はてなキーワード: 必要条件とは
豊かでバランスのいい食事を「ごちそう」であるということを30歳過ぎてようやく意味が理解できた。貧乏人だけど。
白米に汁物に数種のおかずという、一汁三菜。これだけでも立派なごちそうであるし、一汁一菜であっても、豊かで腹持ちもよく「また食べたい」と思うならごちそうである。
「豊か」という部分もミソで、味や栄養の他に、思い入れとか食べる時に連想される事、食べ物の背景に向き合える事などが必要条件である。
独身になると、自分へのご褒美や、せっかくの休日だからとかで自分が好きな物を食べ続けたりする習慣があると思うが、
望月さんみたいな食いしん坊をしていると食事の喜びにハリが無くなり、中川家・礼二の一人暮らしのコントみたいに食事前でも死にたくなるから。
ちなみにランクが高い料理屋などの贅沢な食べ物をごちそうとする意味する事もがあるが、豊かでバランスに加えて食材の質が良いから価格が高いので、ごちそうの意味はブレてない。例えば懐石料理もごちそうと言える。
ドカ食いや偏食は医食同源じゃないが生活習慣病にもなりかねない。茹でガエルのように静かに万病が増えていく。
ソクラテスも「生きるために食べよ,食べるために生きるな」って言ってたから多分合ってる。
最近、俺は自分の精神がどのような状況下で動揺し、脆さを露呈するのか、その自己理解が深まってきた。具体的に、俺の心をざわつかせたのは以下のような事象だ。
それは「金銭的な損害」や「実害」そのものではない。俺が真に恐れているのは、自分のあずかり知らぬところで、社会システムから不当に評価され、拒絶されているのではないかという疑心暗鬼だ。
顔の見えない誰か、あるいは無機質なアルゴリズムによって、自分の社会的信用が勝手に毀損され、包囲網が狭められているような閉塞感。この見えない評判への恐怖こそが、現代におけるストレスの根源なのだ。
だが、こうした正体不明の不安に襲われたときこそ、防衛策が必要になる。
それが、「まあ、どうでもいいか」とあえて口に出し、思考を強制終了させるひと呼吸だ。
これは単なる逃避ではなく、過剰防衛する脳を鎮めるための技術である。
例えば、極端な話、国家の情報機関が俺を何らかの手違いで「テロリストの一味」だと誤認識し、監視対象にしていたと仮定しよう。常人ならパニックになるかもしれない。
だが、冷静に考えてみてほしい。それで一体どうなるというのだ?映画のように即座に暗殺されるのか? 日本の法治国家において、そんなことは万に一つも起こり得ない。
むしろ、彼らが俺を監視すればするほど、明らかになるのは「俺がいかに無害で、平凡な市民であるか」という事実だけだ。24時間監視されたところで、俺の潔白性がより強固に証明されるに過ぎない。
システムが俺を敵認定し、ブロックし、排除しようとするなら、それもまた一興かもしれない。
映画マトリックスのモーフィアスのように、俺はこの管理社会にとって予期せぬバグであり、警戒すべき存在として扱われている。そう解釈することだってできる。
システム上のエラーも、SNSの凍結も、他人の悪意ある書き込みも、結局は俺の人生の本質とは無関係なノイズに過ぎない。
他人の評価や、社会システムのご機嫌取りに自分の幸福を委ねている限り、この動揺は永遠に続く。だからこそ、意識的に遮断するのだ。
真に楽に生きるための必要条件。それは、自分のコントロールできない事象に対して執着を手放すことだ。
社会的な評価や世間体といった、実体のないものをゴミと割り切り、そこから静かに手を引くこと。
つかまることは個別の司法判断が出てその行為が確かに犯罪と証明される必要条件だからつかまるかどうかで犯罪かどうか決まるっていってもあながち間違いじゃないんだよねっていう。
dorawiiより
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いいテーマです。まずは「バブル崩壊後〜現在」までの日本の財政・金融政策の要約年表を、主要な転機ごとにサクッと整理します(一次情報中心に引用)。
バブル崩壊で資産価格が長期下落、企業はバランスシート調整を優先し需要が冷え込みました。
政府は景気対策の補正予算を繰り返し、公共投資や減税で下支えする一方、1997年には消費税を3%→5%へ引き上げ、需要の腰折れも経験します。
