はてなキーワード: マジックとは
バカな人を良い方向に騙す、これは個人の話なのか、教育の話なのか、メディアの話なのか分からないが、教育は現場に余裕がなくあまり期待できないと思う。
教育は必ずしも語る人が哲学や歴史や経済や法のような「社会の基本的な仕組み」とは何か、人間や国とはどうあるべきでどうあってはいけないのか歴史上どんな失敗をしてきたのかなどの社会の全体像を理解できてるとは限らず、悪習の再生産でしかない時もある。個人的には1+1というのは本来ここで教わるべきことだと考えている。
メディアも報道の腐敗を理由にダメージを負うほどの炎上はしないのでヤバい方向にしか使われないんじゃないかな。
ただ、個人でやるには、ある程度専門的に理解できている人はどの分野につけても多くないから基本的に多くの分野で素人の床屋談義になるというのがネックになってくる。国の仕組み自体を変えなければ、全体的な愚かさがインターネットマジックで「個人差」「主語がでかい」という言葉で片付けられる未来が見えてくる。
では、国の仕組みは誰が変えるか、誰が変えたいのか、それは国民ということになる。
そもそも民主主義は国民が最高権力者となり政治を変える仕組みで政治家はあくまで国民の権威を借りるだけの国民の代表に過ぎない。国民の声がなければ官僚も動けない。日本社会とは個人で構成されている。日本社会は個人そのものである。社会というものに何かを期待する時、それは君であり、親であり、ただの個人だ。
だから民主主義は伝統的に、構成員である国民に、教養や賢さ(と、報道の自由と公正)を強く要求する。
今の日本がそれを可能にする土壌を手に入れて先進国の仲間入りをするのに何百年かかるか、私は「あと250年以上かかる」にカシオミニを賭けている…
あと、政治家の広報活動って、税金や献金が使われるんですよ。巨額の「献金」で「作った民意」が何を目的とするか考えてみてください。「税金」を使って世論誘導して選ばれた政治家が何を目的とするか?
沢山お金があれば騙しなおしも難しくないです。誰かにとってお金になる洗脳なら、お金を出す人がいるわけです。
この国の「国民に選ばれた政治家」は国民のお墨付きがあるという理由で国家内部の様々な事をいじくれる大きな権力を与えられる仕組みです。うまい政治家の洗脳はどこに行きつくのか?
ギザギザのところじゃなくマジックカットのほうが開けやすいようになってるのキモチワルイ
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251128180602# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaSll/AAKCRBwMdsubs4+ SLWvAQCoN08IaWaAxoGW+elh7+3O54gqExekVjEwGicps7gFrQEA1fLQQNuzfzeD rZBTQWGkH0hCVqI6/2AzKrDd9JPfGAQ= =PJPT -----END PGP SIGNATURE-----
平素より弊社商品「マジックカット袋(切れる!どこからでもスーッと!)」をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
この度、誠に遺憾ながら、2025年11月製造ロットの一部において
「いくら引っ張っても切れなかった」
「ハサミで切ったら普通に切れた」
お客様におかれましては、
・袋を開けようとして30分以上格闘した
・最終的に袋ごとゴミ箱に放り込んだ
【対象商品】
製造番号:MC-202511XX(袋の底に小さく書いてあるやつ)
【回収方法】
恐れ入りますが、該当の「切れなかった袋」をそのままの状態(中身が入っていても可)で下記までお送りください。
※切ろうとした痕跡(爪痕・歯形・絶望のシワ)があるほど高額査定いたします。
送り先:
〒999-9999
株式会社マジックカット本舗 回収課「切れなくてごめんなさい係」
【補償内容】
・精神被害補償として「もう一生袋と戦わなくていい券」(有効期限:永久)
なお、今回の不具合品は「切れない」を極めた結果、
・防災用の非常用袋
として異例の人気が出ており、回収を拒否されるお客様が続出しております。
