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はてなキーワード: 送別会とは

2026-05-05

陰キャの俺が、一目惚れしたロリ巨乳の歳下彼女結婚するまで

31歳になった。今年、嫁にした彼女の話をどうしてもさせてくれ。

彼女とは元同僚。別の部署だったが初めて視界に入れた瞬間、胸の奥が静かに落ちた。155cmの小柄な体躯、幼さを残した瞳の奥にキリッとした大人の色気が潜んでいる。あの絶妙バランスは、まさに自分の好みのど真ん中だった。運動音痴陰キャの俺が、こんな可愛いロリ巨乳彼女とゴールインするなんて。

会社飲み会日常茶飯事の陽キャ天国大学生ノリが横行する中で自分はただただ浮いていた。大人数の輪など苦痛しかない。だから酒を浴びるしかなかった。酔えば人に合わせられる「酔うキャラ」——それが当時の自分の唯一の立ち位置だった。今思えば痛々しい。だが彼女の前では、不思議と肩の力が抜けた。

きっかけは、ジャニーズ映画だった。特に嵐。ピカンチDVDで揃え、Dの嵐違法視聴横行時代YouTubeで漁っていた自分マニアック知識が、彼女琴線に触れたらしい。一対一やカラオケでは、相手趣味に全力で溶け込めた。Filmarksで「好き」を静かに共有する関係からまり、初めての二人きりの飲みは夜の7時から、気づけば午前2時を回っていた。ホテルには連れ込まず、できる男を装った。あの時の冷静さは、イケメン友達の教えと、世の女性たちへの感謝特にインティ動画)によるものだ。男はポインティを見ろ。

その後、電話が2人のメインコンテンツとなった。一日中繋がったままライン履歴半日を超えた時はさながら高校生恋愛みたいで自分でも呆れた。会話のテンポが心地よすぎて離れられなかった。もどかしさ、まさに思春期の甘い時間だった。

しかし進展は止まっていた。

本当の転機は、彼女の退社日送別会二次会はまさに混沌の宴だった。個室で腕を組んで眠る者、階段で力尽きる者、トイレで吐き潰れる者——カオスのもの。酔いの波に身を任せ、自分は何度も彼女を外へ連れ出した。都会の深夜2時、酔っ払いたちの喧騒の中で、まるで二人だけの静かな世界にいるような錯覚に陥った。

始発が近づく頃、みんなが散り散りになる中、彼女から電話が来た。「見捨てるのか」と、怒ったような、縋るような声。自分限界だったが、絶対にこの子を逃したくなくて地下鉄の街を必死に走り回った。見つけた瞬間、彼女は酔ったまま手を組んできた。

自分の帰路とは全く関係のないホームに乗り、荷物を預かり彼女地元まで送った。

朝9時、彼女の部屋で裸で目覚めたとき自分はようやく現実を噛み締めた。

あれから3年。彼女は今、俺の妻だ。

何が言いたいか

がめつくなければ、焦らなければ、キモくならなければストレートに愛を伝えるのは意外と強い。

そして最大の武器は、趣味と、相手に寄り添う共感力なのだと。

顔も可愛いし、おっぱい規格外で、本当にありがとう

2026-05-03

定年退職するおっさんを2人ぐらいガン無視した

とにかく中途採用の扱いが悪い会社なんだけどさ

何も教わってないし、送別会にも参加しなかった

そいつらの送別会新人しか出席しなかったって

気分いいよね

2026-03-31

会社送別会で泣きそうになった話

会社送別会で泣きそうになった話。

ついさっき終わった送別会で嬉しくて泣きそうになった。まだ酔っ払ってスマホ文字打つ手もおぼつかないけど、嬉しい気持ちを吐き出したくて酒の勢いで書いている。身バレはしたくないのでフェイクを都度交える。

俺はコロナちょっと前くらいに大手会社入社した。世間名前も通ってるし売り上げも数兆円だ。胸を張って入社した。

俺は社会人として失格だった。私立文系のふんわりした空気のまま会社に入り、当然の如く大失敗を繰り返した。周りから会社員失格の烙印を押され、島流し同然に関連会社へ出向となった(誤解のないよう言っておくが、失敗を繰り返す俺を周囲はしっかりサポートしてくれた。単純に俺が無能だっただけだ。あと島流しと言ったけど関連会社がミソッカスの集まりだった訳でもなく、普通にちゃんとした関連会社だった。俺を扱いあぐねた会社たまたま空いた席に俺を押し付けた形だ。当時の関連会社幹部は良い迷惑だったと思う)。

俺は意気消沈していたが、関連会社の人はいい人たちだった。上司は俺を根気強く指導してくれたし、同僚や関連部署の人たちは優しく俺を見守ってくれた。俺は自分を見つめ直した。同じ轍は踏むまいと頑張った。周りの人たちに恵まれて、社会人として鍛え直して貰った。仕事やりがいを求めるつもりはなかったが、会社給料を貰うと言うことの意味を知った(大手だけあって待遇は超ホワイトだ。だから余計に最初の失敗が申し訳なかった)。

つい先日、人事発令があった。俺は本社に戻ることになった。配属先の部門は本流、と言うほどでもないが、少なくともミソッカスが行く部署ではない。正直驚いた。勿論社会人から配属された先で頑張るつもりでいるが。

運が良かったんだと思うし、上司や同僚に恵まれたんだとも思う。でも、入社した時のクズ自分からは考えられない異動だった。

今日部署送別会があった。酒が進んでお開きに雰囲気になった時、俺が人間的にも仕事的にも滅茶苦茶尊敬している超優秀な関連会社幹部の人からコメントを貰った。

「君は一度会からNGを貰って今の部門にやってきた。だが、君は成長した。今、君はかつての君とは違う。君自身も手応えを持っている筈だ。その気持ちを大切にしてほしい」。そう言われた。

大したコメントじゃないかもしれない。社交辞令かもしれない。でも、なんか涙が出そうになった。

社畜根性と言われればその通りだし、洗脳手法と指摘されても反論余地はない。ただ、これから数十年勤める組織の、尊敬すべき先輩からこんな言葉を貰えたことが、この上なく嬉しい。人に認めて貰えるとはこういうことなんだ、と感じた。

