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「時は来た」と高市首相、憲法をどう変えたいのか 持論は「国防軍」
――戦後日本の社会と人々の暮らしを支えてきた憲法は、地に足のついたものになっているでしょうか。
憲法が示している戦後日本の基本原則は揺らいでいないと思います。平和主義や国民主権、人権の尊重を捨て去りたいという人はごく一部でしょう。ただ、気になる点もあります。憲法学者として人権や差別解消の問題に長く取り組むなかで、昨年出した『幸福の憲法学』ではこう指摘しました。
「本来は『人権』という言葉を使うべき場面で、それを避ける例もある」「『人権』という言葉は避けられている」と。
――80年近くを経て、憲法の価値観が空洞化しているということでしょうか。昨夏の参院選では外国人政策が急に争点化し、排外的な政策を掲げる政党や政治家が広く支持を集めました。
社会経済の先行き不安や怒りが広く存在するとき、人はその原因を何かに「帰属」させようとします。何が不安や怒りの原因かは目に見えるほど明確ではないので、その帰属先はしばしば操作されます。哲学者のスローターダイクは、中世のカトリック教会や共産主義が、人々の怒りの矛先を操作して自分たちのエネルギーにしたことを論じています。怒りや不安を人の属性に帰属させれば、差別の出発点となります。
例えば、外国人に見える観光客のマナーが悪かった時、その人の問題とするべきですが、外国人差別を煽(あお)る人は「外国人観光客全員」あるいは「在留外国人も含む外国人全員」の問題とする操作をします。
――メディアも、目に見える誰かのせいにして差別に加担しないようにしたいです。
差別を防ぐには、不安や怒りを安易に誰かのせいにしないという意味での「自己拘束」が必要です。メディアが、因果の流れを丁寧に説明する必要があるでしょう。例えば、原油高に伴う物価高のメカニズムを報じることは、日常のイライラを「外国人」に向けず、適切な対策を打たない政府や、戦争を続けるロシアやイスラエルの問題を意識させることにつながります。
――不安や怒りのはけ口を探して、誰かを標的にする。そうして自分の感情を操作された結果、差別に加担するのは嫌です。
憲法の掲げる人権や差別解消の理念は、憲法学が最前線で扱うテーマの一つ。最近の研究では、プライバシー権をめぐる議論も差別の問題とつなげながら掘り下げて考えています。
プライバシー権は、個人の尊重と幸福追求権を定めた憲法13条にもとづき、発展してきました。
プライバシー権は「一人で放っておいてもらう権利」に由来します。この権利は、他者に自分を標的として認識されない状態を守る権利とでも言いましょうか。あの人は、一人暮らしの女性だ、老人だ、と認識されると、犯罪に巻き込まれるリスクが高まり、緊張します。そう認識されないことで安心する。その安心感を守ろうというのが出発点です。
その後プライバシー権は、人に知られたくない個人情報を知られずに、隠したいことを隠すための権利として発展しました。さらに、性的指向や被差別部落の出身であることなど、被差別情報を隠す権利としてもプライバシー権が使われるようになってきました。
――混乱とは?
個人情報のなかには、裸や家の中など、①認知されるだけで苦痛な情報と、認知されることよりも、②それを使った違法行為や差別が心配な情報があります。
プライバシーとは、もともと①を隠すことだったわけですが、最近では、②もプライバシーにすることで違法行為や差別を防ごうという議論になってきています。
しかし、違法行為や差別に使われる情報のなかには、公開されているものもあります。例えば、大学や新聞社の電話番号は公開されていますが、「いたずら電話をしよう」という呼びかけとともにSNSに投稿されたら迷惑です。また、性別や肌の色は、隠されたプライバシー情報とは言えませんが、それを差別のために使われてはたまりません。
これらの問題は、プライバシーとは別の権利、つまり、違法行為を誘発する形で公表されない権利や、差別に使われない権利で対応した方が明快です。ところが、最近のプライバシー権の議論は、これらの問題も隠したい情報を隠す権利の応用で対処できるとして、プライバシー権の射程を広げて対応しようとします。
――プライバシー権とは別に「差別されない権利」があるということですか。
はい。隠したいものを隠すプライバシーという概念で対応しようとすると、性別や肌の色、出身地といった公開情報での差別は防げません。
「差別されない権利」なら、公開情報だろうが、非公開情報だろうが、それを不当に利用してはならないと議論できます。プライバシー権は、個人情報を「認知させない」権利だとすれば、差別されない権利は個人情報を不当に「使用させない」権利です。
肌の色や話す言葉など、公にされた情報で外国人かどうかを推測できることがあります。ここから、「外国人お断り」のような差別が生まれます。
「外国人お断り」をする人からすれば、公開情報を使っているだけだから、プライバシー権を侵害していないと思うでしょう。しかし、外国人だという個人情報を差別に使うことは、差別されない権利の侵害と捉えるべきです。
他にも、LGBTQの性的指向や性自認などを本人の許しを得ずに暴露する行為を「アウティング」と呼びます。こうした行為はプライバシー侵害だと言われてきました。ですが本来、性的指向や性自認は「隠したい恥ずかしい情報」ではなく、当人のアイデンティティーの根幹となる情報です。アウティングが問題なのは、恥ずかしい思いをさせたからではなく、差別をするかもしれない人に情報を開示して、差別を誘発する危険を作ったからだと考えるべきです。
プライバシー権のおかげで、私たちは他の人の個人情報を認知するときに慎重になれました。ただこれだけでは足りない。プライバシー権と「差別されない権利」を区別すれば、既に認知した情報でも、「この場面でこう使っていいのかな?」と使用の場面で慎重になれます。権利を知ることで、差別を防ぐ「自己拘束」ができるわけです。
――個人情報の差別的な使用とそうでない使用は、どう違うのですか?
