はてなキーワード: amdとは
NVDAのベラルービンが出てきたけど、これって、ARM以外のCPUメーカーについては終わりの始まりな気がする。
エージェントAIでCPUも売れるかも?という意見があったけど、ARMベースのベラCPUの性能がいいわけで、amdやIntelが入る隙が無いように思う。
ARMは一時的はオワコン説があった。RISC-Vがあるから組込でももういらなくね? DCでもARMじゃなくてもx86/x64系でよくね? ARMデスクトップとか誰が使うの? みたいなのがあったけど、ベラCPUにより、ゲームのルールがまた変わったように思う。
もちろん、デスクトップではx86/x64は優勢だが、一番儲かるデータセンター案件をNVDAに持って行かれるわけで、先行きは暗そう。
Windows 11 KB5083769で起動不能の不具合。画面モザイク化から起動ループに陥る
https://gazlog.jp/entry/windows11-kb5083769-recovery-issue/
ヤバ過ぎる
Windows 11 4月更新で起動不能ループ。AMD Ryzen搭載機が狙い撃ち、1本のパッチに3つの不具合が同時発生
Microsoftが4月14日に配信した月例更新KB5083769で、AMD Ryzen環境を中心に起動不能ループが多発しています。
画面がモザイク化し、復旧を試みても同じ箇所でループし続ける「デスループ」状態が報告されています。
同じ更新ではBitLocker回復画面の誤発動、計4回の再起動ループという別の不具合も並走しています。
続き
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしいマック・クラシックやカラーマック(多分これでいいんだよな…)が発売されると共に、通常のサイズのマックも、そこそこの(ウィンドウズマシンと変わらない)価格で発売されるようになっていたのである。
しかしながら、相変わらずゲームユーザーであった私は、ゲームソフトのコーナーを一瞥して、やっぱりゲームはDOSベースが多い、とばかりに、ウィンドウズマシンを選んだのであった。思えば、ここが運命の分かれ道であった。
まぁ、ウィンドウズがいいか、マックがいいかは、今でも議論が分かれるところではあるが、このときマックを選択していれば、今の私のパソコンライフは、かなり違ったものになっていただろうことは、疑いのないところではある。
で、購入したマシンは、16ビットに引き続き、EPSONの、いわゆる「ジャケットサイズ」(…といっても、今はもうLPレコードそのものがマイナーな存在であるが…)の小さな筐体がウリのマシンであった。CPUは、486DXの廉価版の486SXで、クロックは20MHzだった、確か。この辺は記憶が曖昧。120MBのハードディスクと8MBのメモリが付いていた。一応、ウィンドウズ3.1は動くというスペック。
このPC-486SEは、当然のことながら、後にいろいろと手を加えた。
こんな具合に。
グラフィックアクセレータ追加(メルコ製、サウンドボードに装着するタイプ)
メモリ8MB追加して16MBに。
CD-ROMドライブ追加(メルコ製のサウンドボードに直結のタイプ、2倍速)
オーバードライブプロセッサ(確かIOデータ製)追加して、CPUをPentium 75MHz相当に。
ディスク圧縮ツールを購入し、340MBのハードディスクの容量を540MB相当に。
これだけの改造(とはいわないか…)を施し、やっとウィンドウズ3.1が快適に動作するようになったのだ。しかし何ですな、よくこれだけ発展性のない改造をやったものだと、我ながら思う。CD-ROMは、インターフェイスが専用なので使い回しができないし。
因みに、CRTは、グラフィックアクセレータを追加するまでは、8801の頃から使っていたNECのPC-854Nを使っていた。アクセレータ購入後に、CRTがマルチスキャン対応ではないことに気づき、CRTを買い換える。ソフマップブランドの、Susteenのものでした。安い割には結構画質が良かった。
ウィンドウズ3.1にしてから、インターネット接続も始めた。最初は何がなんだか分からなかったので、接続ソフトは、取り敢えずインターネット・オフィスという、パック品を使用。接続は、スムーズであった。付属のブラウザは、今や懐かしい「モザイク」である。モデムは友人から譲り受けた14,400bpsのものだったが、このころはこれで十分なのであった。
ホームページもこのころから作り始めた。かねてから懸案のFrank Zappaのページ作りを始めるに当たり、ジャケット取り込みのためのスキャナを購入。このころは、真裸婦ラットベッドの製品は非常に高価であったので、ハンディタイプのものを購入。LPジャケットを8回に分けてスキャンし、付属の合成ソフトで合成するという、涙ぐましいものであった。
このPC-486SEでも、ゲームはずいぶんとやった。でも、以前ほどたくさんはやっていないのだな。
上述したELFの「同級生」の続編。こちらの作品は、「兄と妹」という設定で大ヒットしたという記憶がある。前作のシステムやノリをそのまま引き継ぎ、内容をさらに充実させた、名作。
ホムンクルス(妖精)を育てて人間にするという、育てものゲーム。キャラデザが、イラストレーターの中村博文(どじ)氏だということで購入。そこそこやったが、何故か私が育てるとみんな悪魔になってしまい、そのうち断念。
…印象に残っているのは、このくらい。この時期は、ゲームはスパーファミコンを中心にプレイしていたような気がする。パソゲーが少ないのはそのせいかな。
さて、ここでウィンドウズ95の発売となるのだが、EPSONがEPSONパソコン対応のウィンドウズ95の店頭販売を断念し、注文販売だけにしてしまったので、これは先が無いことが判明してしまった。新規にパソコンを買う予算も、早々には調達できない私は、しばし呆然とし、どうしようかと思いあぐねたのだった。
