「音色」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 音色とは

2026-04-21

音が分からない

同じ高さの同じ音階であっても、人によって聞こえ方が全然違うよね

物を叩いたりして出る音も話声や歌声とは全然違う

楽器が違うと音が全然違う

これってなんでなん

にわか知識でよくわからんのだが、音って波形で表した時の波の間隔が音階で波の上下の幅が大きさになると思うんだけど、

声質や音色が違うのはほかに何の要素が関係しているわけなの

2026-04-18

AIが作った曲を、ひとりの作家作品として聴いていた

(※長文注意・要旨)

ある音楽家が、これまでのリリース作品がすべてAIベース制作環境で作られていたことを、その環境商品として販売開始することで明かした。

この記事は、それを告発するものではない。むしろ、その製品宣伝通り機能した場合にこそ私たちが直面する問い——「感動していた曲は、何によって作られていたのか」「作曲プロンプト設計に移るとき、聴き手は何を聴いているのか」——について、ひとりの聴き手/作り手として考えたことを書いておく。

1~4節はその商品分析がメインなので、ゴシップ的な話に興味のない人は5~7節だけ読めば十分。

長いので時間のあるときに読んでほしい。

1. ある製品との出会い

Twitterで、気にかけていたアカウントがあった。フォロワーは二千人規模だが、Hyperpop以降の日本のシーンで頭角を現している一人、という認識自分の中にあった。界隈の主要な音楽家たちからフォローされている、といえば規模感が伝わるだろうか。リリースされる曲には、たんに「いい音楽」と片付けるのは難しい構成の巧妙さと音選びの新しさがあって、追ってはいないまでも名前は頭にあった。

そのアカウント最近自分制作環境商品として販売し始めた。価格は14,900円、「AI音楽制作環境」として売り出されていて、製品ページの宣伝文句はこうなっている——「『気持ちよくて驚きのある曲を作って』——そのくらいの指示からコード進行歌詞・Sunoプロンプトまで一貫して出力します。」さらに、既発のアルバムEPは「全てこれを軸に制作されている」とも明記されていた。

最初に湧いた感情は、「ああ、そういう工程で作られていたのか」という、ある種の冷めの感情だった。AIを使っていることそのものへの反発ではない。SunoのようなAI音楽生成ツール進化については以前から耳にしていた。出力自体クオリティ否定するつもりもない。そうではなく、「何に対して感心していたのか」という、自分の受け取り方の根元が揺らぐ感覚、とでも言えばいいだろうか。

この感覚を、個人的がっかりエピソードとして飲み込んで済ませてもよかった。けれど製品ページを読み進めるうちに、これは自分一人の話ではなく、いま音楽聴く/作る側に共通してくる問題になっていくだろうと思い直した。以下はその整理になる。

2. その製品が何であるかの整理

製品ページから読み取れる範囲で、何が売られているのかをまず整理しておく。評価は後回しにする。

製品としての訴求は、おおむね三層からなる——(a)独自音楽生成エンジンであること、(b)感覚的な指示から完成物が自動生成されること、(c)学習ツールとしても機能すること。

3. 構造的に読み取れる疑問

実際に買って触ったわけではないので、以下は推測の域を出ない。ただ、製品説明を読み解くと、構造的にいくつかの疑問が浮かぶ

まず、''「Python疑似コード」という語の含意''について。「疑似コード」はPythonの形で書かれていても実行されないテキスト、つまり構造化されたプロンプト/参照資料のことを指すのが通例だ。Claudeプロジェクトに.zipアップロードする形式である以上、これはClaudeが読み込むルール文書群であって、独立して走る独自エンジンではない可能性が高い。MIDI出力部分などは実行可能コードだろうが、「コードを選ぶ」「歌詞を書く」といった音楽判断のコアは、Claude本体自然言語推論能力が上限になる。これ自体は悪いことではない。よく練られたプロンプトパックは、Claudeの出力の一貫性専門性を上げる。ただし「独自エンジン」という響きが含意するものとはかなりの距離がある。

次に、''Sunoへの依存度''について。製品の主要アウトプットひとつが「Sunoプロンプト」である以上、最終的に音として鳴る部分——音色の質感、ミックスバランス演奏ニュアンス——を生成しているのは、この製品ではなくSunoのほうということになる。つまり、この製品価値の相当部分は「Sunoを上手く使うためのプロンプト設計職人技をパッケージしたもの」であって、Sunoが進化すればその層の価値は急速に目減りする。

三つ目に、''「all built by hand」の含意''について。86,000行という規模が、本当に人間が手で書いたものなのかは、製品説明から判別できない。ジャンル研究ノートやStyle語彙データベースといった文書は、AIに「このジャンルについて詳細なルール文書を書いて」と指示すれば相当量が出てくる種類のものである。骨格は人間が作っていたとしても、肉付けをAIに任せている可能性は十分ある(そしてその場合、「手作業で書いた」という説明の重みはかなり変わってくる)。

繰り返すが、これらは推測にすぎない。実際に買って開ければ印象が変わる可能性は十分ある。ただ製品ページの記述だけを根拠判断する限り、「独自音楽生成エンジン」「作編曲学習ツール」という訴求は、実態を控えめに言っても過剰包装しているように見える。

4. 機能しなかったら問題だが、機能したらもっと問題

ここがこの記事で一番考えたかったポイントになる。

この製品に対する考えられる反応は、「宣伝通りに動くのか?」という疑問だろう。

しかし、立ち止まって考えると、本当に問うべきは逆側であることがわかる。

仮にこの製品宣伝通りに機能するなら——「気持ちよくて驚きのある曲を作って」という指示一行からコード進行歌詞・Sunoプロンプト・MIDIMP3まで一貫して出力されるなら——自分が感心していた曲は、その程度の指示から出てきたものだった、ということになる。下準備としての疑似コード整備や、出力に対する微調整は当然あるにしても、一曲一曲制作工程の中心がそこにあったのなら、感心の源は作り手の耳ではなく、ツールの出力分布の中にあったことになる。たしか創作物は優れていたかもしれないが、「それが優れていたのは上手くSunoを使いこなしていたから」という、エンジニアリング問題だったということになる。

機能しないなら誇大広告問題で済む。機能するならば、「聴き手は何を聴いていたのか」という、より根本的な問いが立ち上がる。皮肉なことに、製品としての完成度が高いほど、この問いは重くなる。

ここで思い出しておきたい話がある。2023年ゲンロンのイベントで、音楽家tofubeatsが、Spotifyサジェストで流れてきた曲に心を動かされ、作曲者を調べたらAI生成曲だと知って深いショックを受けた、という経験を語っていた。彼自身がオートチューンで声を加工し、歌声から人間性を排して作曲するタイプ作家でありながら、である。「非人間的な曲が、本当に人間によって作られていないこと」が判明したとき空虚さを、彼は正直に語っていた。

この空虚さが何から来るものなのかは、6節でもう少し踏み込んで考えてみたい。ただ先に言っておくと、それは「AI音楽を作ってはいけない」という種類の話ではない。むしろ、「聴くとき自分は何と対面していたつもりだったのか」という自己認識問題になる。そしてそれは、作り手が工程を開示しないまま商品を売り始めた瞬間、聴き手の側で解決することが不可能になる種類の問いでもある。

5. AIを使うこと自体の話ではない

誤解されたくないので、はっきり書いておく。この文章は、AI音楽を作ることへの全面的否定ではない。

作曲歴史は、すべてを人間設計人間が作る歴史だけではなかった。偶然性、システム自動化、外部の力を取り込む試みは、ジョン・ケージからブライアン・イーノアルゴリズミック・コンポジションまで、20世紀以降の音楽史の重要な部分を形作ってきた。AIの導入はその系譜の延長にあって、それ自体否定するのは筋が悪い。

近年の例で言えば、菊地成孔自身主宰するギルド「新音楽制作工房」でAI活用していることを早くから公言している。NHKドラマ岸辺露伴は動かない』の劇伴ではMaxを用いたAI生成による弦楽四重奏が使われており、菊地本人が「作曲者のクレジットもないし、著作権のありかがわからない」という問題NHK出版経由でJASRAC協議し、「新音楽制作工房」名義のクレジットで処理することで決着させた、という経緯まで公にしている。つまり、どう使い、どう扱い、誰の名のもとに出すかを、彼は工程ごと開示している。

ここでの違いは、「AIを使うか使わないか」ではなく、「どう使い、どう開示し、何を自分の名のもとに出すか」にある。「AI使用は隠していない」という表明と、「どの工程AIに委ねたかを開示する」こととの間には、大きな距離がある。

そしてもうひとつ、避けて通れない論点がある。Sunoを含む音楽生成AIが、何を学習データにしているかという問題だ。2024年6月RIAA(全米レコード協会)はSony MusicUniversalWarner Music代表してSunoとUdioを著作権侵害で提訴した。Suno側は、レコード会社の著作権保護された録音物を使用したことを概ね認めた上で、フェアユースを主張している。2025年末にはWarner MusicとSunoがライセンス提携和解したが、訴訟全体はまだ決着していない。