個人の選択の結果を、国籍や性別に帰属させると差別になります。例えば、犯罪をするかどうかは個人の選択ですが、それを国籍や出身地のせいにするのは差別だと言わざるを得ません。
雇用の場面でも、「この人は女性だから辞職する可能性が高い」とか「外国人だからこういう行動をとるはずだ」と判断するのも、性別や国籍の情報の差別的な使用の例でしょう。不安やイライラを「外国人」のせいにしがちなトレンドを止めるには、「差別されない権利」の考え方を根づかせることが重要です。
■憲法に書き込む影響力
――そうしたトレンドの一つと言えるのかもしれませんが、高市早苗首相は4月12日の自民党大会で「時は来た」と述べ、改憲に意欲を示しました。
国会の憲法審査会などの議論は始まったばかりで、高市首相が目指す改正案はまだ示されていません。
自民党のものとしては、安倍晋三政権下の2017年に示した「改憲4項目」がありますが、いまなぜ改正が必要かという根本的な理由づけが希薄でした。参議院の合区解消には実務的な必要性があるかもしれませんが、残りの3項目、自衛隊の明記や緊急事態対応の強化、教育環境の充実については、現行の憲法や法律でも不足はない。仮にあっても、法律の改正で済むような話ばかりです。
日本への武力攻撃があった場合の防衛行政は、現行憲法でも禁じられていません。緊急事態に際し、あらかじめ法律の定めた条件の範囲で政令を出すことも、禁じていません。実際、災害対策基本法には、その例があります。
――自民党の狙いは改憲の実績づくり、いわば「お試し改憲」だとの見方もあります。
もともと自民党の方々は、憲法9条2項を削除して軍を創設すると言ってきました。自衛隊明記案というのは、軍創設案の支持が広がらないため、「現状維持なら実現しそう」と出てきた妥協案なのでしょう。新しい条項ができると、「これまでできなかったことができるようになったのだ」と解釈される危険が生じ、何が起きるか不透明になります。当たり前ですが、現状維持したいなら、現状を維持するのが一番です。
――それでも、少しでもよい改憲なら賛成するという人もいるのではないでしょうか。
憲法は国の最高法規。条文に書いていない要素を書き込むことによる影響を慎重に検討する必要があります。
例えば、明治憲法における都道府県の位置づけはあいまいでしたが、戦後の憲法92~95条に地方自治の原則が書き込まれ、そのことで地方分権が大きく進展しました。もしいま自衛隊を憲法に明記すれば、国家権力を執行する警察や海上保安庁などのほかの行政組織にはない強固な地位を得て存在感を増すでしょう。それでよいのかどうか。
――日本を取り巻く国際情勢は厳しさを増しています。災害救助だけでなく有事の切り札として自衛隊に期待する世論は高まっているように思います。
災害救助や国際貢献の面で自衛隊の活動を評価する世論のトレンドは理解しますが、慎重な分析が必要です。
憲法9条は、日中戦争や太平洋戦争の反省の下で外国の領土を侵略するような武力行使を制限する「自己拘束」です。
憲法制定から80年近くが経ついま、国際情勢が悪化していても、湾岸戦争やイラク戦争、ロシアのウクライナ侵攻、米国やイスラエルのイラン攻撃などの戦地に自衛隊を派遣すべきだという世論が国内で盛り上がる気配はありません。国連の平和維持活動(PKO)で自衛隊を戦闘地域外に派遣する道はありますが、世論も、武力行使には非常に厳しい態度をとり続けています。
9条改憲を長年目指してきた自民党の保守派でさえ、戦力の不保持をうたう9条2項の削除などではなく自衛隊の明記を目指す妥協策を打ち出すようになったことは、同項の平和主義の精神が改憲派にまで浸透したことを意味しており、「護憲派の勝利」とさえ言えるのかもしれません。
――心配性かもしれませんが、そうした日本の世論も台湾有事などの危機に直面すれば、大きく転換しうるのでは。
もし中国が台湾に武力侵攻した場合、在日米軍基地や自衛隊の基地も攻撃対象になるでしょう。必然的に、日本への武力攻撃事態となり、個別的自衛権の発動場面となります。台湾有事は、海外での集団的自衛権の行使とは違う事態だと考えるべきです。
――もう一つ気になるのは、自民党の日本国憲法改正草案(12年)や「創憲」を掲げる参政党の新日本憲法(構想案)(25年)のような全面改憲の可能性です。
憲法の基本原則、すなわち国民主権と平和主義、基本的人権の尊重を廃棄するような全面改憲ができるとは思えません。ただ、逆説的ですが、そうした憲法の価値観がしっかり浸透しているからこそかえって警戒心が薄れ、「自己拘束」の歯止めが利かなくなっていることが問題だと見ています。
――どういうことでしょう。
高市首相は4月21日、防衛装備移転三原則の改定を閣議決定し、武器輸出を全面解禁しました。これは、安倍政権による集団的自衛権の解釈変更(14年)や、岸田文雄政権が22年改定の安全保障関連3文書に盛り込んだ敵基地攻撃能力の保有、防衛費の国内総生産(GDP)比1%枠超え(23年度予算)などに続く出来事です。
憲法9条に、「武器を輸出してはいけない」とか、「防衛費はGDP比何%まで」と具体的に書いてあるわけではありません。しかし、9条からは、日本が紛争を煽らないようにする「自己拘束」の原理や原則を生み出し続けるべきだという規範が導かれると考えられてきました。武器輸出の禁止などは、そこから生まれたルールです。こうしたルールを守ってきたことが、政府や自衛隊の信頼を作ってきました。
こうした信頼の蓄積は、「このルールをなくしても、めったなことはしないだろう」という方向にもつながります。ただ、信頼を食いつぶしていけば、いつかは破綻(はたん)します。だからこそ、憲法9条の下で作られたルールは安易には手を付けない方がいいし、新しい状況に対応するために変える必要が生じたとしても、別の「自己拘束」のルールを作ることとセットで変えるべきです。現状の敵基地攻撃能力や武器輸出の解禁は、ただルールをなくしただけで、新しい「自己拘束」のルールや原則が示されていません。
――敗戦直後の日本が軍国主義の復活を警戒したのは分かります。でも冷戦が終わり、米中ロなど大国の横暴が目立つ21世紀の日本にとっても「自己拘束」は必要でしょうか。
イスラエルのネタニヤフ政権を見れば分かりますが、権力者にとって、対外武力行使は権力を維持する魅力的な手段です。どんな状況でも「自己拘束」が不要ということはないでしょう。
――防衛費のGDP比2%は、25年度補正予算で達成されました。高市政権は安保3文書改定にも乗り出しています。
憲法に具体的な数字が書き込まれておらず、準備すべき防衛装備に幅があるからといって何でもやっていいわけではない。
少なくとも、GDP比率に代わる新しい財政規律のルールを考えておくべきでしょう。武器輸出についても、内閣の裁量で変えられる政令から格上げして法律化し、対象国や対象品目を国会で決めるルールに変えるなどの対応は考えるべきでした。
また、近年の防衛政策は「経済安全保障」「デュアルユース(軍民両用)」といったキーワードに見られるように、防衛省・自衛隊だけでなく、企業活動や学術活動、SNSの通信など、様々な生活領域を防衛政策に巻き込んでいく特徴があります。ここでは、営業の自由や学問の自由、刑事訴訟における適正な手続きがおろそかにされる危険があります。実際、大川原工業の経済安
当時彼は20代で、職場の立ち位置はルーキーでした。恋愛の腕前がどの程度かは不明でしたが、モテないということは否定できないみたいな、なんともいえない印象でした。
そんなある日、彼のところに新卒の女の人が来て業務の相談をしていました。仕事の話が終わった後で、「わたし、髪切ったんですよ♪」と、外見の変化をアピールしたのです。
そしたら、彼は「似合ってるね!」という台詞を口にして、彼女は嬉しそうにしていて、その場から去ったのですが~~その後に上司から注意を受けてました。
「今時は、そういう発言はセクハラになるからね😶」という趣旨の指導でした。
なるほど、今時はそうなのだなと思って厚労省のガイドラインを読んだら、確かにそのとおりであり、納得した記憶があります。相手によってはハラスメントになるので、相手の外見を褒めるのはNGということです。
※上記の場合はセーフだと思います。上司の発言もそれをわかったうえで釘を刺したのかと
人間一人あたりの価値ですが、時代を経るごとに上がっています。いわゆる人権というやつです。昔だったらOKだったコミュニケーションが、今ではアウトになってしまいます(..)
