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はてなキーワード: 部落解放運動とは

2026-03-23

戦争支持の人々は何を願ったか 今に通じる「らしさ」揺らぎへの反発 2025年10月1日 7時30分  朝日新聞

 戦後80年、多くの歴史が語られてきた。ただ、大切な問いは、実はまだ十分に検討されていないのではないか。いま問われるべきは、なぜ、当時の人々があれほど熱心に戦争を支持したのかの解明ではないか――。そんな思いで、日本の外から日本近現代史研究する歴史家、益田肇さんに聞いた。

 

人々にとっての戦争の「魅力」

 ――なぜ、「日本戦争に突き進んだ理由」に向き合ったのですか。

 

 「本当に問われるべき問いが、まだきちんと検討されていないのではないか、と感じていたからです。一般的歴史では、『軍部暴走し、国民戦争に巻き込まれた』と、人々が『受け身』に描かれることが多い。まるで人々は、台風が通過するごとく戦争を耐え抜いたかのように。そこに抜け落ちているのは、戦争を支持する人々の存在です」

 

 「その結果、人々が戦争を賛美もしていたという事実が見えにくくなっている。近年、そうした人々に焦点を当てた研究が増えてきましたが、私は、人々にとっての戦争の『魅力』に着目しました」

 

 ――魅力、ですか。

 

 「当時、多くの普通の人々が熱心に、前向きに戦争全体主義を抱きしめました。そうした人々をただ批判するのではなく、戦争の『魅力』を考えてみたいと思ったのです」

 

 「日本戦争に突き進んだ理由は、当時の政治外交を追うだけでは捉えきれません。政治外交真空の中で行われたのではなく、時代磁場の中で動いているからです。その磁場を知るため、普通の人々戦争全体主義の名のもと、いったい何を願い、何を争っていたのかを探りました」

 

 ――当時の人々の認識を知るのは大変そうです。

 

 「多用したのは日記です。手紙新聞雑誌への投稿も。一人の日記に頼るより、大量に使うことで時代あぶり出そうとしています。同じ時代に生き、同じように感じていた共時的パターンは何か、と。断片では何かわからなくても、大量に並べるとイメージが浮かび上がってくる『モザイク画』のようなものです」

 

 「すると、戦争のものを支持していたというより、他の作用があって戦争支持を唱えていた人々の姿が浮かび上がってきた。身の回りでもともとあった別の『戦い』に、国防愛国論理が乗るとうまく回りだす――という様子が、断片を並べていくことで見えてきたのです」

 

「お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ」

 ――どんな断片でしょう。

 

 「例えば、正月日記に今年の決意として『忍耐、勤勉、努力』と書くような真面目一徹神奈川県青年がいました。幼い頃から男らしい兵士になるのが夢でしたが、徴兵検査で甲種合格できず、その途端、日記記述は一層好戦的になる。対米開戦も喜ぶ。戦場には行けないが国内で頑張ると張り切り、勤務先で評価が高まった頃が一番誇らしげです。戦争の支持は、彼にとってはむしろ男らしくなりたい、ちゃんとした人物になりたいという思いの現れでした」

 

 「東京小学校長を務めていた女性は、1931年座談会で振り返っています洋服で道を歩いていた時に20回ほど嫌がらせを受け、『おいこら! 何のために洋服なんか着ているんだ、お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ。今日は許してやるが今後もこんな格好をしたら、見つけ次第叩(たた)き殺すぞ』と通行人から怒鳴られた、と。注意した側にしてみれば、それまで不愉快に感じていたことを『国防論理批判できるようになったわけです」

 

 「昭和維新運動に参加するような青年将校らにしても、口では国の行く末を憂えるような議論をしていても、実際に問題視しているのはジェンダー規範の緩みだったりすることがあります。例えば、二・二六事件首謀者の一人として刑死する鳥取県出身青年は、若い頃の日記国家が立ち行かなくなるといら立っていますが、よく読むと実際には、大正期に、女が男のようになり、男が女のようになりつつあることにいら立っている。いわく、『女は恋をするもの』『男は恋せらるるものである』ことが『自然』なのに、近ごろは『女権尊重の声』が高くなり、『女そのものが威張り出して』いて、男にも『女の様になった奴(やつ)が多い』、と記しています

 

 「似たようなことは財界でも。ある鉄道会社社長経済誌で『我が臨戦体制』に胸を張りますが、実際にしたのは一斉朝礼や幹部の定刻出社、全社的な清掃運動など、様々な業務合理化と能率増進です。戦争が始まった途端、平時になかなかできなかった規律を整えることが戦時論理可能になった。同様に、各地の村での派手な結婚式や酒の飲み過ぎも、自粛対象になりました」

 

解放時代」にくすぶった反発

 ――研究大正時代(1912~26年)までさかのぼっています

 

 「大正期は基本的に『解放時代』で、多くの人々が『らしさ』からの脱却を図っていました。女性良妻賢母に当てはまらない生き方を求め始めた。女性が髪を切り、スカートはいて、さっそうと街を歩けば、男性オールバックの長髪にして香水をつける。労働運動部落解放運動朝鮮人権利運動も活発になった」

 

 「同時に、これらの解放の動きへの反発がくすぶり始め、1910年代後半には『世の中が乱れている』と感じる人が増えています。いわば男らしくない男、女らしくない女、日本人らしくない者たちへのいら立ちです。この底流を見ないと、31年の満州事変以降、戦争への支持が噴き出した背景が理解できない。それが後に噴出するエネルギーとなるからです」