まり、いまSunoで曲を作って発表することは、その学習データが何で、どのような経緯で集められたかが法的に争われている状態モデルを使うことを意味する。これは「使ってはいけない」と言いたいのではなく、「自分作品がどういう供給ラインの上に立っているか」を無自覚なままにはできない、ということだ。そして、そのモデルを使って生成した曲で「作曲者」を名乗り、その制作環境商品化して収益化する、という連鎖倫理性は、まだ業界全体として合意が取れていない。

この記事の射程は、その倫理のものを裁くところまでは届かない。ただ、「いい曲さえできれば制作過程はなんでもいい」という論法に、即座に頷くことはできない、という姿勢だけは明示しておきたい。

6. 創作者と鑑賞者の間の、暗黙の契約について

ここで、4節の末尾で保留にした問い——tofubeatsが味わった空虚さは何から来るのか——に戻ってくる。

創作物聴く側は、作り手の工程をつねに見ているわけではない。それでも、作品を受け取るときには「制作への真摯さと、出来上がった作品クオリティは、どこかで結びついている」という、いわば感覚的な信頼をもって聴いている。これは創作と鑑賞の間に長く存在してきた暗黙の契約のようなもので、あるシンガーソングライターが書いていた通り、手間暇掛けようが掛けまいが最後には一緒くたに扱われる時代でも、違いの分かる人はいるはずだと信じて丁寧に拵える——という姿勢を、作り手と受け手の双方が(明示的ではないにせよ)共有してきたから、音楽は単なる音の配列ではなく、作り手の痕跡を伴うものとして聴かれてきた。

AIが生成した音楽のものにも、それ独自の良さがある。これは繰り返し強調しておく。作品としての良さは、工程とは独立に成立し得る。ただし、AI生成された曲を「ひとりの作家が作った作品」として提示し、その仮構された人格のもとに人気を集めることは、この暗黙の契約を根元から破壊する。聴き手が「これを作った人は、たぶんこういう感受性の持ち主なのだろう」と想像しながら聴いていた対象が、実は大部分がプロンプトから生成された出力だったとしたら、その想像は宙に浮いてしまう。作品が悪かったわけではない。悪かったのは、作品と作り手の人格の間にあったはずの関係について、聴き手が抱いていた前提が、工程を開示されないまま利用されていたことにある。

tofubeatsが味わった空虚さは、たぶんこれに近い。「AIが作ったか価値がない」ではなく、「自分作品を通して誰かの感受性と向き合っていたつもりだったが、その『誰か』が自分想像していたものとは違っていた」という、受け手側の文脈の宙吊り。この宙吊りは、作り手の側がAI使用を大まかに表明するだけでは解消されない。「何を自分判断で選び、何をツールに委ねたか」という工程粒度での開示があってはじめて、聴き手は自分の感心の行き先を再設定できる。

この視点から見ると、今回の製品販売で起きたことの構造が少しはっきりする。14,900円という価格や、買った人にとっての有用性の問題はもちろんある。ただ、それ以上に大きかったのは、制作環境商品化するという行為が、既発の作品群を「この環境実例」として遡行的に位置づけ直してしまうことにある。以前から作品を聴いていた側から見れば、聴き手と作り手の間に結んでいたはずの暗黙の契約の内実が、後出しで書き換えられる感覚がある。

制作工程の開示は、法的義務ではない。ただ、制作環境商品として売り始めた瞬間、この暗黙の契約自分から前景化させたことになる。「この環境でこれだけの作品が作れる」という実例として既発のリリースが参照されているのなら、それぞれの作品がどの程度この環境の出力そのものなのか、どの程度は人間の介入によるものなのかは、買う人にとっても、これから聴く人にとっても、重要情報になる。

7. どこへ向かうのか

最後に、聴き手として、作り手として、これからどうするかを書いておきたい。

聴き手としては、tofubeatsが味わった種類の空虚さを、できれば避けたいと思うひとが大半だろう。しかtofubeatsAI生成だと気づくことができたのはクレジットにそう明記されていたからに他ならない。今回の私のケースのように、AI生成であることが明かされていなかったり、将来的に(遡及的に)AI生成であることが明かされるようなパターンますます増えていくだろう。私たちは、匿名性を保ったままクオリティ勝負して有名になっていくという同人音楽シーンの時代終焉を目の当たりにしているのかもしれない。作り手と受け取り手信頼関係が壊れていくなかで、聴き手側からできることはあまりにも少ない。界隈で有名なコンポーザーの多くも今回のアカウントフォローしていたことも考えれば、制作過程情報開示を積極的に求めていくこと、プロセスを明らかにしたうえでよいものを作っているひとを評価していくこと等も、その限界は大きいだろう。

作り手としては、自分がやりたいのは、プロンプト一行から出てくるものを受け取る側ではなく、一音ずつ選ぶ側である、とあらためて確認した。それはAIを使わないという意味ではなく、AIを使うにしても、どこで自分判断を通すかを意識的設計したい、ということになる。菊地成孔のやり方に近いと言えば近い。作編曲に限らず、これまであらゆるアートと呼ばれる領域について、過程を見せないことは作家神秘性を増すための重要な要素だった。しかし上にも書いたように、その限界はもうすでに見えてきているように思う。過程を明らかにしたうえで、自身武器がすべて明らかであるのにそれでも真似できない創造性を見せること。もちろん、あらゆる出力結果は機械学習の餌食になりうるという状況においてこれは綺麗事かもしれないが、成果物がいわゆるAIに食われうるのは変わらないのだとしたら、いか自身制作においては透明性を保ったうえでクオリティ受け手を納得させるか、こそが大事になってくるだろう。こうしたムードを作り手の側からも作っていくことが、今後の大きな課題になるのではないかと思う。

AIもっといいものを作れるのになぜあなたが作る必要があるのか?」は、「プロ作家がすでにこの世に五万と存在するのに、なぜあなた作品をつくろうと、その道を志したのか?」という問いと本質的には何も変わらない。作りたいから、作る。伝えたいから、それを形にする。そうした初期衝動が、欲望が、「創造性」という言葉本質であり、AI模倣することのできない、あなただけの、私だけの創作物につながるのだから

2026-04-11

11時42分。また近くの自然公園にやってきた。

今日はぽかぽかの限界ぐらいなあたたかさで、ここに着くまでに結構汗ばんでしまった。予報では26℃まで上がるらしい。夏みたいだ。

ハイキングコースはなんというか森林浴、ってなほど緑が増えて、飛び交う虫も増えていた。鳥たちにとってはエサが豊富でうれしい季節なのかもしれないが、独りで静かにパンを食べたい僕にとっては勘弁してほしい季節だ。

あっちこっちからやたらうるさい声で「ピピピピピピッピピッピョピョ〜」とか「ピーピヨピーピピヨピーピーピーガガガガッ」とか「ビビビビーピュンピュンピュン」とかの長めで複雑な音色が響いているので、一体誰が鳴いているんだろう?と声の主を探し回った結果、ガビチョウさんだということがわかった。こんなに複雑に鳴くのか、と思った。とても気持ちよさそうに鳴いている最中写真も撮れた。

調べるとガビチョウさんの繁殖期は4月7月らしいので、しばらくはこのガビチョウコンサートが続くようである

なんとなく聞く分には軽やかで美しい音色に思えなくもないが、しかしとにかくうるさい、冬のヒヨドリさんに匹敵するかもしくはそれ以上の声量なので、ガビチョウさんが害鳥扱いされるのもわかるような気がした。

駅前に戻ると、一羽のドバトさんが「クククルー、クククルー」と鳴きながらもう一羽のドバトさんをつけ回しているのを見た。かわいいなあと思った。

2026-03-27

AI生成の音楽は、これから進歩するだろうし、進歩すべきだという肯定派ではあるけど、現時点での「曲全体を生成する」タイプツールアウトプットは、あまり面白くはない。

自分で色々やってみて思ったのは、音質みたいな技術的なところというよりは、「みんなこれが好きなんでしょ?」みたいな多数派、またはそのジャンルの平均に寄るという、AI学習の弱点が克服されていないということ。

音楽好きとしては、「偏った音楽」が好きなわけだ。

その偏りというのは、音楽を作る人の人生観や好みが反映されていて、その部分こそがオリジナリティであり、他の曲との差別化になる。

音色ひとつとっても、なぜそれを選択するのかの理由がある。

今のところ、この偏り、音の選択オリジナリティというような部分は、プロンプトを工夫しても実現できなそう。

個人の偏りを正確に反映できる生成ができるようになると、話は全然違う。

2026-03-17

あの音が聴こえる

地方の、全国チェーンでもなく、地方でも一番ではなく三番か四番手ぐらいのチェーンのスーパーマーケット、そのなんともいえないほど煤けて疲れてくたびれた売場で掛かってるインストヒット曲カバー音楽のあの楽器音色って、

何?

