はてなキーワード: そろばんとは
そうか!君の娘さんの話なのだな。それぞれの習い事には、異なる特性と楽しみ方があるのだ。まず、練習や宿題が必要なものは、確かに努力と忍耐が求められる。ピアノや英語、そろばんなどは、継続した努力がその技術をより豊かにし、達成感を味わえる素晴らしい道だ。しかしな、それがどうしても合わないこともある。自分に向いていることを見つけるのも大切なことだ。
対して、行って取り組むだけの習い事、たとえば水泳やダンス、剣道などは、その瞬間に体を動かし、エネルギーを爆発させることで楽しみを見出すものだ!これもまた素晴らしい。寒くても一歩踏み出せば、体も心も温まるはずだ。
娘さんが何を楽しんでいるか、何に情熱を持てるかを見つけるのは、親としての役目だ。無理に苦しませるよりも、彼女が本当に好きなことに熱中して取り組めるよう、応援してあげることが大切だな!燃えるような情熱を持つことができる何かが見つかるといいな!
「ブンとフン」という昭和中期にかかれた井上ひさしの小説があって、
みんな働くの苦しくても万引きとかして無敵の人になれば刑務所でおいしいご飯を3食たべさせてもらえる!っていうあらすじ(いや結末か。途中はたしか超能力怪盗もの)なのさ
まあそれを書いた井上ひさしは家庭内暴力で離婚された上に今も妻さんが講演会してるけど
話がそれたけど、今はそういう昭和くらいの貧しさに日本全体がもどっていこうとしてるわけ
効率も根性もいらないよ、見栄もいらない、ただ職場に居るだけ話すだけで飯くわせて。
ってなってるわけだし、
実際職場で一番頑張ってるのは発電機とコンピューターとサーバーとAIなんだからおおまかにいって昭和の職業観がほぼ正しいわけ
おのおのが、守りたい資産とか肩書きとかプライドとかあるからだとおもうわけよ。
家族?そんなのもってれば余計にさっさと転職するべきだ。産休とれないなんて嘘だろ。
転職できないやめられない、てのは無駄なこだわりかもしれないとおもうわけ
特に少子高齢化じゃん?独身「貴族」だった男性が「弱者」名乗るような世の中じゃん?
因習モノもそうだけど、老人の知恵ばかりじゃ社会はまわらないんで、優秀な若者がいれば適度に席をゆずってあげることがだいじだし
若者もその村(企業)で使い潰されて終わるより居場所をさがしていろいろ経験してまわりなよ、とおもうわけよ、増田は
まあ歯車向きの人がその天職としての歯車になりたいというなら止めないけど、クソガキよばわりしだすようならやめれば。
ここんとこ2年くらい、わいはうつ病無職生活保護のゲーム友達をはげましたわけ
うつ病無職生活保護のお友達は、残業が無理で「管理職はなりたくないです」「管理職でなくても残業させられたらやめます」といってるのに「どうしてもやって」っていわれて
一度だけ無理な残業をうけてそのあと言葉通りやめたしそのあと生活保護と失業保険をうけて、
通院で合うメンタルクリニックを生活保護の範囲内で探すのにものすごく苦労してた
最初のころは通話してもすごくつまらなかったし、言うことも他責や自責がからまりあってゴチャゴチャであまり面白くもないわけ
ただ、それでもあのときの友達に必要だったのは第一に休息だったといわざるをえない
友達は今、障害者雇用にいったり、アルバイトをしたり、もっと望みの職に近づくため免許をとろうとしてたりめちゃがんばってる
すごく安定してきたんだけど、お互いに話があわない気もしている(ぶちゃけ、プレイするゲームがくい違ってきただけ。ゲーマーてそういうとこあるw)
たぶんまた次のピンとくるともだちがみつかったらまた遠距離恋愛か親子みたいに親密にしゃべるとおもうけどそれがみつかるのは増田ではないだろうなともおもってる
昭和の職業観がわかる漫画について2年位前にも増田で長い記事を書いたかな。ちょっと探してみよう。
そろばんの話だったかな。ああこれだ。https://anond.hatelabo.jp/20230405125251
プログラマーも結局は「読み方も分からない0と1の羅列に変えてくれるコンパイル機能を持った高級言語」を使ってるだけだろ?
