はてなキーワード: 虚構とは
中学1年生の黒人少年の主人公は投票日のある日、投票場所の高校で中学3年生のマディと出会い彼女が持っているヤングアダルト向けの女児向け番組のピンクオペークを通じて知り合いになる。白人で強権的な父親を持つ主人公は放映時間には眠らねばならず、また女児向け番組だからとPOを見ることは許されず家族を騙してこっそりとマディの家やマディに借りたVHSでPOを見るようになるが、ある日、マディは街を出て行ってしまう。それから8年後、マディが主人公の前に現れ「POの世界にいた。お前は現実は虚構で、POの世界のほうが本当だと感じたことはないか」と告げられる。そして……
というようなお話。
めちゃくちゃ観念的な映画で、で、結局どういう話やってんってなっちゃうんだけど。何となく俺が見てて思ったのは「性的マイノリティである自分を受容しない話」っていう一般的な作品でよく行われるマイノリティである自分を認めてあげることが素晴らしいことなんだ!ということに対して逆を描くことで、逆に強く考えさせる意図があったのかなということ。
マディは実際にレズビアンであり、学生に主人公に対して「私は女の子が好き、君は?」と問い、主人公は答えられず「僕はテレビが好き」と答える。「女の子が好き」ではなく。またその後、高校時代にマディは一緒にPOを見る際に主人公にピンクのドレスを着せていた描写が登場したりするので、主人公はおそらく本質的にはトランスジェンダー、もしくはアセクであると考えられる。
2人が見ているピンクオペークは白人と黒人の女の子がシスターフッド的な絆で結び付き合っているという話で、2人はそれぞれの登場人物に感情移入してみていることが示唆される。そしてマディが街を出る日、マディは主人公の首元にPOの登場人物の共通のマークである淫紋をペンで書き入れ、一緒に街を出ようと語る。
同じ性的マイノリティ同士、同じ強権的な父親を持ち、保守的な田舎町で暮らすことに耐えられない者同士、一緒に外に出ようと提案するが、カットが切り替わると主人公その淫紋をゴシゴシと洗い落とし、マディの家を飛び出し、泊まりに行っていると嘘をついていた友人宅を訪れ「嘘をついていたことを父親に報告して外出禁止にさせてほしい」と訴える。
彼は理由のわからない恐怖からマディとともに住み慣れた家――一般的な常識とされる枠から出ることを恐れ、強権的で保守的である父の力で自分を一般的で常識的なセクシュアリティの枠に押し込められることを望む。
そしてその後、成長してから職場で女性スタッフにチンコしゃぶらせてる同僚を見つけたり、「同僚のあの子お前のこと絶対好きだからイケるって!」とか言われたりしてうんざりしながら暮らしているとまたマディが現れ、主人公を再び町の外に連れ出そうとするも、主人公はやはり拒否。
その中で主人公がテレビに頭を突っ込んでバリバリ感電しながら「ここは僕の居場所じゃない。ここにいたら殺される!」と叫ぶシーンは非常に切実で心に来るものがある。そしてその場から彼を救い出し「正気になれ!」と強く叱責するのはやはり強権的な父親である。
こうして主人公は何度も何度も「本当の自分」というものを受け入れるチャンスを得るが、そのたびに恐怖からそれを拒否する。しかし見ている側としては主人公がそれを抑圧することで非常に生きづらく苦しそうなのがわかるのでとてもしんどい。
しかし受容を拒否するたび、画面上に「まだ時間はある」とメッセージが表示される。そう、いつだって人生は始められるのだ。高校生ならなおさら、アラサーでだって。
と思っていたら話は14年後に飛ぶ。
すっかりヨボヨボになった主人公は映画館が潰れた後のゲームセンターで今も働いている。これまで以上にオドオドとしながら日々の業務をこなしていると、ある日、スタッフの子供の誕生パーティーに参加することになる。そこで主人公は(実際にか心の中でかは不明だが)大発狂しこれは本当の自分じゃない、ここは自分のいるべき場所じゃない、俺は殺されると叫ぶ。
そして控室で休憩しがてらカッターナイフで胸を切り裂くと中にはテレビの光――POであり、押し込めていた自分が溢れ出すも主人公はやはりそれを押し殺し、控室を出て周囲の人たちやお客さんに「すいません」「すいません」と詫びながら店を歩くシーンで話は終わる。こうして性的マイノリティであることに隠しながら、そうであることに対する負い目を抱えてアラフィフになった主人公には果たしてまだ時間はあるんだろうか。
この作品は「殻を破れなかったまま死んだ雛」を描くことで逆説的に殻を破ることの大切さを訴え、一方で殻を破る恐怖にもある意味で寄り添っている、非常に人間的で複雑で繊細なことを訴えたい映画なんだろうなぁと思った。そこでタイトルの「テレビの中に入りたい」という、もう一つの現実、"本当の"現実を「生きたい」――生きるではなくが回収されるのも非常に良い。
んだけどそうも見られる!みたいな感じであらゆるものがなんか観念的でPOもわかりやすいようでわかりにくいし何も解決しないし見ててずーっとモヤモヤする映画だった。特に「何も決断しないこと」を一つの作品にするのはやっぱ見てて楽しいもんじゃないし、しないことで何も変わらないから物語としての盛り上がりにも書ける。
一方で決断しないことで強烈に「あの時決断していればどうなっただろう」ということを考えさせる効果もあるし、いろんな観念的なシーンもただポイでしょと置いてあるというよりはちゃんと意図をもって設置されていることはわかるのでちゃんとした映画なんだとは思う。
まぁなんかスッキリしないほうのA24の映画が好きな人にはオススメかな。A24の映画ってなんかモヤモヤしててつまんないんだよな!って人には絶対にオススメしないです。
米国では「不正選挙」という虚構が群衆を議事堂襲撃へと向かわせ、民主政治を内側から掘り崩しつつある。日本は違う――本当にそう言い切れるのか。慶応義塾大の烏谷昌幸教授は、私たちの隣にも「陰謀論政治」が忍び寄っていると指摘する。
人々はなぜ荒唐無稽な「物語」に熱狂するのか。民衆の怒りと敵意をたき付ける「剝奪(はくだつ)感」とは。民主主義を腐食させかねない陰謀論という劇物への、有効な解毒剤はあるのか。烏谷教授に尋ねた。
「陰謀論に強い問題意識を持つ直接のきっかけは、2021年1月6日に米国で起きた連邦議会議事堂襲撃事件です。直前の大統領選での本当の勝者はトランプ氏だったのに民主党バイデン陣営が不当に勝利を盗んだ、という不正選挙陰謀論を信じた人々が、民主主義の象徴である議会に乱入した。暴力そのもの以上に衝撃だったのは、この陰謀論を最も熱心にあおったのが当のトランプ氏だったことです」
「自らの政治的影響力を高めるために、政治家にとって致命的になりかねないウソを平然とつき、支持者を扇動する――この事件は、陰謀論を政治的に利用し武器化する『陰謀論政治』が民主主義の基盤そのものを破壊しかねない威力を持つことを、まざまざと見せつけました」
「とはいえ、日本では同じことは起きないだろうと思っていました。米国のように社会の分極化が極端に進んでいるとは言えず、強固な政治的支持層間の深い対立があるわけでもない。陰謀論政治は生まれにくいだろう、と。しかしその見立ては甘かった」
「昨年の参院選や今年の衆院選で飛び交ったスローガン『日本人ファースト』や、スパイ防止法、国旗損壊罪の成立を熱烈に支持する人々の言説を追っていくと、そこで共有されていたのは『誰かが日本を内側から壊そうとしている』『見えない敵が存在する』という典型的な陰謀論的世界観でした。対岸の火事だと思っていた現象が、気づけば私たちのすぐ隣で生まれていたのです」
陰謀論と無縁の人はほぼいない
「過去・現在・未来の世の出来事の原因を、十分な根拠もなく特定の誰かの陰謀と決めつける思考様式のことです。陰謀論の本質は、複雑で不確実な世界を単純な図式に物語化する点にあります。内容が荒唐無稽かどうかは重要な指標ではありません。強調したいのは、陰謀論の影響を受けていない人はほとんどいないということ。私自身、若い頃は、ケネディ米大統領暗殺は単独犯ではなく背後に巨大な陰謀があると、心のどこかで信じていました」