そのとき、天の導きかはたまた悪魔の誘いか、職場の先輩から、1枚のマザーボードが私の下へ転がり込んだのである。この1枚のマザーボードを発端として、今に至るまでの私のパソコン自作時代、パソコン大散財時代へと突入するのであった。
この譲り受けたマザーボードで製作した最初のシステムは、以下の通り。
MB(Mother Board):メーカー不詳、P54C対応マザー
SB(Sound Board):Sound Blaster互換のバルク品
Graphic Card:Canorpus PW-3DV
以下は、PC-486SEのころのものを継続して使用している。というか、このころは、PC-486SEも併用して使っていた。
Modem:Microcore 28.2kbps
CRT:Susteen 15inch
とにかく安く上げようとして組んだ結果がこれである。ま、最初にしては上出来だったのかもしれない。
で、そろそろこのシステムでは物足りなくなり、もう少し上のシステムに組み替えようと思い立ったわけである。
さらに、ホームページ作りに役立てようと、スキャナを購入したのも、このころかな。
CPU:Cyrix PR166+ (Clock=133MHz)
SB(Sound Board):Sound Blaster互換のバルク品
Graphic Card:Canorpus PW-3DV /VRAMを4MBに増設、ビデオキャプチャ機能を増設
Modem:Microcore 28.2kbps
CRT:Susteen 15inch
MBにGIGA-BYTEを選んだのは、メーカー名が気に入ったのと、当時大攻勢だったASUSのものは使わないというコンセプト(?)からである。それと、SIMMのスロットが6本あるというのも、魅力であった。結局、SIMMは4本しか使わなかったが。これは、RAMをマッピングするTAG RAMの増設を億劫がったためである。TAG RAMを増設しないと、64MB以上のメモリ空間に対してアクセスが遅くなり、全体的にパフォーマンスが悪くなるらしいのだ。
さらに、このシステムに対して、CD-Rドライブを増設。ヤマハのCDR-400t-VKである。I/Fは、SCSIである。このころから、音楽製作関連にも大散財時代が訪れたのであった。
CD-Rを使って、現在も続いているPSY-DOLLというバンドのCDを焼きまくったのであった。当時は、CD-Rの原盤の質もそれほど良くはなく、結構エラーが発生して板を無駄にすることが多かった。
この後、システムは急速に変遷を続け、私は、大散財を続けるのであった。
RAM:DIMM PC-100/CL2 192MB(64MB+128MB)
Audio Card:emagic Audiowerk8
Graphic Card:Creative Labs Graphics BLASTER/RIVA TN
DISPLAY:MITSUBISHI RDT141X(LCD)
NVDAは最新GPUで、ARM派生CPUをバンドルするんか。
これまでのストーリーは、CPUはあまり影響しないから、わざわざARMでやるぐらいなら、IntelやAMDのを使えばいいじゃんが続くと思っていたよ。
また、オープンなRISC-Vもあるから、ARMはもういらない子だと思っていた。
だから、去年の秋ぐらいにARMを損切りしたんだけど、俺様の予想は間違っていたようだ。
ARMが使われるなら親会社のソフトバンクの利益にもなるわけで、それはそれでいいかと思った。
CPUとGPUを一体化することで、より高速な動作ができるはずなので、正しい方向にGPUは進んでいると思う。
今まではCPUが王様で、マザーボードが部品を接合していたけど、これからはGPUが王様でその上にCPUが載っている構成になるという未来は考えていた。
これを書いた者なんだけどさあ
https://anond.hatelabo.jp/20251212111045
MSのXbox部門のトップであるサラ・ボンドとフィル・スペンサーが退任するらしい
フィルの後任はアシャ・シャルマという人だが、この人のキャリアが、まあ、そのアレなわけで
https://www.gamespark.jp/article/2026/02/21/163063.html
スペンサー氏の後継となるアシャ・シャルマ氏は、ゲーム系事業の経歴はないものの、Metaにおけるプロダクト・エンジニアリングVP、Instacart(米大手食料品配達サービス)のCOOなどの経験を持ち、MSではAIプラットフォーム・CoreAIを主導してきたという経験を持ちます。ナデラ氏は、同氏が「長期価値に沿った事業モデル構築やグローバル規模での運営に深い経験を持つ」と評価しているそうです。
ファンからはゲーム愛に溢れる人物として評価されてたフィル・スペンサーの後釜に、ゲーム業界の経験が全くない、完全にデータドリブンな経営感覚の持ち主を据えてきた
なんか噂じゃ次世代Xbox用CPUの出荷は来年を予定しているらしい
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/2083455.html
AMDは、2025年度第4四半期決算発表において、Microsoft製次世代Xbox向けSoC(CPU)に言及。2027年の出荷に向けて開発中だと明かした。
そんなタイミングでゲーム部門のトップ二人がいっきに交代するわけだが、これを見てXboxの未来が明るく見えるか?
Intelの内蔵GPUはここ数年、AMDに対して1歩、2歩遅れている印象がありましたが、Panther Lakeで一気に巻き返しを図ったと言えます。さらに今後、Nova LakeでXe3Pを投入するなど、少なくとも直近1年間は同社の内蔵GPU性能が飛躍的に向上すると言えそうです。
また、ハンドヘルド型ゲーム機などではAMD製APUが採用される事例が多かったですが、今回のPanther Lakeの性能を見て、今までAMD製APUを採用していたハンドヘルド型ゲーム機がIntelを採用し始めるのかなど、勢力図に変化が見られるのか期待が集まります。