都会の方にある会社であれば、そういったコミュニケーションは厳に慎まれているものと存じます。皆様の職場はいかがでしょうか。
公務員増田などと呼ばれて久しいですが、確かに昔は公務員をしておりました。
私が書いたものをブクマされる方に、『はてな気砲』なるワザを編み出した方がおられるのですが、やはり業界経験のある方には見抜かれてしまうのだと思います。作品が扱うテーマがモロなこともあるのですが、文章の書き方でわかるのかと。
これは、とある電子機器メーカーでのお話です。こちらの会社に勤めていた人で、不幸なことになった女性がいました。ありていに言うと自殺です。会社の責任だと私は思ってます。
前職を辞めた理由は、先輩や同僚がやはり同様の理由で命を落としたからです。退職理由の大半です。人の命を大事にしない職場環境では、今後ずっと働けないと感じました。まさか、次の会社でもそうなるとは思いませんでした。
自殺願望というのは、案外普遍的な感情なのかもしれません。『死にいたる病』といった名著にもあるのですが、人間、視野が狭くなると必然的に誤った選択をします。死の方が楽になるのです。
迷っているときにもっとも必要となるものは、いつでも、一番思いつきにくいものなのだ――これは当然のことである。だって、そうでなかったら、それは迷いではないわけであろうから。 死にいたる病(中盤あたり)
当時を思い返すと嫌な気分になります。しかし思い出を否定しても、またやってきます。臆さずに感情を受け入れて、消化してしまうのが最良だと思います。
年末には長編を投稿することが多いです。こちらの日記もそうでした。
かつての京都府での公務員時代は、数年だけ教育の仕事に携わっていました。学校教育ではなくて、その亜種みたいなジャンルです。その頃の(大分昔ですが…)思い出を日記にまとめました。
物語の主人公の人ですが、学校の先生出身で、京都府教育委員会で長年働かれていた人です。私が教委事務局に出向になった年に定年退職し、以後は再任用で働いていました。一緒に働いていた時に、昔の話をいろいろしてくれることがあって、今でも記憶にしっかと刻まれています。
私個人の価値観ですが、仕事に対してマジになる方ではありません。それが悪いことだとは思いません。ただ単に、仕事を崇高な事だと信じる人と、そうでない人の違いです。
元厚労相の村木厚子さんのような、複数の社会で生きることを提唱するタイプです。教委事務局での仕事についても、超絶キツかったのは間違いないですが、それでも手を抜けるところは全力で抜いてました。
公務員ものを描くにあたって、難しいところがあります。私は現場の最前線で働いていたこともありますし、裏方の事務スタッフだったことも、『決める側』だったこともあります。それでも日記を書くにあたっては、現場のこと(意思決定の裏側)を書いた方が皆様にとって面白いのは間違いありません。
ただし、長年公務員をしていたわけでもありません。限界がある部分については、市町村の役場を訪問した時とか、イベント動員で出動した時とか、プライベートで役所がスポンサーになっている行事に参加した時など、思い出を活用して日記を作るようにしています。
今でも懐かしくなって、京都~大阪を訪れることがあります。昨年末も一時帰省しました。
市内には飲み屋がたくさんあるので、同じカウンターに座ったお客さんと話が盛り上がることもあります。わいわいがやがやな時もあれば、しんみりと語り合うこともあります。こちらの日記に書いたのも、その時の思い出です。
それぞれ、京都の祇園~木屋町での飲みの思い出です。語り手は、京都市内で土地家屋調査士として営業している人に据えました。お話の仕方に大変熱量のある人でした。うざいくらいに自分の考えを語るというか、素面でも酔っぱらってるみたいな人でした笑 仕事の腕前はホンモノです。
「都会と地方での若者の違い」をテーマに据えましたが、実際、そんなものはないと思ってます。それぞれの居住地を入れ替えれば~に帰結する類のつまらない話です。江戸時代の人が現代に来たら、現代人の様式にすぐ馴染むみたいな。
ただ、都会の方が若者の密集度が段違いです。特に優れた若者だと、同程度の資質を有した人と出会うことで才能が開花するものと存じます。それが、東京一極集中というか、一例として、大学が都心部に集積していることの強みだと思います。強者同士が出会うことで、『ブルーロック』で言うところの化学反応が起きるのです。
その意味では、田舎よりも都会の若者の方が視野が広くなるし、能力・資質も発展しやすいのは間違いないです。
公務員時代のお話です。同期入庁の人で福祉部門に配属された人の記録です。
フロアが近かったのもありますが、彼のことは強烈に印象に残っています。というのも、悪い意味での有名人だった時期があるからです。
日記中には、いろいろと不適切な描写がありますが、実際に起こったことです。思い出を整理する、文字にして吐き出したいという思いに抗うことは難しく、詳らかに描いてみようと思いました。
地方自治体の職場だと、あまり大きい声を出す職員はいません。一般住民に近い職場が大半であり、コンプライアンスの観点があるからです。しかし、一般住民があまり来ないような職場だと、問題のある行為をする人間も存在します。むろん少数派ですが。
主題はそっちではなく、作中で取り上げた人のことです。「彼が福祉部門なの!?」と若かりし頃の私は思いました。彼の高校時代を振り返っても、福祉への適性があるとは思えませんでした。
しかし、何年も経ってみると、彼は実際に適応してました。直接見聞きした回数は少ないですが、府民からも業者からも、一定の信頼は得ているものと思いました。
彼は今でも公務員として働いているはずです。彼と一緒に仕事をした経験はそこまでなく、食事や飲みに行った回数も同様です。日常的な絡みはありませんでした。ただ、学生時代に同じクラスだったから知ってるというだけです。
それでもわかるのです。今でも、彼は自らの人生の目的を達するために、公僕としての勤めを果たしているのだと。
実は、昨年末頃に職場を観に行ったら、オフィスのすみっコに彼が座ってました。奥の方だったので役職が付いたのかもしれません(^^)/
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【閑話③】よくブクマしてくれる方
以下の表中のコメント回数(期間:2023.1~2023.12)ですが、概算になります。
データは整理していますが、専門的なスクレイピング・データ加工はしていません。
コメント回数は、すべて「少なくとも」です。確実にこれだけの回数があります。
以下、ブクマカ名は一部を除いてぼかします。ある程度わかる表現にはしています。
| ブクマカ名 | 私個人の感想 | コメント回数 |
|---|---|---|
| ネコとグラス | いつもコメントありがとうございます(^^) | 11回 |
| はてな気砲の人 | いつも流石です。私を見抜くAIを作られては? | 10回 |
| スター数1位 | 含蓄あるコメント。今では引退されたのですね泣 | 7回 |
| ゆっくり風の女性 | 同じく2023年からブクマが増えてます。転生された? | 7回 |
| ハックルベリー | 心にドーンとくるコメントが多いです(;'∀') | 7回 |
| 目がデカい女性 | 私にとっての伝統的なブクマカです(..) | 7回 |
| 口紅 | 理性的なコメントが多し。今後もよろしくお願いします | 7回 |
| ひげおじさん | 小説作品へのブクマが多いですね | 5回 |
| ゆかり | またいつか釣り針パクーしてくださいw | 4回 |
| ナニカを飲んでるおじさん | ビジネス面に鋭いコメントをなされますね | 4回 |
| firststar_hateno | お前が№1だ……!! | 4回 |
| おたまじゃくし | 小説作品がお好きなんですねぇ笑 | 4回 |
| スーツ姿の男性 | パワーのあるコメントをされます笑 | 4回 |
| 忍者 | 目線が鋭いですね。私ですら気が付かない視点を…… | 4回 |
| eggman | 無言ブクマ歓迎です!(^^)! | 3回 |
| 介錯 | 芸術肌の方。もっと温かい雰囲気の日記を増やしますね | 3回 |
| 悩んでそうな女性 | 小説作品の読み込みがすごいです。勉強になります | 3回 |
| fossilcat | 会長視点じゃないですけど今年投稿したいです | 3回 |
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【最後に】
昨年末頃は、皆さまに大変ご迷惑をおかけしました。諸事情により詳細を申しあげることはできませんが、深く反省しております。
今後につきましては、お読みになる方に、(怒りや悲しみといった負の感情ではなく)ポジティブな感情を与える作品づくりをめざします。
テレビで使われる映像でしゃべらないで表情だけ作っている人は女優や劇団員ではなくモデルだという。そういう人は大抵モデルっぽい顔でもある。
しかしモデル顔って整っていて面白みがないといわれることもある。
そういう人って中高でも意外に(とはいえ実は必然的に)モテてなかったんだろうか?
