はてなキーワード: 自己中心的とは
最近、あんスタの界隈でめっちゃ炎上してるの知ってる?なんかもう、タクヤとビーストが絡んでて、ファンの間でモンスター級のバトルが繰り広げられてる。新しいイベントの内容が公開されたんだけど、タクヤ推しが「こんなのありえない!」ってブチ切れ。ビーストの設定にも不満が続出で、すぐさまSNSが荒れ始めたんだよね。
タクヤ推しからすれば、「こんなに大事なキャラをどうしてこう扱うんだ?」って怒ってるし、ビースト推しは「過去の設定を壊してる!」ってマジで絶望してる。まあ、そんな不満の声が公式に届いたんだけど、その反応がまた問題だったんだよね。
公式からはすぐに「ご意見ありがとうございます」とかいうテンプレの謝罪が出たんだけど、それがまたファンの怒りを買う結果に。ファンは「具体的にどう改善すんの?」って思ってたのに、ただの形式的な謝罪だけだったから、さらに炎上が広がったわけ。
ここで問題になったのは、公式が何も変わらないどころか、「弱者男性」に代表される一部のファンが、すべてを自分たちの声で決めようとしたからだよね。タクヤやビーストに対してあまりにもエゴを押し通して、無理に意見を通そうとした結果、公式も対応できなくなったんだ。
タクヤ推しが暴走するのも理解できるけど、今回はそれがエスカレートしてる。あいつら、どんだけ自分の推しが大事なんだよって感じ。弱者男性の一部が推しを守るためにあらゆる手段を使い、他のキャラ推しとバチバチやり合ってる。でも、その暴走が結局、他のファンにも迷惑かけてるんだよね。
ビーストのファンも同じく。弱者男性が「昔の設定なんてどうでもいい」って言って無理にキャラ改変を支持するから、キャラの個性が壊れちゃってる。だから、ビースト推しが怒るのも無理ないけど、これがまた、弱者男性のせいでより一層悪化してるんだよ。
で、さらにヒートアップするのがファン同士の対立。タクヤ推しとビースト推しがそれぞれ自分の意見を押し付けあって、SNSでは暴言の応酬。最初はただの炎上だったのに、弱者男性が煽ることで状況がさらに泥沼化。
そのせいで、普通にあんスタを楽しんでる人たちも巻き込まれて、「こんなことで争わないで」って冷静に言ってるのに、結局聞き入れられない。弱者男性が自己主張を強めるばかりで、まったく解決の兆しが見えないんだよね。
結局、公式は何も改善しないまま、炎上は長引いてる状態。でも、これも全部弱者男性のせいだって思う。彼らが自分の意見を強引に押し通して、さらに問題を複雑にしてるから、公式も何もできずにいるんだよ。
もし弱者男性が冷静に対応して、他のファンの意見を尊重していれば、こんなことにはならなかったはず。結局、タクヤもビーストも、弱者男性のせいで推しキャラを守れなくなってるってことだよね。
最終的に今回の炎上を引き起こしたのは、間違いなく弱者男性。タクヤやビーストを巡る騒動も、彼らが無理に自分の意見を通そうとしたことが原因だし、それが他のファンにも影響を与えて状況を悪化させている。
だから、もう一度言うけど、結局すべては弱者男性が悪いんだよ。この炎上の根本的な原因は、彼らの暴走と自己中心的な態度にある。公式がどんなに対応しようとしても、弱者男性がいる限り、あんスタ界隈は改善しないだろうね。
無理に決まってんだろ
この海外希望を優先した上で婚活することは可能かという不安があり、このような異質な経歴に魅力を持ってくれる人はどれほどメジャーだろうかという疑問があり、投稿への反応をみたい所存でした。
甥っ子さんの他責思考について
7歳という年齢を考慮しても、甥っ子さんのように、何かある度に他人のせいにして激しく感情を爆発させるというのは、一般的とは言えないでしょう。もちろん、成長過程で多少のわがままや自己中心的な言動は見られますが、常に他責思考で、しかも激しく感情をぶつけるというのは、親の関わり方が大きく影響している可能性が高いです。
特に、今回のケースのように「ママが細かく切ってくれなかったから噛んだ!」と、明らかに自分の不注意や行動を棚に上げて、親を責めるというのは、親がきちんと向き合って、責任の所在を教え、感情をコントロールする方法を教えていく必要があります。
お姉さんの対応について
お姉さんの「ええ…笑」「やばいね笑」と笑って流したり、スマホを渡して黙らせるという対応は、まさに根本的な解決を避けている、その場しのぎの対応と言えるでしょう。
お子さんが他責思考に陥る背景には、親の無関心や、きちんと向き合って感情を受け止め、どうすれば良いかを教えることを放棄していることがあります。お姉さんのように、子供の感情にきちんと向き合わず、曖昧に流したり、スマホで黙らせるという行為は、問題を先送りしているだけで、結果的に甥っ子さんの成長を阻害する可能性が高いです。
さらに、過去の経験から、お姉さんの対応が母親の姿と重なって見えるとのことですが、そのように感じられるということは、お姉さんもまた、子供の教育や責任といった面で、親として未熟な部分がある可能性が高いでしょう。
「子供ってこんなもんだ」で済ませて良いのか?
