はてなキーワード: 文明とは
ちゃんと胸のとこに見えるようにしてさ。
でも、誰も譲ってくれなかった。
一駅、二駅どころじゃないよ。
終点まで立ちっぱ。
こっちは体調も悪くて、途中から足も震えてきてたのに。
(マーク見てなかったとは言わせないよ)
なのに、誰も気にも留めないんだよ。
こっちチラチラ見てんのに、目が合うとスマホに逃げるんだよな。
いや、これどういう空気?
これがドイツだったら、誰かが声あげてるって。
「君たちは、苦しんでいる人を見てもなんとも思わないのかね!あきれたものだ。これが文明社会ってわけか!」ってさ。
日本にはそれがない。
誰も怒らないし、誰も恥じない。
みんな見て見ぬふりが得意。
34歳年収700万の弱者男性ってだけで、なんか「余計な存在」扱いされる。
配慮どころか、避けられてる感じさえある。
座るっていう当たり前のことすら許されないのかよ。
こういう日が続くと、どんどん自分を嫌いになる。
でも、現実は冷たいままだ。
たぶん明日も譲られないんだろうな。
そんでまた、誰にも見られないふりしながら立ってるんだ。
2019年、2025年に世界が捻れた。核を使用した戦争が2045年に百年ぶりに行われた。敗戦国各地が半砂漠化、スラム化。ただし飛び地に元の文明的な施設、きれいな土地が残っている。2084年までに多くの国が一度は負けている。
衛生的ではない所にいる主人公は「無傷の土地」にあるリソースにありつけなければ、半砂漠の住人はジリ貧で死んでいくことを悟る。(強盗の死体を軒先に吊るしてたら伝染病で親父が死んだとかなんとか)
主人公は傭兵みたいなことをしようとする。勉強して資格とって良い会社入って独立のノリで、まず勉強して、その辺の詐欺師相手に「実践」する。(強盗は組織化されている。詐欺の協会は武力的ノウハウが薄く、結束が疎ら。ヤクザ的用心棒がしやすい)
一旦、事前のコミニケーションが肝要で、専門性が要求される状況でなければ、15kgくらいの銃持ってぶっ放しながら歩けるだけで居る意味があると悟る。みたいな結論を出す。
非武装状況の小競り合い(敵味方どちらとも)で、かなり徒手格闘を使うことになるみたいな、そういう感じにしないと競技射撃と戦術戦略の授業になってしまう。
「不発弾」にさえ近づかなければ被爆は限定的だが、放射性降下物を吸い込まないようにスカーフをする。いつまで必要か、どんなフィルターが最低限か、は不明。観測するリソースがない。現地民はある程度、人為遺伝子学的に進化している。鉛のベールで覆われている。多くの人が第二の肝臓を増設されている(分岐だけ人為遺伝子的に作って、実物は外科手術的に設置)。
無傷の土地に干渉する時は、ほぼ確実に武力衝突になる。よってどれだけ金があっても軍事経験は必要。傭兵雇っても帰ってこない。無傷の土地外の金は、土地内のあらゆるリソースに劣る。
[増田設定出し
この前スマホ落とした。
落としたあとが非常に手間だったので書いていく。
家中をどれだけ捜索してもスマホがなかったので落としたのだと思い至った。心当たりがあったのだ。
そしてスマホ落としたことに気付いて一番最初に思ったのが悪用。2段階認証を突破されかねないと思った。
その後悪用はまあパスワードかかってるし基本的には大丈夫だろうと思い直し、家のMacからFind my iphoneで紛失モードにした。電源が切れていたのでどこにあるかは不明だった。
Macで公衆電話の場所を探し、最寄り駅にあったので公衆電話まで行く。
そしてここで痛恨のミス。
警察署の番号を調べてくるのを忘れる。
スマホで電話番号を調べようと思い、スマホを取り出そうとしてスマホが無いことに気付き、家に帰ることに。
家に帰って、あ!そうだ!ネットから紛失届を出せばいいんだ!なんでこんなことに気づかなかったんだ!と思う。
しかし遺失物発見時の連絡先が電話番号になっていたので、意味ねえなと思いながら登録。
スマホなくしたのに、スマホに「スマホ届いてましたよ」って電話されても困るわけで。