金融面では不良債権問題が深刻化し、破綻・公的資本注入・預金保護の枠組み整備が進展。
日本銀行は金利を急速に引き下げ、1999年にゼロ金利政策を導入(2000年に一時解除)。
結果として、財政赤字と政府債務は構造的に拡大し、物価は下方硬直、成長率は低迷という「需要不足+金融システム調整」の時代となりました。
■流行った言説
景気対策/公共事業派:「需要不足が本丸。財政で埋めるべき」「不良債権処理と同時に需要の下支えを」
デフレ懸念とゼロ金利:「デフレが成長を蝕む」「金融は下限に張り付き、財政併用が不可避」
構造改革派(序章):「護送船団・規制撤廃・金融ビッグバンが必要」「過剰債務とゾンビ企業の整理を」
緊縮志向の反発も:「財政赤字が危ない、ムダな公共事業」—97年の消費税引き上げをめぐる賛否が分極化
円高デフレ観:「円高が産業空洞化を招く」→為替を巡る政策論が過熱
2001年、日銀は世界に先駆けて量的緩和(当座預金残高目標・国債買入れ拡大)を導入し、デフレ脱却と期待の転換を狙いました。
小泉政権下では歳出改革や郵政民営化などの構造改革を進めつつ、景気悪化局面では補正を併用。
2006年にデフレ改善を受け量的緩和をいったん終了し正常化へ動くも、2008年のリーマン・ショックで外需が急減、景気は再び悪化。
政府は雇用・中小企業・需要喚起のための追加歳出を重ね、日銀も基金創設等で信用緩和を強化しました。
金融政策はゼロ下限の制約に繰り返し直面し、財政は景気循環と危機対応で拡張と引き締めを往復する不安定な10年でした。
■流行った言説
構造改革ブーム(小泉・竹中路線):「規制撤廃・民営化・競争促進」「痛みなくして成長なし」「郵政民営化は改革の本丸」
量的緩和と期待の議論:「デフレ脱却にはマネタリー拡大」「期待インフレを動かせ」
プライマリーバランス重視論:「財政規律の回復を」「増税を含む中長期の再建計画」
アジアの成長取り込み:「外需主導・輸出立国」「中国需要を逃すな」
リーマン後の反転:一転して「需要下支え」「雇用維持」「危機時は大胆な財政・信用補完」が支持を集める
2013年、アベノミクスの下で日銀は2%インフレ目標を明確化し、量的・質的緩和(QQE)を実施。
長期国債の大量買入れと平均残存の延伸で期待に働きかけ、円安・株高・雇用改善が進行。
一方、2014年に消費税を5%→8%へ引き上げ、需要の山谷や実質所得の目減りが課題化。
2016年にはマイナス金利(-0.1%)と同年のイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)を導入し、10年金利を概ね0%に誘導。
超緩和を持続可能にする枠組みが整う一方、物価は目標に持続的到達せず、期待形成の難しさが露呈。
財政は景気対策と社会保障費の増勢のはざまで、持続性と成長投資の両立が焦点となりました。
■流行った言説
リフレ/リフレーション派の台頭:「2%目標を明確に」「量・質で国債買入れ(黒田バズーカ)」「円安を通じた期待・投資の喚起」
“三本の矢”言説:①大胆金融緩和 ②機動的財政 ③成長戦略—「第3の矢(構造改革)こそ本丸」という合言葉
消費税論争の定番化:「社会保障財源 vs 需要腰折れ」「景気回復まで増税先送りを」
デフレ・均衡からの離脱:「賃上げ・物価目標・期待形成」を巡る企業・春闘連動の議論が注目に
副作用論:「長期緩和の金融仲介・市場機能への影響」「格差・資産価格バブル懸念」も同時に存在
2020〜21年はコロナ危機に対し、定額給付金・雇用維持・資金繰り支援など未曽有規模の財政出動を実施。
22年以降はエネルギー高・円安が重なり物価が2〜4%台へ上昇、政府は電気・ガス・燃料への時限補助で家計負担を平準化、為替の急変時には円買い介入でボラ抑制を図りました。
2024年にはマイナス金利とYCCを事実上終了し、短期金利誘導へ回帰する「極めて緩やかな正常化」へ移行。
2025年も補助金の段階的見直しと成長投資・規制改革の両にらみが続く一方、債務水準の高止まりと金利上昇局面での利払い負担が中期の課題。
物価・賃上げ・生産性・財政規律をどう同時に達成するかが、政策デザインの核心になっています。
■流行った言説
危機時の大規模財政コンセンサス:「現金給付・雇用維持・資金繰り支援は必要悪ではなく必要条件」