明日からは新しい部署での仕事だ。正直自分に務まるか不安はある。でも、頑張る。頑張ろうと思える。会社員としてそう思えることが嬉しい。

2026-03-30

職場送別会行ってきたけど

気疲れしすぎて気分悪い 

お腹痛い

顔色悪すぎて草

送別会幹事、お願いできる?」に「それって業務ですか?」と返す若手…上司も逃げ腰で〈年収500万円〉35歳中堅社員に丸投げ、「報われない飲み会」に疲労困憊

https://gentosha-go.com/articles/-/76844?page=2

2026-03-27

八つ当たりだよね

私の送別会だったのに、主催者昇格試験に落ちて大荒れだった。まぁ仕方無いね

2026-03-24

幹事飲み会ポイントを貯めることの是非

先日、職場送別会が開催された。

部の若手社員幹事を務め、大いに盛り上がった良い会だった。

しかし、会計の際に幹事の若手がPayPayで決済していたのを私は見逃さなかった。

送別会の翌日、幹事の若手から部の全員に御礼と支払額の連絡がきた。

まさかとは思っていたが、なんと決済した全額を請求しようとしているのだ。

『これはちょっと作法を教えてあげないとな』と思い、老婆心ながら幹事の若手のところに行き、「PayPayで決済しているのだからその分のポイントがついているはず。ポイントは引いた金額を皆に請求しなさい」と教えてあげたところ、幹事の若手はポカーンとした様子だった。

『私文卒は算数もできないのか』と思い、図を書いて説明したがまだ理解できている様子がない。

まりの物分かりの悪さにヒートアップしてきた私を心配した課長が近寄ってきたので事情説明したが課長理解できている様子はない。

「ま、手間賃ということで大目に見てあげようよ」とその場を丸く収めたつもりになった課長の顔を立てて渋々自分の席に戻ったが、周りから視線が痛かった。

2026-03-19

昔いた会社にもいたな

自分が辞めるときボードメンバーから聞いたけどそいつがいると精神的に辛いといったことを明言してやめた人が4,5人ぐらいいたとか

実際自分も仲のいいメンバーのみでの送別会の際にそういう内容を聞いたことある

自分自身も必要なことはPM経由ですませて直接絡むのを極力避けてたし席自体も離れたところに用意してもらってた

じゃないと新人に対して衆人環視のなかコードの書き方とかについて怒鳴り散らしてるのが目に入ってウザいか

slack上でも暴言上等なことあったか部署が再編成されたとき所属部署解体されたけどその際にどこからも引き取り話がなかったというオチもある

なおこの人物特に役職についてたわけではないw

2026-03-14

退職エントリなんてものを書いちゃう人の傾向

IT系企業の人ばかり

 まぁ性質なのかな。

・超ブラック時代武勇伝

終電帰り

深夜リリース

PagerDutyで夜中に叩き起こされる

月200時間残業

でも最後に必ずこう書く。

”今振り返れば貴重な経験でした。”

・「最高の仲間」に異様に感謝する

本当に素晴らしいメンバーに恵まれました

最高のチームでした

そしてSlackの集合写真が貼られる。

・謎の技術リスト

途中で突然出てくる。

Go

TypeScript

React

Terraform

Kubernetes

「この会社でこれらを学びました」

という技術履歴書コーナー。

プロダクト愛を語る

退職するのにめちゃくちゃ愛を語る。

このプロダクトはまだまだ成長できると信じています

だがなぜ辞めるのかはぼかす。

転職理由がふんわりしている

本音

給料

上司

将来性

だがこう表現される。

"次のチャレンジをしたいと思いました"

・やたら長い

普通の人なら3行で終わる内容が

12,000文字くらいになる。

最後ポエム

締めはだいたいこれ。

挑戦はまだ続きます

人生は旅の途中です。

次のステージでも頑張ります

そして最後

"今後ともよろしくお願いします!"

(おまけ)

Qiitanote投稿される

いいね数がやたら多い

コメント欄が同僚の送別会状態

職業選択の自由憲法22条)をタテに競業避止義務ブチ破りなの本当にゲラゲラ笑える

2026-02-26

まらん意地を張った末路

年末、ウチの会社年末忘年会をやる事になったから、

俺は幹事の1人として参加不参加を各部署に聞いて回っていた。

弊社の忘年会実質的重要仕事や重病で出てこれない人間以外はほぼ全員出席の社員一同(派遣パートも含む)が集まる重大なイベント

出張に行ってる奴だってその日はこちらに戻って参加する程。翌日普通に出張先で仕事をする強者もいる。


派遣が多い部署に参加不参加を一応儀礼的に聞いて回ってたんだけど、後で送られてきた出欠表を確認すると派遣組のほぼ全員が不参加になっていた。

まり異常事態に俺はすぐさまその部署に行って課の責任者派遣リーダー(こいつも派遣)を呼び出した。

すると派遣リーダーAからとんでもない答えが返ってきた。


忘年会は構わないが会費が高すぎる、男10000円、女性7000円はキツい。

派遣と行っても色んな会社から来ており、その中には手取り20万もなく残業代も未払いで生活費だけで厳しい人もいる。

・ただでさえ先々月ぐらいか結婚した人への祝い金や早期退職するベテランへの送別金、同じく結婚退職する社員(以上、全て正社員)の送別会費用など出費が立て込んでおり手取り10万代の子が本当に困っている。

・出欠は自由参加だから参加しなくても構わないのではないか年末に向けて仕事も忙しいので勘弁して欲しい。

・我々の様な派遣パートまで参加が実質強制的なのはおかしいのではないか

と言ってきた。


俺の言い分としては

忘年会は我が社の一大イベント。例え派遣パートでも参加してもらう。それがウチのスタンスだ。

派遣個々の手取りはその会社交渉するなりしてくれ。こちらは一人頭最低でも50~60万の月単価を支払っている。

・金が無いというのは個人問題であってウチとしての責任は無い。

社会人として付き合い一つ出来ないのは如何なものか?