「むしろこのままでいい!」という猛者の方は、そのままご愛用ください。
袋よりも厚くお詫び申し上げます。
(プロンプト)
Grokで「【探しています】切れなかったマジックカットの袋。というタイトルで、製品回収のパロディのように案内文を書いて」と指示。
まずは、「Virtual Gorilla+(バゴプラ)」という名のWebメディアです。
そしてもう一つが、SF小説に関する事業「Kaguya」。Kaguyaの取り組みは、いくつかあります。①ショートショートのコンテストの開催。②Kaguya PlanetというWebマガジンの刊行。ここでは毎月短編小説を配信しています。③Kaguya BooksというSFの出版レーベルとしての活動。
二つの活動以外にも、企業のSFプロトタイピングのコーディネーターなど、SF関係のさまざまな仕事も手掛けています。
Kaguyaで開催している短編小説のコンテストは、最大4千字です。気軽に書いて、読者や審査員からフィードバックをもらうなかで、自分の強みが何かを発見してステップアップしていく。そういう場所を目指しています。
ライフステージや、家庭における役割、精神状態などに大きく左右される。「連載が約束されていない長いもの」の執筆に時間を割けるということ自体、特権的なのかもしれない。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20251022002010.html
【井上】 日本のSFだけではなく文学全体がそうかもしれませんが、商業デビューの王道として、新人賞をとって、そこで作品を出して商業デビューし、その出版社から2作目3作目を出し、他の出版社からも声が掛かる……というルートがあると思います。もちろん日本のSF作家で、そのルートに乗らず商業デビューして活躍している方もいるのですが、わりとイメージしやすいロールモデルとして、それがある。
主催によってカラーが決まっていることが悪いわけではないですし、一つのコンテストに「全ての多様性を担保しろ」と求めるのは無理だと思います。なので、窓口を増やすことで、デビューへの道筋を多様にすることが大事だと考えています。
【井上】 23年10月に文芸翻訳の経験を持つ編集者が新しく参加してくれたこともあり、海外から日本への輸入や、日本から海外への発信に力を入れることができるようになりました。
写真・図版
第3回かぐやSFコンテスト大賞作品「マジック・ボール」は、中国のSFマガジン『科幻世界』とイギリスのウェブジン『Schlock!』にも収録された=井上彼方さん提供
【井上】 「自分の表現で誰かを傷つけてやろう」と思っている人って、そんなにいないと思うんです。ごく一部の悪意のある人をのぞけば。でも実際に、自分が書いた文章に批判がくると、身構えるじゃないですか。そういうときに自分を見つめ直して反省して次に生かすって、非常に難しいことだと思うんです。特にSNSで炎上してしまうと、冷静ではいられないですよね。
自分の書いた文章について言われるのではなく、あらかじめ「こういうことって気をつけた方がいいね」とわかっていたら、過剰な自己防衛に陥らず、話を素直に受け止められる場合があるはずです。
ヒューゴー賞は世界SF大会によって設立されたSF・ファンタジー作品の文学賞で、受賞作品は世界SF大会に参加登録した人による投票で選ばれます。そして、このSad Puppiesというのは、ヒューゴー賞の選考に影響を与えるための組織的な投票運動でした。女性や有色人種の受賞が増えていることに抗議を示すため、白人でヘテロセクシュアルの男性作家たちが自らを、権利を侵害されているSad Puppies(悲しい子犬たち)と称したのです。
ヒューゴー賞は投票制なので、人々に開かれたものではあったはずです。ところが、Sad Puppiesたちは、「ヒューゴー賞はポリティカルコレクトネスに配慮するあまり、本当に面白い作品を受賞させなくなっている」といった主張を始めた。「もっと面白い白人男性の作家を受賞させろ」という風に呼びかけた。そういう事件ですね。
【井上】 ヒューゴー賞は2010年代、女性作家や非白人の作家の受賞が増加しました。女性だけではなく、クィアであることをオープンにしている作家の受賞も増え、それに対して「自分たちの土俵が荒らされた」というような被害感情を持たれる方がいた。それで起きた事件です。