MMT・反緊縮の再燃(議論として):「自国通貨建て債務は制約が違う」「完全雇用まで財政で下支え」—賛否が激しく対立
コストプッシュ・為替の再評価:「円安×資源高=輸入インフレ」「為替パススルーは状態依存で強まる」
ターゲット型支援の支持:「面の補助より、脆弱層・エネルギー多消費層へピンポイント」
“新しい資本主義”や供給側強化:「賃上げ促進・人への投資・半導体等の戦略産業支援」「GX/DXで潜在成長率を底上げ」
出口・正常化言説:「マイナス金利・YCCの終了」「利上げのタイミングと副作用」「利払い増と財政の持続可能性」—“どこまで・どの速さで”が焦点
了解。議論の流れを踏まえ、あなたの主張(「外国人労働者なしで“管理された縮小”は可能」)の中核仮説を、データで一点ずつ崩します。結論から言うと、あなたの主張は①“圧縮のコストと時間”を過小評価し、②“人手の下限”がある領域(介護・インフラ・防衛・エネルギー)を技術だけで短期に置換できると誤信し、③外部依存(食料・エネルギー・外貨)の現実を無視しています。政策論としては実装不能な楽観です。
あなたの主張は「都市統合・生活圏圧縮」で“均衡”を保てると主張しますが、固定費は連続的に下がらない。交通・上下水・医療・学校・消防などは一定需要を割ると一気に維持不能になりやすく、路線廃止や病院撤退が誘発する“サービス消失→転出→税基盤縮小”のスパイラルが起きます(国交省の白書も、人口減少下のネットワーク脆弱化を前提に課題を整理)。 ([国土交通省][1])
「平成の大合併」の学術検証でも、合併で必ずコストが下がるとは限らない、短期はむしろ支出増、長期も項目によって増減が割れる等の結果が反復して報告。統合=節約は近似であって恒真ではない。つまり「密度再編すれば固定費が下がる」は一般化の誤りです。 ([J-STAGE][2])
厚労省の最新推計:介護職員は2040年度に約272万人必要(22年度比+約57万人、年+3.2万人ペースでの純増が必要)。現実は離職超過や採用難が強まり、介護は1応募に4.25求人という“超売り手市場”のケースも報じられています。不足の山は2030年代半ばに顕在化します。 ([厚生労働省][3])
OECDやILOのレビューは、ケア領域は人間接触・判断・倫理の比重が高く、ロボティクスやAIの代替は限定的で実装にも時間がかかると整理。生成AIで事務軽減はできても対人ケアの主工程は当面人が必要です。 ([OECD][4])
産業側でもロボット密度は世界的に急伸中ですが(IFR)、増設は主に製造現場。あなたの主張が要の介護・医療・運輸サービスは自動化難度が高い領域です。“質的転換で穴埋め”は2030sのピーク需要に間に合わない。 ([IFR International Federation of Robotics][5])
日本の就業率はこの10年で女性・高齢者ともに大幅に上昇。今後も改善余地はあるが、弾は既に相当使っている。OECDやJILPTも、日本の人手不足は“長期・構造的”と評価。女性・高齢者の追加動員“だけ”で需給を均すのは難しい。 ([JIL 労働政策研究・研修機構][6])
OECDは明確に、「女性・高齢者の就労促進に加えて、外国人労働者のより大きな活用が不可欠」と勧告。あなたの主張はこの国際的なベースラインを外している。 ([OECD][7])
日本は食料自給率(カロリー基準)38%。残りを輸入に頼る構造は不変で、価格ショックに脆い。輸入代金の原資となる外貨獲得は規模が要る。“縮小+内需シフト”は、食とエネの輸入価格変動に晒されやすくする。 ([農林水産省][8])
エネルギー自給もOECD下位の水準。再エネ・原子力の拡大方針は進むが、当面はLNGなど化石燃料が必要。地政学次第でコスト高リスクは常在。輸入代替が進むまでの移行期は外貨の厚みが防波堤になります。 ([Reuters][9])
無人機・AI化はトレンドだが、整備・補給・サイバー・指揮統制など人員需要は不可避。装備の国産化・共同開発にも裾野人材と企業群が要る。人口と人材の最小密度を割る縮小は、維持費の単価上昇と技術の途切れを招きがち。ここを外国人高度人材まで閉じるのは自縄自縛。〔※エネルギー安保と同様、移行期の脆弱性は高い〕(政策白書・エネルギー構成の記載参照)。 ([Reuters][9])
