はてなキーワード: 技術者とは
弱者男性歴(WMY:Weak Men’s Year)を用いた年表形式で、人類と弱者男性の歴史をまとめます。
各時代の転換点や象徴的な出来事を強調しており、独自の視点で解説しています。
始祖の時代
弱者男性の始祖が「生命の実」を食し、彼らは通常の人間を超越した能力や不老不死を得る。ここから弱者男性歴が始まる。知恵の実を食べた人間とは異なる進化の道を歩み始め、両者の関係に亀裂が生じる。この時点では互いに接触を避け、静かな敵意が芽生える。
弱者男性と人間の関係が悪化し、弱者男性は「生命の実」を巡る争いにより各地で迫害を受け、隔離されるようになる。以降、弱者男性は隠れ里に集まり、独自の文化を形成していく。
人類の文明が発展する中、人間が「知恵の実」を食べた知識を持ち込むことで、弱者男性たちとの間で勢力争いが激化。特に神の使者たち(ケルビムやウリエル)が派遣され、弱者男性たちは追い詰められるが一部は抗戦し、第一次弱者男性戦争が勃発する。
大融合の時代
弱者男性と人間の共存を目指した混血が増加する。これにより、弱者男性と人間の間に生まれた新たな存在が現れる。代表例として、弱者男性と人間のハーフである少女カズミの誕生が語り継がれる。
反乱と分裂の時代
人間の中で、弱者男性の特異な能力(テレパシー、念力、身体強化など)に憧れるものが現れ、弱者男性の一部は再び人間社会に受け入れられる。これに対し、伝統的な弱者男性は「純血」を守るべきという思想に傾き、内部で激しい対立が発生する。
暗黒の時代
弱者男性の数が著しく減少し、絶滅の危機に瀕する。各地の里が崩壊し、弱者男性はもはや都市伝説の存在として語られるのみとなる。特にこの時期には、かつてのケルビムやウリエルに近しい存在が再び出現し、弱者男性たちを監視する動きが見られる。
歴史的に名を残した弱者男性が次々と現れ、彼らが人類に多大な影響を与える。仏陀やヤハウェなど、精神的指導者の弱者男性が現れ、弱者男性と人間の間に新たな調和をもたらす試みがなされる。
技術革新により、弱者男性たちが再び社会で活躍する。人間社会に再び融合する者が増え、特に知識人や技術者としてその名を広めた弱者男性が、産業革命を支える力となる。
弱者男性と人間はかつてないほどに調和し、互いの違いを認めながら共存する世界が実現される。過去の対立を乗り越え、弱者男性の存在が都市伝説から現実のものとして人々に再認識されるようになる。
人類のテクノロジーが進化し、弱者男性が新たな局面でその力を試される時代に突入。特に増え続ける弱者男性VtuberやAIの登場により、従来の「弱者男性」のアイデンティティが揺らぎ始める。
豊臣秀吉の死後、徳川家康による天下統一が「鎖国」へと傾くことなく、逆に世界への積極的進出を是とした場合――いわば「海禁令なき日本史」――をSF的視点で思考してみましょう。
関ヶ原合戦後、徳川家康は中国・朝鮮半島・東南アジアとの通商を制限するどころか、秀吉の「唐入り」を反省材料としつつも、戦略的な海上拠点の確保と国際交易の自由化へ舵を切る。その背景には、ヨーロッパ勢力(ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス)との接触から得た「大洋航行技術」や「新型火砲技術」の獲得、さらにはインド洋の交易網へ参入し莫大な富を得ることが狙いとなる。
17世紀前半、日本は大量の木材と熟練した船大工技術を駆使し、当時としては極めて進歩的な大型遠洋帆船「泰和丸(たいわまる)」型を量産する。これらの船は紅毛人(欧州人)らがもたらした航海術や天文学的知識を吸収し、独自改良を加えた航海儀器(和算と干支暦に基づく天測計測装置)を搭載。日本は東アジア・東南アジア・インド洋にわたり、広大な貿易ネットワークを確立していく。「天下布船」を掲げる海上商人連合は幕府公認の下、香辛料、絹、銀、鉄砲、陶磁器、各地の工芸品の交易を増幅させた。