仕方ないので警察署の電話番号を調べて紙にメモし、公衆電話までまた行くことに。メモ帳とペンも忘れず持参した。
銀行なども2段階認証を入れていたので解除できないものがあり、キャッシュカードで利用していた口座の残高が2000円ほどしかなく本当に焦った。
公衆電話からダメもとで警察署に電話をかけ、スマホの特徴を言うとそれらしきものが届いているという話でかなり安堵した。
そこで自宅の最寄り駅から警察署に向かうことになったのだが、ここでまた、今度は警察署の場所がわからない。いや、警察署の大まかな場所はわかるが、どこをどう行けばわからず困った。
また家に帰ることに。
ここで、Macから流れるようにAirDropでGoogle Mapのキャプチャを送ろうとして「なんで俺のiPhone表示されないんだ?」と少し戸惑うなどしていた。
すぐに「スマホがねえんだよバカか俺は」と思い直し、メモ帳に手書きで書いていた。
目印はここ、ここを曲がるみたいな。
今思えばMacに画像を保存してMacごと持っていけばよかったなと。焦りすぎていた。
駅につき改札を通ろうとする。
ここで俺は気付く。うわ切符買わないとだめじゃんと。
そうか、紙の切符が本当はメインなんだ、ICカードはあくまでサブなんだ……ということを思い知った。現金があるのに通れない改札なんてあってはいけないものなと。
電車に乗り、暇を潰す。みな当たり前のようにスマホを使っている。暇つぶし用に持ってきた本を読みながら警察署付近の駅まで揺れる。
警察署の近くの駅につく。
だが駅から出れない。
何番出口から出ればいいのかメモするのを忘れた。どこから出ればいいんだ???と迷っていた。
駅員に聞こうと思ったが、適当に歩いたので改札がどこにあるかもわからずパニックに。
めちゃくちゃに歩いてなんとか改札を発見し、警察署に行きたい旨を伝えると、「ここじゃないですね」と言われ別の改札を案内される。その後なんとか改札を出た。
途中また迷うが、道路の標示や太陽の方角などを手がかりにしたり、途中たまたまあった交番で警察署の場所を聞くなどした。
これだ!!!!と確信したが、パスワードを教えてくれと言われた。
パスワードを教えると署内であけて中を見て本人かどうか確認してから渡すという話。
見られたくなかったので断ると、結構キレ気味にじゃあSIMカードの製造コードを教えてくださいと言われた。それがないと渡せないと。そして窓口がもう閉まるから明日来てくれとも言われた。
そのまま何もできず家に帰り、家の中を片っ端から漁り、製造コードを見つけ、それをメモ帳に書いた。
翌日、警察署が開くタイミングで昨日と同じように切符を買い、メモ帳を持って警察署へ向かった。
やった!!!文明の利器だ!!!社会に戻れた!!!という気持ち。
ちゃんとモバイル充電器も持っていったので、刺して復活したあと連絡不能だった人々に連絡をしまくった。
そしてうおおおおICカード使える!と思って改札にかざしたが、動かず右往左往することに(1度紛失モードになるとロックがかかるらしく、運営会社に問い合わせして解除してもらわなければならなかった)
仕方ないので帰りも切符を買って帰った。
家に帰り即銀行振り込みを決行。いろいろな引き落としが間に合う。
スマホがないと何にもできないんだなと思った2日間だった。
あったまわるのはどっちだ。
お前の脳みそは熱じゃなくて知性が足りてない。
いいか、電力を食うというのは、システムがより多くの熱エネルギーを排出、もしくは消費して快適環境へと強制的に収束させようとしてるって話だ。
俺の言ってる「効果」とは、冷房なり暖房なりが環境と設定温度のギャップを埋めるために投入されるエネルギー量のことだ。
つまり、エアコンがガンガン電気食ってるってことは、それだけ外の暑さ寒さに抗って室温をキメてるってことだ。
わかるかこの熱的エントロピーの戦場で、エアコンは電力という弾を撃ちまくってるんだよ。
で、お前の「あったまわるうううううう」は何だ?