【岡田】 この事件については、SF評論家の橋本輝幸さんが、ウェブ連載「いつでもSF入門」のなかで詳しく語られています。SF界において女性が優遇された時代はなかった、と指摘されています。
【対談を終えて】
対談から2年。2024年に慶応義塾大学にサイエンスフィクション研究開発・実装センターが開設されるなど、社会の中でSFをどうツールとして使っていくのかという取り組みは広がりを見せ続けているように思う。その中で、SFを取り巻く世界やSFが描く世界の中から、誰が取りこぼされてきた/いるのかということは今も問われ続けている。
この間、VGプラスで行った取り組みの一つに、刊行しているマガジン『Kaguya Planet』でのパレスチナ特集がある。1948年のイスラエルの建国以前から続く、入植型の植民地主義と人種差別的な支配、ジェノサイドは、「世界では誰の声が優遇されているのか」ということと無関係ではない。そのことにSF企業としてどう応答できるのかを考えて行った特集で、パレスチナ人/パレスチナにルーツのある作家による、パレスチナを舞台にしたSF・ファンタジーを翻訳した。
写真・図版
ウェブマガジン「Kaguya Planet」のパレスチナ特集
だが同時に、システムや場づくりについて問題提起をしているVGプラス自身、たくさんの方から至らぬ点についてご指摘をいただき、ときに引き立てていただき、ときに知恵を授けていただきながら活動をしている。マイノリティーの方々に「指摘する」というコストを支払わせてしまった局面もたくさんある。それらを抽象的な次元にとどめることなく、現実の制度や権利回復へとつなげるためになにができるのか、常に考えていきたい。
そしてそれは、SFという私の愛するジャンルそのものを豊かにすることにも、当然つながっているのだと思う。
排除はしばしば、「質」の名において実行される。
なにが「優れた」作品なのか。その指標そのものが、特定の経験や価値観にもとづいて構築されてきた。そうした規範に照らせば、大きく異なる経験を持つ他者の書いた作品は必然的に「劣った」ものと評価されよう。排除は意図的に行われるのではない。それは常に「客観的な評価」の結果として生じる。
Sad Puppies事件は「ポリティカルであること」への反感が運動のきっかけだったが、むしろ、従来の選考こそが政治的だったと考えることもできる。価値判断の場では多くの場合、既存の権力関係が反映される。正統性を維持するためのシステムは個人の意図を超えて作動する。
だからこそ、井上さんたちの取り組む解決策はシステムそのものに切り込むものだ。短編コンテストの開催、発表の場を多様化すること、経済的に持続可能な仕組みをつくること。これらはすべて、異なる価値観が共存できる環境を目指している。
誰が未来を語るのか。どのようにその語りを開いていくのか。今回の対談で示されたのは実践だった。完璧な一つのシステムを目指すのではなく、複数のシステムを並走させることで、今は「評価」できない作品や価値観にも光が当たる可能性を残している。SFの想像力が現実を形成する力を持ちつつある世界において、その想像力を担う主体の多様性こそが、私たちの未来の豊かさを決定づけるだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20251010215210
執刀医がきっかけで性癖を自覚したので、自分の欲を女風で実験してみた話
続編
わたしの中で倫理的にアウトにならない性欲の逃がし所を女風と決めて実行。
その実験記録です。
1. 自分の性癖は特定したけど、身体的な刺激のみでも満足できるのか?
※わたしの性癖(理性的だが内に熱や欲を秘めている)はなかなかいないので、
2. そもそも性欲なのか?それとも恋愛的なときめきが欲しいのか?
※ここが難しくて、女性は感情と性って切り離せないからポイントかも
予約までの流れ: LINEで予約。セラピストと落ち合いはホテル先入りを推奨される(インバウンドでラブホも激混みのよう)
なんとか空いているホテルを見つけて先入り。
あれ?なんか思ってたのと違う?
