はてなキーワード: Alexとは
あるベテランゲーム開発者が「Game Passは業界を潰しかねない」と提唱して議論勃発。“ほかと共存できない”ビジネスモデルとして
そんなColantonio氏はユーザーの問いかけに返答するかたちでGame Passについての持論を展開。「Game Passは持続不可能なビジネスモデルであり、10年ほど(正確には8年間)マイクロソフトの“無限の資金”によって支えられながら業界にダメージを与え続けてきた」と主張。そしてGame Passが他のビジネスモデルと共存できるとは思えないとして、「他のビジネスモデルをすべて潰すか、撤退するかのどちらかになるだろう」との考えを伝えている。つまりGame Passがこのまま勢いを伸ばせば、買い切り型の従来のビジネスモデルなどは存続できないと考えているようだ。
また、続く返信で同氏は現状のGame Passについて「あまりにもお得なサービスなのでゲーマーだけが好んでいる」とも言及。とはいえ、ゲームへの悪影響が表れたときに、「最終的にはゲーマーでさえもGame Passを嫌いになるだろう」との見解を伝えている。具体的にどのような影響があるかは説明されていないものの、Game Passが独占状態となった際の市場を憂慮しているわけだろう。Game Passというビジネスモデルが業界に与える影響について、かなり批判的に見ている様子だ。
また直近ではRaccoon Logicの共同設立者兼クリエイティブディレクターであるAlex Hutchinson氏が海外メディアGamer Social ClubのインタビューにてGame Passについて言及。数年前まではGame Passへの提供で潤沢な契約金が提供されていたものの、最近では大型IPではない限りあまり大きな額は支払われなくなっていると伝えている。そしてこのまま発売初日に作品を提供する構造が続けば、パブリッシャーのいないスタジオは深刻な打撃を受けることになるだろうと警鐘を鳴らしていた(関連記事)。
Xboxの元幹部が警鐘「ハードウェアは死んだ」のか?岐路に立つゲーム戦略の行方
フライヤー氏は自身のYouTubeチャンネルで、「個人的には、Xboxハードウェアは死んだと考えています」と断言しました。その根拠として、Microsoftが最近発表したASUS製の携帯PC「ROG Ally」やMeta社のVRヘッドセットといった、外部企業とのハードウェア連携を挙げています。これらを自社開発・製造からの「緩やかな撤退」と見ており、「Xboxには意欲、あるいはハードウェアを自社で出荷する能力が失われたように見えます」と述べ、事業の終焉を示唆していると指摘しました。
また、現在のXbox戦略についても「混沌としている」と批判。「Xbox Anywhere」のスローガンを「中身のないマーケティング」と切り捨て、最終的な狙いは全ユーザーをサブスクリプションサービス「Game Pass」に誘導することにあると見ています。
さらに、「次世代のヒット作はどこにあるのか。25年後にXboxを気にかける人はいるのか」と問いかけ、過去の成功に依存する現状へ強い危機感を示します。Game Passは強力なサービスですが、そのためにハードウェアという柱を失ってよいのか、と彼女は疑問を呈しています。
https://www.youtube.com/watch?v=d8OI9FllKfg&ab_channel=KomodoVEVO
https://www.youtube.com/watch?v=QPTnMVvfH-w&ab_channel=TMRWMusic
男女対抗スポーツ。
https://www.youtube.com/watch?v=85upbXPmYWQ&ab_channel=VDJSmile
スポブラでボクシングとかしてる。
https://www.youtube.com/watch?v=bxNaF_B2qig&ab_channel=Audiosoulz
https://www.youtube.com/watch?v=hJOiCsL6eD0&ab_channel=MinistryofSound
https://www.youtube.com/watch?v=C5qoYDsI5WU&ab_channel=EmbassyOne
https://www.youtube.com/watch?v=0_UkQI2M1SY&ab_channel=Trampsta
https://www.youtube.com/watch?v=XFR7v5ix5hU&ab_channel=MadisonBeerMusicVEVO
