はてなキーワード: お題目とは
結局、蓋を開けてみれば数年前の古い動画。
しかも当事者同士は「同意の上の喧嘩」というか、納得済みだったっていうオチ。
それを「今まさに起きているいじめ」として掘り返して、正義の味方ヅラして晒し上げた連中、今どんな気分なわけ?
「弱者を助けなきゃ」「悪者は成敗しなきゃ」っていう、いかにも「善良な市民」らしい正義感が暴走して、ろくに裏も取らずに石を投げ始める。
投げてる本人は、自分が正義の側に立ってるって確信してるから、どれだけ残酷なことをしても罪悪感ゼロ。
でもさ、実際はどうだった?
これ、立派ないじめじゃん。
「いじめを撲滅しよう」なんて立派なお題目を掲げて、熱く共感してリポストしてたネットユーザーたち。
君たちがやってたのは救済じゃなくて、なんら罪のない少年を晒し上げて、寄ってたかって殴りつけるいじめそのものなんだよ。
今回の件で草津冤罪事件に怒ってる連中もフェミ叩きがしたいだけで、行動パターンはフェミニストと同じなんだなって分かってガッカリした。
「悪いやつは叩いていい」っていう免罪符を手にした瞬間、人はいくらでも加害者になれる。
次、いじめが許せなくなった時、鏡見てみれば?
本当に公明党が立憲民主党と一緒になるとすれば、それは公明党の万年野党宣言だろう
この宣言で公明党にメリットがあるとすれば、創価学会員に対して政治から離れてもいいというメッセージ以外に考えられない
これまでの公明党は与党であることで政策実現ができたとアピールし続けたが、これを是とするなら、これをお題目としてしまえば、常に選挙で勝つ必要が生まれる
そのために学会員は選挙になると一生懸命選挙活動に参加し、人間関係悪くなることも顧みずに電話をかけまくる
信心は試され、耐えられずに篩から落ちていった学会員もいただろう
与党としての責任を果たすと言い続けた結果、学会員の公明党支持率は徐々に落ちていった
選挙疲れだ
与党であり続けるために学会員は疲弊し、その疲弊は創価学会への反発につながることもあった
創価学会はこの悪い流れを食い止めたいと考えるはずだ
公明党からの離脱は認めることができても、創価学会からの離脱は認めたくないだろう
だったら与党であり続けることから降りるのは当然の帰結と言える
そもそも与党ではなく野党でも、選挙に負けても一部の政策を通しましたというアピールは十分に可能だ
というのは、自民党は少数与党になる前から安定政権でも野党に対して成果と呼べる餌を与えている
(それを馴れ合いと呼ぶことは可能だけど、全員が妥協するのが民主政治の本来のあり方でもあるので馴れ合い的な部分は残すべきだと考える)
選挙に疲弊して創価学会から離脱されるよりも、野党であり続けることが
以上のことから、公明党による積極的な政治参加が創価学会の基盤を弱くするくらいなら、政治からは少し距離を置き、与党として常勝を求めるのではなく、気軽な野党として意見をする程度の距離感になることを選んだのだ、私はこのように考えている
ご提示いただいたはてなブックマークのコメント群は、記事のテーマである「ミソジニー(女性蔑視・女性嫌悪)」に対する、典型的な反応のサンプルとして非常に興味深いものです。
記事自体が「構造的差別」や「感情のあり方」を扱っているため、コメント欄自体がその実証の場となっている側面が見受けられます。
以下に、記事で定義されているようなミソジニー的な態度、あるいはミソジニーを維持・強化する構造を含んでいると考えられるコメントを分析・分類しました。
記事内の「『物言う女性』に対し、言葉の暴力で排除・制裁する」という指摘にそのまま合致するコメントです。フェミニズムや女性の権利主張を「正義に酔った暴走」とみなして攻撃する態度は、ミソジニーの典型的な発露(既存の秩序を乱す女性への懲罰)と分析できます。
分析: 「イカレタ女」「バカ」といった侮蔑的な言葉を用い、女性の主張の内容ではなく、その態度や存在自体を攻撃しています。これは「弁えた(わきまえた)態度をとらない女性は叩いてもよい」という心理の表れと言えます。
女性を一人の人間としてではなく、性的資源としてのみ価値を認め、人格は否定するという態度は、ミソジニーの根幹にある「客体化」です。
分析: この発言を「至言(素晴らしい言葉)」として肯定的に引用している点に、女性を対等な人格を持つ他者として認めたくない、しかし性的には利用したいという歪んだ欲望(聖女と娼婦の分離、あるいは人格の無視)が見て取れます。
女性差別について語る場で、「男性こそが被害者である」「女性は優遇されている」と主張し、議論を無効化しようとする動きです。これらは「インセル」や「弱者男性論」の文脈で語られることが多く、構造的差別を否定するための防衛機制として機能します。
分析: 女性差別の解消を目指す動きを「男性への攻撃」と解釈し、敵対心を露わにしています。これは記事にある「剥奪感」によるミソジニーの増幅の実例と言えます。
ミソジニーという概念そのものを「レッテル貼り」や「カルト」として処理し、その背後にある社会構造の問題から目を逸らそうとする態度です。
分析: 「嫌悪は自由」と個人の感情の問題にすり替えることで、その嫌悪が社会構造と結びついて差別を再生産している事実(記事の主題)を無視しています。
「ミサンドリー(男性嫌悪)はどうなんだ」と繰り返すことで、ミソジニーの議論を妨害する行為です。これも広い意味で、女性の問題を軽視するミソジニー的態度の一種と捉えられます。
分析: 記事がミソジニーを主題にしているにもかかわらず、男性への配慮が足りないと批判することで、女性差別の議論の重みを相対化しようとしています。
コメント欄全体を見ると、「ミソジニーという言葉で男性を攻撃されている」と感じて防衛的・攻撃的になる男性と、「まさに記事に書かれている通りのことがコメント欄で起きている」と冷ややかに観察する人々(nina19, funifunix, yourmirror など)にはっきりと分断されていることがわかります。
また、u_eichi氏が言及している「ピラミッド図」はおそらく「暴力のピラミッド(Pyramid of Hate/Violence)」のことだと思われます。
