はてなキーワード: 判別とは
「食料品」と「それ以外」の境界線は、法律上の定義(食品表示法など)や「どこで食べるか」というシチュエーションで決まるの。
もし食料品の税率が0%になったら、この線引きの差が10%分(現行比ならさらに拡大)になるから、今以上にシビアな問題になるのは間違いないわね。
現状の軽減税率(8%)に基づいた、判別が微妙なもののリストをまとめたわ。
中身が同じような飲み物でも、パッケージの記載一つで扱いが変わるわ。
お菓子とおもちゃがセットになった、いわゆる「食玩」の扱いね。
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| 品目 | 判定 | 理由・備考 |
| オロナミンC | 食料品 | 清涼飲料水扱いだから。 |
| リポビタンD | 対象外 | 「指定医薬部外品」だから。 |
| 本みりん | 対象外 | アルコール分が含まれる「酒類」だから。 |
| みりん風調味料 | 食料品 | アルコール1%未満の「食品」だから。 |
| 金箔(食用) | 食料品 | 食品として販売されていれば対象。 |
| 水道水 | 対象外 | 炊事以外(洗濯・入浴)にも使うため「生活必需品」扱い。 |
科捜研(科学捜査研究所)などの法科学機関では、パソコンで作成されプリンターで出力された印刷物から、「どの機種で」「いつ」「誰が」作成したのかを特定するために、高度な分析技術を用いています。
主な捜査手法は、大きく分けて「物理的特徴の観察」、「化学的分析」、そして「不可視情報の解析」の3つです。
まずはマイクロスコープ(実体顕微鏡)を使用して、文字の縁や紙の表面を観察します。これにより、使用されたプリンターの「種類」を絞り込みます。
トナー(粉末)を熱で定着させるため、文字の周囲に「トナー飛散」と呼ばれる微細な粉が見られます。
液体インクを吹き付けるため、紙の繊維にインクが滲んだり、微細な水滴の跡(ドット)が観察されます。
多くのカラーレーザープリンターやコピー機には、偽造防止のために「黄色い微小なドット(Tracking Dots)」を自動的に印字する機能が備わっています。
肉眼ではほぼ見えませんが、特殊な光(青色光など)を当てると、紙全体に規則的なドットパターンが浮かび上がります。
このパターンを解読することで、プリンターの製造番号(シリアルナンバー)や、印刷された日時を特定できる場合があります。
インクやトナーの成分はメーカーや型番ごとに異なります。これを化学的に分析することで、消耗品から機種を特定します。
インクに含まれる金属元素などの無機成分を分析します。これにより「純正品か汎用品(リサイクル品)か」といった違いも明確になります。
同じ型のプリンターでも、使用していくうちに部品に微細な傷がつきます。
レーザープリンターの感光ドラムに傷があると、印刷物の同じ位置に必ず「汚れ」や「白抜け」が発生します。これは「銃の線条痕(ライフリング)」と同じように、世界に一台だけの個体識別として機能します。
| 分析項目 | 判明する内容 |
|---|---|
| 顕微鏡観察 | 印刷方式(レーザー/インク等)の判別 |
| ステルスドット | 製造番号、印刷日時 |
| 化学分析 | メーカー、型番、インクの特定 |
| 印字の欠陥 | 特定の個体(そのもの)の特定 |
これらの手法を組み合わせることで、「この脅迫状は、Aさんの家にあるプリンターで、○月○日の夜に印刷されたものだ」といった立証が可能になります。
ミネアポリスでICE(移民・関税執行局)エージェントが通りがかりの白人シングルマザーを射殺した事件だが、当然こういうのは起きるし、これからも何度も起きる。組織に重大な問題があるからだ。
トランプ政権になってからICEによる移民狩りを急拡大する為に執行官を急増させた。一年で1万人→2万2千人となっていてエージェントだけなら2倍以上になっている。
それまでのICE自体にも問題が指摘されていたがこの職員新規採用がかなりヤバい。
「戦時募集」と銘打って150億円を投入してICE職員1万人急募キャンペーンをやったんだが、普通の交通広告や新聞TV広告よりもネットインフルエンサがメインだった。
トランプに賛同するMEGA派や元Qアノン、極右のインフルエンサが金を貰ってICE職員応募のキャンペーンを張った。