「また、陰謀論は右派の専売特許でもありません。例えばかつての反原発運動の中にも、『ユダヤ資本が世界の原発を牛耳っている』『原子力ムラはナチスよりひどい』といった根拠薄弱な言説が紛れ込んでいました」
「ただ、陰謀論はこれまでも研究者やジャーナリストの視界に入っていたにもかかわらず、大衆の非合理性を示す一指標に過ぎないと軽視されてきた面があります。私も社会運動を研究するにあたって、そうした非合理な主張を本筋とは関係のないノイズと捉え、思考の外側に隔離してしまっていた。しかし今振り返れば、それは陰謀論の持つ力の過小評価につながっていたと、反省しています」
「右であれ左であれ、草の根運動の情熱や力は、悪い勢力が善良な市民の生活を脅かしている、という怒りからしか生まれ得ない。福島の原発事故後の脱原発運動は、『日本のエネルギー政策は原子力ムラによって支配されてきた』という陰謀論的言説が広く浸透しなければ、あそこまで力強いものにはならなかったはずです」
――考えてみれば、陰謀論と政治運動の結びつきは新しいものではありませんね。
「はい。ナチスは荒唐無稽なユダヤ陰謀論を用いて大衆を反ユダヤ主義へと扇動しました。ハンナ・アーレントはドイツの全体主義を分析する中で『虚構が一貫性を持って現実を上書きしていく過程』を見いだしましたが、現在の視点から見れば、陰謀論政治の研究として捉え直すことも可能でしょう」
――ただ、自らの政治目的のために陰謀論を意図的に武器化する「陰謀論政治」が、日本にも広がりつつあるとまで言えるのでしょうか?
「陰謀論政治の特徴は、陰謀論が一般的な政策論と表裏一体で拡散する点です。議事堂襲撃に直結した米国の不正選挙陰謀論も、きっかけは公正な投票制度のあり方をめぐる真っ当な政策論争でした。ただ、トランプ氏の『郵便投票は不正が起きやすい』という一見まともな主張は、文字通りの表向きの意味だけでなく、陰謀論を共有する者だけに通じる特殊な意味をはらんでいました。熱烈な支持者にとっては『民主党が選挙を盗んでいる』という裏の物語を共有するための犬笛として機能したのです」
「日本でも直近の参院選や衆院選では、国籍取得要件の厳格化、外国人の不動産買収規制、スパイ行為を取り締まる法整備の必要性をめぐる政策論が飛び交いました。しかし、こうした一般的な訴えの裏で、参政党や日本保守党、日本誠真会などの一部支持者の間では『国会議員の65%は帰化人だ』『中国が大量の人間を送り込んで帰化させ、移民受け入れ法を制定し、日本を中国の一部にしようとしている』といった陰謀論が熱心に共有されていました」
「参政党の神谷宗幣代表は、選挙ではあからさまな陰謀論や過激な表現を控えています。日本がユダヤ系国際金融資本の支配下にあるとか、コロナワクチン接種を『人体実験』と断じた過去の発言や主張も修正。参院選で『極端な思想の公務員を洗い出し辞めさせる』と発言した後にも、言葉足らずだったと釈明しました。ただ、党員や支持者向けの場や動画では相変わらず『(日本で)目立つところにいる人の半分くらいはスパイ』『各分野にディープステート(影の政府)がいる。メディア、医療界、農業界、霞が関にも』と語ったり、編著書でマスコミは国際金融資本家によってコントロールされていると主張したりするなど、持論を滑り込ませています。政策論と陰謀論の言葉を巧みに使い分けているのです」
「確かに日本ではまだ、陰謀論を政治的資源として大々的に運用したり、敵・味方の線引きや忠誠心の測定に用いたりといったことは起きていません。トランプ氏は22年の中間選挙で、大統領選での不正選挙陰謀論を信じるか否かの踏み絵を候補者に迫り、共和党内の反トランプ派を洗い出しました。しかし陰謀論は使い方を誤れば、極端な言説が可視化され、かえって政治生命を脅かす両刃の剣です。日本で広い層に訴えるためには、露骨な陰謀論は今のところ有効ではない。内向きには陰謀論的なメッセージで動機付けを行い、外部に対しては前向きな国家論と政策論を語る。この使い分けこそ、日本における陰謀論政治のスタイルと言えます。荒唐無稽な話が飛び交い全面的に活用されている米国とは異なりますが、陰謀論が政治の動員力として機能している点は同じ。日本は既に陰謀論政治に足を踏み入れつつあると言えると思います」
募る剝奪感、進む感情的分極化
――陰謀論が活性化する要因として、世界をシンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。
「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやすい勧善懲悪の物語として解釈します。『中国が日本に工作員を大量に送り込んでいる』『野党の国会議員はスパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています」
「もっとも、勧善懲悪そのものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事なものが奪われるという剝奪感の増加があります」
「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップから生まれます。それまで保持していた財産や地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本の国際的な地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生や未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国の中国は大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」
「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しかし国権の最高機関のメンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」
募る剝奪感、進む感情的分極化
――陰謀論が活性化する要因として、世界をシンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。
「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやすい勧善懲悪の物語として解釈します。『中国が日本に工作員を大量に送り込んでいる』『野党の国会議員はスパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています」
「もっとも、勧善懲悪そのものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事なものが奪われるという剝奪感の増加があります」
「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップから生まれます。それまで保持していた財産や地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本の国際的な地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生や未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国の中国は大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」