 

 「ここで重要なのは手段目的が往々にして逆転していたことです。例えば、『婦人よ家庭に還れ』『筋骨共に隆々これが日本男子』とのスローガンは、表面上の論理としては、婦人を家庭に戻すことで(手段未来戦士を育てよう(目的)、男子の体格を向上させて(手段日本を背負って立つ男子となれ(目的)となっています。でも実は、その『手段自体が、失われた『らしさ』復活のため、多くの人々が戦い続けてきたそもそもの『目的』ではないでしょうか。以前から、『妻らしさ』『母らしさ』の逸脱である職業婦人モダンガールを家に押し戻し、オシャレ熱に興じるモダンボーイや読書ばかりの文学青年に『男らしさ』を教え込もうとしていたではないか、と」

 

 「自分らしさを重視する『個人主義』や『多様性』、その結果生じる従来の『らしさ』の揺らぎと対立の増加。これらにいら立つ人々にとって、民主主義議会政治はむしろ調和を乱す元凶。個を重視し、多様性を認め、対立助長するからです。この『機能不全』を戦争全体主義で克服しよう、競争対立、分断と格差疲弊した社会を立て直し、一体感調和を取り戻そうと願う人々の姿が浮かんできました」

 

人々は戦争に「巻き込まれた」のか?

 ――先ほどの個々の話は、日本戦争に突き進んだ時代を映すモザイク画の素材なのですね。

 

 「そうです。個々は小さな話でも、全体としてうねりを作り、当時の磁場を作る。そのように見ると、『解放時代』『引き締めの時代』『戦いの時代』という流れが浮かび上がってきます。それぞれの時代はくっきりと分かれるわけではなく重なっていますし、同じ人間にも異なる側面が共存している。それでも、どれかが強く現れる時代や時期があります

 

 「19世紀末の大衆社会の到来以降の国家戦争のあり方を見ていると、国家が主とも、社会が主とも、言い切れなくなる。国家戦争が起きるから、『男らしさ』『女らしさ』『妻・母らしさ』『家族らしさ』が求められ、皆が国家に協力させられるのか。それとも、『らしさ』規範があちこちで瓦解(がかい)するから復権させる引き締めのために定期的に危機が唱えられ、国家戦争が求められるのか。小さな話を集めていくと、国家が主で人々が巻き込まれたという一方通行作用だけでないことが見えてきますそもそも国家社会から離れて存在するものではないからです」

 

政策決定者と人々の作用双方向

 「言霊とでも言うのでしょうか。一度言葉を発すると、そこに文字通りの真意がなかったとしても、言葉独自に力を持ち始めるものです。社会に飛び交うそうした無数の言葉が重なると『国論』となり、政策決定者たちが無視できなくなる。その選択も縛られる。日本戦争への道を考える上でも、政治外交だけでなく、人々の願いが集合する社会検討して、両者を融合するよう努めました。政策決定者と人々の作用双方向だったのです」

 

 ――政策決定者が世論の影響を受けた、と。

 

 「当時、為政者国内のごたごたを避けようとして、国外で戦うことを選びました。これも、日本戦争に突き進んだことの理由の一つです」

 

 「例えば、関東軍の謀略で引き起こされた31年の満州事変を、その後のいわゆる『十五年戦争』の起点と捉えると、軍部日本戦争に引きずり込んだという軍部中心的な理解になりますしかし見落としがちなのは、これが『解放時代』の真っ盛りだったということです。『らしさ』から解放絶頂期で、見方によっては社会秩序が急速に瓦解した時代でもあった」

 

 「満州事変はそのタイミングで起き、社会変化にいら立っていた人々が飛びつきます。当時、政府は不拡大方針をいったん閣議決定したものの、国内戦争熱を前に引き下がれなくなる。このようにたどれば、戦争への道が、政策決定者と人々の相互作用から作り出されていたことが見えてきます

 

社会保守の機運が運動になった転換点

 「上海事変(32年)でも、3人の工兵爆薬を担いで敵陣に突っ込み戦死したとされた『爆弾勇士』(現在事故可能性が指摘されている)が、『男らしさ』の貫徹として全土で支持を集めました。ただ、そうした『らしさ』を尽くした人をたたえる美談ブームはこれが初めてではない。『爆弾勇士ブームはむしろ20年代半ばに始まる美談ブームの背後でくすぶっていた社会保守の機運が、全国的運動となった転換点と見るべきでしょう」

 

 「社会のなかの政策決定という点では、外相松岡洋右典型例です。松岡は(石油資源の確保のために東南アジア方面進出する)南進論には否定的でした。必ず米国の反発を引き起こす、と。その読みは正しかったのですが、それを密室会議しか言わない。南進論を支持する社会磁場を読み取り、人前では南進論を推す右翼にも同調するのです。彼が提唱した『大東亜共栄圏』構想や西洋植民地主義に虐げられた民族の『救済』という論理にしても、当人意図はるかに超えて、南進論や対米強硬論過激化を呼び起こしてしまいました」

 

人々を受け身に描くことの問題点

 ――メディアの影響は。

 