その中身のない放熱、知識も根拠もゼロの無意味放尿、つまり垂れ流しノイズだ。
お前は暑さのメカニズムも理解できないまま、冷房という文明の利器にすがってるだけの知的熱中症患者だ。
熱でもうろうとしてるなら水でも飲んでろ。放尿はそこだけにしとけ。
社会構造・政治・経済・生活インフラの観点から整理してまとめると、こんな感じになります。
→ 病気=破産の恐怖。富裕層以外にとっては生存リスクすらある
• 毎年4万件以上の銃による死者
• 学校、教会、スーパー、音楽フェス——どこでも銃撃事件が起きる
→ 一つの国に“価値観の異なる2つの国家”が同居している状態
• 水道管が鉛だらけ(フリント水害問題)、電力網が崩壊(テキサス州大停電)
→ テック大国に見えて、生活インフラは発展途上国レベルの場所もある
• ホームレスが増加する一方で、隣の高層マンションでは年収3000万の暮らし
• 中流家庭でも家賃・医療費・教育費に耐えられず転落するケース多数
→ 実質“資本制カースト社会”。社会移動が困難になりつつある
• 社会保障は州ごとに差があり、「どこに住むかで生存権が変わる」
• 労働は即解雇OK(at-will雇用)、退職後の医療保障もない場合が多い
→ 「助けない国」。個人主義が極まりすぎて、“国家としての温度”が低い
7. 住むには高すぎるコスト
8. 実は“選ばれた人だけの国”になっている
• 世界的な地位はあるけど、その恩恵を受けられるのはごく一部
• 大多数は「必死に生きるか、転落するか」の社会構造に巻き込まれる
→ 夢の国だったアメリカは、すでに“能力・金・運”が揃った人だけが勝てる国に変貌済み
結論:
今のアメリカは「極端な自由と極端な格差が共存する、不安定なハイリスク国家」。
見た目は先進国、中身は分断国家。生きるには強さか運が必要な国。
君が「ここには行きたくない」と思うのは、超正解。
「国語辞書にはこう書いてある!」みたいなこと言ってる人いるけど、国語辞書なんかに細かく書いてあるわけないよ。
国語辞書に書いてない背景までわかってて適切に言葉を使えるかどうかが教養ってやつで、国語辞書の定義だけ読んで知った気になって言葉を使うのは無教養なんだよ。
これは学術用語とかでも同じ。
最低限の定義だけ読んでわかった気になってる人は世の中に結構いるけど、そういうもんじゃないんだよなあ。
よく知らなくてもこれ読めばある程度わかるはず。
ディストピアの世界は、管理者によって計画的に管理されているため、一見すると平等で秩序正しく、貧困や紛争もない理想的な社会「ユートピア」に見える。
しかし、実態は徹底的な管理・統制が敷かれ、自由も外見のみであったり、人としての尊厳や人間性がどこかで否定されている。その描写は作品毎に異なるが、典型的なパターンとして以下のような問題点が描き出されていく。
政府や特定の勢力によって情報が厳しく管理され、国民が自由に情報にアクセスすることが制限されている。
監視カメラや通信の盗聴、国民同士による密告などを通じて、国民の行動が常に監視されており、違反行為があれば重罰や粛清の対象となる。
富や権力が一部の管理者だけに集中し、社会全体の格差が拡大している。
平等が謳われている場合でも、体制を管理運営している者が上に立っており、実際には事実上の格差社会である。社会の枠の中で暮らす市民階級について、体制が市民階級を血統やDNAのレベルで把握・管理している。
社会の担い手と認められた市民階級の下に、人間扱いされない貧困階級・賤民が存在し、事実上は貧富の差が激しい格差社会となっている。市民社会では貧困の根絶が達成されたことになっているが、実際には社会の統制の枠から爪弾きにされた者たちが極貧層となる。それらの者たちによりスラムが形成されるも、中央政府によって市民の目の届かぬ地域に隔離されている。
