はてなキーワード: スパイダーマンとは
追記:なんかまあまあブクマされてるけど、現状の開き直りだけであんま芯を食った反論はないな。
違国日記は俺も好きだけど、アニメは原作の絵の良さを何も活かせてない残念なアニメ化だったね。朝の演技は鬼滅のキャラみたいだったし。
追記終わり
アカデミー賞にノミネートされてるアニメ映画ってみんなちゃんと見てる?
「スパイダーマン:スパイダーバース」は人種・アイデンティティ・孤独をテーマに描いて長編アニメーション賞を受賞したし、「ウォーリー」は消費社会と環境破壊への警告を子ども向けの皮を被って描いた。「Flow」は動物の鳴き声のみで90分アニメを描き切った名作だし、「アーネストとセレスティーヌ」はフランス映画らしく社会的マイノリティと偏見を真正面から扱ってる。大人が観て「うーん」と唸るようなテーマをちゃんとアニメで表現してる。
じゃあ日本は?
呪術廻戦、かぐや様は告らせたい、チェンソーマン、名探偵コナン……まあ面白くないとは言わないよ。面白いよな。でもこれ、どう見ても子ども向けコンテンツじゃん。バトルもの、ラブコメ、スプラッターアクション、謎解き。エンタメとしての完成度は高いかもしれないけど、「大人向け」かと言われると絶対に違う。
で、なんでアラサーがこれをこぞって楽しんでんの?いや、いいよ?実写映画好きでもB級アクション映画だけ好きって言う人もいるしな。
でも、電車の中でスマホ片手にジャンプの最新話追いかけて、会社のSlackで「コナンの映画良かった」って話してるアラサーの人間、普通に幼稚じゃないか?って思ってしまう。好きなのは勝手だし趣味に口出しするつもりはないんだけど、それが「アニメ文化」の主流になってる現状はちょっとどうなんだと。
ワンバトルアフターアナザーとかアノーラみたいなアニメ、日本からは全く産まれそうにないよな。
アニメって本来すごいポテンシャルがある表現媒体だと思うんだよね。実写では描けないものを描けるし、海外がそれを証明してる。でも日本では結局、少年ジャンプ系の文脈を大人が消費し続けるだけで止まってしまった。それが主流になってしまった。深いテーマを扱ったものは日本のアニメファンの大多数が見向きもしない、幼稚な市場のまま成熟してしまった。
2020年初頭、小説『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の出版前、発売日すら未定だった時期から、本作の映画化は進められていた。その第一歩となったのは、原作者のアンディ・ウィアーが俳優ライアン・ゴズリングに出版前の原稿を送ったことだ。その意図は謙虚だが、明確だった。映画の主演としてだけでなく、プロデューサーとしての参加も検討してほしい、というメッセージである。
ウィアーは、近未来を舞台に緻密な科学描写と感情を巧みに結びつける作風で評価を築いていた。2011年のベストセラー「火星の人」では、複雑な難問が立ちはだかっても、それを解く人物が魅力的であれば、観客が付いてくることを証明し、2015年に『オデッセイ』として映画化された際には、より大きなスケールでその方程式を確かなものにした。
しかし「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は、「火星の人」とは異なり、地球から遠く離れた宇宙で孤立する男から始まり、しかも記憶喪失、やがてはるかに大きな物語へと広がっていくというものだった。原稿を受け取った、ゴズリングは一気に読み切った。
「本当に壮大な旅なんです」とゴズリングは語る。「それに、ライランド・グレースは少しもストイックじゃない。伝統的な意味で勇敢でもないし、自分がヒーローだなんて幻想も抱いていない。でも彼は、挑み続けるんです」
ウィアーが原稿を送ったタイミングは偶然ではなかった。世界がコロナ禍に突入し、映画の撮影が各地で停止、映画館がクローズしていった時期と重なる。映画興行ビジネスは崩壊し、大規模な映画製作の未来には暗雲が立ち込めていた。
「人生でいちばん壮大な映画体験を作るチャンスが来たと思ったら、映画館が閉まっていた」とゴズリングは言う。だが、そんな試練の最中に「プロジェクト・ヘイル・メアリー」と彼が出会ったことは、どこか不思議な巡り合わせを感じさせるものがあった。「この作品は太陽が死にかけている話ですが、同時に深く希望に満ちている。私たちには“不可能な問題”を解決する力がある、諦めなければ奇跡は起こりうると、思わせてくれるものなんです」
「私の売り文句はこうです。“宇宙を揺るがすバディ・ムービー”」