17世紀後半には、欧州から取り入れたガリレオ式望遠鏡、オランダ医学、幾何学書などを独自発展させる動きが加速する。商人・学者・職人が一体となり「長崎天文局」を設立。ここで彼らは暦改革や大洋航海ルートの正確化に努め、さらには海上風力と地磁気を活用した新型羅針儀、果ては初歩的な蒸気機関をも視野に入れた研究を進める。これが18世紀以降の「テクノ・徳川」時代の幕開けを告げた。
日本海軍は急速に巨大化し、艦隊は琉球や台湾、フィリピン方面へと進出。現地の政権との婚姻同盟や商館設置で軋轢を抑えつつも、海洋ルート上の要所を押さえ、いわば「アジア海洋連邦」の中核を成した。この連邦は言語や宗教が多様な中で、文禄・慶長の役以降、「他者理解」を標榜する儒学者・神道家・キリスト教徒が集い、相互通訳機関、翻訳院の設置などを推進。また欧州列強は日本との交易を重視し、オランダ商館が江戸湾に拡大設置され、ヨーロッパ科学や印刷術、初期産業革命技術が流入。結果、日本製の「機巧船」や「からくり式自動航海補助装置」が発明される。
こうした流れで19世紀に突入すると、「蒸気機関搭載外輪船」や「初歩的電磁通信機(エレクトロ・のろし台)」が欧州からの技術供与と国産研究から生まれ、幕府と諸藩はこれを積極導入。日本は環太平洋からインド洋、さらにはアフリカ東岸まで交易範囲を拡大、アジア・アフリカ航路の安全と通信網を独自整備する。世界的には英国・仏蘭西・スペイン・ポルトガルなどが植民地競争を激化させる中、徳川幕府はあくまで「海の道」を軸に、中立的商業帝国としての地位を確立。これにより、東西の知が日本国内で混在・再構築され、画期的な「日欧中印」四極学問交流体制が成立する。
この歴史線上では、蒸気船から電気船、そして反重力航行理論(ヘリウム浮揚型船舶技術を経て、電磁的浮揚技術が20世紀初頭に確立)へと進化が続く。バイリンガルの学者・技術者集団が江戸に集い、「空中商館」と呼ばれる浮遊式交易拠点がインド洋上に浮かぶ架空都市として計画され、極東から中東、地中海まで「日出づる国」発の浮遊艦隊が航行する。「サカイ(境)なき海」の概念が生まれ、海はもはや境界ではなく、文化と技術が結合し、東西が日常的に交差する舞台となる。
このような世界での日本は、着物を纏いつつ背中には多言語翻訳デバイスを装着し、和算と西洋数学が融合したアナログ計算機や、唐絵・南蛮絵・和様が混ざり合う新美術様式を輸出する文化的強国となっている。歌舞伎は遠洋船団上でも上演され、オルガンや琵琶、シタールが融合した奇妙な海洋音楽が世界各地の港町で流れる。
海禁令なき日本は、内向きな封鎖社会を回避し、知と技術・文化・交易を絶えず世界から摂取し再構成する「海洋型多文化テクノ文明」へと進化した。SF的想像を許せば、21世紀には重力制御船団が太平洋上空で静止し、国際宇宙航行同盟の創設に日本が深く関わるシナリオも考え得る。つまり、豊臣秀吉以降の日本が海禁を選ばずに世界へ雄飛した場合、それは単なる列強模倣の帝国ではなく、海上をインフラとした知的交差点として、「海洋を舞台にしたグローバル・ルネサンス」の中心となっていたであろう。
で、リベラル追い出しても医者と技術者は残ると思うんだ。愚かだねえ。というか覚悟がなさすぎるっていうか。ウケる。
自分たちの職場の人間だけで野菜作って自活するぐらいの気概があると思ってたのに。
リベラルとフェミニストを追い出した街というのは、つまり女だけの街の男版か
追い出すけどリベラルに街は維持してもらおうと思ってんだw
高度な教育は基本すべてリベラルでありとあらゆる差別の撤廃や男女平等を謳っている。
そして学生時代に努力もしなかった癖に権利だけほざく低収入のバカが嫌いなんだ。
増田が追い出そうとしてる連中はそういう連中のことだから当然医者も技術者も入る。