いや、でも彼は悪くない。
口元だけを隠された画像から、こちらが良い様に想像してしまっただけ。
シャワーを浴びて、まずはうつ伏せで普通のオイルマッサージから始まり、
ここで個人的に驚いたのが、耳や首筋を舐められたりしても凪、
完全なる無風だったこと。
気になる人と手が当たるだけでビリつく現象、あれは完全に精神的なものなんだな。
その後、仰向けの指示を受けて仰向けに。
そこで、「めちゃくちゃ美人だよね、めちゃくちゃモテそう」と言われる。
もちろんこっちが金払ってるサービスな訳で、
言われて嫌な気分はしない。
ただ問題は、彼の顔がわたし的にちょっと違和感があることで、顔を直視できない。(彼は悪くない
ここは申し訳ないが、目を瞑る作戦に切り替えてなんとかやり過ごす。
ク◯ニが始まる。
やはりプロだからなのか、これが今まで未体験のゾーンだった、やばい。
こんなに気持ちいいと思ってなかった
ってぐらいの衝撃だった。
一通り終わり、帰り支度をして、駅まで歩いて解散。
1. パネルマジックは顔の一部を隠していても、全顔が出ていても、想像の余地があると良くないと思ったので、次回は全モザで。
気が向いたら、2人目どっかで書きます。
BSジャパネクストがリニューアル BS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
-----
・01 [隠し絵][ある人物の名前]マーガレット・)サッチャー
・02 サツマイモ
・03 横溝正史 よこみぞせいし
・04 『アニー』
・05 [英語]バレル(レッグ
・06 リン
・08 阿部サダヲ
・09 [近似値]16 (か国
・10 友禅(染
・13 芳根京子 よしねきょうこ
・15 ドリア
・16 アイゼンハワー
・19 馬場のぼる
・21 秋の風
・22 [2択]増える
・29 新体操
・30 出雲
-----
=====
(日曜本放送)このあと今週は
14:15からは「BS10からのお知らせ」→「蛍原徹の真剣ゴルフ部! ホトオープン #174」再放送→15:30「ザ・ゴールデンステージ #1」再放送
今でも大変にあたまがわるい私だが、昔は自分でもどうかしていると思うほどにバカだった。
あれは中学生の頃。
『おまじない』にハマっていた私。
ある日読んだ雑誌にこう書いてあった。
『好きな人の名前を手首にマジックで書いて、その上にバンドエイドを貼って隠そう。文字が消えるまで貼っていられたら、名前を書いた人と両想いになれる?!』
……ねぇよ。あるわけねぇよ!!
と、今ならゴミ虫を見るような目で雑誌を引きちぎって捨てるだろう。
「なんて素晴らしいおまじないなんだ!」
「教えてくれた人は神に違いない!!」
疑うことを知らない、まだピュアだった頃の私は記事の内容にいたく感動して、さっそく手首にマジックで当時大好きだったひとの名前を書いた。
……ここで普通の夢見る中学生だったら可愛らしく小さな字で名前を書いただろう。
ちょっと賢しい子であれば水性マジックで消えやすくする、とかの知恵が回ったかも知れない。
しかし、重ねていうが私はあたまがわるかった。
手首に油性マジックで力強く『楓』と、当時大好きだった漫画キャラの名前を書いた私。
思いが強過ぎたせいで、バンドエイド1枚程度では隠せない程にデカい文字で書いてしまった。
(でも、大きい文字の方が想いは伝わる気がする……しない?)
左手首にデカデカと書いた『楓』の文字を見て、当時の私でもちょっとしくじった気がした。
しかし幸いな事に『おまじない』には「バンドエイド1枚で隠さなければいけない」とは書いていなかった。
『隠せればOKなんだよね?』
根拠のないポジティブさを発揮し、そう考えた私は追加でバンドエイドをベタベタと手首に貼り付けた。
それを隠すのには全部で3枚ものバンドエイドが必要だったのである。
さて『おまじない』も無事おわり、3つのバンドエイドが並ぶ左手を見た当時の私はテンションが爆上がりしていた。
だってこれを剥がした時、名前が消えていれば私は楓と両想いだからだ。
しかし左手に3枚もバンドエイドが並んでいるのは、流石にちょっと不自然な気もする。
リストバンドで隠せないかと思ってやってみたのだが、3枚のバンドエイドを覆い隠すのに、リストバンド程度では役不足だった。
一瞬ノーカンにしてやり直しをしようとも考えたのだが、一回終えてしまったおまじないをやり直したらおそらく効果は無くなるだろう。
どうしようと悩んでいたその時、私の頭に天啓が下った。
……ぉお、なんと素晴らしいアイデアか?
神もきっと私と楓の仲を祝福してくれているに違いない!
何より包帯に包まれていればバンドエイドも剥がれにくいだろうし、おまじないの成功率も高くなるだろう。
なんという一石二鳥かっ!
当時を思い出して、今は羞恥で震えている。
さて、そんな状態で学生生活をしているとどうなるか、ここまで読んでくれたあなたには想像できるだろうか?