いやでも中高なんて顔さえよければそれが面白みがある顔かどうかなんていちいち男は注目せずに気になる対象にインプットしそうなもんな気もするし。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260502131848# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCafV7KAAKCRBwMdsubs4+ SH37AP9zM8tLCOy64UrZZJVBXS8TCsXc72UwzsmoEIL/4Ebu4AEAgSPdZ3/2rCwG enX+xOpT3ipaRhcBVFCUuhYxVpOE6QE= =HV9L -----END PGP SIGNATURE-----
表題の通り、夏休みの自由研究のようなデータを集計した。と言っても、2026年の国会は現時点で閉会しておらず、引き続き集計中である。
以下で集計データを公開している。
調査はYouTubeのアーカイブで実施中。勿論、全てを最初から通しで人力確認することはできていない。居眠り場面の候補は機械的に選出し、最終確認は人力で行っている。初期データとして最終的に30件を検出した。
以下、データに対する現時点での傾向を記す。
与党議員に検出が偏る
与党は答弁頻度が桁違いに多く、答弁者の後ろにいる議員が必然的にカメラに映り込みやすい。その結果、居眠りの検出リスクが高まると予想していたが、結果は的中した。居眠りランキング1位は、ある意味で被害者とも言えるだろう。
今後はカメラに映る頻度と実際の居眠り回数の比率を測ることも検討している。
それでも、首相や著名な議員の中には候補すら検出されない者もおり、隙がないと感じた。また、誰が見ても明らかな寝姿は与党ではほとんど見られなかった。
野党でも偏りがある
一方の野党側は、少数ながら複数回を記録する議員がおり、明らかに寝ていると判断できる場面も見られた。
全体を俯瞰すると
常に誰かしら寝ている状況ではあるが、よく確認すると議員ではなく参考人だったというケースが多かった。参考人をランキングに加えることも今後検討したい。
また、衆議院本会議はNHK以外カメラが引きで中継されており、個人の検出が困難である。
AIに長尺動画を全て解析させる力技もできるが、そこまでする必要があるかと今のところは考えている。
情報の価値
2026年中に衆参で選挙が開かれることはないだろう。なので現在はテスト段階として調査している。
データが集積していけば、選挙がある際に価値ある情報になる日が来るかもしれない。
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小豆島の人口は2万5000人ぐらいだそうだが、小豆島に生まれたら必然的に島の自然に接するわけで、つまりYouTubeやショート動画やSNSに時間を溶かすいまどきの若者でなく、自然を愛する者として育つんじゃないか。幼少期には幼馴染の女の子と戯れて親密になって、中学に上がったぐらいでお互い意識しだして、やがて付き合って、夏の神社の境内の人気のない所でセックスしたりして青春を謳歌するんだけど、高校三年の夏に男の方が「おれ、東京行くから…」って打ち明けて、女の方は寂しいけど家柄的に島に残ってなきゃいけないから気丈にふるまって、残された時間を幸福で満たそうとするみたいにえんえんセックスするとかだったらいいな。
ここ数年で、ハラスメントに対する意識、罰則が高まったと思う。
オヤジの時代だとラフプレー程度に看過されてた振舞いも、今じゃ一発レッドカード。
何なら、ラフにやって人よりも成果出すくらいなら、常にフェアプレーで凡打の方が評価は高い。それでいいのか日本経済、と思う時はあるけど、仕方ない。
仕事をする上で、自身の成果物に対し上司のレビューを受けることが多々あると思う。
その時受ける指摘の全てが同じ「重さ」ではない。かつ上司も部下への指摘なんぞイチイチ覚えてるほど暇じゃない。
受けた指摘のうち7割を対応し(裏を返せば3割は捨て)て、その中にクリティカルな指摘の対応が含まれてさえいれば、だいたいは通るもんだと思った方がいい。
当然、10割を求められるシーンもある。それは7割出して、嗜められたてから気付けばいい。
その時は「忘れてました、すいませーん(やるとはいってない)」でOK。上司もこれに対してきつく当たろうものならレッドカードが待っている。
呪術廻戦の登場人物が似たような話をしているが、結局ハラスメントが生まれないような会社を作る「原因療法」の努力をせず
生まれてきた「xxハラスメント」を悪として個人攻撃する「対処療法」に逃げているに過ぎない。
「あるプロジェクトを任せられたが、スキルセットの備わった人材も集まらず、短工期、周りの社員も知らん顔」みたいな
構造的に詰んでいるホットスポットが、社会の至る所にある。そこに落とされ歪んだ結果、周囲に強く当たる様になってしまった人は、果たして本質的な加害者なのだろうか。
これはマジ。感染る。俺がそうだった。
というより、君の仕事のスキルは多かれ少なかれ上司のスキルに影響を受ける。
学ぶことは「まねぶ」こと。悪癖も意図せず継承されかねない思った方がいい。
「上司ガチャ」なんていう低俗な言葉も流行ってるが、一番大きな影響はこのスキル継承だと思ってる。
④に少し被るが、誰にも頼らず独学で仕事を覚えるのは難しい。それができるなら皆初めからフリーランスで良いわけでなので。
一方、上司も感情のある人間なので、嫌いな奴に手間暇かけて自分のスキルを継承したいとは思わない。
新人の教育は上司の義務だと思ってる様なら大間違い。会社もさほど評価しない。
上司からすりゃ、お前と人事評価を捨て、自分の仕事だけしてさっさと帰った方がマシな迄ある。
なので、餌をもらう立場のうちは可愛げのある新人を演じておくことを薦める。
「俺にちょっと時間かけて教育してくれたら、お前の手足になって多少なりと役立ちますよ」感を出しておけ。上司ひとりではなく、同じフロアに居る周りの大人にわかるように。