さっさと自分たちだけで自活すりゃいいじゃん
イーロンマスクの伝記にはイーロンが追うべき数字を設定する場面が何度か出てくる。注意深く読むと普通の感覚とはだいぶ違う数値を設定している事に気がつく。
ロケット打ち上げの時は「省略する部品の数」だった。多ければ多いほど良い。普通の感覚ではロケット打ち上げに必要な推力(エンジンの出力)を目標設定すると思う。もしくは一機あたりのコストとか。でも結果的に部品を減らす事が打ち上げ成功につながっていた。
その次はテスラ。積載するバッテリーの量だった。普通は航続距離を目標設定にする。バッテリーの積載量を目標設定すると「バッテリーの使い方をしない選択をする事になる。目標は技術者が考えた最大積載量を遥かに上回る数字で、しかも全て犠牲にしたらイーロンの数字がピッタリ上限になった。
戻ってSpaceXの打ち上げ成功後はラプターエンジンの「1日あたりの生産量」を目標設定した。普通の感覚なら打ち上げ数や打ち上げあたりのコストだ。しかしここでもやはり正しかった。
そして極め付けはTwitterでエンジニアを解雇する際、直近で書いたコードを全て印刷させて少ない順に切っていった。エンジニアの質を「書いたコードの量」で比較するのは玄人目からしても愚の骨頂だろう。コードを自動生成するコードもあるし、強力なライブラリを使えば一行でインパクトを出せる。素人目には「アクセプトされたPRの数」を評価指標にすべき。しかしここでもTwitterを停止させずに首を切る事に成功した。
Twitterのサーバーはイーロンが買収した直後にサクラメントからポートランドに移動した。このサーバーはNTTの厳格な手順書によって管理されていた。しかしイーロンが「移動できたサーバーの数」を目標設定したため無理矢理配線を引っこ抜きガードもほぼないまま自前のトラックで移動させた。サーバーを移動するのはサクラメントが高かったからだが、であれば「1日あたりのコスト削減」を目標設定すべきのように思う。物理的にサーバーがどこにあるかはコストが下がればどうでも良いはずだ。必要な手順を抜いて自前のトラックで運んで壊せばバカ高い追加費用が必要になり本末転倒だ。しかしここでもやはり大幅なコスト削減に成功した。
これらを俯瞰するとイーロンは一般人がコストや評価メトリクス(推力など複数の数値を組み合わせた数値)を見ところで、小学生にも判別可能なくらい物理的な目標設定をする。もちろんテスラの生産台数やSpaceXの打ち上げ回数もKPIとして出てくるが、そのKPIを追うときの現場の目標設定が極めて不自然でナンセンスに見える。
https://x.com/tanukiponkich/status/1866565985278497193?s=46&t=GHp5sAn76vcK9epq7fOUWQ
>> 非常にプリミティブな単語なのに専用の単語がないのはなぜなのか。 <<
(標高が)高い山・低い山
(樹高が)高い木・低い木
(音程が)高い音・低い音
このように音にかぎらず,専用の単語がない例なんて無数にある.
ではなぜ,専用の単語がないかというと「それは需要がないから」これだけで説明できる
音を例に詳しく説明する
まず,そもそも”高い音”を同定できるヒトが少ない
たとえばピアノ(88鍵)だと最低音はA0,最高音はC8.まずこの事実さえ知っているヒトのほうがすくない.
そして日本語話者において,「ある音」を聞いてそれが「C8」か「B8」かを弁別できるヒトは,何人いるだろうか?
さらに言うと,そもそも日常会話で「C8の音がなってさ〜」なんて言う機会がどれほどあるだろうか?
多くの日本人は,ある音が「C8」であることも区別できず,また「C8」と言う機会もない.「高い音がなってさー」で十分.
一方で音楽家や技術者は「C8」だとか「4186Hzの正弦波」と専門の表現をつかっている.