 「極めて大きかったと思います。37年7月盧溝橋事件から12月南京陥落までで特に顕著です。全国紙の一面記事は、映画の一コマのような劇的な写真で読者の興奮を高め、県版記事は、郷土兵の戦死顔写真付きの美談に仕立て上げて文字通り顔の見える報道で読者の情感に訴えた。こうして全国紙の部数は劇的に伸びました。地方紙も、当時は地元有力者が社主を務めるケースが多く、政財界と直結していた。新聞社が県民決起集会主催し、その興奮を記事にしていて、さながらイベント会社のようでした」

 

 「世論にのみ込まれたという意味では、満州事変での朝日新聞象徴的です。新聞各社が強硬論を書きたてる中、朝日は当初慎重論を唱えていました。ところが大規模な不買運動が始まり、売れ行きが万単位で落ちると、社論が転換し軍部支持の方針が決まった。他の新聞社と一緒になって『肉弾勇士』を称賛する歌詞の読者コンテストを開くなど、戦争支持を盛り上げました」

 

 ――人々を受け身に描くことの問題点とは何でしょう。

 

 「人々が一枚岩犠牲者に見えてしまうことです。そうした歴史観は、現代にも影響します。今の政治社会を考える時も、同じ受け身の構図で自分たちを捉えてしまい、重要役割果たしていることに無自覚になる。それは他者責任転嫁する見方も強めます戦争への道は人為的ものです。だからこそ、支持した人々が大勢いたという点から見直したいと思いました」

 

解放」と「引き締め」をめぐる「社会戦争

 ――「らしさ」から解放と、それへの反動としての「引き締め」は、今も各地で起きているのでしょうか。

 

 「もちろんです。私は、人々の『解放』と『引き締め』をめぐる戦いを『社会戦争』と名付けました。この視点の利点は、日本経験普遍的現代的、総合的に見直すことができることです。どの社会にも、どの時代にも、解放と引き締めの戦いはあるから日本史を世界史とつなげて考えることができる」

 

 「為政者の動向だけでなく、普通の人々視野に入れて政治社会総合的に捉える。この視座から見ると、日本における参政党の躍進、米国でのトランプ大統領再選、ロシアでのプーチン大統領への支持にも、背景にそれぞれの社会戦争があるのではないかと思えてきます

 

 ――解放と引き締めが振り子のように繰り返されてきたと考えると、あの時代が「例外」だったと思えなくなります

 

 「戦中は暗く息苦しい時代で、その前後に明るい時代があったという理解があります。戦中を日本近現代史における例外とみなせば、楽です。『例外的な時代だったが、元に戻したので大丈夫』と言える。例外にすれば、ひとごとのようにできる。だからこそ、あの時代を単なる『例外』とみなすべきでない。むしろ、今とも地続きの、自分のこととして見るべきだと思います

 

 「歴史見方を変えると、現在見方も、未来見方も変わる。だから歴史の視座の多様化が大切なのです。過去重要な転換期に、普通の人々翻弄(ほんろう)されるだけの受け身存在ではなかったことに気付けば、私たち現在未来への向き合い方も変わってくると思います

 

海外から日本近現代史研究する意義

 ――益田さんはシンガポール研究拠点です。

 

 「そのおかげで、欧米日本だけでなく、アジア各国の研究者とも共同研究する機会に恵まれ、多様な見方に触れることができます。今春には編者として『Cold War Asia: Unlearning Narratives, Making New Histories』を出版しました」

 

 「従来の冷戦史は、米国ソ連中国政治指導者や高官を中心に展開されますが、この本ではアジア各地の普通の人々体験を通して冷戦を描きました。同様に、日本史も相対化して考えるようになりました。異なる国々でも似たパターンが見えてくれば、日本で起きたことが特別とか例外とは見なくなります

 

 「視野を広げないと歴史を語れないことにも気付くので、関心領域地理的にも時間軸でもどんどん広がっています。例えば、今回は私の専門は日本近現代史20世紀アジア史、米国外交史と説明していますが、日本では『広すぎる』と思われるかもしれません。でも20年間研究していれば、どうしても専門領域は広がるんです。今回は日本主題なので日本近現代史を一つ目にしていますが、冷戦史を書いた時は米外交史とアジア史と説明しました」

 

歴史家の役割大きな物語提示

 ――国内外で秩序が揺さぶられる今、歴史学に求められることとは。

 

 「そもそも歴史学の原理アナリシス分析)です。基本的に分けて考えていく。分けることで物事真実が見えてくるという前提です。だから研究者は、時代を絞り、地域を絞り、テーマを絞る。研究が進めば進むほど、分岐が進み、専門化が進むゆえんです」

 

 「ただ、それぞれの研究成果を本来、どこかで融合させないといけない。もともと世界はつながっているし、政治社会文化といった事柄本来分かれたものでもない。だからアナリシスの対になる概念シンセシス総合)も必要ではないかと思います。私が取り組んだのはこの路線で、小さな話をあっちこっちから拾い集め、モザイク画のように『合わせる』ことで新たに見えてくるものもあるという姿勢です」

 

 「歴史家の役割大きな物語ナラティブ)を社会提示することだと考えています日本

2025-12-28

anond:20251227155424

もし本当に入党5年目なら部落解放運動バチバチやってる時の極右みたいな主張もマトモに知らないんだろうなあ

極右カルト自民ですら部落差別解消推進法には賛成するのに国政政党じゃ共産党だけ反対だからねえ 在特会とかあの辺と違いが正直分からんレベルなんだわ そのうちドン引きする事になるから早めに足抜けした方が良いぞ

2025-12-25

死刑囚表現展ってさ

さんざん企業テロ事件起こして、何人も爆殺した東アジア反日武装戦線メンバー死刑囚獄中死済)の親が始めたとか、

部落解放運動福岡空港土地を買収して設けた奴の記念会館使ってたとか、

審査員はてサ爺の好きそうないつメンだったり、

もうゴリゴリ思想がかった展示なのなんなん?