そもそも会費は全員参加前提で設定している。例え不参加でも会費は支払って貰う。

それは今までの慣例でずっとやってきた。と言った。

派遣リーダーと俺の意見は当然平行線で結局結論は出ずに、俺も仕事が合ったのでその時は終わった。


一応俺は人事を担当している立場なので、派遣組にはメーリングリスト

「確かに出欠は個人自由ですが、もし重大な理由無く不参加の場合は、どうなるか分かりませんよ?」と告げた。

すると派遣の内何人かは参加しますという返事を貰ったが、派遣組の大多数から了解の返事を得られなかった。


一応忘年会については無事開催され、社員同大いに盛り上がったんだけど、

派遣らについては俺の忠告が効いたのか参加者は何人かいて、直接俺に頭を下げる奴もいたが、最終的に派遣グループの参加率は結局半分を切る程度。

不参加組の参加費の徴収も色々言い訳をされて未だ出来ておらず、参加人数がギリギリになるまで確定できなかった関係上、ビンゴ大会の景品が予定していた数より減ってしまったのが痛手。


結果的に社の一大イベントに水を差された結果となってしまったので、

残念ながら非参加の派遣連中については、今期以降の契約については考えさせて貰う事になった。

その内の何人かは年明け早々契約打ち切りという悲しい結果となったが、これに懲りて社会常識を学んでくれるとありがたい所。


ここ見てる中で派遣パートの人もいるかも知れないが、つまらん意地を張ったばかりに自分の首を締める事もあるんだよという事を、彼らの失敗を見て学んで欲しい。

2026-01-09

前の会社の話

初めての結婚記念日の日

社内でトラブルが起きて

全員で会社に泊まりになるかもしれない状況で

結婚記念日なので帰らせてください」

とは絶対言えなかった。

17時を回った頃に

課長に呼ばれて封筒を渡され

「これをK物産に届けろ」と言われた。

これで今日はもう日付前には帰れない。

「届けたら直帰していいから」

と言われ封筒を預かった。

「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!

と言われ不満を抱きながら駐車場に向かった。

車に乗り、封筒を開けると

結婚おめでとう。

今日はこのまま帰りなさい」と書かれていて

会社に入って初めて泣いた。

その翌年、課長家業を継ぐために

退社したが、送別会の席でお礼を言ったが

「そんなことあったか?」と空とぼけていた。

こんな課長いたら、絶対一生着いていくわ..

2025-11-11

教員権利を勝ち取った話・その後

はじめに

教員が権利を勝ち取った話を書いて約1年。ふとこの記事はてなブックマークをみると、こんなコメントがあった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4760869331639768992/comment/htnmiki

職員会議で割り振りの件を話して学級崩壊ならぬ職員崩壊になったらウケるので続報よろしく

反応としては記事最後にあるように隣の先生が「まったく…」的な態度を取ったくらいで、職員崩壊にはなっていない。

とはいえちょっとした後日談があるのでここに書き置く。

愚痴

いきなりすみません、「ま~た甘々なゆとり・Z世代が何か言ってる」と思うかもしれませんが、少し愚痴らせてください。

勤務環境

記事の通り、ただですら荒れているのになぜか委託研究をしている上に行事が多数ある学校だったことに加え、

こちらの状況や意向聴取なく、経験のない運動部顧問(一応主顧問別にいたが)を当てられた。
生徒が度々やらかすので、次の授業まで時間がないのに臨時の全校・学年集会・下校指導が開かれることがしばしばあった。
担任でなくても給食指導に当たる必要があった。朝の会の最中や授業のないコマも見回りをする必要があった。

翌年からはチーム担任制(学級担任を固定せず全教員がローテーションで担任業務を行う)となったらしい。

臨時教員は難しい仕事を任せないのが一般的だが、なぜか正規教員と同じことを求めていた。

都道府県高校では臨時教員は年次目標作成面談研究授業、担任がなかったり一部が省略されるが、ここでは正規教員と同じことをさせられる。

(やむを得ない)遅刻病気にもかなり厳しい。

電車の遅延の場合でも、教務主任管理職それぞれに直接厳しい叱責を受ける必要があった。病気休暇は書類があれば問題ないが、なぜか管理職は取得を嫌がる。

「勤務時間の割り振り」(前記事参照)の取得も自由ではない。

教務主任も「割り振りを使える日が指定されている学校もあるよ」という。有給休暇連続して取得すると、「こういう時はいろんな先生に謝っとけ」と言われる。

どこにも明記されていないのに服装を厳しく指摘(オフィスカジュアルNGという)されたり、休憩時間中ですらスマホ職員室を離れることを禁止される。
複数回やることになる謎の職員トイレ掃除
プリントで生徒に分かりやすい図を見せようとコピー機を使うと、校長インク代が高いからやめろ」。

事情説明しても「それは理由にならないから」。

毎朝の朝礼で、校長が「校長通信」と称して、教員指導力や勤務態度などを批判する文章を配っていた。

自身による批判もあれば、どこかから引用したものもあった。しまいには「教員の魅力を伝えて採用試験受験者数を増やそう」。無理。

極めつけは、(給与休日振替もないにもかかわらず)始業30分前や土曜日の出勤を強制されそうになったこと、当たり前のように時間外に会議研修があること。

部活動指導など。隣の先生すら「休日に無給で出ろ」と言う始末(何とか回避したが)。外部指導制度はあるが、管理職が導入に消極的


人間関係

性格きつめのA先生

着任当初から怒鳴りつけられた。このほか、授業を見ては「生徒に迷惑だ」と言うなど。管理職を味方につけるため面倒。

意見を聞いておきながら、「まぁ違いますけどね」「通らないと思うけど成長と思ってください」と。何のために聞いたんだ。

校長教頭及び教務主任

同じく厳しい。全員私と同じ教科だからか、目につきやすいのか。教員病気休暇を取ることをやたらと嫌がる。教務主任はやる気がありすぎてうざい。

こだわりの強いB先生

仕切りたがり屋。鍋奉行の学級学年運営版。個人でやる分には構わないが、こちらを巻き込んでくるので厄介。学年会議の話を長くして帰りを遅くする要因。

隣の机のC先生

やはりこだわりが強い。人間関係強要してくる(教員間の人間関係が生徒に響くからだとか)。飲み会の欠席を伝えると何度も確認してきた。

個人的な事情

勤務環境とは無関係だが、次のような要素も大変になった理由かもしれない。いずれも今年は解決しているが。

その前の年に母親(同じ県の高校教員をしていた)が脳神経系の疾患により救急搬送され、当時療養中だった。

1年の療養の後回復し、現在は復帰している。

奨学金の返済が残っていた。年度当初で約70万円。月の返済額は8千円だが万が一に備え毎月8万円を返済用口座に入金していた。

学部(2種・240万円)は前年度末に繰上返済を済ませていた。大学院(1種・計120万円)の分も12月で返済残額に到達した。その後繰上返済により今年9月に返済終了。