キーボーディストじゃないからよく知らないけど、「プリセットしてあるアコーディオン」みたいな音色のやつ)

2026-03-09

やっぱりあの「ウンチを漏らした日」に俺の中で利己主義者が誕生したのだと思う

誰にでもよくある人生一場面として、俺は職場ウンチを漏らした。

だが、ただのウンチ漏らしがヒヤリハットの最底辺であるとさえ思えるほどに、俺のそれは大事故だったのだ。

緊張で半ば腹を下しながら挑んだプレゼン、床のコードにひっかかって転んだ瞬間、ケツから盛大な音が飛び出した。

ラグナロクヘイムダルのラッパの音色を合図にしたというが、俺にとってはまさにそれが終わりの始まりだった。

スラックスを飛び越えて床へと染み込んでいく「茶色」、人口密度の高い部屋の中であっという間に広がっていく臭い

俺は尻の中から何かが飛び出し、おれが股やスラックスの上を滑っていく感覚罵声に包まれながら座り込んでいた。

ある場所ではざわめきが、ある場所では静寂が、そしていつしか床を綺麗になければと立ち上がるものが現れだす。

私という汚物トイレへと押しやられ、履いていたものを入れろとビニール袋が投げ込まれる。

着古しの作業服コンビニで買ったらしいパンツを与えられるまでの間、私は便座の上に座り込んだままずっとチラホラと罵声が飛び交うのを聞いていた。

誰もが私を口撃していた。

私を気にかけるものなど居なかった。

笑い飛ばす声があったが、それは彼らの不幸に対して向けられたもので、私のための誤魔化しなどではなかった。

腹を下していたなら人に頼め。

社会人としてどうなのか。

子供でもトイレぐらい行ける。

人間として終わっている。

同じ立場だったとして、私もきっと同じように突然クソを漏らした異常者を罵っていただろう。

その共感が、私の中でなにかの扉を開いた。

なんだ、日頃どれほど周囲の信頼を勝ち取ったつもりになろうが、「いざ」が来れば一瞬で評価マイナス無限大まで下がるんだ・・・

それが分かったら全部が虚しくなったよ。

昔「嫌われる勇気」やらで読んだ「他人評価なんて気にするだけ無駄」という概念が次々と頭の中を駆け巡った。

俺の中で、何かが固まっていった。

半年ほどかけ私は状況を落ち着けた。

常にヒソヒソと罵声の飛び交う職場で働きながら、自分のことを知らない人間が待っている転職先を探して動き続けた。

そうして別の職場に行く頃には、私はもう他人が心底どうでもよくなっていた。

他人評価どころか、他人存在だとか尊厳だとか悪意だとか何もかもしったことではないのだ。

他人が私をどれほど馬鹿にしても気にならないし、褒められても嬉しくないし、傷ついた所で同情はせず、幸福を分かち合う気持ちも妬む気持ちもない。

ただ、私の人生の中で現世利益を得るための障害触媒しか感じることがなくなっていた。

ウンチを盛大に漏らしたあの日より前、人の気持ちを一切考慮せずに生きる人間がずっと理解できなかった。

一切の同情心をなく他人を切り捨てられる人間他者から好意や敵意に何も感じることなく振る舞える人間実在するという話さえフィクションの中の出来事として見ていたのだろう。

だがもう違う。

自分はもう、他人いくら食い物にしても気にならないし、他人自分をどう扱っても被害がでない限りはどうでもいいのである

完全なる利己主義者として今はもう完成している。

ウンチを漏らしたことが俺を変えたんじゃない。

ウンチを漏らした人間を、他人がどう扱うのかを思い知らされたことが、ミラーニューロンに従うことの無意味さを俺に教えたのだ。

2026-02-23

技術は、いつも「音楽の外」からやって来る(eAT)、を受け、とある現役IT技術者の視点から

昨日、公演を聞いてきたのでコメントをここに。

他用で最後まで居られず、もっと突っ込んだ議論になっただろう

後半部分が聞けなかったのが非常に残念。

(聞くところによると、終了が当初予定より10分ほど押したらしい。熱い議論になったのは想像に難くない)

イベントWebページこちら。

EAT KANAZAWA 2026 「才能よ、呪文を唱えよ。 -AIは、ヒトの何を解放するのか-」

モデレータ宮田人司氏から概要(?)はこちら。

技術は、いつも「音楽の外」からやって来る

いくつか気になった点と、技術的興味、音楽的関心から

ダラダラ書いてみた。

記憶だけで書いているので、齟齬があったら柔らかく指摘してほしいw

====

ラヴィ・シャンカール

人司さんのコメント

どうも会場の反応が鈍いように感じたので、ググればわかるようなことを敢えてここに。

シタール大家名前ビートルズジョージ・ハリスン師事

(多分、Lucy in the sky with diamonds リリースのの前)

日本人の出した曲でシタールで有名なのは

筋肉少女帯の「日本印度化計画」、かなぁ?

AIエフクタ

研究者さんの成果物

あくまでも想像なので全く外してるかもしれないけど...

入力された音声情報音階アタック、長短、変化を解析して

(ここまでは通常のプログラミング可能なはず)

AIに投げて、音色変化をさせているような気がする。

なんとなく、円周率なんかを楽譜に起こして音楽にするのに近いように感じたのと

これを既存技術だけでやろうとするとkaossilatorになるのかな?

Rolandから出る予定なのか... 価格によっては興味ある。

見た目のサイズ感はD級アンプくらいと思ったけど、客席の後ろのほうから見たので誤っているかも。

プレステみたいに、AIサーバとして転用されるかもしれないね

そういえばMIDIってRoland技術ですね。

AIで解析された音声の犯罪使用

リトモさんのコメント

実はもうアメリカで起ってる。

ターゲットの身内に電話をかけ、しゃべらせて取得した音声をAIに食わせて

オレオレ詐欺を行うとかなんとか。

プログラム

弁理士さんのコメント

現状主流の高級言語と呼ばれるものに限らないのなら

ここ4、50年よりもっとからある。

戦前パンチカード式のプログラミング統計処理やら弾道計算やらしてたし、

もっと言うなら、

そろばん10進数と2進数を変換するプログラムとも。

(コンピュータ上のデータなのか、物理リソースなのか、の違いの議論意味を成さない。単なる実装方式の違いなので。

カレー粉でもカレールーでも、できたらみんなカレー、的な?)

カワイイメタル

人司さんのコメント

多分、元ネタbabymetal

日本人アイドルヘヴィメタルを演る、というもの

メタルの本場アメリカでも大ウケ。

自分は特段ハマらなかった...

AIが生成したデータ著作権

モデレータ提案の議題。

AIに食わせる元データ著作権

今でもある画像ウォーターマークの発展形を実装するのが

番手っ取り早いように思う。

音声だったら、可聴域外証明書を埋め込むとかね。

感想

と言っても途中退席したので感想らしい感想はないけど

(もっと突っ込んだ議論があったはず)

動画なり音声を、友達の、技術に詳しい弁護士さんと一緒に見て話をしてみたい

と思った

あと人司さんの文章の置き方に親近感を覚えた。

彼も技術者の経歴があるからだろうか。

急遽参加となった、宮田人司氏の甥っ子、ミヤタコーヘイ氏から

自分チェロクラシックとは違って特殊な弾き方をしている、

というコメントがあったんだけど

敢えて綺麗に弾かず、エレキギターオーバードライブを掛けた様な音色にしている

ということなんだろうか?