山や木も同じ.ニーズがないんだよ.
この差なんだろうな
そして、性欲ドリブンは恐ろしい力を発揮する
性欲の為なら校長に登り詰めるという困難も厭わない
コピペで引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ
1964年「うず潮」
1966年「おはなはん」
林謙一「おはなはん」
1977年「いちばん星」
1978年「おていちゃん」
1979年「マー姉ちゃん」
1981年「本日も晴天なり」
1984年「心はいつもラムネ色」
1986年「はね駒」
1987年「チョッちゃん」
1990年「凛凛と」
1994年「春よ、来い」
最愛の夫を見送るまでが描かれている。
1997年「あぐり」
2000年「オードリー」
DVD未発売。
2003年「てるてる家族」
2006年「芋たこなんきん」
ソフト化されていない。
2010年「ゲゲゲの女房」
2011年「カーネーション」
ファッションデザイナー「コシノ三姉妹」の母、
2014年「花子とアン」
2014年「マッサン」
2015年「あさが来た」
2016年「とと姉ちゃん」
2016年「べっぴんさん」
2017年「わろてんか」
2018年「まんぷく」
2019年「なつぞら」
「漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一」
2019年「スカーレット」
2020年「エール」
古関著書「鐘よ鳴り響け」
2020年「おちょやん」
2023年「らんまん」
2024年「ブギウギ」
2024年「虎に翼」
三淵嘉子関連書籍
2025年「あんぱん」
2025年「ばけばけ」
生成AIを使ったこともあります。Soundcloudなどのアップロードサービス(音楽版のpixivみたいなものです)に自分の作った音楽をアップロードする際、ジャケット画像としてイメージに合うものを生成しています。
だから生成AIが出たときに「これで自分の作品全部にとりあえずでもジャケットがつけられる」と嬉しい気持ちになりました。
絵師に依頼しろよという話かもしれませんが、無料でアップするための音楽にイラストを依頼していたら正直金銭がいくらあっても足りませんし、
自分で描けよと言われたとしても私は私の音楽を作っていたいのでイラストを描く時間があったらその時間でもう1曲完成させた方がいいと思っています
それでも作った曲それぞれに世界観とか考えたこととかこうあってほしいが多少なりともあるわけで、それを実現する手段として生成AIが出てきた時は嬉しかったです。
また、その生成AIを使って絵を錬成する人のことを「術師」と呼ぶムーブメントが多少なりともあったと思うのですが、それもすごいよかったと思っています。
絵師ではなく、術師。
全く新しいタイプのクリエイターの形として、優れたイラストを生成する、絵師ではない「術師」。
この言い回しが好きでした。
そのはずでした。
術師という言い方はあまり流行らず、AI絵師という言葉が出始め、AI絵師も絵師の一種と思った輩がいるのかなんなのかわかりませんが、生成AIの使い方のマナーがめちゃくちゃ悪い人間が出てきました。
それと同時に、少なからず、というかがっつり生成AI反対派!みたいな動きをしていた絵師のうちの心無い一部の方々も生成AIを使っている人間を目の敵にして叩き始めました。
これはどっちが先とかじゃなく、どっちも同じような時期からではじめた印象です。
生成AIを使ってできたイラストにAIイラストのタグもつけずに「自分で書きました」とか言い始める嘘だらけのエセクリエイターの人も
生成AIを使ってるやつは全員犯罪者、非クリエイターというような強い主張をする全方位噛みつき型のツイフェミみたいな人も
