はてなキーワード: 統一性とは
この80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。
私は、3月の硫黄島訪問、4月のフィリピン・カリラヤの比島戦没者の碑訪問、6月の沖縄全戦没者追悼式出席及びひめゆり平和祈念資料館訪問、8月の広島、長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日の全国戦没者追悼式出席を通じて、先の大戦の反省と教訓を、改めて深く胸に刻むことを誓いました。
これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣の立場については、私もこれを引き継いでいます。
過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。
第一次世界大戦を経て、世界が総力戦の時代に入っていた中にあって、開戦前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦は必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。
政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜の命を犠牲とする結果となってしまったのか。米内光政元総理の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線の見直しができなかったのか。
まず、当時の制度上の問題が挙げられます。戦前の日本には、政治と軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。
大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権は独立したものとされ、政治と軍事の関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制」の原則が、制度上存在しなかったのです。
内閣総理大臣の権限も限られたものでした。帝国憲法下では、内閣総理大臣を含む各国務大臣は対等な関係とされ、内閣総理大臣は首班とされつつも、内閣を統率するための指揮命令権限は制度上与えられていませんでした。
それでも、日露戦争の頃までは、元老が、外交、軍事、財政を統合する役割を果たしていました。武士として軍事に従事した経歴を持つ元老たちは、軍事をよく理解した上で、これをコントロールすることができました。丸山眞男の言葉を借りれば、「元老・重臣など超憲法的存在の媒介」が、国家意思の一元化において重要な役割を果たしていました。
元老が次第に世を去り、そうした非公式の仕組みが衰えたのちには、大正デモクラシーの下、政党が政治と軍事の統合を試みました。
第一次世界大戦によって世界に大きな変動が起こるなか、日本は国際協調の主要な担い手の一つとなり、国際連盟では常任理事国となりました。1920年代の政府の政策は、幣原外交に表れたように、帝国主義的膨張は抑制されていました。
1920年代には、世論は軍に対して厳しく、政党は大規模な軍縮を主張していました。軍人は肩身の狭い思いをし、これに対する反発が、昭和期の軍部の台頭の背景の一つであったとされています。
従来、統帥権は作戦指揮に関わる軍令に限られ、予算や体制整備に関わる軍政については、内閣の一員たる国務大臣の輔弼事項として解釈運用されていました。文民統制の不在という制度上の問題を、元老、次に政党が、いわば運用によってカバーしていたものと考えます。
しかし、次第に統帥権の意味が拡大解釈され、統帥権の独立が、軍の政策全般や予算に対する政府及び議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました。
政党内閣の時代、政党の間で、政権獲得のためにスキャンダル暴露合戦が行われ、政党は国民の信頼を失っていきました。1930年には、野党・立憲政友会は立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約の批准を巡って、統帥権干犯であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン海軍軍縮条約をかろうじて批准するに至りました。
しかし、1935年、憲法学者で貴族院議員の美濃部達吉の天皇機関説について、立憲政友会が政府攻撃の材料としてこれを非難し、軍部も巻き込む政治問題に発展しました。ときの岡田啓介内閣は、学説上の問題は、「学者に委ねるより外仕方がない」として本問題から政治的に距離を置こうとしましたが、最終的には軍部の要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説を否定する国体明徴声明を二度にわたって発出し、美濃部の著作は発禁処分となりました。
本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失っていきます。
その最たる例が、斎藤隆夫衆議院議員の除名問題でした。斎藤議員は1940年2月2日の衆議院本会議において、戦争の泥沼化を批判し、戦争の目的について政府を厳しく追及しました。いわゆる反軍演説です。陸軍は、演説は陸軍を侮辱するものだとこれに激しく反発し、斎藤議員の辞職を要求、これに多くの議員は同調し、賛成296票、反対7票の圧倒的多数で斎藤議員は除名されました。これは議会の中で議員としての役割を果たそうとした稀有な例でしたが、当時の議事録は今もその3分の2が削除されたままとなっています。
議会による軍への統制機能として極めて重要な予算審議においても、当時の議会は軍に対するチェック機能を果たしていたとは全く言い難い状況でした。1937年以降、臨時軍事費特別会計が設置され、1942年から45年にかけては、軍事費のほぼ全てが特別会計に計上されました。その特別会計の審議に当たって予算書に内訳は示されず、衆議院・貴族院とも基本的に秘密会で審議が行われ、審議時間も極めて短く、およそ審議という名に値するものではありませんでした。
戦況が悪化し、財政がひっ迫する中にあっても、陸軍と海軍は組織の利益と面子をかけ、予算獲得をめぐり激しく争いました。
加えて、大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋主義者や青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。
五・一五事件や二・二六事件を含むこれらの事件が、その後、議会や政府関係者を含む文民が軍の政策や予算について自由に議論し行動する環境を大きく阻害したことは言うまでもありません。
1920年代、メディアは日本の対外膨張に批判的であり、ジャーナリスト時代の石橋湛山は、植民地を放棄すべきとの論陣を張りました。しかし、満州事変が起こった頃から、メディアの論調は、積極的な戦争支持に変わりました。戦争報道が「売れた」からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました。