かなり気温が高い(10月末までかなり暑かった)年で、体調に悪影響があった。

今年は比較マイルド気候だった。


年度末までにあったこ

ピンポンダッシュ事件

荒れている学校なので生徒が授業中騒ぎまわるのは当たり前だが、放課後に何かやらかして近所から苦情が来ることもしばしばあった。

文字通り、学年の複数の生徒(やはり授業中態度の悪い主犯格)がピンポンダッシュをしたというもの

犯人特定し、怖い先生複数人で指導していたところ、そのうちの1人が暴れ出した。服薬しないと暴れる生徒だったが、試験的に服薬を止めていた矢先のこと。

保護者を呼びつけ毎日の服薬を確約させたが、その後も本人がその通り服用しているか怪しい。

暴走族

私の担当学年の生徒ではないが、市内複数校の暴走族グループに入っている生徒がいたらしい。

体育祭集団で来ると噂があり、全校で対応することになった。私は危険を感じ、家族病気理由にして年次有給休暇を取得した。

あるクラス担任メンタルダウン

2年以上は生徒本人の行動や人間関係理解して担任クラス編成を決められる(ヤバい生徒を分散できる)のだが、1年(当時の担当学年)はそうもいかない。

一応小学校から申し送りは来るが伝聞証拠に過ぎず、ヤバい生徒(しばしば保護者ヤバい)が偏ってしまうことがある。

本年度の1年は特にヤバいといわれていたが、その中でもヤバい生徒(上記の暴れる生徒もここ)が集まったうえ優しい女性のD先生(同い年)が担任になってしまった。

ついにメンタルがやられ休職担当授業を自習としていたがそれも限界になり、教務主任(該当教科の免許未取得)が授業をすることに。

代替要員が見つからないので、臨時免許(無資格者を宛がうための免許)を持たせて採用しその場をしのいだ。担任学年主任(再任用最終年度)が引き継いだ。

最終的にその先生は復帰するが、他の女性教員支援員さん複数人で対応しても生徒が教室を走り回るありさま。こちらが怒鳴りつけて少しは落ち着いたが。

私とそのまわり

とはいえ結論から話すと、居づらくなったりといったことは特に起きなかった。強いていうなら、私の病気休暇申請書が消えていたところだが。隠されたのかな?

また、管理職から残業命令はできないので、同僚からメモや口頭で「仕事があるから帰るなよ」と言われる程度(無視したが)。結局なんだかんだで

学年主任「生徒と関わるの嫌でしょ、給食職員室で食べて」

担当部活の主顧問試合の引率だけしてくれればいい、定時で帰りな」

配慮してもらえた。

嫌な顔をしているのは先述のA先生校長くらいだが、特にダメージはなし。A先生こちらが挨拶しても無視という態度だが、特に問題はない。

(挨拶無視マウント一種らしいが、同世代出世争いをしているならともかく、年の離れた私にマウントを取る意味はないのだが…)