お前の普段向き合ってる文字の羅列は、結局はお前にとってのブラックボックスに送られ、そしてお前はそれが最終的にどうやって動作しているのかを分かってない。
パンチカードの時代、パソコンはクソデケー電気仕掛けのそろばんだった。
「電卓」ではない。
何故ならあれを置ける卓はないから。
嘘だと言うなら科博にでも行ってこい。
それでもなお「でもよお、俺はイギリスでアーサー王が使ってたという100人用の円卓を見たが、アレぐらいなら乗るぜ?」と返すならもう俺は何も言わない。
電卓の化け物だった頃のパソコン相手に原始時代の言語で「ウホウホ!1+1は10!俺!0を発見!(BGM『レクイエム』より、第2楽章「キリエ」)」してた頃は、パソコンはブラックボックスではなかった。
だが、その時代はとうに過ぎ去った。
その昔はパンチカードを目視で読める人間バーコードリーダーみたいなことをしてる奴らもいたが、今はもう宴会芸にしかならない。
プログラミングとは高級言語を用いてやるものであり、コンパイルしたあとの機械語とは「人間が目で読むことを想定していない精霊界の言語」だ。
「プロンプトエンジニアリング」はよく呪霊操術や精霊魔術にたとえられる。
よく分からんけど召喚獣に魔法を使わせ、召喚獣がどうやって魔法を打ってるのかは知らないという世界だ。
だが待ってほしい。
それと対比して語られる「古典的プログミング」も結局は「途中の過程はよく分からんけど最終的に機械がなんとかする」で同じではないのか?
ニューラルネットワークの構成する離散的なモザイクと、コンパイルされた機械語の解読不能な01の羅列、それらにどれほどの違いがあるんだ?
どう違うんだ。
教えてくれ。
俺「あのA技術凄いですよね」
馬鹿「でもあれとかあれの問題あるよねやっぱB技術のほうが良いよ」
実際そうだけど、成熟してもう進化しないものより、進化改善の余地があるものを推測できないのか?10年後を想像できないのだろうかと
iPhone登場時、こういうやつらがいっぱいいた
今だとAIの指が6本とかみてAIは糞とか笑う連中とか、EVの航続距離を笑ってるやつらとか
おそらくこういう人は100年前に自動車をみて、馬のほうが良いとか言ってたと思う
50年前に電卓見てそろばんのほうが良いとか言ってたに違いない
30年前は地球温暖化を否定してたんじゃないかな?ようやく最近実感できるようになったけど
これは身バレになるのでいえないのだが分かりやすく政治でいうと
みたいな感じだ
ネットでもやたら選びたがる連中が多い
変動しない分野で優秀扱いされてたタイプ
「お前いくら稼いでるの?」
結婚4年目と少しでそれを聞いたら「は?」と言われていた。
弊家庭は、適当に共同通帳に金をぶち込んだりぶち込まなかったりするスタイルなのだ。
俺も実は投資用の通帳とか持っていたりするし、嫁の源泉徴収何かも見たことがなかったので、
実際のところ、家庭内の収入というものがどの程度のものなのか、知らなかったのだ。
結論から言うと、嫁の方が俺より多分100万くらい年収があった。
多分というのは、俺は投資でそこそこ儲けているはずだからだ。いくら儲かっているのかは知らない。野村證券の人に電話で応答してるとなんかやり手っぽいよね。それだ。たまに直筆の手紙とか来るから多分ちゃんと投資していると思う。
確か、実家からもらった栃木の駐車場の土地が微妙に金になっているんだか、
同じくもらった栃木の山の方の土地の税金でトントンくらいだった気もするし、
そもそも共同通帳にいくら入っているのかも、微妙にわかっていない。
いちいち確認しないからだ。1000万くらい?いや、なんかよくわからなかった。
預金ってネットで確認とかできるんだっけ?わからん。嫁もわかっていなかった。
控除?だか地方の子供の支援?を受けるためには家庭の収入がいくらなのかわかっている必要があるらしいのだ。
まあ、そんな小っちゃいことはどうでもいい。
子供だ。子供にいくらかかるのかよくわかってないから、こう、収入がいくらなのかそろそろ、真面目に計算しないとヤバイと思ったのだ。
