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月に一度の日帰り旅行。そういうのを始めて数か月経つ。初めはほんの思いつきだった。何時もボローニャにばかりいる自分が嫌になったのかもしれないし、単に変化を求めたのかもしれない。それから有給休暇をためておいてもいいことなんてひとつもないことに気づいたというのもある。元気なうちに愉しいことに使わなくてどうする?と、そんなところだっただろうか。でも、この思いつきは上等の思いつきだったと思う。毎月列車に乗って何処かに行くのが習慣になり、腰が重くて出不精だった私が、いそいそと近くの街に出掛けて行くのを相棒も快く思っているようだ。但し何故か雨が降る。何時も小さな傘を鞄にしたためての日帰り旅行。

ヴェネツィアを歩いていて感嘆するのは勿論路地や水路などのボローニャにはない小さな色々があるからだけど、でも、もっと大切な事がある。色。ボローニャにはない色が此の街に散りばめられているからだ。赤ひとつとっても、ボローニャの赤とヴェネツィアの赤は全然違う。温かみも柔らかさも深さも違うと思う。どちらがいいかなんて考えたことはない。ただ、いつも目に飛び込んでこない色にとても心を惹きつけられるのだ。そんな風にして好きな色を見つけては立ち止まり観察する私をたまに通り過ぎる人達は首を傾げたりするけれど。
そんな風にして歩いていたところ、小さな広場に面した建物の扉が開いたと思ったら、お年を召したシニョーラが中から出てきた。独りではない。手には革の紐、そして紐の先には小さな犬がいた。毛の長いぼさぼさした感じの灰色の犬。あまり若くないようだ。ゆっくり歩いて、扉が閉じたその前で座り込んだ。扉と広場の間には2段の階段。シニョーラは犬を促すべく、ほら、散歩に行きましょうと声を掛けたが犬は座り込んで動かなかった。そんな様子を眺めながら横を通り過ぎた私は、広場を横断して路地に滑り込んで歩いたものの、10分もして広場に戻ってきた。逆戻りしたのではなく、路地から路地を渡り歩いていたら、再び広場に出てしまったのである。同じ広場と気が付いたのは、あの建物の扉の前に、まだ犬とシニョーラが居たからだった。あら、まだ犬はあそこでねばっているのか。そう思ったら可笑しくなって小さく笑ったところ、シニョーラはそれに気が付いて照れながら言った。動かないのよ。私と同じように彼も歳をとっているからね。とても感じの良いシニョーラ、そして灰色の老いた犬。私は良い一日になりますようにと声を掛けて再び歩き始めた。
私の小旅行は素朴だ。有名なレストランで食事をすることもなければ、素敵な買い物をするでもない。美術館に入ることもあまりないし、誰か友人知人と会うこともない。だけど日帰り旅行の数時間がとてつもなく愛しく愉しいのは、こうした行った先で見る情景や人々、色や音が存在するからだ。君は安上がりだなあ、と相棒はいつも感心するけれど、私もそうだと感心する。それでいいと思う。私の日帰り旅行はそれでいい。

11月が今日で終わりだなんて。良く晴れた空に黄色い銀杏の葉が良く映えるのを眺めながら驚く。どんな11月だったかと訊かれたら、私は良い11月だったと答えるだろう。さよなら11月。ありがとう、とても愉しかったよ。




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