このアイデアだけでも『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が従来のサバイバル物語と異なる点が示唆されている。最終的に物語を動かすのは協力しあうことであり、「ひとりでは達成できない」という真理なのだ。
ゴズリングは、このアイデアを映画化したいと即座に反応した、そして作品のテーマと同じく、それには“チーム”が必要だとわかっていた。
「最初に思ったのは、優れたプロデューサーに入ってもらわないと、ということでした。これは不可能じゃないかと思っていた」とゴズリングは言う。「最高の人材が必要だったんだ」
彼が最初に電話したのが、エイミー・パスカルだった。映画スタジオ ソニー・ピクチャーズのトップから転身し、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』、『スパイダーマン:スパイダーバース』など幅広い作品を手がけてきたアカデミー賞ノミネート経験のある映画プロデューサーだ。パスカルもまた、ウィアーの原稿をすでに読んでおり、ゴズリングと同じものを感じていた。
「グレースは、私たちと同じごく普通の人。スーパーヒーローでも宇宙飛行士でもなく、凡人です」とパスカルは言う。「でも時間をかけて、途方もない犠牲を払える人間になっていく。その感情の旅、変化こそが柱なのです」
パスカルにとって、SFであることは問題ではなかった。ウィアー作品らしく、ジャンルの外見は、もっと大きく普遍的なハートの部分を美しく際立たせるためのものだったのだ。
「確かにSFです」とパスカルは言う。「でも“信頼”の話でもある。人への信頼、協力しあうことへの信頼。今は皆がお互いを怖がっている時代です。誰もが他者を信じない。誰も人の話も聞こうとしない。各々が自分の部屋に閉じこもって、自分の信じたいものだけ信じ、違う新聞を読み、他者に心を開こうとしない。この映画は“聞くこと”を求める。誰か別の言語を学ばなければならない。相手がどこから来たのか理解しなければ、世界は救えない」
パスカルが正式にプロデューサーとして加わり、企画は形になり始めた。次に必要だったのは、ユーモアと危険、ぬくもりとスケール、その緻密なバランスを取りつつ、エモーショナルな魂を見失わない映画作家を見つけることだった。
「誰がこの映画を引き継ぐべきか、議論の余地はありませんでした」とパスカルは言う。「フィル・ロードとクリストファー・ミラーしかいなかった」
「私たちは、物事が“不可能”に見える時代を生きています。けれどこの映画は、想像力と善意を持って人が集まったときに何が可能になるのかを描くのです」とロードは言う。
プロデューサー、主演俳優、監督が正式に揃い、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は原稿から撮影へ向かうチームが発足した。作品で描かれるミッションと同様に、このチームもあらゆるレベルで協力し合うことで、困難を乗り越えていくことになる──。
今日は竹芝の海辺に行った。夜だった。海は真っ黒で、でもビルの光がチカチカ反射して完全な闇じゃなかった。波が寄せては返すたびに、細かく砕けて頭から離れなかった。風が強く吹いて、潮の強い匂いが鼻の奥まで入り込んでくる。
そんな場所に立っていると、昼間の自分とか仕事中の自分とか全部遠くに飛んでいって、ただ「今ここにいる身体」だけになる。
本当に気持ちいい。
俺は本物の変態だ。ナルシストとかいう言葉じゃ足りない。家に帰ったらすぐ全裸になって鏡の前に立つ。照明を落として、自分の体をじっくり見つめる。
肩から胸、腹筋の溝、太ももの張り、全部がくっきり浮かぶ。中でも一番愛おしくて、真正面から向き合いたいのは自分のペニスだ。太くて長くて重いチンポ。血管が浮き出た太い幹は手のひらに収まらないくらい太くて、先端は大きく張り出して別の生き物みたいに脈打つ。勃起させると根元から先端まで鉄みたいに硬くなって、重々しくビクビク揺れる。俺は両手でしっかり包み込んでゆっくりシゴきながら、鏡の中の自分に囁く。
「愛してるよ」と言いながらガラスに唇を押しつけてキスする。時にはチンポを鏡に擦りつけて、鏡の中の自分と本気でセックスしてるような妄想に浸る。射精した瞬間、鏡に白い精液が飛び散って、俺はただ「ここにいる」と胸の奥で思う。勃起は俺にとってただの欲情じゃない。
自己肯定感そのものなんだ。ガチガチに勃起してるだけで「俺はまだ生きてる」「俺は俺でいい」って体が証明してくれる。
有毒なナルシズムはチンポを武器にして他人を踏み台にするやつだ。あれは脆くて、他人の視線や反応にすぐ依存して萎える。
