やはりこの日のメインは「現場者」大杉漣さん。
さすがに現場に到着しただけで完全に空気が変わった様子が手に取るようにわかりました。
空き時間に実行委員で挨拶をさせていただき、制作発表に届いたビデオレターに映画祭に触れていただいたお礼をお伝えしました。
「そんな離れてないで、もっと近づけよ」
あるがままの漣さんの姿にグッときていました。
入野さんの父親役として現場に紹介された漣さんをスタッフ一同が拍手で迎えてリハーサル開始。
田舎の親父役として息子を叱りつける姿、一挙一動に目が釘付け、こんな貴重な場面を間近で見る喜びに打ち震える思いが。
そして何度かリハーサルを重ねて、その度にアイデアを出し演技を変えて本番開始。
無事に一発OKとなりましたが、もしかしたら監督もずっと漣さんの姿を見ていたいと思っていたのか、なかなか「OK」の声が出ず、かなりの長まわしとなっていました。
あのままカットせず映画で使われるのか気になります。
しかし五藤監督がプロ中のプロである漣さんにOKを出す姿を目にしたことに本当に感慨深いものが。
というわけで漣さんが現場に入っただけで撮影は最高潮を迎えた気がしましたが、まだまだ撮影は続くようです。
http://tsukurukai.blog103.fc2.com/blog-date-200808.html↑2008年8月28日に栃尾で撮影たされた『モノクロームの少女』を五藤利弘監督のご厚意で見学してたことを読み返しました。
しかも大杉漣さんの出番の日に。
この日の本番の撮影はよく覚えており、完成した作品を見ればよくわかりますが、父と息子の食卓の光景で(漣さんはつまみに栃尾のあぶらげを!)、その構図がちょっと変わっており、ちゃぶ台を挟んで入野自由くんを前にした漣さんの後ろに奥行がある廊下が背景となって、普通はこういうシーンは横からの構図で撮影してるように思いますが、本作は奥行ある廊下のせいで縦長となり、たぶん漣さんはリハーサル時にキャメラの位置を確認してから本番に挑んだところ、お腹が痛くて倒れてる入野君を相手に縦横無尽にアドリブを尽くし、ついには部屋をはみ出し廊下に渡って箒を持ち出し入野君を追い払ってしまうまで、自分の感覚では約5分、少なくとも3分以上は延々とアドリブを披露していて本当にずっと見ていたいと思ってました。
最近は本職の声優として大活躍の入野くんにとって漣さんの相手役となったことは大きな財産になったと思います。
あと漣さんが芦澤明子撮影監督を見つけてお互いに笑みを交わしてたのも覚えています。
接点はあるのかわかりませんが互いにピンク映画で下積みをしていただけに、いわば同志のようなものだったのだろうと。
それで久しぶりに『モノクロームの少女』を見返したら、このシーンは僅かに1分ほどが採用され、延々と続くかと思ってたアドリブは綺麗にカットされておりました。
他にも漣さんのシーンは二つあり、いづれも短い出番ながらも印象深く、この脚本を読んで漣さんはこの父親を演じたいという希望を持ったそうですが、父親一人で息子を育てあげ、農家の跡を継いでほしいと思うものの、息子の選択も尊重したいという気持ちがありながらも不器用で口ではうまくいえず、ガールフレンドとうまくいくことを心から願っている、、、そんな父親像が短い出番の中で容易に想像でき、思えば漣さんはどんな短い場面で出てきても、映画に登場するまで、その人物がどんな思いで生きてきたのか、いわば演じる人物に肉がつき息遣いがこちらに伝わるような役ばかりだったと思ったりと。
自身も農家の長男である五藤監督にとって父親を演じてくれたことは大きな喜びではなかったかと、稲刈りをして最後にズッコケて盛大に笑わせてくれる漣さんの姿を見て思いながらか涙腺が緩んでました。
しかし『モノクロームの少女』を久しぶりに観ましたが、もう撮影から10年になろうとするのに、映画の中の栃尾の山里や雁木通りなどの要所は今とほとんど変わってないのが驚異的に思いました。
観た当時も思いましたが、今もこの映画を栃尾の観光アピールの側面から役立てることがきるのではないかと。
そして五藤監督が今夏撮影予定の『被爆ピアノ』の主演は大杉漣さん、その人でした。
超がつく売れっ子の漣さんが出演を引き受けてくれたというのは、それだけ演じがいがあると思ったからでしょう。
昨秋に長岡に被爆ピアノコンサートでいらした漣さんが演じるモデルの矢川光則さんの姿を見ながら、漣さんならどういうふうに演じるかと思いながら見ていて、当然漣さんも役作りで矢川さんに取材するだろうから、被爆ピアノを積んだ4トントラックであの町、この町を行く矢川さん=漣さんを想像してただけに、訃報を知って混乱した後に被爆ピアノはどうなるんだろうと。
漣さんの膨大な出演作のひとつに新藤兼人監督が96歳の時に撮った『石内尋常高等小学校 花は散れども』という作品があり、この中で漣さんは顔に大やけどを負った被爆者を演じていました。
やけどの跡が生々しく目を伏せたくなるほどでしたが、漣さんはそんな視線を受けながらも実直に生きてきた市井の男をとても誠実に演じて印象深く残ってます。
生涯に渡って広島の原爆投下を憎み告発してきた新藤監督作で被爆者を演じたということは、演じるにあたって漣さんなりの覚悟からくる原爆への強い思いがあったかと想像し、それがうまく反映されるような映画であってほしいとも『被爆ピアノ』について思いを巡らしながらクランクインの朗報を心待ちにしてただけに、、、、
漣さんの思いとともに五藤監督が『被爆ピアノ』を完成することを期待します。