校長面談とかで

「君の教職に対するモチベーションはその程度なんだね。もう君には何も言わないから」

→言われるうちが華とかいうけど放置してくれると個人的にはありがたい。

「もう30歳でしょ、将来どうするか決めないと中途半端になるよ」

→そこそこの収入が得られればやりがいとか成長とか考えなくても問題ない。

と暗に退職勧奨する程度。結局転職したが。


転職の決め手になったのは、次年度のクラス編成会議。あろうことか、次年度の担任をさせられそうになった。

もう耐えられないと思い、「それなら退職していいっすか」と言ったが流された。管理職に伝えてみても「君責任感はないの?」と。退職勧奨してたじゃないっすか。

仕方ないので退職代行に頼ることにした。公務員の依頼は多くの業者が引き受けないというので、同じ県に事務所もつ弁護士に頼ることにした。

終業後、事務所に赴き現状を話した。ところが、有給休暇の残り日数の都合で即日退職はできず、連絡もこちらの在校時間中になるとのこと。

だが背に腹は代えられない。そのまま依頼し、後日実行してもらったところ、あっさり受理された。なんだそれ。


それから特に他の先生から何かされることはなかったが、C先生喧嘩することになった。

「3年生を送る会」の準備が原因だった。研究委託校ということもありICT活用しようということで、生徒に出し物のアンケートフォームを作ることになった。

多数あるものから第3希望まで選ぶもののため、第4希望以降の回答は必要ないが、C先生は「ポチポチするのは面白いだろうからそれも入れて。今日中に作って」と。

作ったものの、結局それは忘れ去られ。次々と要領を得ない指示を出され。そしてある日の朝礼後、突然、

C先生「出し物の準備どこまでできた?」

私「こちらに完成していますよ」

C先生「作ってほしいのはこんなんじゃない。もっといいものを作ってよ」

私「(よくわからないな)それならもっと早く具体的に言ってくださいよ」

C先生「そんな言い方ないでしょ!!」

怒鳴りあい喧嘩に。

教務主任「生徒がすぐ外にいますから…」

教頭「お前ら何してんだよ!!落ち着いてください!!」

この場は引き離される形で収束昼過ぎ教頭に呼ばれた。また怒られるんだろうなと思ったら、

教頭「いろいろ嫌な思いしたと思うけど、あと少しだから。ほんの少しでも居心地が変わるからC先生に謝って仲直りしたら?」

教頭「それと、次の学校に行って納得できないことがあったら学年主任相談してみるのもいいと思うよ」

C先生「このたびはすみませんでした」

担当部活の主顧問一生懸命作ったものね」

やたらと威圧感のある教頭が優しくなって不気味だった。学年の先生も手のひらの返しようである

修了式

授業もすべて終わり、いよいよ修了式。私は退職するので、離任挨拶をすることに。

全文は忘れたが、この学校であった嫌だったことや管理職から受けた叱責のことを話した気がする。校長の顔がみるみる曇っていく。

悪い空気感を察したのか、他学年の先生に「時間で~す!!」と止められた。そういえばこの先生研修会で私が講師に悩みを相談したとき割って止めてきたような。

最後に「校長通信」を持ってきて全職員校長の目の前で破き、校長に投げつけた。


学年主任は(なぜか笑顔で)「後で謝っときなさい」と。その後E先生に個室に呼ばれる。離任挨拶(という名の学校批判)の原稿全見て

E先生「どこも一緒だと思うよ、他の仕事探したら?どうしても教員になりたい理由はあるの?」

私「免許職なので再就職がしやすいですし、そこそこの給料が得られるからです」

E先生「わかった。とりあえず校長先生に謝りなよ」

私「嫌です」

E先生「わかった。僕がなんとかしておくから。この原稿は見つからないようにシュレッダーにかけとくね」

職員室に戻ると、校長が一人でさっきの紙くず掃除をしていた。


残りの有給休暇が少なかったこともあり、修了式から数日は出勤する必要があった。

C先生には「今までお世話になったんだから下駄箱とかロッカー掃除しなよ」といわれたが、無視した。

私の後任を探そうにも、現職・新採用どちらも本採用教員が確保できず。担当は別でも該当教科の免許もつ教員も充当できなかったようだ。

同じ教科の普通免許保持者に絞ると、臨時教員も見つからず、臨時教員として採用された新卒者に臨時免許を持たせ、2教科の担当にして回すことになったらしい。


退職と離任式

事務手続き上仕方ないのだが、この学校事務の催促がうるさいことも特徴だ。

まず、保険証について。普通は最終出勤日後も退職日までは使え、「年度が替わってから郵送してくれればいいですよ」と料金後納郵便封筒を渡してくれる。

が、本校は「まだ到着していないがいつ返すんだ」という催促が毎日。最終出勤日後も毎日電話がきた。

この件以外にも、「離任式と送別会に出るか、早く回答しろ」というのが退職日を過ぎてから毎日かかってきた。疲れてるんですから節度を持ってくださいよ…。


離任式。私以外にも他の臨時教員全員、校長(当日欠席)、教務主任学年主任特別支援学級担任、D先生などが一緒に離任する。

生徒や職員の前で離任の訓話をするのだが、皮肉を混ぜてみた。大体こんな感じ。

君らは草野球選手大谷翔平じゃない。努力しても大概うまくいかない。だったら自分が得意なことに力を注げ。

(注:草野球大谷翔平の例えはこちらのnoteを参考にしました)

権利は最大限主張しろ。私も「残業代出せや」って教務主任にキレたことがあるし。
いじめはどこでもある。私だってA先生に怒鳴られたことがあるし。

なぜか訓話の途中でマイクの電源が切れたが、声量があったので後ろの生徒にも問題なく聞こえたはず。

離任式が終わり、控室に戻る。その時、担当していた部活の主顧問(口調や表情はやさしいがオーラが怖い。おそらく新年度学年主任か)に呼ばれ

「このあと学年のお別れ会があるけど、さっきの感じなら正直言って参加させられないね。きちんとした態度でいれるなら参加してもいいけど、どうする?」

A先生はその性格からして「何言ってんだこいつ」とスルーしたはず。なぜ問題視するんだろう。私を叱責しろとでも管理職に訴えてプチ騒ぎになったのかな?

成り行きで学年のお別れ会にも参加。変わったことはA先生がいなかったくらいで、つつがなく終了。

生徒は「A先生いじめられたんですか!?」と興味津々だったが、適当にあしらって帰宅


エピローグ

余りに疲れたので、休養に入った。沖縄離島めぐりデレマスシャニマスライブに行くなどリフレッシュ

とはいえ、このままニートを続けると貯金が尽きるので、職探し。他の都道府県公立学校教員募集を当たってみると、いろんなところからお誘いが。

1つ目は中学校。私は中高2教科で教員免許を持っているもの経験のない教科でのオファーだった。お誘いがあったのでとりあえず面談へ。

だが、遠方の学校非常勤のうえ、担当コマ希望は通らないという。前任校以上に荒れており「面談した日も生徒がトイレ破壊した」とのことで、辞退した。

2つ目は進学に力を入れている高等学校こちらは両教科で常勤教員募集があったので、経験教科で応募した。

その日中電話が来て、翌日面談に。「未経験教科の方が不足しているので、そちらの担当になっていただけませんか」とのことで、承諾。

前年ひどい目に遭ったので、「時間外在校はできません」と強く伝えると「大丈夫です、もうそういう時代じゃないですから」と。

学年団に入らず(つまり担任ではない)、年次目標作成面談必要ない。部活指導員がいるためほとんど関わらなくてよい。

職員エリア含めた学校の半分くらいは清掃は業者がやってくれ、清掃指導も週2回だけでよくなった。

着任後も何件もオファー電話が来た。ここまでやらかしたのに、なぜか前任校のある都道府県からも。


ふと前任校のことが少し気になってホームページをのぞいてみると、学校だよりに地域住民へのお詫びと訓話が書かれていた。今度は何をやらかしたんだろうか。


元々中高2教科で免許を持っていたが、万が一のため免許は多めにとっておこうと考え一昨年から通信制大学に入り3教科目の取得に動いていた。

また、昨年度から当時の担当教科で1種免許を専修免許アップグレードするため働きながら大学院に入りなおしていた。

そして今年9月末、これらの単位取得が完了した。免許申請必要な「人物に関する証明書」も現任校が作成を快諾してくれた。

今は4教科目の1種免許取得を進めており、そのあとは残りの教科も専修免許アップグレードしようと考えている。

加えて、確定拠出年金の申し込みを行い、月の積み立て最大金額で投資するほか、米国株などにも投資している。将来働かなくて済むよう計画を練る。

あと、やっぱりまだ嫌な思いは消えないから、在職中受けたことを内容証明教育委員会教育長とかその自治体の長にでも送ろうかな。


辛い目に遭ったら、耐えるだけが手段ではない。反抗する、逃げる。悪いことのようにされているが、正当な手段だ。

人生仕事のためにあるのではない。楽しむためにある。自分の楽しみが第一だ。

2025-10-02

誘われてない送別会に首突っ込んでしまって死んだ

令和7年ではなく昭和100年を未だ彷徨茶色イメージの小さな会社に勤めている。

まだ元号昭和のため、定年まで勤め上げた企業戦士には事務員が各社員から寄せ書きを集めて送別会で渡すと言う風習がある。

増田(アラサー女)は部署内の定年退職おっちゃんのために寄せ書きを集める準備に取り掛かっていた。部署内の事務員企業戦士の寄せ書きを集める風習があるためだ。いつも送別会の〆に渡すので、退職日でははくて送別会の前日までには完成させておかなくてはならない。

送別会いつかな〜とぼんやり考えていたら、去り行くおっちゃんと送別会の日どうしましょ?と日程相談をしていた先輩(ミドサー女、めちゃくちゃ可愛い増田ときにも優しくしてくれる女神なのだがコレが今回の不幸を生んだ)を発見した。

さっそくいそいそと送別会いつになりました〜?と軽く聞きに行った...のだが...


先輩がおっちゃんに日程の相談していたのは全社でおっちゃんを見送る送別会ではなくて、仲良しだけで見送る別の送別会の話だった。やべえ、どうしよう。

先輩は「そうなんだよ〜!みんなで改めて集まっておっちゃんさんとお話出来たらって思って〜!もちろん増田ちゃんも誘うつもりだったに決まってるじゃん!来て欲しいなっ😊」と言ってくれたが、増田は筋金入りの陰キャのためその仲良し送別会増田メンバーとして登録されていないことははなから分かっていた。

だって実際、「他どなたが来るんですか?」て聞いたら社内の人はもちろん、社外の人の名前もスラスラスラ〜!!!!!!先輩!!!、ほら!!!!もうメンバー決まってんじゃん!!!社外の人すら参加決まってるのに社内の増田スルーなのはもう絶対元々メンバーじゃないじゃん絶対!!!