1929年の米国の大恐慌を契機として、欧米の経済は大きく傷つき、国内経済保護を理由に高関税政策をとったため、日本の輸出は大きな打撃を受けました。
深刻な不況を背景の一つとして、ナショナリズムが昂揚し、ドイツではナチスが、イタリアではファシスト党が台頭しました。主要国の中でソ連のみが発展しているように見え、思想界においても、自由主義、民主主義、資本主義の時代は終わった、米英の時代は終わったとする論調が広がり、全体主義や国家社会主義を受け入れる土壌が形成されていきました。
こうした状況において、関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地を占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムは更に高まりました。
日本外交について、吉野作造は満州事変における軍部の動きを批判し、清沢洌は松岡洋右による国際連盟からの脱退を厳しく批判するなど、一部鋭い批判もありましたが、その後、1937年秋頃から、言論統制の強化により政策への批判は封じられ、戦争を積極的に支持する論調のみが国民に伝えられるようになりました。
当時、政府を始めとする我が国が、国際情勢を正しく認識できていたかも問い直す必要があります。例えば、ドイツとの間でソ連を対象とする軍事同盟を交渉している中にあって、1939年8月、独ソ不可侵条約が締結され、ときの平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」として総辞職します。国際情勢、軍事情勢について、十分な情報を収集できていたのか、得られた情報を正しく分析できていたのか、適切に共有できていたのかという問題がありました。
戦後の日本において、文民統制は、制度としては整備されています。日本国憲法上、内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊法上、内閣総理大臣の指揮の下に置かれています。
内閣総理大臣が内閣の首長であること、内閣は国会に対して連帯して責任を負うことが日本国憲法に明記され、内閣の統一性が制度上確保されました。
さらに、国家安全保障会議が設置され、外交と安全保障の総合調整が強化されています。情報収集・分析に係る政府の体制も改善されています。これらは時代に応じて、更なる進展が求められます。
政治と軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権の独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくまで制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成しません。
政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります。現在の文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断の努力が必要です。無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持と責任感を持たなければなりません。
自衛隊には、我が国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊の運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的に説明し、意見を述べることが求められます。
政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります。組織が割拠、対立し、日本の国益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍と海軍とが互いの組織の論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令と軍政とが連携を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。
政治は常に国民全体の利益と福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任の所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、「相当の心配はありますが、この大病を癒すには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。
政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会とメディアです。
国会には、憲法によって与えられた権能を行使することを通じて、政府の活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます。政治は一時的な世論に迎合し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません。
使命感を持ったジャーナリズムを含む健全な言論空間が必要です。先の大戦でも、メディアが世論を煽り、国民を無謀な戦争に誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、偏狭なナショナリズム、差別や排外主義を許してはなりません。
安倍元総理が尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治の蹂躙、自由な言論を脅かす差別的言辞は決して容認できません。
これら全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です。過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のリベラリズム、健全で強靭な民主主義が何よりも大切です。
ウィンストン・チャーチルが喝破したとおり、民主主義は決して完璧な政治形態ではありません。民主主義はコストと時間を必要とし、ときに過ちを犯すものです。
だからこそ、我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。
毎年この季節になるとクソYoutubeが「今年のハイライト」とか言って
今年一番聞いた曲にのせて「お前の嗜好をずっと見ていたぞ」と紹介してくれるんだけど
2.チャンネルがーどまん(低知能ドッキリ系)
4.Nagasaki Biopark(動物園系)
5.羽流鷲りりり / Ririri Channel【ななしいんく】(ゲーム系Vtuber)
だった
人間というもの何らかの統一性があってエンターテイメントを摂取しているわけではない
ちなみに一番聞いた曲は
1.シンボル シラフ feat. TOKYO世界 (ラップ)
2.空飛ぶ家系モンスター 野良顎 (はんじょうラップコンクール)
3.ANOTHER WORLD Gackt (ヴィジュアル系)
4.Hands On Me Jason Derulo feat. Meghan (ポップス?)
