2025-05-28

フェミニズム学問ではない

フェミニズムは、イデオロギーあるいは文学サブジャンルに過ぎず、さすがに学問とまでは言えないのではないか

フェミニズム一人一派」という言葉は、対話不可能性を示している。

たとえば「天動説」というものは、批判的に検証されてきた。しかし「一人一派」の言説は、批判的に検証のしようがない。当然のことながら、おおむねの合意事項や、主流派理論存在するからこそ、批判検証がなされ得るからである

一人一派」の主張は、突きつめれば相対主義となり、「わたしがこう思うのだから、こうだ」の世界に陥ってしまう。それは学問などではなく、たんなる「対話拒否である。なんの合意事項も、体系的に組織化された知識もなく、ただただ自閉していく「一人一派」。エコーチェンバーフィルターバブルで倍々ゲームいいね競争。そしてその結果、失われてしまうのは対話可能である

(最近になって、「天動説」を主張するひとたちが現れはじめているらしい。でもそれは、批判的に検証された場合には、たんに「陰謀論であるとの結論になるだろう。だいいち、天動説が正しいとしたら、ニュートン力学相対性理論量子論はどうなってしまうのだろう? たとえば、その手に持っているたくさんの半導体が組み込まれスマートフォンは、いったいどういう理論のもとに動いていることになる?)

日本人特別だ」との主張をもつ人たちと、それに反対する人たちのあいだで、うまく対話が出来なくなっていく状況を見たことがないだろうか。そもそも日本人とはなにか?という点についていまいち定義がまとまっておらず(ようするに「一人一派」的状況が生まれている)、そのせいで議論が空転していくのだ。やがておたがいにイデオロギー的な主張を繰り返すことしかできなくなり、ついにはそれ自体目的となってしまう。そこになにか結論が生まれことなどありえない。では、フェミニズムが絡んだ議論ではどうか? もはや言うまでもないことだろう。

しかし「一人一派」が昇華されうる場所というのは、じつは存在する。もちろんそこはSNSーーなどではなく、文学というエリアだ。だからフェミニズムは、今後も文学サブジャンルという形ではおおいに発展しうるだろう。個有の傷を個有の傷として引き受ける覚悟が、そこで引きつづき試されていくことになる。

ただし、宣言だけはしておく。そもそも一人一派」だと言うのであれば、わたしがみずからフェミニストだと名乗った上で、「フェミニズムなど学問ではない」と主張しても、だれも批判のしようがない。けっきょく、現状のフェミニズムが産み出しているのは、そういったたんなる「対話不可能性」だけである

それではいったい、フェミニズムとは陰謀論となにが違うというのだろうか? ーーいや、なにも違うことなどない。まったくの一緒だ。もちろん、この結論への反論不可能である。「わたし派」の意見反駁できるのは、とうぜん「わたし」以外にはあり得ないのだから

  • 「フェミニズムは一人一派」って女の悪いところ出てるよな 要するに「私と付き合い(対話し)たかったら私のフェミニズムを察しなさい」ってことだろ?

  • 一人一派で全員主張が違う主義ですって言ってもいいんだけど それぞれが「連帯」してますって言うんだから問題があった時は全員連帯責任取れよって思う

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