情景

夕方、ボローニャ旧市街へ行った。素晴らしい晴天の、明るい空の一日も夕方6時を過ぎれば 俄かに暗くなり始め、気が付くとすっかり暗くなっていた、そんな感じの毎日。だから仕事帰りの散策と言っても短時間しか楽しめない。まだ7時、しかしこんなに暗くては不思議なもので早く家に帰らなくてはとそんな気分になる。旧市街は橙色の街灯に照らされて、一瞬自分が中世の世界に迷い込んだような錯覚に陥る。この情景を私はある友人に見せたいのだ。遥か彼方に居る私の大切な友人に。いつか実現することが出来るだろうか。そんなことを思いながら広場の真ん中を横断した。ああ、いつか本当にそんな日が来ればよいけれど。

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906番に乗って

駆け足で過ぎてゆく毎日。どうしてそんなに急いで時間が過ぎていくのか、幾ら考えても分からない。ここ数年こんな感じだ。特に夏が終わったあとは、まるで追いかけられているように冬に向っていく。一昨日のこと。仕事を終えたその足でボローニャ旧市街へ行った。その前の日、女友達からのメールにマロングラッセのことが書いてあったからだった。彼女はちょっと疲れたのでカフェに行き、そこにマロングラッセが並んでいたのでひとつ食べたら、とても美味しくて、秋の味がして、ゆったりした気分になったのだそうだ。そうだ。そんな季節になったのだ。マロングラッセは季節のもの。秋が過ぎて冬が終わるとマロングラッセは姿を消す。栗が大好きな私には残念なことだけど、それだから尚更美味しいのかもしれなかった。私は彼女のメールに心を揺らして、仕事帰りに気に入りの菓子店ガンベリーニへ行くことにしたのである。ところが私は相当疲れていたらしい。折角旧市街に着いたのに、ガンベリーニへ行く元気がなかった。それで目の前に停まった13番のバスに乗ってピアノーロ方向へと向った。途中で下車した。ピアノーロへ行くバスに乗り換える為だ。時刻表を見ていたらいつもの96番だけでなく、906番もじきに来ることが分かった。それはいい。906番のバスが私にとっては一番都合が良いのである。それなのにこのバスは一日に数えるほどしかなくて、こんな風に偶然乗れるなんて事はかなりの幸運と言っても良いのである。906番はピアノーロを更に超えてボローニャから数えると30km以上も先にあるモンギドーロまで行く、所謂中距離バスなのだ。その辺りに暮らす人々の通勤通学、生活の足の役割をしているこのバスは都合が良いだけでない。本数こそ少ないけれどなかなか快適なのである。奇麗だし椅子の座り心地も良い。車内には低音で音楽が流れていて、仕事帰りの人々を優しく包むかのようなのだ。バスを待つ間、隣に立っていた同じく906番を待っている年配の女性と世間話などしていると、向うから青い車体のバスが来るのが見えた。それが906番だった。バスに乗り込むと、運転手が明るい声で挨拶をしてくれた。Buona sera、と。私は混んでいるバスに乗り込むとき以外は運転手に自分から挨拶をするのが習慣だ。運転手は大抵挨拶を返してくれるが、こんな風に運転手から挨拶してくれたのは初めてのことだった。思わず先ほどの女性と顔を見合わせたくらい、それはとても珍しいことだった。私は席について走り出したバスの窓から外を眺めていた。バスが停車して客が乗り込んできた。と、またBuona sera。どうやら運転手は乗り込んでくる人皆に挨拶をしているようだった。なんて素敵なことなんだろう。さっきまでの疲れはいつの間にか消えて、音楽に耳を傾けながらピアノーロまでの道のりを楽しんだ。たった一言の挨拶がこんなに良い気分にしてくれる。久し振りにそんなことを思い出したのは、多分私だけではなかったに違いない。明日は金曜日。急いで家に帰る必要もない。マロングラッセとカップチーノを楽しみに、ガンベリーニへ行くことにしよう。