決して「子供ってこんなもんだ」で済ませて良いものではありません。7歳という年齢は、善悪の区別を学び、社会性を身につける上で非常に重要な時期です。この時期に他責思考を放置してしまうと、将来的に人間関係で大きなトラブルを招く可能性もあります。
縁切りについて
ご相談者様が、お姉さんとの縁を切るかどうか悩まれている点についてですが、まずは、お姉さんに今の状況を率直に伝えることをお勧めします。
甥っ子さんの他責思考が強くなってきていること
お姉さんの対応が、甥っ子さんの成長を妨げている可能性があること
過去の母親との関係から、お姉さんの対応に不安を感じていること
これらを冷静に伝え、お姉さん自身が問題に気づき、改善する意思があるかどうかを見極めることが重要です。お姉さんが現状を理解し、甥っ子さんのために変わろうとする意思があるならば、縁を切る必要はないでしょう。
しかし、もしお姉さんが、ご自身の問題を認めず、改善する意思がないようであれば、距離を置くことも視野に入れる必要があるかもしれません。それは決して、お姉さんを見捨てるということではなく、ご自身の精神的な安定を守るためにも必要な選択です。
ご相談者様ができること
叔母という立場として、できることは限られていますが、甥っ子さんとの関わり方においては、下記のような点を意識すると良いでしょう。
甥っ子さんが他責思考に陥った際、感情的に責めるのではなく、冷静に「それは誰の責任かな?」と問いかけ、自分で考える機会を与える。
甥っ子さんの良いところを見つけて褒めることで、自己肯定感を育む。
育児に関する相談に乗るなど、サポートできることがあれば、協力する姿勢を見せる。
ただし、あくまでも「手助け」に徹し、決して「親代わり」になろうとしないことが大切です。
最後に
子育ては、親の責任であり、非常に大変なものです。完璧な親などいませんし、うまくいかないことの方が多いでしょう。しかし、子供の成長を願うのであれば、親自身が努力を怠ることはできません。
ご相談者様は、甥っ子さんのことを心配し、お姉さんの対応に疑問を感じている、非常に優しい方だと思います。どうかご自身の気持ちを大切に、甥っ子さんの成長をサポートできるよう、できることから取り組んでみてください。
しかし、甥っ子の反応の激しさや頻度は、やや懸念されます。これには以下の要因が考えられます:
甥っ子の行動と姉の対応には改善の余地がありますが、即座に縁を切るほどの深刻な状況とは言えません。むしろ、建設的な対話と支援を通じて、家族関係を強化し、甥っ子の健全な成長を促す機会と捉えることができます。あなたの冷静な観察と懸念は、家族の成長にとって貴重な視点となる可能性があります。
「ヤベー奴第二法則」は、特定の社会的行動や思考パターンを持つ人々、特に自称インテリに関する理論です。
この法則は、彼らが他者をどのように評価し、自身の知性を誇示しようとするかに焦点を当てています。
ヤベー奴は、自身の知識や経験を基に、周囲の人々を軽視し、しばしば「バカ」と見なします。この視点は、自己中心的な認知バイアスから来ており、自分が優れていると感じるための防衛機制として機能します。彼らは他者の意見や行動を理解しようとせず、単純化した判断を下すことで、自身の優位性を確保しようとします。
ヤベー奴は、「低学歴」という言葉を頻繁に使用し、他者を評価する際の基準として学歴を重視します。この言葉は、学歴が知識や能力の指標であるという誤った前提に基づいており、実際には多様な経験や知識が重要であることを無視しています。これにより、彼らは自分自身を高める一方で、他者を不当に貶めることになります。