だのに!!!!だのに増田が寄せ書き〜、なんて呑気に聞いてしまったばかりに先輩もあせあせと増田を優しくその会に誘おうとしてくれている!!!せっかくの!!!仲良しだけで楽しむ予定だった送別会!!!

絶対!!!絶対!!!絶対に行きたくねええええええ!!!!!申し訳なさと肩身の狭さで死ぬわもう死んだ1回?3回くらい死んだ今

増田そもそもメンバーじゃないという若干の惨めさを取り繕うため、というかその事実を覆い隠すためにノーミソがよく動かずあっありがとうございます!楽しみにしてます!とか言っちゃったけどこっちも向こうも地獄じゃんね

こっち死ぬほど肩身狭いし向こうの仲良しチームのみんなもなんでコイツいんの?呼んだの誰?てなるじゃん誰も幸せじゃ無いどうしてただ寄せ書きの完成期限聞きに行っただけなのにどうして.....もう本当にごめんなさい、ごめんなさい.....

無事に断れたらまた書きに来ます(仕事しろ)

2025-09-04

近江一郎氏についての記述

1931年植民』より、「帆船南洋慰問の旅」という記事

五十噸の補助機関つき帆船海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオインドに久しく滞留、仏教研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国事情を知りたいと希望している人々のためには最近東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。

『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。

南洋調査団(鎖国丸)長拓務省嘱託近江一郎氏一行十名ノ為ニ市公会堂ニテ送別会開催ニツキ山内校長出席

直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日 神戸より」。

近江一郎氏の鎮国丸は最近琉球沖で難破し、船員一名死にました。詳細不明

1934年宗教文化誌 法華』より、音馬実蔵「看雲雑記」。

主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。

第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破体験を本として、其遭難顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物まこと稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである

『楚人冠全集』より、1937年杉村楚人冠バルサ」という記事

逓信省船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞主催団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。

1940年『斜めに見たる神戸一中』。

近江一郎の著書で、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、下記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉長崎京都東京知事歴任)」なども登場する。卒業生には海軍関係者が多かったようで、特に奥田喜久司とは親しそうな書き方がされている。内容としては、笑いあり涙ありの平和ものだが、支那事変日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸野田高等女学校入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。

1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎 特攻観音縁起について」という記事

昭和二十一から神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋貿易をしておったのでありますが、戦争たけなわになりますと、日本航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。

(中略)

はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。

これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。

(中略)

そういうものお土産にもって廻って、六年間というもの休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。

吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治発言

近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。

「いったい君はなにして歩いているんだ?」

「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房神戸区役所人夫をしている」女人夫ですね。「子ども小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。

『あすへの話題』より、1965年中村文夫のコラム

近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである

近江君と私は一年の時からの同級で、しかふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである

しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問精魂を打ち込んだのであった。

戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。

1974年川西実三の『感銘録』より。

私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこち設計を頼んだり資金相談にきたりした。

この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。

2025-08-02

anond:20250802193256

主婦だけど楽な仕事をやっていて、月に一度は飲み会がある円満職場で楽しく給料をもらっていたが、「おまえもうちょっと子供の面倒見たり、家のことをやれよ」と夫に言われて退職。盛大に送別会をやってもらった。

遊びに行けないのは残念だけど。

まあ二度と(は言い過ぎか。あと10数年以上)働く気はないから、失業保険がきれるまでだけど、まったく働かなくてお金が入ってくるのはほんといいよね。

2025-07-21

anond:20240225180356

要約した

アラサー陰キャ会社員の俺は、小規模ベンチャーで働いていた。

仲良くなった後輩の男女(Aさん=メンヘラ女子、Bくん=イケメン男子)と他数名でよく飲みに行くようになった。

Aさんは彼氏とうまくいっておらず、Bくんに惹かれていると俺に相談してくるようになるが、Bくんは別の女性と付き合い始めてしまう。

Bくんの交際を俺は先に知ったが、伝えるタイミングを迷っているうちに飲み会でバレ、Aさんが情緒崩壊

俺の送別会台無しになる。結局、俺は退職して彼らがその後どうなったか不明

「俺はどうすればよかったのか」と今でも後悔とモヤモヤが残っている。

2025-06-30

anond:20250630100559

1. 匿名の元官吏

主人公名前を持たず、ただ「私」として語られます。彼はかつて下級官吏でしたが、40歳になった現在では公職を辞し、サンクトペテルブルクの「地下室」と呼ばれる狭い部屋に引きこもって暮らしています。これは、社会との関係を断ち切った彼の孤立した状態象徴しています

2. 過剰な自意識と病的な精神

彼は自らを「病的な人間」「意地悪な人間」「人好きのしない人間」と形容します。自身の知性や感受性が人並み以上に高いと自覚しており、それゆえに周囲の人間軽蔑していますしかし、同時に彼らを恐れ、社会から疎外されていることに苦悩しています。この過剰な自意識が、彼の行動や思考のすべてを支配しています

3. 矛盾した行動と感情

主人公性格は常に矛盾に満ちています他人に対して残酷言葉を浴びせたかと思えば、すぐに後悔し、自分を責めます。誰かを侮辱たかと思えば、その相手に認められたいと強く願います善意と悪意、愛情憎悪自尊心自己嫌悪が彼の内面で絶えず衝突しており、その葛藤が彼の言動に表れています

4. 理性への反発と自由意志の主張

第一部「地下の世界」では、当時のヨーロッパ流行していた合理主義進歩主義に対する激しい批判が展開されます。彼は、人間がすべて理性や論理によって行動する機械的存在ではないと主張し、むしろ人間には予測不可能な「自由意志」や「気まぐれ」こそが本質であると語ります。彼は、二足二が四であるような自明の理にすら反発し、自分の好きなように振る舞う権利を主張します。

5. 過去出来事屈辱

第二部では、彼が過去経験した具体的な出来事が語られます。かつて官吏だった頃の同窓生たちとの再会での屈辱娼婦リーザとの出会いと、その後の自身の醜い振る舞いなどが描かれます。これらの経験を通して、彼の屈折した人間性や、社会との決定的な断絶がより鮮明に示されます。彼は他者との真の交流を求める一方で、自身プライド自意識がそれを妨げ、結果として孤独を深めていきます