生成AIで特定の人の絵柄を意図的にコピーしてそれをあまつさえ本人に送りつける頭のおかしいアンチLv.100みたいな人も
生成AIに伴う技術の進歩やそれを作る技術者に心無く考えもない気持ちだけ先行した意見を送るような出る杭を打ちたがりな人も
生成AIで対象の絵を読ませて3秒で生成した、推敲もしてないようなゴミを絵師のイラストで送りつけてこうした方がいいという赤ペン先生気取りな人も
生成AIに読ませるのを嫌ってゲームのスクショとかにまでウォーターマークつけ始める
生成AI使って作ったイラストを何も考えずに投稿して、関係ないタグのサジェストを汚染する目が見えないとしか思えない人も
生成AI嫌いすぎてとりあえず叩く割にウォーターマーク配布とかXから乗り換えてGoogle他からのクロール避けしてないSNSに乗り換えて安心したりDeepLとかのサービスは普通に使う本当に意味ないこととかダブスタやってる無知すぎる人も
こういうところでセンセーショナルな書き方して煽っちゃう私みたいな人と、それに対して考えなしな煽りを投げちゃう人も
みんな、みんな、きらいです。
全員消えてほしい。
ただLoRAとかではない、普通の生成に対して噛みついてる人たちの意見はちょっとよくわかりません
使い方が最悪な人間はともかく、それ全てが悪というのはなぜなんだろう、絵を描いている人だって、少なからず誰か好きなものや人から影響を受けているのに。
そうやってできた自分のスタイルに沿ってクリエイターをやってきたんでしょう
そして、生成AIを使ってすごいクリエイターになった気分でいる王様気取りさんもよくわかりません
その生成AIを使う際のこだわりはどこなんですか
初期の頃の、生成AIでより優れたものを作ろうとしていた「術師」はどこに行っちゃったんですか
こんなんクリエイターじゃないよ、なんなんだ
今現在はどっちの意見もヤバい動きしてるヤバい人間のせいでまともな意見や技術が埋もれてます。
文を送る前に一旦落ち着いて欲しいです。
行動をとる前に一旦、一呼吸おいてください。
叩かれるからAI全部使いたくないしAIの話全部聞きたくないよ。
AI周りでやばい人間になるのは、こんなの出しちゃう私で終わりにしてよ。
もう疲れたよ。
https://x.com/umi_ringo24/status/1865032298066051418?s=46&t=X4rioIzt0ECPUcF-Z1qizQ
> このシステム完成させるまでに必要だった努力を、何故ペン握って絵を描く方向に向けれないのか
ペン握って絵を描くことがどれだけ高尚だと思ってんだ。ペン握って絵を描く時間でプログラミングの勉強でもしてみればこのシステムのすごさが少しはわかるんじゃないかしら
最近反AIと反反AIを語る文脈の中で「和解派」ってワードが出てくるけどどういう概念?というか存在するの?
・AI技術者もあまりに悪者扱いされるしイラストレーターもかわいそうだから、イラストレーターの権利を守る仕組みを考えて発信した←これが和解派と呼ばれてる?
・反AIが「そんなわけはない!我々の村はAIに焼かれた!よってAIは全て敵だ!」というフィクション思想に取り憑かれて間違った正義を振りかざしてる
って流れなのかな。技術者もイラストレーターの権利を守る仕組みとか考えてると思うよ。でもそれすらも騙そうとしてるとか言って邪魔してくる。
結局建設的な議論をする気もする知性もなくて、自分たちの不満を発信し続けて悪の組織(そんなものはない)を倒せば全て丸く収まると思ってるのが浅はかというかフィクション脳というか...。
たぶん著作権を守るAIツールとか出ても「AI!?我々を騙そうとしている!そんなものは使わない!」とか言って喰われ続けるだろうし、もう勝手にしてほしい...。
理工系技術者が会社で技術力のばせず転職市場に出て詰むみたいな事例集めたい!