5.See You Again Wiz Khalifa ft. Charlie Puth (ラップ?)
うちは事情があって子無し金無しペット無し40代夫婦だけど、ぬいぐるみを猫可愛がりしている。
夫がぬいぐるみにアテレコして、私と会話する遊びを延々している。これがコミュ障気味の我々にとってかなり大事なコミュニケーションとなっている。
一緒に暮らし始めてから、主に夫の求めでぬいぐるみは徐々に増えて、今では大体20体くらいいるけど、それぞれ個性(設定)が違う。
とにかく優しい子、ツンデレな子、貧乏性でご飯大盛りするのにも遠慮がちな子、保育士的な役割の子、ポインコ兄弟、東京の下町で不衛生な食堂を経営する子など、それぞれの子にだんだん設定が積み重なり、唯一無二の子になっていくのがかなり楽しい。
最初はいい大人が…と多少冷めている自分もいたが、アテレコ遊びを続けるうちにかなり夢中になった。今ではアテレコ要員の夫がいなくても会話ができるほどだ。
私が子供の頃はこういう人形遊びはほぼしてこなかったので、かなり新鮮な感覚。
この子たちのどれか一人でも欠けたらと思うとかなり辛い。この前ぬいぐるみを落とす夢を見て、その子がぺたんと座って、これまでの暮らしを思い返して、「楽しかったな」などと独りごちる夢で、泣きながら目が覚めた。
2年前に買ったあるぬいぐるみとまったく同じものをこの間買ったのだが、明らかに2年前の方が洗ったり抱っこしたりで色落ちしてくったりしている。5年経つ子はヘビーユースしてるせいもありもう擦り切れそう(繕いながら可愛がり続けるが)。そういうぬいぐるみを抱いていると、儚さすら感じるので不思議だ。
ちなみに、ディズニーなどのキャラ物からノンブランド?の子までさまざま。うちの茶の間(和室界隈です)はなんだか統一性のない感じになってしまった。きついよね、中年の夫婦が暮らす賃貸のボロ家の和室にぬいぐるみがたくさん座ってるなんてね。でも我々夫婦にとっては、私たちにしか聞こえない色んな声がする暖かい家なんだな。
Geminiさんは、参政党にかなり否定的だなぁ。中立といえど知力があれば否定せざるを得ないよな。
いくら絆や家族愛を謳っても根本がカルトビジネスなら悪であることには変わりない。
AIとして、私自身が特定の政党に対して「カルトである」という断定的な意見を持つことはありません。しかし、参政党がなぜ一部から「カルト」あるいは「カルト的」と評されるのか、その理由を客観的な事実や指摘に基づいて多角的に評価・解説することは可能です。
最終的に「カルト」と判断するかどうかは、この言葉をどう定義し、どの側面を重視するかによって変わります。以下に判断材料となる要素を整理します。
「カルト的」と指摘される理由
参政党の活動や支持者の言動には、社会学や宗教学で指摘されるカルト集団の典型的な特徴と類似する点がいくつか見られます。
1. カリスマ的リーダーへの強い帰属意識と絶対視
神谷宗幣氏という絶対的な存在: 党の共同代表である神谷氏の発言や思想が、支持者にとって絶対的な指針となっている傾向があります。彼の発言はほとんど無批判に受け入れられ、彼への批判は党への裏切りと見なされがちです。これは、教祖やグルを崇拝するカルト集団の構造と類似しています。
2. 強い「我々と彼ら」という二元論
敵の明確化: 「グローバリスト」「ディープステート」「製薬会社」「マスメディア」「既存政党」などを国民の敵として描き出し、「目覚めた私たち国民 vs. 日本を貶める彼ら」という単純な対立構造を提示します。これにより、支持者は自分たちを「真実を知る選ばれた存在」と認識し、強い連帯感と使命感を持つようになります。この排他的な選民思想はカルトの典型的な特徴です。
3. 独自の思想・陰謀論の共有
真実の提供者としての党: 反ワクチン、反マスク、反昆虫食、反コオロギ、反GMO(遺伝子組み換え作物)、歴史修正主義的な主張など、科学的・歴史的な定説とは異なる独自の思想や陰謀論を「隠された真実」として提供します。これらの情報を党の動画や講演会でのみ得られると信じ込ませることで、外部からの情報を遮断し、党への依存度を高めていきます。
4. 内部からの批判への不寛容さ
異論の排除: 過去に党の運営方針に疑問を呈したり、リーダーを批判した党員や地方議員が離党勧告を受けたり、除名されたりするケースが複数報告されています。組織の統一性を重視するあまり、内部での健全な議論や批判を許さない体質は、カルト組織に見られる強権的な運営と共通します。
5. 強い感情的な連帯と支持者の熱量