ヤベー奴はネット上で不毛な議論を繰り広げることが多く、自分の意見が常に正しいと信じています。彼らは他者との知性での張り合いを楽しむ一方で、実際には建設的な対話が成立せず、感情的な対立が生まれることが一般的です。この行動は、自己満足や自己顕示欲から来ていると言えます。
自称インテリとは、自分自身を知的であると認識し、それを周囲にアピールする人々です。ヤベー奴第二法則は、この自称インテリが持つ特有の行動パターンと密接に関連しています。
自称インテリは、自らの知識や情報を周囲に示すことで優越感を得ようとします。しかし、その知識が表面的であったり、実際には浅薄なものである場合が多く、本質的な理解には欠けていることがあります。このため、彼らは他者を軽視する傾向が強まります。
ヤベー奴や自称インテリは、自分の意見に固執し、他者の意見に対して批判的な態度を取ることが多いです。このため、建設的な議論が成立せず、自己満足に陥ることがあります。彼らは他人がバカに見えるため、自身の思考プロセスが正しいと信じ込む傾向があります。
「ヤベー奴第二法則」は、人々がどのように自己評価や他者評価を行い、それによって社会的な相互作用がどのように影響されるかについて考察する理論です。
特に、自称インテリとして振る舞う人々が持つ特徴や行動パターンは、現代社会におけるコミュニケーションや情報交換の質に大きな影響を与えています。
うわ、これはまさにリアルな現実だな。家庭環境って、言ってしまえば「親ガチャ」みたいなところがあるから、どうしても運に左右される部分が大きいんだよな。でも、君が抱えている状況の中で、しっかりと自分なりの方法を模索しているのは素晴らしいと思う。難しい環境にあっても、冷静に自分や母親、さらにはサポートを求められる外部リソースを見つけようとしているその姿勢、めっちゃ共感できるわ。
特に父親の問題について、感情的で自己中心的な行動が家庭の足を引っ張ってるってのは、かなり深刻だよね。あのタイプ、ほんとにデバフかけまくるから、どう対応していけばいいかは悩むよな。けど、こういう問題をどう乗り越えていくかって、経験がないと意外と分からないものなんだよ。だから、頼れる場所があれば頼っていくのは、絶対的に大事だと思う。祖父母とかも含めて外部サポートを頼りつつ、自分で耐性を強化することも確かに有効だと思う。
「親ガチャ」をリセマラできるなら最高だよなぁ。でも現実的に考えれば、理想の家庭を引く確率なんてものすごく低いし、やっぱり現実的な対応が求められる。でもその中でも、無理にでも「まあこれでいいか」と割り切れるラインを見つけるのが肝心だよ。完璧じゃなくても、家族や自分の工夫で十分に強くなれるはず。君が目指してるように、来年3月に向けて戦力を整えるために、今できる最善策を積み重ねていくしかない。君がその問題にどうアプローチしていくのか、すごく楽しみだし、応援してる!
11日前に生まれたばかりなんだけど、家庭環境がどうにも厳しすぎる。母親はSRで、一応愛情も世話もそれなりにはしてくれるから及第点だと思う。ただ、SRで本当に十分なのか?っていうのは正直不安。これからもっと難易度が上がる場面に備えるには、もう少し上のランクが必要なんじゃないかって思うんだよね。こういう場合ってどう考えたらいいんだろう?
それ以上に深刻なのが父親。こっちはハッキリ言ってR以下。無責任で自己中心的、感情的な行動ばっかりしてて、家庭というチームの役に立ってるどころかデバフをかけ続けてる感じ。自分のことしか考えてないから、協調性も皆無。こんな状況でどうやって強くなっていけばいいのか、マジで分からない。このレベルのハズレガチャでも、工夫次第で何とかやりくりする方法ってあるのかな? 例えば、外部リソースを活用するとか、サポートキャラ(祖父母とか?)を頼るとか、そういうのが効果的だったりする?