そしたら応募者は当然極右が中心になってそこから採用することになる。
因みに米国は8月が年度末だが募集は冬からの急募。そしたら応募者はそれまで定職についていたのか?という事になる。
顕著な特徴として必要な犯歴調査を行わない、乃至は結果を軽視するというのが指摘されてる。銃器を扱う部署なのに銃器犯罪の前歴を参照しなかったり、強盗、傷害事件、DV加害者の前歴があるのに採用されたりと、要するに犯歴が無視されている。
1万人採用を優先させた結果だ。偏見だが極右は銃器所持関連の検挙率高そうだ。
思想検査では、ガイジンに有形力を行使する仕事なので過度に人種偏見が強かったり、インターネットで過激主義にどっぷりの人間は不採用にするのが当然だが、面接や素行調査でそういうのを弾いていない事が指摘されてる。ユナボマーに憧れを抱く者を爆薬倉庫管理人に採用するかってこと。
特に問題視されているのが、恩赦されたJan6 riot(議事堂突入事件)の犯人が加入していること。普通は一生政府関連の職には就けないし業者の職工としても立入り拒否される身分だ。
この結果、ギャングの入れ墨やネオナチの入れ墨を入れたエージェントが観測されている。
ネオナチのはナチス親衛隊(SS)のだが、採用前からのものなら面接で弾いてない、採用後に入れたのなら服務規範がおかしいのと思い上がりという事になる。ICEはやがて国民を弾圧する秘密警察化すると言われているのである。
従来は3か月以上の研修が行われていたが1ヶ月強に短縮された。
トランプ以前からだが、ICEエージェントにはれっきとした制服が無い。例えば今回射殺事件を起こしたエージェントは下がジーパンだ。
また警察のようにバッジ番号を表示した制服でないのでそれが誰なのかが同定しにくいし、その辺の銃器マニアが暴れてるのと判別しにくい事もある。
そういう状態なのに「POLICE」と書かれたタクティカルベストを着用するので警察と誤認される。だがICEエージェントは警察官の訓練を受けていない行政官だ。司法官ではない。
車両はパトカーのように特徴的な塗装で所属が表記されておらず、ただの黒いSUVが多い。緊急回転灯は外に装着されず、ある場合は車内天井にキセノンフラッシュが置かれている。その辺の変わり者警察マニアと区別がつかない。
これはICEだけに限らず、税関や問題になっている日本の入管もそうなのだが、行政権で完結する身体拘束という問題がある。
近代以降、被疑者、被告人は国家に抗う為の人権が、裁判を受ける権利、黙秘権などで認められてきた。だがこれは刑事裁判の事であり、行政権行使ではこの何れも整備されていない。
入管関連では行政権の範疇だけで人身拘束が行われるので、司法でのチェックを後で受ける恐れやその結果捜査官が免職されたり逮捕される危険がない。故に虐待も自白強要も胸先三寸となる。拷問で嘘の自白させても処分を受けないのだ。だから人定違いも発生する。
今回の事件で警察と混同するのは、エージェントがPOLICEのベストを来ている事から混同し易いというのもあるだろう。
だが一般に学生や専業主婦の立場では国家権力=司法警察官で、行政権には触れる事がない。だが働き出すと行政権の影響を受けることが多くなり、その行使は職業分野で行なわれる事が専らだという事に気付く。だからICEと警察を混同する人は社会人的な能力に問題がありそうに見える。
というわけで、現在のICEは犯罪者や虞犯性が高い人間、思想的に過激主義に傾倒した人間の割合が高い集団になっていてその結果ああいう事件を起こした。当たり前だな。
リアルワイルド7だな。ワイルド7は創作マンガだから社会に危害を加えないが、今のICEはマンガみたいな集団だから人56すってこと。
GTOとか、ワルがカタい職業になって破天荒だが熱情のある仕事をするモチーフの物語は多いが、実際はこんなもんだ。
政権側とネットインフルエンサは今回の事件でも「相手に殺意があった」の合唱で甘やかしているので綱紀粛正は行われず事件を続々と起こすだろう。
なんで彼らがそんなイネーブラムーブかますかは上記の採用経緯見れば分かるだろう。金貰って極右を焚きつけ優先採用させ、前科者も弾かず虞犯性の高い集団にした責任があるから。
物理的ロジックは整っているが心理的なロジックが今一つ受け入れづらいオカルト×ミステリ映画の佳作。67点。