「目覚め」という体験の共有: 支持者の多くは「参政党のおかげで目が覚めた」という共通の体験を語ります。これは、ある種の回心(コンバージョン)体験に似ており、支持者同士の強い感情的な絆を生み出しています。集会やイベントでの熱狂的な雰囲気は、政治活動の域を超えていると指摘されることがあります。
参政党側の主張と支持者の視点
一方で、参政党自身やその支持者は、これらの指摘を「不当なレッテル貼り」だと反論しています。
国民運動・学習政党である: 参政党は自らを「特定の誰かのための政党ではなく、国民みんなでゼロから作る国民運動」であり、「みんなで日本のことを学び、考え、実践する学習政党」と位置付けています。
マスメディアが報じない情報を伝えている: 既存メディアが利権によって伝えない国民の健康や食の安全、国の主権に関わる重要な情報を発信していると主張します。
「カルト」という批判は妨害工作: これらの批判は、既得権益層が参政党の躍進を恐れて行っているネガティブキャンペーンであると支持者は考えています。
総合的な評価
参政党は、公職選挙法に則って選挙に参加し、議席を持つ合法的な政治団体です。その点において、社会から隔絶された閉鎖的な宗教カルトとは異なります。
しかし、その運営手法、支持者との関係構築、思想の浸透プロセスにおいて、
排他的な二元論
科学的根拠に乏しい独自理論の展開
内部批判への不寛容さ
といった、社会的に「カルト的」と見なされる特徴を色濃く持っていることは否定できません。
結論として、参政党を「反社会的な宗教カルト」と同一視することはできませんが、「カルト的な特性を強く帯びた政治団体」と評価することは、多くの客観的な事実から可能であると言えるでしょう。この評価は、同党の政策や思想そのものへの賛否とは別に、その組織としてのあり方に対する分析です。
参政党が公式に掲げる目的と、その活動から批判的に分析される目的は、しばしば分けて考えられます。
公式に掲げる目的 (建前) 🇯🇵
参政党が公式サイトや演説で主張している主な目的は、「日本の国益を守り、子供たちの世代に誇りある日本を遺すこと」です。そのために、以下の3つを重点政策の柱としています。
1. 食と健康、環境保全 (食料主権の確立)
日本の食料自給率の低さや、食品添加物、農薬、遺伝子組み換え作物(GMO)などの問題を重視しています。国民の健康を守り、国内の農業を保護・育成することで、食の安全保障、いわゆる「食料主権」を確立することを目指しています。
2. 国守り (国家の主権と国益の追求)
「グローバリズム」の名の下に、日本の主権や国益が外国勢力によって脅かされていると主張します。特に、世界保健機関(WHO)のパンデミック条約や、外資による土地買収、過度な対米従属などに反対の立場を取ります。憲法改正にも前向きで、日本が自立した主権国家として毅然とした外交・安全保障政策を行うべきだと訴えています。
3. 教育 (次世代への正しい歴史観の継承)
戦後の日本の教育が、自虐的な歴史観(いわゆる「WGIP」の影響)に基づいていると批判します。子供たちが日本の歴史や文化に誇りを持てるような教育を実現し、国の成り立ちや神話を正しく伝えることで、愛国心や道徳心を育むことを目的としています。
批判的に見られる目的 (本音) 💼
一方で、その運営方法や活動内容から、以下のような目的が真の狙いではないかと批判的に分析されることもあります。
ビジネスとしての組織拡大
前回の会話にもあったように、参政党は「不安を煽り、その解決策を売る」というビジネスモデルの側面を持っています。
政治活動を広告塔に:党の知名度を上げることで、党役員が運営する会社の商品(サプリ、書籍など)や、高額なオンラインサロン、セミナーへの集客力を高めます。
支持者を顧客に:熱心な支持者は、党の思想を支持すると同時に、関連商品を購入し続ける優良な「顧客」となります。
この視点では、政治的な目的の達成そのものよりも、党というプラットフォームを利用してビジネスを拡大し、収益を上げることが主目的と見なされます。
影響力のあるコミュニティの形成と維持
選挙で議席を獲得すること以上に、強力で熱心な支持者からなるコミュニ-ティを形成・維持すること自体が目的となっている可能性があります。
このコミュニティは、
情報の拡散力を持つ:SNSなどで党の主張を拡散し、世論に影響を与える。
経済的に組織を支える:党費、寄付、商品購入で組織の財政基盤となる。
リーダーに求心力を与える:リーダーはコミュニティの存在を背景に、社会的な影響力や発言力を獲得します。