この図は、底辺にある「偏見による態度(ジョークやステレオタイプ)」が、頂点の「物理的暴力」を支えていることを示すものですが、これを「幾何学的に非論理的」と批判することで、本質的な「差別の構造」の議論を拒否している点も興味深い反応です。
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ミソジニー(女性嫌悪)の有無という「ジェンダー論的な視点」を一旦脇に置き、コメント投稿者たちの心理的機序、社会経済的背景、あるいはネット文化的な側面から分析します。
こうして見ると、単なる「差別意識」だけではなく、**「公平性への渇望」「経済的閉塞感」「コミュニケーションの断絶」**といった複数の要因が絡み合っていることが浮き彫りになります。
多くのコメントに見られるのが、「ミソジニー(女性嫌悪)があるなら、ミサンドリー(男性嫌悪)も同じ重みで論じられるべきだ」という対称性への強いこだわりです。
コメント例: replier, ken530000, timetrain, OeThousandmiles
分析:
社会学では「差別には権力勾配(強者から弱者へ)がある」と考えますが、一般の感覚(直感的な正義感)では「どっちもどっち」「悪口は双方向で悪い」という対等な対称性を求めがちです。
記事が「女性差別」に焦点を絞っていることに対し、「片手落ちである」「不公平だ」と感じる心理は、差別をしたいというよりは、「自分の苦しみも同じように認めてほしい」という承認欲求や、世界は公平であるべきだという「公平世界仮説」に基づいている可能性があります。
「男だから偉い」と思っているのではなく、むしろ**「男なのに何の特権もなく、社会の底辺で苦しんでいる」**という自己認識を持つ層からの悲痛な叫びです。
コメント例:
naka_dekoboko: 「いまの社会で弱男にゆるされたのってけっきょく憎悪だけ…憎悪だけがエンパワーして力をくれる」
gun_kata: 「実際にキャリアを奪われた若年男性に対してもお決まりの『新自由主義こそが真の敵』みたいな何の意味もないお題目」
分析:
これはミソジニーというよりも、**新自由主義経済下における「持たざる者」のルサンチマン(怨恨)**の表出です。
「男性特権」という言葉を投げかけられても、自身の貧困や孤独という現実と乖離しているため、フェミニズムを「既得権益層(あるいは勝ち組女性)による弱者いじめ」として認識し、反発しています。特にnaka_dekoboko氏の「憎悪だけがエンパワーする」という指摘は、孤独な現代人の深刻な病理を鋭く突いています。
記事で提示された図表や論理展開に対し、定義や整合性の甘さを指摘して拒絶する反応です。
コメント例:
u_eichi: 「頂点の角が鋭角だったり鈍角だったり…正三角形で底辺短=相似で頂点下がるとか、非論理」
golotan: 「アドラー心理学とか精神分析的な言ったもの勝ち感…客観的エビデンスを欠きジャーゴンの羅列になってしまいがち」
分析:
これは**「認識論の衝突」**です。社会学や人文知的な「概念モデル(メタファーとしての図)」に対し、厳密な定義や定量的なエビデンス、幾何学的な整合性を重んじるエンジニアリング的・自然科学的な思考様式を持つ人々が、生理的な拒否反応を示しています。
彼らにとって記事は「非論理的」に見えるため、内容の正誤以前に「信頼に値しない」と判定されています。
「ミソジニー」という聞き慣れないカタカナ語に対し、わざとダジャレで返すことで、話題の深刻さを無効化あるいは回避しようとする反応です。
コメント例: zzteralin (miso=憎しみ), nande_nande_boy (三十路のおっさん), tym1101, asada1979
分析:
はてなブックマーク特有の「大喜利文化」の一種ですが、心理学的には**「茶化し(ユーモア)」による防衛機制**とも取れます。
自分にとって耳の痛い話や、理解の範疇を超える難解な話を、「三十路(ミソジ)」という卑近な単語に変換することで、自分とは関係のない「ネタ」として処理し、心理的な負担を軽減しています。
コメント例: qdkmqJut, trashcan, ET777
分析:
『imidas』が集英社の分厚い用語辞典として有名だった時代を知る世代(おそらく30代後半〜50代)が多く含まれていることが推測できます。
「まだあそこが生きていたのか」という驚きが先に立ち、記事の中身は二の次になっています。これはネット古参ユーザー特有のコンテキスト依存の反応です。
このコメント欄は、単なる「男女対立」の場ではなく、以下のような現代日本の断層が可視化された場であると言えます。
エリート(概念を操る側) vs 大衆(生活実感を持つ側): 「構造」や「ミソジニー」といった抽象概念で語る記事と、「俺たちは今辛いんだ」という具体的な生活実感を持つ読者の乖離。
文系(解釈的) vs 理系(実証的): 社会的な「正しさ」の語り口に対する、論理的・科学的整合性を求める層の苛立ち。
被害者性の奪い合い: 「女性こそが被害者」という記事の前提に対し、「いや、現代では男性(特に弱者男性)こそが被害者だ」と主張する層の対抗。
これらを踏まえると、コメント欄の混乱は、**「共通言語の喪失」と「余裕のなさ」**によって引き起こされていると言えそうです。
「礼儀だとか、なんとでも語ることはできるが、現実の世界は、力、武力、そして権力によって動いている」
いいね。全てがあけすけに、あからさまになるネット時代ならではの発言だ。awakeな人も、もう一度目を覚ましちゃう直球。
来るところまで来た感がある。
思えばもう世界での存在感を失いかけているヨーロッパは、曖昧であやふやなものにすがって、その身を延命させてきた。
あるいはシンク・グローバル、ポリティカル・コレクトネス、多様性、SDGs
もうそれも賞味期限切れで無意味で無価値なお題目だったとバレてしまった。
結局はヨーロッパの、とりわけ一部の上層階級が自らの既得権を守るためだけの茶番だったと皆が知ってしまった。
大航海時代以降、ずっと世界から毟り取り続けてきた奴らに同情などできるはずもなく、