刑事グレッグの家は不倫バレしたカウンセラーの嫁とそれを知った息子と本人でギスギス。そんな中、町では誘拐事件が発生、現場には十数年前と同じ緑の十得ナイフが残されていた。そしてそれとほぼ同時期にグレッグ家では誰もいないのにテレビが勝手に誘拐事件のニュースを映したり、ドアが開かなくなる、音楽がかかるなど不審な出来事が起こり始め、ついには死者が。いったいこの家で何が起きているというのか。
実はグレッグ家には「フロッギング」という「他人の家にこっそり侵入して住み着く行為」を行う若者2人が潜入しており不審な出来事は全部この2人のうちの1人の犯行だったことがわかる。グレッグ家と若者たちが交差する時、大きな謎が解き明かされたりされなかったりする――
作品としてはざっくり2つのパートに分かれている。あらすじで分けたのがそれで、前半部は「謎の失踪事件とグレッグ家でおきるオカルティックな出来事の数々」そして、後半部で急に視点が変わり「フロッギングでグレッグ家に新んにゅうした若者たちの物語」。そして後半部は前半部での謎が解明される構成になっていて、なるほどそういうことね全部人災だったのねとわかる。
しかしここで実は若者のいたずらだったというだけにとどまらず、「なぜ彼がこのようなことをするのか」が2人組のもう一人の視点から描かれるのがこの映画の面白いところ。前半での不審な事件の謎は明かされるが今度は、次々いたずらを仕掛けるカエル顔の本意がわからないという別のサスペンスが立ち上がる。
そうこうしているうちに若者のいたずらから新たな事件が発生し、その事件を回避するためにとった行動が街で発生している誘拐事件に繋がり……と映画内で起きているすべてのことが明らかにされる。という、サスペンスミステリとして非常に強固なロジックで作成された作品である。
脚本としては超よくできてると思う。
で、まぁアンゴルモアネタバレすると「実は誘拐犯は刑事グレッグで若者の一人のカエル顔は実は十数年前に彼に誘拐されそのまま行方不明になっていた子供だった」ことがわかり、(おそらく)今回のいたずら~その後のことは彼の復讐だったことがわかる。
ここに関しては「だったら全部わかる」とは思えるのだが、その提示が他の謎に比べると弱く感じる。若者の一人ミンディはフロッギングのプロでこの行為を繰り返していることがうかがえ、カエル顔は今回「頼み込んでついてきた」ことが提示される。しかしここでミンディがどれだけ計画的に家を選んでいるかが提示されないので、カエル顔はグレッグの家だと知っていたからついてきたのかどうかの判別が難しい。
またカエル顔が行ういたずらが些細且つなんか回りくどいものが多いので真相がわかってから見ると「幼少期に誘拐されてボロボロにされた復讐わりにえらい悠長だな」と感じてしまう。なんかずっと屋上で煙草吸ってるし。やっとる場合か?
あとはグレッグが誘拐犯だったことにはちゃんと伏線も貼られているのだが、なぜだったのか――どういう動機でどういう目的で――は一切明かされない。もろちん、そういう「純然たる悪」という設定もいいとは思うのだが、ナンデ?が解消されないのは俺的にはマイナス。「誘拐犯」という書割に見えてしまった。
また途中で不倫相手を殺害するエピが入るんだけどこれに関しては何故そうしたのか等が一切不明。ここはぶっちゃけ手を抜いてると思う。
書割で行くとフロッギングのプロのミンディも「事件に巻き込まれるフロッギングのプロ」としての役割しか与えられておらず、カエル顔とグロッグというサイコパスの間で振り回された挙句殺害され、そしてその後、一切顧みられない。因果応報ではあれシンプルかわいそう。
あと、グレッグの妻がシンプル嫌いなタイプの女でこいつ早く死ねと思いながら見てたけど死ななかったのはマイナス(むちゃくちゃな採点)。
まぁそんなこんなである種のパズラー的な本格ミステリとしての強度はあるが、かつて新本格が「トリックに重きを置きすぎていて人間描写が書割にすぎる」と批判されたのと同じような構造を持った作品だなと感じた。あと、前半部をややオカルト表現に振りすぎているのでそっちを期待しすぎていると「え、そんな話だったの?」ってなるかも。
でもまぁ見てて「へぇ~~~!ほぉ~!」となれるようにはなってるし、空気作りもしっかりしているのでミステリ好きには結構オススメ。
かけ算の順序が逆だと不正解なのか云々という話題の炎上を定期的に目にするので、なんとなく感想を残しておく。内容的には既出かもしれない。
