良い季節の始まり

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夏時間が始まった。夏時間の始まりと終わりには、僅か一時間の違いというのに眠りに落ちにくいなどの小さな問題が発生する。そして世の中ではこれを結構な問題として取り上げていて、廃止しようという動きが多少ながらあるらしい。私にしてみればこの夏時間の始まりとは、良い季節の始まりの合図みたいなもので、嬉しい以外の何ものでもない。夕方が明るいと仕事帰りの寄り道が楽しい。家に帰っても空が明るいと、テラスに出て食前酒などを楽しみたくなる。と、書き出したらきりがない。しかしこの一時間が負担で健康に障害をもたらす人が居るのも事実らしい。ストレスというのだろうか、こういうのを。だからいつの日か夏時間制度が廃止されてしまったとしても、それは仕方のないことかもしれないと思っている。そういえば、猫の起床時間が一時間遅くなった。彼女の中では今でも冬の時計が動いているのだろう。夏時間が始まったことなんて、知ったこっちゃない、といった具合だろうか。

月曜日の夕方、旧市街へ行った。バスのマンスリーパスの購入の為だった。しかし空がまだ明るいので、その足ですこし散歩した。久しぶりに旧市街の小さなパン屋さんに立ち寄ったり、食材店で糖分の少ないオーガニックのジャムを購入したりと、まあ、そんな類のことだったが、なかなか楽しい夕方になった。旧市街には沢山の人が。そういえば絵本の見本市の時期である。恐らく他の町や国外からも沢山の人がボローニャを訪れているのだろう、様々な方言や外国語が耳に飛び込んできた。国際的になったものである、ボローニャも。まさかいつかこんな風になるだなんて、アメリカの生活を引き払ってこの街にやって来たころには想像もできなかった。今では東洋人も沢山街を歩いている。だから街を歩いても上から下までじろじろ見られることもない。随分と居心地の良い町になったものだと思う。街を歩く人々の姿はまだ冬を抜けきれないでいる。私にしてもそうだ。さすがに革の手袋は不要になったけれど、目深にニットの帽子を被る必要もなくなったけれど、しかし、まだ薄手のトレンチコートは早過ぎるし、ニットのセーターだって脱げないでいる。この季節の変わり目は危険なのだ。油断してはいけない、と思う。そのうち冬のコートを脱いで軽いトレンチで歩けるようになったらば、美しい色のスカーフを購入しようと思っている。様々な色が混じり合うような薄手のシルクのスカーフ。それを私はもう数週間探しているが、未だにこれというものに出会わないでいる。4月に入ったら、良い出会いがあるだろうか。ほんの少し予算オーバーしてもいいから、一目惚れするような美しい色のスカーフに出会えたらいいと思う。そんなことを思いながら家に帰った。3月最後の週。日曜日は復活祭。わくわく。わくわく。

なのに扁桃腺を腫らしてしまった。どうやら疲れのせいらしい。注意をしていたのにまたやってしまったよ、と項垂れる私に、君はこの季節になると日頃気を張っている疲れがいっぺんに出るから、と言って窘める。彼の言う通りだ。私は3月から4月にかけてのこの時期に、扁桃腺を腫らせて寝込む。原因は疲れ。それともストレスか。どちらにしろ、こんな素敵な時期に扁桃腺を腫らせるのは、これを最後にしたいと思った。今夜は満月に限りなく近い美しい月が空高く輝いている。春なんだよ、と皆に声を掛けているようだ。今夜は月を眺めながら眠りにつこう。




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