暴力と差別と掠奪と陵辱の象徴である大英博物館やパリのオベリスクなどは、
奴らの墓標に相応しいだろう。
“We live in a world in which you can talk all you want about international niceties and everything else,”
“But we live in a world, in the real world … that is governed by strength, that is governed by force, that is governed by power,”
的はずれなこと言って否定されるのと
「医師」と一言で言っても、実は医師の年代によって全然別の生き物である。
まずここからの話をする上でヒポクラテスの誓いは知っておいてほしい
その上で。
The 「お医者様」 世代。社会的に名実ともにエリート。当時は特権階級だった。法律や司法判断よりも医師の判断や裁量の方が優先された時代。
収入も社会一般に比べて非常に高く、一流経営者や資本家以外には劣後しなかった。
その分あんまり金策とかコスパとか考える必要はなく、儲からない患者だろうがそうでなかろうが、全力を尽くしていた。
科も単に自分の興味とかあるいは周りからの要請(先輩との関係、家業との関係、行政との関係、等)で選んでいた。
入院患者がいたら毎日足を運んで様子を見に行くのは当たり前。自分の生活とかワークライフバランスとか気にしてない。
自分の行動で少しでも患者の生存率とか治療成績が上がるならそれをする、逆に診に行かないことで下がるなら絶対に休まない。
ピアプレッシャーも強い。医局という全国に分散したギルドに所属して認められていないと、そもそも就職できないし開業もできない。
医師免許は基本的に重大な犯罪を犯さなければ失効しないが、一方で、変な治療や振る舞いをしたら医局に睨まれて失脚し実質的に失業する。
だから金儲けのために医療行為をするとか、そもそも治療ではない医行為(美容外科とか)をするとか、発想がないしできもしない。
医師というのは職業の一つではなく「生き方」であり「そういう生き物」として扱われていた世代。
そしてみんなそう生きていたからあまり他の生き方に目を向けない。
JBM (Judged Based Medicine) が始まってきた世代。医師として最善を尽くしていてもいきなり訴えられてトンデモ判決で負けることがある。最悪逮捕すらされる。そういうことを見聞きしてきた世代。
防衛医療の始まり。インフォームド・コンセントが実地で重視されてきた世代(しないと訴えられるから)。
「患者のためにする自分が最善だと思う医療」を提供できないし、してはいけない。診察では裁判所が定めた医療をしなければならないことからくる書類地獄が始まった世代。
この世代から、社会の理不尽に揉まれ、「良いと思うこと」はできないことで、「医者の万能感」は消え去ってくる。
でもメンタリティ的には60代に近い。休みだろうが深夜だろうが毎日病棟には行く。患者と顔を合わせる。
収入もギリギリ「医者=超高収入」だった世代。教授が講演をすれば1発50-100万円、製薬会社が超高級ディナーとかでこぞって接待してきた最後の世代。
マージナル世代。何がマージナルかというと、医師が生き方なのか、ただの職業の一つにしか過ぎないのか、の価値観の転換期。
一番大きいのはこの世代で医局制度が崩壊したこと。スーパーローテ(新臨床研究制度)が始まったこと。
古来医者というのはギルド制に支えられていた。ヒポクラテスの誓いの段階から既に「医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。」と言われている通り、本来は医師のスキルは徒弟制であった。
EBM: Evidence Based Medicineや標準化医療は当たり前の存在であるが、そもそもそれらはそれを吸収するだけの素地ができていないとお題目にしか過ぎない。
医学部を卒業しただけの者がガイドラインをたくさん読んだからって本当のお医者さんにはけしてなれない。「教えてくれる人」の存在が常に必要である。
「医局に入る」というのは「一生仕える師匠たちを決める」重大な儀式であった。実際にどんなに偉いお医者さんでも当時の指導医には頭が上がらず、自分の病院の顧問に招聘するなんてのは(50-60代以上のDrだと)よくあること。
しかし初期臨床研修制度はそれを破壊した。「弟子に学問と技術を伝える」ことは単に「臨床研修指定病院で、役人が作ったリストに基づいて行われるケースレポートを作れるよう(各科が片手間で各自で)指導すること」に矮小化された。
しかしこの世代は後期研修(専門医研修)からはまだ昔の医局の名残が残っている。大学病院かそれに準じる大病院にしか専門研修はできなかったので、後期研修からが本当の学習の本番で、入った先には上記世代のDrから直接濃密な指導を受けた。
一方で、後から入ってくる世代は生き物として明らかに違う世代で、それを教育しなければならない(でも誰のために?)という悩みの板挟みに遭った世代。
あと金銭的には、製薬会社の「コード」と呼ばれる業界横並び自主規制・コストカットが始まり、「お医者さんの接待漬け」や「高額謝礼」等は「自分の指導医は受けていたのを知っているが…」「一瞬だけお世話になったが…」という世代。医者だからおいしい思いをしたという経験はない世代。
臨床研修が一般化し、プレ国家試験たるCBTやOSCEも運用が軌道に乗り、また様々な研修や専門医やガイドライン等が本格的にお役所的(官僚的)に運用されてきた世代。
この世代からは医者の特権階級感はゼロ。手続き的正当性に準じなければいけない、ルールに従わなければならない、自分たちは標準化医療を提供するただのコマである、という自認を持つ世代。
ただ、医者としてのキャリアのレールは医局制度が完全に崩壊したあとの「自由キャリア制度」をベースにしているため、フリーハンドを手にしている。美容外科に行ったり、民間企業に勤めたり、コンサルタントになってみたりする、「変わり者」医師が激増し、「変わり者」ではなくなってきた時代。