冒頭に上げた宮田氏のNoteから

会場になった金沢に対する、現状維持姿勢への反発、将来に対する不安と期待を感じた。

最後

eAT関係者の皆様には、公演の録音なり録画なりをyoutubeとかniconicoかに上げ、

改めて観れる様にしていただけるのを期待する、と記して

本文を結びます

#eAT #金沢市 #宮田人司 #ミヤタコーヘイ #REATMO #徳井直生 #菅野薫 #餃子の唄 #中島信也 #DeathDeathCopyDeath #アットホームすぎる!コンサート #RevelClassic

2026-02-10

サディスティックミカバンドはなぜ音痴女性ボーカルにするのですか

サディスティック・ミカ・バンド歴代ボーカリストミカ桐島かれんなど)に対して、「歌唱力」という面で独特な印象を持つのは非常に鋭い視点です。

一般的な「歌の上手さ(音程の正確さ)」よりも、彼らが「キャラクター」や「華(カリスマ性)」を優先したのには、いくつか面白い理由があります

1. 「楽器」としての声の魅力

リーダー加藤和彦さんは、ボーカルメロディを歌うだけの存在ではなく、バンドアンサンブル構成する「音色」の一つとして考えていました。 ミカさんの少し危うげでコケティッシュ歌声は、緻密に計算されたプロフェッショナル演奏の中で、絶妙な「外し」や「遊び」として機能していました。

2. アートロックとしての美学

サディスティック・ミカ・バンドは、音楽だけでなくファッションアートを含めた総合的な表現を目指していました。

「上手すぎる歌」は時に通俗的歌謡曲的)に聞こえてしまう。

素人っぽさや危うさ」がある方が、パンク的でファッショナブル、かつエキゾチックに見える。 という、当時のグラムロックアートロック特有美学がありました。

3. ミカという存在象徴

初代ボーカルミカさんは、バンド名の由来でもあり、当時のクリエイティブ象徴でした。彼女キャラクターのものバンドのコンセプト(自由、型破り、洒落っ気)を体現していたため、技術的な音程よりも「彼女がそこにいて歌うこと」自体価値があったのです。

少し違う視点で見ると… 彼らの音楽は、バックバンド日本最高峰超絶技巧集団高橋幸宏小原礼高中正義ら)です。あえてボーカルに「隙」を作ることで、バンド全体のサウンド中毒性のあるギャップを生み出していたとも言えます

2026-01-28

音楽制作ソフト大手Native Instruments』の破産手続きが、オレの心を乱しまくる

Native Instrumentsが予備的破産手続きに入った、ってニュース最初に見たのは、プリセット探しに疲れてベッドでゴロゴロながらスマホ眺めてた時だった。

NI、予備的破産手続き開始」

一瞬、寝ぼけて「NIS Americaか何か別のNIだろ」と思ってスルーしかけたけど、本文読んだら普通にBerlinのNative Instruments GmbHで、例のCharlottenburg地裁での予備的破産手続き(vorläufiges Insolvenzverfahren)開始って書いてあって、ちゃん管財人名前まで出てる。

あー、これマジのやつだ、ってなった。

30年DTMやってるけど、そんな見出しを見る日が来るとは思ってなかった

90年代末にCubase VSTいじり始めて、ソフトサンプラー黎明期からKontakt 1に飛びつき、Reaktor意味不明な配線に挫折し、Traktorクラブもどきのことをし、Maschine Mk1のパッドを叩き過ぎて一部反応悪くして、

Kompleteは気付いたら「アップグレード代が固定費」みたいになってた。

DTM 30年もやってると、「業界標準」って言葉を疑う癖がつくんだけど、それでもKontaktだけは本当に“事実上の標準”だった。

オーケストラ系の国内ベンダーも、同人薄い本に付いてくるおまけ音源も、だいたいKontaktインストゥルメント前提。

で、その土台にしてた会社が、ある日突然「予備的破産」です、って。

「予備的破産からセーフ」は、ユーザーの心には何のセーフにもならない

これは日本で言う民事再生とは違うドイツ手続きで、

今の段階では「即死じゃなくて、延命しながら解体するか再構築するか見極めるフェーズだってことも、

管財人が付いた時点で経営陣の決定権はかなり縛られて、資産の売却とか事業単位での整理が現実的テーブルに乗ってるってことも。

まり、「もう崖から落ちてるんだけど、落ち方を調整する段階」に入ったってことだ。

でも、そんな法的な説明をどれだけ読んでも、日本DTMユーザータイムラインは一瞬で「Kontaktどうなんの?」で埋まる。

Traktor終わり?」とか「Maschine買おうか迷ってたけど様子見だな」とか。

あと、iZotopeとPlugin AllianceとBrainworxも同じグループだったことを今さら思い出して「RXまで巻き込まれるの…?」ってざわつく。

CDMだのGearnewsだのの海外記事は、「短期的にはサービスまらない」「コアビジネス健全で、拡大路線と買収で抱えた負債が原因ぽい」とか冷静に書いてる。

でも、30年かけて積み上げてきたプロジェクトファイルの左側で、Kontaktアイコンがズラッと並んでる光景を見慣れてる身としては、

はいはい短期的にはね、で、5年後の開けないプロジェクトは誰が責任取るの?」って話になる。

 

日本DTM業界が食らう一番デカダメージは、「安心感」が死ぬこと

日本DTMって、良くも悪くも「とりあえずNI入れとけば大丈夫文化があった。

それが一夜にして、「その“とりあえず”が一番とりあえずじゃなくなった」わけで。

国内の小さいデベロッパーにしても、多くはKontaktフォーマット前提でビジネス組んでる。

自社でエンジン作る体力もないし、マルチプラットフォームシンセを書ける人材もいない。

からKontakt Player対応」ってラベルは、サポートとか互換性とか、ユーザーに対して「うちは大丈夫ですよ」っていう保証看板でもあった。


その看板を貸してた本体がグラグラになったら、日本サードパーティは一斉に「うちの音源、この先10年どう説明する?」ってところからやり直しになる。

特に日本は、教則本専門学校通信講座で「DTMの正解」を体系化するのが大好きな国だから、「カリキュラムの柱」がこんな形で揺れるのは、想像以上の衝撃になる。

 

業界標準」の裏にあった投機的拡大のツケを、ユーザーが払うという理不尽

今回の件で地味にムカつくのは、CDMや各メディアが「どうもプロダクトの売上がダメになったというより、拡大と高額買収で抱えた負債が原因ぽい」と書いてるところ。

ユーザー目線では、「何かよくわからんけど、あちこちロゴが全部NIになっていく」くらいの話だった。

でも裏ではそのたびにでかい金が動き、その借金の最終的な“清算”に巻き込まれるのは、30年分のプロジェクトファイルを持ってる現場側。

日本DTMユーザーは、円安だろうが税金上がろうがKompleteのアップグレード代をせっせと払い、

「もう使ってない音源もあるけど、将来の互換性のために一応アップグレードしておくか」と、実質サブスク状態で支えてきた。

その「互換性への保険料」が、まさか投機的なM&Aの反動で吹き飛ぶとは誰も思ってなかった。

30年DTMやってると、もう何社も見てきてる。

そのたびに、古いWindowsマシンを押し入れから引っ張り出して、

「この曲だけは何としてもステムを書き出しておかなきゃ」と夜中に凍ったUIと戦う。

今回も、多分そういう「最後エクスポート祭り」が、日本中のスタジオと六畳間で静かに始まる。

 

国内ベンダーにとっては「巨大なチャンス」と「地獄の二択」が同時に来る

冷静に考えれば、これだけ巨大なプラットフォームが揺れた瞬間って、本来なら国内開発者にとってはビッグチャンスでもある。

でも、日本DTMマーケットって、そもそもそんなに大きくない。

NIレベルプラットフォームを「じゃあ自分たちで作りなおそう」と思っても、開発費もマーケサポート全然追いつかない。

結果として、多くの国内ベンダーが直面するのは、だいたいこんな二択になる。

1. しばらく様子を見つつ「Kontakt前提ビジネス」を惰性で続ける

 → でもユーザーには「長期的な保証はできません」としか言えない

2. ここで腹をくくって自前エンジンか別フォーマットに大転換

 → 数年は赤字覚悟既存ユーザーとの互換問題も山積み

どっちを選んでも、コストは跳ね上がる。

で、そのコストは結局、値上げか有償アップグレードか、何らかの形で日本ユーザーに跳ね返ってくる。

 

専門学校と「教える側」の人たちには地味に致命傷

もうひとつ日本固有の問題として、専門学校通信講座がある。

予備的破産ニュースが流れた翌日、どこかの専門学校で、講師にこう聞く学生は必ず出る。

先生Native Instrumentsって潰れるんですか?」

そこで本当のことを言えば、

「いや、今すぐ潰れるわけじゃないけど、将来のことはもう誰にも断言できない。数年のうちに、ブランドが分割されたり、別の会社に吸収されたり、最悪、一部の製品は開発終了になる可能性もある」

って話になる。

でも、授業としてはそんな不安定な話を延々するわけにもいかいから、「とりあえず今は気にせず学びなさい」と言うしかない。

こうして、「教える側は不安を隠しつつ、学生には良い顔をしなきゃいけない」という、いつもの構図がまたひとつ増える。

企業戦略ミス負債の処理を、教育現場が尻拭いするの、正直そろそろやめてほしい。

 

日本ユーザーの「買い控え」と、その先にある静かな縮小

短期的な話をすると、日本DTMショップ代理店はかなりキツい。

こういうところで一気に「様子見」が発動する。

ソフトはまだしも、ハードは「これから買うのは怖い」が一斉に駆け巡る。サポートがどうなるかわからないし、ファームウェアドライバアップデートが止まった瞬間、OSアップデートタイミングで一気に文鎮になるリスクがあるから

で、ユーザー側も、「このタイミングでKomplete Ultimateに上げるか」とか「Maschine Mk3に買い替えるか」とか、今までなら普通にポチってた決断に、急ブレーキをかける。