俺のは場合は少し違ってて、静かで内向きで執拗なものだ。勃起したチンポを鏡の前で愛撫しながら、誰もいない部屋で「俺はこれで十分だ」と呟く。誰にも優位に立たなくても、誰にも認められなくても、ただ勃起してるだけで俺は満たされる。
俺の男らしさは勃起をただ「ここにいる証」として受け止める。隠さず、誇張せず、ただそこにある熱い肉棒を愛すること。俺は後者を選びたい。勃起したペニスを世界の外に置き去りにしたくない。もっとしっかり向き合いたい。見られることも、感じることも、全部「今ここ」の一部として。
夜中は特にそれがエグい。
全裸のままランニングをするのが好きだ。勃起したチンポを堂々と前に突き出した状態で港を歩く事も。街灯の下で筋肉が艶やかに光って、腹筋の影が深く刻まれる。大きなペニスは重力に逆らって上向きに張りつめ、先端から透明な先走り液が糸を引いてダラダラ滴る。歩くたびにチンポが重く揺れて太ももに当たる感触がする。それでも俺は隠さない。胸を張って背筋を伸ばし、ゆっくりとした歩幅で歩く。誰かに見られても構わない。むしろ見られたい。その視線でチンポがさらに硬くなって、露出の快感が全身を駆け巡る。そこに羞恥はない。ただ「ここにいる」という純粋で傲慢な肯定だけだ。勃起したまま夜の港を歩くとき、俺は自分のチンポと真正面から向き合っている。
薄い布が全身にピッタリ張り付いて、勃起したチンポの形がくっきり浮き出る。スーツの中でさえ根元からカリまで丸わかり。もっこりというより保健体育の教科書のイラストような鮮明さがある。
俺はそれを恥ずかしいとは思わない。むしろこの姿で夜の海辺に立ってる自分が、鏡の前と同じくらい興奮する。
「こんばんは」
スーツ姿で自撮りをしていたら中年の男に話しかけられた。少し酔ってる感じだった。あとで聞いたらホテルの料理人で、昔自衛官だったらしい。見た目はくたびれてたけど。最初にって笑いながら言ってきた。俺はストレートに答えた。
そいつは笑いながら俺の体を舐め回すように見てきて、「変態だな」って言った。
俺は「そうですね、変態ですよ」って普通に返した。むしろ嬉しかった。そいつは言い方は雑だったけど、ちゃんと俺のチンポのラインとか胸板とか腰のくぼみまでガン見してた。俺のチンポはもうその視線だけでガチガチに勃起してて、大きな幹が布を押し上げ、カリの形までくっきり浮き、先端がじわじわ先走り液を染み出させてテカテカ光ってる。それでも俺は堂々と胸を張っていた。
「立派だな」って言われた。男はかなりストレートに俺の股間を見てた。俺のチンポはスーツの中で熱く脈打って、根元から先端までびしょびしょに濡れてた。俺はそれを隠さず、ただそこにあるものとして受け止めてた。
そいつが「俺のはもう枯れちゃったよ」って言ったとき、俺は唐突に「このスーツ、着てみますか?」って提案した。反射的に。
「今ここで?」
「無理ですよ……」
そいつは少し好奇心を混ぜたような、でも戸惑った声で言った。俺は笑って答えた。
「夜は誰も来ませんよ」
「背中のチャックを閉めるのは僕がやります。安心してください」
そいつは一瞬迷った顔をしたけど、結局「……わかりました」って小さく頷いた。
トイレの中でファスナーを閉めて、マスクを被せた瞬間、俺は思わず声に出した。
「美しいですね」
マスクをかぶったそいつは、ただの黒い布じゃなくなって、完全に別の存在になっていた。俺のチンポもその姿を見てさらにガチガチに硬くなった。俺たちは格好良さと美しさで繋がってるのかもしれない。姿見の前に並んだとき、二人はどちらもガチガチに勃起していた。
俺のチンポはスーツの中で限界まで突っ張ってて、そいつのチンポも薄い布を押し上げてカリの輪郭までくっきり浮き出ていた。先走り液が二人とも染み出して布がぐしょぐしょに濡れている。
スーツの薄い生地が勃起したチンポが窮屈そうに暴れている。スーツに擦れるたび、まるでガーゼにローションをたっぷりつけてチンポを擦りつけるオナニーみたいだった。先端がびしょびしょに濡れてローションまみれみたいになって、激しく勃起したチンポがビクビク動くたびに布に擦れて気持ちいい。
変態の俺と、普通のそいつが、こんなところで同じような快感を共有してるのがなんだかおかしくて、でもすごく自然に感じた。
俺は少し勇気を出して声をかけた。
「ここにいるより、外で撮りませんか?」
「……恥ずかしいです」
そいつは心細そうな声で答えた。マスクを取ろうとする手を、俺はそっと優しく掴んだ。
そのまま外に歩き出すと、そいつの足取りは意外と軽かった。まるで少しずつ自信が出てきてるみたいだった。彼はまだ勃起をしていた。
スーツの股間がくっきり浮き出たまま、歩くたびに布に擦れてビクビク動いているのがわかった。少し歩いてから、俺はふと思いついて聞いてみた。
