中で有名で、「あいチンコかいんだよー」と吹聴されていた。付き合ってセックスをしたら、実際ちんちんは大きく、17cm以上?で太さがかなりあった。しかし、ワンナイトが多いからかセックスが下手だった。胸を触ったり愛撫したりはほとんどせず、キスはいわゆるコイキングキス?みたいな、唇の周りがベチョベチョになるキスをしてきた。効果音をつけるなら、ベロンチョベロンチョ…ジュポジュポといった具合だ。わたしはよくこの人とのキスのよだれで肌荒れしていた。ちょっと股間を弄ってすぐ挿入してくる。おまけに遅漏なのでとにかく股が裂けて痛くて仕方なかった。まんの穴の下側が裂けて血が出る。男性はあまり知らないかもしれないが、まんが裂けた状態ピストンされると、ちんちんの粘液が切傷に擦り付けられるので、擦り傷に塩を塗られているみたいな痛みがキツかった。(後日、まんが裂けてるだけではなく、膣内のポリープちんちんで傷付けていたことも発覚した、膣からちんちんにどつかれてボロボロのヨレヨレになってびよーんってちょっと伸びた茶色ポリープが切除された)セックスの度に生理2日目みたいな出血が必ず起きていた。乳首の弄り方とかも下手で、ラジオチャンネルを変えるみたいに一方向にグリグリと捻じる。面白いけど死ぬほど痛い。あとちんちんが強烈に臭いちんちん以外の体臭もきつい。効果音をつけるならムワァ…ホカホカァ…って感じだろう。挿入中はフッフッフッと息を切らして目がカッと開いていて面白い。たまに白眼になるから爆笑しそうになって我慢するのが大変だった。あと、ピストンが独特だった。頭突き?突進するみたいな勢いがあり、身体負担が大きくらオークにレイプされていると思い込むことでなんとかセックスが出来ていた。交際中にオフパコされかけたので別れた。(オフパコ相手からクレーム交じりのタレコミで気付いた)。

わたしは挿入してるとき相手の顔をまじまじと見るのが好きだ。快楽に集中しているときの顔なので、みんな中々個性があっておもしろい。どんなにふだん威張っていても、快楽必死な顔は見ていて萎えるし、いい具合にシラケてくる。腹が立った時に、「こいつイキってるけどセックスの時に白眼になるんだよなぁヒヒヒ…」と思い出すとなんだか愚かわいくて愛おしくなってくることもある。正常位だと特にやすいのでぜひ確認してみてほしい。飽きたら、だいしゅきホールド?ってやつの体勢で、耳元で適当アンアン言いながら腕時計時間とか消費カロリーをみている。何時に帰ろうかなあ、夕飯どうしようかなあとか考えている。この体勢だと相手が私の顔を見れないので、何をしていても分からなくて飽きた時に楽。ヘルタースケルターでも同じようなシーンがあったなあ。

他にもセックスをした男女がいるが、印象的かつ嫌いな人間はこの2人だけだ。普通に今のセックス相手とは平穏セックスが出来ていて、先述したような邪悪観点俯瞰してセックスを見ずに済んでいる。(それって好きって…コト…!?)ほかの人たちはインターネットセックス情報公開するほど嫌いではないので、ここでおろした筆を置く。

2026-04-28

anond:20260428111353

この文を悪文だなんだとボロクソ言ってる連中のなかに普段中上健次は褒めちぎってる奴いそう

情報美味しいか

3タテ」は本当に「3連敗」のことなのか?

以下のように「3タテとは本来3連敗のことであり、3連勝の意味で使うのは誤用だ」と主張されることがある。

「3タテ」の正しい使い方でプロ野球ファンの間で議論沸騰 / X

ところが、その根拠は薄弱である

そもそも俗語で、発祥不明なのに、いったい誰が「原義」を確かめたのだろう。

「3連敗」説の傍証として提示されるのは、「もともと『3タテを食らう』という形で使われることが多かった」ということだが、考えてみればこれは根拠になっていない。

たとえば英語で「同一カード3連勝」を意味する「スイープ」だって、「スイープを食らう」と言えば「同一カードで3連敗した」という意味になる。

「3連敗する」という意味で「3タテを食らう」が使われていたとしても、それだけでは「3タテ」が「3連勝」の意味である可能性をまったく否定できない。

調べられるかぎり「3タテ」の最も古い記述は、1935年三田文学』の和木清三郎「わがスキイ」の記述だった。

佐佐木自称名人などは三たてといふのであつた。但し、香落だが······。

スニペットしか見られないので文脈がわからないが、これは「三連勝」の意味のようにも思える。原文を確認したいところである

1936年あみ・ど・ぱり』誌に掲載された、石黒敬七コラムには、ビリヤード文脈で出てきている。

この間、大阪から奥幸三郎旦那が出京して来たので、銀座で一キウ手合せしたところ、二百対七十でやつて見事三タテをくつた。


以降、1939年野球界』。

おまけにタイガースは春は優勝したチームだつたけど、秋はシーズン当初の不成績が祟つて、二位に落ちるチームだし、それに一度も勝てずに四タテを喰つたんぢや、チーム経営者の方から苦情の出るのは当り前ぢやないか