一方で、AMDに関してはIntelがここまで性能向上を果たすと想定していなかったのか、メインストリーム向け製品にはRDNA 3.5を2029年まで採用し続けるという話があります。このIntelの動きを受けてこれらの方針が変わるのかも、今後注目すべき点と言えそうです。https://gazlog.com/entry/intel-pantherlake-igpu-review-roundup/
日経平均株価が半導体指数になってニュースで話題になるが、製造装置や材料は盛り上がっているが、日本に半導体チップ設計の仕事がない。
一方、中国はというと沢山あって羨ましい。
続き
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしいマック・クラシックやカラーマック(多分これでいいんだよな…)が発売されると共に、通常のサイズのマックも、そこそこの(ウィンドウズマシンと変わらない)価格で発売されるようになっていたのである。
しかしながら、相変わらずゲームユーザーであった私は、ゲームソフトのコーナーを一瞥して、やっぱりゲームはDOSベースが多い、とばかりに、ウィンドウズマシンを選んだのであった。思えば、ここが運命の分かれ道であった。
まぁ、ウィンドウズがいいか、マックがいいかは、今でも議論が分かれるところではあるが、このときマックを選択していれば、今の私のパソコンライフは、かなり違ったものになっていただろうことは、疑いのないところではある。
で、購入したマシンは、16ビットに引き続き、EPSONの、いわゆる「ジャケットサイズ」(…といっても、今はもうLPレコードそのものがマイナーな存在であるが…)の小さな筐体がウリのマシンであった。CPUは、486DXの廉価版の486SXで、クロックは20MHzだった、確か。この辺は記憶が曖昧。120MBのハードディスクと8MBのメモリが付いていた。一応、ウィンドウズ3.1は動くというスペック。
このPC-486SEは、当然のことながら、後にいろいろと手を加えた。
こんな具合に。
グラフィックアクセレータ追加(メルコ製、サウンドボードに装着するタイプ)
メモリ8MB追加して16MBに。
CD-ROMドライブ追加(メルコ製のサウンドボードに直結のタイプ、2倍速)
オーバードライブプロセッサ(確かIOデータ製)追加して、CPUをPentium 75MHz相当に。
ディスク圧縮ツールを購入し、340MBのハードディスクの容量を540MB相当に。
これだけの改造(とはいわないか…)を施し、やっとウィンドウズ3.1が快適に動作するようになったのだ。しかし何ですな、よくこれだけ発展性のない改造をやったものだと、我ながら思う。CD-ROMは、インターフェイスが専用なので使い回しができないし。
因みに、CRTは、グラフィックアクセレータを追加するまでは、8801の頃から使っていたNECのPC-854Nを使っていた。アクセレータ購入後に、CRTがマルチスキャン対応ではないことに気づき、CRTを買い換える。ソフマップブランドの、Susteenのものでした。安い割には結構画質が良かった。
ウィンドウズ3.1にしてから、インターネット接続も始めた。最初は何がなんだか分からなかったので、接続ソフトは、取り敢えずインターネット・オフィスという、パック品を使用。接続は、スムーズであった。付属のブラウザは、今や懐かしい「モザイク」である。モデムは友人から譲り受けた14,400bpsのものだったが、このころはこれで十分なのであった。
ホームページもこのころから作り始めた。かねてから懸案のFrank Zappaのページ作りを始めるに当たり、ジャケット取り込みのためのスキャナを購入。このころは、真裸婦ラットベッドの製品は非常に高価であったので、ハンディタイプのものを購入。LPジャケットを8回に分けてスキャンし、付属の合成ソフトで合成するという、涙ぐましいものであった。
このPC-486SEでも、ゲームはずいぶんとやった。でも、以前ほどたくさんはやっていないのだな。
上述したELFの「同級生」の続編。こちらの作品は、「兄と妹」という設定で大ヒットしたという記憶がある。前作のシステムやノリをそのまま引き継ぎ、内容をさらに充実させた、名作。
ホムンクルス(妖精)を育てて人間にするという、育てものゲーム。キャラデザが、イラストレーターの中村博文(どじ)氏だということで購入。そこそこやったが、何故か私が育てるとみんな悪魔になってしまい、そのうち断念。
…印象に残っているのは、このくらい。この時期は、ゲームはスパーファミコンを中心にプレイしていたような気がする。パソゲーが少ないのはそのせいかな。
さて、ここでウィンドウズ95の発売となるのだが、EPSONがEPSONパソコン対応のウィンドウズ95の店頭販売を断念し、注文販売だけにしてしまったので、これは先が無いことが判明してしまった。新規にパソコンを買う予算も、早々には調達できない私は、しばし呆然とし、どうしようかと思いあぐねたのだった。
そのとき、天の導きかはたまた悪魔の誘いか、職場の先輩から、1枚のマザーボードが私の下へ転がり込んだのである。この1枚のマザーボードを発端として、今に至るまでの私のパソコン自作時代、パソコン大散財時代へと突入するのであった。
この譲り受けたマザーボードで製作した最初のシステムは、以下の通り。
MB(Mother Board):メーカー不詳、P54C対応マザー
SB(Sound Board):Sound Blaster互換のバルク品
Graphic Card:Canorpus PW-3DV
以下は、PC-486SEのころのものを継続して使用している。というか、このころは、PC-486SEも併用して使っていた。
Modem:Microcore 28.2kbps
CRT:Susteen 15inch
とにかく安く上げようとして組んだ結果がこれである。ま、最初にしては上出来だったのかもしれない。
で、そろそろこのシステムでは物足りなくなり、もう少し上のシステムに組み替えようと思い立ったわけである。
さらに、ホームページ作りに役立てようと、スキャナを購入したのも、このころかな。
CPU:Cyrix PR166+ (Clock=133MHz)