https://www.youtube.com/watch?v=XyBkaG7-thc&ab_channel=VDJSmile
機能的非識字のまとめで、「すべての女性Alexandraの愛称がAlexとは限らない」に文句を言ってる奴らって述語論理(「すべての」とか「任意の」を取り扱う論理)を分かってないんだうろな。
たとえば「東京都は都道府県である」というのが正しいからといって「都道府県は東京都である」とはいえない。「東京都以外に都道府県はない」かつ「東京都は都道府県である」なら「都道府県は東京都である」といえる。「東京都以外に都道府県はない」という条件はないのだから「都道府県は東京都である」という文はおかしいだろと指摘したくなるのは当然のこと。
ちなみに、「東京都は都道府県である」っていうのを「AならばB」みたいに置き換えたがる奴がいるだろうけど、そう置き換えることはできない。Aが「東京都」では、Aは真とも偽ともいえない。こういう考え方をしている奴が知っているのって命題論理だろ。「2辺とその間の角が等しければ三角形は合同である」みたいな、AもBも真偽を判定できる文になってる奴。
アレクサンドラ(Alexandra)とアレックス(Alex)の関係も東京都と都道府県の関係と同じようなもので、「アレックスはアレクサンドラの愛称である」というのが正しいからといって「アレクサンドラの愛称はアレックスである」とは言えない。「アレックス以外にアレクサンドラの愛称はない」という条件がつけば「アレクサンドラの愛称はアレックスである」といえる。問題文ではそんことを言っていないのだから、「アレクサンドラの愛称はアレックスである」というのは論理的に妥当じゃない。
「『アレックス以外に愛称がある』なんて問題文で言ってないじゃん」とか言ってるやつもいるけど「アレックス以外に愛称がない」ことを問題文で言ってないから妥当じゃないんだよ。「アレクサンドラの愛称はアレックスである」というのが正しいと思っている奴こそ、問題文に書いていない「アレックス以外に愛称がない」ことを無から勝手に読み取っている。
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
カラビ–ヤウ多様体はM理論真空にもミラー対称性双対空間にも要請されるコンパクト化多様体で、ミラー対称性双対空間のコンパクト化多様体ホッジ数の位相不変量であり、M理論真空のコンパクト化多様体カイラルスペクトルの位相不変量でもある。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
問: ミラー対称性双対空間のコンパクト化多様体ホッジ数の位相不変量は( )である。
1.カラビ-ヤウ多様体 2.カイラルスペクトル 3.M理論真空 4.ミラー対称性双対空間
ふつうに考えてわけわからんだろ。まずおまえらこれ読むか???
単に語との接触頻度だと思うんだよな。
前者の問題が後者の問題のように見えている人にとっては難しい。人によってはAlexやAlexandraって見えただけでうわ英語だってなることもある。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1078386
「Alexは女性名Alexandraの愛称である。ではAlexandraの愛称は何か?」4択問題で中学生の正答率45% その理由は?
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1737261
「Alexandraの愛称は( )である。」という問題、中学生の正答率が38%なのは「愛称の意味がわかっていない?」→様々な意見
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2547331
「文字は読めるが文章が読めない」は「機能的非識字」といって、世界中で問題になっている。日本では「アレクサンドラ構文」が有名で、高学歴だろうと間違える人はいる
今年は増田をよく見ていました。調味料やタイミー、短歌や110年前の投書、UOの思い出やジークアクスの妄想増田がとても勉強になりました。
トラバの「包み込むように」もいい曲だった。
音楽大好きなので。
これより前に投稿されていた増田が伸びてほしかった。以前増田で読んだことあるのに、何も指摘されないままこの増田のブクマだけが伸びていった。
どうなりましたか?うまくいってればいいな。
今まさにこんな感じなので。
https://www.aci-iac.ca/art-books/alex-colville/key-works/pacific/
見てくれましたか?
バチクソカッコよくないですか?