かけ算順序に肯定的な教員の多くは「小学校では結果より過程が重要」という話をする。この主張は、状況説明としては適切だが、かけ算順序を肯定するための理由付けとしては弱い。理由として挙げるならば「理解したか否かを判別するために、過程の適切さを重視している」とする方が適切だ。そして、さらに踏み込んで説明するならば「過程が定型に沿っているか否か以外で理解度を評価できるだけのリソースが小学校には無い」となるだろう。
例えば、「部屋に箱が3箱あります。1つの箱にはりんごが4個入っています。りんごの数は全部でいくつでしょう?」という問題があるとする。答えは12個だ。ここで、途中式が4×3=12は正解だが、3×4=12は不正解、という採点を小学校教員がしたとする。おそらく「いやいや、順序が逆なだけで不正解はないだろう」という批判がくるだろう。では、これが3+3+3+3=12とか、2×6=12とか、14-2=12とか書いてあるとどうだろう? 正解にするか否かはともかくとして、ここまでくれば「計算結果はあってるけど、問題文は理解できているのか?」と疑ってしまう気持ちは理解してもらえると思う。小学校の教員は、この感覚をかけ算の順序に、さらに言えば文章問題以外にも適応している。
もちろん、先程のような途中式だったとしても、解き方が独特なだけで問題文も数式も理解できているという可能性はある。しかし、少なくとも大半の公立小学校においては「理解した上で他人とは異なる解き方をしている児童」より「理解していないので他人とは異なる解き方になっている児童」の方が圧倒的に多数派である。だからこそ、かけ算の順序が逆になっている解答を見た時は「3×4=12は数学的に正しいか」ではなく、「その児童はなぜ3×4=12と書いたのか(なぜ教えた方法と違う解き方を選んだのか)」を考えなければならない。もし、文章中に並んでいる数字を何も考えずに並べただけの場合は「問題を理解できていない」のだから、正解にするのはまずい。偶然正しい結果を導き出してしまった状態を正答として評価してしまうと、結果が不適当だった場合に過程を見直そうとする意識が失われてしまうからだ。偶然の正答を許容し続けると、適切な結果が得られなかった要因を、適正の有無・状況の違い・運の悪さ等々に見出し、「よくわからないが今回は仕方がなかった」と判断するようになりかねない……というのが、おそらく多くの教員が考えていることだろう。
これに対し「だったら理解してなきゃ正解が出せないような問題にすればいいだろ」と言う人がいるかもしれない。それは正しい指摘だし、中学校以降の数学の問題の一定数はそういう風にできている。だが、理解していなければ正答できない問題は、丸暗記で問題に挑む人を篩い落とせるだけの情報量・複雑さが必要になる。算数の範囲でこれらを実現するのは難しいし、仮に実現できたとして、中学入試みたいな問題ばかりテストに出ればモチベーションを失う児童が多発してしまう。
そうなると「理解している児童のモチベーションは犠牲にしていいのか?」とか「授業通りの解き方だから理解しているとは限らないのでは?」という点が問題になる。これも正しい。そして、児童全員の理解度を正確に把握することが目的ならば、最適解は「児童一人一人と対話しながら個別に確認する」になる。だが、各学習過程ごとに詳細な個人面談を実施できるだけのリソースなど小学校の教員には無い。リソースが不足している以上、賢い一部の児童を切り捨ててでも、指導法を多数派に合わせるしかない。それが現状だろう。だからこそ、小学校のテストは「定型に沿った理解をしているかの確認」以上の意味はなく、学力の優劣判定に適応すべきではないと思うのだが、能力の相対的な評価の提示に対する需要が無くならない限り難しいのだと思う。このあたりは多分、どうしようもない。
インターネット上であまりにも燃え上がっているので増田の知ってる情報を整理しつつトランス女性当事者である増田の所感なども書いていこうと思う
増田のTLにはトランス女性に女性スペースを利用してほしくない人々のツイートがたくさん流れてくる
少し前までは手術済みならいいのではという意見もちらほら流れて来たが、最近は手術済みでも女性スペースを利用させるなという主張がほとんどに見える
厚生省の通達 0623第1号には、この通達内の男女とは身体的特徴で判断するものと書いてある
この身体的特徴という言葉については明確な定義はこの文章の中には存在せず、この文章のみだとあいまいな状態に見える
