過ぎたこと
- 2009/09/21 23:40
- Category: ひとりごと
ほんのつい最近まで暑い暑いと言いながら日陰ばかりを選んで町を歩いていたと言うのに、急に涼しくなるとそんなこともすっかり忘れてしまった。急に涼しくなったと言っても、よく考えれば9月下旬なのだからそろそろそんな時期なのだ。1ヶ月前は町を歩くと閉めきった店ばかりが目に入ってはがっかりしたり肩すかしされた気分になったが、そんな風景を思いだしてみると良いことばかりが浮かんでくる。ひと気のない町角、昼下がりに生み出された大きな日陰、静寂。暑くて堪らなかったことや、喉が渇いて堪らなかったこと、じっとしていても背中に幾つもの汗が流れて不快だったことなど全て忘れて、目に映った情景だけを思い出す。何て都合が良いのだろう、過ぎたことというのは。私にはそんなことばかり。例えば私がアメリカの町にひとりに飛び込んで遭遇したこと。初めは大雑把に言えば楽しいことばかりだった。誰に頼まれて行ったのでもなく、自分が好きで飛び込んだのだから当然といえば当然だった。そのうち現実的な問題に直面した。言葉だった。それなりに自信を持って行ったが、全く話にならなかった。面白いことにそれに気づくまで数週間掛かった。何しろ若さと自信に満ちていたから、そんなことはない、いや、そんなことはない、と自分に言い聞かせていたのかもしれなかった。私の若さは本物だったが自信に関しては今までのそれが偽物だったのではないかと思うほど脆く崩れていった。その後はどうしようもない。崩れたものは風に吹かれて塵のごとく飛ばされていき、私には何も残らなかった。何も残らなかったが私は周囲の人に恵まれていたようだ。さあ、あそこへ行こう、さあ、遊びにおいで。言葉を変えての色んな誘いがあった。数ヶ月後、私はそんな人たちのおかげで失った自信をほんの少し取り戻し、ついでに直面した問題を乗り越えることにも成功した。次に直面した問題は経済だった。仕事がなかなか見つからなかった。家賃を払ったらポケットに5ドルしか残らなかった。さあ、どうしよう。そんなになるまで平気でいた自分に腹がたったが、腹を立てても仕方がなかった。親は当てにしてはいけない。そういう約束だった。もう駄目だ。遂に観念しそうになった時、仕事が見つかった。時給が驚くほど安かったが、私にとってはまさに天の助けだった。毎日働いた。嬉しそうに働く私を雇い主が気に入ってくれて、少しでも沢山働けるように配慮してくれたからだ。嬉しかったがとても疲れた。職場から家まで長い坂道があったけど、交通費を節約したくて歩いて帰った。家に着くと何もしたくなかった。ただ横になって疲れを癒すのが精一杯だったが、多分そんなことで夕食も食べずに寝てしまうに違いない、そんな風に思った友人があの手この手で夕食に誘ってくれた。あの手この手というのはつまり、私が遠慮して断るから、今日はこんな材料が手に入ったから、こんなに沢山作ってしまったから、友達を呼んでの夕食会だから、と友人は理由をつけて私を誘ってくれたのだ。当時一緒に暮らしていた友人達もそうだった。疲れて帰ってくると、おかえり、もうすぐ夕食が出来上がるから、と言って迎えてくれた。友人達もまた経済的には決して豊かではなかったのに。私がそんな人たちに恵まれたのは決して私という人間が素晴らしいからでもなければ私の人徳でもない。単に運が良かったのだと思う。しかしその運で私は精神的病に冒されることも餓死することもなく、そして一番嬉しいのは私が直面した問題が良い思い出に変身したことである。それにしても過ぎたことなのだ。過ぎたことだから言葉が分からず一種の失語症になりかけたことも、貧しいが為に一袋99セントのパンに同じく一箱99セントのクリームチーズを買って毎日昼食用のサンドイッチを作ったこと、その後数年間はクリームチーズの顔を見るのも嫌だったことも、そうそう、そんなことがあった、と笑って話せるのである。そうなのだ、過ぎたこととはそんなものだ。過ぎてしまった真夏の午後みたいなものだ。
september30
優しい人たちにいつも囲まれる事になるのは、yspringmind さん自身が優しいからですね。(名前のように?)
嫌な人の周りには人は集まって来ないから・・