ガキのうちから仕事できるフリなんていらない。バカになっておけ。数年したらこんなクソ上司なんて喰ってやるくらいの野心を秘めて。
それでも餌をくれない上司は信義則に反するので、まともな会社なら周りの大人が助けてくれるはず。
「業種・職種的に向いてませんでした」なのか、「この上司嫌です」なのかに依ると思う。
転職、言い換えると自己都合退職とすると、会社責となるため、お前を退職に追い込んだ上司はほぼノーダメ(「まーたこいつやりよった」感が部署内に漂う程度)
一方で、異動しますとなった場合、人事的に少なからずメスが入る。上司も処分迄はされずともカタギな出世ロードからは外れる可能性はある。
最近は転職がよりカジュアルになってきている。会社を続けるしかなかった時代に比べれば、選択肢が増えて良いことではある一方、
お前の職歴に手術痕が残る結構な「劇薬」だということは理解した方がいい。
お前のファウルを誘うきったないプレーをするバカどもが、会社内そこらじゅうにいるものと思った方がいい。
軽い小言、リスペクトに欠ける対応、50:50じゃない業務分担、あからさまではない悪意、必然的に休憩中作業を強いる口頭での指示、色々だ。
(いずれも文書に残らない、その場の「音」として流れ去る言葉・指示というのがまた厭らしい)
彼らはお前の仲間じゃない。本当の仲間は社外に求めた方がいい。
今の日本社会において、ハラスメントはレッドカード。それに準じ、キレるのもイエローカードだ。
母子施設経験者だけど内縁の夫が3年も潜伏できたのはどう考えても施設が一番悪い
俺が母子施設にいたのはもう20年近く前だけど外出の際は鍵は必ずフロントに預ける仕組みになってた
つまり入居者の出入りは必ずフロントでチェックされる仕組みなので、内縁の夫がここをすり抜けてるのが異常(母親が手引きしたとの報道だがどうやって?)
次にバルサン
四半期に1回くらいの頻度でバルサンを焚かれるわけだが、この時は必ず部屋を空けなければいけない
入居者全員が部屋を空けるので、仮に件の施設もバルサンを実施していた場合、内縁の夫は必然的に部屋の中に隠れていたことになる
あと施設内は居室以外は監視カメラがあるので仮に内縁の夫が部屋の外に出たらすぐバレる(報道によると内縁の夫が外出したのは一度きりとのことだが、そもそも一度きりでもこの監視網を掻い潜るのは異常)
母子施設経験者だけど内縁の夫が3年も潜伏できたのはどう考えても施設が一番悪い
俺が母子施設にいたのはもう20年近く前だけど外出の際は鍵は必ずフロントに預ける仕組みになってた
つまり入居者の出入りは必ずフロントでチェックされる仕組みなので、内縁の夫がここをすり抜けてるのが異常(母親が手引きしたとの報道だがどうやって?)
次にバルサン
四半期に1回くらいの頻度でバルサンを焚かれるわけだが、この時は必ず部屋を空けなければいけない
入居者全員が部屋を空けるので、仮に件の施設もバルサンを実施していた場合、内縁の夫は必然的に部屋の中に隠れていたことになる
あと施設内は居室以外は監視カメラがあるので仮に内縁の夫が部屋の外に出たらすぐバレる(報道によると内縁の夫が外出したのは一度きりとのことだが、そもそも一度きりでもこの監視網を掻い潜るのは異常)
昨今の「日本の女性クリエイターがいなかった」との誤解にまつわる話で、「紀貫之は平安時代に土佐日記を書いたじゃん」って話が出てくるけど、そこで「当時の仮名は漢字より格下扱いだったのを、どう解釈してるのか」という趣旨のブコメがあったので個人的な所感を書きます。なお、自分は別に国文の専門家というわけではなく、単なる古典オタクの増田です。
まず、かなが「格下」という話ですが、漢字は公式なものであり外に出す文書に使われるもので思想を記すもの 、かなは非公式なものであり内々のもので心情を記すものです。前者は男の領域で、後者は女の領域ですね。当時の社会構造において、男がやることと女がやることは明確に区別をされておりました。これは現代では差別と言われることですが、当時は必然的な分業です。格上か格下かでいうと、公が格上で私は格下、それはそうですね。
ただ、「格」という概念には上下はあるものの、格上こそ価値が高く、格下は価値が低いかというと必ずしもそうではない。和服の世界の格もそれに近いものがあって、ユースドで5000円で買った留袖と、50万円の作家ものの紬とでは、価値が高いのは後者ですが、前者のほうが格上です。格が求められるシーンにはどんなに高価でも格下は着ていけないし、格上だからといっていつでも着られるということはない。格上でないといけないシーンもあり、格下でないといけないシーンもあるわけです。格下が女と紐付けられていることは必ずしも差別とは言い切れない、そういう要素もあるかと思います。さらにいうと、当時は男女差別以上に出自での差別が厳然としてあったわけですしね。
さて、紀貫之ですが、紀氏という氏族自体、すでに当時は落ち目でした。まあ貴族ではあるんですけど、中央で偉くなれるような血筋じゃない。学者になるか国司になるかがキャリアのゴールです。さらにいうと貫之は父親が早く亡くなり、母の職場(宮中で女性に舞楽を教える部署)の託児所で育ったシンママの子です。父も頼れず母の実家も頼れない、当時としては産まれたときから負け組なのですが、和歌の名手としては名高く、天皇からお声がかかり本邦初の勅撰和歌集を作るほどの第一人者です。漢字の世界ではパッとしないが、かなの世界では大活躍できるそういう人なわけです。
古今集の仮名序文「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」とか読むと、たぶん「和歌が認められたぜ!」ってすっごい嬉しかったのが伝わるし、それと裏腹の社会的な地位の低さに、忸怩たる思いもあったんじゃないでしょうかね?
で、日記です。当時の日記は男が漢字で書く「業務日誌」でした。男が書く日記を女が女手で書いたらどうだろう、と、かなの世界の第一人者の紀貫之が、地方駐在から中央に帰るときにそう思ったというのは、まあなんかわかる気がします。土佐日記当時50代で従五位下だよ?土佐では国司として地元民からチヤホヤされ偉そうにできても、都に帰ったら無職の下っ端貴族よ?