明るい昼の(しかし電気はついてないので薄暗くもある)、海の見える部屋で、上半身裸で窓枠に腕をついて(たぶん)海を眺めている男
部屋は殺風景で窓が大きく、男の他に部屋の中にあるものといったらなにやら目盛のついた机と、その上に無造作に置かれた拳銃だけ……
人も船もいない昼の海の某洋とした静けさと、男のリラックスした立ち姿からただよう穏やかな雰囲気
いちばん手前に置かれた無機質な拳銃から醸される、剣呑な雰囲気
この対比っつうか、対比でもなく、二つが混じり合った感じが、本当にもう、めちゃくちゃカッコいいと思うんですよ
最初に貼ったリンクの解説だと、テーマとしては自殺なのかも、しかし本人は自殺についての絵だとは考えてないと言ってる、的なことをいろいろ書いて、最後には「この絵が描いているものが迷いなのか決意なのか、希望なのか絶望なのかは、鑑賞者によってのみ決められるのだ」みたいなことを言ってる
そうなんだよ
わかんないんだよこの絵がなんなのかって正直
しかし一つ言えるのは、とにかくバチクソカッコいいということだ
絵のことって全然わかんないけど、これはなんというかビビッときた
オーシャンのパシフィックでもあるだろうし、原義としての"太平"でもあるんだろう
パシフィック!なんせ響きがいいよな
もし将来、どこかでアレックス・コルヴィル展が開催され、この絵が来るみたいな話になったら、俺はかなり頑張ってでも行くだろうと思う
逆にたとえば、俺がこの絵をまったく知らなかったとして、何かの偶然でちょうどアレックス・コルヴィル展に入って、そこでこの絵を初めて見たら、確実に絵の前で立ち尽くすことになるだろうと思う
うわっ、かっけ〜……とか言ってさ
わかりますか?この絵のカッコよさ
わかってほしいんだよ
あとこの絵、あまりにカッコよすぎて映画でオマージュされてもいるらしいな
メチャクチャわかる
たとえば俺が漫画家だったら、扉絵でオマージュするもん絶対 でも原作がカッコよすぎるから恥ずかしくなってボツにしかできないかもしれん
とにかくカッコいい
カッコいいと思うんですよ
ゼロ年代のインターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語版ウィキペディアで、ウクライナに関する有益な記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。
しかし、Alex Kさんはウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナの歴史上の人物や、都市や、教会についての記事を執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事を修正しようとした。それが問題のはじまりだった。
話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由にキリスト教を布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師を日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書が必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自の日本語版聖書を作った。正教会の宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめしい文体の日本語訳聖書を作った。カトリックやプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会の聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会の聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。
| 正教会 | カトリック |
|---|---|
| 主教 | 司教 |
| 顕栄 | 変容 |
| 生神女 | 聖母 |
| 至聖三者 | 三位一体 |
| イイスス・ハリストス | イエス・キリスト |
これがいいか悪いかは、その人の価値観によるだろう。他の教会と共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自の伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利は日本人の正教徒にしかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。
このようにキリスト教各派が使っている用語がバラバラなので、日本語版ウィキペディアでは、「各派の独自用語を尊重する」というデファクトスタンダードが確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自の呼称である「教皇」が採用された。カトリックの教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。
ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別は存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自の用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。
このような反論にAlex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ、投票に参加しなかったにもかかわらず勝手に記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさんは日本語版ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。
Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会の立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会はロシア正教会の一部なのである。
それの何が問題なのだろうか。日本のカトリック教会は、全世界の信徒を統べるカトリック教会の地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会がロシア正教会の支部であって何か問題があるのか? カトリックと正教会の組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界の組織がピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだ(コンスタンティノポリスの全地総主教はあくまで同輩中の首席にすぎない)。
正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会やブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自の組織が存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的に日本人の信徒や神品(聖職者)で決めているが、教会トップはモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省の統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会はロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジアに独立教会がない。中国正教会もロシア正教会の傘下だし、韓国や香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。