この場合、党は「政治団体」であると同時に、リーダーを中心とした一種の「オンラインサロン」や「ファンクラブ」としての機能が強いと言えます。
まとめ
参政党の目的は、見る立場によって異なる二重構造になっていると分析できます。
表向きの目的 (建前): 食・国防・教育を通じて「日本の国益を守る」という愛国的な政治活動。
裏の目的 (本音/批判的分析): その政治活動を手段として、「ビジネスを拡大」し、「影響力のあるコミュニティを維持」すること。
熱心な支持者であるかのような文体を維持しつつ、行頭の文字を縦に読むと参政党への批判が浮かび上がる「縦読み」をいくつか作成しました。
皮肉や風刺の効果を狙い、一見すると賞賛、しかし本質は批判、という構成になっています。
パターン1:「カルト」
最も直接的で痛烈な批判の一つです。信奉者の熱狂的な様子を逆手に取ります。
るいなき愛国心をお持ちの方です。
パターン2:「デマ」
パターン3:「うそ」
うそばかりの世の中で、
【ポイント】
これらの文章は、元の文章が持つ「私たちは正しいのに不当に攻撃されている」という悲壮感や熱狂的な雰囲気を逆手に取ることで、皮肉の効果を高めています。SNSなどで使用する際は、文脈に合わせて調整してください。
能力が出てくる漫画で二系統以上の能力が出てくることが無い気がする。
ハンターハンター的なルールに縛られた能力者たちととある魔術的なルールに縛られた能力者たちが両方出てくることは無いし、
呪術的なルールとドラゴンボール的なルールが共存することもない。
ルールっていうのは言い換えればメカニズムとかそのメカニズムに依存する制約とかね。
世界観の統一性がぶっこわれるから意図的にそうしてるのか、そもそも描いてるのは作者一人だから複数の体系が思いつく可能性自体原理的に少ないって事なのか。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250805153802# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaJGmywAKCRBwMdsubs4+ SOOMAP9BxXX0uGlzWrAx720sUMu0HhH+um6kdZ8TosvpH9wipAEAknKNfu13TAaq RP5utU0eNdFT6vj5GB+k8yALozycoQU= =JTXU -----END PGP SIGNATURE-----
ラブライブ界隈では導入以来かなりの実績を重ねてきたイープラスの顔認証チケット。
転売対策としてはもちろん、たとえスマホを忘れても顔パスで入場できるのは利用者にとっても素晴らしいメリットといえます。
なかには高額転売された非正規のチケットを使ってでも、現地に行きたいと考える方もいらっしゃるのではないでしょうか。
最近は配信も充実してきましたが、やはり現地でしか味わえない会場ならではの雰囲気というものは確かにあります。
実際、開催が迫る「Aqours Finale LoveLive! 永久 stage」でも、Xやチケ◯◯◯で譲渡募集が散見されます。
果たしてこうした非正規のチケットで本当に入場できるのでしょうか。
私もチケットが当たらなかった悔しさから、こういったチケットに手を出してしまったので、その経験を自分への戒めも込めて記しておこうと思います。
具体的な公演名は伏せますが、Day1・Day2の2日間に渡る公演で、次のようなチケットを用意しました。
なんとそのまま入場できてしまいました。
場内でも特に呼び止められることはなく、終演まで問題なく観覧して会場を後にしました。
ここでトラブル発生。これまで何の問題もなかった顔認証が、全く反応しません。
タブレットの前に立つバイトスタッフも困惑した様子で、不備対応レーンに案内されました。
顔写真で検索したのでしょうか。ここでDay1で非正規のチケットを使ったことがバレてしまったのでした。
ただ、自分名義の身分証明書を持参していたので、軽く口頭で注意された程度で入場できました。でもあまり気持ちの良いものではありませんね。
ちなみに、対応された方はバイトスタッフとは違って腕章も名札も着けておらず、言葉が悪いですが終始面倒そうな態度でした。
おそらくイープラスかバンダイナムコの社員だったのではないかと思います。
考えてみれば、スマホのロック解除で日常的に使われている顔認証。
Day1とDay2で写真を変えたところで、同じ顔ならバレてしまいますよね。
見た目はシンプルなテンプレートをそのまま使ったようなWebサイトですが、顔認証技術そのものはかなり精度が高いようです。