「いったん様子見」は、日本人の最も得意な意思決定だ。

その「様子見」が、実際には「もう戻ってこない」ことも、30年見てくるとよくわかる。

こうして、ゆっくりと、でも確実に、NI周辺にあった「標準装備としての売上」が薄まっていく。

その余波はもちろん、国内ショップの売上にも降りかかるし、「DTMってまだ日本ビジネスとして行けるの?」って空気もつながる。

 

それでもプロジェクトファイルは開けなきゃいけないし、音は鳴らさなきゃいけない

じゃあ30年選手として、何をするか。

正直、やることは地味で、ロマンのかけらもない。

国内外問わずKontakt依存度を下げられる構成ゆっくり検討する)

これを、世界中の古参DTMおじさんとおばさんが、各自の狭い部屋で黙々とやる。

そういう、ものすごく個人的で、でもシステム全体としては巨大な「サイレントマイグレーション」が、これから数年かけて進むことになる。

日本DTM業界にとって、今回のNIの件が「激震」なのは別に明日サービスが止まるかもしれないからじゃない。

30年かけて「ここに積み上げれば安全」と教えられてきた土台が、実は誰かの投機的拡大とレバレッジの上に乗っていただけだった、って事実を突きつけられたからだ。

その現実を見せられたあとで、次に「安心して積める場所」はどこなのか。

それをまた探し始めなきゃいけない、っていう意味で、今日という日は確かに日本DTMにとってひとつの「終わりの日」なんだと思う。

……とか真面目なことを書きつつ、さっきも普通にKontakt立ち上げてベース音色選んでた。

人間、そう簡単には習慣を変えられない。

でも、このニュースを見た瞬間に、いつものKontaktGUIが、急に“期限付きの借り物”みたいに見えたのもまた、事実だった。

2026-01-26

音楽「詩」でも「メロディ」でも「演奏」でも「展開」でも無く、「音色」派。

自分がある曲を耳にした時に、まず「音色」を聞いているのは確かなんだけど、これは「足切りラインを一瞬で判別するのに便利だから」という感じがある。

良くない音というのは、曲のどのタイミング音響断面を取り出しても良くない。

逆に、ほぼ一瞬聞いただけで「良い!」と感じる音楽はある。

それは、瞬間的な音の分離が明確であり(音数が必要最小限)、一音一音に意図意思があり(音が自覚的である)、何の音楽ジャンル)と繋がっているのか確かな音。

そしてその音色を聞いて、何のジャンルと繋がっている、どの地域の、どの時代音楽だろうかと考える。

品質演奏や曲想や音質で語れるかもしれないが、音質が悪くても音色が良いということは十分にある。

2026-01-15

アヤワスカを飲んでみた

ペルーとある施設で、ずっと飲みたかったアヤワスカを飲んでみた。

アヤワスカを知らない人は自分で調べてみてほしい。簡単にいえばドラッグのような、薬、だと思えばいい。

飲むとサイケデリック映像が見えたり、解脱したり、色々なことが起こる。

俺も思うところがあってペルーまで行ってみた。

同じアヤワスカの回に日本人がいて、その人は統一教会だったかエホバの証人二世で、本当に死にたいと言っていた。変わりたかったんだと思う。俺も同じだったから。

俺がアヤワスカを飲んだときに強くイメージに浮かんだのは、妻とすごく幸せセックスをして、そして妻の胸の中でよしよしされる幸せイメージだった。

ああ、俺が本当に求めていたのは、妻との幸せセックスなんだ、と思った。

かに、今も妻とのセックスはめちゃくちゃ楽しい。その前の7−8年、セックスレスだったのが嘘のようだ。今俺は妻との月1ぐらいのセックスで十分幸せを感じている。

妻とのセックスのあとのよしよしのイメージが見えた直後に、めちゃくちゃ気持ち悪くなって現地ですべてを吐いたが、気持ち悪くなる直前に聞こえてきたシャーマン楽器音色はすごく綺麗だった。

音といっしょに視界が緑や赤、青色がかかって、骨の羽がついた天使たちの映像が見えて、びっくりした。

スーパーマリオの、クッパがいるステージに骨の羽が生えた敵が出てくるが、あんな見た目の医者人2人が俺をトイレまで連れて行ってくれた。

あの思い出は一生忘れない。

予後は悪くない。

人生絶望したら行ってみるといい

2025-12-31

音楽を好きでずっと聴いていくと、最終的には「静寂」に行き着くだろうということは予感として分かる。

曲のメロディとかビートという要素の他に、音色や鳴り方、音そのものの質の部分というものがあって、これは音を詰め込みすぎると消えてしまいそうになる。

そうすると、音の数を一定程度減らし、音空間の余白の中に残響空間の拡がりを聞くようになる。

そして、音空間の余白というのは、日常的なアンビエンス、環境音に通じている。

雨の音、風の音、真夜中の静寂。

そこに美しさを見出せるようになったら、音楽を聞く時と同じように、聞かない時も楽しめることになる。

刀に始まり、無刀に終わる、みたいな話。

2025-12-30

いち在日コリアンとして、沈みゆ日本を想う

俺は平成ヒトケタ世代90年代初期生まれ在日コリアンだ。ウルトラマンティガダイナ、ガイア三部作世代で、ゲーム機だとNINTENDO64を散々遊んだバブル期の豊かさ、明るさに裏打ちされたオプティミズム90年代を通じて漸次的に減少していった(のだろう)が、俺はその恩恵ギリギリ与りながら育った。

くたばれゼロ年代、憧れちゃうんだ80年代

しんどいのは小学校低学年から始まったゼロ年代だった。小学校中学から日韓W杯が契機のネトウヨの跳梁跋扈拉致問題などで雲行きが怪しくなる。高学年になると、俺が外国人であるということを認識したクラスメイト「チョン」韓国帰れ」などと喚きだすようになった。中学に上がると、それは余計に悪化した。オタク気質の奴が多い校風だったから、2ちゃんの言説を真に受けて俺に論戦(笑)をふっかける奴も現れた。「チョン、チョン」と罵る奴も勿論いた。

思えばゼロ年代は、何とガサついた時代であったことか。音楽TV番組も、何一つ面白いものが無い。ただただガチャガチャと騒がしいだけである女の子たちの髪型も、毛先を細くした荒んだ感じのもの流行していた。「こんなのどこが美しいんだ?」と、俺は自分のイモ臭さ全開オタクルックを棚に上げつつ嘆息していた。

ネットが大々的に普及し、過去の風物に手軽にアクセスできるようになったのがせめてものいか。俺はTVでたまにかかる懐かし番組特集などで、聖子ちゃんカット80年代アイドルに「めっちゃカワユイ!(この表現も当時の漫画などに触れて知った)」と悶絶し、シティポップ・テクノポップの爽やかなシンセ音色に耳が洗われるような快感を覚えた。当時勃興しはじめたYouTubeでは、80年代から90年代初期のアニメOPを片っ端から探して、なんとも言えない郷愁をそそられていた。「60年代に生まれて、70年代の豊穣な子ども文化を吸収し、80年代青春謳歌できたらよかったのに…」それが当時の俺の願いだった。

キモウヨ諸君、NDK(死語)**

さて、時代は進んで今は2020年代である日本韓国を巡る状況は完全に刷新された。韓国は今や、一人当たりの豊かさで日本を抜き去った。一人当たりGDPは、名目で見ても購買力平価で見ても韓国の方が上であるビッグマック指数というやつでも上だ。さらに、文化的影響力でも韓国の躍進は凄まじい。ゼロ年代の時点で韓流ブーム日本に起こっていたが、韓流映画ドラマの人気は全世界規模に羽ばたいた。『イカゲーム』『パラサイト』の大ヒットは記憶に新しい。そしてなんといってもK-POPであるハイクオリティパフォーマンスSNSを巧みに活用したマーケティング、多言語対応立場の弱い人々を支える政治的社会的メッセージ性。俺は80年代シティポップが専門なので、こうしたK-POPの強みについてはざっと調べた程度しか知らない。だが、幼稚園のお遊戯同然の和製アイドルには到底真似のできない世界を彼らは作り上げたということは分かる。また、特出したコロナ対策韓国が凄みを見せつけたことにも言及せねばならない。

一方、日本はどうか。失われた20年が30年になり、もう間もなくで40年になる。これは今後も50年、60年と伸びていくことは誰の目にも明らかだろう。経済成長率は上がらない。GDPも上がらない。実質賃金指数90年代よりも下がってる。高くなる一方の税金はロクなことに使われない。なのに日本人は無能きわまる自民党政権を支持し続ける。自分たちは民主主義社会の成員なのだから政治不正には目を光らせて対抗しよう、自分たちの暮らしを守る政治家を選ぼう。という発想は、日本大衆には無い。