「なんか……今、ガーゼオナニーしてるみたいな感じしませんか?」
そいつは小さく笑って
俺も笑いながら答えた。
「……わかりますよ、すごく」
冗談のノリで軽くハグした。不意に勃起したチンポ同士がスーツ越しに擦れ合った。
俺は自分自身と抱き合っているような感覚だった。鏡の中の人が出てきて俺を抱いてくれた気がする。彼は俺に甘えるような動きで体を預けてきて、まるで野性の動物がじゃれ合うときみたいな自然な動きだった。
警備員が近づいてきたときも、俺たちは自然に肩を寄せ合った。俺が「友達とコスプレの撮影です」って笑って答えて、彼も小さく頷いてくれた。警備員が去ったあと、俺たちはまた軽く笑い合った。変態の俺と、そうじゃない彼が、まるで当たり前のようにお互いをかばい合ってた。そのときも、二人のチンポはまだ勃起したままだった。俺たちはそれを隠さず、ただそこにあるものとして、静かに向き合い続けていた。
別れるとき、俺は彼にスーツとマスクを押し付けた。勢いもあった。でも渡したかった。
彼がそのあとどう生きてるのかは知らない。
ブラックパンサーのスーツをもう一度着たかどうかも知らない。ホテルの厨房で働き、疲れて帰って、また眠るだけの日々に戻ったのかもしれない。
あの夜のことは、それだけだ。
夜の海のにおい。
砕ける光。
沈黙。
ヒーロー。
そして、ただの俺。
小学6年生の子がいる。今ハマっているのは「転生したらスライムだった件」と「呪術廻戦」。どちらも長く見続けている。
なんで好きかをよく観察してみると、「ルールや設定が緻密に組み立てられている作品」に強く引き付けられているらしい。転スラでいえば、スキルの体系とか、リムルが国家を作っていく過程の論理性。呪術廻戦でいえば、術式の条件とか領域展開の仕組みとか。バトル自体よりも「なぜそうなるか」の構造に食いついている気がする。
一方で、登場人物が膨大になりすぎる展開は少し苦手なようで、「誰が誰だっけ」となるとトーンダウンする。視覚的に映える場面や、「世界の仕組みが少しずつ明かされていく」展開は大好き。転スラのアニメも、ストーリーを整理して語れるくらいに頭に入っている。
両親揃って映画好きなのでこの傾向で観せる映画を探しているんだが、なかなか決め手が見つからない。
いちおう候補として考えたのはこのあたり:
「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」あたりは、独自ルールが明示される世界観という点でたぶん合うと思っている。でも本人が「知ってる」と言って食いつかない可能性もある。
映像表現が圧倒的で、マルチバースという設定の論理性もある。12歳には刺さるかもしれないが、英語ベースのテンポ感が合うかどうか。
純粋に泣かせに来る系は刺さらないのか、それとも年齢的に引いてしまうのか読めない。
設定と映像のクオリティは高いが、情緒面の比重が大きいのでどうか。
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ここで詰まっている。転スラと呪術廻戦が好きな12歳が「映画として2時間集中できる」作品、という条件でおすすめがあれば教えてほしい。
条件をまとめると:
虎之助は私の家の近くに住んでいる。近くに、というのは昼の言葉で、夜になるとその近さは少し別のものになる。夜の道は、角をひとつ曲がるごとに距離ではなく気配を増してゆくからで、舗道に落ちた街灯の白さも、建物のあいだに沈んでいる暗がりも、どこまでが町でどこからが胸のうちなのか、曖昧になる。そういう道を彼がこちらへ歩いて来るのだと思うと、私はまだ戸も鳴らぬうちから、部屋のなかにいて部屋のなかにいない。心はいつも少し先に出ていってしまう。窓のほうへ、廊下のほうへ、まだ見えない一つの輪郭のほうへ。
最初は文字だった。文字は顔を持たない。だから、かえって多くを持つことがある。夜更けに画面のなかへ浮かぶ短い文、送り終えてから、言いすぎたわけでもないのに、少しだけ本心に触れすぎたような気のする言葉。ヒーローのこと、全身を覆う布のこと、顔を隠すこと、輪郭だけになれること。ほとんど冗談のように始まりながら、その実、冗談では収まりきらぬ熱をかすかに含んでいる話。そういうものの行き来のなかで、私たちは知ったのだった。互いが驚くほど近くに住んでいるということを。近いと知ることは、親しさを深めるより先に、むしろそれを危うくすることがある。遠くにいる相手には許される夢想も、近くにいると知った途端、あっけなく現実へ引き戻されるからである。それでも、その近さは恐れより先に、静かな期待を部屋の隅へ置いた。