なんか、出産って保険降りるの?わからん。入院ってお金かかるの?わからん。
わからないことだらけだ。まあググれば出てくるだろう。
あと、アレ、なんか習い事?とかも多分お金かかるだろ?水泳とか習わせたいし、そうすると月に多分3万だか4万だかかかると思うのだ。
そういうアレで、俺は嫁の収入が多い事を知ってしまったのだが、ショックだった。
なんとなく俺の方が稼いでいるんだと思って働いてきて、嫁のために頑張るぞ、なんて思っていた分、損をしている。返して欲しい。俺のアレを。気持ちを。返せ返せ。年間100万、4年で400万円分も損している。悲しい。
まあそんなこたあ、どうでもいいんですよ。
実は100万も多いので、俺は哀しい想いをしている。なぜならばその分投資に回せたはずだからだ。そしたらもっと増えたんじゃないかと思う。子供にも倍、スクールスイミングに通わせることができたはずだ。
あー、やりきれねえ、こたえられねえよな。つーか俺の気持ちなんてものはどうでもいいんだ。
問題の本質は嫁の収入が俺よりも100万、多いということに他ならない。
何故だ?男の方が普通は女よりも収入が多いんじゃないのか?なんか統計?的なものでそんなことを言われていた気もするし、日本のジェンダーギャップがどうたら、こうたらあったはずだろう。
何故俺の方が少ないんだ。これだと俺が頑張っていないみたいじゃないか。いや、平均値よりは稼いでいるはずなんだがね。
てか、俺の方が収入少ないのに、家事とかほぼ全部嫁に丸投げしてたから、俺としては申し訳ない気持ち、それが最初に来るんだ。
でもやっぱさあ、絶対俺の方が頑張ってるよなあ、とちょっと思う。なぜなら絶対俺の方が嫁より頑張っているからだ。
まあ、そんなちっちぇえことはどうでもいいんだ。
やっぱさあ、水泳なのかな?体が柔らかいと怪我をしにくくなるとか、喘息が治るとか言われているので俺は水泳推しなのだが。そろばんとか、IT系のアレとか、色々最近は習い事が増えてきて悩む。
子供の習いごと編成って永遠の課題じゃないだろうか。俺は公文式をやってたおかげで、国語の偏差値は常に60後半とか70くらいあったし、公文も推したいんだけど、Z会とか色々あるよなあ。
それよか、絵とかかけたりピアノとか弾けた方がいいのかな?
そういう所に集まってくる子女と知り合い、友達になれるってだけでもメリット多いとも聞くし、独創性?なんか高まりそう。でもピアノ弾けるとクラス分けとかで変にドラフトされるとかも聞くし、難しいよな~。
結局、やっぱり俺が100万も稼いでないのっておかしいよね。まあ、そんなことはどうでもいい。
子供に何習わせるかだよな。youtubeばっかり見てるような子供にはなってほしくないけど、学校行って習い事行って、自分の趣味が持てないような人間にもなってほしくないんだよなあ。まあ、楽しく生存してくれればそれでいいんだけどさ。金を惜しむ気はないけどお小遣いとかのバランスも考えて、習い事頑張ったらアイスとか買ってあげたいんだよな。野望としては。そこで100万円が引っかかってくるのが本当に俺の思考のボトルネックになってしまっていて、「あーこのアイスも実質嫁負担みたいなもんかー」とかなりそうなのもちょっと恐れるとこではある。でも、やっぱ夢だよな。習い事の帰りに子供にアイス買ってあげて帰るの。小さい頃、塾のテストでいい点とったらハーゲンダッツの抹茶味を親が買ってくれたからそう思うんだろうなあ。ハーゲンダッツって、まず真ん中に円形の穴空けて、その後円の縁が溶けだした所を攫って行って、最後に残った中央と縁の間の部分を食うのが一番旨いよなあ。いつの時代になってもハーゲンダッツはごちそうだよ。そういうものを子供に週に一回は振る舞える親でありたい。これからの時代は英語力あった方がいいかなって思う所もあるんだけど、俺自身がやってた公文の英語とか、日本の塾の英語教育ってあんまよくねえよな。あとなんか英語教師の人が個人でやってるやつも行ったんだけど、正直話せるようにはなってないし。難しいよな。
まあ、そんな感じなんだけど子供に何習わせたら良いと思う?