さらにケッサクなのは自民党統一協会(「教会」ではなく、こっちの表記が正しいらしい)とズブズブの癒着関係にある―というより、事実上統一協会支配されているということだ。安倍晋三韓鶴子に祝賀メッセージを、タダで嬉々として送ったということ。統一協会選挙支援の見返りとして、自分たちの要求する政策自民党に呑ませていたこと。これらのことを考えても、「自民党統一協会支配されている」という表現は決してオーバーではあるまい。安倍因果応報のものの末路をたどり、それを契機として自民統一協会との関係は白日の下に晒された。

だがこうしてすべてが明らかになった後も、日本大衆自民支持をやめないのであるキモウヨは「安倍さんはカルトすら手懐ける懐の深いお方だったのだ」と意味不明擁護をし、冷笑バカは「たしか自民統一協会癒着問題だが、リベラル派の過激発言は一線を越え云々(でんでん)・・・」とトーンポリシングに終始している。その他の民衆は「なんとなく有名な人がいるから」「政権運営能力のある政党自民しかない」などと噴飯もの見解披露している。

奴隷根性の唄

統一協会教祖である文鮮明日本への強烈な敵意を抱いており、日本は罪を犯した「エバ国」なのだからアダム国」である韓国奉仕せねばならない、ということを基本教義に据えた。日本反共のための基地にすべく、日本からどんどん税金を取って軍事力を増強させよう。日本人の生活水準は三分の一にしてしまえ。ついでに信者からは高額献金で搾り取れ。これが統一協会理念だ。こうして日本から収奪された金は韓国渡りさら北朝鮮渡りミサイルの開発資金にもなっている。1991年文鮮明と金日成の会談以後、統一協会は「反共」を建前にし、むしろ北朝鮮との結束を強めたからだ。

こんなことは各種の報道でとっくに知れ渡っている。知ろうと思えば、誰もがたやすく知れる。そこまで行かなくとも、自民統一協会癒着ぶりはTVでも散々報道されている。なのに人々は、自民を支持し続ける。

彼らの怒りは、決して自民政権には向かわない。自己責任論、弱者叩き。生活保護受給者クルド人バッシングすれば、彼らの溜飲は下がる。不っ幸五輪、もとい“復興五輪のようなムダ事業や、下卑た大臣が仕立てるウン十万のスーツ血税が使われても、彼らは怒らない。パンとサーカスどころか、パンが無くても日本人は満足なのだ

奴隷といふものには、ちょいと気のしれない心理がある。じぶんはたえず空腹でゐて 主人の豪華な献立のじまんをする。」「いまや森のなかを雷鳴が走り いなづまが沼地をあかるくするとき『鎖を切るんだ。自由になるんだ』と叫んでも、やつらは、浮かない顔でためらって『御主人のそばをはなれて あすからどうして生きてゆくべ。第一、申訳のねえこんだ』といふ。」

金子光晴の「奴隷根性の唄」そのものである

こうした韓日両国の状況を見るにつけ、俺は「ざまあ見やがれ!」と快哉を叫ばずにはいられない。秀吉朝鮮侵略近代史におけるアジア侵略植民地化、大量虐殺、性暴力。それらのツケを貴様らは払わされているのだ。しかも、犯人構造が明らかになっても、貴様らには反抗する気力すら無い。何たる怯懦、腰抜けぶり。ことによると、文鮮明安重根匹敵する快男児かもしれぬ。極めて巧妙に、韓民族による日本への復讐を成し遂げたのだから。これで俺の在日コリアンとしてのナショナリズムが、くすぐられずにおれようか。

しかし俺とて、日本社会の一員

・・・でも待て。この俺とて、日本社会で生きる一市民なのだ。こうしたズタボロ日本崩壊ぶりは、俺の生活をも直撃する。俺は、海外へ打って出るだけの才覚は身に付けられなかった人間だ。嫌でもこの日本に根を張り、額に汗して生きてゆかねばならぬ。沈みゆく泥船に乗るタヌキが日本民衆なら、俺はその毛皮に引っ付いているダニのようなものだ。水底へと沈んでいくタヌキを見て「思い知ったか正義は勝つのだ!」とカッコよく啖呵を切れるウサギは、本国韓国人や、その他アジア諸国の民衆だ。

日本人とて、タヌキばかりではない。歴史直視し、差別への怒りを表明してくれた尊敬すべき人々はたくさんいた。歴史政治問題抜きにしても、愛すべき友人たちにたくさん出会ってきた。そして何より、俺は日本サブカルチャー文学を愛している。円谷英二のような特技監督になるのが、小学生の頃の目標だった。俺の憧れとなり、模範となってくれた光の巨人たちや、進んでやられ役を引き受けてくれたソフビ人形怪獣たちは、かけがえのない竹馬の友だ。太宰治は、自意識を持て余す思春期の俺と肩を組み、共に泣いてくれた。

そうした敬愛すべき友たちと団結し、この沈みゆく泥船を、丸木舟程度には変えていこう。これから日本は、どれだけマジョリティが嫌がろうが移民を大量に受け入れねばならぬ。これまた、自民支持者が払わされるツケである。そうして増えた海外ルーツの人々とも連帯し、全ての人が生きやす社会へ変えていくこともできるはずだ。

ウルトラマンジャックこと郷秀樹は、最終回で弟分の次郎少年にこう言った。「次郎、大きくなったらMATに入れ。 MATの隊員達は皆勇気ある立派な人達だ。君も嫌な物、許せない者と戦える勇気ある男になると良い」

キューモンの腹の中のごとく窒息しそうなこの世の中でも、なんとか風穴を見つけることはできる。仲間と出会い、その風穴を広げてゆくこともできる。郷さん、見ていてくれ。俺も次郎くんと同じように、勇気ある立派な人達連帯する。そして嫌な物、許せない者と戦える人間になってみせる。

2025-12-25

ワイの住宅環境悪化している。

数年前は左隣のおっさんオンリー我慢できてたがさすがに厳しいか🥺

2025-12-21

食ノ音色かいう短い番組。ASMR嫌いにはキツイ

咀嚼音は元々嫌いだったけど、調理の音も苦手なことに気がついた。混ぜる音とか。

音の粒立て方が神経に障るんかな。

2025-11-29

anond:20251129105531

やってみた

〜〜〜

Queen楽曲の中で「You're My Best Friend」は、しばしば異色の存在として語られる。

劇的な構成重厚ハーモニーを特徴とする彼らの代表曲群とは異なり、この曲は実にシンプルで、親密さと温もりに満ちている。

だが、まさにその“シンプルさ”こそが、Queen というバンドの多面性を明確に示していると言える。

作曲者ジョン・ディーコンが、当時の妻に捧げて書いたという背景も相まって、この曲はバンド全体のイメージを一段柔らかくし、新たな側面を広く世に知らしめた。

曲のアイデンティティを決定づけているのは、エレクトリック・ピアノ——Wurlitzer の独特の音色である。柔らかく丸いアタックと、わずかにざらついた残響が、曲全体に温かみを付与している。Queen の鍵盤サウンドといえばアコースティックピアノ想像しがちだが、この曲ではあえて電気的なエレピを主役に据えることで、他のロック曲とは異なる質感を生み出した。

実はフレディ・マーキュリーWurlitzer の音があまり好きではなかったと言われるが、ライブでは彼がアコースティックピアノで代役を務めており、スタジオ版との音色の違いもまたファンの興味を引き続けている。

構造は極めてオーソドックスで、古典的な Verse–Chorus 形式に沿って展開する。にもかかわらず魅力が損なわれないのは、ディーコンの旋律感覚コード運びの巧みさによるものだ。

主要キーは C メジャーで、I–IV–V を中心とした実に素直な進行だが、ブリッジには IVmaj7 のような柔らかい和音が配置され、気持ちの動きを自然に高めている。

Queen が得意とする大胆な転調は見られないものの、曲が求める感情レンジにはこのシンプル和声が最もふさわしかったのだろう。

リズム面でも、派手なアクションほとんどない。ストレートな8ビート淡々と続き、ドラマ性よりも安定と親しみやすさを重視している。

ブライアン・メイギターも装飾的で、主役を奪うことなく全体をそっと支えている。

そのバランスの良さは、Queen が単なる“テクニカルロックバンド”にとどまらない、アンサンブルの巧みなグループであることを再確認させる。

歌詞比喩の少ない直球の表現で、「あなた恋人であると同時に、私の親友でもある」というメッセージが真っすぐに込められている。

Queen楽曲はしばしば壮大なテーマ幻想的な物語を扱うが、この曲では日常愛情をそのまま掬い取るようなリアリティがある。

華美な装飾を避けた歌詞選択は、ディーコンの人柄と楽曲の素朴さにぴたりと合致している。

1975年といえば、「Bohemian Rhapsody」の成功によって、Queen世界的な注目の中心にあった時期である。そんな中でこの曲が発表されたことは、バンドにとって大きな意味を持った。

派手なイメージが強烈に広がる中で、「Queen はこんなに身近で温かい曲も書くのか」という驚きが、彼らの表現の幅を一気に広げたのである

この曲の成功があったからこそ、のちに「Another One Bites the Dust」や「I Want to Break Free」のようなポップ寄りの楽曲がより自由に生み出される環境が整ったとも考えられる。

音楽文脈で言えば、Paul McCartney 的なポップ感や The Beach Boysハーモニーセンスとの共通点がしばしば指摘される。

エレピを中心とした滑らかなポップロックという点では、後年の Ben Folds Five や多くの AORポップロックにも影響を与えたと考えられる。

こうして見てみると、「You're My Best Friend」は“地味な名曲”と言われがちな一方で、Queen音楽性の豊かさとメンバー個々の個性を改めて浮かび上がらせる、実に重要ポジションにある。

劇的な曲を書けるバンドが、等身大愛情もまた美しい形で描けるという事実。それこそが、この曲が半世紀近く愛され続けている理由にほかならない。

2025-11-12

コッペの謎が深まる新語増田素真のゴン知る間カフが染ナノぺっこ(回文

おはようございます

コッペパンのコッペって何?