1940年尾崎一雄『猿の腰掛』。

雑務をやつてゐると、暉峻康隆君来る。碁盤を持ち出し、四目置かして三たてを喰はす。


1942年野球界』の山口幸一「日本野球打者論」。

殊に南海に四タテを喰はした事は圧巻的の活躍と云ふべく、之にはその鬪志の凝集によるものであつた。


3タテを食う/食わす」ではなく「3タテする」という形での用例も戦後には見られるようになる。

1957年ベースボールマガジン』。「広岡」とは広岡達朗のこと。

広岡 おもしろゲームをしようとは思わなかったけれども、四タテとは誰も思っていない。なにか四タテするんじゃないかぐらい思ったけれどもね。

これは巨人選手だった広岡が、日本シリーズで「西鉄に四連敗した」ことを言っている可能性もあるか。

1958年週刊ベースボール』。

開幕当初の調子がよかったころでも、4連勝目になると弱いチームにも奇妙にストップされる。第9節に大阪南海を三タテしたとき東映ストッ

こちらは明らかに連勝。

かの鶴岡御大1962年出版した『南海ホークスとともに』という本にもあった。

この18連勝のなかには、西鉄を三タテしたゲームも含まれている。

プロ野球黎明期から「3連勝する」の意味で「3タテする」という言葉が使われていたと言っていいようである

さら重要記述として、1961年の楳垣実『続語源随筆 江戸のかたきを長崎で』のなかに3タテ」の語源に関する言及がある。

たて この語については、福原麟太郎先生からおたずねにあずかった。「ヂャイアンツ広島に三タテをくった」などと使う「たて」である野球ことなどに詳しい方に聞いてみたが、よくは分からなかった。大阪で老人などが、碁とか将棋とかで、「二タテやった」「三タテやった」という使い方の「タテ」という語を、「二回続けての勝ち」「三回連続の勝ち」という意味で使ったことがあると、長沖一さんから教えていただいた。まったく見当はつかないが、その大阪ことばと関係があるのかもしれない。そしてまた「立てつづけ」という語とも関係があるのかもしれない。しかし「三回立てつづけの勝」が「三たて」と略され得るかどうか、疑わしい。

これにより、1961年時点で語源がわからなくなっていたこと、もとは囲碁将棋用語可能性があること、「3タテ」が「3連勝」の意味だった可能性があること、「3タテは連敗の意味のはずだ」という疑問は持たれていなかったこと、などがわかる。