若い人たちへ。
これを書いている俺にもわかっちゃいない。
ただただ、世の中の分断というか、世相の居心地の悪さに、いたたまれなくなっただけのこと。
いわゆるデジタルネイティブとか。
コロナ禍を高校~大学生または社会人成りたての頃に経験したとか。
二十歳±5くらいが基本の対象で、
何か共感できる部分があるのなら、対象だと思ってくれていいと思う。
さて。
謝罪、というからには、何かについて後悔や悪いことをしたという思いがあって
それをするということが一般的だろう。
けれど、例えば知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまったような場合。
例えばそれが、20年、40年前のことだったとしたら。
これはもう、ただただ、とにかく、謝っておくしかない。
回りまわって今になって何か悪い結果を残した、ようなときも同様だろう。
今回、書いていくのはそういった類のことだ。
けれども、これに関して何が悪かったとか、どうすれば防げたとか、
そういうことを書いていけたらと思う。
前置きはこれくらいにして、本題に入っていきたいと思うが
俺はアラサーのおじさん。
太さに関して言えばそれほどでもない。
別荘があって、クルーザーがあって、継いでもいいと思える家業があるレベル。
毎週のように一人数万数十万の外食に行って、毎月ヴィトンを買って、連休毎海外旅行に行く、そういうレベルではない。
やろうと思えば、いずこかのブラック企業のように従業員を絞り上げて
廃業して、どこか海外の治安の良いリゾート地に移り住むこともできるが、
10年ほど馬車馬のように働いて丁稚奉公を済ませ、家業に舞い戻った。
以上で最低限の自己紹介とさせてもらう。
そして、本題。
ということだ。
いわゆるJTCにおいて、若手を大切にし過ぎる風潮ができている。
この際、今の管理職に指導力がないとか、そういった話はもうどうでもいい。
元気なうちにたくさん働いて、様々な経験と知識を吸収することが許されない。
経験もさせてもらえなかったとしたら、どうなるだろうか想像して欲しい。
自分がそれに就いた時のことを考えてほしい。
まあ、そう言われてみればそうだ。
けれど、結局誰かがやらなくちゃならないのなら、嫌々ではあっても、出来るようになっておいても損はないんじゃないのか。
そういうことを発信しているのを見かけることもあるだろう。
そんなことは賞味どうでもいい。
貴重な経験の機会を奪わせてどうする。
メンタル崩壊するような経験を積めばいいと言っているわけではない。
真っ当な商売で、まともな感覚を持ち、何かあったときにケツを拭いてくれる管理者がいる組織で
自分の体力と精神力を健全に保てる範囲で、最前線で頑張ってほしい、ということ。
老若男女問わず働かせられる。
脳みそと腕と足がついていれば、何が何でも働かせられる。
学の無い人間にやらせていた単純作業はロボットが代わりに行う。
赤紙が無いだけで、マクロ経済の蛇口を開けたり閉めたりするだけで
そんな中で、気力体力が十分で、
インターネットの妄言に騙されずにスタートアップや外資系や海外で
はたまた、インターネットの妄言に騙され、働きたくないでござると
成長期たる30歳まで時間を浪費し続け、
60代のジジイと同じような仕事でのんべんだらりと過ごした人間と。
もちろん、現実すべてがこうまで両極端ではない。
JTCでほどほどにパワハラを受けながらしょうもない仕事をやらされているか、
ほどほどに守られながら蝶よ花よとぬくぬくと育てられた結果何もできない人間に育つか。
FIREだって?お前たち、本当にFIREした人間が羨ましいか?