SB(Sound Board):Sound Blaster互換のバルク品
Graphic Card:Canorpus PW-3DV /VRAMを4MBに増設、ビデオキャプチャ機能を増設
Modem:Microcore 28.2kbps
CRT:Susteen 15inch
MBにGIGA-BYTEを選んだのは、メーカー名が気に入ったのと、当時大攻勢だったASUSのものは使わないというコンセプト(?)からである。それと、SIMMのスロットが6本あるというのも、魅力であった。結局、SIMMは4本しか使わなかったが。これは、RAMをマッピングするTAG RAMの増設を億劫がったためである。TAG RAMを増設しないと、64MB以上のメモリ空間に対してアクセスが遅くなり、全体的にパフォーマンスが悪くなるらしいのだ。
さらに、このシステムに対して、CD-Rドライブを増設。ヤマハのCDR-400t-VKである。I/Fは、SCSIである。このころから、音楽製作関連にも大散財時代が訪れたのであった。
CD-Rを使って、現在も続いているPSY-DOLLというバンドのCDを焼きまくったのであった。当時は、CD-Rの原盤の質もそれほど良くはなく、結構エラーが発生して板を無駄にすることが多かった。
この後、システムは急速に変遷を続け、私は、大散財を続けるのであった。
RAM:DIMM PC-100/CL2 192MB(64MB+128MB)
Audio Card:emagic Audiowerk8
Graphic Card:Creative Labs Graphics BLASTER/RIVA TN
DISPLAY:MITSUBISHI RDT141X(LCD)
フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分のPC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。
なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのである。プログラムを組んで実行できる最初のマシンは、高校のときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくまで電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。
パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代に突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。
これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲームの感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?
小さい頃から、電気・電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗、コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックにトランジスタや抵抗などが入っており、ブロックをボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;
因みに、私がアマチュア無線の免許を取得したのは、小学生のときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。
当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオの製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。
まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路の動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。
そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオのプログラム電卓「FX-502P」である。
これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。
プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプションが必要だが(買った)、普通のラジカセなどを使ってカセットテープにプログラムを記録するのである。
あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである。
学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。
で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MA2である。
当時は、既に16ビットパソコンのPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?
それは、パソコンでゲームがしたかったからである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルでコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである。
とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。
何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのである。しかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在である「ソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである。