医療や医師は聖職ではなく、ただのサービスであり、患者が求めるなら病気でも何でもない体にメスを入れても別にいいんじゃないの? 場合によっては害があっても知ったこっちゃない、という、医師のモラルハザードが顕在化した世代。
「患者に害をなさない」というヒポクラテスの誓いはもはや有名無実化した。
ちなみに諸外国はこのフェーズを20年くらい前に通り過ぎている。韓国とかもそうだが、医師のクオリティコントロールを医師ギルド(日本の場合は医局がそれであった。ヨーロッパの場合は「医師会」がそれを担保しているところはある)ではなく、単に国・政府が官僚機構の一貫として行っている国は、例外なく、商業主義に毒されるし、質も低下していく。だって医師の医療の質なんて、同じ分野の治療をしている他の医者にしか分かんないんだから。だから、自分の技量と質と姿勢・スタンスを正しく評価できる人からのピアプレッシャーが存在しなくなってしまったら、ほとんどの医師は堕落する。にんげんだもの。
たとえば2020年代前半に患者の解剖風景をSNSに上げて大炎上した美容外科医がいたが、彼(彼女)が医療行為をする権利を誰も取り上げることは今はできない。昔は当該Dr.の所属医局が社会的に処刑し抹殺した例である(他の医局支配地域に行ったとしてもそこは横の連携でやはり村八分は継続する)。しかしギルドが解体された現代日本では誰も圧力をかけられない。明確な重大犯罪でなければ厚労省(医道審議会)は動かない。そしてむしろ炎上したほうが客は集まりうるという最悪の展開。
医者が割に合わない職業になってしまった世代。保険診療はなぜか社会から叩かれ、インフレで貨幣価値が低下する中、大して高給取りでもないのに過去の「儲けている」という数十年遅れの印象に左右され世論から叩かれる可哀想な世代。
偏差値で上から半分程度の医学部に受かる人は基本的に東大文II/IIIや理IIくらいなら楽勝で受かる人たちであり、同等程度の学歴と体力とコミュ力を持つ人は金融や商社で30手前で年収約2000万円を稼げるし、その後は2000-3000万円も狙えるのに(2026年現在の貨幣価値)、医者はこのインフレで給料が上がるどころか保険診療のために年収は低下さえしているという、本当に経済的に割に合わなくなってしまった世代。
「収入を求めるなら医者になってはいけない」ということが、受験生の頃からなんとなく共通認識として存在しはじめた世代。なので初期臨床研修が終わったら「直美」に行ってしまうのもメジャーな選択肢になってきたし、働き方改革で楽になった分、研修が終わったアフター5で(医師以外の)副業や起業をすることも珍しくはなくなった世代。
また、50-60代Dr.と直接一緒に仕事をすることは稀であるし、彼らもそろそろ体力的にきついため、「患者に尽くす医師」というロールモデルを現実の目で見ることが乏しくなってきた世代。
上に書いたように、以前は本当にレジデント(実質的に病院に住んでいる人たち)であった初期臨床研修医が、国からの指導で「9時17時にしなければならない」となったために、すべての病院でゆとり勤務が達成された。
このため、「身を粉にして働くの何か意味があるの?」「自分の勤務時間じゃないのに患者を診にいくことに何の意味が?」とナチュラルに価値観にインプットされた世代。そんな暇があったら副業しないとお金稼げないからね。配信もしたいしね。
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何が混乱の元かと言えば「教育目的」というお題目が目を曇らせてしまう
どう考えても子供はパソコンを教材なんていう目で見ないし、発端の元増田の娘もオシャレ感でMBAって言ってる
だけど親からすると高価なもの買い与えるなら教育も考慮したいってことになり、進学校が採用しているように教育目的ならばLinuxという選択肢はAI時代にむしろアリという風に肯定されてしまう
一般目線なら教材としても無難であるWindowsへ行くところを教材として見てない娘はMBAという選択なわけだから、この話題に言及する親心を持つ人たちもまたMBAやLinuxじゃなくてWindowsだろうと娘の意見を採用しない本来の目的から逸れた方向になってる
結果として「Macが最も教育目的に合致しない選択肢」という意見が主流化してしまって、Linuxフリークの家庭でない一般家庭の子もMBAを買って貰える可能性が著しく低いという親の意識調査が表面化したのは貴重な情報なんじゃなかろうか?
しかもここに増田が提供してくれたように私立や進学校ではLinux教育が導入され始めているという事実が加わるわけで、教育目的ではWindows vs. Linuxみたいな状況が更に進んでいくんだろうなと
先月28日とかに書いたたまま忘れていたので今更ですが投稿します。
だいぶ答えが出ちゃってるので後出しみたいでズルいけど。
トランプ大統領、高市首相に台湾巡り中国を刺激しないよう助言-WSJ
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-11-26/T6CXHHT9NJLU00
どうも見れば見るほど考えさせられる感じです。
まずは情報の信ぴょう性、
ソースロンダリングされまくってる出元はウォール・ストリート・ジャーナルの1本の記事です。
文責者はLingling Wei、見ての通りの中国人です。
(固定ポストからガンギマリの当人のX https://x.com/lingling_wei)
「英文ソース」として引用を重ねていって事実化しようとするいつものやつですね。
文末に「か」のような留保をつけているのは、
複数筋から確認できないネタでWSJの中国人が勝手に書いとる記事だ、
まで把握できてた可能性が高いです。
「ぼく聞いた話書いただけだもん!」の逃げを打つための「か」ですね。
日本政府はアメリカの意向に従うので、高市が弛緩してニコニコしているわけありません。
電話会談直後から政府は動き出すはずですし高市の表情も激変しているはずです。
これはパヨパヨしたはてサのジッチャマバッチャマの方が好きな話だと思うんですが、
アメリカに圧力掛けられたのに日本政府が直ちに対応しないことなんてありますかね?