以上からすると、「3タテは3連勝のことだ」とまでは決められないものの、少なくとも「3タテは3連敗のことだ」と言い切ることは難しいのではなかろうか。

子供亡くなっても人前じゃ全く悲しみ出さずまたいつも通りの様子で働いてる人

立派な人ってことになってるけど、あれ実際は社会的動物まりすぎて本人そこまでダメージ受けてない説が俺のなかにある

2026-04-26

かつ短時間でその目的を達成するためには、実際の業務に取りかかる前に

  適切な段取りが不可欠です。

  しかし、社員なかに段取りが苦手でいつも途中で業務手順の変更をせざるを得なくし

  てしまう人や、まったくの段取りなしに動き出し、すぐに途方にくれてしまう人もいるのを

  見聞きします。

  段取りが上手な人は仕事が速いうえに、質も高いのが通常です。

  逆に段取りが苦手な人はそのいずれにも問題があるという結果になってしまいがちです。

  □段取り8分の仕事2分 

   仕事の事前準備の大切さを表す格言として、「段取り8分(ぶ)、仕事2分」があります

   事前にきちんとした段取りさえしておけば、仕事の8割方は完了したということです。

   仕事に取りかかる前に、具体的に仕事を進める手順をきっちりと決めておけば、それだけ

   仕事の質とスピードは上がります

   もちろん実際に仕事に取りかかると予想外のことがたくさん起こります

   途中で段取りを見直す必要もあるでしょうが、何の段取りもなしに仕事に取りかかるのは

   余りに非効率です。

   たとえば、家を建てるときは必ず設計図を書きます

   そして必要な資材を準備し、工程表作成したうえで、実際に家を建てる仕事に取りかか

   ります

   段取りを十分に行わず仕事に着手することは、設計図なしで家を建てることと同じで、

   ありえないことです。

   段取りに使う時間は決して無駄、余分といったことではなく、その後の仕事スムーズに進

   めるための大切な準備プロセスなのです。

   段取りは「教える」のではなく「考えさせる」ことです。

   まずは部下に自分なりの段取りを考えさせる訓練が必要です。

   ロープレなどを通して、段取りの仕方そのものを身につけさせるのです。

   訓練を続けることで部下は段取りの大切さを実感します。

   また、営業マンとして「独り立ち」するためには、段取り力の習得が不可欠という認識をも

   たせることです。

   さら自分自身段取りするということは、与えられた仕事を自らが主体性をもって遂行

   ることでもあります

   若手社員に対してはできるだけ早い時期から正しい段取りができるように訓練することで、

   業務設計力だけではなく、自立心も高めることができます

  □段取りの基本

   1.目的明確化

     段取りの基本は自分がこれからやろうとしている仕事目的をはっきりさせること

     です。

     目的が違えば必要段取りはまったく異なるからです。

     たとえば、若手社員のA君とB君が自社の新製品を売り出すための販促企画書

     作成を命じられたとしましょう。

     販促企画書作成本来目的は、「自社の新商品製品)を売り出す」ことにあり

     ます

     上司はそのための手段ひとつとして販促企画書作成を命じたに過ぎません。

     しかし、A君は目的のものを「販促企画書を仕上げる」と捉え、B君は上司の意

     図通り「販売促進という目的達成のための手段として企画書作成する」と捉えま

     した。

     この場合、A君の関心は「上司から指示された仕様通りに作成すること」のみなの

     に対して、B君はその販促企画書を使って、誰をどう説得するかという点にまで踏

     み込んで考えます

     上司から指示された以外のデータを使うアイデアを思いつくこともあるでしょう。

     できあがってくる企画書価値は自ずと違うはずです。

     社員には、自分が行っている仕事本来目的についてつねに考えさせることが

     大切です。

   2.2つの目標

     目標には大きく2つの目標があります

     「行動目標」と「状況目標」です。

     本来的な目的である「状況目標」を達成するために、当面目指すべき成果が「行

     動目標」になります

     前述の例でいえば、販促企画書作成が「行動目標」です。

     これは、「状況目標」のために、何をすべきか、具体的な行動で目標を立てること

     を言います

     行動目標とはその名前のとおり、販促企画書をとにかく仕上げるという「行動」そ

     のものについての目標です。

     一方「状況目標」とは、行動目標が達成された結果、どのような状態になっている

     べきかという目標です。

     たとえば、販促企画書作成の状況目標としては、「上司承認を得ている」、

     「企画会議承認されて、具体的な行動に移る準備ができている」、「プロジェクト

     メンバー全員に情報が共有され、同意を得ている」といったことが考えられます

     状況目標の達成は行動目標の達成よりも優先されます

     膨大な販促企画書を書き上げて、行動目標を達成したとしても、それによって状況

     が進展しないのであれば、まったく意味がありません。

     状況目標は最終的なゴールで、そこへ向かっていくための具体的な目標が行動目

     標といえます

     言い方を変えれば、行動目標は、状況目標を達成するための「やるべき事項リス

     ト」ということになります

     段取りが苦手な人は「行動目標」と「状況目標」を混同してしまます

     2つの目標の違いを明確に認識させましょう。

   3.既存ノウハウ活用

     適切な段取りのためには、過去ノウハウ活用することです。

     「やるべき事項リスト(To Doリスト)」である行動目標をもう一度確認すると、そ

     の社員ゼロから始めなくてはならない仕事ほとんどないことが普通です。

     前述の例をとれば、販促企画書作成しろ小売店への説明会しろ過去

     誰かが同様のことを行っているはずです。

     先輩や同僚社員に声をかければ、過去に似たような業務をした人がいることも多

     いでしょう。

     これを利用しない手はありません。

     たとえ直接的に再利用できる資料がなくても、過去経験から効率的に業務を行

     う方法についてアドバイスを受けられるかもしれません。

     あらかじめベテラン社員ノウハウマニュアル化しておくことで、効率さらに高

     まります

     そして、どうしてもその社員自身がやらなければならない行動目標を並べて、「自

     分でやるべき事項リスト」を作成します。

     次にそれをどのような手順で、いつまでに行うかというスケジューリングを行って、段

     取りは完了します。

  □段取り力のレベルアップ

   1.標準化によるステップアップ

     段取りが習慣化していくと、「これまでよりもさらに短時間効率的に成果にたどり

     着けないか」という意識が生まれてきます

     たとえば、営業マンは、今営業をかけているAという顧客だけに目が行きがちです。

     適切な段取りを行って営業成功したとしても、状況のまったく違う次のBという顧