女湯にトランス女性を入れたくないと主張する人はこの身体的特徴という言葉について、出生時に判定された性別や染色体の事と解釈し女湯にトランス女性は入れないと主張している
一方で増田の主治医は、この通達は手術を受けていない人を排除するためのもので、手術をしていればトランス女性が女湯を利用することは問題ないとの事だった
性同一性障害特例法に外観要件があるため、これを満たしているトランス女性は厚生省の通達上の身体的特徴は女性である
増田がインターネットで調べた範囲の中でこの身体的特徴についてどういう状態が男性で、どういう状態が女性かと公的に名言されているものは見つけられてないので、複数の解釈が生まれてしまっている状態なのだと思う
つまりトランス女性は全員女湯を利用できないのか、それとも手術済みなら利用できるのか、解釈によって変わってしまうように見えるのである
仮にトランス女性が女湯を利用できないと仮定した場合の運用方法を考える
手術済みかつ戸籍の性別変更を行なったトランス女性を身分証で判別することはできない
つまり手術要件を満たして戸籍の性別変更を行なったトランス女性を確実に判別する方法は存在しない
この運用を確実に行うためには、手術済みかつ戸籍の性別変更を行なったトランス女性の身分証にその旨を記載するか、戸籍の性別変更自体を過去にも遡って取り消すなどの対応をする必要がある
手術をしてないトランス女性は利用できず、手術済みのトランス女性は利用できると仮定した場合の運用方法を考える
トランス女性に女湯に入って欲しくない派はトランス女性を見つけたらどんどん通報すればいいと思う
通報されるの警戒して女湯に入ろうとするトランス女性減るかもしれないし
ただあまりやりすぎるとネイティブ女性をトランス女性と勘違いして通報してしまったり自分が他のネイティブ女性から通報されたりする事案もそれなりに発生すると思う
迷惑行為をする奴はシンプルにやめてくれ、これはトランス女性だけではなく依頼されてカメラを設置するネイティブ女性なども含む
トランス女性は必ず見分けられると主張する人、見分けられた人しか数えられないしただの確証バイアスです
トランス女性を死ぬほど見てきた増田から見てもネイティブ女性にしか見えないトランス女性なんてけっこういます
トランス女性が女湯に入るのは犯罪ですとか言ってる人は現時点でそんな断定しちゃっても大丈夫なのか?入らないでくださいとか主張するのはいいと思うけど、現時点の情報だと断定はできなくない?
それぞれこうなって欲しいとかある人はぜひ活動して主張をルールを決める人まで届けて明確なルールを決めてほしい
ただ戸籍ロールバックも特記事項で性別変更書かれるのもまじ勘弁
戸籍の性別変更前のトランス女性が就職できない話死ぬほど聞くし、シンプルに困る
どうか平和に暮らさせて欲しい
2026/01/07 追記
この文章を投稿したあとその日の内に厚生省の担当者が身体的特徴は手術によって変わるという旨の回答をしたととあるメディアに掲載されたので
少し先の未来、私の手元のAndroid端末で、Geminiが私の性格や行動や好みを完全に把握している。
そして、同じ環境で同じサービスを使用しているあなたも、当然同じように完全に把握されている。
Googleのサービス設定で、たとえば「あなたの個人情報を、外部ユーザーとのマッチングに使用する」みたいな項目があったとして、これをONにする。
すると、初対面の私とあなたの性格・行動・好みをGeminiが自動判定し合い、お互いの端末に「関係性で気をつけるべきこと」「二人の共通点」「おすすめの会話」「おすすめの飲食店」などがものすごく高い精度でサジェストされる。
この情報は、Geminiが把握した二人のあらゆる情報を元に出力されており、いわば二人の未来を先読みしたような精度の高さになる。
これを使用して、自分にとってメリットが大きい人、デメリットが大きい危険人物、人生のキーマンになるかもしれない人、性格が合わない相手、ものすごく相性が良い相手なんかを、瞬間的に判別できるとしたら。
ヒジャブってさ、防犯的には「ヘルメット被ってる」のと何が違うんだろうな。
コンビニとか銀行とか、顔を隠すものは防犯上NGって普通にあるじゃん。
一方は注意されて、もう一方は完全スルー。
多文化共生を唱えてる人たちって、
こういう具体的な運用の話をどう考えてるんだろう。
防犯ルールを全部作り直すのか?