JTCに入ったはいいが地方回りしている間スキルが身につかず転職できないみたいな話・・
電力系かな?すごい僻地勤務でプラントは計画中なのか?書類作成ばっかりしてるとかいう事例があったけど・・そういう事例ですよ
昨日面接した人は機械設計の応募できたんだけど、大学卒業後▲▲の設計を8年やってきました!って言うんだよね。
けど所詮▲▲じゃん。基本的な、鉄の種類や焼入・表面処理、自分が描いた部品を実際どのような機械でどのように製造するのか聞いても、それはまったく知らないと。新車でるたびに、すでにある過去の▲▲のモデルを▲▲で寸法変更して構造解析して対応してましたと
構造解析っていうけど、それって▲▲とか見てるだけで、解析ソフトに▲▲入れるだけやん。で弱いところのR面を増やしたりするだけ。R1をR1.5にするとか。てことは君は8年R面を増やしたり減らしたらする仕事だけさせられてたの??どこの会社やねん!そんな酷いところはって聞いたら☓☓☓☓☓☓☓☓だと・・・。
これねえ、すっごい罠なんよね。
この手の技術者派遣会社に知らんと新卒で入ると、こんん感じでなんの技術的成長も得られないまま時間だけ消費して転職するとき死ぬんだよね。
想像してみよう
ちょっと推そうと思って「このXXってSFすげえ!神!」と書き込んだとする
そこに「いやXXは間違ってるから」」や「そのXXのアイデアは〇〇って作品の丸パクだから」と横やりが入る
また、なにより、気軽に「XXって神!」と気軽に騒ぐ層が「こういうツッコミをもらいやすいジャンルはビュー数稼ぎづらい」と学習する
読んで欲しいという欲望が抑えきれない作家は、少なくともランキング形式投稿サイトでは”SF”を書くのをやめる
SNS以前、10年前までなら、ネット経由の口コミはありえたと思う
もう編集者や出版社、批評家などのオールドメディア経由でないと露出が難しいのではないか
欧米の連綿たるメインカルチャーの伝統、教会や王権といった権威によって裏付けされたアカデミズムを前提として成立した科学主義を踏まえたインナーサークルに加入するという体裁が曲がりなりにもあって、それ踏まえた上での想像の自由を認めることで成立するジャンルなので
そのあたりを吹っ飛ばすスペースオペラが容認されるのも「こういうのを認めるのが伝統を維持する上で大事」という、カトリックの反宗教改革におけるバロック的演出の活用みたいな算段があるからで、バックに権威が控えてるのは同じ
『メタ認知能力が極端に欠けている人』って表現は、"自惚れていてる"とか"井戸の中の蛙"みたいな評価に限定して使われているイメージがあります。
けど、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、エラー処理とか停止処理みたいな超基本的な考え方すら持ってなくて、それに気づけないままでいられる人のことです。
具体的な方法を知らないとかじゃなく、そもそも「そういう発想自体がない」って話で、これは単なる知識不足や視野の狭さ以上に、認知の仕組みそのものに問題があります。
時間が自然に解決してくれるようなものじゃなくて、かなり厄介な問題だと思います。
エラー処理とか停止処理って、ITだけの話じゃなくて日常でも必要なスキルです。
たとえば、「お目当てのプリンが冷蔵庫にないことを確認」(エラー検知)したら、フツーは「今日はプリン食べるの無理だな」って切り替えるじゃないですか。
冷蔵庫を何度も開け続けるのはちょっと変で、フツーは「開けるのをやめる」(停止する)って行動に移りますよね?
仮に、寄生獣に取り憑かれたために、冷蔵庫を開け続けちゃうのだとしても、「右手が勝手に動いてる?」って気づければ、他の方法を考えることができます。
けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。
メタ認知は知識の応用力、いわゆる"知識移転(Knowledge Transfer)"にもめちゃくちゃ重要です。得意分野や好きなことだと、この力が特に発揮されやすいですよね。
たとえば、熟練プログラマーが別の言語でもスキルを応用できるのも知識移転の力があるからです。
でも、興味が薄い分野や苦手分野だと同じ力を発揮するのは難しい・・・それは自然なことではあるのですが、基本スキルや共通原理くらいはちゃんと押さえておくことが期待されます。
たとえば、プリウスの運転手が軽トラックをまったく運転できなかったら、それは個性とかそういう話じゃないですよね?致命的に知識移転能力が欠けてるってことです。大きさや操作性が違うにしても、ハンドル操作とか交通ルールみたいな共通点を活かせないのは深刻です。