6. 哲学的な探求

彼は単なる変わり者ではなく、人間本質自由、理性、幸福といった根源的な問いを執拗に追求します。彼の独白は、実存主義不条理文学の先駆けとも言われ、その後の多くの思想家作家に影響を与えました。

まとめると、『地下生活者の手記』の主人公は、社会から隔絶された「地下室」にこもり、自己矛盾に苦しみながらも、人間本質自由意志について深く考察する「反=ヒーロー」的な存在です。彼の内面は、理性や社会規範に収まらない人間の複雑さや、自己意識の過剰な肥大化がもたらす悲劇象徴していると言えるでしょう。

1. 同窓生との再会と屈辱

主人公は、かつて通っていた学校同窓生たちが開く送別会に、半ば無理やり参加しようとします。彼は同窓生たちを見下している一方で、彼らに認められたい、自分も彼らの仲間に入りたいという複雑な感情を抱いていますしかし、実際には彼らは主人公存在ほとんど気にも留めておらず、完全に無視されます

無関心と侮辱: 送別会の席で、主人公は彼らの会話に割り込もうとしますが、誰も彼に耳を傾けません。彼らは主人公存在透明人間のように扱い、あからさまに軽蔑視線を向けます

自尊心破壊: 主人公は彼らに自分価値を認めさせようと必死になりますが、その試みはすべて裏目に出ます。結果として、彼はひどい屈辱を味わい、自尊心を深く傷つけられます

復讐心自己嫌悪: この屈辱的な経験は、主人公の中に激しい復讐心燃え上がらせますが、同時に、このような状況に陥る自分自身への深い自己嫌悪と苛立ちを募らせます。彼は、自らの滑稽な振る舞いや、承認欲求プライドねじれに苦しみます

2. 娼婦リーザとの出会いと「醜い振る舞い」

同窓生との屈辱的な体験の後、主人公は寂しさを紛らわすためか、偶然出会った娼婦リーザの家を訪れます。そこで彼は、リーザの境遇に同情し、彼女を救済しようと慈悲深い言葉をかけ、理想的未来を語って聞かせますリーザは彼の言葉に感動し、心を動かされます

偽善優越感: しかし、主人公言葉は、純粋善意から出たものではありませんでした。彼は、リーザを救済する自分に酔いしれ、彼女に対する優越感と、自分が善人であるかのような自己陶酔に浸っていたに過ぎません。

リーザの訪問主人公醜態: 数日後、リーザが主人公の「地下室」を訪ねてきます彼女は彼の言葉を信じ、救いを求めてやってきたのです。しかし、主人公は予期せぬ来訪に狼狽し、自身の狭い部屋や貧しい生活を見られることを恥じます

心の奥底の悪意の露呈: 自分プライドが傷つくことを恐れた主人公は、リーザに対して残酷で冷たい言葉を浴びせ、彼女を深く傷つけます。彼は、自分を訪ねてきたリーザを侮辱し、彼女純粋な心を弄んだ挙句お金を与えて追い払おうとします。この行為は、彼の内奥に潜む悪意、卑屈さ、そして他者支配したいという欲求が露呈した瞬間です。

後悔と葛藤: リーザが去った後、主人公自身の醜い振る舞いを激しく後悔しますが、その感情もまた、彼の自己中心的で病的な精神の一部として描かれます

これらのエピソードは、主人公の**過剰な自意識劣等感他人への見下しと承認欲求矛盾、そして自身内面に潜む「醜さ」**を具体的に示しています。彼は、理性や倫理では割り切れない人間の「闇」の部分、自己嫌悪からくる他者への攻撃性、そして真の人間関係を築けない孤独を描き出しています

2025-05-16

定年以外のやつが辞めるのに送別会なんて要らなくね?

なんで不満あって辞めるやつを労わなきゃいけねぇんだよ

2025-05-05

ハゲの薬を飲み始めて半年

30代、独身

流石に生え際の後退が見苦しくなってきて、去年の秋から近所の皮膚科ハゲ薬をもらうようになった

最近やっと効果が現れ始めて一安心していたが、職場送別会で撮った集合写真をもらったらまだハゲが目立ってて落ち込んでるところ

それはそうと、薬を飲み始めたとたんてきめんにでた効果がもう一つある。

男性機能の低下だ。

男性ホルモンの働きを阻害してハゲを抑えるらしいから当然っちゃ当然なんだが、本当に勃たなくなった。

前は3日に1回致すくらいの年齢としては平均的な(たぶん)ペースだったが、どうもその気にならないことが多くて、週に1度、下手すると2週間に一度くらい。

それもどうにか気分を盛り上げた上でお気に入りオカズでやっと半勃ちまで持っていき、しごき倒してトロォ……と出てくるようなレベルだ。

まあ相手もいないし、その分生産的なことに時間を使えばいいだけだからデメリットはないといえばない。

しかし性欲が減退して初めて知ったのは、性欲とは全然別にオナニー欲」みたいなものがあるらしいということ。

週中になるとどうしても満たされない鬱屈のようなものが溜まってきて、ああシコりたい、シコりたいと思うのだが、肝心の性欲がわかないのでただただエロ動画を眺めたあとで寝ることになる。

どうしたらいいんだろうね。

2025-05-02

労働

年明け、というより昨年末から雲行きは怪しかったが、2月から4月はまじでどうにかなるくらい忙しかった。午前、出社後にメールしまくってそのあと2.5時間ぶっ続けでリモート打ち合わせして終わったらもう14時を過ぎてて、打ち合わせがまた新しいめんどい仕事を生み出していて、でもその日中に戻さなきゃならない別件の作業もたんまり残ってるのに次のまた別件の打ち合わせまであと1時間もない、みたいな日がえんえんと続く毎日だった。本当にもうやばい日は終電を逃し(電車に乗る気力体力がないからあえて逃した日もあった)、タクシー帰宅することもままあった。いくつかの案件が同時に動いていて、自分がいま何をしているのかがわからなかった。今の部署には夏に異動になってきたばかりで微妙に畑違いのことをしていることもあった。というかそれはかなり大きいストレスだった、思うようにはひとつ身体を動かすことのできない粘度の高い水が溜まったプールに潜って息き継ぎもせず爆走してるみたいな謎の競技をひとりでしている、みたいな感覚だった。エレベーター待ちのタイミングで「今日って何曜日だったっけ?」レベルのことを同僚に聞いているとき、このまま脳の神経回路がイッちゃってばたりと倒れでもしないかなってわりと強めに思った。でも、かなりとても真剣に祈っていたけどぜんぜんそうはならなかった。チンって音を立てた鉄箱は次の会議室までわたし強制的に運んでいく。人間ストレスのために心身の症状はあれこれ出てもすうっと死ねるようにまではできていない、正直これは人体における大きな欠陥のひとつだと思ったが、たまたまわたしの体が頑丈にできていただけかもしれない。