テロリスト肯定的な奴がやるとか、本当にヤバい

2024-12-31

はてな匿名ダイアリー投稿の思い出 2/5


11 鬼滅の刃がヒットした本当のところ

anond:20201103211322

2020年11投稿

こちらは私個人の感想です

当時、増田界隈では鬼滅の刃がヒットした理由考察する日記流行ってました。

遅ればせながら便乗しようと思った次第です。

その有名作がなぜヒットしたのか? ですが、一般的な答えがあります。一つ目は、作品自体面白さです。

日記中の引用にあるように、「読み手感情をどれだけ動かせたか?」「生き物同士の心の交流、繋がり、触れあいをどれだけ描けているか?」がポイントになります

残り一つは外部環境です。鬼滅の刃だと、ちょうどコロナ禍の頃に映画が完成したうえで、ほかに競合相手がいなかったことです。世間の人気を掻っ攫うことができました。

参考までに、『たまたま日常に潜む「偶然」を科学する』という書籍にあるのですが、ヒット作品というのは、一定以上のクオリティがあるうえで、後は純粋に運であることがわかっています

私も実は、若い頃に「小説家になろう」に投稿していました。柔道をメインに扱った教師ものでした。

特定ジャンルではランキング上位に入れたのですが、異世界転生や俺TUEEEE!!ジャンルの足元にしか及びませんでした。

今では、どうしてウケなかったのかを理解できます。当時は自分の描きたいものを描くので精一杯でした。

例えば、作中において人間同士の愛情の繋がりの描写が薄かったのは間違いありません。なろうで流行っているジャンルではなかった、というのが一番大きいですが。

この場を借りてプチ自慢ですが、私の小説の設定が『もういっぽん!』という柔道漫画で使われていました。作者のオリジナルとして昇華されたうえで。

私が作った教師キャラと同じ名前、同じ設定の人物2023年放送の同アニメ名前を呼ばれた時、びっくりした思い出があります



12 ニコニコ動画YouTubeで生き物を虐待している動画について 

anond:20201113210224

2020年11投稿

この当時、ニコニコ動画YouTubeにおいて、ネズミなど哺乳類が惨たらしく殺される動画や、

昆虫魚介類捕獲して面白半分に実験したり、トドメを刺した後に調理するタイプ動画流行っていました。

ニコ動の例だと、農場犬が畑内のモグラを食い散らかす動画や、ピラニア水槽ラットを落として食べさせる動画などです。

YouTubeだと、ヘビフロッグさんやホモサピさんやおーちゃんねるがやりたい放題やってました。

個人としては、生き物の命をいたずらに奪う動画が好きではありません。はっきりいって嫌いです。

ちょうどこの日も、ヘビフロッグさんの動画を拝見して、おそらく嫌な気持ちになっていました。その時の憤慨を日記しました。

やはり、その、害獣だろうと昆虫だろうとSAKANAだろうと、命はたいせつなものだと思うのです。



№13 会社員株式投資と向き合っていくために

anond:20201116213411

2020年11投稿

株式投資エントリを一度書いてみたいと思いました。それがこの日記です。

投資をやってみたいけど、最初は何をすればいいのか、そもそも投資をすべきなのかわからない――そんな人に向けて書きました。

株式に限らず、投資というのは長い経験必要です。その中で、自分にあったジャンル手法を身に付けていきます。人の数だけ正解があります

いま初心者の方に言わせていただくとしたら、①まずは有名本を2~3冊読んだうえで、②つみたてNISAiDeCoから始めて、③次は自分が好きな商品を作っている会社の株を買い、④さらに興味が出たら仮想通貨まで含めた専門銘柄に挑んでみるのがいいと思います

なお、信用取引FX代表されるレバレッジ取引は、ここでは投資に含めません。

あれは投機です。続けていれば、長期的には必ず一文無しになるゲームです。



№14 元転職エージェント公務員民間企業への転職について語る

anond:20201228205610

2020年12投稿

30才前後の頃はまだ、先に述べたように京都市内で地方公務員をしていました。

理想現実の間には耐えられましたが、自分はこのままでいいのか、30代半ばになったらもう転職はできない、今決めるしかないのでは? といった焦燥と戦っていました。

結局、転職活動をすることにした私は、転職エージェント登録しました。新卒で入った会社リクルート(求人情報誌営業)だったので、リク系以外がいいと思ってワークポート登録しました。

選択できる道筋は、思ったより多くありました。数は相当少なかったです。苦戦しました。

その中でも、半年ほど粘り強く私に付き合ってくれたエージェントの方に今でも感謝しています

最後は、公務員生活で身に付けたスキルを活かせる会社に送っていただきました。

公務員民間転職するコツですが、最初行政折衝や申請事務など、行政経験を活かせる仕事がいいと思います。いったん民間経験を積んだ後であれば、それ以外の民間企業に進む道が開けます