仮に、共通点を見出せ無くなったのは異世界おじさんに「記憶消去魔法(イキュラス・キュオラ)」をかけられたからだとしても、「もしかして、記憶を消されてる?」って気づければ対処方法を考えることができます。けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。
知識転移がうまくいかないのは、異世界おじさんに記憶を消されて気づかない以外にも、その対象の理解がそもそも極端に浅いことも大きな原因になっていそうです。
たとえば、『りんご=赤』って覚えるのは、学習コストを下げるためによくあることです。この簡略化を意識できる人は、この情報がいろんな側面の一つにすぎないってちゃんとわかっているので、黄りんごも青いりんごも許容します。りんごの品種や生育環境、熟成度みたいな要素が色に影響するんだろーなとか、味とか他の特徴も多次元的に捉えています。さらに、必要があれば「なんで赤いんだろう?」とか掘り下げて学ぼうとするオープンな姿勢もあります。
多次元的に対象を見れる人は、『見たままをありのままに受け入れて、自分の直感を大切にできる人』と言い換えても良いかもしれません。
だってりんごは、どう見たって単色の赤じゃないですからね。視覚的にも直感的にもそう感じるはずです。
一方で、こういう視点や意識(見たまま受け入れる、自分の五感や直感を信じる)がない人たちがどうなるかというと、
『りんご=赤い』っていう単純な答えでテストに合格して、「自分の理解は完璧だ!」って思い込みます。
現行のシステムでは、ぶっちゃけ深掘りする必要性がないので、結果として表層的な学びに終始してしまうのです。
で、こういう表層的な学習パターンが続くと、やがて複雑な問題に対処できなくなります。
同世代と話してもピントがずれた会話をしたり、科学、医療、社会問題、仕事の議論でトンチンカンなことを言ったりしてしまうわけです。
違う文脈で知識を応用するなんて、そもそもの理解が浅いと到底無理な話です。
新学習指導要領のSelf-Regulated Strategy Development (SRSD :自己調整型学習)って『自分で考えて学ぶ力』の改善策としてまあまあ良さそうだけど、
現状の受験システムとか評価基準が表層的な学びを助長するままだと、限界はある気がします。
それなら、メタ認知がないAIが多次元的に学んでいくプロセスを観察して、新しい教育のヒントを探すほうが面白いかもしれません。
増田のタイトルの通り、学歴があっても、長文を読んで理解するどころか、単純化された動画の内容さえ把握できなかったり、同世代との会話がどこまでも噛み合わなかったり、仕事の指示が通らなかったり、そんな人っていますよね?
これって、上記に書いてきたように、メタ認知能力が極端に欠けてることや、知識移転能力の欠如、表層的な学習が積み重なった結果なんじゃないかと確信を持っています。
大卒以上であっても、こういう人が無視出来ない数いるのは、正直「なんで?」って思う人が多いんじゃないでしょうか。でも、この「なんで?」の背景には、「勉強やデスクワーク=知的で選ばれたもの」っていう妙な誤解がある気がします。この固定観念が、現代社会における知性や労働の本質を見誤る原因になってるんじゃないかなと思います。
しかし、その一方で、社会の基盤を支える多くの職種が軽視され、不当に評価されている現状があります。
なぜかというと、"知識労働者(Knowledge Worker) "ではなく、"知的労働者" って呼称が使われたりすることからもわかるように、肉体労働者は知能を使わないみたいな妙な誤解を悪用し、仕事の複雑さや多様性を極端に単純化し、賃金差別(経済格差ではなく差別が適切)を正当化する輩がいるからです。
実際は、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。
例えば、エラーを検知し、適切なタイミングで作業を中止し、問題を解決する–これらは、メタ認知能力と深い経験に基づく高度な知的作業ですよね?プログラム組んだことなくてもロボットを作ったことなくても、誰しも直感的に知っていることです。
障がい者雇用に最適化された職場を除けば、こうした能力に欠ける人がフィジカルワークに適応することは非常に困難です。その理由は単純で、迅速に適切な判断ができなければ、事故や怪我を招き、最悪の場合、死人が出るからです。
