Merry Christmas, Mr Lawrence

本日3月31日は『なぜ君は総理大臣になれないのか』の大島新監督のお父様・大島渚監督の89回目のお誕生日。
ここへ来て大島渚監督の周辺が慌ただしくなってます。
というのも4月16日のヒューマントラストシネマ有楽町と新宿武蔵野館を皮切りに
代表作『戦場のメリークリスマス』と『愛のコリーダ』が全国公開。
https://oshima2021.com/
シネマヴェーラ渋谷では先の二作品を除くデビュー作『愛と希望の町』から遺作『御法度』まで、
ほぼ代表作を網羅し『オーシマ、モン・アムール』として特集。
http://www.cinemavera.com/preview.php
担当者の子供のころは大島渚監督は映画監督との肩書でありながら、テレビでよく目にし、
それも「朝まで生テレビ」の論客となる以前、クイズ番組の回答者としてやたらと登場し、
子供心に映画監督と名乗りながら映画を撮ってるんだろうかと疑問を覚えておりました。
それが「ビートたけしのオールナイトニッポン」の中で
ラロトンガ島での『戦場のメリークリスマス』撮影裏話、大島渚トカゲにキューから
カンヌ国際映画祭無冠まですべて大笑いできるネタとして映画の幻想が膨らんだ後に、
地元の映画館でも公開、勇んで目にしたらコメディ要素皆無の芸術映画の洗礼を受けたような気がした次第、
サントラのLPも購入し、結構聴いていたものです。
一昨年、午前十時の映画祭で初公開以来にスクリーンで再見。
その間に大島渚監督もデビッド・ボウイも亡くなってしまいましたが、
伝説のフィルムがカクカクと揺れるキスシーンを観ながら、
改めてこんな芸術映画を10代の頃にスクリーンで触れたことは貴重な体験だったと思い、
それもこれもあの豪華キャストを意図的に選んだ大島渚監督の戦略に
乗っかった証でもあるんだろうと。
ただエンディングテーマ曲にサントラには収録されてる
デヴィッド・シルビアンが唄う「禁じられた色彩」をやはり流してほしかった思いが。
前例なき性愛表現に挑んだ『愛のコリーダ』、大島渚の息子たちは多感な少年期、世間の目とどう闘ったのか
https://news.yahoo.co.jp/byline/saitohiroaki/20210330-00229575/
↑こちらに大島渚監督の二人の息子が父親の作品について語るインタビューがあり、
大島新監督は物心ついて最初に知った父の映画が『愛のコリーダ』
学校で同級生から「おまえの父さん、いやらしい映画を撮ってる」などと言われショックを受け、
意識的に父を遮断した複雑な胸中を話し、
ようやく中学生の時に『戦場のメリークリスマス』で父親の作品を受け入れることができたと。
最も当時はスピルバーグやジャッキー・チェンのファンなので、
男同士の愛よりも、そんな映画を撮ってほしかったようですが。
父親が『戦場のメリークリスマス』を撮った世代で、自身も『なぜ君は総理大臣になれないのか』を完成。
同じ映画監督として父親について思いを巡らしてるようです。
こちらは『なぜ総理大臣になれないのか』の紹介にまわって「この監督の父親は大島渚監督です」などと紹介すると、
あまり関心なさそうにチラシを受け取った人も驚いたりするのを目にし、
そのたびに大島渚っていう映画監督は誰もが容易に思い浮かべることができる、
それだけ浸透してる映画監督なんだと思ったりします。
などと書きながら深夜テレビで見た『夏の妹』の栗田ひろみにキュンキュンしたことや、
戦争に対して責任を取らない国家に本気で怒ってることが存分に伝わった『忘れられた皇軍』と、
折々に大島渚監督がいたんだと。
『愛のコリーダ』で受けた衝撃はいづれ。
『戦場のメリークリスマス』は5月1日よりシネ・ウインド、高田世界館でも公開されるようです。
現在『なぜ君は総理大臣になれないのか』を巡って某所と考えの相違があり、
タブーに意気揚々しながら忽然とぶつかってきた大島渚監督のDNAを受け継ぐ
大島新監督の作品上映とご本人をお迎えするので、
簡単に引き下がることはやめにしようと書いてて思いなおしました。
4/25 『なぜ君は総理大臣になれないのか』長岡上映と大島新監督講演
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-2930.html
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=Nx1qeouacBI
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