電話から何日もたってるのに現地妻・高市から発言の緩和や撤回がないのは何故?
茂の「なめられてたまるか」スピリッツが早苗にも伝授されてるってコト?
WSJの中国人記者と新華社や共同通信が「事実はこうだったんだ」と広めようとするということは……
もし話がリンリンの言うようになっているなら、
トランプが責任持って高市を叱りつけ発言撤回させることで話がついたなら、
海外の中国人を使って飛ばし記事を仕掛ける必要もないんですよね。
つまり、
リンリンみたいなのが飛び出してきた=事実は中国の思うようになっていない
こんな子供の論理クイズレベルのことを威張って書くのは恥ずかしいのですが
はてサのジッチャマバッチャマの知能はジッサイ子供向けクイズ以下です。
だって、
自ら米国の介入を求めてどうするんですか?
こんなどう~でもいい事態のために。
中国がこれやってることの得がどうしても考えつけないというか、
総領事のイキリポストの意図せぬエスカレートから引っ込みつかずにやってるとしか思えません。
高市がさすがにそこまで言ってなくてサイレント修正されてるのは酷すぎて草も生えないんですよね。
昔の自民党なら二階あたりが「まあまあまあ」って高市に対応を求めたんだろうけど
総領事が帰任するらしいんですが彼の数年後の待遇で北京のこの事態に対する本心が分かると思います。
今回その子分格に舐められてしまった(と中国は主張している)。
こういう時、初手から即相手の親分に話を持っていくなら格好がつきます。
と。
でも実際は、
中国は日本に直接様々な圧力や脅しを仕掛けて言うことを聞かせようとしたんですよね。
これをやりだしたなら絶対に結果を得なければいけません。
なのに高市が屈しないし、日本で高市下ろしも起きないし、手詰まりになってアメリカに電話をした。
格下相手に散々唸って脅したのに相手が屈服しないので相手の親分に話を持ち込んんだ。
これは最悪です。
じっと見守ってる野次馬にも相手の親分にもみんなに見くびられます。
相手の親分だって「おうわかった、あいつには言っとくから」と応対しても真面目にやりません。相手を弱しとみるからです。
子分には「様子みつつ突っつき続けなさい」とか指示します。自分もやります。
(キタノ映画風に言うなら アメリカ:池元組 日本:大友組 中国:村瀬組 みたいな感じですね。)
中国が本当にやらなければいけなかったのは
子分にキャンと言わせて謝らせた上でそこで済ませず親分にねじ込むです。
これをすれば子分は逆らえなくなりますし、相手の親分にも確実なダメージを与えられます。
なぜこんなつまんない話で全ツッパして日本に圧を掛けてきたのか?
周りが思うより大分焦っているか、本当にボケがきているか、その両方かです。
(習近平が偉くなりすぎているのでは?)
あたりは目を覆いたくなる醜態です。
久しぶりに地元の親世代を目に入れた時のような寂しい気持ちを思い出します。
そもそも何をどれだけ割り引こうとも、
現在の中国は日本よりもはるかに不道徳な邪悪な政体ではないですか?
21世紀世界に比肩するものなき帝国主義的で人権侵害的で冒険的な野心に満ちた軍国主義・権威主義国家ですよ。
対中国ばかりはいやいやながら日本につく、ということができないなら
実際この人達は、権威にかしずいて弱いものに威張り散らすのは恥ずかしいのような廉恥を本当には持ちません。
自分の心にそういうみっともないものを見つけて一つ一つ戒めて殺していくという作業をしたことがない。
いきなり「お題目的な善」をインストールしたから、頭に暗記として入っているだけなんですね。
だから習近平やトランプが憎たらしい高市を叱りつけてくれる!踏みつけてくれる!高市悔しい悔しいwwww
のような超みっともない感情に身を任せてハフハフしてしまうんです。
道徳が一個も身についていない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-11-26/T6CXHHT9NJLU00
こういう風にだけはなりたくない。
https://x.com/Hongnumongol99/status/1993905979717714187/photo/1
当初はこのスクショのように中国人リンリンが単独署名の文責者でしたが、
慌てて追加したと考えるのは穿ちすぎでしょうか?
それにしても、
既に出した記事について突然同僚に名義貸しを依頼した上、
頼みやすいであろう同胞ではなくシュワルツだのマクグリューだのダグラスだの
いかにも"シロい"名前ばかり並べたリンリンの思惑はなんでしょうね?