会うためには約束があった。約束というより、二人のあいだに自然に張られた薄い膜のようなものだった。会うときは、お互いに全身を覆うものをまとい、ヒーローの姿でいること。顔は見せないこと。見ないこと。そのようなことを昼の世界の言葉で説明しようとすると、たちまち理屈が寄ってきて、それを奇妙だとか、倒錯だとか、遊戯だとか、そういう名で固定したがる。けれど夜の部屋のなかでは、それはもっと静かで、もっと切実なものだった。全身を覆う布は、隠すだけではない。隠すことで、かえって輪郭を与える。顔という、もっとも日常的で、もっとも騒がしい部分が退くと、人は不思議なほど静かに一つの姿になる。肩、胸、腰、脚、その線だけが、もう説明を必要としない何かとして、そこに立つ。
私は長く、顔というものに疲れていたのかもしれない。顔は人を社会へつなぐが、同時に測られるものにもする。年齢、気分、倦み、虚栄、そして、その日一日をどうにかやり過ごしてきたという疲れまでもが、顔のまわりには集まっている。人は素顔で人に会うとき、じつはもう半分ほど説明してしまっている。だから、顔を見ないことに安堵がある。見られないことに、ではなく、見ないでいられることに。相手を現実へ引き戻さぬで済む。日常の名札を胸から外したまま、もう少し別の場所で向き合うことができる。
戸の向こうに彼が立つ、その前の、まだかすかな気配だけで、部屋は少し深くなる。灯りは同じはずなのに、壁の色まで変わるように見える。床は少し音を吸い、窓は外の光を遠ざける。私は立ち上がる。自分の身体もまた、もういつもの身体ではない。全身を覆うと、皮膚は皮膚であることをやめ、別の表面へ移ってゆく。ぴたりと沿う布の緊張が、身体にひとつの意志を与える。あるいは、意志の代わりをする。日常の私は、ともすれば散らばっている。視線の置き方も、手のやり場も、言葉の選び方も、みな半歩ずつ遅れる。けれど全身を覆った身体は散らばらない。少なくとも、そのように見える。人はときに、そう見えることによって初めて救われるのだろう。
彼もまた、そうなのだと思う。虎之助は若い。若いということは、まだ損なわれていないということではなく、むしろ損なわれやすいということだ。何かを美しいと思う心がまだ生きているぶんだけ、傷つきもする。彼の好奇心は旺盛だが、けっして乱暴ではない。人の心へずかずかと入っていく若者もいるが、彼はそうではない。触れてよいかどうかを、まず空気に訊いてから手を伸ばすような慎みがある。しかも、それが計算ではない。自然なのだ。相手の沈黙に、沈黙のままで居場所を与えることのできる若い人間は稀である。虎之助は、その稀なほうに属している。
彼が部屋に入ってくる。顔はない。少なくとも、顔と呼ばれるべきものは布の内側へ退いている。それでも彼だとわかる。立ち方で、こちらへ身体を向ける時の角度で、沈黙のなかに置かれる呼吸の速さで。人は顔で識別していると思い込みがちだが、ほんとうはもっと別のもので相手を知っているのかもしれない。重心の置き方。ためらいの深さ。こちらの存在をいったん受けとめてから、一歩入ってくるその静かな配慮。そうしたものが、彼を彼として部屋に現れさせる。顔をなくしたことで、むしろ彼の身体は、より彼らしくなる。
私たちはスパイダーマンが好きだった。それも、ただのヒーローとしてではなく、どこかもっと身体に近いところで。最初にそれを知ったのが文字のうえだったのか、それとも会うようになってからだったのか、今ではもう曖昧である。ただ、『スパイダーバース』の話をするとき、彼の言葉の調子が少し変わることは知っていた。軽くなるのではない。むしろ、奥のほうでひそかに熱を持つ。あの映画には、跳ぶ前のためらいがある。まだ自分を信じきれない者が、それでも落ちながら跳ぶ、その矛盾がある。何人ものスパイダーマンが、それぞれ別の傷や別の喪失を抱えたまま、なお一つの輪郭へ集まってくる。マスク。全身を覆うスーツ。若さ。孤独。軽やかさと哀しみが同じ身体のうえにあること。私たちはたぶん、その全部に惹かれていた。単に格好いいからではない。未完成なまま跳ぶ者の姿に、自分の何かが映っていたからだ。
全身タイツとヒーロー。その二つのあいだには、もちろんフェティシズムがある。そうでないと言えば、むしろ偽りになるだろう。布が身体の線を隠しながら示すこと。顔を失ったことで、かえって身体そのものが前景へ出てくること。人格が退き、姿だけがひとつの記号のように立ち上がること。そのことに私たちは心を動かされていた。だが、それは単なる肉体への興奮だけではなかった。肉体が理想へ近づく、その曖昧な途中に惹かれていたのだと思う。人間でありながら、少しだけ人間を離れる。個人でありながら、少しだけ象徴になる。ヒーローの身体とはそういう身体で、素顔よりも深く、その人の希求を語ることがある。虎之助がそれを愛したのは、若い肉体の誇りのためというより、まだ言葉にしきれない自分の願いを、その姿のほうが先に理解してくれるように思えたからではないか。