国家公務員現場で働く専門職であれば、地方自治体事務系に比べても転職やすいと思われます

なお、作中に出てくる転職成功者ですが、そういった方々の中で、私が特に知っている人を選びました。

公務員民間というルートを歩まれた方を少なくとも四人以上知っています



№15 社会人になったらどういう風に動画サイトを見たらいいの?

anond:20210204220458

2021年2月投稿

からニコ動派です。YouTubeも割と見るのですが。

この頃は、ニコニコ動画の楽しみ方がわからなくなっていました。

ニコ動が迷走期に入って相応の年月が経っており、変わり映えのしない動画サービスうんざりしていたこともあります

もっと早く、ドワンゴランサムウェア感染していたら、ニコ動ユーザー離れを防ぐことができたのではないでしょうか。ハッカー感謝を、と言いたいわけではありません。あくまタイミングです。

何人かの利用者から、よさそうな意見をいただくことができました。

コメントをいただいた方、本当にありがとうございました



№16 2.5流の大学を出て大手企業に入った自分を許せないでいる

anond:20210301212331

2021年3月投稿

私の実妹が主役です。

私の妹というのは、今にして思えば発達障害というやつだと思います

ASDとかADHDとか、私に診断する資格はありませんが、そういう傾向があったのは間違いありません。

空気の読めないところや、運動が苦手なところ、集中が続く分野が限られるといった特徴がありました。

ただ、彼女は私などに比べると相当マジメで、頑張り屋さんでした。勉強一生懸命やってましたし、学校の成績も学年で一番でした。

しかし……生来ドンくさいところ、要領の悪さが災いして、第一志望の大学不合格でした。合格圏内にはあったようなのですが。

私と同じ大学に行くのが、心の底では嫌だったのかもしれません。第二志望以下の大学に行くことになりました。

そんな妹が苦しんでいたのは知っています。私も妹も、大学には実家から通っていましたので。

私は途中から下宿になりましたが、彼女の頑張りは知っています。苦しい中でも努力を重ねていました。

相当の時間が経って、妹は生まれ変わりました。

社会人として経験を積んだ彼女は、仕事ができる風のオーラを身に付けました。凛々しい雰囲気だったのを覚えています。よりによって、私の新卒時と同じ会社入社しました。なんでやねん😭😭😭

人は変われるものだと確信した経験日記にまとめました。



17 あなた達の政治運動には迫力が足りない 

anond:20210312203939

2021年3月投稿

小学生の頃は、父の実家近くで暮らしてました。

部落解放運動が盛んな地域であり、大人になって知りましたが、ぶっちゃけ被差別部落でした。

集落中央には、それなりの河川が流れていて、鬱蒼とした竹林が茂っていました。住宅改良や道路河川工事痕跡が露わです。

全国部落地名総鑑なる書籍にも、私の生まれ故郷大字バッチリ書いてあります

その頃、いわゆる隣保館において、解放同盟主催する学習事業がありました。

その時に聞いた解放同盟設立の話や、子どもながらに地域単位でそういった政治活動役場の前でメーデーデモをする)に参加したことがあります

あの頃、私たちのことを主導していた解放同盟の人や、旧社会党メンバーの方々がどんなことを話していたのか、自宅にはどういうタイトル書籍等があったかなど、じわじわと思い出しながら当日記執筆しました。



№18 『底本』を教えてほしい

anond:20210331205556

2021年3月投稿

文系日記です。

みんなからアイデアを募るタイプ投稿大喜利のものを読む機会がありました。三大○○など。

私もやってみたいと思い、増田ブクマカの皆さまから意見を募りました。

なお、「底本」の意味が誤っているのは意図的ものです。

今生きている日本語という観点から本歌取り意味ではなく、元ネタになったコンテンツという意味で「底本」を使っています



№19 女性は可哀そうな存在だと思う

anond:20210402211311

2021年4月投稿

公務員時代の思い出です。

いわゆる女子会というものを間近で聞くことがありました。

同じ公務職場の、大人数の飲み会でした。広い居酒屋を貸し切っての若手主体飲み会があったのです。

その会に参加中、座敷でチビチビチューハイを飲んでいたのですが、真後ろから壁越しに公務員女子ガールズトークをしてました。

その時に聞こえた話です。とある女子職員がいて、意中の男性がいたのですが、気持ちに気付いてくれなくて、アタックすらされなくて「悔しい~( ;∀;)」というのが要約です。私がよく知ってる女子職員でした。

の子のことを、ほかの公務員女子がヨチヨチする恰好で慰めていました。あれこそが真のケアーなのではないかと感じました。

当時は、まだギリギリ二十代でした。女性にとっての恋愛の重みがわかっておらず、「へえ、そういうものなんですね~('ω')」と聞き流していました。

ただ、時間が経つごとにそういう恋愛事が気になっていき……この体験は、男女にとっての恋愛観の違いを考えるいいキッカケになりました。



20 市役所で働いていた子をITコンサルスカウトしたら指名停止になったことがある

anond:20210416221456

2021年4月投稿

こちらも公務員時代の話です。当時はふるさと納税黎明期でしたが、一部の市町村政令市県庁クラスはすでに参加を決めていました。

私が勤めていた役場にも、地域を盛り上げるような名称部署があって、とある女性職員が配属されました。日記主人公の子です。

の子は、正直仕事ができる子でした。高校を出て数年しか経ってないのに、地域おこし事業事務事業担当者になりました。

高卒枠で採用公務員だと、たまにバケモノ級の兵がいます

女の子事務だけやっているとかではなく、上司の方からキッチリ権限をもらっていました。

その道のコンサルタントであるとか、営業会社であるとか、京都を盛り上げるための○△協議会役員級の人とか、いろんな人がその部署の窓口に行くのですが……彼女がサシで来庁者を相手にしてました。