     客に対しては、またゼロから段取りを考えなければなりません。

     これではいつまでたっても営業活動効率的になりません。

     ではどうすればよいかというと、営業活動標準化させ、凡人営業マンであっても

     優秀な家業マンと同程度の品質にすることで、「誰にでも売れるスタイル」に変えて

     いく、つまり仕組みを使った営業に変えていくのです。

     そして、仕組みをつくるとは、仕事をできるだけマニュアル(標準)化することです。

     その際にはプロセス化とパターン化という考え方が重要になります

   2.集客から新規顧客獲得までのプロセスを標準(パターン)化

     営業活動を「集客(見込み客の開拓)」、「見込み客のニーズ把握」、「見込み客の

     信頼獲得」、「具体的提案」、「受注」といった具合なプロセスに分けて考えること

     です。

     そして、それぞれのプロセスを通過するために必要な条件を設定します。

     たとえば、どういう状態になったら見込み客の信頼を獲得したといえるのかについ

     てのチェック表を作成します。

     このチェック表が埋まれば具体的提案に進んでよいというわけです。

     次にパターン化ですが、これは顧客タイプごとにいくつかの営業活動パターン

     用意することです。

     たとえば、先方企業の社内手続きがネックになって、なかなか話が進まないとい

     うことがあり、先方が社内稟議を通しやすいような資料作成して乗り切ったとし

     ます

     おそらくこのようなパターンは今後もあるはずです。

     パターンごとにどうやって成功たかをきちんと記録し整理すること、つまり自分

     活動記録を「データべ-ス化」していくことによって今後同様のパターンが発生した

     場合には即座に応用が利くことになるわけです。

     なお、ここでは営業活動を例にしましたが、会議などすべての仕事にはプロセス

     パターンがあります

     この考え方を用いれば仕事効率は確実にアップします。

   3.自分にとっての段取りの「要(かなめ)」に力点を置く

     段取りにおいては目的達成までのプロセスのなかでもっとも難しそうな業務

     つまり果実現のための「要」を見極めることも大切です。

     これは一般論ではなく、現時点での自分自身能力に当てはめて考えます

     たとえば、「営業もっと重要なのはクロージングである」とよくいわれます

     一般論としてはこれが「要」です。

     しかし、実際には、「第一印象をよくすることが苦手だが、いったん信頼してもらえ

     れば後はスムーズに進む」という営業マンもいるはずです。

     この営業マンにとっての「要」は「第一印象をよくすること」ということになります

     このように自分自身能力考慮しながら「要」を設定することによって、もっと

     力を入れるべきポイントみえてきます

     この点については、長期的な取り組み(改革)と短期的な取り組み(改善)に分けて

     考えます

     「第一印象がよくない」営業マンであれば、本質的には話し方や態度などの改善

     本当に印象をよくすることが「要」ですが、目の前の成果を出すためには、第一

     象がよくないことを承知のうえで、「とにかくたくさんの飛び込み営業をする」という

     確率論の力を借りることも重要な「要」となります

     また、クロージングが苦手な場合も、その能力を高めることが本当の「要」ですが、

     短期的には「クロージング上司に任せる」と割り切れば、いかに多くの見込み客

     をよい状態上司に引き継ぐかなどが当面の「要」ということになります

     本来であれば自分の弱点を本質的改善していくほうが好ましいですが、短期

     な成果創出のためには、弱点を踏まえたうえでの段取り必要場合もあります

     この状況の見極め自体段取り力のひとつといえるのです。

   4.中堅、ベテラン社員段取りマニュアル化

     ベテラン社員過去経験の蓄積からほとんどの仕事について自分の頭のな

     かで段取りしています

     そのなかにベテラン社員本人は「当たり前」と感じていても、若手社員からみれ

     ば「すごい」と思えるノウハウが隠されていることがあります

     このノウハウマニュアル化して、積極的に共有していきます

     ベテラン社員実践しているステップパターンを「見える化」するのです。

     マニュアル化は若手社員のためだけではなく、ベテラン社員自分自身仕事

     仕方を振り返って改善するきっかけにもなります

     ベテラン社員が長年の経験のなかで培ってきた「勘」などの文字化しにくい部分で

     ある暗黙知についても、具体的に記載形式知化)することが大切です。

     マニュアルに盛り込むべき事項としては、

      ・業務全体の目的概要

      ・目的達成までの基本ステップ

      ・各ステップ概要(行動目標状態目標チェックポイント

      ・想定される問題解決方法

      ・成功事例、失敗事例の要因分析

     があげられます

安い坊さんに頼んだら説教プレゼンだった

妻の父が急逝した。

急逝なんて言えば聞こえがいいけど、病院嫌いここに極まれりといった感じで、癌治療医者に頼らず自己流でやり続けた結果、進行具合もわからないままに自宅で亡くなった。

死なれてみて初めてわかったことだけど、自宅で死なれるのは結構大変だった。

病院だと医者が死因を特定してくれる。特定というか、認定といった方がいいかもしれない。要するに、病気で亡くなったということを証明してくれる。

自宅で亡くなるとそれをすることができない。

から刑事さんに最初殺人を疑われないといけない。

普段から信仰があったわけではないか別に家族だけで見送ればいいなんて話にはなっていたのだけど、一応お経はお願いしよういう葬儀屋さんの勧めで安いお坊さんにお願いすることになった。

安いという価値観もまあ割と曖昧ものそもそも相場とはなんだって話ではあるけど、一応安かったらしい。

この辺り、喪主である義母さんのお財布加減でしかいからそれほど積極的に関わったわけではないけど、そもそもお義父さんが吝嗇家wだったのでお義母さんとしては一番安い人を選べば良いって感じだったのだと思う。

それがまさか参列者全員で、頭の上に大きなはてなマークを浮かべることになるとは思ってもいなかった。

刑事聞き取り(取り調べ?)は、医学的な治療拒否していたことが家族から強制ではないという悪魔の証明をする必要があった。

病院治療することが一番本人のためになるのにっていう、尊厳をガン無視した視点から聞き取りが始まるから、一つ一つの選択について、早く死んで欲しかたからという理由からではないという説明をしないといけない。

家族にしてみれば、大切な人が早く死んで欲しいなんて思うわけがないのに、第三者にしてみれば、そうではない証明ができないことが疑いに対する一番の根拠しかならない。

訃報を聞いて妻を実家に送り届けたタイミングがちょうど刑事から聞き取りだったので、何かの助けになればと思ってそのまま居合わせたけど、途中から自分論理的説明することのほうが殺人計画性を証明してしまうんじゃないかって怖くなって黙ってしまった。