WSJのような欧米メディア・英文ソースとなるメディアについて
実際こういうのにまんまと踊って狂喜乱舞でハフハフする間抜けもいるわけですからね。
そのまま侵略国家に対する日本の脆弱性になり得るということです。
多くの日本人はこいつらほど頭悪くも人格カスでもなかったので今回は小役人と犬たちは残念でした。
結局トランプに言いつけても望む結果が得られなかったために、
いま中国はフランスやイギリスにも「日本が!」「日本が!」と言って回る外交に入っています。
この朴槿恵さんレベルの振る舞いにもはや大国の威厳も体面もなくなりましたが、リンリンは一生懸命これを報じています。
はてサのジッチャバッチャも「アメリカはダメでもそれ以外の国が生意気な高市とジャップを叱りつけてくれる」ことに望みを掛けていましたが
どうも雲行きは怪しそうです。
「つまんないことで恫喝を仕掛けて標的国内の犬を総動員して『中国様の機嫌を損ねた方が悪い』に標的国世論を持っていく」
という試みをまあいろんな国でやっていて、それを苦闘の末に乗り越えた国も多数出てきています。
こういうのを「亢龍悔いあり」と言いますが、はてサはもちろん易経も知らないでしょう。
道徳も教養も廉恥も身に着けたことがないまま自分をよい人間だと思い込んで過ごしてきて
根っこの性格には畜生みたいな権威主義ぐらいしか残らない間抜けな老いぼれどもだからです。
謝らないといけない対象として、常に一般納税者が抜けてるんだよね
もとからそういう差別主義者なのか世間知らずなのか知らないけど
彼らの活動から1ミリも恩恵受けてないのに、何も説明されず税金だけ吸われてる方が圧倒的多数派なんだよな
公金というか補助金ってそういうものだし、それに対し一々文句つけるのも馬鹿らしいけど
補助金ワクワクとか足りないからもっと寄越せとか警察は信頼出来ないから立ち入らせないとかNPOでも上場企業役員並の報酬貰えるべきとか
一般納税者からしたらふざけた事抜かすのと同じ口で、あまつさえこちらを一括りにして愚弄してきさえするのが最高に腹立たしい
漫画とか好きなこちらからしたらColaboらの活動なんて邪魔とかうざいどころか実害すらあるし
何というか、公共の福祉というお題目で強制的にATMにされてるのに
感謝どころか敵視すらされて、そこまでじゃ無くても補助金の財源である我々の事を舐め腐ってるのは表に出てる言動だけで一発で分かるレベル
弱者の味方という錦の御紋掲げて、(無関係の)人の役に立つ事やってるならまだしも
実態は正しいことしていると「自負してるだけ」の痛い連中が大半だし、その上実態が公金チューチュー団体とか、普通に最悪だ
なぜ 「多様性を尊重するよう周囲に求める人」 ほど 「政治的判断が愚劣な人々」 を迫害しようとするんだろうな?
理由はわからないけど、そうした人たちに向けて思う所を述べていく。
ここではしばしば男性や日本人、自民党の支持者などの属性をもった人々が纏めて「迫害しても良い対象」として扱われていますが、
それは社会に公平性、平等性を求めていくなかで包摂すべき人々に含まれていないのでしょうか?
ということでしょう?
周囲に好きな奴しか居ないなら多様性の尊重なんてお題目は要らないわけで、
周囲の嫌いな奴には都合よく使えなくなるタテマエなんて、それこそ差別そのものでしかない。
周囲に強いるなら万民に適用できるだけのルールとしての強度が必要なのに、
ルールではなくお気持ち次第で出したり引っ込めたりする道徳でしかないのなら、
それは社会的には価値がないので、自分にあてはめるルールとして好きにすれば良い。
政治的な価値観が異なるにしても、いずれ協力して社会を支える者同士なのだから、
利害を調整していくにあたってお互いの主張なり論点なりを評価しあって、
お互いの妥協点を見出していく作業も必要になると思うのだけれど。
どうも、相手が馬鹿と見るや否や、自らの思想や道徳観を押し付けて、
こうしたリベラルはただの侵略者であるように見られても仕方が無いのではないかなと思うのです。
なにせ、あなたがたは言葉による「支配」に執着し、「相互理解」をしようとしないのだから。
もっとも、そのようなつもりは無い、という人が大半であろうところも想像は出来ますけどもね。
あまりにも上手く行かないことで周囲へ理解を求めることに疲弊しきった末にこの状態があるのだろうと。
ですが、先に述べた現象は罪悪感で相手を痛めつけようとする、対話なき暴力に過ぎません。
そうした暴力の応酬が望ましいと仰るのであればもはやかける言葉もありませんが、
それが本意ではないのであれば立ち止まってみては如何かと。
リフレ派の連中が自己放尿を繰り返すたびに、日本という国は確実に終了へと一直線に滑り落ちている。
信じられないほど甘ったるい幻想を抱え、貨幣を無制限にばらまけば、デフレから脱却できる、そんな幻想信仰を抱いたリフレ派エコノミストどもは、今やインフレという火に油を注ぎ、自らを祝福する祭壇で財政と金融のダブル放尿をしているようなものだ。
まずインフレ率を自在にコントロールするだとか、日銀が無制限に国債を買えばマネタリーベースを増やせるなどのリフレ主張は自己放尿だ。
その一方で、リフレ派は財政拡大と金融緩和を組み合わせて、理想の高圧経済を作ろうとする。しかしその政策の果てに待っているのは、過剰流動性のインフレ税と格差拡大だ。
高市早苗政権がリフレ派エコノミストを政府会議に次々と起用し、再びネオ・アベノミクス色を強めて自己放尿している。