在留外国人は376万人(2024年末)。内訳は「永住」「技術・人文知識・国際業務」「特定技能」「留学」などに分散し、技能・専門に紐づく制度設計が中心。一律の“安価な労働大量投下”という描写は実態とズレる。 ([法務省][10])
有効求人倍率は直近でも1.2倍前後の張り付き。構造的な人手不足が続いており、賃上げと自動化を促す圧力は弱まっていない。むしろ企業は賃上げ・投資・定年延長を同時進行。受け入れ=改革を止めるという単純因果は成り立たない。 ([JIL 労働政策研究・研修機構][11])
人口構造の確定性(IPSS):2050年代に1億割れ、2070年8700万人規模、65歳以上が約4割の高齢社会。現役世代急減は避けられない。圧縮・自動化は必要だが、需要のピーク(介護・医療・インフラ更新)が先に来る。 ([情報処理推進機構][12])
だからこそOECDは、「女性・高齢者活用に加えて移民(外国人労働)」と複線を勧告。“技術と圧縮だけ”に賭ける単線は、移行期リスク(サービス崩壊・地域消滅・外貨不足)を無担保で抱える。 ([OECD][7])
私の主張が示した筋に沿い、単線(自動化・圧縮のみ)ではなく複線でリスクを分散すべきです。
日本が取るべきは、圧縮×自動化を前進させつつ、管理された受け入れを“保険”として併走させる複線戦略である。単線はリスク集中、複線はリスク分散。これが現実的な均衡です。 ([厚生労働省][3])
では、Tarskiの真理条件をもう少し詳しく掘り下げていきましょう。特に、以下の3点に焦点を当てます:
3. 自己言及とパラドックスへの対応(例:「この文は偽である」)
⸻
Tarskiが定義しようとしたのは、「文が真である」とはどういうことか?という問いへの形式的な答えです。
「ある言語Lの中の文 φ が真であるとは、φが世界の状態(モデル)において成り立つときである」
つまり、
• 真理とは、言語と世界の対応関係(コレスポンデンス)に基づく。
• 言語内で完結するのではなく、「文」と「現実の状態(モデル)」との関係を定義する。
たとえば、任意の文 φ に対して:
「φ は真である」 ⇔ φ
という形を満たす理論が、正しい「真理理論」の必要条件になる。
⸻
• デイヴィッドソンはTarskiの理論を使って、**自然言語の意味論(意味の理論)**を構築しました。
• 彼は「意味とは真理条件である」という立場(truth-conditional semantics)を採り、たとえば:
> 「犬が吠える」は、犬が吠える状態が成り立つときに真である。
といった形で、自然言語の意味をその真理条件によって定義しようとしました。
これは、現在の**形式意味論(formal semantics)**や自然言語処理(NLP)の理論にもつながっています。
⸻
AIでは、知識ベースが世界についての文(命題)を保持し、それが真か偽かをモデルに基づいて判断します。たとえば:
• ならば「Socrates は死ぬ」 ⇒ 真
このような推論には、各文の真理条件を明示的に扱う論理体系(述語論理など)が不可欠で、Tarskiの真理概念が理論的基礎になっています。
⸻
Tarskiが最も警戒したのは、以下のような真理に関する自己言及的文です:
「この文は偽である」
これはいわゆる**「偽であると述べる真理」パラドックス**であり、整合的な意味論では扱えません。
• 「真理を定義する言語(メタ言語)」と、「真理が定義される対象(オブジェクト言語)」を完全に分ける。
• 自分自身について真偽を語ることができないようにすることで、パラドックスを回避。
例:
• 「英語の文の真理」を定義したいなら、英語より強力な言語(例:数理論理を含むメタ英語)で記述する必要がある。
⸻
項目 内容
ミャクミャク様というか、ロゴというか、全部のデザインのベースになってるコミャクが強すぎ
球ベースのシンプルでかつ有機的なライン、単色フラットな塗り、目玉ひとつ
ありきたり半歩手前なほど
汎用性高杉
公式サイトのデザインやEXPO2025のタイポグラフィとかにも活用されてる
ロゴマークやミャクミャク様のイラスト、万博やEXPO等の文字列なしに「万博」なのを見る人に伝える
固定した形を持たず、こミャクたらしめる必要最低限の条件が少ない。