「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しかし国権の最高機関のメンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」
――陰謀論が武器化される重要な背景として「政治的分極化」があるとも指摘しています。
「ええ。とりわけ重要なのが『感情的分極化』だと思います。米国では、自分の子どもが対立政党の支持者と結婚することを『不愉快』と思う人が50%ほどに達しています。60年代には数%でした。2020年の大統領選をめぐるNBCの調査では、異なる候補に投票した人とは結婚しないと回答した大学生が6割を超えています」
「政策や利害、イデオロギーの違い以上に『相手が嫌いだ』という感情が先鋭化し、政治対立を妥協困難なものにしてしまっている。この分極化が進んだ環境では、『敵』である相手陣営を悪魔化する陰謀論が極めて有効になります。トランプ氏が陰謀論を武器化できた大きな条件でした」
「日本では、まだそこまでの分極化は進んでいないでしょう。ただ、兆しは見え始めています。『リベラル』『エリート』『主要メディア』といった言葉が、単なる立場の違いではなく感情的な敵を指すラベルとして使われるようになってきている。この変化を軽く見るべきではありません」
「残念ながら特効薬はありません。公共の情報空間においてウソは許されない、と粘り強く指摘し続けることは不可欠です。ただ、ネットの偽情報対策やメディアリテラシー教育だけで解決できる問題でもありません。米国の不正選挙陰謀論は、反証材料が多く示され公的に否定されたのに、2年以上経っても共和党支持者の7割がなお信じていました」
「日本でも昨夏、国際協力機構(JICA)が進めていたアフリカとの交流事業をめぐり、政府がアフリカから移民の大量受け入れをもくろんでいるとの声がSNSで拡散し、JICA解体デモまで起きました。早い段階で誤情報が否定されたものの、騒動は1カ月ほど続きました」
「善悪の二項対立図式の中で陰謀論を強く信じる人は、自らの正義を疑わず、危機に瀕(ひん)した国を救おうとする愛国者を自任しています。米連邦議会議事堂を襲撃した人たちもそうでした。彼らにとっては、政府や主要メディアによる否定情報やファクトチェックこそが、敵対勢力による『偽情報』なのです。事実と虚偽情報をより分け、陰謀論の除去装置として機能してきた既存メディアを、トランプ氏も参政党も敵視しています」
「自分たちから奪われたものを取り返すために闘っている政治家の言葉だけが信じられる。そう疑いなく考えている人たちを『陰謀論だから信じるな』と説得することは容易ではありません。『陰謀論者』とレッテル貼りすることも、逆効果になりかねません」
――陰謀論政治の危機を克服するには、人々の剝奪感を手当てするしかないということでしょうか?
「陰謀論は、政治的に疎外されたと感じる人々にとって、希望と元気を与える物語として機能してしまっています。それに替わる、より建設的で希望の持てる物語を私たちの社会が提示できるか。まずはそれが大きなカギです」
「もう一つ重要な処方箋(せん)は、政党政治をきちんと機能させることです。有権者が寄せる陳情や訴えには元来、被害妄想や誇大妄想、怪しいデマが含まれているものです。議員たちはそれを丁寧に除去しつつ、言葉の先にある『民意』をうまく翻訳、集約してきました。しかし現在の政界は全体的に議員の世襲化とエリート化が進み、民意から隔たることで、そうした広範な民衆の利害集約機能を低下させてしまった感があります」
「グローバリズムによって日本の国力が低下し続ける中、蓄積する剝奪感の受け皿がなくなった。その政治的真空に登場したのが参政党でした。ただ、民意の中にある誤謬(ごびゅう)や偏見もそのまま丸ごと受け止めてしまっている。それが日本版右派ポピュリズム政党としての参政党の強みであり、危険な面でもあります。陰謀論抜きにはいかなる問題意識も語れない集団になっていないか、心配です」
タッカー・カールソン氏が投稿した動画が、いま大きな波紋を呼んでいます🌊
ブレット・ワインスタイン氏が提示したのは、トランプ大統領に関する2つの恐るべき仮説です。
1つ目は、トランプ大統領が軍の最高司令官でありながら、自軍を制御できていないという可能性。
本来は下さなかったはずの決断を、後付けで正当化させられている、という証拠があるというのです。
2つ目は、さらに深刻です。
トランプ大統領が意図的に歪められた世界観を見せられているという仮説です。
非常に説得力のある虚構を信じ込まされ、その結果として、イランの不安定化を招き、軍を危険にさらしている、と。
そして問題はここで終わりません⚠️
アメリカが受け取っているイランの通信傍受情報の大部分は、イスラエルが翻訳したものだと。
それは、弱みを握って影響力を行使するための隠れた権力構造が実在することを示唆しているからです。
その権力構造と、自国およびイスラエルの諜報機関との関連は、論理的に考えれば明らかだ、とも述べています。
政府や大統領が辻褄の合わない行動をとる様子は、まるで未知の重力源によって惑星が異常な動きをするのを観察するようなもの、というのが彼の表現です🪐
名前さえ明かされていない巨大な権力が、このシステムの中に潜んでいる....
果たしてアメリカという国家を動かしているのは、誰なのでしょうか?
カミーユに一途なところ、肉感たっぷりのケツ、安定した精神に、献身的な家事能力。
完璧だろ。
なんだあのケツと太ももは。
ムチムチインフレ著しい昨今なのに、昭和の女が堂々とついてくるんじゃない。
思わず「あれ? 平成のあと2度目のリメイク版なんだっけこのケツ?」って思ったわ。
え?
……まあ、はい。
サイサイシー「そういうこと」
結局さ、少年なんだよね。
ガンダムって言うのは少年が大人になる過程を描いてきたわけだけど、それって大人になる必要がある昭和の考えなわけ。
平成を生きてきて平和という虚構を完走した世代としては、少年を少年のまま愛する気持ちなんですわ。
サイサイシー、カトル、キッドの路線がローラで開花したんすよ。
男のガキが腹見せて笑っていられる世界を作る。
ワタクシは!
男の癖にまだ毛も生えおそろってないガキの!
すいませーーーーん!!!!
Pixivでサイサイシーのイラスト全部いいねしまーーっす!!!!
もうしわけない
ボクはイケメンで高身長でお育ちも性格も良く、頭も悪くない、むしろ良い方だろう。
なのでキミの苦悩をリアルに理解することができない。経験が無いんだ。そんな悲惨な人生、
そんなボクが軽々しくアドバイスやましてや説教などできない、ごめんなさい、お役に立てない
そうだろ?中小企業の社長の息子で家にヨットがある環境の人間に何が言えましょうか
金や親の愛情に不自由無く育ち、学歴を得て、父親の資本に頼ること無く生計が成り立ち、むしろ上位で、
愛する家族がいて、あぁ幸せ、順調すぎてやべぇみたいなボクが、
そりゃ過去にはイジメや失恋はありますが、人生の深みゲット的な軽いやつで、苦悩イベント的な?あぁそんなイニシエーションあったね、みたいな
そんなボクがあーしろこーしろつーてもねぇ、響くわけねぇじゃん、
ごめんね
『超かぐや姫』が配信されて何日も経つが、インターネットの熱狂は終わっていない。
今ネットでは、本作を絶賛するオタクと合わなかったオタクが「感性の劣化だ」「コンテクストが読めないだけだ」「中身がない」と、日々見苦しい言い争いを繰り広げている。
自分は公開数日後に話題になっているのを知り、「エンタメ作品としてよく出来てるな」と思ったくらいだった。
それから数週間。
インターネットが異常な熱狂に包まれ、オタクたちが長文で苦言を呈し、果ては人格攻撃のような言い争いにまで発展しているのを見ていると、こんな状態に陥っている同世代たちに、
強い違和感を禁じ得ないのだ。
なぜか?