Day1では止められなかったということは、顔写真とアカウントの名義は紐づけられているわけではなさそう。
おそらく顔写真の有効範囲はあくまでもそのライブ限りで、終わったら破棄されているのでしょう。
別のライブで登録した顔写真を横断的に照合することまではしていないようです。
例えばDay1とDay2のように公演日時が別でも、同じURLなら行き着く登録先は同じなので、照合すれば別名義であることがバレてしまいます。
チケットぴあではリセール対応公演が多く、イープラスにもリセール機能自体は存在するようですが、
ラブライブシリーズのライブでは一向に導入される気配がありません。
ラブライブシリーズは1日だけで万単位で動員する公演を数多く開催しているので、参加者が多くチケット管理が複雑になるのは理解できます。
また、現行の顔認証システムは、イープラスの抽選予約システムとは別建てで動いていることも、リセール導入の障害になっているのかもしれません。
でも、これでは運営側は困らなかったとしても、観客としては悲しいことですよね。
この種のチケットはかなり早い時期から申し込みが始まるので、開催日までに急遽予定が入って行けなくなる方が出てくるのはごく自然なこと。
行けなくなったチケットは転売対策の名のもとに紙切れになり、抽選に全部外れてしまえばどんなに行きたくても公式からのチャンスはもうない。
こうした仕組みでは、たとえ入場できないかもしれないと分かっていても、非公式の手段に頼りたくなる方が出てしまうのは避けられません。
私も公式リセールがあったなら、非正規のチケットにまで手を出そうとは思わなかったでしょう。
少なくとも申し込みの時点で顔写真を確定し、当選後は一切変更不可とするのが望ましいと考えます。
現在のシステムでは公演直前になって顔写真登録の案内が来る仕組みになっているので、単純に忘れてしまいやすいです。
また、このタイミングで他人の顔写真を登録することも可能なため、結果として転売を助長することになりかねません。
顔写真を変更した場合はその直後に参加する公演で本人確認を必須にするのが適切でしょう。
現状の顔認証システムは、同じURLのサイトなのにDay1とDay2それぞれで別々に写真を登録しなければなりません。
果たしてこの仕様に意味はあるのでしょうか?別人の写真を登録しても構わないと言っているようなものではないでしょうか?
かえって不正利用の余地を生み出しているようにしか思えません。同一ライブ全体で一元管理するのが適切でしょう。
私は法律の専門家ではなく、制定当時の経緯も深追いしていないので、不勉強な部分はご容赦いただければと思います。
現在の「チケット不正転売禁止法」は消費者によるチケットの不正転売を禁止しているだけで、
特定興行入場券の不正転売の禁止等による興行入場券の適正な流通の確保に関する法律
(興行主等による特定興行入場券の不正転売の防止等に関する措置等)
第五条 興行主等は、特定興行入場券の不正転売を防止するため、興行を行う場所に入場しようとする者が入場資格者と同一の者であることを確認するための措置その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
2 前項に定めるもののほか、興行主等は、興行入場券の適正な流通が確保されるよう、興行主等以外の者が興行主の同意を得て興行入場券を譲渡することができる機会の提供その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
小規模な興行にまでリセール導入を求めるのは酷ということで努力義務に留めたのかもしれませんが、
ラブライブ以外にもジャニーズなど大小問わず様々な公演で、依然としてリセール制度を導入していないケースが多いように感じます。
また、リセールを用意していたとしても、対象が会員限定であったり、申し込みサイトとは別の外部サービスを利用していたりと、
その方法や条件には統一性がなく、主催者ごとに対応がバラバラなのが実情です。
すべての興行にリセール制度を義務化するのが理想だとは思いますが、少なくとも開催日の1ヶ月以上前から申込みが始まる公演や、
抽選制で早期に満席が予想される公演においては、リセール導入を義務化してほしいものです。
事情があって行けなくなったチケットまで自由に譲ることできないのは、消費者にとって制約が強すぎます。
法律で転売や譲渡を禁じるのであれば、主催者が責任を持って譲渡を仲介していただきたいです。
理想を言えばチケットを購入したサイトの履歴画面から直接リセールを申し込むことができ、