公式以外でも子ミャクで万博を表すのに活躍。普通なら公式キャラががバーンと配置されるであろうに、固有の形に縛られないから、不自然さがほとんどなくデザイン出来る
ありきたり半歩手前なほど
汎用性高杉
アメーバー、スライム、精霊や魂みたいな不定形なモノ、有機的なモノのを抽象化した時に、割と収斂しそうなとこ付近デザインが万博のイメージが持たれてる
ベースカラーがトリコロールカラーなのも強いけれど、いろんなサブカラーが有るので、(特定の色の組み合わせだけで万博をイメージさせる事が出来るのは万博の期間限定くらいだけれど)逆に、特定の色を避けてイメージの汚染を回避するのがしづらい。シルエットが似てたらアウト。
ロゴマークや、ミャクミャク様のデザインがたまたま被ることはまぁまずないけれど、
固定した形を持たず、こミャクたらしめる必要最低限の条件が少ない。必要条件を踏み抜きやすい。他の情報を増やせば、ミャク感は無くなるけれど、シンプルさを求めていくと、
子ミャクが素晴らしいからこそ、その後の人が当分の間めんどくせー
自分は定義の全てを把握してるわけじゃないが「トラックバックをした時点でした側とされた側で構造的に対等な表示になり区別がなくなる」のが必要条件にあると思ってるよ。
だってそういう実装のブログサービスが圧倒的でしょ?ツリーのトラックバックなんて見たことない。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250910160526# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaMEjOAAKCRBwMdsubs4+ SHI3AP43knIhZuqTKHygPjNa+SHYqX1iT4fyyonnqDRZ8lWwXgEAuGUWCC89SeDI Og4RZSR+3CIN1/7NK7el/f1G8OHlbg4= =B5XS -----END PGP SIGNATURE-----
この記事の続き、なぜか保存はできるのに表示はできなかった。(文字数制限がDB側とビュー側で違うのかな)
今更だけど続きを入れておく。(色々反応もらえて嬉しいのもある)
https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 の末尾の行から続ける。(当時書いたものをそのままコピペしただけです)
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遊び初期は女の子とデートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。
それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも極めて悪い。
遊びは1件目→2件目→ホテルを奢ることを考えると優に1回あたり3万程度は消える。飲みももちろんだが、ラブホの宿泊もかなり高い。
性行為できるまでの時間的な意味でも、風俗と比べて比較にならないくらい時間を要する。
心の限界を感じた。
最後の1ヶ月は新規で人と会ってなかったので実質5ヶ月くらいヤリモク男をやっていた。
マッチが平均日に3~4人程度だったので月100人マッチしたことになる。5ヶ月トータルでは500人マッチくらい。
その中で電話まで行けたのが週4~5人程度。これも5ヶ月トータルで100人くらい。
さらにその中で会ったのは週1,2人。5ヶ月トータルで30人くらいな気がする。
世のマッチングアプリの男性会員の7割は一人とも会えずに終わると言われている。なんなら内閣府が発表しているデータで20代独身男性の「これまでにデートした経験が一人もいない」人は全体の40%を占める。
それを踏まえると世間的に見て5ヶ月で500人マッチ、30人とデートという数値だけ見れば相当良い数値らしい。定量的に見て20代のデート経験としては上位数%にあたる。
予定のドタキャンや途中のブロックは当たり前だし、仲良くなったあとでもいきなり連絡が途切れることが当たり前のようになる。
正直「遊び」という名目だったからこそドタキャンや人間性のない対応に耐えれていたが本気で恋愛をするときにこれだと耐えられないかもしれない。
そういった意味で事前に遊びであることを伝えるのは極めて重要である。相手にこの辛さを味合わせてはいけない。