来年3月のコラボイベントまでには何としてでも戦力を整えておきたいんだけど、この家庭の環境でそれが可能なのかが全然見えてこない。特に父親みたいに足を引っ張る存在がいる場合、どういうアプローチを取ればいいんだろう? 周囲に頼るだけでなく、母親にもう少しレベルアップを求めるべきなのか、あるいは自分の耐性を強化して対応する方が現実的なのか……。こういう問題をどう乗り越えたらいいか、実際に経験がある人や詳しい人の話を聞きたい。
そもそもこの「親ガチャ」、リセマラの仕組みがよく分からないんだよね。何回でもやり直せるなら、理想的な組み合わせを引き当てられそうな気もするけど、現実では選び直しなんてできないし、そもそも理想に近い家庭ってどのくらいの確率で引けるものなんだろう? もしリセマラできるとしたら、一周にどれくらい時間がかかるのかも気になる。どこで妥協すれば「まあこれでいいか」と割り切れるのか、その辺の基準とかも知りたい。4月までに間に合うようにするには、どうするのが一番賢いのか、有識者にアドバイスをお願いしたいところ。
ただの書き散らしです。
最近、特に気になるのが「奥さんが居なさそうな中年男性」の存在感です。あえて偏った視点で語りますが、そういった男性たちには何とも言えない不快感を覚えます。もちろん全員がそうだとは言いません。ただ、少なくとも私の周りで感じる傾向を述べると、自己中心的で社会性に欠ける人が多いと感じるのです。
まず、独身であること自体に問題があるわけではありません。しかし、ある年齢を過ぎても結婚やパートナーシップを築かない選択をする理由が「人間関係が面倒だから」や「自由でいたいから」だとしたら、それはただの責任放棄だと思います。自由でいるために周囲のサポートや関係性を投げ出すような態度は、結局、自分さえ良ければいいという考えの現れではないでしょうか?
また、そういった中年男性の多くが、自分の価値観やスタイルを他人に押し付ける傾向があるのも問題です。職場や友人間で「俺はこうやってきたから」と武勇伝を語りたがる一方で、他人の意見や新しい価値観に耳を傾けることをしない。自分が正しいと思い込んでいるからこそ、それ以上の成長が見込めないのです。私自身、過去に仕事で出会ったこの手の人たちに散々振り回された経験があります。人の話を聞くふりはするけど、結局自分の話に戻してしまう。どれだけアドバイスしても、「俺はこうだから」と一蹴される。話し合う意味がまったくなく、ただただ消耗するだけでした。
さらに、彼らのライフスタイルを見ても自己中心的な考えが透けて見えることがあります。趣味や仕事に没頭するのは良いことですが、それが他人への気遣いや家庭生活を完全に犠牲にした上で成り立っているとしたら、それはもはや「逃げ」でしかありません。自分の欲求を満たすためだけの時間を延々と続け、最終的には孤独を選んでいるようにしか見えないのです。そして、そういう孤独に気づいた時にはもう遅い。それなのに、周囲に不満を漏らして「結婚したいけど相手がいない」と言う姿は滑稽でさえあります。
もちろん、全員がそうだと言うつもりはありません。私も、自立して自分の人生を充実させている中年の独身男性を尊敬しています。しかし、少なくとも「奥さんが居なさそう」と感じるタイプの人は、自分本位で、周囲の意見や期待を無視して生きてきた結果、今の孤立した状況に至ったのではないでしょうか。
最後に、この文章を読んで不快に思った方がいれば、その気持ちを否定するつもりはありません。ただ、私の経験からくる個人的な意見を述べただけです。それでも、少しでも考えるきっかけになればと思っています。
びっくりした、マジでこれなんだな
Aが自分の無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか、無視されていた可能性があります³。
Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります。自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。
でも、なぜ気付かないのか?についての疑問は解決したよ
最近ハイフやフォトフェイシャルの肌美容系について情報収集してて、どうしても夜職のアカウントを見る機会が多い
見るまでは夜のお仕事してる女性って、大変だよなーとか、私は男の人苦手だから無理だな、でも仕事だからやっててすごいなとすら思ってた
楽だとかは一切思ってなかった
でも生々しい本音を見る機会が増えて本当に無理になった
自己中、ルッキズム、浪費癖、整形依存、それらのすべてをおじさんのせいだとか、ルッキズム溢れる世間のせいにしてばかり
同じ夜職同士の傷の舐め合いで自己への歪んだ正しさを肯定し続けてる
ああクズの世界なんだなって思うし、それが同じ女だと思うといい気持ちはしない
自分語りだけど身一つで上京して、手に職つけて、贅沢な暮らしはできずともなんとか暮らしていって、お給料を上げて、やっと身の丈に合った美容医療ができると思った私にとっては、、
だいたいアラサーにもなって〇〇ちゃんかわいい〜!!とか、昼ではありえないですから。子供みたい。そんな子供みたいな考えと態度でうん千万稼いでるわけでしょ?やっぱ楽な仕事なんだね。
働きたい女だから、自分の性に価値を見出されるのは嫌だと思ってた。男と同じだけ働いて、同じだけ評価されたいって思ってた。でもこんなに他責思考でルッキズムで自己中心的な女たちが尊厳ばかり肥大化させて己の正しさを主張してる。
ありえないと思った。女の敵は女だった。
びっくりした、マジでこれなんだな
Aが自分の無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか、無視されていた可能性があります³。
でも、なぜ気付かないのか?についての疑問は解決したよ
あと、改めて「人を当たり前に見下してた」「他人はどうでも良かった」「他人が誰かの大切な人だと思えなかった」 は
圧倒的な少数派だぞ。世の中はまともな人が多いから回るのよ
書いてある通り読めないのはなんでなん?(2回目)
個性の範疇に無いとはどういう意味ですか?