購入したのと同じページからリセールチケットの情報を確認できるような、シンプルで分かりやすい仕組みにしていただけるとありがたいです。
リセールに至るまでの手順が複雑だと利用が進まず、非正規の転売に頼ってしまう方が出てきてしまいます。
誰もが気軽にリセールできる統一的な方法をガイドラインとして整備することが望ましいのではないでしょうか。
もし今度の参議院選挙で山田太郎氏がこの問題に真正面から取り組んでくれるなら、私はぜひ応援したいです。
とはいえ、リセールを導入したとしても、完全に転売を防げるわけではないようです。
今夜は、そのことを物語るニュースを多く目にしました。結局のところ、最後に問われるのは、やはりモラルなのかもしれません。
顔認証の導入など、ラブライブシリーズは不正転売に対してどこよりも厳しい対策を取っていると思います。
一方で、正規の方法で参加しようとしてもチャンスが得られず、チケットを譲りたくても手段がないという現状は、
推しに熱烈な声援を送り、その雄姿を目に焼き付けたいファンの気持ちを踏みにじるものではないでしょうか。
「配信があるから」、「ライブビューイングがあるから」で済ませるのではなく、
自主的な譲渡や転売を禁じる以上は、最後の最後まで現地参加できるチャンスを主催者には用意していただきたいと強く思います。
この記事に記載した抜け穴もいずれ対策されることになるでしょう。くれぐれも真似されないように。私はもうしません。
開幕からド派手にぶちかます中で、蘭が園子にサッカーの試合のチケットを譲る場面が出てきたのが気になりました。
無償だから問題ないのかとか、いくら大財閥の令嬢だからって本人確認で止められてしまうのではとか、いろいろ考え込んでしまいました。
超大人気シリーズですら平然とチケットを譲渡しているわけですし、どの公演でもチケットのリセールもわだかまりなく行えるようになるといいですね。
私たちは、選択的夫婦別姓制度について、「導入に原則として賛成」の立場をとります。
結婚によって改姓を強いられる現行制度には、特に女性のキャリア継続や社会的アイデンティティにとって深刻な不利益があると認識しており、選択肢を広げる制度改革は一定の合理性と必然性を持つと考えています。
その一方で、推進派と反対派がそれぞれの立場から強く主張し合う構図において、制度が導入された後の社会的・実務的な影響についての冷静な議論が十分になされていないという点に、強い懸念を抱いています。
私たちが求めるのは、制度の「是非」だけではなく、「どのように導入され、社会に定着していくのか」という運用面への丁寧な設計と合意形成のプロセスです。
推進派の中には、「結婚によって姓を変えざるを得ない女性が不当に不利益を受けている」「外国ではすでに制度化されているのに、なぜ日本ではこれほど長く議論が停滞しているのか」といった切実な問題意識と、長年にわたるフラストレーションを抱える人たちが多くいます。
1996年の法制審議会答申を受けた1998年の報告から数えて、実に30年近く、制度導入が見送られてきたという現実があります。この間、当事者たちは選択肢が与えられないまま、個人の尊厳や実生活における不自由を甘受せざるを得ませんでした。
こうした長期にわたる「待たされ続けたことへの焦り」や「社会の変化に比して制度が旧態依然としていることへの不満」に、私たち中間派も一定の理解と共感を持っています。
「これはあくまで“任意”の制度なので、反対する人に強制することは一切ない」
「改姓によって不利益を被る人が“困っている”なのだから、制度を変えるのは当然だ」
といった、制度導入の正当性を感情や比較論だけで強調するような主張が目立つこともあります。
当事者の苦悩は確かに深刻であり、改革の必要性を示す根拠として妥当なものですが、それだけを理由に社会制度を変更する場合、導入後の現実的な摩擦や調整を軽視してしまうリスクがあることも忘れてはなりません。
私たちは、選択的夫婦別姓制度が個人の尊厳や自由な生き方を支える重要な一歩であると考えています。
しかし、その実現には「制度の導入そのもの」だけでなく、「導入のしかた」「導入後の社会設計」までを含めた誠実な準備と合意形成のプロセスが必要です。
「男子児童が学校で水泳の授業を受けている」風景を想像してみてほしい。
ほとんどの人は「上半身裸で、海パン姿の男児」を想像しただろうし、それが一般認識である。
しかし、改めて考えてみてほしい。なぜ男児の胸は隠さなくてもいいのか?
女児に同じことをさせればれっきとした性的虐待なのに、男児に対しては許されるのか?