日記中の「ふるさと納税」はフェイクです。地域おこし・地域づくりというジャンルは同じです

そんな彼女ですが、事務事業関係システム周りの契約をしていた会社元請けコンサルに引き抜かれる格好で、転職することになりました。

引き抜きというのは、あくまで弊庁の中での言い方です。断じて不審転職ではありませんでした。同期であるの子の影響を受けて、私は転職を考えることになりました。

彼女上長の人ですが、相当憤慨していました。「あの会社指名停止総務部に言うとく。ほかの自治体にも、一応国にも情報共有した方がええわ。やっとくから」と発言しています



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【閑話②】これまでの投稿履歴

投稿数その他をカウントしてみました。

増田は1ページにつき25件表示です。

私のホームでは17ページ分あって、短文や返信コメントを除くと12ページ程度。

12*25≒300本が投稿数です。実際、この中で二千字以上でフィルタすると、約150本が残ります

残り150本は? と聞かれると、自分でもよくわかりません。発言小町やYahoo!知恵袋や、Quoraなど、

私が投稿している他サイトの流用物とか、大喜利ネタとか、皆さまへの短文質問とか、そういうものと存じます

ブックマーク数は……? と気になったのですが、当方エンジニアではないため正確なカウントができません。

少なく見積もった場合、延べブクマ数は約7万~8万です。

ところで、「本当にあなたが書いたの?」という疑問はあると思いますが、「いや、これは私が書いた」という人が出てこないことを証明材料としてください。いざとなったら、日記本文を編集することで証明します。

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2024-05-15

anond:20240515201511

1970年代部落解放運動は、自民党系の自由同和会、当時の社会党系の部落解放同盟

そして共産党系の全国部落解放運動連合会が主要3団体だった。

自由同和会部落解放同盟が、わりと利権目当て寄りでどんどん暴走していったけど、

共産党の全国部落解放運動連合会清廉潔白で人気だった。

部落解放同盟過激路線で、他の団体との共闘を認めなかったのもあって、

部落解放同盟が残らず、共産党系の全国部落解放運動連合会だけになった部落も少なくなかったという感じ。

2022-03-20

anond:20220320121639

被差別部落出身者が実家にそうではない低所得層の友人を連れていって彼に暮らしぶりを妬まれたって話を読んだことがあるし、部落解放運動の熱心な若手がプライベート外車(といっても当時大人気のエイティーズのBMW3シリーズという安物だが)に乗ってるのを運動内部の年配者連中から咎められてた(ブルジョアみたいな真似すんな)という話を親からいたこともあるから、一概に決めることはできないとおもうやで

2021-03-24

anond:20210324133314

部落解放運動にせよ団体はあって会員の意見を集約した上で政府交渉してたんですが。同和3団体ってご存じない?

anond:20210324132641

選挙権にしても部落解放運動にしても過激運動がなければ成立しなかったという歴史があるから

いままで正論で変わってきてるならともかく、巨大な組織ってのは出来る限り今の状態を変えないように振る舞う自己保存的な性質をもってるのは歴史的にも明らか。

2021-03-12

被差別部落とは何か

https://anond.hatelabo.jp/20210312203939

本文がどうしても途中で消えるため、追加部分として分けた。



部落問題は、根が深い。かといって、そこまで複雑なものではない。

時代政権が正しく対処していれば、部落解放同盟といった組織存在することはなかったし、また存在しているべきでもなかった。

被差別部落は、歴史が積み重なったエリア代表的ものとして京都。あるいは「府中」が付く地域など)に多く存在する。

平安時代以前に、そのエリア特定民族(土着系、中国系朝鮮系マレー系ほか)が住み着いて生活を営んでいたものの――何らかの原因によって、とある民族一派が生活圏を追われた結果として生まれたのが、伝統的な意味での部落だ。

すなわち、戦争政変自民族が敗北する、ある者が重大な罪を犯す、心身に何らかの異常があるなどにより、生活やす都市部を追われた者たちは、山地や川べりなどに住まわざるを得なくなり――そこから普通人間忌避する穢れを含む多くの仕事(食肉、葬送、処刑、皮革加工や汚物処理)を行うようになり、やがては専門的、特権的職業分化していった。

明治以前は、そうまで貧しくはなかったようだ。彼らが町人生活必須な物を売ったり、公共サービス提供していたこと、税金免除されていたのも大きい。

だが、維新によって明治政府が生まれ西欧に倣った近代的な理念法律社会に浸透すると、四民平等の名の元に、彼らにも課税がされるようになった。加えて、近代産業伝統的な部落民の仕事を奪うようになっていき、彼らは貧困にあえぐようになった。

当時の政府は何らかの手を打っておけばよかった。しかし、何も手を打たなかったので、部落に住む人々は貧しい時を生き残るために集団の結束を高めた。家族間や親族間での助け合いはもちろんのこと、その地域に住んでいる全員が全員を認識できるほどに。そして、彼らの結束は、やがて一般社会への怨嗟を募らせる方向へと動いていった。