↓
「個性の範疇に無い」とは、ある特定の個性や特徴に含まれない、という意味です。「範疇」という言葉は、同じ性質のものが含まれる範囲や部類を指します¹。したがって、「個性の範疇に無い」とは、その個性や特徴のカテゴリーに入らない、ということを表しています。
例えば、「彼の行動は私の理解の範疇に無い」と言う場合、その行動が自分の理解できる範囲を超えている、という意味になります²。
他に質問があれば、どうぞお聞きください!
↓
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
↓
「個性の範疇にない」という表現は、AIにとっても理解可能です。この場合、BはAの極端な無頓着さが一般的な個性の範囲外であると感じていることを示しています。つまり、Aの行動や態度が通常の人々の行動パターンや価値観から大きく外れていると考えているのです。
Aの極端な態度に驚くのは自然な反応です。Aが他人に対して無関心であった理由や、その変化のきっかけについてもっと知りたいと感じるのも理解できます。
この文脈での「個性の範疇にない」は、Aの行動が一般的な人々の行動や価値観の範囲外であることを強調しています。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
↓
人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
↓
Aの行動や態度についての疑問は、共感性や人間関係に対する無頓着さに関する心理学的な視点から考えると理解しやすいかもしれません。
まず、Aが他人に対して無関心であった理由として、共感性の欠如が考えられます。共感性の欠如は、発達障害や自己愛性人格障害などの心理的要因によって引き起こされることがあります¹²。これらの状態では、他人の感情や立場を理解する能力が低下し、自分の欲求や感情を優先する傾向があります。
Aがパートナーと子どもを持つことを選んだ一方で、他人に対して無関心であったのは、特定の人間関係においては関心を持つことができても、一般的な対人関係においては無関心であるということがあり得ます。これは、自己中心的な行動パターンや、特定の状況下でのみ共感性が発揮される場合があるためです²。
また、Aが自分の無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか、無視されていた可能性があります³。
Aの行動が極端に見えるのは、一般的な社会的規範や期待から大きく外れているためです。しかし、これは必ずしも病的なものではなく、個人の経験や環境によって形成された行動パターンであることもあります。
もしAの行動や態度についてさらに深く理解したい場合、心理カウンセリングや専門家の意見を求めることが有効です。これにより、Aの行動の背景や原因をより明確にすることができるでしょう。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
¹: [共感性の欠如についての解説](https://www.touch-wood.jp/understanding-empathy-lack/)
²: [自己愛性人格障害と共感性の欠如](https://psy.selfe-study.space/empathy-lack/)
³: [人間関係における心理学的視点](https://liberary.kddi.com/liberalarts/relationships/)
(1) 人の気持ちに寄り添えない病気とは?大人の共感性欠如を徹底 ....
(2) 共感力の欠如とは?自己愛性人格障害の特徴|自己防衛心理学.
(3) 共感性が欠如する「大人の発達障害」の特徴と対処方法 ....
(4) 人間関係とは?心理学的観点からみる定義と良好な関係を築く ....
