古くて味わいのある
- 2018/03/24 20:37
- Category: 小旅行・大旅行
気温は相変わらず低く誰もが冬の装いだが、日差しが強く、空が明るいから、足取りはひと際軽かった。ヴェネツィアに行こうと決めた時に一番気になったのが天気だった。雨が降るかもしれない。雪が降るかもしれない。そんなことを囁かれていた北イタリアだったから、この素晴らしい快晴は空からの贈り物としか思えなかった。
いつもは駅を出てすぐに左手に歩きだす。Cannaregioと呼ばれる、一頃ユダヤ人が多く住んでいた界隈へと向かう道だ。今回はそれを辞めて大運河に架かる橋を渡った。何を見たいとか、そうしたものは無く、兎に角さ迷い歩いてみようと思ったのだ。Santa Croce、San poloそしてDorsoduro。この辺りは知っているようであまり知らない、歩きなれない界隈だった。地図は持っていたが、歩き始めてすぐに役に立たなくなった。早くも現在地点が分からなくなったからだ。もういい。と地図を鞄の中に押し込んだ。時間はたっぷりある。6時間後に駅に戻ればいいのだから。たっぷり迷いながら歩こうと思った。
路地から路地へ。人の波と異なる方向を選んで歩いたのは、単に混雑が嫌いだからだ。そしてひと気のない路地こそが、私の好きなヴェネツィアだからだった。と、古い建物を見つけた。教会だった。建物はかなり古い。傷んでいると言っても過言ではない。私は招かれるようにして中に吸い込まれた。こじんまりした教会。こんな小さな教会はヴェネツィアにどれほどあるのか。そんなことを思いながらぼんやりと内装を眺めていたら、年の頃は60歳をとうに過ぎた感じの女性が、訪問者に説明していた。これはね、あれはね。ガイドさんなのかもしれない。そんなことを思っていたら、そうでもなさそうだ。それで声を掛けてみたのだ。シニョーラ、あなたはこの協会の関係者ですか。すると一見して東洋人の訪問者がイタリア語で話しかけてきたことに驚き、そして、そうだ、この教会に関わっていて、ボランティアで教会の説明をしているのだと言った。ならばと私は訊ねてみた。入り口わきにある階段のこと。まるで壁の中に埋め込まれるようにして存在する階段のこと。彼女は、あなた、気が付いたのね、と目をきらきらさせると押し寄せる波のように、しかし声を最小に落として話し始めた。この教会は13世紀前後のものと言い伝えられている。大変古くて、小さくて、地元の人達が好んでここで結婚式を挙げたがる。理由は小規模だから。本当に親しい人達だけを招いて式を挙げることが出来るからだ。この教会こそが地元に愛されているのだ、と誇らしげに言った。それで壁に埋め込まれるようにして存在する階段だが、教会を建てたはいいが上階に登るための階段を作らなかった。オルガンを上階に置くはいいが、どうやって演奏者が上階に登ることが出来ようか。当初は上からロープを垂らしたたらしい。演奏者はそのロープをよじ登ったと言われている。そのうち2メートルほどある入り口脇の厚い壁をくり抜いて、螺旋階段を作ることになった。階段は一段が大変高くてつま先で登るほどしか奥行きがないものだそうだ。現在電気配線が故障して、上に登ることが禁じられている。兎に角暗くて危ないのだと彼女は言った。教会は来年から遂に修復作業に入るそうで、あなたは運が良かったわ、来年からは暫く教会に入ることが出来ないのだから、と彼女は言った。ほら、この床も。大理石がひどく傷んでいる。修復が必要なのよ。それにね、この大理石の下はお墓なんだけど、と言うので私はひゃーっと飛び上がった。彼女は苦笑しながらあの壁もお墓。教会とはそう言うものなのよ、あなた知らなかったの?と言わんばかりに私をまじまじと見た。奥の方に素晴らしい絵が掲げられていた。あれは?と訊ねると彼女は再び目を光らせて、あれはティントレットの絵だと言った。彼女は美術を専門にしているのではないだろうかと思うほど詳しくて、ティントレットの絵から彼の息子と娘の話におよび、その話は大変興味深くて私は久しぶりに夢中になった。そしてこの先にあるもう少し大きな教会にも行くべきだと言った。彼女の楽しい話に感謝を述べて外に出た。小一時間、私は彼女と話をしていたらしい。教会の前の道を行くと小さな古い広場に出た。あっ。と声を上げたのは、其処が前回偶然辿り着いて、広場に面してある店の主人が愛着のあるその広場の歴史を話してくれた、その場所だったからだ。この辺りの人達はこの界隈に大変愛着を持っているのだろう。訊ねるとするすると色んな興味深い話をしてくれる。店の主人もそうかったが、先ほどの教会の彼女もそうだった。自分が生まれ育った場所に愛着と誇りを持つ人々。私はそんな人達が大好きだ。思いがけず辿り着いた場所。多分次回も迷いながら、此処にたどり着くのだろう。
広場を通り抜け、水路に架かる橋を渡り、暗い通りを通り抜けると先ほどの彼女が言っていたとおり新聞や雑誌の小さな売店があり、もう一つ橋を超えると広場に面して教会があった。それが彼女の言っていた教会だった。大きな教会で何もかもが綺麗だった。綺麗すぎたかもしれない。私は前者の教会が好きだ。古くて味わいのある。来年には修復作業が始まると言うが、願わくばあの教会の良さを壊さぬように修復してもらいたいものだと思いながら美しすぎる教会を後にした。もし相棒がこの場に居たらば、同じことを言っただろう。相棒と私は価値観も何もかも異なり、誰もがなぜ結婚した、未だに一緒に居るのが不思議だと言って驚くのだが、こうしたことになると意見が一致する。ほらね、満更全然異なる訳でもないのだ。
歩くことはいいことだ。いつもと違うものを見ることが出来て、そして思考も潤滑になる。それから空腹。程よくお腹が空いて、自分が健康であることを確認できる。歩け、歩け。元気なうちはどんどん歩こう。歩けるうちはヴェネツィアに幾度も通おうと思いながら、美味しい店はないかと見まわしながら歩みを進めた。
Via Valdossola
ところで、その小さな教会はどこにあるのでしょうか?名前はご存知ですか?
3月末から私の友人が仕事で一年間ヴェネチアに滞在します(2回目ですが)。彼に是非教えたいのですが。意外と教会や歴史が好きな人ですので。
では、ご体調にお気をつけて、ご自愛下さい。