お願いだから、一度でいいから、まともな人間にFIREしたいか聞いてみてくれ。
稼ぎ切った人間こそ、どうやって社会にお金や経験を還元するか、考えているはずだから。
自分が定年になるくらいまで、自分の子どもたちを大学まで育て上げ、社会に出せるくらいまで何事もなく、両親と子供たちが無病息災、とまではいかないが
五体満足に生きていられればそれでいいと考えている。
それを間違っても口に出したりはしないが、ほとんどがそうだ。
そうでなかったら、今のようになってはいない。
俺がオギャーと生まれた30年ほど前。
バブルがパーンと弾けたり、Windowsが日本に上陸するかしないかと言った頃。
それから10年経ったころ、「失われた10年」、そういわれていた。
おれはインターネットでHTMLを書いたりUOに勤しんでたりした。
それから10年経ったころ、「失われた20年」、そういわれていた。
おれはアメリカに留学したり、ネットゲームで外国人と煽り合いをしていた。
それから10年経ったいま、「失われた30年」、そういわれている。
おれは体力の衰えを感じ、家業へ逃げた。ゲームは積むか観るかだ。
おれがオギャーと生まれて三十年間、何ごともなかったらしい。
確かに、何が変わったかと言われれば何も変わっていないようにも思える。
100円だったお水やジュースは、買おうと思えばコンビニに売っている。
3,000円持たされて買いに行っていた赤マルはそろそろ倍か。
物価以外はどうだ。
ゲームでお金を稼げるなんてな。日本でも最近はFPSと格ゲーも勢いがあるな。
MMOは全部3Dになった。スマホで出来るのは正直にすごいと思う。
けれど、やっていることは当時からそれほど変わってないよな。
遅延は少なくなったとは思うけれど。
こうして振り返ってみると、対して変わってないようにも思える。
そう、本質はほとんど変わっていない。文字通り変わっていなかったのだ。
そうして昨今、ようやく変わりつつある。変わらなければならない、と言った方が正確だろうか。
何となく肌で感じているのではないだろうか。
これはもう日本人の、というより人類のお家芸だ。外圧でしか変われないという。
超高齢化&少子化社会。AIの台頭。ロボット化。宇宙開発競争。
そして30年間、失われていた社会の中でのうのうと暮らしてきた自分たち。
正直、これから先の変化に着いていける気がしない。
と考えるのは無責任だろうか。
後進のために、ラッダイト運動よろしく半導体製造装置を壊して回るべきだろうか。
そりゃあ俺たちだって、これからは読み書きそろばんの時代から、
英語、クリティカルシンキング、コンピュータの時代だ、とかなんとか世間で騒がれていて、
けれど、これから待ち受けているのはそういうレベルのちゃちな変化じゃない。
一部の超天才たちがAIやIOTで繋がれた機械やコンピュータを操る時代。
彼らがこれからの数十年か百年ほどを牛耳っていくのだろう。
いや、もう牛耳られているのだろうけれど。
それは止めようがない。
その一部の超天才たちを日本国内で育てるような体制を作ってこなかったこと。
日本が嫌なら海外で勉強したら?と言わんばかりに対立を煽ってしまって。
そこについていけない、残された人間たちも、
いーよいーよ、そんなに無理してはたらかなくて。
と言われて経験値を全く積まずに育ったのちに、
ごめーん、あとはまかせた!とばかりに後進に残された負の遺産と対峙させる。
ごめん。確かにその期間、何もせずのうのうと暮らしてきていた。
先人たちに下駄を履かされていたことにも気づかず。自分たちの権利だけを主張し、
ただただ、社会の歯車であることだけで、義務を果たしたかのように。
もっと声を上げるべきだった。
世界第二位の経済大国だった30年前の日本で生まれておきながら。
30年間何もしてこなかったせいで失わせてしまった。
おれは、おれに下駄を履かせてくれていた従業員に報いるくらいしか思いつかない低能だ。