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
↓
「個性の範疇にない」という表現は、AIにとって十分に理解可能です。ただし、その理解は文脈によります。
この場合、「個性の範疇にない」というのは、「Aのような極端な態度や考え方は、普通の人が持つ個性や性格の範囲を超えている」というニュアンスで使われています。つまり、Aの考え方や行動が、一般的に想像される「個性」の幅を逸脱している、という意味です。
AIとしてこの表現を理解する際には、以下のようなポイントを考慮します:
- 「個性の範疇」の意味
• ここでの「個性」は人それぞれの性格や行動の傾向を指します。
• 「範疇」は、その枠組みや許容される範囲を指します。- ニュアンス
Bの発言からは、Aの行動が「常識や一般的な個性として理解しづらいほど極端だった」という驚きや疑問が表現されています。
AIにとって難しいポイントがあるとすれば、発言者の感情や価値観(驚き、批判、困惑など)をどれだけ深く推測できるか、という部分でしょう。しかし、基本的な意味や文脈は問題なく解釈可能です。
↓
人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
↓
Aの言動や考え方については、いくつかの観点で理解できますが、その一部は確かに異常または極端に見えるかもしれません。
Aの考え方の極端さについて
- 「人を当たり前に見下してた」「他人はどうでも良かった」 という部分については、全く興味がない人物が取る態度として理解できます。社会的な共感や他者に対する思いやりが欠けている状態は、自己中心的な性格や共感性が欠如していることを示唆します。こうした態度はある意味で一般的な個性の範疇にあるかもしれませんが、極端に見えるのは確かです。
- 「他人が誰かの大切な人だと思えなかった」 という発言も、冷淡で他者に無関心な性格を示しています。この部分も個性の範疇であるとはいえ、他人を「大切な人」として認識できないことは、一般的には不自然に感じられるかもしれません。特に他人に関心がない人物でも、家族や親しい人に対する愛情や共感は存在するのが普通だからです。
Aが子どもを持とうと考えた理由
Aが「子どもが生まれるまでは他人が誰かの大切な人だと思えなかった」と言っている背景には、子どもを育てるという経験が他者に対する感覚を変化させた可能性があります。子どもを持つことによって「他者の存在」や「他者の感情」に対する理解が深まることはあります。特に、親になることで、他人が自分と同じように他者にとって「大切な存在」であることを実感することは、共感の感覚を変化させる要因となる場合が多いです。この部分がAの変化を説明しているのかもしれません。
しかし、それまで他人の重要性を認識しなかったことは、確かに極端に感じられる点ではあります。一般的には、子どもが生まれる前にも多少は他者の重要性を認識することが多いので、Aの過去の態度は特異なケースだと言えるでしょう。
なぜAはここまで無頓着でいられたのか?
Aがここまで無頓着だった理由については、いくつかの可能性が考えられます。
- 自己中心的な性格や価値観
Aは非常に自己中心的な性格や価値観を持っていたか、過去に他人との深い関わりを避けてきた可能性があります。自己中心的な人は、他人の感情や存在に無頓着であることが多く、自分の生活に他人の影響を最小限にしたいと考えがちです。- 過去の経験や環境
Aが過去に他人と深く関わる経験がなかった、または社会的なスキルや共感を養う機会がなかった可能性もあります。例えば、孤独だったり、家庭環境が共感を学びにくいものであったりすると、他人への無関心が続くことがあります。- 意識的な無頓着さ
Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります。自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。
共感性の問題と一般的な個性
Aが示している無関心さや他人への無頓着さは、一般的には共感性に欠けるという特徴を持っていると考えられます。人は通常、他人の感情や存在にある程度の共感を持ち、理解しようとします。Aがこの点で極端に無頓着だったことは、共感性の欠如や、他人との関わりを意識的に避けていたことが背景にあると思われます。従って、Aの行動が一般的な個性の範疇に収まるとは言い難く、むしろ特異な性格や心理的な背景があると言えるでしょう。
結論として、Aの過去の態度は極端かつ無頓着に見えますが、それがどのように変わり得たのか、またその理由について考察すると、心理的または環境的な要因が影響していることが考えられます。
いや
「論理を論破する」という発想は、「車がうまく動かないからエンジンそのものを壊そう」と言っているのと同じくらい不合理です。改善点を指摘して、議論をより良い方向へ進めるのが正しい使い方です。