いわゆる人狼世界観

相手の手練れをどこまで信用して良いか情報こちらには一切なかったので、状況を論理的説明しようとすればするほど自分殺人主犯と疑われかねない怖さがあった。

良し悪しの話ではなくて、さすがプロだなって思った。

葬儀をお願いしたお坊さんは、どちらかというと丁寧な人だった。

葬儀、というものに参加した機会なんてそもそもそれほど多いわけではなかったけど、今唱えているお経の意味目的をその都度その都度、読経を止めながら説明してくれるようなお坊さんは今までの人生で初めてだった。

通夜は行わず告別式初七日法要を同時開催し、葬儀の始まりから出棺まで1時間

経験則から言うと大体2時間以上って考えると、かなりのスピード葬儀だった。

普段なら読経だけでそれだけの時間がかかるところ、その都度説明をしている以上、必要に応じて端折っているだろうことも感じながら、現対人の時間感覚に合わせているんだろうなって思っていた。

お義父さんはどうやら病状をちゃん家族説明していないようだった。

妻の母は外国人で、日本に住んでもう何十年だけどやっぱり難しい日本語はわからなかった。

それをいいことに、お義父さんは診断書の細かい部分を立ち会ったお義母さんにちゃん説明していなかったらしく、お義父さんがだんまりを決め込んでしまえばお義母さんからしか情報を得られない妻は病状を正しく把握できていなかったようだ。

刑事さんの聞き取りで、口頭で理解できないことがあるとその都度診断書提示が求められた。

義母さんに立ち合いをお願いしていた妻は初めてその診断書を目にするのだけど、お義父さんがこれまで一度も口頭で説明したことのなかった癌が転移している現実がその都度一つ一つ明らかになった。

信じられない話かもしれないけど、お義父さんは医者から多数の臓器に癌が移転していてすでに相当の末期であることが伝えられていたにもかかわらず、認めたくないと言う気持ちもありながらも詳細をお義母さんに一切伝えていなかったのだ。

から妻にもその事実が伝わらず、妻にしてみれば、そうは言ってもまだまだ全然大丈夫な状況としてしか現状を捉えていなかったようだった。

まり、妻は、お父さんがこんなに早く死ぬだなんてことは全く想像をしていなかったのだ。

お義父さんが入院を嫌がって自宅で治療をしているという話を聞いたときも、やれやれたか。くらいにか考えていなかったのであろう。

自分から説明なんてものはその場では何の価値も持たず、妻が診断書に書かれた文字を目にする度に言葉を失う姿そのものが、刑事さんに対する事件性のなさを証明しているようだった。

お坊さんにしてみれば葬儀時間が短いほうが実入はいいけど、逆に時間が短すぎても割高だという人もいるから難しい。

お坊さんの技術力が高すぎて、たった一言でしっかりと極楽へと送ってくれるならそれでもよいような気もするが、仕事がよくできる人がわざと時間をかけて値段相応作業に見えるようにしているのとどこか似ているなと思った。

そうしてお坊さんのいう初七日法要までが終わると、お坊さんは立ち上がってこちらに向き直った。

いつもなら目も合わさずに退場していくようなものなので、それだけでもなんとなく珍しいと思っていると、更にお坊さんは話を始めた。

聞くと、最近ではこういった儀式めいたものが軽んじられる時代になってきてはいるが、人間の魂というものがいまだ科学で解明されていない不安定存在からこそ、こうした儀式の大切さを今一度考えてほしいという内容の話だった。

身内を亡くしたばっかりの悲しんでいる人間にする話か?とも思ったけど、参列者の大半が高齢者であることを考えれば、こういった話をすることが回り回って自分たちの出番を増やすのだろうから、これはありがたい話に見せかけたプレゼンだなと思った。

お金を払って動画を見ているのに突然CMが挟み込まれたような冷めた気持ちになった。現代に毒されているのはどちらかというとこの坊主だなと思った。

すでに死んでしまったものはどうにもならなかったが、家族としても何が死因で亡くなったのかが分かればせめて自分たちの責任が軽くなるのではと思い、取り調べのときに一つだけ刑事さんに質問したことがある。

それが、「こういった場合の死因は病死になるのか?」ということだった。

これさえもまるでそれ以上詳しく調べないでくれという事件性の隠蔽とも感じられないかキドキしながらの質問だった。

それに対し、刑事さんは「死因に病死というものはありません。例えば脳出血だったり心筋梗塞だったり、必ず何で亡くなったか特定されます。極稀に不詳という死因になることもありますが、基本的にはわかるまで解剖します。」とはっきりとした口調で言った。

まるで、もしお前たちが何かを隠していたとしても必ず見つけ出してやるとでもいわんばかりの迫力を感じた。

小学校の頃、教室で財布がなくなると盗んでもないのに手を上げそうになる気持ちを思い出して、喉の奥が酸っぱくなった。

それでも翌日には事件性なしとの判断がされ、死因には直接的な因果となった癌の名前記載されていた。

もっと多臓器不全とか直接的な死因が記載されるものかとも思ったけど、それは逆にもうどうしようもないくらいに癌の病状が進んでいることを物語っているかのようだった。

お義父さんとは文字通り死ぬまで反りが合わなかった。だから喪失感はあるけど悲しみはなかった。

いよいよ出棺のタイミングになり、参列者で花を詰めようというとき、これで最後からと花を入れたついでに肌に触れてみた。

塗りたくられた化粧で顔色はよく見えているけど、ドライアイスで当たり前のように冷たかった。

その瞬間、お義父さんが本当に死んでしまたことが妙な現実味として感じられ、妻や家族を泣かせていることに無性に腹が立ってきたらボロボロと涙が流れ出して止まらなくなった。