世間では、「クソゲー」との評価が一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界が存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのである。ストーリーは、最初は与えられず、発見したものだけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコンの時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである。
「ドラクエ」シリーズで有名なエニックスのアドベンチャーゲーム(AVG)。
不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。
今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家、松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的なダンジョンとはひと味違うのである。
ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。
1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームがハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。
今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。
かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである。
このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスターが女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである。
このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである。何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム、特に、グラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。
そんな中で、この「カオス・エンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。
また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンスな雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。
しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きがゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。
当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターもののゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラ系ゲームを続々と発売していた。
このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画「うる星やつら」をゲーム化したものである。
ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。
マルチエンディングや時間の概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。
フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。
フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後のどんでん返しが強烈でした。
そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…
これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである。
ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。
これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストップキーでゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。
そして、NECの8801,9801シリーズのパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタに印刷することができる。
なんか、「流行だから適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。
…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコンの時代へと、大幅に突入したのだった。
そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;
パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)
今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクトに収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。
それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。
これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。
でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。
あと、このマシンから、パソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから。
当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像をダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。
このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。
このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。
上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスクに書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっと寂しかったが。
なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。
「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点を排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。
「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。
これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しかも大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビアな時間の概念。所持金の存在も内容に深みを与えています。
さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲームが破綻しないものだ。
そして、何より高校生最後の夏休みという、絶妙のセッティング。
とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的なゲームでした。
後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしい
AMDのCEOであるリサ・スー氏とNVIDIAのCEOであるジェンスン・フアン氏が、共に台湾系アメリカ人であるというご指摘は事実です。
AMD(アドバンスト・マイクロ・デバイセズ):リサ・スーCEOは、卓越したリーダーシップでAMDを率い、半導体業界で大きな成功を収めています [1]。
NVIDIA(エヌビディア):ジェンスン・フアンCEOは、NVIDIAをグラフィックス処理技術のリーダーに育て上げ、AI分野でも革新を推進しています [2]。
両氏とも、それぞれの会社で重要な役割を果たしており、彼らのリーダーシップの下、AMDとNVIDIAは高性能なコンピューティング技術の発展に大きく貢献しています。半導体業界における彼らの影響力と、両社が市場で繰り広げる競争は、しばしば注目されています。
この構成なら動きました、このバージョンドライバなら動きます。
みたいな情報を少しずつ集めて、欲しい性能を安く揃えたものだった
質の悪いコンデンサだったら交換したりしてね、その手間を掛けてやっとメーカー品の半額の値段で1.5倍くらいの性能が手に入るというものだった
SSDが流通し始めて流れが変わったかな、coreiシリーズやWindows7が出た頃だったと思う
パーツ同士の互換性が良くなってね、好きなパーツで適当に組んでも動くようになって、虹色に光り始めて、まあつまんなくなったよね
あれは良い部品だと思うけど、改めて買おうかと思うと消費電力が気になるよね、学生で実家住まいだったら迷わず買ってたよ
AMD A8(例えば2014年頃のA8-7600など)から最新のCPU(Ryzen 9000シリーズやCore i14/15世代)に換装した場合、AV1エンコードのスピードは「測定不能」あるいは「数十倍〜百倍以上」という次元の差になります。
これには、単なる計算速度の向上だけでなく、「ハードウェア支援」の有無が決定的に関わっているからです。
1. ソフトウェアエンコード(CPUパワーのみ)の場合
AMD A8はAV1という新しい規格が登場する前の設計であるため、最新の効率的な命令セット(AVX-512など)を持っていません。
AMD A8: 1fps(1秒間に1フレーム)すら出ない、あるいは処理が重すぎて途中でエラーになるレベルです。
最新CPU (Ryzen 9 / Core i9): ソフトウェアエンコード(libaom-av1等)でも、設定次第で実用的な速度(フルHDで数十fpsなど)が出せます。
倍率の目安: 純粋な計算能力の差だけで10〜20倍以上の差がつきます。
2. ハードウェアエンコード(内蔵GPU)の場合
ここが最大のポイントです。最新のCPUには、AV1を高速に処理するための専用回路「AV1エンコーダー」が搭載されています。
AMD A8: AV1のハードウェアエンコード機能は非搭載です。
最新CPU: Ryzen 7000/9000シリーズや、Intel Core 第12世代以降(内蔵GPU)には、専用のハードウェア回路が組み込まれています。
倍率の目安: ソフトウェア処理に頼るA8に対し、最新CPUのハードウェアエンコードは「瞬きする間に終わる」レベルの差になります。比較自体が酷なほどで、体感では100倍以上のスピード感になります。