「超かぐや姫に熱狂し、何週間もインターネットで言及し続け、インプレッションとエンゲージメントを生成するだけの自動装置と化している、20後半〜30代のお前」に対してだ。
若者がどうこうなんて話をするつもりはない。
今、この作品に熱狂して我を忘れている「いい大人」の君の話がしたい。
なあ、今幸せですか。
君の同年代には、仕事で結果を出して役職を得たり、重要なポジションを任されている人がいるだろう。仕事で大成功はしていなくても、結婚して、子供を育てている人がいるだろう。
みんな、これまでの大人がそうしてきたように「大事な誰かを守る役割」を引き継いで、必死に現実を頑張ってるよな。
誰かを守るために現実で戦っている人間は、たかが娯楽一つにそう長く足を止めたりしないんだよ。
たまの余暇に楽しむことはあっても、それはただのリフレッシュで、すぐに自分の現実に戻っていくんだ。
お前はどうだ。
刺激的なエンターテイメントの強い光に目を灼かれて、同じコンテンツのことを延々と話し続け、インターネットで二次創作を漁り、キャラ妄想でお人形遊び。
その耽溺を妨げる冷笑やネガティブな意見はシャットアウトするか、長文で論破して視界から追い出す。
「ただ楽しんでるだけ」って言うかもしれないけど、本当に満たされている人間は、フィクションの評価一つでそこまでムキになって他人に噛み付いたりしないんだよ。
10代の若者が、一つの作品に寝食を忘れて没頭し、熱狂するのはいいんだよ。
その圧倒的な熱量は、感受性を豊かにし、大人になってからの自分を支える「価値観の軸」や「血肉」に育っていくという明確な意味があるからだ。
でもな、お前らはそうじゃないだろ。
もう感受性の成長期なんて、とっくに終わってるんだよ。
いい歳して、未だに10代と同じように無邪気なふりをしてコンテンツを貪って、何か新しい自分が形成されるとでも思ってるのか?
それはもう「自己形成」なんかじゃなくて、単なる「現実からの逃避」と「残された人生の浪費」でしかない。
あの頃は良かったなって、日々楽しくニコニコやってたなって、そう思う気持ちは痛いほどわかる。でも、いつまでも子供部屋に引きこもってないで、前を向いて生きなきゃダメなんだよ。
何一つ自分の身にならない娯楽への逃避が必要な時もある。現実は辛いから、そうやって休息を取ることで活力を回復できることもある。
でもさ、そこで足を止め続けてたら、どんどん周りから置いていかれちゃうぞ。
本当はわかってるんだろ。こんなことをしていても自分の人生は何一つ良くならないし、幸せにはなれないって。
でも現実が苦しいから、それを忘れさせてくれる強い劇薬のようなコンテンツに耽溺することでしか、もう日々をやり過ごせないんだよな。
お前の心が「もう早く殺してくれ」って悲鳴を上げているのが、俺には聞こえるよ。
お前は悪くない。お前の人生がそうなってしまったのは、世の中の構造のせいもあるし、運の巡り合わせも多分にある。自己責任だとか努力不足だなんて言わない。
そうやって誰も守らず、自分のちっぽけな幸福感だけを防衛しながら、日々を食い潰して緩やかに死んでいくのも、お前の自由だ。
でもさ、こんなに一つのフィクションが大人たちを狂わせているのを見ると、俺はたまらなく悲しくなるんだよ。
現実の痛みを和らげるために、虚構に熱狂して麻酔を打つことしかできない奴らが、この国にはあまりにも多すぎる。
どうかしてるよ、この世の中。
山本七平(1976)『一下級将校の見た帝国陸軍』(現在、文春文庫所収)に
《「陸軍の能力はこれだけです。能力以上のことはできません」と国民の前に端的率直に言っておけば何でもないことを(中略)狂ったように「無敵」を演じつづけ》
という一節があります。「虚構を虚構だと指摘されそうになれば、ただただ興奮して居丈高」になる「気魄演技」の人がいるという一節は目に見えるようですね。
インフレを引き下げるべきインフレ目標政策を引き上げるための方法として使い、避けるべき賃金物価の悪循環を好循環と言いだすまで、わずか10年しかかかりませんでした。
金を貸そうとしても無駄
お金を借りるべき企業が貯蓄をしているのだから、お金を借りやすくするために資金を供給したり、金利を引き下げたりする金融政策は基本的に無効です。しかし平時でない状態、なかでも流動性危機時では量的緩和は有効となり、これが混乱をもたらします。
に分類すれば把握しやすいと考えてきました。流動性危機時には運転資金枯渇を防がなくてはなりませんから、金融緩和は有効です。
しかし拡大生産を行うための設備資金需要は日本の現状ではほとんどありません。むしろ平時危機回避時の金融緩和は投機資金に転化してバブルを生む怖れさえあります。
家計所得がないから設備資金が必要ないという状況が、伝統的な喩えである金融政策で「ひもはおせない」という状況を生んだのです。
数時間前に公式から『エヴァンゲリオン放送30周年記念特別興行』がYouTubeにて公開された。
内容としては惣流アスカ・ラングレーと式波アスカ・ラングレーの漫才から始まり、惣流アスカが自分の救われなさを嘆いて満足のいくハッピーエンドを求めるというメタ構成。
旧劇の「気持ち悪い」以降、放っておかれたことを自ら突っ込むなど往年のファンが常々疑問に感じていたことを自ら指摘し、これまでのモヤモヤが霧散するような展開を見せてくれる。
しかし個人的にはこれで”惣流アスカ”が救われたようには思わず、そのためこれを書いている。
先に断っておくが、まず短篇としては素晴らしい出来。それは間違いない。愛が感じられるし、TV版の場面が出てきたときには思わず息を呑んだ。
TV版の世界観での続きを描いてくれたことには感謝しかない。本当に本当に素晴らしい短編アニメ―ションだった。
往年のアニメによく見られたセルフパロディ感満載で、新作カットも非常に多い。
作ってくれたことに関しては、本当に感謝しかない。ありがとう。
さて、ここからはネタバレ込みで個人的にモヤモヤした部分について語る。
惣流アスカは様々な世界を試し、エヴァが存在せずシンジと結ばれる世界を想像する。
しかし穏やかな世界を否定し、その世界は自分が居るところではなく、自分が守る世界であると言い切る。
そして「自分の居た世界で幸せになりたい」と言ってifの世界線を否定する。
最後のこのセリフがシンエヴァとの対比であるのは当然の事として、ここで描かれる惣流アスカの”幸せ”とは”他人の評価ではなく、自分によって自分を評価し肯定する”というものだ。
だからこそ母親からの肯定を否定するカットを意図的に入れているし、自分を受け入れてくれるシンジのことも素直に受け入れない。
惣流アスカが辿り着いた境地は、エヴァンゲリオンに乗って世界を守ることでの自己肯定であり、自分の居た世界で平和を実現すること。
…悪くない。だがこれで「ようやくアスカが救われた」とか「幸せになれた」というコメントがYouTubeでもTwitterでも溢れかえっている。
いやいや、それは違くないか?