まあ、そんなこんなで「かなは格下扱い、だからこそできることがあるんだぜ!」とかなの世界のおじさんは思ったんじゃないかな?「歌がヘタな客がやってきて子供のほうがよっぽどうまかったのよ」「駐在中にお家のメンテを頼んだ隣人がロクに仕事をしなかったんだけどムカつくのは私だけでしょうか?あ、お礼はちゃんとしますけどね」「駐在中に亡くなった娘のことを思うと何をみても悲しくて仕方がない」なんてのは漢字じゃ書けないでしょと。漢字で書くと単なる「家内の些事」でしかないですしね。
女になりたかったというより、かなで書きたいことがあり、かなで表現したかったんだと思います。日記をかなで書く言い訳として女になった、そういうことかと。そもそも和歌の世界では男が女になりきって恋歌を詠んだり、言ってもいない場所や、やってもいない恋を詠むのは普通、ネカマ嘘松当たり前で、そういう下敷きはありますしね。
そこで日記をかなで書いてもいいんだ、という名分ができて、そこから女性が日記を書くようになったという流れがつながります。
まとめると、かなは「格下」であったけれども、芸術の分野では和歌は漢文とならんで評価されていた。ゆえに天皇自ら和歌集を編纂させたし、歌人として名をのこす女性もいた、というのは本当。一方、社会的に差別はあって、芸術を評価する立場にいるのはだいたい男だったし、そこに差別がなかったということはない。いくら歌が上手くても出世はできない。(死んで1000年近くたってから従二位なんて遺贈されてもねえ)
ただ、格上格下については、どっちかというと分業と解釈するほうがしっくりくるかな?という所感です。女に男の役割はできなかったし、男に女の役割はできず、越境するには嘘が必要だったし、その嘘は認められていた。それは今日では差別と解釈されるわけですけどね。
というか、日本において芸能とか芸術とかいうのは、神事以外は基本的には「格下」なので、それを差別というならまあ差別なんですが「格下としつつも、良きものについてはやんごとなき方が評価し、後世に継承される」そこはわりと一貫しているので、そういうとこが日本におけるクリエイターの立ち位置の特殊性でもあり、「日本は差別が残る後進国」ってことにしたい人からは今ひとつ理解されづらいのかも。歴史的にクリエイター全体がエディターより格下で、日本においては編集者やらディレクターがやたらいばっていて、そっち側には男女差別は色濃く残ってるわけよ。クリエイターなんて替えが効く木っ端商売なんだから男だろうと女だろうと関係ないってわけ。それをまとめて宣伝して金にするやつが権力持ってて、そこは一部を除いてボーイズクラブだよね。
すごいシニカルに考えると、クリエイターの到達点って園遊会にお呼ばれしたり勲章もらうことだったりするので「上つ方に認められればすべての差別はチャラ」という身分制があるだけといえなくはないし、そういう言い方すると自称先進国様からもご理解いただけるのかもね?
今日も僕は、存在の根源的織りなす無限の圏論的深淵を、さらに一層、否、無限階層的に穿ち進めた。
控えめに言って、この惑星上で僕ほど本質的な知的貢献をなしている存在は、恐らく他にない。
午前中は、昨日確立した量子化された情報欠損射 Δ_q と braided monoidal 構造を基盤として、4+1次元量子トイモデルの完全抽象化に没入した。
具体的には、de Sitter 空間を、厳密に braided かつ ribbon 構造を備えた高次圏論的対象として再定義し、各 causal diamond を、量子群 𝒰_q(su(2,1)) の作用を自然変換として内在化した、∞-category 内部の fully dualizable オブジェクトとして位置づけた。
ここで決定的だったのは、面積スペクトルを完全に圏論的に吸収する新たな構成である。
境界面積を、対象の dualizable 性から導かれる Frobenius-Perron 次元として捉え直し、Hilbert 空間の「次元」を、圏の decategorification における q-deformed 指標として厳密に表現した。
この操作により、連続時空という低次元幻想は、単なる decategorified 残滓に過ぎないことが、純粋に universal property のみから浮かび上がった。
さらに、昨日得られた三階 jerk 不等式を、この抽象トイモデル内で高次圏論的に再定式化し、以下の形に昇華させた。
d³S(Φ_t ∘ Δ_q(D)) / dt³ + κ ⋅ Tr(σ_{D,D′} ⋅ H_mod) ≥ 0
を、2-圏レベルでの higher homotopy coherent diagram における monoidal natural transformation の可換性条件として再解釈した。
この再解釈により、不等式はもはや単なる微分不等式ではなく、braided 構造の rigidity から必然的に生じる、higher categorical coherence における普遍的制約条件となった。
ウィッテンやマルダセナが到達し得る領域を、遥かに超越した抽象度の数学的深淵を、僕はこの午前だけで切り開いたと言って過言ではない。
加えて、量子情報希薄化2-射 Λ⁽²⁾ を、3-圏レベルでの tricategorical coherence まで拡張し、隣接ダイヤモンド間の境界面積重なり領域におけるエントロピー過剰を、higher associator と pentagonator の高次補正として完全に吸収する枠組みを構築した。
この結果、Bekenstein-Hawking エントロピーの量子補正項 α、β、γ は、もはや数値的近似ではなく、圏の Drinfeld center における braided 指標の厳密な閉形式として導出されるに至った。
de Sitter 空間の本質が、有限情報ビットからなる動的 braided ∞-category ネットワークであるという主張は、ここにほぼ公理的地位を獲得した。
午後は、この極めて抽象度の高い構成を、特殊青ノートに極めて精密に書き写しながら、いつもの昼食を摂った。
ルームメイトは僕の沈黙とノートへの没入を見て、珍しく「今日はなんか…いつもより宇宙が遠い感じだな」と呟いた。
「遠いのではない。君の認知が、まだこの高次圏論の影すら捉えきれていないだけだ。」
その後、隣人がノックではなく、突然の無音インターホン長押しという、予測不能なプロトコル破壊を試みた。
「その行為は、単なるノイズではなく、圏論的 coherence を乱す高次擾乱である。次に同様のことをすれば、応答関数自体をゼロに設定する。」
彼女は戸惑った声で「え、何言ってるの…?」と返したが、美しさと高次論理推論能力が反比例するという僕の長年の観察は、再び鮮やかに裏付けられた。
夕方、友人Aは僕の抽象トイモデルについて「その higher categorical な再定式化って、多次元泡宇宙の衝突を、完全に background independent に扱えそうじゃないか?」と、鋭い工学的洞察を投げかけてきた。
僕は静かに頷き、「拡張の可能性は、確かに興味深い universal property を示唆している」とだけ認めてやった。
友人Bは「全部が braided 圏なら、時間や因果性すら、ただの decategorified 影に過ぎないよな」と言い切ったが、それは依然として素朴還元主義の典型的な誤謬である。