生前のお父さんとはまったく話が合わなくて、何度も言い争いをした。

絶対にあっちが間違ってるのに、絶対にそれを認めない。

最初のうちはそのうち完全に論破してやろうって思ってたけど、ある日言い争っていると突然妻が泣き始めた。

はいつもお義父さんに対する不満ばかり言っていたので、こちらとしては白馬に乗った王子様くらいのつもりでお義父さんをぶった斬ってやろうと思ってたのに、どうも違ったらしい。

妻は、不器用で口の悪い父のことが大好きだったようだ。

そのことに気がついたのは、お義父さんの癌が再発して入院するという話を聞いた日のことだった。

それまで何事もない様子だった妻が、「実は、、、」と言い出すと同時に泣き崩れてしまった。

病状のことや入院のことを話す妻が、お義父さんのことを心の底から心配してることがひしひしと伝わってきた。

それがまるで過去の答え合わせのように、妻がお義父さんを大好きだったのだという気付きにつながっていった。

それなのに自分はお義父さんと顔を合わせるたびに言い争って喧嘩をしていたのだ。

ある時から妻との間に妙な距離感を感じるようになったことがあったが、そういえばそれもお義父さんとの言い争いで妻が泣いてしまった頃だったかもしれない。

妻の大切に思うものは大切にしてきたつもりだったけど、見た目上で大切にしていないものまで大切にするのはなかなかに難しい話だ。

お義父さんが元気になったら、旅行に連れて行って今度は大切にもてなそうと思っていたが、それはついに叶わなかった。

親子の関係性と夫婦関係性を比較して嫉妬したところで何も始まらないことくらいはわかっているつもりではあるが、勝ち逃げされたみたいな悔しさがないとは言わない。

漠然としたやるせない気持ちを少しでも整理しようとこれを書き始めたが、残ったのが悔しさだったとは。

やはり自分がお義父さんのことを好きになれることはないのだ。

散々身勝手した挙句病院嫌いのわがままを押し通した上に死に際までしっかりと家族迷惑をかけやがって。

こうなったら二度とこちらに帰ってこれないようにめちゃくちゃ安らかに眠れるまで供養してやる。バカ親父め。

2026-04-25

赤ずきんちゃんについて

むかしむかし、あるところに、ちいちゃくて、かわいい女の子がいました。それはもう、たれだって一目見ただけで、ほんわか心が和むような、そんな子でした。でも、たれよりもかれよりも、この子のおばあさんほど、この子をかわいがっているものはいませんでした。この子を見るたび、おばあさんは胸がいっぱいになって、なにもかもやりたくてやりたくて、いったい何をしていいのかわからなくなるくらいでした。それで、あるとき、おばあさんは赤いびろうどで、この子にずきんをこしらえてやりました。すると、それがまたこの子にぴったり似合って、もうほかのものは何もかぶらないと決めてしまいました。そこで、この子赤ずきんちゃん赤ずきんちゃんとばかり呼ばれるようになりました。ある日、おかあさんはこの子を呼んで言いました。「さあ、ちょっといらっしゃい、赤ずきんちゃん。ここにお菓子が一つと、ぶどう酒が一瓶あります。これをおばあさんのところへ持っていらっしゃい。おばあさんはご病気で弱っていらっしゃるけど、これをあげればきっと元気になるでしょう。それでは、あつくならないうちにお出かけなさい。それから、外へ出たら気をつけて、お行儀よくしてね。やたらに知らない横道へかけだしていったりなんかしないのよ。そんなことをして転びでもしたら、せっかくの瓶が壊れるし、おばあさんにあげるものがなくなってしまうからね。それから、おばあさんのお部屋に入ったら、まず『おはようございます』を言うのを忘れずにね。入るなり、いきなり部屋の中をきょろきょろ見回したりなんかしないでね。」「そんなこと、あたしちゃんとよくしてみせるよ」と、赤ずきんちゃんはおかあさんにそう言って、指切りしました。ところで、おばあさんのおうちは村から半道離れた森の中にありました。赤ずきんちゃんが森に入りかけますと、おおかみがひょっこり出てきました。でも、赤ずきんちゃんは、おおかみってどんな悪いけだものだか知りませんでしたから、別に怖いとも思いませんでした。「赤ずきんちゃんこんにちは」と、おおかみは言いました。「ありがとう、おおかみちゃん。」「たいそう早くから、どちらへ。」「おばあちゃんのところへ行くのよ。」「前掛けの下に持ってるものは、何?」「お菓子ぶどう酒。おばあさん、ご病気で弱っているでしょう。それでお見舞いに持ってってあげようと思って、きのうおうちで焼いたの。これでおばあさん、しっかりなさるわ。」「おばあさんのおうちはどこさ、赤ずきんちゃん。」「これからまた八、九町歩いてね、森の奥の奥で、大きなかしの木が三本立っている下のおうちよ。おうちのまわりにくるみ生垣があるから、すぐわかるわ。」赤ずきんちゃんはこう教えました。おおかみは心の中で考えていました。「わかい、やわらかそうな小むすめ……こいつはあぶらがのって、おいしそうだ。ばあさまよりは、ずっと味がよかろう。ついでに両方いっしょに、ぱっくりやる工夫が肝心だ。」そこで、おおかみはしばらくのあいだ、赤ずきんちゃんとならんで歩きながら、道々こう話しました。「赤ずきんちゃん、まあ、そこらじゅうきれいに咲いている花をごらん。