「……左手、どうしたの?」
休み時間に、陰仲間のNちゃんからそんな言葉を投げかけられた。
……そりゃそうだ。
昨日まで何もなかった場所へいきなり包帯なんか巻いてたら気になるに決まっている。
当時はおまじないの詳細を他人へ話してしまったら効果がなくなるという認識が私の中で一般的だったし、
いくら数少ない友人であるNちゃんとはいえ私と楓の仲を引き裂く権利は無いはずだからだ。
なので私は適当にはぐらかした。
「ちょっとドジってケガしちゃったんだ。……ふへ♡」
多分ものすごく気持ち悪い薄ら笑いを浮かべながら、私は彼女へそう伝えた。
「……そう、なんだ。大変、だね。……何かあったら、力になるから話してね」
今考えれば、中学生とは思えない程に物凄く言葉を選んで発言していた彼女。
だが当時の私はバカだったので、そんな気遣いにまるで気付かなかった。
だっておまじないが成功して楓と両想いになれた時のことを妄想して、自然とニチャついた笑顔が浮かぶ程にバカだったからだ。
この左手首は私と楓の絆。愛の証。
当時の私はそんな思い込みを完全に信じる程にイカれていたのだ。
あの時の私は多分、この世の薄気味悪いものランキングでかなり上位に喰い込んでいたと思う。
陰キャではあるが、特に問題を起こすようなタイプではなかった私。
そんな私が、なんでヤンキー説教部屋こと生活指導室に呼ばれたんだろう?
当時のそこへ呼ばれるタイプの生徒は無軌道で素行不良なヤンキー男子か、それに感化された女子の一部だけ。
純粋培養された陰キャであり教室の隅で雑草のようにただ息をしているだけの私が呼ばれる理由など、この時はまったく予想がつかなかった。
頭に沢山の?マークを浮かべながら、私は初めて指導室へ足を踏み入れた。
指導室へ入ると先に来ていた先生に促され、私は彼と向かい合わせで座る。
それはまさに『取り調べ』という空気だった。
私の担任は今だとあまり見ないであろうタイプの熱血教師で、いつも暑苦しい事をクソデカボイスで言う、うるさいひとだった。
そんな担任が無言のまま、ものすごく難しい顔をして私を見つめている。
……え? 私、何かしちゃいました?
身に覚えのないことで呼び出されたあげくに普段うるさい担任から無言で見つめられるなど、ちょっとしたホラーである。
しばらく無言で私を見ていた彼は、搾り出すような声で言った。
「……なにか、悩んでいる事があるのなら話してくれないか?」
いきなり何を言い出すんだ、この熱血教師は。
「……いえ、特には」
心当たりがまるでない私は当然そう返す。
悩んでいるように見える要素など、どこにあったのか?と、この期に及んでも思っていた。
わけのわからない事を言い出した担任の顔を見ると……彼は私を見ていなかった。
「俺も至らないところはある。……だけど話を聞くことくらいは出来るんだ。そんなことをして自分を追い込む前に、相談してくれないか?」
……んん??
ここで察しの悪い私もようやく気がついた。
……ひょっとして、私『リストカットした』と思われてる?
「……あの、先生。ひょっとしてなんですが、私が自分で手首切ったと思われてます…か?」
戸惑っている私に、先生は続けてこう言った。
「ここ何日か、お前の様子がおかしいという話を聞いている。……何もないのに薄笑いを浮かべて左手首を撫でたりしていて様子が変だ、とな」
……oh。
私から溢れ出た楓への思いが、何だかとんでもない方向へ流れている。
まさか本人がまるで意識しない所で、メンヘラ女子みたいな扱いになっていたなんて。
というかメンヘラ女子は意識して他人の気を引くためにやっているのだろうから、無意識でやっていた私はマジもののバカである。
……さて、困った。
誤解を解くのは簡単だ。
何より漫画キャラにガチ恋しているのを他人へ告白するのは、当時のバカだった私でもさすがにためらわれた。
なのでNちゃんに話したカバーストーリーを、そのまま担任へ告げることにした。
「いや、これはちょっとケガしちゃって。跡が残ると嫌なのでちょっと大げさに包帯巻いてるだけ……なんです!」
私が搾り出した渾身のプレゼン。
それを聞いた担任は──
「……そうか。とりあえず、何か悩んでいる事があれば相談して欲しい。自分はあまり器用な方ではないが、お前が困っているならば力になりたい」
……あ、ダメだわ。この目はまるで信じてないわ。
むしろ『本当は何か辛いことを隠してるんだろ? 俺には分かってる』感が満載の表情だコレ。