言論の自由や集会の自由などがなく、体制への批判は禁止されており、粛清の対象となる。表現の自由が損なわれており、既存の秩序への挑戦と見なされた出版物は発禁・焚書・没収されることがある。その他、個人の自由が著しく制限されている。
特定の思想や価値観が強制され、異なる意見を持つことが許されない。
環境汚染や資源の枯渇など、環境問題が深刻化し、人類の生存基盤が脅かされている。
科学技術が、人々の幸福ではなく、支配や抑圧のために利用されている。
拷問、虐待、恣意的な逮捕など、人権が侵害される事例が頻発している。
粛清がある
体制(指導者)が自らの政治体制をプロパガンダで「理想社会」に見せかけ、国民を洗脳し、体制に反抗する者には治安組織(準軍事組織)が制裁を加えて粛清し、社会から排除する。
産児制限がある
強制的に人口を調整ないし維持する必要があるため、産児制限が行なわれる。市民の家族計画、さらには恋愛・性行為や妊娠・出産など人類の繁殖にまつわる部分さえ社会によって管理されている。
飢えて死ぬことはないが、けっして満たされることがない。食事の量や味、栄養などに問題があったり、同じメニューばかりが提供される…など。
発展の抑制
昔からSFではディストピアネタ扱う作品がいろいろあって(ザミャーチンなど)、ディストピアという言葉でイメージされるのは、一見ユートピアっぽく見えるけど統制された管理社会なんだよね。(もちろんディストピアという言葉のすべてがそれというわけではないけど、一般的にイメージされるのはという意味で)
国語辞書に書かれてるのは単に訳語っていうかその背景までは書かれてない。
だから単なる「劣悪な環境」とか「地獄っぽい環境」みたいなイメージでディストピアって言葉を使うのは教養ある人からすればちょっとずれてるわけ。
ただ、ディストピアって言葉も有名になりすぎてすでに一般的になっているなら、単なる「劣悪な環境」くらいの意味で使う人もいるのかもしれない。
多くの人は教養がないからそれも仕方ないし、言語の変化っていうのはそういうのも柔軟に受け入れていくものだから別に良い悪いの話ではないのかもね。
ただ、その場合、教養ある人たちは「この人はディストピアについてよく知らないけど、ただなんとなくかっこいいからディストピアって言葉使ってる人なんだな」って思うだろうし、「この人はあまり教養がないらしい」とすぐに相手のレベルを察してそれ以後は小難しい話は避けたりする。(教養ある人は相手のレベルに合わせる)
SFなんかキモいオタクしか知らんって言う人もいるだろうけど、エヴゲーニイ・ザミャーチン『われら』(1920年)、オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1932年)、ジョージ・オーウェル『1984年』あたりは文学史的にも教養なので正統派(?)の文学オタクも当然読んでて知ってるよ。
まあだから何って話ではないけど、「国語辞書にはこう載ってる!」みたいなこと言っていいのって高校生までかなって思う。
なんかネットによくいる「俺頭いいですw」みたいな人にそういう人多いので気になった。
品種改良や増産が生態系を支えてきたという話には、一部の真実がある。
だが、それをもって「経済成長が植物を守る」などというのは、論理のすり替えだ。
経済成長の本質は消費の加速であり、品種改良や農業技術は経済成長によって進んだ技術ではなく、人類の生存圧によって開発された知識体系だ。両者を混同してはいけない。
実際には、経済成長の圧力が原因で農地が森林に置き換わり、単一作物の大規模栽培が土壌を枯渇させ、生態系を破壊してきた歴史のほうが長い。
経済が植物を救ったというより、経済活動が植物の多様性を破壊してきた。
遺伝的多様性の喪失、農薬や除草剤による土壌微生物の死滅、それらが植物系全体のレジリエンスを奪っている。
たしかに「一部の植物」は経済的利益によって救われているが、「全体の植物環境」は経済の都合によって崩されている。