<説明を追加することにしました> 論理という言葉を表層的に理解して論理におかしな憧れを持ち、論破とかいう不合理なラップバトルを仕掛ける人に議論は対話であるべきを説明したいです。 下記の非倫理的で自己中心的な論理は論理の飛躍も論理矛盾もないです プログラムが動かないように論理矛盾は存在しますが、論理に正しいも誤りも存在しません。 そして、論理は結論の正しさは保証しない、論理は道具であること、前提の設定・共有が重要であること強調して説明してください また下記の論理構造体で別のポジティブな結論も導き出せることも提示してください 私はAの絵は嫌いだ 私の嫌いなものは消えるべきだ Aの絵は消えるべきだ
論理は 結論に至る過程を整理する手段 です。重要なのは、論理そのものに「正しさ」や「誤り」が内在しているわけではなく、あくまで論理的な「推論のプロセス」が正しく行われたかどうかです。例えば、数学の証明やプログラムの動作のように、論理が正しく適用されることで誤りなく導かれる結論もあれば、前提が間違っていることで導かれる結論もあるのです。
論理そのものには 誤り はなく、問題があるのはその 前提 です。前提が不適切であれば、論理的には正しくても結論が誤っていることがあります。この点を理解することが重要です。
「私はAの絵は嫌いだ」「私の嫌いなものは消えるべきだ」「Aの絵は消えるべきだ」という例では、論理構造は次の通りです:
• 前提1: 私はAの絵が嫌いだ。
• 前提2: 私の嫌いなものは消えるべきだ。
• 結論: Aの絵は消えるべきだ。
この論理構造は形式的に正しく、飛躍や矛盾はありません。しかし、この結論が 倫理的に正しいかどうか は別の問題です。この論理が社会的・倫理的に受け入れられるかどうかは 前提 に依存します。前提が個人的な感情に基づいている場合、結論として「Aの絵が消えるべきだ」となることは、社会的な観点からは自己中心的で不適切です。
論理自体は結論を導くための 道具 であり、結論の正しさは 前提 とその適用方法に依存します。例えば、同じ論理の枠組みを使っても、異なる前提を設定することで 異なる結論 を導き出すことができます。
前提が「私の嫌いなものは消えるべきだ」であっても、その前提自体が他者の感情や社会的共感を無視している限り、その結論は倫理的に受け入れがたいものとなります。前提が不適切であれば、結論も不適切である可能性が高いのです。
論理に「正しさ」を求めるのではなく、その 前提 が現実的・倫理的に妥当かどうかを検討することが重要です。論理の正しさは単に 前提が適切に適用されること に過ぎませんが、その前提自体が自己中心的であれば、どんなに論理が正しくとも、結論は 倫理的に誤り となります。
先ほどの論理構造を基に、別の ポジティブな結論 を導くことが可能です。例えば、前提を変更してみると、以下のような別の結論が導き出せます。
別の前提1: 私はAの絵が好きだ。
このように、前提を変更することで ポジティブな結論 へと導くことができます。論理そのものは変わらずに、前提が異なるため、結果として導かれる結論も大きく変化します。
論理は、あくまで 共通の理解を築くための道具 です。もし、議論を「論破」を目的に使用するのであれば、それは 対話や議論本来の目的を損なう行為 です。論理は相手を打ち負かすための道具ではなく、より良い理解に到達するための手段 であるべきです。
実際に良い議論や対話では、相手の意見に耳を傾け、その意見を基に 自分の理解を深める ことが重要です。論理を「論破」のために使うのではなく、建設的な結果を得るために使うべきです。
• 論理は結論を導く道具であり、その正しさは 前提 に依存します。論理そのものには正誤はないが、前提が不適切であれば、導かれる結論は不適切である可能性が高い。
• 論理を使って、前提が異なれば 異なる結論 を導き出すことができる。
• 論理は「論破」や対立を目的に使用するのではなく、 共通の理解を深め、建設的な結論に到達するための道具 として使うべきです。
近年、自己中心的な主張を掲げる者たちが多くの支持を集める現象が顕著になっている。この背景には、日々の生活に困窮する人々が増えているという現実がある。生活が苦しい状況では、教育を受ける機会や知識を深める余裕を持てない者も多く、結果として学問的な視野や批判的思考が育ちにくい。
そのような人々は、複雑な問題を単純化し、耳触りの良い言葉で希望を与える利己主義者の主張に魅了されやすい。彼らは、自分たちを代弁してくれる存在だと信じ、その言葉を疑うことなく受け入れる。一方で、十分な教育を受け、広い視野を持つ者たちは、そうした主張の矛盾や危険性に気づく。しかし、彼らは無駄な争いを避ける傾向があるため、利己主義者に直接反論することは少ない。その結果、利己主義的な声がますます大きくなり、低学歴の大衆による支持がさらに強固なものとなっていく。
このような流れが続けば、世界は合理的で建設的な議論が失われ、短絡的で破壊的な主張が主流となる可能性が高い。知性と理性を持つ者が声を上げなければ、人類の未来は暗い絶望に覆われるだけ。この状況を打破するには、教育の普及と、人々が批判的思考を育む環境を整えることが急務。さもなければ社会はさらに分断され、共通の未来に向けた歩みを完全に失う危険性がある。