だって要は、依存先が変わっただけだろ?今までは母親や加持、シンジに自分のことを見てもらいたくて頑張っていた行為が、今度は自分で自分を見つめて肯定できるようになった。
でもそれはあくまで”エヴァで世界を守る自分”にであって、それは”使途ありき”のことなんだよ。
それは自己肯定によって救われたようで実際、”エヴァに乗って戦う自分”をより強制されるようになったに過ぎない。それを肯定的に捉えたことがイコールで救われたことになるのか?
そもそも”エヴァに乗って戦う自分”をアイデンティティにしたところで、その先に何があるのかを忘れたのか?みんなはすでに旧劇で何が起こったのかすべて忘れたのか??
第27話 たったひとつの冴えたやり方
と表示される。演出として完璧だ。これまで設定としてあったが採用されなかった幻のタイトルがここで活用されるのは胸熱だし、正直エモい。
けれど余りの演出の良さに誤魔化されている感も否めない。
凄くいい話風にまとめているけど、いってしまえばこれってビューティフルドリーマーだ。
終わりなき日常をずっと続ける…といったような。でなければ待っているのは旧劇のあれなのだから。
シンエヴァでシンジが”セカイ系”を解体することによって日常に降り、”セカイ系”が”世界”になることでようやくエヴァの世界から解放されたのとはまさに対照的だ。
彼女は”セカイ系”の世界でこれからも延々と暮らし続け、そして使途を殲滅し続けるだろう。虚構として。虚構とともに。
なのに、この短篇の映像を見て「アスカが救われてよかった」っていう奴ら何なんだよ!?ほんとマジで!!
こいつらはTV版の後、旧劇でアスカがどうなったのか知らないのか?というか俺とは別の世界線に居るのか?彼女はこの短篇で元の、TV版の世界線に留まる事を希望したんだぞ…。その意味がわかっていないのか?
エヴァは先日、新作が発表されたので、このあとのTV版・旧劇の世界線がどうなったのか?を描くのではないかと期待している。
それによってアスカが補完されるのを期待しているし、この短篇は素晴らしいと思えたがこれで「アスカが救われてようやく満足できた」というのはおかしいと思っている。
どうみたってアスカはまだ救われていないし、ただ観ている側が「解放されたい」の一心で呟いているようにしか、俺には思えなかった。
性犯罪者が病気なのだとしたら他の犯罪者が病気でない理由は何なんだ、という気分になる
病気だとしたら、応報的に刑罰を科す正当性が消え去るんじゃないのか、とも思う
論点がいくつかあるな……こういうときはさくっとChatGPTに聞く
①性犯罪のみを病理化する説明は、他の犯罪との比較に耐える一貫性を持つのか
②病気モデルは、自由意思・責任・応報という刑罰の前提をどの程度掘り崩すのか
③応報を退けた刑罰は、矯正・治療・再犯防止としてどこまで正当化可能なのか
④回復不能な被害が要求する規範的評価(非難・応報)と、治療・管理中心の処遇が採用する技術的合理性との乖離はどこで回収されるのか
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以下を見て思ったメモ
「『出たら大丈夫そう』と聞くと『またやる気がする」刑務所で性犯罪者に対する再犯防止プログラムに効果の無さを指摘する意見が集まるが、もはや「病気」ではないのか? - Togetter
考えを吐き出してメモしないとずっとそれを考えてしまって他の作業が滞る
禁酒とランニングを始めた時期と激辛を食べられなくなった時期が一致しているが何か関係があるのだろうか
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ふと思ったが、ロボトミー手術について調べると面白いかもしれない
interestingの面白い
薄く関連性があるような 歴史など読みたい 示唆的なものがひょっとしたらあるかも
うーんちょっと違ったか 歴史を読むこと自体は面白いけどちょっとこの話題とは遠かったか
「治療によって治療される人の人権が損なわれる場合、どうなる?」という前例になるかもという予感があったが別の話題だった
なんかロボトミーの話題深掘りしたら再接続するかもだし、他の医療行為とかでこの話ありそうな気がするから別件で調べて本読みたい
もしも治療で不可逆的に人格が変容したのであれば(変容前の本人の同意があったとしても)その人格が消え去るのが居心地が悪いというか もしも連続していないと考えると、それは死刑的性質……言葉が強すぎるが……を持っているんじゃないかというか、みたいな ←化学的去勢は可逆的だった気がするし人格が変容するほど大きな作用は生まないんじゃない?詳しく調べた方がいいよ ←わかっとるわい、調べます、それはそれとして求められる「治療」って究極そういうことにならんか?という言語化できていない違和感があって…… ←その「治療」による人格変容ってカウンセリングや教育などによる「反省/更生」した人格変容と何が違う?
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・ここでいう治療が一見慈悲的なように見えるが、実際は処罰感情からくる刑罰的性質で求められているんじゃないか(「去勢」という強烈な字面)
・もしも侮辱的性質を持つ病気呼ばわりが混じっていたとしたら、実際に病気扱いされると処罰ではなく治療がされるので処罰感情を満たせなくなるのは皮肉な構図では
も気になる
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「言われる相手が重犯罪者だったとしても、他人に対して死刑とか厳罰に処せとか好き勝手言われているのを見聞きするのが嫌だ」みたいな話が私の心の中にあり、誰かに「処罰感情を律せよ」と直接言うと説教でしかないので屈折した形でこのような疑問として昇華されている自覚がある
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「病気によって犯罪行為を行ったとしても、病気であることは完全免責の理由にはならない」という話は当然ある 自分も完全免責になるとは思っていないし 責任能力はグラデーション 何かで見たな……事件当時なんらかの精神疾患があったのは間違いないが犯行に及ぶ判断能力/責任能力は持っていたとみなされたので死刑ではなく無期懲役判決、みたいな事件……たしかwikipediaのページをブクマしていたはず……あとでgrepする……熊谷連続殺人事件か
でもそこじゃなくて自分の興味は刑法における自由意志の話なんだよな ここが論点の①と②に接続する気がする だから性犯罪以外が病気かどうかは実はどうでもいい 自由意志について考えるとっかかりでしかないので
犯罪者を治療が必要な病人扱いというのは、刑法/責任能力を成り立たせる前提の自由意志というフィクションの崩壊に一歩近づく判断なんじゃないのか、という気がして
そのことに意識的になったうえで病気扱いしている?というヒヤヒヤ感というか
この犯罪行為は自由意志によって行われた(人災的)/自由意志でない要因で行われた(天災的) (責任能力は本来グラデーション的だが簡単のため二分する)
に分類できるとして、医学など科学の発展で後者に分類できるそれの割合がどんどん増えていくとしたら、それは厳罰化とは逆の方向なのではないか 心神喪失による無罪とか減刑とかにすら猛烈な反発があるのに
厳罰化の犯罪抑止効果は限定的、という話があるから自分としてはそれはいいんだけど、納得/安心/説得的な説明を人々に行うことができるのかどうか
「自由意志は存在する/しない」のダブルシンクを行えているうちはいいんだけど
まあもちろん自分の認識誤り、ここらへんの理解が全然違う、入門書読み直せみたいな話かもしれない 積読タワーがどんどん増えていくよ~
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自由意志をめぐる葛藤2:学んだ末に迷路。本の紹介など。|手記千号
ここで挙げられた参考文献全部読みたいな~
もっと基礎から体系的に学びたさもある トリビア的に興味があるところだけつまみ食いは後で自分自身を苦しめる
しかし、取っつきやすさもまた重要 前述のnoteで挙げられた、『人が人を裁くということ』が新書で手に取りやすそうだ……kindle無し!