金融市場はその方向に警戒を強めており、円安・金利上昇のリスクが高まっているという声も出ている。
リフレ派の連中はその現実を直視しない。連中は「インフレ目標の達成」「デフレ脱却」というお題目を唱えながら、実際には財政と金融の歪みを拡大させてきた。
これこそが自己放尿の本質だ。すなわち、自らの信念に酔って放尿しているが、その尿の一滴一滴が国家の体力を蝕み、将来の財政リスクを累積させている。
それどころか、連中はしばしば財政と金融のダブル放尿に陥っている。
具体的には、インフレ圧力を増幅させつつ、同時に過剰な国債依存や金利リスクを積み上げている。
こんな政策が長期的に持続可能だと思っているのか? 甘いにも程がある。
リフレ派は「もっと刷ればいい」「もっと買えばいい」と放尿を続ける。
このまま行けば、日本はインフレという名の地雷原を自ら踏み抜き、財政不安、金利リスク、格差というトリプル放尿を抱えて沈没するだろう。
左派オタク達は「自民党は表現規制派だ!表現規制に反対なら共産党に!」と山田を攻撃し
彼らの山田太郎への批判はすっかり消えうせ、ヨxistを自称していた左翼オタク連中もすっかり姿を消した。
同調しないものを「肉屋を支持する豚」と呼び、我らこそが表現規制反対派だ、と自任していたのに
彼ら自身が「肉屋を支持する豚」そのものだとバレてしまったからだ。
支持する党やそのイデオロギーを全く理解していなかったことがバレてしまったからだ。
今や、彼らの大半は共産党支持であることすら公言できなくなったが
親のDVに怯える子供のように、党の意向を伺いながらコソコソとBluesky等で毛づくろいしあうか
もう左翼オールドメディアを気にしなくていいんだ、と悟った日本政治がどこまで伸びるか|柿生隠者(かきお・いんじゃ)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/kakio_ja/n/n4cbd67631b31
pikix
オールドメディアのおかげでギリギリ正気を保っていた日本の政治文化が
ソーシャルメディアであれだけオールドメディアが敵視されてるのは
オールドメディアが偏向的姿勢や恣意的報道を露わにしてきたからでしょ。
産経から朝日までどの新聞社でもその資格がないのを豊富な実例付で示されてしまうのが現在地。
un_i_take
左翼ってか民間からの権力監視だから保守政権ならメディアが左翼に見えるんでしょう。
みんなで一緒に吠えるのが気持ちいい畜生に人間社会は理解不能。
2025/11/03
現代の左翼的な人間の特徴ってお題目を唱えれば現実を誤魔化せると思ってるとこだよね。
「現実にやってることがそうではないじゃん」って批判は耳に入れたくない。
気に入らない保守女が政権取った途端「支持率落としてやる」と絶叫してダッチアングルぐりんぐりんするようなのは
「権力監視」とさえ言えば満足してその内容やクオリティをチェックもしないような人間ほど
「メディアは権力監視でー」のお題目だけでメディア批判を退けようとする。
こういう奴って戦中には軍部のスローガンを御題目として有難がってたと思うんだよな。
時代が時代ならええじゃないかと踊り狂うような畜群レベルの知性しかないのにその自覚がない。
今ネットで気が狂ったように左翼が叫んでる高市批判も程度が低すぎるでしょ。
メス犬だの気持ち悪いだのブスだの媚びてるだの長年保守やって顔が歪んだだの
トランプの現地妻だのヒトラーだのババアがはしゃいでて痛いだの年齢より老けて見えるだの
太極旗に一礼したのまでケチ付けてもう意味がわからん。ネトウヨかと思ったら左翼なの。
「権力批判をイジメ呼ばわりするな!」とか言ってるバカが居たけど
「権力批判」と言う御題目じゃなくて中身を見ろと言うのが動物なのでわからない。
見た目の汚さならてめえが鏡見ろって感じのジジイババアがそんな事ばっか言ってる。
能力が低すぎて政策に対する論評なんか最初から出来ねえからだろ?
本質的にオールドメディアや左翼のレベルってその程度なんだよ。
ここが一番の問題な。
それしかできないからこどものイジメみたいなくっだらねーことや印象操作をひたすら叫んでる。
おまけにそのイジメすらフェアではない。
キモいキモくないのレベルで話をするなら前政権の石破と村上は限度を超えてた。
連立政権や民主党政権まで含めてもあそこまでキモい首脳陣を存命日本人は見たことがないはず。
見た目も気持ち悪い、食い方もきたならしい、座り方もだらしがない、体型も締まりがない、
老人だから見た目が汚くなるのは仕方なくとも自律心や努力でどうにでもなることが出来てなさすぎる。
でも左翼やオールドメディアが石破にキモいと言ったか?高市に対するように執拗な容姿・挙措批判をしたか?
全然してねえ。どっかでちょろっとはしたのかもしれないけど目に入らないレベル。
まとめると
頭が悪すぎて政策に対するクリティカルな論評なんか全然出来ないので
印象のウヨっぽいサヨっぽいで批判するか応援するかを決めていて
批判のレベルも極めて程度が低くてネットの罵詈雑言と大差がなく
というのが今のオールドメディアだよ。
笑わせんな。
それでついに信用を失ったの。
hammondb3
何故報道の自由や表現の自由が憲法で保障されているか知らないのか。
書き手は「左翼オールドメディアの口をふさげ」なんて書いてるか?