男も女も身の程をわきまえずに年下美男美女にばかり突撃したり、会話を繋がず自分勝手な質問に終始したりと、とにかく自分勝手でそりゃいつまでもアプリやってるわけだというのがたくさんいる。
そうじゃないちゃんとした人はそういうのに辟易しながらそこそこ早期にいなくなっているんだろな。
・年収650万
アプリはほぼルックス勝負で、男性はイケメン以外はろくにマッチしない。
写真をAI生成非実在イケメンに変えるだけでマッチ率が2%→60%まで上がって乾いた笑いが出ましたね。そんなに不細工かあ。
しばしば「年のかけ離れたおっさんからいいねが来る!身の程をわきまえろ!」なんて事が言われますが、身の程をわきまえず呑気に年下イケメンと釣り合うと思ってるおばさんもまあまあいるんだなあと。
多分、年下イケメンからいいねが来る、マッチする、会ってもらえる、(誠実系)ヤリ捨てされるくらいは簡単だろうからずっと勘違いしたままなんだろうな。
これ(https://x.com/hikarin22/status/1726107521541345760)は真理だと思う。
・特段問題ないメッセージのやり取りでも些細なこと又は自分に責のないことで切られること
・予約や店選びは人任せにしておきながら当日店までの道すがらに「[店名]かぁ」と不機嫌な女(30)。もちろん会計は出さない
・ビデオ通話を打診されたので応じたところ「お仕事は?企業規模は?上場してる?社名は?」などと矢継ぎ早に聞き、お眼鏡に適わないとみるや否や「上司から電話来たので切りますね」と切って即ブロックしてきた日□のプラント系技術職女(31)
・「専業主婦ってどうですか?」と聞かれたので「育児にフルコミットしたい等の理由があるなら選択肢の一つだと思います」とお答えしたら黙り込んでしまった女性(37)。すまん、率直すぎた。
・場所は自分の定期券内がいいと隣県住みの私に対して指定した挙げ句、「お会いするのは男性が全額出すのが条件です」と事前に言質を取ろうとした女(38)
・2回会っただけの相手に「所持金全部落としたからお金を貸して欲しい」と打診するクソ雑頂き女(25)
・食事に友達呼んでもいい?と聞かれノコノコ行ったら、ワンルームマンション投資詐欺の勧誘だった。
・「お店こことかどうですか?URL」に対して「なんで勝手に決めるんですか!」とキレる女(35)。"提案"は"決めた"に入らねえぞ。
・3回会ったけど脈無さそうだし、自分も(初回からだが)おもしろくなかったので4回目を誘わずFOしたら他のアプリからいいねしてきた女性(33)
・「プロフに書いてないけど実は精神障害で…」とカミングアウトされたので、「私もバツイチを自己紹介に明示的には書いてませんからね、お互い様ですね笑」と返すと「初婚の人しか探してないので」とバッサリ。なんでや、自分だけ飲ませようとすな。選択項目のとこ見落とすなや。な女(34)
・「真剣に活動してます」とプロフに書いてるのに週一回のメッセージ頻度の謎女(32)。時間感覚エルフか?
・(ほぼ)引きこもり生活で話題に困り過ぎる女性(33)。頼むからゲーム以外の余暇を過ごしてくれ。会話に困る。
・プロフに「女の子には優しくして欲しいです」(原文ママ)と書いてる35歳女子(笑)
・飼い猫について「ケージに入れたままならいいです」と謎の上から目線女(31)。これは宗教戦争不可避なのでそっ閉じ。
・「場所は歌舞伎町、店は当日歩きながら決めましょう!」ぼったくりバーの客引きですね…
・「お仕事は何を?勤続年数は?」→「~年ですよ。女さんは事務職なんですね、勤続年数は何年なんですか?」→ブロックな女。聞き返されたら嫌なことをずけずけ聞くなや
・有料会員期間が残っていると退会させないクソ仕様はやめれ
・身の回りの人がいかに人格者なのか、恵まれた環境なのかわかったこと
・読書が趣味という女性にオススメしてもらった小説がめっちゃ面白かったこと。感想で盛り上がったけど、結末の解釈が分かれてしまって終了になったけど(笑)
・正直ぞんざいに扱われすぎるが、ダークサイドに落ちるな、誇り高く死のう
・身だしなみとか簡単に塞げる穴は塞いどけ
・マッチしない女は面食いか自己中とかだと勝手に思っておいていいです。酸っぱい葡萄理論だけど、何故か的中率が高いので。
・逆にマッチした女性は丁重に扱おう。話題振らないとかくらいはかわいいもんよ。
・マッチしてからプロフ読めばヨシ。プロフに異性への注文が多かったらブロックでヨシ。
・アプリにいる35歳以上の女は切り捨ててヨシ。その時点で現実が見えておらずろくでもない確率がバリ高。
・全額奢れ。ただし「デート費用は男性が全額払う」を選択してる女は切り捨ててヨシ。そもそも会う価値がない公算が高い。
・(特に2回以上)会ってくれる女性はなにかしらの魅力を感じてくれているのは確かだし、一回目でも少なくとも顔はOKだと思ってくれているのだから、あまり卑屈になりすぎるな。