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雨音

先週末は久し振りに雨音を聞きながら眠りについた。雨音が激しくて、何度も窓の外を覗いた。街灯が照らす部分に目を凝らすと雨の様子が良く分かった。雨が力強く真っ直ぐ降っているのを確認して、やれやれと溜息をついた。雨が降る度に春になってゆく3月と反対に、秋は雨が降る度に深まってゆく。雨音に耳を澄ませながら私はとうに忘れたと思っていたことを思い出した。アメリカ暮し1年目の雨期だった。この時期に雨が降るのは知っていたし、そんな雨の毎日にも自分なりに慣れたと思っていたが、それにしても降る続く雨に私は溜息をついていた。私が友人たちと共に借りていたアパートメントは一方通行の急な坂道に面した十字路に程近い場所にあって、私の部屋はその通りに面して在った。大きな出窓のある部屋で、私はその窓の真ん前に机を置いていた。昼間はよく陽が当たって暖かく、窓を開けると涼しい風が入る気持ちが良かった。そんな窓辺で手紙を書くのが好きだった。勉強もした。生涯の中であれほど勉強が楽しいと思ったことはなかった。何のことはない、単なる英語の勉強だけど、勉強したことが確実に自分の実となっていくのを生活の中で感じることが出来たから、勉強のし甲斐もあったというわけだ。私の窓からは道の向うの建物が良く見えた。特に目線を落とした辺りにある入り口部分が良く見えた。この建物に一体どの位の人が住んでいるのかは分からなかったが、一家族だけでないことは確かだった。其の建物にはイタリア人家族が住んでいた。年老いた夫婦と娘、そんな家族構成だった。この家族はいつも喧嘩をしていた。それが生易しい喧嘩でなくて、建物の外にまで聞えるような大喧嘩だった。喧嘩をして暫くすると大抵年老いた父親がひとり出てきて、道の様子を眺めるかのようにぽつんと入り口のドアの前に立つのだった。そうだ、あれは強い雨の降る肌寒い冬の日だった。今までに無い大喧嘩でついに近所の誰かが警察を呼んだ。喧嘩の内容は誰にも分からなかった。何故ならこの家族はいつもイタリア語で喧嘩するからだった。けれどもあまりに激しいので、これは大事に違いないとばかりに警察を呼んだ、そんな感じだった。通報を受けたこの界隈の担当者が車で駆けつけると喧嘩の声は直ぐに止んだ。あれほど凄い喧嘩だったのに。警察とは凄い威力である、と誰もが窓から首を出して驚いていたところ、警察官と例の家族が外に出てきた。何やら話をしているが雨音に遮られて私の窓までその声は届かなかった。何だろう、何だろう。でも大したことではなかったらしい。互いに手を上げて挨拶して、警察はあっという間に激しい雨の中に消えていった。そして皆の視線を感じた家族は肩をつぼめて建物の中に消えていった。少し経つといつものように老いた父親が出てきて、入り口の前にぽつんと立った。凄い振りの雨をずっと眺めている彼の姿を私は窓辺から暫く見守った。そんなあの日のことを思い出して、ふと思った。もしかしたらこの家族は大喧嘩していた訳ではなかったのかもしれないと。私たちは誰もイタリア語が分からなかったから、喧嘩に聞こえたのかもしれない。とにかく討論が好きで素直に首を縦に振らないイタリアの老人のことだから、そうだ、違う、そうだ、違うと些細なことを大きな声で言い合っていただけなのかもしれない。私がイタリアに住み始めた頃、誰もが喧嘩をしているように聞えた。でも喧嘩をしているわけではなかった。そういう話し方をしているだけ、大きな声で話し合っているだけだった。多分あの家族は本当は皆が驚くほど仲良しで、案外父親か母親の耳が遠くて、大きな声で話していただけなのかもしれない。今の私なら、あの時彼らが大騒ぎしていた理由が分かるのに。案外、パスタの茹で方が柔らかすぎるとか、靴下の片方が見つからないとか、そんな話だったのかもしれない。雨音を聞きながらそんな事を考えて、知らぬ間に眠りについた。