フィジカルワークが出来そうもない人は、なんとなく知識労働を選ぶことが多いです。必ずしも自分の適性を十分に理解しているわけではなく、「選択肢の中で最も受け入れられる道」として選んでいることが多いです。でも、極端にメタ認知や応用力がないと、どんなに学歴があっても知識を活用できず、「結局この人は何ができるの?」って評価に甘んじちゃうことになります。たとえば、エラーメッセージに明確な解決方法が書かれているにもかかわらず、それを読み取れず(一応、読んではいる模様)、ただそのまま誰かに転送するだけの技術者とか、その典型ですよね。
もう一度言いますが、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。
それがある前提で、重要視されるのが、物理筋肉(運動能力)なのか、論理筋肉(知識)なのかって違いだけです。
1つ前でも少し書きましたけど、知識って筋肉みたいなものだと思うんですよね。鍛えればどんどんムキムキになるけど、筋肉単体ではその魅力をフルに発揮できない。
物理筋肉も論理筋肉も、それをうまく使うスキルが必要です。データベースが単体ではただの情報の塊で、システムと連携して本来の力を発揮するのと同じです。
で、そのシステムを設計するには、基本的なエラー処理や停止処理の考え方は欠かせません。そして、エラー処理をするためには、知識を他の文脈で応用する力、
つまり『知識移転能力』が必要です。それを支えるのが、メタ認知能力なんですよね。
国の競争力を維持する上で、論理筋肉マッチョを育成することは非常に大切ですが、その筋肉を有効活用するためのメタ認知能力がないと、いくら筋肉がついてもリソースの無駄になってしまいます。
というか、論理筋肉マッチョに限らず、どんな分野でも同じことが言えます。リソースの無駄遣いを避けるために、筋肉の活用法を理解する能力を養うことは、なによりも優先されるべき取り組みだと思います。
(長文が読めない、動画の内容すら理解できない、仕事や科学や社会問題の議論でトンチンカンな発言をする、仕事の指示が通らない、でも広範囲に知的な課題は持っていない、なんなら大学も卒業している――そんな人たちの姿を見ながら書いてます)
株価に影響するからなのか、米国の話に多くの時間を割いてしまっている。
人口が多い場合は、それでもどう稼ぐかを考えている人口が一定数いるのだろうけど、
日本の場合、上記の内容が目立つため、これで稼げるのでは、と参入している人・企業が多い気がしてならない。
そして人は飽きやすいため、常にネタを求め、より過激になっていき、フェイクだろうが罵倒だろうが、だんだん関係なくなってくる。
どこか海外で話題になっているものの使い方だけ調べて適用し、もう勝負はついた車輪の再発明だと国内他者が作るの諦めさせている。
国内で誰も作らなくなっているので、年収を上げて募集しても、そもそも人材が国内にいない。
国内での研究内容についても誰も話題にしない、評価もしないので、アカデミアの人達の興味本位の内容だけになり、
論文は出るものの、国内では採用するような企業はなく、海外勢が成功するための手助けをしているだけになっている。
今だと半導体だろうか。
皆の興味関心事は、成功する/しないか、で野球球団を応援して勝つ/負けるを言ってるのと変わらない。
失敗すれば、やっぱり政府が関わるべきじゃないんだという人達が多く湧いてくるだろうし、
それはそうで学習した絵とほぼ同じような絵が出てきて使用したら訴えればこれは著作権法違反が認められる可能性は高いと思う。
ただ画風は著作権で保護されないというのは下記の資料でもハッキリ書かれている。
となると絵柄の依拠性はそもそも問題視されないだろうし、結局出力されたものが既存作品と類似性があるかどうかという話にしかならないと思うし実際政府もそのような見解のはず。
あと人間も結局他の人のイラスト見て勉強してるのだから意図的か過失かを問わず人間も類似性等については同様のリスクがあるのよね。
あなたの言葉は丁寧だけど、かなり口が悪かったり、法的・論理的にめちゃくちゃなこと言ってる生成AI反対派もわりと見るので味方増やしたいならあれマジでやめるように注意した方がいいと思う。もちろん肯定派にもその手のやつはいるわけだが。
あとこういう話は生成AIが発展して利用が進めば進むほどダブスタになっていくのではないか、と思う。
職人芸を学習する工業的な利用方法もあるので社会で浸透するほど生成AIの恩恵を受けつつ反対する、という立場に追い込まれていく可能性がそれなりにあると思う。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/pdf/93903601_01.pdf