コッペンハーゲン原産

って安直に思うんだけど、

メロンパンメロンが入っていない歌を可愛く歌ったら可愛いけれど、

焼きそばパン焼きそばが入っていなかったらただの苦情になるわよね。

じゃコッペパンのコッペって。

しかも生コッペパンって今朝買ったパンの生コッペってなに?

秋田名物「コッペ返し」のコッペじゃないわよね?まさか!?

うーん、

となると、

コッペパン発祥の地が秋田名物に今頃なっているイフの世界があったはずだから

その名残として

秋田県地元スーパー地元メーカーが作っているものがある名残があるはずだけど、

そんな秋田県コッペ協会ってのもないみたいなので、

秋田名物コッペ返しが発祥だって事の可能性は限りなくゼロに近いわ。

乃木坂46の40枚目のシングル題名が『ビリヤニ』って内容をAI計算させたら、

やすすこと秋元康さんが美味しいビリヤニを食べて感動したエピソードソングでもなければ、

ビリヤニ作り数え歌でもないと言う可能性をゼロとして0.1パーセント可能性も含まず、

ハッキリとその可能性はゼロです!と言い切り系AIの解答には塩い思いをしたわ。

私はそんな可能ゼロ乃木坂46の40枚目のシングルの『ビリヤニ』の曲の内容とか歌詞とかが気になって仕方ないの!

坂系のそう言うのに全く興味を示さなかったのに、

突如、

ビリヤニと言われたら飛び付かない方がおかしくない?

でもそうなると

インドっぽい音色楽器インドを思わせる固有名詞地名ワードもエヌジーにならない?

逆を突いて、

ビリヤニと言っておきながら、

ビリヤニはもちろんビリヤニ周辺ワードも一切無いかもしれないって可能性大でもあると同時に、

ただビリヤニっていいたいだけで全然ないようは一切歌詞関係ない

タイトル歌詞が全くかけ離れている可能だって大よね。

今年一番の謎だわ!

私に取って、

その謎が解き明かされるまで新語・流行語大賞はまだ決めるのは時期尚早涙そうそうだと思うの!

だってさ、

新語流行語大賞ノミネートワードが発表されてから以降の11月から12月にかけて登場する新語流行語スルーってことになっているじゃない?

古古古米ってたぶんラッドウインプスの前前前世の歌がなかったら、

古古古米って発想無かったと思うし、

私が何百回と擦り続けているこのネタ大好きなんだけど、

ラッドウインプスの野田洋次郎さんが辞書を編むドラマで出たとき

新人の人に説明するシーンで「これは念念念校です」ってこのセリフ言わせたいが為に野田洋次郎さんをキャスティングしたの?って思わざるを得ないのよ。

から絶対

古古古米前前前世がなかったら生まれてなかったと思うの。

この3文字1文字漢字の並びって汎用的で強くて

ご飯だって全全全部食べたら元元元気になるじゃない!ってなんでも使えちゃうの。

から

11月に決めてしまうのは早すぎない?って思うの。

でも毎回これどこ界隈で流行っている言葉なのかしら?

そこで初めて聞くような言葉ばかりだし「長袖をください」ってどこで使い場所があるのかしら?って思うし

それよりも首相の早朝3時出勤/女性首相ってスラッシュして説明入れないとなんか意味通じないところとか、

薬膳」って急にこここれずーっと港区のオーエルさんが年中言ってそうな言葉じゃない?

そんな今さら感もありながら、

ビリヤニ界隈を震撼させた、

やっぱり乃木坂46の40枚目のシングルタイトルの『ビリヤニ』がノミネートされても全然違和感がないレヴェルよ。

私的にはこのコッペパン新語流行語大賞ノミネートして欲しいぐらい。

しかパッケージには「生コッペパン」と書いてあるの、

さらに謎が深まる私的新語流行語のこの「生コッペパン」!

よく見たら生の由来は生クリームを練り込んでみました!って発表してあって、

生の意味のことは解決したけれど、

依然としてコッペのコッペたる所以が解けないわね。

もしかして可愛いコックさんの絵描き歌の歌詞にヒント、

コッペの謎が隠されているのかも!?

とりあえず、

今日はコッペの謎を解く1日に当てたいところよ。

解けたら解くわ!

うふふ。


今日朝ご飯

コッペパンタマサラダが挟んであるつのパン

そこで私はコッペパンのコッペに気付いたってこと。

パン自体タマゴがたっぷり入ってタマゴ感堪能できて幸せタマタイムになったわ。

タマサンドもいいけれど、

たまにはこっちのコッペの方もいいかも知れないわ!うんうん。

デトックスウォーター

ホッツ白湯レモン果汁を入れる微かなレモン風味の、

ホッツ白湯レモンウォーラーってところかしら。

やっぱり70℃前後のお湯の白湯のホッツが美味しく感じるわ。

なんか今日は甘く感じられる白湯

なんとなく微かな体調の変化も測れるような気がするわ。

寒いので体調管理も気を付けましょうね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2025-11-09

意外と持ってないのかーと思った話

クラリネットは音域によって色んな種類の楽器があるが、その殆どがいわゆる移調楽器に分類される。

それこそ吹奏楽でおなじみな時点で、最も一般的B♭ソプラノからして移調楽器で、この調性はフラット系の楽曲に強い反面、シャープ系は苦手だったり。

そんなクラリネットは、今ほどキーシステムが発展していなかった頃は、ソプラノ楽器ひとつ取っても色んな調性の管があり、それを使い分けていたらしい。

そっから最終的には上掲のB♭管と、B♭管の半音低いA管という、こちらはB♭管とは対照的シャープ系に強い管の2本が生き残った。

そしてこの2本があればどんな調性も比較的容易に吹けることから、当時の制作技術では良い音の楽器が作れなかったC管(つまり移調楽器じゃないやつ)は廃れてしまった。

このような経緯があるため、クラリネットソプラノに限ればB♭管とA管の2本で1つが、本来は前提みたいな話になっていたり。

少なくともオーケストラ演奏するとなれば、今もこれが標準。

ところがアマチュアクラリネット愛好家は、意外なことにB♭しか持っていない人が圧倒的多数派のようなのだ

それでシャープ系の歌モノを、原曲キーのままカバーするとかやってるから、色々大変なことになりがち。

だったらお金貯めてA管買えばいいのに…と、演奏聴くたびに思うんだけど、現実的にA管持ってるのはオケ吹く人か、モーツァルトに入れ込んでいるガチ勢くらいしかいないイメージ

A管のあったけえ音色、歌モノのカバーでも聴きたいと常々思っているので残念。

2025-10-31

anond:20251031073610

増田のケツに空気を送り込んだら口からいい音色で鳴きだすはずですよね

2025-10-23

anond:20251023143004

かに初心者孤独にやるには、相当な熱量必要そう。

>色んな音色が出せるモデルちょっとしたCMソングとか

なるほど、、そういう楽しみ方もあるんですね。

色々遊べそう。

anond:20251023131414

予算モデルは変えるにしても、88鍵盤でミニじゃない普通の大きさの鍵盤じゃないと、

結局そのキーボードじゃないと弾けない感じになるからねぇ・・・

色んな音色が出せるモデルちょっとしたCMソングとか音を出して遊べるから自然といいトレーニングになるのだ。

教室は教わるっていうのもあるんだけど、似たような実力の人と出会えるから刺激になるのよね。

コーチングだけだったらYoutube練習方法ゴマンと出てくるけど、結局孤独な戦いになるから続かない事も多いし・・・・。

2025-09-26

知ったかの群れ

あいものやつなんだけど。

ピアニストの「タッチ」が音色を変えることを科学的に解明

~高精度センサーデータサイエンス心理物理実験により、巧緻な動作と高次の知覚の関係を解明~

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000170232.html


まず前提知識常識からグランドピアノは鍵盤を押すとハンマーが跳ねて打弦される。つまりボールを正確に射出して弦に当てて音を出してるのと同じで、打鍵」と「打弦」がメカニカルに縁が切れている。鍵盤への入力ハンマー運動エネルギーに一意に変換される。