誤解を解くのは無理そうだったので、私は担任にこう言った。
「……3週間待って下さい。そうしたら私の言っている事が事実だと分かるはずです」
追及を続けたそうな担任へ私は山岡さんみたいなセリフを吐いて、その場をなんとか乗り切った。
(今思うと仮にそれが本当に怪我だったとして『何でその傷をニヤついて見てるんだよ?』って話なのだが、私の気迫に押されたのか担任はそれ以上突っ込んで来なかった)
結局、色々とウヤムヤにしたまま私は担任からの呼び出しをクリアしたのだ。
そして、それから3週間弱が経過する。
無事にバンドエイドは剥がれたのだが、『楓』の文字は完全に消えてはいなかった。
(今なら分かるが油性マジックを使ったのがいけなかったのだろう)
あれほどの困難を乗り越えたというのに、私の想いは彼に届かなかったのである。
あの時は本当につらかったが、今は別の意味でつらい。
翌日、担任に傷跡のない手首を見せたことで私のリスカ疑惑は解消された。
『え、マジでただのケガだったの?』みたいな顔をしていた先生の顔は今でも覚えている。
ちなみに何年か後、当時の私は影で『嘘リスカ』とか呼ばれていたらしい事を知って身悶えた。
あれからン十年経ったが、私は今でもあの『おまじない』を書いた雑誌を許せない。許していない。
『文字はバンドエイド1枚で隠せるような字の大きさで書きましょう』というものすごく必要な情報をバカでも理解できるように書くべきなのを怠ったからだ。
お陰で、頭のわるい子である私が『頭わるい上に痛々しい子』にジョブチェンジしまった責任は追及していきたい。
あと3週間くらいバンドエイドを張りっぱなしにしてると、それを外した時にマジでくっせぇのな。
手首真っ赤になるまで洗ってんのにだよ?!
アホほど制汗スプレーかけても、爽やかなシトラスの香りに混じって何か変な匂いするんだわ。
リスカ疑いがあった奴の包帯が外れたら、傷はなさそうだけど何か異臭がしてる、とか……
それはそれで『何があったんだ怖ぇよ』と思われてたんだろうなぁ。
……ぁあ、マジで思い出すたびに死にたくなる。
このクソ文章をここまで読んでくれた人の中に、似たようなことした人居ないかな? 居て欲しいな!
……頼むよ私だけじゃないと言ってくれよ。
昭和の頃って、インスタント麺の中に入ってるスープとか、かやくの袋ってすごい開封しにくかったんだよ。
いちおう切れ目とか、マジックカットとかそういう感じにはなってはいたんだけど、当時は技術的に稚拙だったから、なかなか素手で切ることが失敗するのが多かった。
でもさ、だからといってインスタント麺に付録としてカッターとかハサミはつけないじゃない?
袋を開けることに失敗するから、ってそれじゃ!ってカッター刃の先っぽみたいなのはつけないでしょ?
それはコスト的な問題とか安全上の問題とか色々とあるけれども、根本的な解決策としてスマートさに欠けるというのが理由だと思う。
で、結局どうなったかって言うと、パッケージの開封技術が向上したんだよ。マジックカットの精度を上げて、手で簡単に切れるようになった。真正面から問題を解決したってわけ。
お前らが今使ってるスマホでも同じことが起きてる。「文字が小さくて見えない」って問題に対して、虫眼鏡を付属品として付けるか?付けないだろ。画面自体を大きくしたり、文字サイズを調整できる機能を搭載したりして、根本から解決する。
ところがIT業界で働いてると、この「カッター付きインスタント麺」みたいな発想をするやつがゴロゴロいるんだよ。
「処理が重い」→「サーバーを増やそう」
全部その場しのぎの対症療法だ。根本的にシステム設計を見直すとか、ユーザーインターフェースを改善するとか、そういう本質的な解決から逃げてる。
特にひどいのが、「ユーザーが馬鹿だから」って前提で作るシステムだ。確認ダイアログを何回も出したり、警告メッセージを山ほど表示したり。それって結局、カッター付きインスタント麺と同じ発想なんだよ。
昭和のインスタント麺メーカーは偉かった。カッターなんか付けずに、パッケージ技術を改良し続けた。その結果、今の俺たちは何の苦労もなく袋を開けられる。これがイノベーションってもんだ。
でも現代のエンジニアは楽をしすぎてる。問題が起きたらとりあえず機能を追加する。設定項目を増やす。アラートを出す。それでユーザーに負担を押し付けて、「解決した」って顔をする。