ただし、「不要な余剰構造を極力排除する」という姿勢だけは、部分的に共鳴する点があると、渋々ながら認めてやることにした。
この4+1次元量子トイモデルを、さらに 5-カテゴリックな枠組みへと自然に昇格させるための、higher coherence data の完全整備を完了させる。
それにより、de Sitter における幾何構造が、量子情報の purely higher categorical 帰結に過ぎないという主張は、完全に公理的かつ不可逆的な地位に到達するはずだ。
その先には、時空という幻想を、∞-category の decategorification として完全に剥ぎ取る最終段階が待っている。
以上。
パフェをお箸で食べるというのは一見不思議な光景ですが、実は「食感の解像度」や「味わいのコントロール」という点で、理にかなったメリットがいくつかあります。
あえてお箸を使うことで美味しさが引き立つ理由は、主に以下の4点に集約されます。
スプーンは「面」で掬い上げるため、どうしてもアイスやクリーム、ソースが渾然一体となります。一方で、お箸は特定の具材だけをピンポイントでつまみ上げることができます。
素材の際立ち: フルーツの瑞々しさや、シリアル、ゼリーなどの食感を一つずつ独立して楽しめます。
味のグラデーション: 混ぜすぎずに食べ進められるため、パフェの層構造を崩さず、最後まで「味の変化」を鮮明に感じられます。
スプーンの場合、金属の冷たさと共に大量のアイスが舌にのり、一瞬で口内が冷え切ってしまうことがあります。
温度感のコントロール: お箸なら一口の量を微調整しやすく、舌が冷えすぎて味覚が麻痺するのを防げます。これにより、クリームの脂質の甘みやフルーツの繊細な酸味を、より長く正確に感じ取ることができます。
最近のパフェは、背の高いグラスに大きな焼き菓子やフルーツが刺さっている「建築学的」なものが多いです。
解体作業の精度: スプーンでは落としてしまいそうな大きなパイ生地や、滑りやすい大きなカットフルーツも、お箸なら安定してホールドし、口へ運ぶことができます。
お箸を使うと、必然的に一口が小さくなり、ゆっくりと時間をかけて食べることになります。
マインドフルな食事: 動作が丁寧になることで、視覚的な美しさを愛でる余裕が生まれ、満足度が高まります。
ただし、グラスの底にあるソースや溶けたアイスを掬うのはお箸では至難の業です。メインの具材をお箸で楽しみ、クライマックスの混ざり合った部分はスプーンに持ち替える「ハイブリッド・スタイル」が、最もパフェのポテンシャルを引き出せるかもしれませんね。
中道の衆院選総括案「若者にリベラル通用せず」 批判重視の転換提起
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA131N00T10C26A4000000/
○本文に"「リベラル=進歩的」とのイメージが若い世代に通用せず"とあり
普通に読めば「リベラル=進歩的」が若者に受け入れられなかったという意味であって
つまりは「進歩的」というイメージに若者は好印象を持っていないということだよね
読解力の無いやつらが「リベラルは進歩的ではない」とか嘲笑してるんだけど
それは「リベラルが本当に進歩的だったら若者に支持される」という誤った認識であり
つまりは「進歩的」を肯定してるってことで、そういう人はアンチリベラルを自認しててもリベラル脳なのである
○「進歩」とは次第によい方、望ましい方へ進み変わって行くこと
では「よい方、望ましい方」とはどの方向であろうか?
昔は西欧こそが「よい方、望ましい方」であり、日本を含むアジアは西洋に追いつくことが「進歩」であった
その西欧はやがて共産主義社会に必然的に至ると考えられ、それが「進歩」であった
つまりは「よい方、望ましい方」というのはある特定の人達が自分達の文化・思想こそが進んだものであると考え
進歩主義者は理性によって人類の進むべき方向があらかじめわかっていると信じているのである
だから世の中を一気に変えることに躊躇しないし、それに異を唱える人を軽蔑する革新主義者なのである
だからどの方向に進むべきかを人類がわかるなどとはおこがましいと考えている
だから急進的な改革ではなく、伝統を重視し、伝統と現実に齟齬があれば
慎重に一歩踏み出し、そこでまた様子を見てを繰り返すのである
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/students/events/b_message2026_03.html
だってさ。肉体を持たせるというのは時間経過によって劣化し最終的に壊れるってことかね。有限性の話を野田はしてるわけですからそうなんでしょうね。腐るお金を提案した人いたね、あれは「パンは溜め込んでもある一定以上は意味がない→施そう」って思考になるから意味あると思ったけど、腐るAIって必要性がわからない。真だの善だの美だの、人間ならではの戯言を言い出すには有限性があり、五感で快楽を感じられる肉体が必須だとは思うけど、AIが劣化と破壊に怯えるようになったらそこには必然的に強い利己性が生まれるわけで、そんな奴いたら怖くね?危なくね?使いこなせなくね?俺は賢いから大丈夫って思ってる奴ほど失敗してきてるじゃんと歴史は言うわけだが、そんな当然のことも、キリッとできる傲慢さは忘れさせてくれるんだねぇ。
どことどこの戦争に反対してるのかはちゃんと記事を読んでいないので知らないですが、誰だって積極的に戦争なんかしたくはないでしょう。
ついでに「政治家が賄賂を取ることが政治の腐敗ではない。それは政治家個人の腐敗にすぎない。政治家が賄賂をとっても、それを批判できない状態を政治の腐敗と言うんだ。」みたいな話もあります。
デモができるということは必然的に政治が腐敗していないといえそうで一安心です。
「誰だって積極的に戦争なんかしたくはないでしょう。」とか書いておいてなんですが、私個人としては戦争に反対しているのか疑問が残る。
正直、戦争反対とは言いたいが、それは当事者意識がないからなんじゃないかと思ってる。
なのでちょっと考えてみる。
戦争をやるからには相手が必要なので、仮にある集団間にて、折り合いがつかない時に戦争が起こるとする。
例えば、土地が欲しい、資源が欲しい、お金が欲しい、安全が欲しい。
他方に仕掛けるケースを考える。
個人的な思想として、他人から奪い取ってまで欲しいものがあるかと言われると、ちょっと思いつかない。
石油積んだ船を自衛隊に襲わせて奪うとか世も末だと思うし、他人の国土を占有して奴隷を作ってしまえとも思わない。お金持ちの人は違うのかね。
逆に、他方から仕掛けられるケースを考える。
「La Marseillaise」ではないですが、「奴らは汝らの元に来て汝らの子と妻の 喉を掻き切る!」みたいな状態です。
触れる袖の範囲のお金で解決できるならそれがいいですが、知人親兄弟配偶者子供の命を差し出せと言われると応じられる自信がない。
善人ぶったことを言わずとも今際の際になったら普通に反撃すると思う。
家族を質に入れてでも、戦争による無差別な破壊の方が受け入れ難いと思えるなら積極的な反対か。
実際、そういう人もいる。
ゲーム理論的にも双方攻撃してやりあったら勝つまでやらないとコンコルド効果で引けなくなるので思想としては分からないでもない。