次に、寿命が縮まらずに人類が滅ぶ具体例を問うなら、それは無数にある。
極端な気候変動によって作物が育たなくなる。海面上昇によって沿岸部の居住不可能地帯が爆発的に増える。パンデミックの頻発で社会システムが崩壊する。
これらは寿命が変化する前に、文明そのものが機能不全に陥るシナリオだ。
平均寿命が75年から65年に縮むなどという段階的な悪化を経るとは限らない。
「死ぬまで生きられる」社会が一気に崩壊することはありうるし、それは寿命という統計的指標には現れない。
寿命は「今すでに生きている人間の最期までの長さ」であり、未来の人間が生まれてこないことには反応しない。
だが絶滅とは、「未来の人間が生まれてこないこと」だ。統計に数字が出ないことを「問題が起きていない」と判断する態度そのものが、人類を滅亡に導く。
経済成長は問題そのものではない。だが、それを制御できないまま環境や生態系を代償にして突き進めば、最後に残るのは、技術で延命された少数の人間と、死んだ地球の上にあるガラスの温室だけだ。
寿命がどうこう言っているうちに、生きる意味すらなくなる。問題は何年生きられるかじゃない。生きているその時間に、どれだけ生きる価値のある環境を維持できるかだ。
「小学館 日本大百科全書」の「逆ユートピア(その他表記)dystopia」の項では「とくに近代の産業革命以後の機械文明の発達に対して、その否定的、反人間的な側面を強調して描き出された「未来社会」像のことを逆ユートピアという」とある。
そもそも「ユートピア」要素無関係で成立する単なる「ひどい世界」を表現するのにわざわざユートピア由来の「○○トピア」「反理想郷」と呼称することはないでしょ。関係ないのであれば何の「反」だということになる。
言っておくが、現実というのは「口が悪けりゃ真実になる」ってもんじゃない。お前のその暴論、怒りと疲れから来てるのは察するがな。
まずな、
カネがすべてじゃねえが、すべてにカネが必要だ
確かにその通りだ。
しかし、それが即ち金こそが価値の根源であるという結論にはならん。
金は道具であり手段だ。目的にしてしまった時点で、己の内面も社会も腐っていく。
ユダヤ教では金を否定はしない、むしろ勤労と財の管理は神聖な行為とされる。
しかし同時に「ツェダカー(義務としての慈善)」があるように、得た金は神に与えられたものとして、他者と社会に還元すべき責任があるとする。
だからこそユダヤの律法では利子の取り方一つにも制限がある。金に支配されるか、金を支配するか。そこが境目だ。
無知にもほどがある。宗教は人類が生み出した最古の倫理体系だ。
科学が今あるのも、宗教的探求が理性と宇宙の構造への問いを始めたからだ。
ユダヤ教においては、律法(トーラー)というのはただの教えじゃない。行動の指針であり、思考の枠組みだ。宗教とは「信じること」ではなく「生き方を整える枠組み」なんだよ。
当たり前だ。祈りとは取引じゃない。お前、神を自販機か何かと勘違いしてるのか?
祈るとは自己を律し、心を整え、現実と向き合うための行為だ。タフィッラ(ユダヤ教の祈り)は思考と意志を再定義する行為だ。
祈ることで自分がどうあるべきかを再確認する。空から金が降ってこないのは当然。それを理解してなお祈る奴こそ、強い。
逆に金巻き上げることしか考えてねえだろ
ああ、カルトはそうだな。お前の言う通り、一部の連中は宗教の皮を被って、搾取ビジネスやってる。それは認める。
しかし、それは宗教の本質ではない。ユダヤ教にはそもそも「改宗の勧誘は禁止」という基本がある。
無理に仲間を増やそうともしないし、寄付は義務としてあるが、それは「他者を助ける責任」に基づくものだ。
善行に見返りを求めるのは禁じられている。つまり、もし金を目的とするなら、それは律法に反する「不義」なんだよ。
哀れなのはその人間か? それとも、それを見下すことで自分の無力を正当化してるお前自身か?
