過ぎたこと

ほんのつい最近まで暑い暑いと言いながら日陰ばかりを選んで町を歩いていたと言うのに、急に涼しくなるとそんなこともすっかり忘れてしまった。急に涼しくなったと言っても、よく考えれば9月下旬なのだからそろそろそんな時期なのだ。1ヶ月前は町を歩くと閉めきった店ばかりが目に入ってはがっかりしたり肩すかしされた気分になったが、そんな風景を思いだしてみると良いことばかりが浮かんでくる。ひと気のない町角、昼下がりに生み出された大きな日陰、静寂。暑くて堪らなかったことや、喉が渇いて堪らなかったこと、じっとしていても背中に幾つもの汗が流れて不快だったことなど全て忘れて、目に映った情景だけを思い出す。何て都合が良いのだろう、過ぎたことというのは。私にはそんなことばかり。例えば私がアメリカの町にひとりに飛び込んで遭遇したこと。初めは大雑把に言えば楽しいことばかりだった。誰に頼まれて行ったのでもなく、自分が好きで飛び込んだのだから当然といえば当然だった。そのうち現実的な問題に直面した。言葉だった。それなりに自信を持って行ったが、全く話にならなかった。面白いことにそれに気づくまで数週間掛かった。何しろ若さと自信に満ちていたから、そんなことはない、いや、そんなことはない、と自分に言い聞かせていたのかもしれなかった。私の若さは本物だったが自信に関しては今までのそれが偽物だったのではないかと思うほど脆く崩れていった。その後はどうしようもない。崩れたものは風に吹かれて塵のごとく飛ばされていき、私には何も残らなかった。何も残らなかったが私は周囲の人に恵まれていたようだ。さあ、あそこへ行こう、さあ、遊びにおいで。言葉を変えての色んな誘いがあった。数ヶ月後、私はそんな人たちのおかげで失った自信をほんの少し取り戻し、ついでに直面した問題を乗り越えることにも成功した。次に直面した問題は経済だった。仕事がなかなか見つからなかった。家賃を払ったらポケットに5ドルしか残らなかった。さあ、どうしよう。そんなになるまで平気でいた自分に腹がたったが、腹を立てても仕方がなかった。親は当てにしてはいけない。そういう約束だった。もう駄目だ。遂に観念しそうになった時、仕事が見つかった。時給が驚くほど安かったが、私にとってはまさに天の助けだった。毎日働いた。嬉しそうに働く私を雇い主が気に入ってくれて、少しでも沢山働けるように配慮してくれたからだ。嬉しかったがとても疲れた。職場から家まで長い坂道があったけど、交通費を節約したくて歩いて帰った。家に着くと何もしたくなかった。ただ横になって疲れを癒すのが精一杯だったが、多分そんなことで夕食も食べずに寝てしまうに違いない、そんな風に思った友人があの手この手で夕食に誘ってくれた。あの手この手というのはつまり、私が遠慮して断るから、今日はこんな材料が手に入ったから、こんなに沢山作ってしまったから、友達を呼んでの夕食会だから、と友人は理由をつけて私を誘ってくれたのだ。当時一緒に暮らしていた友人達もそうだった。疲れて帰ってくると、おかえり、もうすぐ夕食が出来上がるから、と言って迎えてくれた。友人達もまた経済的には決して豊かではなかったのに。私がそんな人たちに恵まれたのは決して私という人間が素晴らしいからでもなければ私の人徳でもない。単に運が良かったのだと思う。しかしその運で私は精神的病に冒されることも餓死することもなく、そして一番嬉しいのは私が直面した問題が良い思い出に変身したことである。それにしても過ぎたことなのだ。過ぎたことだから言葉が分からず一種の失語症になりかけたことも、貧しいが為に一袋99セントのパンに同じく一箱99セントのクリームチーズを買って毎日昼食用のサンドイッチを作ったこと、その後数年間はクリームチーズの顔を見るのも嫌だったことも、そうそう、そんなことがあった、と笑って話せるのである。そうなのだ、過ぎたこととはそんなものだ。過ぎてしまった真夏の午後みたいなものだ。

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september30

こらっ 私のブログのタイトルを盗んだな、と1瞬感情を害したけれど、そのあとが心に沁みる、とても素敵なお話だったので許してあげましょう。
優しい人たちにいつも囲まれる事になるのは、yspringmind さん自身が優しいからですね。(名前のように?)
嫌な人の周りには人は集まって来ないから・・

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2009/09/23 20:46

yspringmind

septemberさん、こんにちは。感情を害してしまったそうでごめんなさいね。決して盗んだつもりはないのですよ、私の過ぎたこと、なのです。私は生まれてこの方金銭運には見放されっぱなしだし、普段はこれといって幸運と呼べるものも見当たらないのですが、人に支えられていることだけは確かに感じて感謝しています。私が優しい人間かどうかは当の本人には全く分かりませんが、そうでありたいと願います。私が生まれたときに両親がそんな子供であるよう願ったように。

yspringmind

鍵コメさん、こんにちは。私は傍から見ると頼りない人間なのかもしれません。だから人が力になってくれるのかもしれないですね。考えてみれば有難い話です。今まで良くしてくれた人たちに何時か何かの形で恩返ししたいです。ブログから何かを感じ取って下さっていること、有難うございます。私の気持ちが通じていることが分かってとても嬉しいです。

TSUBOI

yspringmindさん、こんにちは。
過ぎたこと、大概は(私の場合)美化されるといいますか、そのような気がしています。勿論、逆の場合もありますけど。
昔、勤めていた会社の女性上司が「大変だったあの頃がよかったと、後で思えるようになる」ということを言っていたのを思い出しました。

# けして過去に依存している訳ではないのですが、、、

この先、自分がどこへ行くのか分からない、そういうことは不安でもあり同時に希望でもあり、ンンー、支離滅裂な文言でごめんなさい。
  • URL
  • 2009/09/26 06:09
  • Edit

camera-oscura

この写真を選ばれた理由が分かるような気がします。
先日久し振りにここへ来て、立ち尽くしてしまいました。
ボローニャもずっと変わらないようで、少しずつ変わってゆくのだと思いました。
過ぎたことを写真に残したい気持ちが一層強くなりそうです。
そして何時か穏やかな気持ちで思い出せればと思うことが色々あります。それしかできませんが、それで良いのかもしれません。
そちらはお天気どうでしょうか?
どうぞ良い週末を過ごされますように。

yspringmind

TSUBOIさん、こんにちは。過ぎたことは美化されますが、それは良いことだと思っています。幸せなことだとも思います。過去にしがみ付くのではなくて、過ぎたことを思い出として記憶のページに綴っておくのは良いと思います。
人生にはレールなんて無いと思います。例えばそれは普通道みたいなもので、必ず十字路や三叉路にぶつかるんです。不安は多分誰にでも少しはあって、TSUBOIさんが言うように不安と希望は紙一重なんだと思います。その辺がとても微妙ですね。

yspringmind

camera-oscuraさん、この角には食器店がありましたね。私はこの店を外から覗く専門でしたが趣味の良い白い食器や、美しい絵が描かれた大皿を見るのが大好きでした。まさかカジュアル服の店になるとは思ってもいなかったので驚きでしたが、シャッターが閉まっていると昔と全く同じですね。ブログのボローニャの写真も10年後には昔の写真となるのでしょう。
良い天気に恵まれた土曜日は久し振りに友人を訪ねてボローニャ郊外へと車を走らせました。camera-oscuraさんも良い週末を。

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