つまり、ウクライナ民族主義者であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会を尊重せよ」というのは、「ロシア正教会を尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会とカトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリックと差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会が存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたことから、ウクライナ民族主義の核になっている)。
しかしAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会は日本人によって運営されている教会だ、という点である。確かに教会の設立はロシア人によるものだし、ある時期まではトップがロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒は自分たちで教会組織を運営するようになり、ここ半世紀は教会のトップも日本人が務めている。しかも、日露戦争やロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話である。ロシア正教会が気に食わないというウクライナ人の気持ちは理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。
ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人のあいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロ・コロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会の用語法を意図的に無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会の管轄地である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイートを公然としている。まあ、こういうツイートでウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教の精神的双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。
(そもそも、ウクライナ正教会が日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒は基本的に日本正教会の聖堂に通うべきだからだ。とはいえ、移民が移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本に支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会が独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワの許可が必要なんだ?」と嘯いたそうだ)
さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本の総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教は日本正教会の自治権を認めておらず、韓国に派遣したギリシャ人の神品を日本の正教会のトップに任命しているのだ。彼は韓国の正教会のトップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情は理解できる。だがそこでも、日本正教会が日本人の運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人の神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人が日本の正教会のトップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?
ロシアのウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンとプーチンを盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教は腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本の教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人、特にウクライナ正教会の関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会の信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統は尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。
ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。
На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].
この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナルの記述である。
Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».
Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的な解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに「第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者の勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界の言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法はモスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<
東京のカスヤローどもが、「アテクシ、美術館とライヴのない生活は無理でしてよ!」とか抜かしてんのを見ると、なんかスゲ〜ムカつくので、じゃあ家の周りに美術館がねえこの俺が、キサマより美術や音楽に詳しくなったるわ!という気持ちをもってのことです
やり方については詳述しねえ
詳しくは言えねえけど、ある海外人気の高い大型SNS(って言ったらもう分かりそうだけど…)で、美術とか食とか旅行とか写真みたいな、そういう徳の高いコミュニティ(5chでいうところの板みたいなものがメインのSNSなので、タイムラインを個人ではなくジャンルで作ることになる)をまとめたフィードを作って、それを毎日みる
カザフスタンの旅行写真とか、デトロイトスタイル・ピザとか、マックスフィールド・パリッシュの絵とか、Coq au vinっつうカッコいい上にうまそうなフランス料理とか、そういうものの知識が毎日流し込まれる
マックスフィールド・パリッシュの絵なんか、実際結構気に入った 名前を覚えるくらいに気に入った
冬の風景画の、明朝の深い青色の空の感じが非常に「わかる」感じで、大変よろしい
こういう風景、実際に目にして感動して、あとで見返そうと思って写真にとっても、ぜんぜん感動を切り取れないんだよな
絵で味わえるのはホントにありがてえ
今日見た中だと、秘密ですよ、Alex Colvilleという人のPacificって絵、これがマジで超カッコよかった
オーシャンビューの、開放的で生活感のない部屋で、上半身裸の男が気だるげに海を見ている、のを後ろから見ているって絵なんだけど、なんといっても手前の机にぽつんと置かれた拳銃が目を惹く
この銃はなんなのか、既に使われたのか、これから使うのか?男は何者なのか?何を思っているのか?
男の方から上がフレームアウトしていて、表情なんかがまったく伺えないのもシブい
この絵にインスピレーションを受けた映画があるっていうのも頷ける話だ これはカッコいいよ
いい絵を見ましたねえ!
