はてなキーワード: ギャップ萌えとは
ハロウィンギャルのイラストにつけるセリフとして、いわゆるオタクにやさしいタイプか、辛辣なタイプか決めかねたからアンケートを取ってみた
ギャルと一言でいってもキャラデザやシチュエーションによっていろいろ変わってくると思うけど、
いわゆるトーヨコでウリをやってるような子やハロウィンで渋谷でコスプレするような子については後者のイメージがあって、
それをそのままフィクションでも感じたいんだなと思った
別にやさしくされたいわけではない、いちゃらぶしたいわけではない。
性欲を満たしたいだけ。
キャハハと笑いながらさげすまれることで興奮することもある。
殊勝さや純情さというギャップ萌えもあるのかもしれないけど、オタクが想像しうるギャルの共通認識に近いほうが共感を得やすいんだろう
ただgdgdいっといてなんだけど一番大事なのは自分のリビドーだ
お金にならないブクマやいいねのために大衆に迎合するものをつくっていたら、自分の魂が死んでしまう
お金をもらわないなら好きなように作ればいいんだよ
山添拓って顔知らなかったけど結構好みだわ
口を閉じて微笑んでるとアナウンサーみたいな爽やかイケメンじゃない
でもね、口を開くと歯並びがけっこう悪いのよ
これは好み分かれるかもしれないけど、ギャップ萌え感じたわ
あたしは歯並び悪い子好きよ
法律的にダークグレーな現場だからワケアリで歯が溶けてるようなおっさんが多かったの
何人かと関係持ってて、小屋で雑魚寝してたら誰かにイタズラされるってことがあって、この位置の歯がないのはあのおっさんだなってわかったの
前歯が飛び出してるのはあのおっさんだなとか寝ぼけながら思ったの
歯並びが整ってるよりユニークな方がエッチってのはあの頃に植え付けられた感覚ねきっと
あそこのおっさんは長生きできずにもう死んでるだろう人生崩れてるのばっかで歯並びなんか全然気にしてる様子じゃなかったけど
街の普通の会社勤めしてる子がコンプレックス持ってて笑う時口元に手当てちゃうのとかエッチよねー
あんまり政治のことはわからないんだけど、みんなが書いてるネタで山添拓を責め立てて反論に困って黙った瞬間に唇塞いで歯列をチロチロしたいわね
私も可愛いもの好きだけど、家族と付き合ってる人以外には秘密にしていたかな。
男の人だと、可愛いものが好きってばれると誹謗中傷とか下手すれば差別とかあるので隠して生きていった方が無難だもの。
「男のくせに、xxxxなんて男らしくない」っていう呪いは、今でもまだまだ根強いのよ。
そう言えば、こわもてのお父さん、お爺さんが犬をかわいがっている様をギャップ萌えって最近では呼んだりする(のかな?)
これって「本来はこわもてのおっさんは犬をかわいがったりしないもの」という前提があるからこそのギャップなわけだよね。
それでも、最近は多少マシになってきただろうけどね。
子犬子猫や赤ちゃん等に対して、可愛いって言っても今は許される雰囲気になってきたし。
昭和の時代だと「子犬子猫を可愛いなどと、女子供のようなことを言うやつは男じゃない!」とか言って、世間様から許されなかったんと違うかな?野蛮な世界やな。知らんけど。
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
「パパ大好き」
五歳の息子が一日30回くらい口にする
記憶曖昧だが3歳くらいから言い出した気がするが最近特に頻繁に言う
口癖のように言う
こーゆー事も言う
どこでそういうの覚えてくるの?
みたいなセリフで毎回答える、正直面倒臭くなってきた、いや嬉しいけどさ
妹が帰省し家族集合、妹は7歳の男子を育てているが、その場でも「パパ大好き」
妹驚く、「そんなセリフ我が子から聞いたことが無い」羨ましそうだった、へへへ
当人に聞いてみた
「どのような意図でそのような事を言うのか、パパとママの愛に疑いでもあるのか?」
「パパのこと大好きだから」
答えになってねぇ、もういいや、そのうち言わなくなるだろう
「泥棒を見つけたら腹をぶん殴って宇宙までぶっ飛ばして殺してやる」
みたいな事も言う
ゲームをやってて思い通りにならないと
「これ作ったやつをぶん殴って宇宙までふっとばして殺す」とか言うてる子が
「パパ大好き」て
息子と二人でファミレスで飯を食うた
なにを撮っているのだと尋ねたら
いや殺すな
家はガラクタで溢れている
「あのね、キミはこれが欲しいんじゃない、どうせ使わない、遊ばない、秒速飽きる、手に入れたという喜び過去の経験、報酬系快楽の反復欲求に脳が支配されているだけだ、愚かな事だよキミ、資本社会の奴隷だよ」
「ぼく子供だからそういう難しいことはわからない、とにかく欲しいんだよ」
「しかしねぇ、誕生日プレゼントは1024歳まで前借りしてるよ、いい加減ヤバいよ、もう誕生日もクリスマスも無いよ」
「自分でバイトして買いなさいよ、今どきはユーチューバーとかあるじゃん」
「そういうのは嫌だ、パパに買ってもらうのがいいの」
2割くらいの割合でこっちが根負けする
昔は9割だったから成長しているのだろうか
ママに見られたら叱られるのでオレの部屋に来て俺の椅子の肘掛けにあん馬のように乗り股間を押し当て足ピン汗だくでハァハァしている
チンチン壊れないかしら、まぁいいんだけど
それより心配は性的快楽はA10神経系、脳幹、大脳辺縁系、前頭葉に作用した刷り込み
つまりナニが性的快楽のトリガーになるか、精通初期の体験や五感情報が重要
側溝男というのが居る、「生まれ変わったら道になりたい」と名言を残した男
グレーチングの下にでハァハァする三度逮捕されても辞められない男
精通初期、社会的に許容される常識の範囲に快楽とトリガーの紐づけができなかった哀れな人たち
同じようになってもらっては困る
俺は息子のオナニーの横でパソコンで増田やらニュースやら株価を見ているのだが
俺のお宝コレクションを観せてやったほうがいいのだろうか
悩む
やめろ、マジで