自動調理家電が色々と話題だが電子レンジこそが自動調理家電の雄であることを気付かされた。食材をつっこんでメニュー選んで後は待つだけというQOLの爆上げを感じることが出来る。
「令和時代の新三種の神器」に「ドラム式洗濯乾燥機」と「食洗機」と「ロボット掃除機」が挙げられるが、前述の三種を既に所有していた身としては「スチームオーブンレンジ」の方が先だろと言わざるを得ない。
スチームオーブンレンジについてぶっちゃけて言えば、最新のスチームオーブンレンジじゃなくて型落ちでも全く問題がないので未所持の方は本気でご検討を。
その名の通りの風呂で使える防水無線スピーカー。対応音声コーデックはSBCとAAC。
最大の特徴はQi2対応によるマグネット無線充電が可能な点で、このマグネットにより風呂場で磁石が効く部分へ付けられること。風呂に入りながらゆっくりと音楽やポッドキャストを聞く、動画を観るなどに最適で、日本人のために設計されたとしか思えない。
風呂場で磁石使える部分なくとも洗濯ネットか何かに放り込んで吊るしておけば良い。
Ankerの比較的まともなUSB-C to USB-Cケーブル。
高性能なUSBケーブルは結構堅いのが多いけれどもコイツは他社と比較すると柔らかめ。何だかんだでこういう細かな部分でQOLってのは上がるんだなぁと再認識。
AMD Ryzen7 PRO 8840U、DDR5 64 GB、M.2 SSD 1TBという構成。
もともとはApple Macbook Pro(2023)でApple M2 Max、メモリ32GB、SSD 1TBという構成のものを使っていた。
結局のところLinuxで開発するならホストOSもLinuxが一番面倒が無いんだという悟りを得てしまいThinkPad on Linuxへ移行。
利用しているLinuxディストリビューションはNixOSで、KVMにWindows 11も居る状況。
デスクトップ環境はHyprland、シェルはzsh、日本語入力はfcitx5-mozc-ut、エディタはNeoVimとVSCode(nvimプラグイン導入)。
NVIDIA DGX Spark互換機で128GBのユニファイドメモリを積んでいる便利なやつ。
DGX Spark互換機はNVIDIAからの積極的なサポートもあり日進月歩な感じで少し目を離すとかなり変わっていく印象。
筆者は画像生成はほとんど行っておらず機械学習に利用しているが、Thinkpadと合わせてこのフットプリントで高い処理能力を活かした機械学習できるの本当に良いね。
数年は戦えるし、たぶんリセールバリューも期待できるので買って損は無い気はしている。
ただ、ChatGPTやGeminiへの課金は減ったと言えども続けてしまっているので「ChatGPTやGemini要らず!」なんてレビューは嘘だと思う。
結局は新モデルが出たら触りたくなるのが技術者の性なので「DGX Sparkはコスパ良い!」なんてのは幻想だよと。
ちなみにASUS ASCENT GX10へこだわりがあったわけでなく、たまたま最も早く入手できたのがコレだっただけ。
ラズパイもここまで性能が上がったのかと感動した。
一般ユーザーの用途では軽いビジネス文書作成やWebブラウジングくらいならば余裕で実用に耐えうる。実家の老父母のPCはもうコレで良いんじゃないか?と錯覚するレベル。
技術者的な目線では簡易的なサーバーや無線LANルーターなどの構築も可能で、今は8GB版が子供用の無線LANルーターになっている(ネット使いすぎを防ぐための方策。一定時間に使いすぎると速度を徐々に低下させてる)。
むしろここまで来ると「次世代機Raspberry Pi 6(16GB版)がどうなるか?」に興味津々で、HDMIだけじゃなくDisplayPortとか対応して120fps出力とかしだしたら本当にもうコレで良いんじゃないかなぁ?
MediaTek Dimensity 7400X、メモリ8GB、ストレージ256GB、デュアルカメラ、FeliCa、物理nanoSIM(eSIMも対応)、外部SDカードは未対応。
Appleエコシステムから抜けちゃったので「コレでもう良いんじゃねぇかな?」という感じに落ち着いてしまった。
散々言われまくっているが「iPhone Airが目指すべきはコレだった」というのは本当にそう思う。だってテーブルへ置きやすいし。
若者から老害って言われても仕方ないと思うけど「電話掛けるとき物理的に曲げられる素晴らしさ」よな。人間工学的にコッチの方が正しいんじゃなかろうか?
筆者、実は自作キーボード勢および自作格ゲーアケコン勢である。INARI M06とは卓上で利用できる射出成形機だ。
3DプリンターでFDM方式をやって光造形方式をやって、色んな3Dプリンターを買っては試して売っぱらい「やっぱり射出成形が最強だよね!」とついに手を出した。
3Dプリンターでは一切真似のできない製造速度と強度、精度に「やっぱりコレよ!」となっている。
しかし、INARI M06には上位機種INARI P35が存在しており「・・・いやコレを導入したらもう業者ではないか?」と自問自答を繰り返している。
卓上CNCフライス盤と呼ばれる工作機械。上記のINARI M06のアルミニウム金型を削り出すために導入。カスタムパーツも豊富で、何ならカスタムパーツも自分自身で製造できるという性能を持っている。
3Dプリンターが不必要というわけでなく用途の違いと言うか、試作するには3Dプリンターはまだまだ有用で、試作を元に金型を作って量産するのに射出成形機って便利なのよね。
今ではキーキャップのほか、基盤やキースイッチすら自作が出来る環境になっているものの、PCケースみたいな大型のものは自作できないので、そろそろメタルベンダーとか100v溶接機(家庭電源で使える)とか必要なんじゃないかな?と検討してる。
ただやはり、自身で加工が困難だと感じる部分はJLPCBやmeviy(㈱ミスミ)に頼むのもアリだ。
ごめん、最初に10選って書いたけど10個ピックアップするの無理だった。
細々した工具とかガジェットとか買ってるんだけど10選に挙げたいってほどのものじゃなかった。
というわけで最後は頼んだ。