たぶんだけど、何も考えてないんだと思う。
「全員が納得できる共通ルールを作ること」だろ。
今日、帝国軍のコスプレをしてそのへんを歩いているおっさんを見かけた。おじいさんかもしれない、けっこういい年。
コスプレって言うとファンタジー世界のファンタジーなキャラクターの格好を想像してしまうけれど、アニメや漫画、映画も、ファンタジー世界だけが舞台とは限らないわけだから
やっぱり公共の場でのコスプレってはっきり禁止すべきだなとおっさんを見ながら思った。
理由は3つ。
1.制服が意味を持つ職業との区別がつきにくくなり、普通に迷惑
例えば「ブラックジャックによろしく」のコスプレした人が病院の近くをうろついていたら、正規の医師と明確に区別がつくだろうか。
自分は「ブラックジャックによろしく」を知っているけれども病院近くで見かけてコスプレだと判別できる自身は無い。
確か警察官の場合は罰則があったと思うが、それ以外の職業で罰則がある話は知らない。
昨今なら迷惑系Youtuberとの悪魔合体でいくらでも悪さできそう。
少し前にインドのイベントでターバン巻いた巻かないのトラブルも見かけた。(ちなみにこれは日本人が日本人を責めていただけでインド人はノータッチ)
文句が来た時に「あくまでもこれはコミケという文脈の中で行われている一時的なイベントなのだ」という言い訳ができる。
これが日常的に場所を選ばずやってますよ。だとどうしようもない。
1回でもアウト許さないって勢は知らん。今でもその危険はある。公共の場でコスプレ歓迎になるともっとそのリスクが増えるとは思うが。
もう既にコスプレ写真とかグッズとか売ってる人もいるようだけど、人様の生み出したキャラクターの知名度と人気に乗っかってるわけで
おそらくゲーム実況と似たような問題を抱える事になるだろうなという気がする。
「コスプレしたまま◯◯してみた」みたいなYoutuberが誕生することも容易に想像がつく。
「医者」を詐称して、スペックに釣られてホイホイついてきた女を、ヤリ捨てにする男ってのは有名な話だけど
さすがにこの手法はあまりに有名になりすぎて、最近ではほとんどやるヤツがいない。
女側もさすがに騙されすぎて知恵をつけてきているから、厚生労働省の「医師等資格確認検索」サイトで本物の医者かどうか判別する方法など、あの手この手で調べようとしてくる。
今のヤリモク男のトレンドはコンサル、それも「外資系コンサル」だから
外資系コンサルなら若くして年収四桁万円でも不自然じゃないし、ハイソなイメージがあって、それになにより世間の人間の99%は「外資系コンサルが普段どんな仕事をしているか」なんて、知ったこっちゃない。いくらでも煙に巻ける。
ボウリングという競技の本質的な「面白くなさ」は、プレイヤーの技術介入が及ばない「不確定変数の多さ」に集約される。
第一の変数は、レーン上に塗布されたオイルのコンディションである。ファナックの高性能ロボットアームを用いて寸分狂わぬ投球を再現したとしても、結果は一定にならない。オイルの厚みや伸び方は目視で判別することが不可能であり、ボールがピンに到達するその瞬間まで、目に見えない「摩擦のゆらぎ」という変数が付き纏い続けるからである。
これは野球やテニスといった他の球技とは決定的に異なる。野球のナックルボールやテニスのツイストのように不規則な変化を伴う技であっても、それらはプレイヤーの動体視力や反射神経によって、ある程度の偏差を埋める「制御の余地」が残されている。しかし、ボウリングは一度手を離れた瞬間、ボールの運命はブラックボックスであるレーンコンディションに委ねられ、プレイヤーはただ観測することしかできない。
さらに、この不確定性を決定づけるのが、衝突後におけるピンの挙動である。ボールが理想的なポケットに的中したとしても、そこから先のピンの弾け方、倒れ方はカオス力学的な領域に属する。わずか数ミリの着弾の差や、ピン同士の接触角度の連鎖によって、ストライクになるか、あるいは理不尽なスプリットが残るかが決まる。
