檸檬色
- 2011/02/18 22:43
- Category: 好きなこと・好きなもの
午後から太陽が顔を出して職場を後にする頃にはすっかり晴れ渡った。もう直ぐ夕方も6時なのに空がこんない明るいって凄い、確実に春が近づいているのだと、同僚と空を仰ぎながら囁いた。うっすら薔薇色の空。日没後には奇麗な満月が見える筈だった。寄り道をした。何しろ金曜日だし、何しろ冬らしからぬ夕方だから。立ち並ぶ店の半分は既に冬のセールを終えて春の淡い色、爽やかな色で埋まっていた。どの店に入るでもなく、店先を眺めながらひたすら歩いた。と、一軒の店の前で足を止めた。檸檬色のセーターが美しかった。眺めているうちに思い出した。私がまだ子供の頃のことだ。私は4つ半年上の姉が大好きだった。姉は何処へ行ってもリーダーで、私は何時も後からとぼとぼとついて行った。ある夏、姉は美しいワンピースを着ていた。母が姉のために縫った袖なしでシンプルな形のよそいきの夏服で、爽やかな檸檬色だった。色白の姉が着ると、とても素敵だった。妹の運命でしばしば姉のお下がりを着る機会が多い私だった。幾ら姉が好きとは言えあまり嬉しくなかったが、このワンピースに関しては早くお下がりに欲しいと思った。成長期だった姉だから翌夏にはワンピースが小さくなり、ワンピースは私のものとなった。しかし私の身体はまだ小さくてワンピースを着るには後1,2年待たなければならなかった。ある夏、ようやくワンピースを身につけた。姉と違って色黒の私が身につけると美しい檸檬色に見えたその夏服は違う種類の黄色に見えた。涼しげな素敵な檸檬色に憧れていた私は大そうがっかりしたけれど、陽に焼けた私の肌にぴったりだと言って両親も姉も褒めてくれた。ひまわりのようだ、と言って。確か私は檸檬と言うよりもひまわりだった。太陽の陽射しをものともせずに家から飛び出して夕方まで帰ってこない娘だった。生まれつき色が黒かったから、肌はいとも簡単に太陽を吸収して、近所の誰よりも色黒だった。そんな私は確かに檸檬と言うよりもひまわりだった。それは子供心にも嬉しかったが、やはり姉が着た時のような檸檬の素敵さに憧れるた。同じものでも着る人によってこんなに印象が違うのだと、うまれて初めて知った夏だった。さて、このセーターはどうなのだろう。私が着たらどうなのだろう。それとも先程から隣に立って店先を眺めている色白のイタリア女性のほうが、やはり素敵に着こなすのだろうか。そんなことを考えながら、ふと思い出した遠い昔を暫くの間懐かしんだ。
micio
スカンジナビアの人に囲まれて仕事をしていたことがあるのですが、やはり地中海、南欧の人の肌の色のほうが美しいと思ってしまいます。金色が似合うし、ギリシャ神話の登場人物もこんな色をしていたのかなと。