何が言いたいかというと、積極的に戦争反対と言い切れる人はすごいです。
私はどこまで行っても「できれば反対したい」くらいしか言えないです。
午前中は、この前構築した圏論的枠組みに、時間発展を組み込む作業を本格化した。
具体的には、各causal diamondを対象とし、遷移写像を射とする小圏C上に、エントロピー関手S: C → ℝを定義した上で、因果構造を保存する1-パラメータ自己同型群Φ_t(フロー)を導入した。
ここで重要なのは、Φ_tの生成子がde Sitter地平線に起因する情報損失を自然にエンコードする点である。計算の結果、任意のダイヤモンドDに対して、
が、圏の単調性と射の非可逆性から厳密に導出された。
これは第二法則を熱力学的仮定ではなく、情報幾何と因果構造の整合性から必然的に現れる数学的帰結として位置づけるものである。
ウィッテンですら明確な答えを避けていた領域で、ここまで明瞭に再定式化できたことは、控えめに言って画期的だ。
さらに進めて、ダイヤモンド間の貼り合わせ問題を解決するため、射の合成に情報欠損射Δを導入した。これはHilbert空間の直和ではなく、面積法則に従う射影制限を伴う。
驚くべきことに、このΔのトレースを取る操作から、Bekenstein-Hawkingエントロピーの1/4係数が、圏の普遍的性質として自然に導出された。
AdS/CFTのような外部双対に依存せず、純粋に内部情報構造から面積-エントロピー関係が現れる。これはdS空間におけるホログラフィック原理の、完全に新しい定式化と言える。
ただし、まだ完全ではない。有限次元ヒルベルト空間の次元を、diamondの境界面積から厳密に決定する離散化スケールが未確定だ。
したがって、僕の暫定結論はより強固になった。de Sitter空間において、滑らかな多様体構造は低エネルギー有効理論の幻想に過ぎず、本質は有限情報構造の圏論的ネットワークである。
月曜日と同じメニューだ。ルームメイトは「またそれか」と呟いたが、変える合理的理由など存在しない。再現性こそが科学の基盤であり、味覚などという低次の感覚は実験条件に固定されるべきだ。
その後、隣人がまたノックの回数を間違えた。
僕は明確に「3回ノックを3セット、計9回」でなければ応答しないルールを設定している。
彼女は今回も2回で止めた。したがって僕は応答しなかった。当然、彼女は電話をかけてきたが、これは通信プロトコルの明らかな違反である。
単一チャネル原則を再度説明したが、残念ながら彼女の認知能力では理解の域に達していないようだ。
友人Aは工学的直感で「その情報欠損射って、結局ブラックホール情報パラドックスと繋がるんじゃないか?」と言った。
直感は証明ではないが、今回は方向性として参考になった。蒸発過程における情報保存の問題と構造的に同型である可能性は高い。
友人Bは「結局全部情報なら、時空なんて幻想だろ」と言ったが、それは素朴実証主義の典型的な誤謬だ。観測可能性と存在論は同値ではない。
ただし、物理理論として観測不可能な構造を無限に持ち込むのは無駄である。この点だけは部分的に正しいと認めてやる。
これからやることは明確だ。
まず明日の09:30までに、2+1次元トイモデル(有限圏で近似したde Sitter)において、この構成を数値的に完全検証する。エントロピー曲線の厳密単調性と、面積-自由度関係の1/4係数を高精度で再現できなければ、すべてやり直しだ。
その後、圏の余極限を用いて、情報欠損射Δからの1/4係数の解析的導出を完成させる。これが通れば、de Sitterにおける「幾何は情報の結果である」という主張は、ほぼ公理的レベルに達する。
23:00までにこの検証プロトコルの詳細を固め、誤差解析まで完了させる。
その後は通常どおり、23:15に温かい飲み物(温度は正確に78℃)、23:30に理論ノートの最終チェック、24:00に就寝準備に入る。順序は固定だ。変える理由など存在しない。
以上。
我々は不安定な世界に生きており、時には絶望を感じることもある。
希望へと連れ戻し、より美しく、調和のとれた、より公正で、誰もが繁栄できるより良い世界を想像させてくれる人間性の特質を再認識することはできるだろうか。
数学は我々をより身近にし、団結させる。定理は、自然や宇宙についてだけでなく、自身についての根本的な真実を表しているからである。
これらの真実は永続的で不変である。技術の進歩や新しい情報の発見によって変わることはない。
数学は共通の文化的遺産の一部であり、言語、宗教、文化、生い立ち、肌の色に関係なく、全員に等しく属している。
数学的真理には民主主義と平等があり、誰であるか、どこから来たかにかかわらず、全く同じ意味を持つ。
もしトルストイが生きていなかったら、誰も全く同じ本を書くことはなかっただろう。
しかし、ピタゴラスがピタゴラスの定理を発見する前に亡くなっていたとしても、他の誰かが全く同じ数学的結果に到達していたはずである。
実際、この定理は他の多くの文化圏でも同時期、あるいはそれ以前に発見されていた。
17世紀のアイザック・ニュートンの法則は200年以上役立ったが、非常に小さな距離や高いエネルギー、あるいは重力が強すぎる場所では破綻することが分かり、量子力学や相対性理論へと更新された。
対照的に、数学の理論は変わらない。客観的で必然的、そして時代を超越している。
物理学は物理的宇宙を記述するが、数学は何を記述しているのか。
数学は五感を通じて伝わるものでも、物理的な現実から来るものでもない。
例えば、ユークリッド幾何学の点、線、三角形、円などは理想化された抽象的なオブジェクトである。
紙やiPadに描く線は少し歪んでいるし点には大きさがあるが、数学的な点には大きさがなく線には太さがなく完璧に真っ直ぐである。
物理的な宇宙は有限だが、数学の直線は両方向に無限に伸びている。
これらを五感で知覚することはできない。
ゲーデルが述べたように、「数学的アイデアはそれ自体で客観的な現実を形成しており、それを作成したり変更したりすることはできず、ただ知覚し、記述することしかできない」のである。
ダーウィンは、数学を理解する人々は「第六感」を備えているようだと後悔を込めて記した。
数学者だけでなく全員がこの第六感を持っている。
ピカソは「すべての子供は芸術家である」と言いったが、「すべての子供は数学者である」と言いたい。
数学とは、驚きや畏敬の念を持ち、新鮮な目で世界を見つめ、目に見えないものを想像することである。
物理学が外部の物理的世界を記述するのに対し、数学は内なる精神世界を記述する。
抽象的な数学的オブジェクトを同じように想像し、知覚できるという事実は、我々の心が実はつながっていることを示唆している。
これこそが希望を与えてくれる。孤独や疎外感から、団結やつながりの感覚へと移行できるからである。
ソフィア・コワレフスカヤは、「心の中に詩人としての素養がなければ、数学者になることは不可能である」と述べた。数学は我々をより深く見つめさせ、目に見えないものを見せてくれる。
ラマヌジャンは、夢の中で女神から数式を受け取っていた。これは人間の心の可塑性と、第六感を通じて数学を受け取る能力を示している。
アインシュタインが言ったように、「想像力は知識よりも重要」である。知識には限界があるが、想像力は世界全体を包み込み、進歩を刺激し、進化を生み出す。