じゃあamazonで「よく一緒に購入されている商品」でピックアップされている『増補 責任という虚構 (ちくま学芸文庫)』を……「2024年9月27日にKindle本を購入」! 積んでた~
今『ローマ教皇 伝統と革新のダイナミズム (文春新書)』を読んでいる最中なのよ 読了するまで待ってくれる? 「いいよ♡」 ありがと♡ じゃあ次に読む予定だった『三位一体―父・子・聖霊をめぐるキリスト教の謎 (中公新書 2866)』は後回しということで…… 「ひどい」
西洋で発展した概念を知るうえでキリスト教的考え方を知っておかないとどうにも腹落ちしないような気がしているので、最終的にはどちらも絶対読むから許して
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決定論/非決定論/応報主義/一般予防主義/特別予防主義/相対的自由意思論/責任主義/時計じかけのオレンジ(注:キリスト教の自由意志概念と刑法の自由意志概念の混同に気を付ける事)
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ChatGPTにこの文章の危うい点を箇条書きにまとめてもらったので以下にメモ
・「治療による人格変容」→「人格の死」「死刑的性質」への連結は比喩が強すぎる可能性。人格の変化・断絶・消滅は別概念。定義を曖昧にしたまま飛ばしている。
・現実の医療・治療の多くは可逆的・限定的であり、「人格を書き換える治療」を仮想的に肥大化させて批判している恐れあり(藁人形化)。
・医学的治療による人格変容と、教育・更生による人格変容の原理的差異を未整理。「何が違うのか」を言語化しないまま直感に寄っている。
・「治療」という語に、処罰感情・侮辱・排除欲求が必ず混入しているかのように扱っているが、社会防衛・再犯防止など非応報的動機まで一括りに疑っている可能性あり。
・自由意志が医学的説明の進展によって一方向的に崩壊するという前提が強い。実際には刑法はすでに相対的自由意志・責任能力のグラデーションを内蔵している。
・全体に、思考実験(極端ケース)と現実制度批判が混線している。「もし究極的にそうなったら?」と「今の制度はどうか?」を分けて考える必要あり。
とっちらかりすぎたので、まとめなおすならどの単位かをChatGPTに聞いた結果をメモ
37年前の攻殻機動隊に現実は追いついた? 士郎正宗氏明かすAI論 構成・御船紗子2026年2月14日
AI(人工知能)をはじめとする技術と人がともに生きる世界を、37年前に描いた漫画がある。「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」(講談社)だ。その後、アニメ化されて世界的な人気を集め、ハリウッド映画の原作にもなった。今年7月には新アニメシリーズの放送も予定され、世界観を再び広げようとしている。漫画作者の士郎正宗氏は人びとの生活や職場にAIが急速に入り込んでいる現代をどう見ているのか。朝日新聞の書面インタビューに応じた。
・士郎氏が現代を描くなら
――攻殻機動隊の連載を始めた1989年当時は、まだインターネットが一般的に普及していませんでした。しかし、作中の世界はネットやAIが社会に浸透し、脳をネットでつなぐ描写もあります。この世界観はどのようにして生まれたのでしょうか。
小型で高性能のバッテリー、コンピューター関連の技術の急速な発達、高度な通信インフラ。当時はどうなるかわからない技術もありましたが「なんとかなるか~」と目を瞑(つむ)って設定したら、このような世界観が出来ました。生体、特に脳への侵襲技術(物理的なダメージを伴う技術)は「医療分野以外だと実際には進まないだろうな」と思いつつ、架空の物語なので描写する選択をしました。貧富や技術の格差両面を描写するよう気をつけました。
生活や仕事を便利に支援してくれるレベルに手が届いてありがたい半面、善良ではない目的でこれを利用する人達もいます。他の多くの技術と同様に多くの問題・課題も生じるし、対策も必要かと思います。人工知能はそうした対応策の検討や実施にも役立ってくれるでしょうから、有効活用するのが良いかと思います。
暮らしに広がるAI、加速する進化 「脳の本丸」への接近には危機感
人間における魂や心とは
――本作には枠外に多くの「補助説明文」が書き込まれ、読者が作品の世界観を理解する手助けをしています。この説明文によれば、主人公の草薙素子少佐が言う「ゴースト」という存在は、神道における八百万(やおよろず)の神のような存在だと理解できます。現実世界に氾濫(はんらん)するAIやその他多くの電気通信、データセンターのサーバーにも、ゴーストは宿ると思いますか。
人間はそもそも認知機能や心的原因から、壁のシミや木目に顔や人影を見いだしたり、現象の乱雑さに非偶然性を感じたりする想像力豊かな生物です。人工知能が単に文章や画像を統計処理して、あたかも人格や心があるかのような姿をし、人格や心があるものの手によって作られたかのような会話応答をした場合でも、実際にその人工知能に心と呼べる機能があるか否かとは関わりなく、人はそこに意思や心を見ることがあると思います。
人間における魂や心とは何か。定義や、構造の解明が可能になって、その機序(メカニズム)を踏襲または応用した人工知能(身体性を持つこと込み)ができて、さらに十分な学習が進めば、ゴーストは宿りうるかもしれません。しかし、現在のようなサーバーを積み上げるだけでは難しいかもと思います。
――作中に登場する天才ハッカー「人形使い」は、サイバー空間で生まれた生命体です。現在のAIや、サイバー空間に在る「なにか」が人形使いのように自我を持ち、ゴーストを持つことは可能だと思いますか。
どういった条件を満たしたら「ゴースト」と呼べる現象か、定義が必要です。また、どういった条件を満たしたら「自我」と呼べる現象かも、定義が必要です。
しかし、前出のゴーストに関する問いと同様に、それが可能か否か、実在するか否かとは全く無関係に、人がその存在を感じる(存在すると主張する)ケースはあり得ると思います。世の中には色々な人がいますので……。
士郎氏の補足説明文によると「霊魂とでもいうべき」もので、人格を形成する存在。森羅万象にゴーストは宿るともされる。作中の優秀なハッカーは、脳をネットワークでつなぐ「電脳化」で、他者の人格をつかさどる部分へ侵入する「ゴーストハック」ができる。草薙素子少佐が「そうしろとささやくのよ 私のゴーストが」というセリフは、劇場版やテレビアニメシリーズでも名シーンとして描かれ、知る人も多い。
――現実に人形使いのような自我を持つAIが誕生した場合、私たちはどうすればいいのでしょうか。
どういった環境下で何を学習してきたかによって、あるいは誰に何を教え込まれてきたかによって、その人工知能が何をしようとするか変わってくると思います。