そのころ、体はともかくこころはまじで限界っぽかった、仕事以外の時間文章、というか文字ひとつも読むことはおろか、ちょっと音楽聴くことも受け付けなかった。唯一のフリータイムである通勤退勤電車ではとにかく席を確保して座り、何をするでもなくただただぼーっとしていた。なんらの情報インプットすることをしたくなかった、脳みそメモリが埋まりきってるのだから無理であり、それはささやか回復時間に充てられていた。

3月の頭ごろに、同僚のZさんがとうとう契約を切られる、という話を聞いた。Zさんはたしか仕事があまりうまくできないうえに出社も拒否気味、なのにSlackレスポンスも致命的に遅かったので、同僚たちからちょっと、かなり呆れられていた。このご時世、上長も直接的に怒ったりするのではなくむしろもはや諭しにかかったりとあれこれ試みているようだったが、それでもだめそうだった。Zさんは残念だが契約を切らざるを得ない、という上長の話をすんなり受け入れたそうだ。前に、同僚たちがZさんの愚痴で盛り上がろうとしたとき「Zさんは宝くじが当たってるからわたしたちみたいに一生懸命はたらかなくたっていいんですよ」と茶化してやりすごしたことがあったけど、もしかしたらあながちうそでもなかったのかもしれない。Zさんとは仕事上でそんなに接点もなかったけどもそういえばこのあいだ、本の話をした。客先での打ち合わせ終わりに電車で一緒に帰ったときSuicaを取り出そうとしたZさんのかばから文庫本が飛び出して、そのまま本の話になったのだ。Zさんがそのとき読んでいたのはなんとかっていう翻訳小説で、図書室の話だとか。その図書館には本が死ぬほどたくさんあり、主人公はそこで一生、本を貸したり整理したりして毎日暮らしているらしかった(うろ覚え)。Zさんが古いマイナー翻訳小説を読んでいるというのは意外だった。じつはZさんは本をけっこう読むっぽくて、なんかこうおすすめをいろいろと聞いてみたい雰囲気もあったけど、そのときわたしには本は空想世界の羨ましいどうでもいい疲れる話だったので、さっさとその話を終わらせてしまった。そのままZさんは3月いっぱいで契約終了となり、とくに送別会みたいなものもなくデスクが空になった。そのデスクには夏前に新卒の子がひとりくるらしい。

このところはそんな感じの3カ月間だった。4月中旬いちばんデカやばい案件をなんとか終わらせ、ほかの仕事もまあぼちぼち、という状況にいまはなっている。そして、今日わたしはとても自由だ。朝、ひとつ重たいメールと数件のSlackを返したらあとはそんなに緊急にやるべきこともなく、しかリモートワークなので、昼にウーバーケンタッキーを食べたりもした。しかもじつはさっきまで駅前本屋さんに行っていて、書棚にひしめきあっている本たちがわたし世界を読ませようとしているのがうれしくてたのしくて腹の内側にめくれあがってくる痺れを感じた、これは小さいころシルバニアファミリーを買ってもらって遊ぼうとしたときと同じような感覚だった。明日からGWはたんまり買ってきた本を読みまくるし(まずは松田いりの『ハイパーたいくつ』)、Spotifyラジオ聴くし、映画もがんがんに観るぞー。いまのわたしはようやく、ただつかのまの息継ぎを許されていますという感じで、これからもしばらくは倒れて死ねることもなく社会人を生き延びていくのかなと思う。

2025-04-23

anond:20250423075828

送別会って単に酒が飲めるから行くだけで辞める人がどういう奴かなんて考えた事無かったわ

辞める人の送別会

知り合いが辞める人の送別会行きたくないっていってた。当然だと思う。会社飲み会は嫌々行くものだが、それは今後の人間関係のためにしゃーなしでやってること。

 

しかも勤続40年とかでもなく3年とかで転職していく人、確実に競合他社。つまり敵じゃん?

 

辞める人の送別会に行く意味マジでからない。

2025-04-04

転入転出の時期になった。

この時期になると一段と気分が落ち込むな。

うちの職場でも転出者が出た。

さっぱり祝福しようとか、お疲れ様とかそういう考えにならないんだが。

やっぱり変なんだろうなぁ。

自分退職するタイミングになったらどういう風に送別会を断ってやろうとか、

これまで社内表彰でもらった表彰状やらトロフィーやらをこれ見よがしに会社ゴミ箱に投げ捨ててやろうとか、

最後挨拶最後に溜め込んでた不平不満をぶちまけてやろうとか。

そんなネガティブなことを延々とぐるぐる考えちゃうな。

いやいやいや、どーせ小心者のお前にはそんなことできませんよ。

その時になったら、可もなく不可もなく、風波立てずに誰の印象にも残らないように去ることに心血を注ぐんでしょうよ。

今度は転入者の紹介か。ああ、席替えキックオフだ懇親会だ嫌だ嫌だ。

新入社員がくるのか。

面倒くさい面倒くさい。。

余計な擾乱が一つ増えるという感覚

自分の直属のチームじゃないのが救いか

ああ、どうして暖かく迎え入れようという気持ちになれないんだろう。

ただ単に自分性格がひねくれているだけなのか、それとも心に余裕がないのか?

キャパオーバーなのかもしれない。

一旦休みたいな。特に期限を決めずに好きなだけ休む時間をとれたら、ちょっとはそういう寛容な気持ち自然と湧いてくるもんなんだろうか。。

2025-03-25

性格がどんどん終わっていってて鬱

適当理由をつけて同僚の送別会を欠席したり、産休明けの人が会社子供連れてくる日にリモートワークにしたり、「(指示)」「なんでですか?」「なんでだと思いますか?」ってな感じで質問質問で返したり、質問Qiitaリンクだけで返したり、あまりに基礎が分かってなさすぎて鼻で笑っちゃったり、褒める時は「すごいですねー」って私なら絶対馬鹿にしてんのかこいつ?って思うテンションで言ったりしてる

全ての行動に相手を見下してるのが透けてるし、それがバレるんじゃないかって怖いのに、なんでこんなレベル低いんだよこいつらってイライラしてやめられない、レベル低いのは自分なのに

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