なんだって、ほうぼう眺めてみないんだろうな。ほら、小鳥あんなにいい声で歌をうたっているのに、赤ずきんちゃん、なんだかまるできいていないようだなあ。学校へ行くときのように、むやみとせっせこせっせこと歩いているんだなあ。そとは、森の中がこんなに明るくて楽しいのに。」そう言われて、赤ずきんちゃんはあおむいてみました。すると、お日さまの光が木と木の茂った中からもれて、そこでもここでもたのしそうにダンスしていて、どの木にもきれいな花がいっぱい咲いているのが目に入りました。そこで、「あたし、おばあさまに、元気で生き生きしたお花をさがして、花たばをこしらえて、持ってってあげようや。するとおばあさん、きっとお喜びになるわ。まだ朝は早いから、大丈夫時間までに行かれるでしょう。」とこう思って、つい横道からその中へかけだしてはいって、森の中のいろいろの花をさがしました。そうして、一つ花をつむと、その先に、もっときれいなのがあるんじゃないか、という気がして、そのほうへかけて行きました。そうして、だんだん森の奥へ奥へと、さそわれて行きました。ところが、このあいだに、すきをねらって、おおかみはすたこらすたこら、おばあさんのおうちへかけていきました。そして、とんとん、戸をたたきました。「おや、どなた。」「赤ずきんちゃんよ。お菓子ぶどう酒を、お見舞いに持って来たのよ。あけてちょうだい。」「取っ手をおしておくれ。おばあさんはご病気で弱っていて、起きられないのだよ。」おおかみは取っ手をおしました。戸はぼんと開きました。おおかみはすぐとはいっていって、何も言わずに、いきなりおばあさんの寝ているところへ行って、あんぐり一口に、おばあさんを飲みこみました。それから、おばあさんの着物を着て、おばあさんのずきんをかぶって、おばあさんのお床にごろりと寝て、カーテンを引いておきました。赤ずきんちゃんは、でも、お花を集めるのに夢中で、森じゅうかけまわっていました。そうして、もう集めるだけ集めて、このうえ持ちきれないほどになったとき、おばあさんのことを思いだして、またいつもの道にもどりました。おばあさんのうちへ来てみると、戸が開いたままになっているので、へんだと思いながら、中へはいりました。すると、何かがいつもと変わってみえたので、「へんだわ、どうしたのでしょう。きょうはなんだか胸がわくわくして、気味の悪いこと。おばあさんのところへ来れば、いつだって楽しいのに。」と思いながら、大きな声で、「おはようございます。」と呼んでみました。でも、お返事はありませんでした。そこで、お床のところへいって、カーテンをあけてみました。すると、そこにおばあさんは横になっていましたが、ずきんをすっぽり目まで下げて、なんだかいつもと様子が変わっていました。「あら、おばあさん、なんて大きなお耳。」「おまえの声が、よくきこえるようにさ。」「あら、おばあさん、なんて大きなお目目。」「おまえのいるのが、よくみえるようにさ。」「あら、おばあさん、なんて大きなお手て。」「おまえが、よくつかめるようにさ。」「でも、おばあさん、まあ、なんて気味の悪い大きなお口だこと。」「おまえを食べるにいいようにさ。」こういうが早いか、おおかみはいきなり寝床から飛びだして、かわいそうに、赤ずきんちゃんを、ただ一口に、あんぐりやってしまいました。これで、したたかおなかをふくらませると、おおかみはまた寝床にもぐって、ながながと寝そべって休みました。やがて、ものすごい音を立てて、いびきをかきだしました。ちょうどそのとき狩人が表を通りかかって、はてなと思って立ちどまりました。「ばあさんが、すごいいびきで寝ているが、へんだな。どれ、何か変わったことがあるんじゃないか、見てやらねばなるまい。」そこで、中へはいってみて、寝床のところへ行ってみますと、おおかみが横になっていました。「ちきしょう、このばちあたりめが、とうとう見つけたぞ。長いあいだ、きさまをさがしていたんだ。」そこで、狩人はすぐと鉄砲を向けました。とたんに、ふと、ことによると、おおかみのやつ、おばあさんをそのまま飲んでいるのかもしれないし、まだ中で、助かっているのかもしれないぞ、と思い付きました。そこで鉄砲を撃つことはやめにして、そのかわり、はさみをだして、眠っているおおかみのおなかを、じょきじょき切りはじめました。二はさみ入れると、もう赤いずきんがちらと見えました。もう二はさみ入れると、女の子が飛びだしてきて、「まあ、あたし、どんなにびっくりしたでしょう。おおかみのおなかの中の、それは暗かったらなかったわ。」と言いました。やがて、おばあさんも、まだ生きていて、はいだしてきました。もう、弱って虫の息になっていました。赤ずきんちゃんは、でも、さっそく、大きなごろた石を、えんやらえんやら運んできて、おおかみのおなかのなかにいっぱい、つめました。やがて目がさめて、おおかみが飛びだそうとしますと、石の重みでへたばりました。さあ、三人は大喜びです。狩人は、おおかみの毛皮をはいで、うちへ持って帰りました。おばあさんは、赤ずきんちゃんの持ってきたお菓子を食べて、ぶどう酒を飲みました。それで、すっかり元気を取り返しました。でも、赤ずきんちゃんは、(もうもう、二度と、森の中で横道に入って、かけまわったりなんかやめましょう。おかあさんがいけないと、おっしゃったのですものね。)と考えました。