「左翼オールドメディアが何を吠えても世論がついてこなくなった」と書いている。
この人の反論は意味のある意見の相違ですらないので純然たる雑音、議論の邪魔。
この人にしても国民の平均レベルよりチョイ下ぐらいの頭脳に見える(国語力は総合的知能を図るのに適切な指標だ)けど
多分自己評価としては「大衆よりちょっと、いやけっこう賢いかも!」みたいな感じでしょ。
☆付けてる連中もね。
お前等は知能的に極めて凡人であって、偏差値50点程度の人達なのよ。
勉強出来たやつも出来なかったやつもね。
仕事や生活で抜きんでて賢明で周りに頼られてるなんて奴いないだろ?なら凡人なの。
そこを噛み締めてからそれでも言えることがあるなら謙虚な姿勢で発信してくれ。
お前等が「僕は偏差値70点」みたいな気持ちで発信するならそれは全部雑音。
fluoride
現代の知識体系って専門家が束になってやっとこハンドルできるくらい複雑化しすぎてて、
もう「庶民感覚」では歯が立たないんよな。
これは全くその通りだけど
という事はお前等偏差値50が政治問題社会問題に対して持つあらゆる意見も印象もあてずっぽうの頓珍漢という事ですよ。
お前等には生活者として「税を下げてくれ!」と言う権利はある。
しかしお前等の「減税が正しい政策!」にはなんらの確からしさもない。
要するにお前らの意見も参政党支持者の意見も平等に価値がない、
そこをわかってないし納得する気がないよね。
それどころかhammondb3みたいに問題文すら読めねえやつは回答資格まで辿り着いてすらいないんだけど
そんなのが人気5位になっている現実がある。
お前等は人を見下すんじゃなくて見下される経験をもっと積んだ方がいい。
tikani_nemuru_M
オールドメディアが信用ならんというのはよーくわかるが、SNSやショート動画よりはぜんぜんマシだろ。
それに、ちゃんと探せば活字媒体にはまともな調査報道はあるぞ。それこそ左右の問題ではない。
2025/11/03
オールドメディアの占めた位置はなんかしらの解体や改革が不可避だけど
それは爺さんたちの反省によってではなく退場と世代交代によってなされるんだろう
ヘタすれば玉石石石石混交のSNSやショート動画からなんとか玉と思えるものがのして来るのかもしれないよ
まあこの中では常識的な抗弁ですね
人口減少社会で森林面積は増大しており、熊の人里への進出は止め難い。
しばらくは、我々は捕食対象として襲われ続けるだろう。
熊は人のつくる農作物や果物の味をおぼえると、ドングリ食に戻れなくなる。
熊は、高度の知的能力と適応能力を有した生物であり、手強い競争相手だ
人に慣れ街に出る「都会っ子」の熊は、不可逆な変化・成長を遂げたとみるべきだ。
自衛隊は有効な銃火器の使用を禁止され、多勢を持って熊を威圧するために出動した。
300年前、「生類憐みの令」が猟銃を取り上げた時も、長槍兵が囲んで討伐していた。[訂正1]
だから、熊と対峙する人間に対して、これほど貧弱な装備で派遣するのは古今に例がない。
ただ、自衛隊が銃火器を持っていたとしても、退治できるかは怪しい。
警察や自衛隊がクマを撃てる人間を養成するためには、選抜し、教育しないといけない。
猟師がクマと対峙して有効な武器は猟銃のみ[後注、誤記2本文ではライフル銃のこと]。
猟銃の許可を取るためには、散弾銃の許可を得てから基本的に10年の要件期間を必要とする。
散弾銃は貫通力が弱く、熊の皮膚を抉るにとどまる。
複数の猟師が指導し狩りに同行させて経験を積み、山を知り熊を知り対峙が可能になるまでに三年。
高度の体力と精神力という資質と、正しい指導、そして経験が備わって初めてクマ撃ちが可能になる。
逆に、資質があり罠や散弾銃の許可をえていても、猟銃の携帯までは時間がかかる。
自分は、散弾銃所持猟師にも条件付きで猟銃の携帯を認める仕組みにすべきと思う。
猟銃は、先輩猟師が所有して狩の時に徒弟たる猟師に貸し出す形の登録制がよい。
見習い期間3年で特例による猟銃所有の許可を認めるという感じ。
もちろん手当の増額なども必要だ。
しばらくは苦しいが、「巻き返し」をしなければ、未来の世代に負債を残すことになる。
自然保護というお題目のために、自らの子孫の命を危険に晒した罪は我々にある。
将来世代へ出来る償いとして、まず自衛が可能な法制度を整えることが必要だ。
ソースを見返したところ、誤認があったので訂正する。他にも誤解があるかもしれないので、仮に[訂正1]とする。https://www.wwf.or.jp/activities/opinion/2006.html
https://www.wwf.or.jp/activities/opinion/2005.html
江戸時代の「生類憐みの令」のもとでも、熊の被害が起きた場合、藩兵は猟銃の使用が限定的に許可されていた。熊以外の殺傷をしないという誓約をしてことに臨んだ。一方、猟師は槍一本を携帯していた。
生類憐みの令により民間の猟銃運用能力の伝承は途絶えたようで、民間猟師の猟銃を用いた熊退治が記録されるようになったのは1721年、将軍が死亡してから10年余後のことだった。
本文中、猟銃をライフル銃の意味で用いていた。正しくは、猟に使用可能な銃の総称が猟銃であり、空気銃、散弾銃、ライフル銃が含まれる概念。一方、江戸時代の銃も猟銃と表記しているが、種類としては火縄銃に相当すると思われる。
そして、今年2025年3月に規制されるまで、ハーフライフルという「法律上は散弾銃に区分されるがライフルに準じた運用が可能な銃」が多く運用されていた(一部特例により運用継続地域あり)。ライフル銃の銃身内側には螺旋状の溝があり、弾丸を回転させて射程距離と直進性を高めている。これをライフリングとよぶ。ハーフライフルは、ライフリングを一部省略するなどして散弾銃扱いで運用できるように加工した日本独自の改造銃だ。ほとんどが北海道で運用されてきた。
ライフルには及ばないもの、専用スラグ弾を詰めたハーフライフルは100m近くの射程距離がある。「平筒銃」と呼ばれる散弾銃は40-50mで命中精度も低い。
北海道銃砲火薬商組合は「ヒグマの走る速さは秒速約16メートル」とし、単弾を用いた平筒銃で50メートル先のヒグマを撃って外した場合は3秒以内、30メートル先だと2秒以内で反撃されると試算。「自身の身を守るためにも新人ハンターにハーフライフルは必要」と訴えていた。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2245W0S1VIIPE025.html
ハーフライフル規制により新人ハンターの経験を積む機会は決定的に減少したと思われる。
これについては「時間を要する」と記述したのみで、公務員が狩猟が可能な制度改正を行うことを否定しておらず、むしろ賛成の立場である。。ただし、法を改正し、公務員から適正のあるものを選び、教育を施して実用にいたるまでには、5年は最低でもかかると考える。
公務員は急に増やせないし、急に減らすことも難しい。地方公務員だと管轄の問題も発生する。急に現場に駆けつけて、熊だけ退治して去っていく。これが法律上可能なのは現状で民間猟師しかいない。そのため、まずは民間猟師の参入を増やし、ノウハウの継承を途絶えさせないことが大事と考える。育った人材を特別公務員として任用する流れがあれば、より望ましい。猟師の公務員登用が、カリキュラム作成へつながると期待する。