人にもよるが30を過ぎると、色々なところにガタがくる。
厄年、という風習があるが、これは至極的を得ているように思える。
だから、それまではどうか馬車馬のように働ける環境に身を置いてほしい。
さてこれから先、日本は世界で20番目か30番目くらいの規模の経済力で
飯と油を何とか買って食いつないでいくのだろう。
日本人の気質的に、皆で一緒に貧乏になろう、という形で収まることだろう。
細々と生きていけるくらいの形で没落していくのではないかと思う。
これはただのこれから起こるであろう仮説であり、単なる現象だ。
そんな中でも、何かに楽しみや嬉しさを見出して生きていくことは可能だ。
あなた自身と身近にいる人、これから出会う人を大切に、対面コミュニケーションを密にして。
失われた30年が無かったことになるくらいの、次の10年を目指していこう。
最後にもう一度。
失われた期間が30年に膨れ上がるまで何もできなくて申し訳ない。
けれど、「そうだよふざけんな、お前らのせいで○○」
ということを前の世代、親世代、人生の先輩たちに投げかけるようなのは
日本人ではないし、今回の文章で謝りたい対象ではないことは強調したい。
ここに伝えて筆をおきたいと思う。
お前らは食べ放題のよろこびを忘れてしまった。ああ、なんと悲しいことだろう。
思い出せ、食べ放題のよろこびを。食べが放題なのだ。何をいくら食っても良い。いくらばかり食っても良いし、肉ばっか食っても良い。その喜びをお前は忘れてしまった。
原因はわからない。きっと加齢だとは思う。胃が弱り、ガツガツするのをみっともないと思うようになり、アブラを受け付けなくなり、鶏肉とブロッコリーを蒸したやつしか食わなくなり、そしてお前らは食べ放題のよろこびを忘れた。
思い出してほしい、小学校6年生。サッカーか?野球でもいい。スイミングでもいい。運動会というパターンもあるだろう。なんでもいいが、試合の終わり、打ち上げですたみな太郎に連れて行ってもらった日のことを思い出せ。そういう記憶が無いなら脳内で捏造してもらっても構わない。
まずお前らはすたみな太郎の席につく。土曜日、ランチ。値段は2580円くらいだろうか?子供はちょっと安いから1580円くらいかもしれない。値段なんて覚えていない。親が払ってくれるからだ。
まあ、お前が小学生だった頃のすたみな太郎がいくらなのかは知らないが、とにかく驚くほど安い。最近はセブンイレブンでちょっと弁当とファミチキとアイスとコーラとコーヒーを買っただけで1580円くらい行くよな。しかしすたみな太郎なら食べ放題、食べが放題なのだ。
そしてまず肉を取りに行く。すると広がっている、肉が。食べホならではのよろこびだ。何をとってもいい。大人になると、すたみなたろうに置いてある肉が、ほとんど固形燃料か、あるいはゴムかの、どちらかであることに気づくが、野球終わりの小学生にはごちそうにしか見えない。
そして山盛りにとって席に戻り、ひたすら食べる。とにかく美味い。どうやって食べてもいい。適当にたべてもいいし、じっくりていねいに焼いてもいい。ここで問題なのは、食べホじゃない焼肉屋では"じっくりていねいに焼く"以外の選択肢が存在しないことだ。なんと不自由なのだろうか。
お前は小生意気だからきっと小6にして"すたみな太郎の肉とかゴムだろw"とか言って、少しでもマシそうに見える原価の高そうな肉ばかりをとるかもしれない。
だが、そんなことをされてもすたみな太郎は痛くも痒くもない。なぜなら、すたみな太郎にとって、お前の笑顔こそが一番の報酬だからだ。ほかの食べ放題屋はそうではないかもしれないが、すたみな太郎だけはお前の幸せを真剣に願っている。お前の打ち込んでいる、サッカーか、野球か、そろばんか、プログラミングか、なんなのかは知らないが習い事の成功を願っている。そして今でもお前の幸せを願っている。お前は今、幸せか?