昭和の中期になり、国民人権意識も向上していき、部落解放運動が盛んになるなかで――部落に生まれた人々の恨みが爆発した。彼らは、一般社会への恨みを持ち続けていた。復讐したいと考える者が多数いた。だから、あそこまで過激な、暴力を伴う運動に発展した。

令和の時代に、その人が部落出身かどうかを気にする人間は少ないだろう。部落に生まれようと、生まれまいと、その人の人生に何らの影響もないかである現代都市環境においては、その場所被差別部落だったかどうか、一見ではわからなくなっている。※道幅や道路改良の跡でわかることもある。山地や川べりにあるタイプ部落も、分かる人間であれば判別がつく。

部落というのは、文化的意味では、もうほとんど存在しないといっていい。しかし、人はタブーに惹かれる性質を持っている。「穢れ」という概念は、今の時代を生きる人間も持ち合わせている感覚である(人が触ったパンや米粒は食べたくないはずだ。安全性保障されていたとしても)。だからインターネットなどでは、若い人達部落について語り合うことができる。彼らは、昔の人々がどのような「穢れ」を持っていたのか気になるらしい。

被差別部落に生まれた一個人として、現代人の意識から、この「部落」という言葉がいつの日か消えることを祈っている。いずれは完全なる死語となり、教科書の中だけの言葉になることだろう。子どもの時分から解放運動に携わってきた者として、そんな未来を望んでいる。

あなた達の政治運動には迫力が足りない

フィクションです

主人公子どもの頃の近隣住民



https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=730608&comment_sub_id=0&category_id=256

小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員部落解放同盟広島県顧問

 解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である自分政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。

 上のニュースの人は、かつて解放同盟事務方トップだった方だ。昭和7年に広島県東部被差別部落に生まれ中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。

 私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。

 私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。

 それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。

 私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。



 さて、表題意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。

 言葉どおりの意味だ。特に伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。

 企業ごとの組織率は低下し、労働者組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋希望(半強制退職蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というもの事実上消滅していてもおかしくはない。

 また、高校大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校ルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子ども大人のいいなりになっている。

 反対に、成功しつつある政治運動もある。

 近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせ公共の場告発することをいうようだ。

 日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。

 LGBT社会運動も、社会価値観を変革しつつある分野のひとつだ。

 大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から同性愛者としてのカミングアウト文学活動デモ行進芸能界での活躍自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。

 以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイレズビアン人達を描けなくなっているだけかもしれないが。

 これらの成功している政治社会運動には、共通する点がある。

 相手の痛いところを突いていることだ。

 この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。

 特に組合関係団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。

 意図的給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。

 それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。



 話が逸れた。

 相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。

 高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味

 その教師は、部落に住んでいる人間馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。

 どれだけ悲惨生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。

 家族食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。

 さて、その男言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。

 その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。

 このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかからない。しかし、協力をしたかった。

また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。

 次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。

 さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。

 翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区解放委員会役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたかである

 その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったこから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。

 この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。



 今度は、少し規模の大きい話をしよう。

 それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落生活文化的環境改善するという一連の政策国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。

 K君の事件きっかけにして、私は解放委員会正式に加入し、高校社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。

 ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。

 寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。

 当時、私が所属していた団体幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。

 発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。

 彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。

 とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話からまり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。

 後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。

 数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。

 まずは、各自治体の教育委員会オルグ実施した。

 あの時のK君のように、各市町の教育委員会庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識もつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。

 庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。

 場所関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所入り口だろうと、学校門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所関係なかった。

 かつて、私たち基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。

 議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。

 これまでと同じように、これまでと同じだけの金額子ども達への教育活動個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。

 私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。

 それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。

 「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。

 さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。

 私たち勝負に勝った。

 相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。

 上記場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内支部巡りに最も時間を要した。

 人が集まり相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察通報されることだ。特に要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。

 今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対暴力行為脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。

 私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動オルグ最中通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。

それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治社会運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。

 時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間政治運動はできない。それだけのことだった。

 ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。

 県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。

 逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。



 最後になる。

 相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーデモを挙げたい。

 アウンサンスー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?

 武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。

 経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的思想制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。

 アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。

 民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義アピールする。

が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年デモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。

 民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念である世界各国から評価が低下することを気にかけず、民主派指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサン自然死を狙うメリットの方が大きい。

 もし日本が、ミャンマーのように危険状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?

 その問題に直面していたのが、私が生まれ時代よりもさらに昔、明治以降被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?

 多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的意味に限っては)被差別部落問題解決した現在に至る。

 あなた人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。

 40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。

 あなた幸せのあらんことを。

2019-10-08

今日関電関連のニュースから部落解放同盟Wikipediaページを読んでたんだけど、全国部落解放運動連合会との争い事とかの記述を読んで、やべえなーという感想しか出なかった。

2019-05-26

なぜヴィーガンにこんな苛烈な反発を感じるのか言語化してみた

嫌いもちゃん言語化しなきゃだめだよな

世の中のアカウントの代弁というか分析をして、

最後自分精神分析コメント的に残してみよう

 

捕鯨運動っぽくて嫌

 

かつて日本が集中的に叩かれた反捕鯨運動に近い匂いを感じて嫌って説。

普段愛国っぽいコメント残すアカウントが反発してるのはこれっぽい

しかマグロウナギの禁漁はこんなに叩かれてないので、

科学的な根拠がある禁漁運動には反発感を得ないらしい

 

