粉を捏ねる
- 2019/02/18 23:27
- Category: bologna生活・習慣
元気にいつもの生活に戻った月曜日。いつもは月曜日が嫌いだけど、今日は違う。元気に月曜日を迎えることが出来た喜び。有難い以外の何者でもない。この気持ち、忘れないでおこうと思う。
旧市街の中心に建つ2本の塔。そこから放射線状に主要道が走っている。それがボローニャ。その塔の下と言っても過言でないほど近くの場所に本屋があり、そしてPalazzo Begaと呼ばれる建物がある。1680年代に建てられた歴史ある建物は1950年代のイタリア解放運動の一端の爆破によって破損され、その時代に名を馳せた有名な建築家が生まれ変わらせたものである。その微妙な立地や建物の雰囲気が、私はボローニャに暮らし始めると直ぐに気になった。私がボローニャに暮らし始めた1990年代半ばには、此処に銀行が存在した。其れもかなり長い間。それが閉まると良く分からぬ店になり、そして次にも今ひとつ理解に苦しむ店になり、私達は何時も首をひねったものである。それが2年ほど前に新しい店が入り、それはそれは私達の話題の的だった。まずはフランス屋の店主が嗅ぎつけた。どうやらワインを振舞う店になるらしいと言うのが彼の情報で、私はカフェや簡単な食事のできる店になるらしいと情報を提供した。果たしでその店は私の情報どうりで、そしてフランス屋の店主が言っていた通りワインも堪能できる店になった。注目すべきは塔の目の前にあるバルコニー。此処から眺める塔はどんなものかと心を躍らせたものだけど、何時もバルコニーは客で一杯で、まだ一度とて其処でのんびりカフェ、若しくはワインといった時間を持てたためしがない。其れほど店は賑わっている。開店当時は入店に列ができたほどで、並ぶのが嫌いな私は、列を横目に、ふん、と鼻を鳴らしたものだ。しかし店はなかなか良い。外からだって楽しめるのだ。ポルティコに面したガラス張りの場所ではパスタを打つ人が居て、それはもう粉5キロ分はあるに違いない其れを逞しい手で捏ねりまわしていて、通行人の目を釘付けにする。こうしたことに見慣れている私だって、この量は凄いと唸る。昔、自分でパスタを作っていたことがある。家に居て余りある時間と体力を何とかしようと、何でもかんでも家で作った頃のことだから21年ほど前のことになる。1キロの粉に卵の黄身を10個入れて練ったものだが、翌日から数日間前進筋肉痛になって寝込んだものだ。手で粉を練ると言うのは、其れほど力が居るもの。5キロならばどれほど大変だろう。横で眺めていた人達が、これは凄い、うちのカミさんだってこれはできないさ、と言うので振り向いてみたら、かちりとしたオーバーコートにボルサリーノ辺りのフェルト帽を被った髭面、想定70歳程の男性たちだった。最近の人達はこんなことはもうしなくなった。大抵機械で捏ねてしまう。しかし手で捏ねて延ばしたパスタは味が違う。だから昔の人達は大変だと言いながらもすべてを自分の手で済ます。家族が美味しいと言って喜ぶ顔を見てしまうと、大変なことも何のその、と言うのがこの男性たちの言葉だった。凄いなあ。凄いですねえ。私達は捏ねる彼女を眺めながら頷く。どうやら彼らはこの先の展開も見届けるらしい。興味津々で動く様子はない。この若い人が、捏ねるのは出来ても、上手くパスタを打つことが出来るのだろうか、と。この先の展開も楽しんでくださいよ、と声を掛けて傍を離れると、任せてくださいよ、最後まで見届けるから、シニョーラの分まで、と背後から楽しい声が聞こえた。年金生活で時間が沢山あるのか。それとも、このパスタを打つ作業を見るのが楽しくて楽しくてならないのか。多分両方だろう。実にボローニャ人らしいことだと思った。それにしても残念なのは、生まれ変わる前の古い建物を見ることが出来ないことだ。2本の塔の前に存在した建物だ。恐らく重要な建物で、恐らく豊かな人達のレジデンスか何かで、外装も内装も素晴らしいものだったに違いないが、それもすべて想像ばかりで、自分の目で確かめることはもうできない。形あるものは何時か壊れて失われる、と、うっかり手を滑らせて、割ってしまった気に入りのクリスタルグラスへの未練を絶つために自分に言い聞かせることはあるにしても、しかし建物となると話は別で、残念な気持ちを絶つことはあまり簡単ではないようだ。
毎晩11時過ぎに寝室の窓から見える月。美しい光を放つ限りなく満月に近い月に心を奪われながら、今日も1日の幕を閉じる。また明日。明日も良い日でありますように。
baako