信じるもののために生きるってのは、馬鹿にはできん。強い人間にしかできない。目的と信念がある人間を「哀れ」としか見られないなら、それは己が空っぽであることの証明だ。
全部滅びろクソ宗教ども
なあ、歴史を見てみろ。宗教が滅びて残ったのは、理性でも科学でもなく、独裁と殺戮だ。
宗教は制限であり、抑制であり、秩序なんだよ。ユダヤ教では毎週シャバットで、世界と金のルールを一時停止して、自分と神と家族に立ち返る。
お前が憎んでるのは宗教じゃない。「宗教の名を借りた悪意」だろ? それは俺も憎む。
お前の中の何かが壊れかけてるのを感じるが、それに蓋して他人を罵倒するなら、ますます地獄に近づくだけだ。
だから俺は言う。「くそくらえ」はお前の人生に向けるべきだ。なぜなら、何を信じるかを捨てた時、人間はただの飢えた獣になるからだ。
ふざけるな。教養を捨てて獣姦に走るのが「楽しい」と本気で思ってるなら、お前の脳みそはもう機能停止してるも同然だ。
人間としての尊厳も倫理も全部かなぐり捨てて、快楽に溺れて獣にすら劣る存在になり下がって、それが「本当の楽しさ」だと?
笑わせるな。欲望に忠実なだけの猿未満が、まるで真理に辿り着いたような顔をするな。格好つけてるんじゃない、「最低限の倫理」を維持してるだけだ。
大富豪になってやることが「セックス!ドラッグ!ヤギ!」って、それ、金じゃなくて理性を失った証拠だ。
資本主義の終点がそれなら、お前は文明に対するテロリストだよ。
滑稽にも程がある。金は力だ。力を持つ者が堕落すれば、そこから社会は腐っていくんだ。
自分が腐るだけならまだしも、それを「正しい楽しみ方」として叫ぶな。吐き気がする。
倫理なき快楽は破滅の序章でしかない。それを「自由」と勘違いするな。
それを手放してヤギに手を出すなら、二度と社会に口出すな。以上。
ネットは本来「情報への自由なアクセス」を可能にした革新的な場だったはずが、近年は「刺激を競うショーケース」へと変質してしまいました。
本来ネットが民主化すべきだった「知的議論の場」は、以下のような状況に陥っています。
問題の根は、人間の脳がそうした刺激に抗えないという生物学的制約にもあります。
あなたの主張「人類が正しい進歩をしていれば、今ごろ超弦理論の議論をしているはず」という指摘には重みがあります。
この流れを変えるには、知のインセンティブ構造(教育・報酬・文化価値)そのものを問い直す必要があります。
「人間は真理に耐えられない」
まず第一に、お前の発言は全体として「比較優位」という基本的な経済原則をまるで理解していない。
国が持つリソースや技術水準が異なるのは当たり前で、どの分野で強みを持ち、それをどう活かすかが国家運営の要諦だ。
お前はAI技術と資源量だけ見て「勝ち負け」の話をしてるが、それは将棋のルールも知らずに「駒が多いから勝ち」と言ってるようなもんだ。浅すぎて話にならん。
ハードウェアと人権弾圧が表裏一体の中華におけるAI開発に「未来」などない。イノベーションは自由な議論空間と社会的信頼の上に構築される。中華にはその土台が欠落している。
さらに言えば、国家の発展とは単なるGDPや軍事力では測れない。国民の幸福度、社会の透明性、医療福祉、教育機会の平等性といった複数の評価軸がある。
そこを一切無視して、地政学的に見た「資源がある、国土が広い」でマウントを取ろうとしてる時点で、お前は近代国家の運営に必要な多軸評価の概念を理解してない。話にならん。
そして「清華大・北京大から見たら東大はFラン」と言ってるが、QSランキングや論文被引用数、ノーベル賞受賞者数など、第三者評価では東大は依然として世界トップ100に入り続けている。