沈黙がある。沈黙は空白ではない。沈黙は、彼がいま部屋のどのあたりにいるかを、言葉よりも正確に知らせる。少し動く、その微かな擦れ。立っている時の静けさ。こちらが何か言う前に、一瞬だけ深くなる気配。そうしたものが、部屋の中で小さな波紋をつくる。親しさというものは、長い会話の末に生まれると人は考えるが、実際には、相手の沈黙が自分を脅かさないと知ったときに、すでに始まっているのかもしれない。彼といる沈黙は、私を急かさない。彼の若さは、私を若返らせるわけではないが、私の中の、まだ完全には乾いていない場所へ、そっと手を置く。
私は彼を見る。見る、といっても、顔ではない。首から肩へ下る線、胸のあたりの、まだどこにも使い切られていない余白、立っているだけで未来というものが一つの形を取っているように見える、その若い静けさ。若い身体には、まだ失っていないものが宿っている。可能性という言葉は安易すぎるが、それでも、完成されていないことがそのまま美しさになる瞬間がある。私は彼を見ている自分に気づく。気づいて、それを押し返さない。押し返すとたぶん、別の粗いものになるからだ。愛情と言ってしまえば少し平たく、欲望と言ってしまえばまだ響きが強すぎる、もっと薄く、もっと持続するものが、視線の中には混じっている。たとえば、若い肩の線を見て胸の奥がわずかに緊張する、その程度の、しかし否定しがたいもの。
彼もまた、感じているのだろう。若い者は、向けられる気配に敏い。露骨な視線よりも、抑えられた気配のほうに。彼は自分がこの部屋で、ただ受け入れられているだけではないことを、どこかで知っていたかもしれない。もう少し静かで、もう少し名づけにくいかたちで、見守られ、喜ばれ、そして少しだけ見惚れられていることを。だがそのことが彼を怯えさせなかったのは、たぶん、それが所有の欲ではなく、輪郭を尊ぶ気持ちに近かったからだろう。彼のこういう姿がここにあってもよい、そのことを急いで説明も判断もせずに、ただ部屋の内側で保っておくこと。それだけで若い心は、少しずつ自分を赦し始める。
虎之助は少しだけ自信がない。その少しだけ、という加減が、彼をいっそう美しくする。自信のなさはしばしば、世界に対して耳を澄ましすぎる者の徴でもある。彼は自分の好きなものを口にするとき、一瞬だけ呼吸を整える。スパイダーマン。スーツ。マスク。『スパイダーバース』。そういうものに自分がどれほど惹かれているかを言う、その直前の、かすかなためらい。私はそれを知っている。知っていて、それを暴かない。だが最近、彼は少し変わった。変化はいつも小さい。部屋に入ってくる時の気配が、前よりわずかに深く呼吸している。好きなものの話をする時、恥じる前に、先に明るさが差す。自分の惹かれるものを、前ほど早く自分で裏切らなくなる。人が自分を肯定し始めるとき、たぶん最初に変わるのは言葉ではなく、身体のほうなのだ。
彼が私と会うことで少しずつ自分を肯定してゆく、と言うことはできる。だが、それは私が何かを教えるからではない。むしろ逆で、教えないこと、名づけないこと、強い光を当てないこと、その曖昧さの中でしか育たない肯定がある。若い心は、あまりに明るく照らされると、すぐにぎこちなくなる。けれど、薄い灯りのなかでは、自分の輪郭を自分で見つけることができる。私は彼にとって、その程度の灯りであればよいのだろう。いや、その程度であることのほうが、たぶん大切なのだ。彼の若さは、私の失ったものを責めない。ただ、まだこの世界に残っていると言ってくれる。そのことが、私にとっても一つの静かな救いである。
もしこれが友情であるなら、それでいいのかもしれない。だが夜の部屋で、顔のない彼の若い輪郭を見ているとき、私の中を流れているものは、友情という語だけでは少し狭い。性愛と言えば強すぎるが、そこへまったく触れていないとも言えない。ヒーローの姿をした二人のあいだにだけ生まれうる、どこか宙吊りの、どこか非現実で、それゆえかえって切実な親しさ。スパイダーマンのスーツのように、隠しながら示し、示しながら守るもの。彼の立つ姿、沈黙のなかの呼吸、言い切られない熱。それらは名づけられずにいることで、かろうじて壊れずにいる。
虎之助は私の家の近くに住んでいる。けれど、ほんとうはもっと内側の、私が長く口にしなかった願いのそばに住んでいるのかもしれない。人前では笑ってしまうしかない憧れのそばに。マスクとスーツに守られたまま、まだ跳ぶことを諦めていない心のそばに。彼は若く、純粋で、慎み深く、人の心を大切にする優しさを持っている。そういうものは世界のなかで傷つくだろう。だが、もし彼がこれから少しずつ、自分の好きなものを好きだと言い、自分の輪郭を恥じずにいられるようになるなら、そのことは私にとってもまた、静かな光になる。窓の外には海は見えない。けれど夜の部屋には、たしかに潮のようなものが満ち引きしている。私たちはその見えない潮に触れながら、顔を見ないまま、ひとつの部屋にいた。そしてそのことが、言葉になるより先に、私たちのなかの何かを照らしていたのである。
どこかの学校で目の前が火災で火の勢いが強く俺ら7人はギリギリやばい場所に立っていて
そのうち1人の女の子が水をくんでくるとトイレに駆け込んでるうちに救助ヘリがきてなんとかギリギリ助かった
でもその女の子がいなくて、トイレにいただろ!?と問いただすともう焼け死んでたと回答
うそつけそんなわけない救助活動をサボったんだろ!というや否やパラシュートと緊急避難ポーチを手にしてヘリから飛び降り
真下はガラスの天井で割れ目から火災、パラシュートを開いて布側をそのへんにひっかけてスパイダーマン的に壁にへばりついて元の階段の踊り場に行く
女の子はまだ生きてて意識が遠くなってたけど死ぬことはなさそう
緊急避難ポーチからカロリーメイトを与えて、ハサミでパラシュートを適当に切って、手首をくくりつけて、お互いの体もくくりつけて、手にはたいまつを作って、炎に煽られて空に舞っていく
おーい!俺たちはここだー!と叫ぶと救助ヘリは手にしたたいまつを見つけてこちらに向かってくる
どんどん気温が下がり体が冷えて、体のバランスも崩して落ちてしまいそうなところを耐える
もう少しでヘリが来るというところで目が覚めた
食わず嫌いしていたGotGみた。
口の悪いアライグマにろくに喋れない木、純粋なマッチョに虫、ワールドワイドな毒親の子1に子2、それらと取りまとめるさえない普通のおっさん(とアベンジャーズだけ見てたときは思ってたけどものすごい出自だった)の主人公が織りなすお話で、意外とほっこりエピソードもあって面白かった。
個人的にはヨンドゥが一番好き。あのスパイラルナイフは主人公に継いでほしかった気持ちはちょっとある。
スパイダーマンのアニメ大量にあってよくわからんかったけどフレンドリーネイバーフッドってやつを見た。
見た目は昔ながらのアメコミ風で内容はしっかり現代風のCGアニメでMCU要素やちょくちょく他のヒーローもでてきたり、手を組むのがオズボーンだったりで面白かった。
スパイダーマンとしての活躍としての他に、もう一本の軸で陽キャでイケメンアメフト選手だったロニーが堕ちていく様を丹念に描いていて、これがまたヒーローものらしさのない嫌な堕ち方で見ていて辛かった。
地に足がついた話というか、主人公からして離婚歴のある養育費払ってない元こそ泥っていう経歴で、他のヒーローだと捕まっても己の正義のためにやったことだから後悔してないって感じだけど、職につけないと悩んだりで等身大のヒーローって感じではあった。
お話の規模自体も割合小規模な戦いばかりで、三作目では大きさそのものはものすごく小さいお話だった。ヴィランはマルチバースにまたがるタイプの強大な敵だったけれど。
またトニーがきっかけで大変なことに…。
ライミ版とかと違って子供であること強調されてて、張り切りすぎて失敗しまくったり、敵も敵でうっかりで仲間を消滅させたり、ギャグみたいなことで大惨事になりかけたり(そのことでしっかり叱責されるけど)ギャグよりな作風なんだろうか。
あとは(アベンジャーズみたいなのもなくて)ひたすらに孤独なヒーローだったライミ版と違って早々に友達にバレたりするしで大分関係も違う感じ。
ここまで(そもそもの発端だったり、手のひら返しがアレだったりするけど)親身になってるアイアンマンを思うとインフィニティウォーでピーター消えた時の辛さより一層…。
友達の親がボスって展開だったみたいに恋人の親が…って展開だっただけに最後またしんじゃうかと思ってビクビクしてた。
ストレンジっぽいやつかと思ったらミステリオ言われて、そんな名前のやつヴィラン側にいたなと思ってたらやっぱりやんけ。
まーたまたトニーきっかけかよ!トニー被害者の会盛り上がってたのは笑った。
しかし映像作成機能強くない?スパイダーセンスみたいな超感覚なかったらどうにもならなかったし。
騙されてたフューリーめっちゃ間抜けじゃんと思ったら、嘘つきのヴィランの作品らしくそんなオチだったなんて…。
今までもヒーローが悪者になるのはあったけど、真っ赤な嘘で悪者扱い展開なんか。
ノーウェイホーム
前作から直に繋がってて、作品のノリもあって序盤は社会的に悲惨な状況なのに暗すぎはしないけどいや~なしょうもない人間同士のドロドロ展開開始から延々続いてた。
そんな中唐突に出てきて唐突にヤバい魔法唱えはじめてから色々この魔法やべーからとかいい出すストレンジ大先生。唱える前に詳しく事前説明してからにしろや!皮肉屋のMJにも突っ込まれてたけど性格わっると思ってしまった大先生。
アベンジャーズしか見てなかったから便利な魔法おじさんくらいに印象だったわ。
大惨事にはなりかけたけど、この事態を引き起こした理由がちゃんと説明しないでとっとと進めようとする大先生とまだまだ幼いピーターが社会的に追い詰められていたことが原因で、
そこまでピーターが追い詰められた原因も逆恨みの八つ当たりの最後っ屁みたいなもんだったからなんかこうよくよく考えたらそんな理由で!?感が強かった。
2
AOU ムジョルニア持ち上げられそうになって狼狽したり、ヴィジョンに使われた時に大分焦ってるソーが面白かった。
3 終盤のアイアンマン軍団とかペッパー無双とか見てて楽しかった。
CW ヒーローのド派手な戦いの裏で…という話。なんかキャプテン・アメリカってタイトルに付いてるけどあんまりそんな感じはしなかった。
ヒーロー対ヒーローは今までのシリーズでもよくあったけど洗脳ばだったりなんか喧嘩っ早かっただけだったなかで各々の思想によって別れて戦うのがより一層やるせない。
ボスも単純なパワーでやるタイプじゃなくて面白いキャラクターだった。
IW 冒頭からクライマックスで、アイアンマン中心に見てたのもあって大分置いてけぼりくらった。ロキにはアベンジャーズで暴れまわったあとハルクにボコボコにされてた印象しかなかったから
ちょっとどういう感情で見ればいいのかわからなかった。あんなチートゴリラどうやって倒すん…と思ったけど意外と腕どうにかすればよかったんかな切り落とすとかで。
ハルク最後の最後で暴れるかと思ったらずっとやーやーなの!だった。結局最後までみたけどなんでやーやーだったのかイマイチわからなかった。
終始ラスボスの計画通りに進んで超鬱エンドだった。特にスパイダーマンは本シリーズだと子供っぽさが強調されてたのもあって辛かったし、それを目前で見せられてトニーもかわいそう。
てかCW→IWって暗すぎる。多分暗い話だからってのもあってコメディリリーフとして出てきたであろうウサギ連中もラストで塵となって台無しだよ!当時見てた人どんな気持ちだったんだろこれ
EG 冒頭の平和そうな日常ですっげー嫌な予感したら案の定ひどいことになった。トニー見た目からしてボロボロでお辛い…。
サノス手をあっさり切り落としてた辺り有効な戦略だったんだと。
科学者連中が丸ごと選別から逃れたのバグだろこれ。サノスは信念ねじまげてもやっとくべきだったと思う。
その後の世界でハルクがハルクと和解して愉快な緑のおじさんになってたり、おもちゃにされるアントマンに、ソーのひっどい体型にひっどい使われ方するストームブリンガー…。
最終決戦はハンマー持って大暴れするキャップとか熱かった。元々能力ありすぎて強かったけどブチギレスカーレット・ウィッチ、あのサノスが追い詰められるほど強いんだ。
なんか鳴り物入りで登場したキャプテン・マーベルはちょろっと便利な物語進める道具みたいな扱いでイマイチだった。
ヒーロー側はトニー、ブラック・ウィドウ、ヴィジョンの犠牲で大体は解決したけど、兄弟もヴィジョンも失ったままのワンダかわいそう
ここでは、以下をすべて加味した 総合エコシステム体験スコア を算出します:
含める要素
✅ グラフィック
✅ 価格・省電力
✅ 独占タイトルの強さ
項目 加点 理由
サブスク(PS Plus / PC Game Pass) +2 大量のゲームに触れられる
UHD Blu-ray(映像用途) +1~1.5 映画プレイヤーとして唯一性
独占タイトル(FF7R・スパイダーマン等) +2 他で遊べない体験
→ 総合:13~14.5
② Switch2(総合版)
項目 加点 理由
携帯性・遊べる場所の自由度 +3~4 外・旅行・ベッド…体験幅が巨大
独占タイトル(ゼルダ・マリオ・ポケモン等) +3~4 世界トップ級のIPパワー
レトロ資産(FC~N64/GB/GBA/GC期待含む) +1.5~3 “時間を超えた価値”
マルチメディア性(映像アプリが弱い) -0.5~-1 非ゲーム用途は弱い
→ 総合:13~15.5
「映像体験/ハイエンド志向」 PS5/PC UHD BD、4K映像、AAA最高品質
「総合ゲーム体験/人生で触る時間」 Switch2 携帯性+任天堂IP+レトロ資産
★ 総評