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本が好き

気がついたら本が大好きだった。それは両親の影響が大きいと思われる。父は無類の本好きで、家の本棚はそんな本がぎっしりと隙間無く納められていて、納まりきらない本が他の場所を陣取っていた。そんな様子を母は困っていたけれど、私は父が購入してくる本を片っ端から読んでは次はどんな本が読めるのかととても楽しみだった。私が本に夢中だった時代、私達家族は田舎の町の何にもない場所に住んでいた。家からバス停へ行くにも歩いて15分はかかったし、バスに乗って駅へ行くのはまた更に15分ほどかかったように記憶する。私は育ち盛りの遊び盛りだったけど、例えば真夏とか真冬、雨が降り続く梅雨時になると外へ出かけるよりも家で本を読み耽るほうが好みだった。あの頃から私は気候に大きく左右される性格だったらしい。もしかしたら家族全員に通じることだったのかもしれない。ボローニャの町を歩くと大小様々な本屋に遭遇する。大きなと言っても日本のような大きな本屋はないけれど、私には十分だ。それからポルティコの下に点在する本屋さんは皆個性的で、店主の好みがはっきり窺えて面白い。新しい本を売る店もあれば、古い本を売る店もある。小さな本屋さんは人の出入りが激しくないらしく店主が大抵店の奥で本を読んでいる。そんな様子を見つけると何だか嬉しくなってくる。外国の本の紙質といったらわら半紙のようなざらざらしたものが多くて初めはびっくりしたけれど、最近はそんなざらざらの紙にも愛着を感じるようになった。本を読む人も、本を書く人も本好き。本を売る人も本好き。それからこんな風に店の外から本を眺める人も本好き。

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道に迷う

時々私は道に迷う。それはボローニャの時もあれば知らない町を歩いている時のこともある。でも、そんな風に道に迷うのは結構好きで、迷いながら次の角を曲がるとどんなものだあるのだろうとか、この道を真っ直ぐ行けば案外先ほどの十字路に出るのではないだろうかとか、道に迷いながら良い感じのカフェを見つけて休憩してみたり、見慣れぬ情景にカメラのレンズを向けてみたりと、様々な思いと楽しみが伴うのだ。だから道に迷ったと言いながら意外と不安や心配はなく、それどころか心の中でちょっぴり笑い、わくわくしながら彷徨い歩く。この夏の旅はまさにそんな風だった。ウィーンに私はあまり下調べもせずに、小さな地図を鞄のポケットに突っ込んで到着した。旧市街の外に位置するホテルに着くまで何度も地図を開いたが、無事到着して荷を降ろすと地図を見ないで歩き出した。旧市街の道はまるで迷路のようだった。それでいて地図を見ようとしなかったのは、こういうことだった。大丈夫。道は必ず繋がっていて、遅かれ早かれリンクと呼ばれる旧市街を取り囲む環状道路にぶつかる筈だから、と。ボローニャと同じだ。旧市街を取り囲む環状線の存在は。ただ大きな違いは旧市街の面積がボローニャのほうがずっと小振りなことである。人の居ないほうへ居ないほうへと歩くのが私の散策の癖である。だから其の日もそんな風に歩いているうちに、いよいよ本当に分からなくなった。唯一幸運だったのは、8月のまだ日の長い時期だったことだろう。道を聞くにも人がいない。そんな状況を望んでいた筈なのにちょっと心細くなったその時、見つけた。トンネルのような通路の壁に設けられたショーウィンドウ。特別上等でもないグラスが並べられていて壁の隙間には幾枚ものポストカードや写真が貼ってあった。BAR とか、COCKTAIL とか。このトンネルの先には小さな庭があるようだった。其の庭に面したところに其の手の店があるのかもしれなかった。私はこの緑色の洒落ているとも洒落ていないとも言いようのない、昔風の不思議なショーウィンドウを暫く眺めていたけれど、いよいよ空が暗くなってきたので急いでトンネルから抜け出してまた歩き出した。そしてくねくねと曲がった道を辿るように歩いていって初めに遭遇した人に現在地を尋ねてみたところ、中心地からはそう遠くもない場所であった。翌日あの緑色のショーウィンドウをもう一度見たくて随分探し歩いたが、ついに辿り着けなかった。今でも時々、あの時どんな道を歩いていったのかを考える。でも、分かりそうで分からない。考えているうちに私はまた迷路のような道に迷い込んでいくのだ。

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