一方で中国の大学は政府による不透明な評価バイアスが混入し、数値が信用されていない。要は、「自称最強」国家にありがちな自己満ランキングでホルホルしてるだけ。無価値だ。
他国を見下し、差別語を並べて精神勝利しているお前のその姿勢こそ、文明社会において最も忌避される未熟な姿勢そのものだ。
お前が「10世紀先まで追いつけない」と思ってるその間に、日本は地道に社会インフラを整備し、民主主義と倫理を守りながら前進し続ける。
歴史はな、「派手に吠えた犬」ではなく、「黙って結果を出し続けた者」が作るんだよ。
お前の言ってること、全部、雑。
ああ、なるほど。君はリベラルの概念を理解せずに、放尿レベルの駄論を撒き散らしてるわけだ。
脳内で自己矛盾のオナニーを繰り返して快楽物質でも出てるのか? まずは論理の便所掃除から始めよう。
それを「自由に主張できている」この瞬間が、すでに自由の証明になってる。
お前が自由を否定したければ、まず口を閉じて思考を停止してろ。
自由という制度が、愚者の自由な放尿をも許容している事実に、頭を垂れて感謝すべきだな。
では聞こう。「リベラル」という語の語源を調べたことはあるか?
ラテン語のliber(自由)だ。自由を否定するリベラル? それは「濡れた火」や「光る闇」と同じ、語義矛盾だよ。
君の主張は、言語の上で既に崩壊している。まるで失禁状態で論理を撒き散らしているようなものだ。
これが君の言う「より良い国」か? 恐怖による秩序は、必ず崩壊する。
なぜか? 恐怖は思考を止めさせるからだ。思考なき社会に技術革新はなく、経済成長もなく、ただ衰退だけが残る。
かつてそういう国家はいくつもあったが、全部、歴史のゴミ箱に入っただろ?
ソ連、中国文化大革命、ナチス・ドイツ、ポル・ポト。同じ轍を踏みたければ、どうぞ君一人で踏み潰されてろ。
自由を否定して「リベラル」を名乗る? それは「味のしないうま味調味料」、あるいは「知性なき評論家」と同じ矛盾の極みだ。
つまり、君の主張は「名は体を表さない」の教科書的失敗例。理性の通夜でも開いているのか? 無理やり自由なき自由を目指すなど、もはや哲学的放尿だ。
君の主張は、論理的自己放尿の見本であり、言語と知性の無駄遣いだ。
そして何より、それを言える自由こそが、社会の成熟の証拠なんだよ。その土台を壊す者は、自由ではなく文明そのものの敵だ。
今すぐその放尿思想を水洗トイレに流して、脳みそをロジカルで磨き直して来い。論理とは、恐怖や情念ではなく、事実と整合性で成り立つものだ。
1963年、アメリカの海底調査隊が、深海から奇妙なものを引き上げました。
それは、謎めいた黒曜石の石板でした。
深さ4320メートルの深海、海底火山の噴出孔近くで発見されたそれは、
明らかに人工物でありながら、地球上のいかなる文明のものとも異なっていました。
文字の解読は困難を極めました。
世界にあるあらゆる言語体系とも一致せず、極めて特殊な文法と言葉で書かれていたからです。
しかし、有志ある言語学者のチームが何年もの研究を重ねた結果、ついに翻訳に成功することができました。
それは、「5億年、魚は魚」でした。
研究者たちは再び頭を抱えました。
せっかく文字の解読に成功しても、今度はそれが何を意味しているのか分からない。
もちろん、謎を解くために、あらゆる手を尽くしました。
米国と中国が極秘に協力して、天才学者のチームを結成して徹底的に調査をしました。
石板の物質分析、周辺海域の地質調査、深海生物のDNA解析、ありとあらゆる調査を尽くしました。
それでも、この石板の謎は現代に至っても未だ解明されていません。
ただ一説には「これは魚自身が書いたもので、5億年、自分たちは変わらないという決意を書いたものではないのか?」という仮説があります。