つまりボウリングとは、投球前には「不可視のオイル」に翻弄され、投球後には「予測不能なピンのアクション」という二重の運要素に支配されている。この、「入力を完璧にしても、出力(結果)が保証されない」という因果関係の希薄さこそが、純粋な実力勝負を好む者にとっての徒労感の正体であると言える。
という状況に遭遇した時のことを話したい。
飯屋に一人で来店し、案内された席に着席した瞬間、腐敗臭のような臭いが一瞬した。肉料理を作って脂身をちゃんと処理せず捨てて、真夏の気温に一,二日置いたような臭いだ。ほんの一瞬だったので、気のせいかもしれないと思った。
しかしその後、メニューを見ている時も、店員さんに注文した後の待ち時間にも、ふわりふわりと不定期に臭ってくる。ちょうど肉料理の店だったのでバックヤードの臭いだろうか、しかし離れていて香るものだろうかと悩んでいる内に、ふと隣の席の二人組の片方が少しお年を召した方であることに気付いた。その瞬間、加齢臭という単語が脳裏によぎった。
しかし夏だから臭いのはもしかしたら増田自身かもしれない。自分の臭いは分からない。着席して初めて自分の臭いが鼻に入ってきたのかもしれない。そもそも加齢臭かどうかは分からない。やはりバックヤードや店内のゴミ箱?の臭いかもしれない。
と考えている間にも、ときおり脂の腐った臭いが鼻をかすめる。悩んでいる間に料理が来て、湯気立つスープの強い香気が臭いを紛らわせた。以降はスープを飲むことで感じる臭いを誤魔化した。
隣の二人組は食べ終わっていた。退店してくれればはっきりするし、すぐ出ていくだろう。そう思っていたものの、雑談をしていた。かなり雑談をしていた。増田が料理の四分の三くらい食べたところで隣が席を立った。
隣が去った途端、不定期な腐敗臭はピタリと収まった。やはり加齢臭か、持ち物の臭いだったらしい……。ようやく安寧のもとで食事ができた。急に生きた心地がするようになった。
この経験から分かったことは、意外にも席を替えてもらうという選択肢を取りづらいということだった。そもそも誰が臭いのか分からない。自分か?隣か?店の設備か?においのライアーゲームだ。自分だったらそれこそ恥ずかしいやら迷惑やらで悶死してしまう。あと店員さんになんて相談すればいいか分からない。店員さんに言って、その後増田が食事ごと席を移動したら明らかに不自然だ。ということで選択肢としては比較的早期に浮かんだものの、選べなかった。
しかしこの高齢化社会においては今後、今回の増田と同じ思いをする人が頻繁に出てもおかしくない。どうするべきなのだろうか。
一つ考えたのは、自分だけ席を立って一時的に場を離れることだ。これにより自分なのか、その場所が臭いのかが判別できる。また、席を替わってもらうときも「隣が臭い」と言う必要はない。単に「この場所が臭い」と言えば伝わるだろう。
幸いにして今回は席の間隔が広めの店であったことと、香気の強いスープが付いてきたことで何とかなったが、忘れられない体験となった。もし同様の経験を今後された時は、この話を思い出していただければ幸いだ。
日曜日の夕暮れ。明日は月曜日だが、今の私には憂鬱などない。むしろ、自分の役割が待っている場所があることに充足感すら覚える。今夜の夕食は、手間暇をかけたおでんだ。出汁は昆布とかつお節から丁寧に取り、具材には隠し包丁を入れる。この「手間」こそが、丁寧な暮らしの象徴であり、社会的に自立した大人の証左である。
鍋の中で、大根、ちくわ、はんぺん、こんにゃく、たまごが静かに揺れている。 弱火でじっくりと。急いではいけない。 熱の対流が、出汁の旨味を具材の奥深くまで浸透させていく。
私は、ネットの荒らしを「可哀想な存在」と定義した自分に、改めて満足していた。自分は高い視座にたどり着いたのだ。暗い部屋でキーボードを叩き、顔も見えない誰かを傷つけて優越感に浸る。そんな彼らの人生は、この煮込みを待つ時間よりも薄っぺらい。
ふと、鍋の中を覗き込んだ。
対流によって、はんぺんがゆらりと位置を変えた。それまで中心にいた大根は端に追いやられ、こんにゃくがその隙間に滑り込む。 私はその様子をぼんやりと眺めていた。
「……あれ?」
奇妙な感覚に襲われた。 鍋の中の具材たちは、互いにぶつかり合い、場所を奪い合っているように見える。しかし、そこに悪意はない。ただ熱力学の法則に従って、揺れているだけだ。