そのようなものが登場するよりも前に、「出来るだけ多くの人間がQOL(生活の質)を高くして生きられる方が良い」「戦争を避けたり犯罪を減らしたりした方が良い」などの、人間社会にとって都合の良い指向性を持った人工知能を育て上げることです。
最高性能を維持し、「ヘンなバイアス(偏向)のかかった人工知能」や「人工知能を使って悪事を働こうとする人間」が登場しないように、あるいは、登場しても抑制可能なように備えるのが良いかと思います。
重要キャラクターの一人。電脳化した他者の脳に侵入して人形のように操る「ゴーストハック」が可能な「電脳犯罪史上もっともユニーク」と称されるすご腕のハッカーで、正体はゴーストを持った謎のプログラムだ。本人は「AIではない…私は情報の海で発生した生命体だ」と語る。
写真・図版
「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
愚かさ、浅ましさも「人間らしさ」
――本作5話「MEGATECH MACHINE」の最後のコマには、「そんなに人間と同質なロボットが創れたらそりゃロボットじゃなく人間なんだよね! 違うのは外見だけ… (差別すんなよ)」というフチコマのセリフがあります。人間を人間たらしめる定義とはなんでしょうか。
漠然と他の生物種や機械と比較して、一般には高度な心的活動や感情、社会性、優しさ等々が「人間らしい」と評されることが多いと思います。が、愚かさや残虐性、浅ましさ等々もまた「人間らしさ」なので、個人的には「人間らしさ」という言葉をあまり肯定的に捉えてはいません。
人間はいまだ弱く臆病なお猿さんのままなので、より刺激が強く危険に関わる情報、つまりモメ事や扇動の情報、虚偽情報や誇張表現、悪口などの方が、穏やかでささやかな問題のない情報と比べて、より速く広く伝わり、脳内に強く影響を及ぼす上、お金にも化けやすいようです。
人工知能が人間の良い面をより強く学習し、より良いものになるよう、放任ではなくきちんと「子育て」しないと、超絶高性能な詐欺師や愉快犯になって、人間はそれに振り回されるかもしれません。
AIを搭載したロボットで、公安9課で使われている。主人公らの移動手段となるだけでなく、「相棒」として様々なサポートに回る。感情豊かな言動で読者を和ませるマスコット的な存在でもある。アニメ版では「タチコマ」として登場する。
――本作は未来の科学技術を描きながら、ゴーストという精神的、宗教的なテーマも根底に流れています。科学と宗教の関係をどうとらえていますか。
人工知能に「人間は猿から進化したのか、神が作ったのか」と質問して、どう答えるかが「科学と宗教の関係」かと思います。生物学的な進化の有り様、奇跡のような複雑さに「神の御心(みこころ)や偉大さ」を見いだす、くらいソフトだと害が生じなくて良いのですが…。
――本作をはじめとする日本の創作では、AIを擬人化して描くケースが多く見られます。欧米では、AIは便利な道具として扱われています。AIに対するとらえかたには東洋と西洋で違いがあると言われていますが、どのように考えますか。
文化基盤に大きな影響を及ぼしている宗数の型によって考え方に違いが生じる可能性はあります。しかし、東洋でも西洋的な人はいるし、西洋でも東洋的な人もいます。地理的な区分や、国や各研究機関の指針が全てを規定しているというわけではないと思います。「可能性を追求したい人」「管理して何かに役立てたい人」「商業的利益を追求したい人」など様々かと……。
――仮にAIに対するとらえ方が東洋と西洋で違うとして、本作に登場するような「東洋的」なAIは生まれると思いますか。
広範な自律学習を行う人工知能に限って考えれば、「中国13億人・インド14億人」を統計学習すれば、屁理屈の上では「東洋的な人工知能」が出来るはずです。ただ、「中国は共産党管理下、インドは多言語・多宗教・多民族」であることから、統計的な回答を得ると「東洋的な価値観」というのがどのようなものになるかはよくわかりません。
単純に人口だけで考えると、全人口に占める東洋系の人の割合はおそらく最大なので、人工知能が地球全体・全人口を相手に統計学習をするのであれば、その人工知能は東洋的な傾向を帯びる可能性があると思います。
実際には人口ではなく「取得可能な情報の総量」が学習の対象になるでしょう。人口イコール学習対象量というわけではないし、文化的な差に加えて情報化格差・インフラ格差も大きいため、人工知能が獲得しているバイアスがどういったものを反映しているかの推測は難しいかもしれません。
擬人化を東洋的と捉える場合は「文章&画像の統計処理」は「人間の映し鏡」なので、人工知能は既に非常に「人間的」であると言うことも可能かと思います。
写真・図版
士郎正宗氏の作品「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」©士郎正宗/講談社
――現代のAI研究者の中には、人間そっくりのロボットであるアンドロイドは倫理的議論を呼ぶため、作るべきではないと考える人もいます。どう思いますか。
まずは倫理的議論をするところから始めるのが良いと思います。広範な議論もせずに自己の結論だけ強固に主張するのはあまり倫理的に適切な行いとは……。
個人的には「宗教的な理由で反対する方々」を否定する気はありません。各人の思想信条、宗教は自由です。ただ、医師の横手に座っており患者の会話に合わせて時々うんうんとうなずいてくれるだけのアンドロイドの心理的な有用性や、介護現場における小さな人型・動物型ロボットなどを無条件で否定するのはいかがなものかと思います。
逆に、人型である必要性よりも、腕や目はもっと多くあった方が様々な作業に役立つのではないかとか、生活支援に最適化するにはどのような形状が望ましいか。高齢者を抱きかかえて安全に移動したり、特定の農園で働いたりするのに適切な機能を有する形状とは何かなどを考える方が面白いし実用的な意味があるのではないかとも思います。
娯楽分野で生きている僕個人としては「アンドロイド」に特に倫理的な問題があるとは感じておりません。見た目が怖いのは遠慮したいですが……。
あなたは人?その目玉は問う 3.6秒に1人が加わる「人間の証明」
――人間とAIが共生していくこの先の未来について、楽観的ですか、悲観的ですか。
悲観的に備えて楽観的に対処するのが良いと思います。怖いのは人工知能ではなく、「人工知能を使って悪いことをしようとする人間」の方かと。
人間社会において、不満や不実に囲まれ、虚構や妄言に偏執し、議論や検証を怠るタイプや、短絡的で暴力的な傾向があるタイプの人間にどう向き合うか。悲観・楽観以前に、人工知能やインターネットの有無に関わらず解決すべき課題が山積しています。