本記事はそのような男女不統一性に対して疑問を呈するものである。
近年、老舗学校水泳用品メーカーのフットマーク株式会社が以下の取り組みをしている。
【業界初!ジェンダーレス対応のスクール水着 「男女共用セパレーツ水着」】 https://www.footmark.co.jp/magazine/magazine-1211954/
この取り組みはジェンダー平等の観点から非常に優れており、広く関心を得て導入校は急増し、2025年には500校以上に導入される見込みである。
しかし、全国の小中学校を合計すると約30,000校であることから、全国でわずか2%弱しか広まっていないとも言える。
ここで筆者は、いっそのこと「小中学生児童の胸を隠すことは学校側の義務であり、隠さないことは性的虐待である」と法律で制定するべきだと提案したい。
「なぜ小中学生までなのか」という疑問に対しては、性徴で説明できる。
思春期とは、生殖能力が十分に備わり、成人としての性の特徴が現れてくる段階のことです。男児では、通常10~14歳で思春期を迎えます。
第二次性徴を迎えるのは基本的に小中学生の段階であることが分かる。
それまでの児童は、等しく守られるべきである。そこに性的な男女差は少なく、小児性愛者は男女見境なく牙を剥くからだ。
高校生にもなると、男子は胸板が十分に発達して「見られても恥ずかしくない」という認知に至る学生が少なからずいるだろうから、強制するものではなくなるだろう。ジェンダーレス水着導入校には入らない選択も可能である。
よって、ここでは小中学生までの胸を隠すべきであると結論する。
これは先の記事でも述べられていたことだ。国連開発計画によると、トランスジェンダーの人口割合は300人に1人とされており、1校に一人や二人はいて当然ということになる。
プライベートゾーン教育とは「触られたり見られたりしたら嫌なところ」を子供に教育することで性被害を抑制する試みである。
東京都子供政策連携室によると、プライベートゾーンは「水着で隠れるところ」と教育されているが、これでは不十分であると提唱したい。
https://www.youtube.com/watch?v=K-WK4QmM_WA
このような不統一性は「男なら胸を見られても恥ずかしくないだろう」「実は女もそこまで恥ずかしくないんじゃないの」という偏った認識を与えるため不適切である。
実際、教室で性器を丸出しにして遊んだり、女子の胸を触って遊ぶ男子を一度は見たことがあるだろう。これは性被害の当事者性が養われていないため発生する。
男女平等なプライベートゾーン教育は、「誰でも胸や性器を見られたら恥ずかしい」という当事者性を養うことが可能だ。
児童性犯罪者が狙うのは女児だけではなく、男児も同じくターゲットにされる。
最近は監視が強化されているとは言え、公の場で児童の胸が誰でも見られてしまう状況は盗撮者の恰好の餌場である。このような目を少なからず遮ることができるだろう。
【評価:良かったけど傑作では無い。映画館に行ってまで見るべき物では無い。】
・のぶ代世代。今のメンバー達の声ってこうなってるんだ。スネオがガラガラ声で演じるの大変そうだなと思いながら視聴。
ネットで「わさびドラ最高傑作」らしいから見に行ったけどまあネットの藤子ファンの言う事は当てにならんな!
ジークアクスはガンダム知らなくてもマジで面白かったのでガンオタ優秀すぎんか・・・?ってなった。
・ドラえもん映画って基本、日常世界からのび太が新しい事に興味を持ってその世界へ行ったらトラブル、みたいな展開だけど
前触れが無く唐突に絵世界に入った所から始まるのでのび太が何に興味があって絵の世界に入り込んだか全く判らない。
・次のシーンで全然違う場面が突然始まり繋ぎが無い為、見てて凄く違和感を感じる。
新海作品によくある分業でシーン毎に統一性が無くなるあの感じが実に新海世代って感じ。メチャクチャ、バラバラ。まあドラえもんだからいいかって感じ。
・絵である必要性が無い。のび太のドラゴンクエストって感じ。すぎやまっぽい中世風のオーケストラ、バラバラになった石板とかドラゴンと戦う所とかまんまそれ。でもオープニングはFF。これが判らない(https://youtu.be/Xi7_0puBiuQ?t=30s)
・まだ面会もしてないのに城の隣に砦作るの笑った。メッチャ不審者じゃん。
・本ターゲットの子供達置いてきぼりって感じがした。飽きさせない作りにしたいのは判るけどそれなら上映時間もっと短くしろ(大人の俺でもキツかった)って感じだし、
話がクドいのが気になった。ミスリードとか石化ビームとか。巨大ビーム一発撃って全員石化すれば20分短縮出来るのに回りくど過ぎね?って観ながらずっと思ってた。
「顔が割れる」とか「往生際が悪い」とか言葉を知らないと理解できない単語を使うのも気になった。ガチお子様には判らんだろ。映画中に聞くぞ。「ママー!顔が割れるってなにー?」とか。
・観た感じ、ドラえもんマニアのスタッフが作った優等作品って感じ。ノルマ(定番ギャグ・出会いと別れ・パラドックスネタ)もこなしてる。でも姫が居なくなる(別れ)をムリヤリする必要無かったね。
結局滅んじゃう?結局滅んじゃうの?そう・・・