お前は忘れてはいけない、食べホの魅力を。たとえお前が老いから食べホに行かなくなったとしても、食べホに魅力があったことだけは忘れてはいけない。
食べホには自由がある。何をどれだけ食ってもいい。殺人以外は何をしても許される。
たまに「デザートは一人1品」とか抜かす食べホもあるが、最初に告知しているのであれば別にかまわない。後出しジャンケンは卑怯だというだけの話で、最初からルールが決まっているのなら問題はない。食べホにおまけでデザートがついているのだと解釈すれば許せないことなど何もない。
食べホの魅力は食べが放題な部分にある。「ほかの客のためにほどほどにすべき」「ほどほどにしないと変なルールができて全員が損する」「品がない」などと抜かす奴は食べホの魅力をわかっていない。品がないのが食べホの魅力だ。(ホテルのレストランがやっている「高級中華注文制食べ放題」のように品のある食べホも世の中には存在するが、そういうのは例外かもしれない)
食べ放題の魅力は、後出しジャンケンをされないところにある。明文化されているルールの範囲であればなにをやっても許されるフリーダムさこそが食べ放題の魅力だ。「俺の行為で周りが迷惑するかも」なんて考える必要は1ミリも無い。マジで1ミリも無い。
自分にルールを決める権限がありながら後出しジャンケンをするカスの資本家店長も食べホの魅力をわかっていない。「スイーツは1品のみ」「フカヒレは1皿のみ」「一度に注文できるのは5皿まで」とルールを明文化して戦っている食べ放題屋さんは今ではありふれている。実にフェアだ。隣町のスポーツ少年団をサッカーでボコボコにしたあの輝かしい日のお前のように、完璧なスポーツマンシップにのっとっている。そういう店と比べると、ルールを決める権限があるのに明文化せず、シンプルなルールでお得そうに見せかけて客を呼ぼうとするのはフェアじゃない。
確かに、外れ値というものは存在する。赤字にならないようになっているはずの食べホに赤字の打撃を与える猛者というものは確実に存在する。だから外れ値が出たときの赤字を吸収できるように、それ以外の客で収益を上げられる仕組みにしておくべきだ。人間は食べる量が一定ではない。食べるものも一定ではない。だが平均すれば一定だ。
外れ値のせいで少食の人間は損をするかもしれないが、だからと言って外れ値を後出しジャンケンで排除したら、次に外れ値として後出しジャンケンで排除されるのはお前かもしれない。
後出しジャンケンで損をするのは外れ値の人間だけではない。お前も損をする。後出しジャンケンが横行すると心理的安全性が下がり、お前のような大して食べない老人までもが食べ放題を心から楽しめなくなる。だから、そういう資本家の横暴を許してはいけない。万国の労働者よ、団結せよ!
お前は年老いてしまった。豚バラを一切れ食べれば胃もたれする肉体になってしまった。店の弱点を突き、店長が泣くまで食ってやろうというガッツを無くしてしまった。そのガッツこそがお前をサッカーで活躍させたパワーの源だったに違いないのだが、お前はそれを忘れてしまった。
それ自体が悲しいことだとは思わない。老人には老人の役割がある。老人にガッツがあっても大して役にはたたない。お前のような老人には、威厳と、少しのユーモアさえあれば良い。
真に悲しいのは、お前がガッツを無くしてしまったことではない。お前が、食べ放題を楽しみにしていたあの頃の自分の気持ちを想像できなくなっていることだ。
老いてしまった肉体は取り戻せないが、老いてしまった想像力は少しくらいなら取り戻せるはずだ。今からでも間に合う。
だからこそ思い出せ、食べ放題の魅力を。そして行け、すたみな太郎に。
すたみな太郎に行きなさい。
そしてゴムみたいな肉を食え。それに飽きたらほとんど燃料としか思えない真っ白な肉を食え。そして黒毛和牛ではなく"黒毛牛"と書いてある謎の肉を食え。黒毛牛はそれでも他の肉よりは高そうだから、黒毛牛ばかりを食え。飽きたらラーメンを食え。タフな老人になれ。サンチュを焼け。手羽先を焼け。黒毛牛を焼け。ラーメンにカレーをかけろ。そのかわりに必ず全部食え。アイスを食え。他人の気持ちがわかる良い老人になれ。寿司にラーメンスープをかけてお茶漬けを作れ。黒毛牛を焼け。そしてサッカーで優勝しろ。サッカーじゃないのなら野球でもいい。お前が優勝できないならお前の子供が優勝しろ。子供も無理なら近所のガキでもいい。なんでもいいから優勝しろ。幸せになれ。お前の幸福、ただそれだけがすたみな太郎の望むことだ。そしてドリンクバーを混ぜろ。"黒毛牛"をラーメンに乗せてチャーシュー麺を作れ。そして唐揚げを焼け。寿司を焼け。