実際、旅先で美術館行っても、あーこれモネなんだあ、モネって誰だっけ?マネと関係あるんだっけ?とか思って、ただ見たって事実に満足してしまって、画家のこととか個別の絵のエピソードなんて全然覚えないことが多い
まあそれはそれで贅沢なことで、非常に文化的であることは否定できねえが、しかし、東京野郎がそうしている間に俺は俺の組み上げた電子美術館で文化資本を積み上げていくぞ
そんで、東京から来たんスよ、とのたまう野郎のTシャツを見て言うんですよ、「あれ?この絵ってコルヴィルの"パシフィック"じゃないですか!カッコいいですよねえ」とかってさあ!「えっ…ああ、このシャツですか?へー…そんな名前の絵なんだ、気にしてなかった」「あら、そうなんですか?残念、マイケル・マン監督がお好きだったりするのかなと思ったんですけど!」
ウゼー 書いてて嫌になってきた
こんな瞬間は訪れなくていいんだけど、しかし、カードとして切れるものが増えるのは嬉しい
カードとして切るっつうのはなにもマウントを取るだけのことじゃねえ 適当に行った美術館で偶然見かけた絵の青色に見覚えがあって、これはパリッシュ・ブルーなんじゃねえの?!と思って作者名を見たら実際にそうで、ヨッシャ〜とか小声で言って、だれに共有するでもなく、ただマスクの下でニヤつきながら観光を続行、そういう瞬間に俺のもつカードは確かに切られているということになる
原因を考えてみたんですが、恐らくこの人達は
そもそもパイロットと登場機の性別が一致するというのが大きな間違いなのです。
たとえば船は女性ですが、それなら船乗りは女性ばかりなのでしょうか?
そうですもしそれが当たり前なら『ハイスクール・フリート』はそのコンセプトそのものが間違いだったことになるでしょう。
ただこの勘違いを引き起こしているのは、ガンダムという作品における圧倒的男性パイロットの率に起因すると思われます。
機動戦士ガンダムは愚かなオールドタイプを新しい価値観が駆逐するというコンセプトでありながら、パイロットといえば男という昭和的な価値観をひたすらに引き摺っているのです。
その証拠として登場する女性パイロットの圧倒的なNT率の高さが上げられます。
これは「女性なのにパイロットをやれるという異常事態には理由があるはずである」という偏見がなければあり得ないほどの高さなのです。
パイロット≒男性論は後世の作品にも引き継がれ、平成ガンダムにおいても多くのパイロットが男性であるわけです。
しかし、その殻を遂に破り女性パイロット主人公たちの物語が展開されるのが『水星の魔女』なわけですね。
この作品は一部のオールドタイプな者たちからは女性キャラクターで萌え豚を釣る愚かなアニメと思われているようですが、そのような偏見こそが今や時代遅れでしょう。
女は家庭に入り港として男を守るために生きるべきであるという価値観はプリキュアの登場により破壊されたはずですが、あれか20年未だにそのような思想に固執するとは。
ここまで言ってもまだ「機体はパイロットの分身なのだから、パイロットと性別が同じだ」と主張する人に質問です。
貴方は『アイドルマスター XENOGLOSSIA 』をどうのような物語だと解釈しますか?
そうです。
あの物語は明確に女性パイロットが男性ロボットを取り合う恋愛修羅場ロボットアニメなわけです。
え?恋愛はヘテロな関係の中で展開されるというオールドタイプな思想から来る偏見ですって?
それなら話題を変えましょう。
そうですエヴァ初号機は碇シンジの母親碇ユイであり、パイロットであるシンジは男性なのです。
証明は終わりました。
私の勝ちです。
https://anond.hatelabo.jp/20220807004927
この増田の
週刊サンケイ. 13(46)(697);1964・11・2 国立国会図書館限定 雑誌 扶桑社 [編] (扶桑社, 1964-11)
うん。
どっちも「ぐだぐだ」という意味でガバガバを使っているという話じゃないよね。
ガバガバというオノマトペがそのまま当てはまるような物理的状態に対してガバガバを使っている状況を指している。
オノマトペそのもの意味から派生して、より概念的なもの、グダグダな状態を表す言葉として使われだしたのがここ10年という意見に対しての反論としては成立してない。
と反論されている。
これもまた「物体の物理的な状態に対してのオノマトペ」であり、「仕事や段取りが上手くいってない状態」を表現しての「ガバ」というニュアンスではなく派生前のものを指している。
における「ここ10年」は「グダグダという意味が生まれた」の時期を指している。
これは日本語を母国語として12年義務教育やっていれば当然読めると思われる。
だがはてなーたちはこれを「ガバガバという言葉が生まれたのはここ10年」と読んでいる。
これはまさに日頃はてなーが馬鹿にする「十分に人との距離が離れており換気もされている屋外においてはマスクを外しても問題がない」を読めない人種ではないか。
あえて注釈を入れるが、この文章は「十分に人との距離が離れており換気もされている屋外」という条件を満たしたときであれば「マスクを外しても問題がない」という意味だ。
間違っても「マスクを外しても問題がない。何故なら屋外で赤の他人と過ごすシチュエーションにおけるお互いの距離は感染の危険がないほどに長いと証明されたからである。つける必要があるシチュエーションはハグ・セックス・大声での口喧嘩ぐらいであるが、これらは屋外では滅多に行われない。つまりマスクはもうほとんど不要と言って良いのである」ではない。
結局ははてなーもまた文章を読んでいるわけではなく、文章からイメージされる情報に対して自分の記憶を何となく結びつける人種なのだ。
まるで英語が出来ない学生がリスニング試験を受ける時のように、文法もよくわからないまま単語と自分の記憶を朧げに結びつけることでなんとか意味を理解した気になっているのである。
そしてそのことに自覚がない。
何故なら、彼らにとって文章を読むとはずっと昔からそうであったからだ。
散りばめられた単語と自分の経験や知識を組み合わせて、それっぽい話を頭の中で組み上げているだけなのだ。
言葉が法則によって並べられ、悪文でもない限りは意味が一意に絞れるような組まれ方をしているものだとは思ってない。
「アレ」や「ソレ」といった代名詞を使ったりジェスチャーや雰囲気でなんとなくお互いの考えを伝えるのと同じ延長線上にあるのである。
これは実に恐ろしいことだよ。
何が恐ろしいって自分たちがそんな状態のままで他人には「マスクを屋外でいつでも外していいってなんで判断してるの?」「ただの風邪ってフレーズだけを切り抜いて何から何までただの風邪と同じとついに暴露したって騒いでるの頭おかしいでしょ」って言うんだものな……。
何も変わらんよ。
自分たちが日頃そういう会話に参加してるから漠然とし「既に知っていること」を「なんとなく思い出して」いるだけじゃないか。
ビックリだな。
ケーキを切れないかもしれない境界に多くの人達がいるという本が前に話題になったが、ネットで他人の文章読解力を散々笑ってきたコミュニティがAlexの読解力問題を解けないというのもそれに似た話なんだろうな。
本当にひどい。
まあ面白くはある。
増田美穂 作
あたしきょう 学級会へ 行けない気がする。
だって、
安倍が悪い気がする。
時代が悪い気がする。
フェミが暴れてる気がする。
自民党が負ければ良いのに。
匿名日記の増田くんは藁人形に釘を打って こいつ本当にアホだぞって笑うの。
姪っ子が生意気言ったらバシーンするの。
あたしこくごがきらいなの。
女性名のAexanderaの愛称でもあるけど、男性名のAlexanderの愛称でもあるの。
Alexandraの愛称はなんなんだよって増田くんが笑うの。
この国も嫌いなの。
でもブコメに書くと増田くんが引用して「じゃあ出てけば?」っ言うの。
「またエアプ出羽守」
あたし人間と関わるのが苦手。
飲み会が苦手。
恋愛が苦手。
「どうしてもモテたいなら教えてやってもいいぜ」
「低能のくせにえばんなよー」
IDコールで貰った香ばしい発言を投げ返し合ってたら増田くん怒っちゃった。
ブログで煽ったけど今日セミナーへいったらあたし殺されるんだ。
やだな。
「おい」
「この増田はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。」
といって増田くんが終わった。
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