俺は愛国精神から反発を感じているわけでないので

この要素は弱いと思う

ただ非科学的というか、情緒的な部分が気に入らないのかもしれない

 

デモ示威行為で世の中を変えようとする人達が嫌

 

しばき隊みたいな暴力集団嫌悪感を感じる人間

肉屋を襲撃したり肉フェス残酷写真を掲げる過激派ヴィーガン手法

反発を感じているパターン

愛国パターンと違って、フジテレビ韓流反対デモも苦々しく思っていた人間

こっちの方に入る

 

かにデモ残酷写真は、目的のために人にストレスを与える行為なので、

これを嫌う人が多いのはわかる。共感を得るためには逆効果だろう

 

ただ、このパターンで嫌う人は、反ヴィーガンのために部落差別なんかを隠れ蓑に使うべきではない

https://otapol.com/2019/05/post-65179.html

(※引用元の人がこのパターンはまっているというわけではない)

なぜならこの手の部落解放運動の面々こそが、こうした暴力的手段で世の中に認められてきたからだ

信念に合わない人間たちを自分目的のために利用するなんて筋が通らないだろう?

 

俺はこの感覚が一番近い。

特にはてサは昔から手段を選ばず暴力的になる傾向がある(いしけりあそび追放騒動とか)

ので、こういう過激派には非常に警戒心が強い

過激じゃないヴィーガンには寛容

子供ペットヴィーガン強要するのは、ちょっと嫌(だがそこまで嫌悪感はない。所詮他人の家だし)

他人が叩いているのに乗りたい

 

大喜利のいいネタが来たと思ってる人

普段社会問題中立的なのに急に降って湧いて出た場合このタイプ

ただ俺の観測範囲でそんなに多数いるとは思えない

まあはてな社会中立人間はいいからだろうけど

どっちかというと、ヴィーガン擁護派(ヴィーガン実践者以外も含む)が指摘している反ヴィーガン像としてよく語られる

 

この手のはあんまり関心はしないけど

別に人は常に品行方である必要はないので俺は気にしない

不謹慎からかいネタなんてネットに大量に転がってるし

 

勉強不足を見下しにかかるのが腹立つ

 

なぜか知らないけど、「お前らがヴィーガンを叩くのは調べもしないし知りもしないからだ」という論調

上から目線で叩く人間が時々湧いてくる。反出生主義も同じ

上から目線はてな日常なんだけどヴィーガンと反出生主義は流石に遭遇率顕著に高くない?

 

ブコメ見てると、論理云々よりこの論調を嫌がるコメ散見される

まあ普通感覚だよな。私見では「トーンポリシング」なるマジックワードが開発されて

これにヒットすると批判の中身を吟味せずに耳を塞ぐ風習蔓延してからネット言論界がおかしくなった気がする

まあこの点は別エントリーで書く

 

とはいえ上から目線で攻められたら更に上からマサカリ投げるのが昔からはてなのしきたりだ

俺はこの方向では嫌いにはならない。ただよそではやるなよ

 

おまけ

 

ヴィーガニズムっていわゆる左派精神と食い合わせ悪い場合が多い

https://togetter.com/li/1194767

のに、今はてサに近い面々がヴィーガン擁護に回ってるのが不思議

2015-02-02

自分のことが最近どうでもよい。

このままの調子で頑張っていくとどうなるかが大体見えて、最大限頑張った状態でもあまり楽しくないであろうことがわかってしまった。

そうすると、天下国家を論じたくなったりする。自分の足元が変わるためにはもう前提条件が変わんないといけないわけだ。

ああ、これが「希望戦争」とか「あべしね」って言い出すのにつながるような気持ちなんだなあ。

私の場合は、ISILに金をくれてやれとかISILにも言い分があるなんて言い出す奴は人類資格がないから皆殺しにしてしまえ、と発言する形で噴出するだろうと思う。

日本的左翼というか安保反対学生運動からのサヨの流れってのは、弱者を見つけ、そいつの味方面をして無敵モードを手に入れ、そいつの敵をぶったたきまくって気持ちよさを手に入れることの繰り返しらしい。佐々木俊尚が「マイノリティ憑依」とか名前を付けてたやつだ。

部落解放運動成田空港訴訟アイヌ沖縄基地反対運動も、「お前関係ないだろ」ってやつが湧いて出たやつの動きは全部これで説明できる。

アメリカ的サヨだと未開っぽい相手を見つけて啓蒙してさしあげるため寄り添いに行って「やーい土人土人、私ってなんて進んでるのかしら」ってやるので全然違う日本的ものだ。)

日本サヨ的感覚からみると、絶対強者アメリカ空爆を受けてる時点で「やった!弱者発見!」であり、「弱者立場に立てばアメリカをぶったたけるぞ!」なので当然ISILの側にたってアメリカはおろか全世界をぶったたこうとするのね。

ISILは近所のイスラム教徒を殺しまくってるっていうのは理解しないんだ。だってそのイスラム教徒多種多様でいろいろな団体形成しているから、まとめてひとつにして味方面をするのが難しいし、味方になっちゃうとアメリカに反抗してぶったたけないもんね。巨大なものの側には死んでもたちたくないんだあいつらは。大きな力を持つと責任が生まれしまうから、つまり無敵じゃなくなっちゃうからね。

無敵になって世界中にあたりちらすために生きてる奴らは世界にとって毒だと思う。全部殺しましょう。

 
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