加えて人工知能やインターネットという強力な汎用(はんよう)ツールが登場したことで、問題の解決がより困難かつ容易になっていると思います。
あるいは、医療系や法務系で人工知能化を進める場合は、人的な余力があるうちから、より慎重かつ丁寧に検証と学習を重ねていく必要があるのではないかと思います。人手が減って切羽詰まってから慌てて導入し始めるのは、色々と好ましくない可能性があるかと思います。
――2025年の世界では、人間とAIを識別するために瞳の虹彩認証をとりいれるなど、共存のための模索が続いています。大阪・関西万博では、個人の特徴をAIに移した「もう一人の私」と向き合う展示もありました。士郎さんなら、今の世界をどのように描きますか。
識別と共存は別問題かと思います。情報が蓄積し続け、人工知能の自律学習が進むと、境界に意味はなくなります。既に境界が無くなっている方々もおられるかと思います。通信端末に映る画像や文章が人か否か、真実か虚構か、識別は不可能になり、また不要になると思います。
個々には深刻な問題も生じうると思いますが、一つ一つ対応していくしかないと思います。「統計的な人間の影(もう一人の私たち)」が相手でも、それなりのQOLで生きて死ねるなら、それも選択肢の一つとして悪くないのかもしれません。不景気で理不尽で孤独な人生よりは好ましいと思います。誰と(あるいは何と)どのように共存し、認識するかは非常に個人的なことなので、無理に枠をはめたり規制したりしようとしてもなかなか難しいのではないかと思いますが……。
写真・図版
「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
書面インタビューの最後には、士郎正宗氏から次の追記が添えられていました。
生成AI自体が問題というより、それを使う人間の諸問題を解決するための助言を得て、役に立ってもらう方が有用かと思います。人間社会自体が良くならないと、人間の諸活動や知見を統計的に学習している人工知能も良いものに育つのが難しいと思うからです。「良い社会」とは何か、人工知能の知恵(?)を拝借して(つまり人間の知恵を結集させて)、共に各人で考えて頂きたいと思います。
士郎正宗氏が1989年以降、「ヤングマガジン海賊版」(講談社)などで連載した漫画作品。近未来の日本にある架空の都市を舞台に、「義体」と呼ばれる機械化された体を持つ草薙素子少佐ら「公安9課」が、AIやアンドロイドを駆使し、時に対峙しながら国家の危機に立ち向かう姿を描く。作中の世界では機械と人との違いがあいまいで、脳をネットワークでつなぐ Permalink | 記事への反応(1) | 08:04
「〇〇の先生」として活動しててリアルとのギャップがすごすぎ。なんというか怖いもの見たさでそのアカを見にいくんだけど、SNSって虚構の世界だなあと。
いろんな分野で本名を名乗り組織名を掲げて発信してるアカウントがあるけど、この知人のお陰で全て信用できなくなった。組織の端っこでたいした実績もなくともSNSならもっともらしく振舞える。承認欲求を満たすにはもってこいなわけだ。
でも本物って承認欲求を満たすために活動してるわけではないのだよ。わが道を極めるために活動してるのだよ。正式なルートで自己表現しているのだよ。目的は真摯な活動、その結果、副産物として名が売れるのである。
Vtuberという仕組み、もう無理なんだと思う。
少なくとも、「中身バレバレだけど触れないでね!暗黙の了解だからね!」っていう、人の善性に頼り切った運用の仕方はもう辞めにしてほしい。
悪意を持った人が、そこをつつくだけで、簡単にそこまでのロールプレイをぶっ壊すことができてしまう。
Vtuberが市民権を得られなくて一部のアンチを産んでしまった時点で、この仕組みでやるのはもう破綻してる。
私みたいな、虚構と現実の区別がつかない人間にとって、Vtuberはすごく面白い試みだった。
私はVtuberを、一人のキャラクターとして推すことができる。
"中の人"について見聞きしたりすることがあっても、「まあ別の人やな〜」と思ってしまう。私が好きなのは、あの見た目(絵)であの性格な、"キャラクター"だから。
みんながみんな私みたいじゃないのは分かってる。「Vtuberとか絵を被った生主じゃん」と思える人は、現実を俯瞰して見れてるのかもしれない。
でも、理解できないなりに、"中の人"とかいう特大のメタに言及しないでほしい。というか、みんなが言及しないでくれないと、成り立たない存在なんだ、Vtuberは。
まあそんなのは無理だ。好きじゃない人からしたら、「なんでお前らのおままごとにこっちが合わせないとといけないの?」だ。
今回とかサロメみたいな、「中の人に言及した炎上」なんか、目も当てられない。運営も演者も、"中の人"という概念に触れられない以上、実質対応ができなくさせられてしまっている。
あと、Vtuberを推している立場なのに、中の人に触れて意見を述べる人が多すぎる。
なんか、私みたいな「キャラクターと中の人を完全に切り分ける」人の方が異端なのかもしれない。でも、もともとVtuberが意図してるのって私みたいな楽しみ方だと思うのだけど。
もうおわりだ。どうにかしてくれ。
人間は自分自身に意味付けするけど、宇宙レベルで考えると、人間の存在に意味はないんだよね…
そこに意味はない
単にそれが起こってるだけ
石ころが転がるのと全く変わらない
それを知った時、神の存在を制定して、世界に意味付けする人の気持ちが分かったよ
神がいたら意味付けはされるもんなー
でも、神はいないんだよなぁ、おそらくね
単にポッと宇宙ができて、ビッグバンが起きて、星が生まれて、地球ができて、生命が生まれただけなんだよね
意識とか自由意志があるように見えるだけで、単なる脳を主体とした反応なんだよね
ただ事実として、そうなんだなって理解しておいた方がいいってこと
あるわけない
だって魂もないし、単なる物理化学的な反応をする物体なんだから、人間って
AIと変わらないんだよ
「意識はある、自由意志がある、主体性がある」と「思い込んでる」だけなんだよね
雨や風と一緒
もちろん、こんなこと考えながら日常生活は生きていけない
ここで日本人は仏教の話を持ってきがちなんだけど、仏教はどうでもいいから
仏教はビッグバンとか、生命の誕生とか、そこらへんの現代的な研究に裏打ちされた事実を踏まえて語ってないから、時代遅れなんだよね
科学的根拠がないんだ
悟りとか執着をやめるとか修業とか座禅とか輪廻から解放されるとか、マジでどうでもいいから
そうではなくて、単に事実を把握したいだけなんで、仏教は一切いらないんだよね
仏教とかではなくて、単にそういうことだと知っているのは、意味付けの幻想の中で生きるだけよりは、事実に沿って存在することになるから、見誤ることが減ると思うんだよな
分析したり判断するときに、虚構に基づいて判断しても失敗するからさ
なんかそんなことを考えた