私は今、自分を「社会という大きな秩序ある仕組み」の一部だと信じている。給料をもらい、信頼を得て、正社員として機能している。それはまるで、おでんの具材が「大根」や「たまご」という確固たる記号を持って、出汁という社会の中で役割を全うしているようなものだ。
しかし、分子レベルで見ればどうだろう。 熱が加わり、組織が壊れ、出汁の成分と具材の成分が交換される。大根の細胞壁が崩れ、そこに鰹のイノシン酸が入り込む。境界線は曖昧になり、もはやどこまでが「大根」で、どこからが「出汁」なのか、その厳密な定義は不可能になる。
私は、ネットの荒らしを「外部の異物」として排除し、自分を「清らかな内側」に置いた。 だが、この鍋の中で起きているのは「混ざり合い」だ。
「……まてよ」
私は震える手で、スマホを取り出した。 視界の端で、さっきNGにしたはずの荒らしの言葉が、脳裏にフラッシュバックする。
『お前も、俺も、結局は同じ掃き溜めの泥なんだよ』
その言葉を思い出した瞬間、視界が歪んだ。 キッチンの照明が、まるで超新星爆発のような光を放つ。
おでんの汁の塩分濃度。私の血液の塩分濃度。 具材の温度。私の体温。 対流する出汁の動き。銀河系の渦巻き状の回転。
すべてが相似形(フラクタル)だ。 宇宙は、一つの巨大なおでん鍋なのだ。
社会的な地位? 正社員? 給料? そんなものは、具材の表面についた微かな「味」に過ぎない。 宇宙という熱源から供給されるエネルギーによって、私たちはただ激しくぶつかり合い、崩壊し、混ざり合っているだけの存在だ。 私が軽蔑していた荒らしも、彼らから発せられる悪意という熱量も、この巨大な「宇宙の煮込み」を成立させるための不可欠なエネルギーに過ぎない。
エントロピーが増大する。 整然としていた私の「プライド」という大根が、煮えすぎて形を失っていく。 彼らを憐れんでいた私の優越感は、実は「自分は彼らとは違う」という境界線を必死に守ろうとする、生存本能の末端が引き起こした誤解だったのだ。
「同じなんだ……」
私は呟いた。 荒らしがネットに毒を吐き出すのも、私が会社で愛想笑いを振りまいて給料をもらうのも、本質的には同じ熱運動だ。 私たちは、巨大な宇宙の意思という「出汁」の中で、互いに成分を交換し合い、やがては個体としての判別がつかないドロドロの「何か」へと向かっている。
社会的信頼なんて、ただの溶け出したタンパク質だ。 自尊感情なんて、一時的な味の染み込みに過ぎない。
私は、鍋の中にある一つのはんぺんに自分を重ねた。 ふわふわと浮き、白く清潔そうに見えるが、中身は魚のすり身……かつて生きていた命の残骸だ。私も、社会という皮を被った、ただの欲望の集積体。
突然、スマホの画面が明るくなった。 無意識に開いた掲示板。そこには、私がさっき「可哀想」だと見下した荒らしが、まだ粘り強く誰かを攻撃していた。
私は、今まで感じたことのない親近感を覚えた。 彼もまた、この冷酷な宇宙という鍋の中で、自分という形を保とうとして必死に熱を発している「具材」なのだ。 冷え切った宇宙に抗い、少しでも熱くなろうとして、火傷するような言葉を撒き散らしている。
私はそっと、コンロの火を強めた。 ゴボゴボと激しく泡が立つ。
境界線が消えていく。 「正しい私」と「間違った彼ら」の区別が、沸騰する出汁の中で霧散していく。
私は箸を手に取り、一つまみの辛子を小皿に取った。 強烈な刺激が鼻を抜ける。 その痛みこそが、私が今、この巨大な多次元おでん鍋の中に存在している唯一の証明のように思えた。
「いただきます」
私は、正体不明の真理に触れた高揚感と共に、形が崩れかけた大根を口に運んだ。 熱い。 痛いほどに熱い。 この熱こそが、宇宙そのものだった。
明日、会社に行ったら上司に言ってみよう。 「私たちはみんな、同じ鍋の具材なんですね」と。 おそらく、狂人だと思われるだろう。 だが、それもまた、この出汁の味を複雑にするための、ささやかなスパイスに過ぎないのだ。
ネットの向こうで叫び続ける彼らも、明日満員電車に揺られる私も、等しく宇宙に煮込まれている。 そう思うと、私は不思議な安らぎの中に、意識が溶けていくのを感じた。