……しかし、考えてみれば、このお話のように、ちょっと油断しただけで、すべてを失う。森の奥へ奥へと誘われて、道を外れ、かわいいはずの未来が一瞬で飲み込まれしまう。かつては強かった「おばあさん」も、病で弱り、守るべき「赤ずきんちゃん」も、結局は外部の脅威にやすやすとやられてしまう。そして、ようやく助かったと思えば、もう二度と昔のように無邪気に遊べない……。ああ、日本よ。まさにこの赤ずきんちゃん物語ではないか。高度成長の甘いお菓子バブルというぶどう酒を、弱りゆく「おばあさん(日本社会)」に届けようと森(グローバル化少子高齢化国際競争)へ入った途端、おおかみ(中国の台頭・移民圧力・内部の怠慢・ポリティカルコレクトネス)にすべてを食い尽くされていく。かつての日本は、赤いずきんのようにかわいくて、輝かしくて、誰もが守りたくなる存在だったのに、今はもう、石を詰め込まれたような重さで、這い上がることすらままならない。横道に誘う甘い声に耳を傾け、本道を外れたツケが、今の衰退だ。もう二度と、あの無邪気な森歩きはできない……そんな切ない諦念と、じわじわとした敗北感に浸りながら、この物語を噛みしめるのが、最高にたまらないというものだよね。

2026-04-24

いちご狩り

子供といっしょに行ってきた。いちごはもちろん大好き。

前日に「あしたは、いちご食べにいく?」と聞くと、なんとも言えない顔で、ちょっとキョドってゆらゆらと横揺れをし始めたのが可笑しかった。見たことのない動きですごく嬉しそう。

 

現地は、大きな農園かと思ったらそんなことはなく、街中の駅前にあっておどろいた。3mくらいの大きさのいちごモニュメントがあって、子どもの反応が見たかったけど、遅刻ギリギリだったので素通り。50mくらいの大きなハウスが6棟くらいあったかな。いちごは浮くような栽培されてて、腰の高さにいちごがずらっと並んでた。子供にとっては目線の高さ。

 

時間は45分。大人いちごを取って、どーぞであげてるのに、手に持ったいちごはこっちに向けて、「たべていい?」と毎回聞いてくるのがかわいいかったw

普段、家で食べれるのは大きいので2つ、おかわりに+1個くらいなのに、「え、食べていいの?これも、食べていいの?」見たいな反応がずっと続く。

 

30分が過ぎると大人お腹いっぱいで、ハウスなかに置いてあるベンチがありがたかった。子供お腹ポンポンポンではち切れそう。

みんなお腹いっぱいなのに、種まで真っ赤ないちごを見つけてしまうと、がんばって食べたくなる。子供にも食べる?と聞くと「うんうん!」とオーバーリアクション

 

いちごを食べに行くよとは言ったものの、想像以上の経験になってくれたかな?

大人楽しい空間だけど、今のこのいちご狩りって、子供にとって天国みたいなところだよね。これて良かった!また行きたい

dorawii@新刊発売(予定)

から、目の前とすぐそこを両方言うんじゃん?

類義語を言われたらそのぼんやりとした(このあたり概念境界部分をファジーに考えないと共通部分が空集合になる場合も多いから)共通部分のなかに伝えたいことの正体があると考えるもんじゃないの?

dorawiiより


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2026-04-23

「元弊社」ってひどい言葉だよな

Xとかでたまに「元弊社」ってのを見かけるけど、離婚した元妻を「元愚妻」呼ばわりするようなものでなかなかにひどい。

たいてい悪ふざけで書いてるんだろうとは思うけど、中にはこれが普通用法だと思ってるやつもいるかも?

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-21

アニメーター低賃金問題って言うけども

資産運用解決できないもんなん?

アニメお仕事と並行して18禁の絵を描いてもらうその売り上げは税金除いてすべて、資産運用に回す。アニメーターへの賃金アップを掲げて積極的に買ってもらう。当然、デジタルにしてお金流れを全部公開。アニメーターへ配当金を均等に分配していく。

理屈の上ではえっちな絵が売れ続ける限り資産運用お金が増えていくので配当金が増えると。アニメーターせっせとえっちな絵を描く。なかにはたくさん儲かる人もいるでしょうよ。

持ち逃げされない工夫

詐称するアニメーター対策必要だけども。

その辺はどこの会社でもやってるから

やれそう。

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