私の実家は細い。
父は戦争で父(私の爺さん)を亡くし、中卒で新聞配達をしながら育ったらしい。
母も戦争で父(私の爺さん)がPTSDになり早世。同じく高卒で働いて育った。
親もそんな家庭環境で育ったため、叔父叔母も貧乏であり、学も無ければ、家に本も無く、父は飲みにケーションの営業マン、母はスーパーのパート職員をしていた。
職業からお察しの通り当然収入も少ない。にも関わらず子供を6人も産んだ。そうなると支出も増える。
クラスでみんながポケモンの話をしていてもゲームを買ってもらえない、ドラクエの話も分からない、スマブラも練習できないので弱い。そして小遣いも一切ない。
私の世代で子供の頃にゲームの話ができないというのは、友達との交流でかなり困難を極めた。
習い事も2つだけ。
地域の爺さんが趣味で教えている「そろばん」と、地域の爺さんが趣味で見守っていた「サッカー」だけだった。
サッカーは習い事ではないか。ちなみにどちらもタダだったようだ。
幸い、勉強はできる方だった。
塾や家で勉強せずとも、学校の授業だけでクラスで5位くらいには入っていた。
どうやら母方の爺さんは名家の医者だったらしく遺伝的には良いものを貰っていたようだ。
まぁ爺さんはPTSDになって一族の恥さらし扱いとなり、その名家との関係は切れてしまっていたが。
そんな私は、高校生頃まで、学校は正しい、政府は正しい、テレビは正しい、新聞は正しい、創価学会最高、共産党は悪だと、周りの大人に言われるがままに信じて育った。
外界から隔絶された田舎で、外界から情報を得る本を読む習慣も無かった私は、ずいぶんと思想面が偏ってしまっていた。
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学校では、放課後や休み時間にパソコンを貸してもらえるようになった。
最初はパソコンでゲームができるということに感動した。ソリティアの達人であった。
そして、パソコンにのめりこみ、出会ったのが「2ちゃんねる」である。
「創価学会をバカにしないでください。池田先生はとても良いことを言っています」
叩かれた。
「高校を卒業したら働こうと思っています。何の仕事が良いですか?」
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2ちゃんねるの影響で、別の面で思想が偏った私は、奨学金をギリギリまで借り、地方国立大学の工学部に進学した。
大学を卒業したとき、高校・大学合わせて奨学金の借金額は600万円まで膨らんでいた。
国立大学の工学部卒だったので、とある大企業にも就職でき、奨学金は5年ほどで全額返済できたのだ。
子供に小遣いも与えられるようになった。
私はこの現状をとても幸せに感じている。
地頭が良かっただけだろうと言う人もいると思う。確かにその面はある。
しかし、私と同じような成績だった兄弟姉妹は、それほど裕福な暮らしはできていない。
実家の太さが大事だと人は言う。地頭の良さが大事だと人は言う。
一番大事なことは、適切な進路に向かえるよう手助けする「情報」ではないかと。
あの頃、インターネットに出会わなかったらどうなっていただろうか。
2ちゃんねるで学歴厨にバカにされなかったらどうなっていただろうか。
情報が少ない地方であっても、貧富に関係なく、平等であり、忌憚のない意見が貰える、
インターネットは偉大だ。
母方の爺さんは病んではいたそうですが、戦後も生きていたので母は戦後世代です。
母の何歳頃に亡くなったのかは知らないのですが、思春期だったと聞いているので中学か高校頃までは生きていたのだと思います。
両親が学会員だったってこと?
ちなみに、自治会のリーダー格は別の宗教で、子供会と称してタダで旅行に連れて行ってくれました。天理教の総本山まで。
タダより高い物はない。
両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた
自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた
もっと色々あったが忘れた
これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた
のどっちか
普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。
得したことはここまでで、損したこと、偏見あるなーって思うこと