奏者がコントロールできるパラメータは音の強さ(Attack)と長さ(Sustain)と止め方(Release)であり、「音色」は入ってない。老ピアニストの入魂の一撃も猫が歩いても同じ音量なら同じ音色なのがピアノというinstrumentの特徴の一つである

音色とは楽音の倍音構成とその経時変化である。奏者がダイレクトに弦を触ったり唇を震わせたりする楽器では表現のために音色積極的コントロールする。

さてしかしここで「タッチ」という謎概念が挟まってくる。ピアノタッチによって音色が変わるというのだ。

おかしいじゃないか

いや当たり前といえば当たり前なんだが。弱く弾けば小さい音が出る。小さい音は相対的に高調波成分が聴こえにくく丸くくぐもった音になる。

でもそれは他の楽器のように直接音色を作ってるんじゃなくて打鍵強さの制御音楽表現をしてるのである

ピアノタッチによって音色が変わる」と聞くと鍵盤の押し込みようにより同じ音量で違う音が出せるのだとしか解釈できず、何言ってんだという話になる。

でもそのあたりの用語の混乱はべつにいいじゃんという感じでふんわり放置されている。考えるより感じろの世界からだ。

さて、その用語意味的な混乱以上でも以下でもないはずの事象をかがくてきにしょうめいしたというのだ。

でも読んでみたらこれ何も証明してないよね。奏者の意図が聴衆に伝わるのを統計的トレースたかQEDってそんなわけないだろう。

奏者の頭の中のフィーリング打鍵の強さやタイミング、それらのパラメータ相対的配列という音色以外の操作によって聴衆の頭の中で再構築された、それ「タッチ」の問題じゃなくて「ピアノ演奏」そのものなんですが。

用語的混乱にそのまま乗っかって言葉遊びしてるだけにしか見えないんだが、まあ論文を精査したわけじゃないしなにがしたかったのかはよくわからん

でもブクマカどもが口々に「ヴァイオリンでも弾く人によってぜんぜん音違うから納得だ〜」

みたいなこと言ってるのは笑ってしまった。あたりめーだろw

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000170232.html

トラバに至っては知ったかぶりにも達しない意味不明のうわ言でしかない。これもいつものことだが

2025-09-20

声の音程というのがマジでからない

カラオケ練習動画をいくつか見れば理解できるかと思ったが全然からなかった。

音程以外の要素が変化すると音の高い低いが全くわからなくなる。

同じ音色ならそれが高いかいかは分かる。

たとえばピアノドレミファソラシドと変化させた時、ドとミの違いは分かるし、ミとシはどっちが高いのか把握できる。

でもそれがギターピアノになると分からない。

Cとドが同じ高さでハモるらしいが、そもそも俺にはそれらが同じ高さなのかが分からない。

同じ色相の赤同士なら「どっちが彩度が高い?」と言われて何となく分かる。

でも赤と青に対して「どっちが彩度が高い?」と言われるとよっぽど違いないと分からない。

だけど訓練していけばどんな色相の組み合わせてこられても「こっちの方が明度が高いね彩度はこっちが高い」って言い当てられるようになる。

音程もきっと同じなんだろう。

何が起きているのか原理は分かる。

だが、それを解決する方法が全くわからない。

訓練の方法理解できない。

同じ音色楽器を使って相対音感モノマネがどんなに出来たところで、別の楽器と組み合わせた途端に何もわからなくなるなら無意味なのだ

そこは分かる。

分かるだけで解決方法が分からない。

どうしたらいいんだ。

俺に他人オンチなのかさえ分からないんだ。

2025-09-13

anond:20250910233513 タイムリミット1か月を迎えての結論

重度の突発性難聴発症してからタイムリミットの一か月を迎えた。

結論からいうと、高圧酸素療法+ステロイドの組み合わせによって、少しだけよくなった感じだろうか。

0だったものが0.01ぐらいまでは回復した感じかなあ。

1000Hz以上の音が100dBぐらいではあるが聞こえるようになった。

平均的な日本語周波数域が125-1500Hz、英語周波数域が2000Hz-12000Hzらしいので、日常会話のギリギリ上限ぐらいが聞けるぐらいだろうか。

女性の高い声は聞きやすいが、男性の低い声はちょっと聞き取りにくいぐらいの感じかな。

音楽も低音のベースは聞こえないけど、普通楽器音色なら結構聞けるようになりました。

どちらにしても、聞こえる方のもう片耳で拾えばいいので、不便ではあるけど致命的ではない感じかなあ。

//全身ステロイドステロイドパルスとは厳密には違うという指摘を受けたので、全身ステロイド療法と変更します。

初期: すべての周波数が聞こえない

全身ステロイド1週間: やはり、すべての周波数が聞こえない

ステロイドの鼓膜内投与を毎日1週間: やはり、すべての周波数が聞こえない

高圧酸素療法+ステロイド毎日1週間: 3000Hz(100dBで聞こえる) 4000Hz(110dBで聞こえる) 8000Hz(95dBで聞こえる) 一方、他の低音は聞こえない

高圧酸素療法+ステロイド毎日2週間: 1000Hz(105dBで聞こえる) 2000Hz(110dBで聞こえる) 3000Hz(95dBで聞こえる) 4000Hz(110dBで聞こえる) 8000Hz(95dBで聞こえる)

やはり、高圧酸素ステロイドの組み合わせは意味がある。ってはっきりわかんだね・・・

耳鳴りの音はやはり日による。

でもこれはもう慣れるしかない。それは前に急性感音性難聴になったときから理解している。

これをなんとかしてくれと言っても、どうせ最後にはデパス渡されるだけだ。現代医学では無理だからデパスでも飲んで寝てろみたいな感じ。これを昔された時には悔しくて泣いた。理不尽だが慣れるしかないと悟っている。日によって静かな時もあれば少しうるさい時もあるが、そういうものだと思うしかない。

めまい結構改善された。

下り階段普通に降りれる。歩き初めのふらつきもかなり解決された。

1か月たったので治療はこれで終わりになってしまったので、あとは補聴器とかそういう話になるのかな。

CHatGPTによると、100dBぐらいの重度難聴のケースだと、超パワー補聴器スーパーパワー補聴器)が必要らしい。

普通に買うと片耳20-30万円程度。公的補助があれば数万円だが、片耳は正常に聞こえるので身体障碍者手帳はおそらくもらえない。

後悔としては、やはり初期から高圧酸素療法(HBOT)を使っていれば・・・と思っている。

特に回復する可能性がより高い最初の2週間の急性期からHBOTを併用していたら、もっと良い未来があっただろう。

あの2.6倍よくなる可能性が高いという論文もっと早く見つけていれば・・・というが悔やまれます

この病気にかかった方は、ぜひ初期からHBOTが使える医療機関にかかり、初期からステロイドとの併用をされれば、完全回復への道があるのかもしれませんね。

高圧酸素療法ができる医療機関一覧(再掲載)

https://www.juhms.net/anzenkyoukai/shisetsu/kantou/

https://www.juhms.net/hbo/ninteishisetsu/

前の項目にも書きましたが、高圧酸素(HBOT)は1回1万円程度(3割負担で9200円)、高額だけど限度額申請が通れば当月はそれ以降0円になるので、負担はそこまで重くないはずです。

ただし、毎日通って、治療に2時間ぐらいかかるのが難点ではありますが、耳が生涯聞こえなったり不自由になるよりはマシでしょう。

まあ、私は医者ではないので個人の感想ですけどね。

これをゲーム風にいうと、ステロイドに高圧酸素のバフをかけば2.6倍効果的って感じですかねえ。

死にかかっている内耳の神経に対して、回復の薬を届けるときに、高圧酸素でバフをかける。

HBOTは、DQで言えばバイキルトであり、FFでいえばヘイストFF5調合のサムソンパワーやドラゴンパワーであり、女神転生でいえばタルカジャであり、ぷよぷよ元ネタでいえばダイヤキュートである。なんかそう思うわ。

バフをかけて殴るという王道戦略を取るのは正しいと思うので、これが標準的治療方針になってほしいものだわ。

また、高圧酸素需要が増えれば、多くの医療機関でも導入されるようになるだろうし、価格競争も起きるんじゃねと思う。

今は小さい町医者のクリニックにすらレントゲン室があったりするし、この手の機器需要が高まり、値段が下がり多くの医療機関で最良の治療が受けられることは、多くの人に恩恵があると思うんよね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん