*新潟大学農学部の伊藤亮司先生が今年3月に新発田での「モンサントの不自然な食べもの」上映会でお話したものをまとめたレポートを先生の承諾をいただき二回にわけて掲載いたします。
TPPの下で我々の生活はどうなるのか
-「モンサントの不自然な食べもの」上映に寄せて-
伊藤亮司
1.はじめに
TPPに反対あるいは慎重派の人々の間でさえ、貿易の自由化・経済のグローバル化の帰結として、人々の食卓に、世界中の多様な輸入食料や農産物があふれる光景をイメージするのではないか。あるいは、だからこそ、それに反対や懸念が生まれるともいえる。しかしながら、多国籍企業・独占資本による食料・農産物市場の支配の行き着く先は、そんな一見華やかな食卓風景ですらない、むしろ選択肢を奪われ、いのちや健康までも危険にさらされながら、彼らにとって「のみ」都合の良いものを強制的に買わされる恐ろしい世界かもしれない。そんなことを想像させる名画が「モンサントの不自然な食べもの」である。
また、TPPは、いわゆる「農産物の関税が引き下げられる」問題として取り上げられることが多いが、実際には21分野に及ぶ幅広い協定であり、アメリカが加わってから議論が開始された①サービス(金融)、②投資、③労働、④分野横断的事項の4分野がひとつの焦点である。従ってTPPは農産物以外も含むあらゆる物品の貿易やサービス貿易という名の投資や企業活動のために各国の国内ルールを横断的に改変する、いわゆる非関税障壁の撤廃がメインであり、国民にとって必要なルールが撤廃された場合に自由に行われる多国籍企業による投資や企業活動は、農業は当然のこと、商工業を含む広い国民生活に影響を与えることも実感させてくれる。
映画自体の紹介は、紙幅の関係もあり最小限にとどめるが、本作品は、遺伝子組み換え作物の種子をほぼ一手に独占し、「ラウンドアップ」と呼ばれる除草剤とセットで世界中にそれを販売する多国籍企業「モンサント社」の恐るべき実態を告発したものであり、TPP問題が世をにぎわせる今、それと重ねて考えることで、TPP問題をリアルに考える機会となる。
去る3月の新発田市での学習会の際に、上映に寄せて話させて頂いた内容を改めて報告する。
2.映画「モンサントの不自然な食べもの」とTPP
時あたかもTPPの政府統一影響試算が出された翌日であった。そのため、当日の議論は試算の中身を含めTPPが目指す世界と「モンサント社」を巡る状況の共通性に及んだ。
映画はまず前半で、インドの綿生産者の遺伝子組み換え品種の利用による経費増・借金増とそれに耐えられない農民の自殺を取り上げる。また、メキシコの「魂の作物」である伝統的トウモロコシに拡がる遺伝子組み換え種子による汚染、密輸により違法に広がった遺伝子組み換え大豆を認めるしかなかったパラグアイやアルゼンチン・ブラジル等の南米諸国が描かれる。そこに共通するのは、種子を握られたら逆らえない農民の悲しい現実である。インドの綿生産者もメキシコの農民も南米諸国の政府でさえ、リスクを抱えた遺伝子組み換え作物の生産を拒みたいのが本心であり、各地で適地適産される伝統的品種を守りたいと考える。しかしながら、規制が撤廃された自由競争の結果、種子市場を私的企業・多国籍な独占資本に握られた彼らのもとには、遺伝子組み換え品種の種しか供給されず、選ぼうにも他の選択肢がないのである。
「モンサント社」は、もともとベトナムで米軍が撒いた悪名高い「枯れ葉剤」のメーカーでもあったが、戦後「平和利用」のために、それを農業用の除草剤として販売することになる。さまざまな製品開発が行われたが、汎用性が高く(つまりどんな植物も枯らす)世界で最も多く使われる除草剤となった「ラウンドアップ」は「モンサント社」の主力商品となる。当社にとってもっとも都合の良い状態は、この「ラウンドアップ」が大量に売れ続けることであるが、そのためのカラクリが遺伝子組み換え種子とのセット販売である。除草剤がかかれば、栽培したい作物自体も枯死するため、日本などでは、作物には直接かからないよう少量ずつ手作業で雑草等に「チョロチョロ」とかけるが、遺伝子組み換え品種の場合「ラウンドアップ」がかかっても枯れない遺伝子が注入されているので、それら作物には、どれだけ「ジャブジャブ」かけても大丈夫である。特に何百何千ヘクタールを経営する大規模農場では、手作業で「チョロチョロ」撒くなどということは非効率であり、飛行機で大量の空中散布を行い、あたり一帯の野生植物をすべて枯らしながら、遺伝子組み換え作物だけが「効率的」に栽培される。現在アベノミクスで提唱される「攻めの農業」で構想される「効率的大規模経営」にもつながる方向といえるが、かくて、遺伝子組み換え作物とラウンドアップは世界中で使われるようになる。現在、世界の種子市場の6割、汎用除草剤市場の8割を「モンサント社」など3大多国籍企業が握るといわれる。
「世界の遺伝子組み換え作物の商業栽培に関する状況」(2011年)によるとアメリカでは、遺伝子組み変え品種が実用化されている作物(大豆、トウモロコシ、綿、菜花等)においては、その導入率は90%に達しており、ブラジルの大豆の70%、アルゼンチン・パラグアイの大豆はほぼ100%、インドの綿の85%が遺伝子組み換え品種である。まさに他の選択肢が奪われている。遺伝子組み換え作物は育ちも良く、収量性も高いので、その分、大量の(化学)肥料や水を必要とする。一見、多く採れれば農民の状態が改善されるように思われるが、農薬や化学肥料の購入が増え、他方で収量増により需給バランスが崩れ、過剰により価格が低下すれば、コスト増のもとで残るのは借金だけである。インド等での自殺増はまさにその典型である。また映画では、隣の大規模農場(不在地主)のばらまくラウンドアップにより自給的な家族経営農家で食用の川魚が全滅し、子供の健康被害、森林の生物多様性低下にまで繋がっている状況が映される。他方、その陰で、種子や肥料・農薬業界は「成長産業」となり、農業が「ビジネス」として成立する。
生産段階で選択肢がないということは、消費段階・食卓の段階でも、それを食べるしかないということである。大豆の9割を輸入に頼る日本も例外ではない。それでも現在は、豆腐や納豆などの一部の製品に「遺伝子組み換え大豆使用」の表示が義務づけられており、消費者はかろうじて、それを見て取捨選択はできる。
秘密交渉のため国民には明らかにされないが、TPP交渉において、これらの多国籍企業の技術開発や独占販売を保障する枠組みは、「知的財産権」「競争政策」の部会で議論されている。そこでの議論・報道の特徴は、独占資本の権益を保障する「開発者利益の優先」「金儲け優先」と各国民や労働者の犠牲・負担を「良いこと」のように描くごまかしである。例えば、知的財産権を巡っては、ソフトの違法ダウンロードやコンテンツの違法コピーなどから開発者を保護するといった「市民の権利」擁護(一見まっとうな)論に隠れた、「農業のための薬剤」や「人間のための薬剤=医薬品」を含めた医薬品市場の支配・薬剤多投のための仕組みづくり、開発者である多国籍企業のもうけを制度的に確保する仕組みつくりである。
現在のアメリカの主要輸出品を見ると、以前のITハイテク・自動車は過去のものとなり、代わって相対的に重要性を増しているのが、石油等(トウモロコシ原料のバイオエタノールも含む)のエネルギー、農産物それに加えて、医薬品(農業用薬剤も含む)であり、これら「アメリカを支える」新産業分野の典型がモンサント社を始めとする農薬・種子および医薬・化学コングロマリット企業になりつつある。
これら多国籍企業およびアメリカの権益を考えるならば、農薬や医薬品などの開発には多額の研究開発費が必要なので、「開発者の利益」を確保するには、製品の上限価格が公定で決められて国民が広く利用できたり、ジェネリック薬品や在来種子、農薬に依存しない農法など「多様な選択肢」があると困るのである。アメリカの要求は「科学的に同等」な遺伝子組み換え作物の原料表示制度の廃止、混入の適法化である。
また遺伝子レベルで組み換え品種を「特許」「知的財産権」として認めることの矛盾を描くのが、映画の後半である。生物は同じ種の間で交配し、互いの遺伝子は自然のなかで混じりあう。メキシコの伝統的なトウモロコシ品種のなかに風に乗ったかして運ばれた遺伝子組み換え品種との交雑が広がっており、被害は深刻であるが、更に信じられない事態がアメリカで起こる。ある日、大豆農家のもとに「モンサント社」を名乗る人物がやってきて、「あなたはわが社が権利を保持する品種・種子を勝手に使っている」と主張し、その農家が自家採種した種子を持ち去り、そこに自社の開発した遺伝子組み換え種子の遺伝子が含まれていたとして多額の損害賠償を請求する。当該農家は多額の訴訟費用に耐え切れず、泣く泣く責任を認めて和解に至ったというが、そもそも自然交雑の可能性もある(更に言えば、わざと秘かに交雑させて訴訟を仕掛けることも可能な)遺伝子は特許になじまない。にもかかわらず、これを開発者の権利として確立していこうというルール作りがTPPで進んでいる。しかも、それが報道等では、まさしくきれいごととして扱われる。象徴的なのは、そのスタートが2010年に名古屋で開かれた「生物多様性条約」だったことだ。ここでは、生物多様性の基礎となる遺伝資源を保護するという名目で、その知的財産権を原産国である途上諸国と先進諸国が争うみにくい交渉が行われた。TPPにおいても、知財権が交渉の最重要分野のひとつである。
食品の安全性を巡る議論も深刻である。映画は、遺伝子組み換え食品の安全性検査の過程にもメスを入れる。そこで明らかになったのは、アメリカ当局の安全性検査のずさんさである。ラットに投与した(6月ヵだけ)モンサント社側による自作自演の試験結果をうのみにしたこともひどいが、その試験では、単に「肝臓の表面を見ただけ」であったこと、普通なら「切って中を見る」「各種成分」を調べるのに・・・なぜしなかったのかと映画は疑問を投げかける。しかも、それが一旦認められると「科学的な証明」として独り歩きし、日本での、遺伝子組み換え食品の原材料表示(豆腐やなっとう等)の廃止要求へとつながる。「遺伝子組み換え品種と従来品種の安全性は科学的に同等」なので、同じものをあえて表示により分別するのは「非科学的」という主張である。他にも、アメリカ政府は、輸入オレンジ・レモンの防かび剤使用表示やフライドポテト用冷凍ジャガイモの大腸菌汚染を理由にした輸入禁止措置(だってフライにするからいいじゃないか)、アメリカで認可された食品添加物も日本で検査してから許可すること等を「非科学的」として非難、規制緩和を要求している。これらは、TPPのなかではSPS部会や競争部会で議論されている。
(つづく)