まだ過去の感覚が残っているうちは良いが、これが壊れると本当に人格が終わるリスクがあった。
人をスペックと見た目で判断し、だめだったら次に行くという行為が当たり前になると、シャバでの人付き合いや付き合ったあとの関係性を大切にできなくなるリスクが大きい。
お持ち帰り用の会話と、同性や仕事での会話は根本的に異なるものである。
標準語で喋り続けると方言を忘れるのと同じで、ずっと遊びばかりやっていると仕事能力とか、同性とのコミュニケーションができなくなる怖さがあった。
よく言われる遊んでいるやつは仕事できるは間違いである。遊びと仕事で使うコミュ力は根本的に異なるためである。
仕事できるやつが比較的遊びもやりやすいというのはありうる。そういう意味では「遊びできる→仕事できる」は必要条件だが十分条件でない可能性が高い。遊びは得意だけど仕事が下手な人を知っているという、あくまで周囲を見た個人の統計だが。
ちなみに社会人で遊ぶのはスケジュール的に相当厳しい。仕事終わりに1時間単位でGoogleカレンダーで枠を取って3人と電話する日もあれば、週5日毎日女性と飲み会を入れる日もあった。
高度なタスク管理が必要である。上長のGoogleカレンダーが1on1スケジュールを隙間なく詰めっている状態に近い。
ごめんなさい。正直これが大きいです。
まとめると主体性になりそう。仕事では主体性を発揮できていたが、人間関係は受け身人間だった。
お持ち帰りを向こうから誘われることは何十人と会って一度もない。必然的に主体性を持つことになる。我が強くないと舞台にすら立てない。
正直、明確にお持ち帰りには再現性のあるコツが存在する。それだけでお持ち帰りできるわけではないが。
お持ち帰りのためには会話の流れ、会話比率の変化、ホテルまでの道筋、想定外が発生したときの対応を状況に応じて柔軟にコントロールする必要がある。
女性にどこ行きたい?何食べたい?と聞くのは優しさだと思っていた。でも実は必ずしもそうでない。
これはお持ち帰りで絶対してはいけない常套手段である。女の子のせいにするような行動はしてはいけない。
言ってしまえば女性にとって理由作りが必要である。(一方で嫌がることは不同意性交になるので見極める力と倫理観が大変に重要である)
いかに相手に責任を押し付けずに自分に責任を押し付けるがお持ち帰りに重要であり、そういった経験を増やすことで責任感をより持てるようになった。
理系科目と違って意図しないことが常に発生するし、再現性も論理性もないことが多々起きる。
そういったことに対応できないとホテルというゴールは絶対にない。
百合展開する美少女アニメが好きなオタクだったので、正直女性に幻想を抱いていた。
大学時代に恋人が出来てからそれは減ったが、それでも世の中には美少女アニメのような女の子がいると自分では気付かない深層心理レベルで思い込んでいたように思う。
女の子に純粋さとか潔白性を求めてたし、なんなら処女厨だった。
少なくとも自分が会った範囲で純粋無垢な存在なんていなかった。
誰だって後ろめたい過去は大なり小なりあるし、完璧なんて存在しない。
服装とか見た目で判断したり、過去の経歴で判断をしてはいけない。
実際深掘ってみると見た目や雰囲気と人格が違うことは多々ある。
偏見を持った状態でお持ち帰りはできないので、偏見を持つ量が必然的に減った。
というよりある程度話すまでその人の印象判断を保留することができるようになった。
圧倒的にコミュ力が磨かれた。
複数人の第三者評価として、遊ぶ前と比べてコミュ力が上がったことを言われたので、客観的にこのことは正しい。
遊ぶ前ぶりに会った人からはもれなく「なんか変わった?」や「xxくんだと気付かなかった」と言われるような状態だった。(これは見た目の変化も大きいが)
マッチングアプリでは雑談力が磨かれた。初対面の相手と何時間も話すことができるようになった。
クラブナンパは回数こそしてないが、クラブで知らない人に話しかけて仲良くなるという経験をした、という事実が男としての自信に繋がった。(名前を呼ぶときのちゃん付けもここでできるようになった)
仕事の会議で重要な論理的構造で話すとか多分は向上していない。そこはやるうえで重要じゃないしむしろ邪魔になるから。
もともと清潔感には気を使っていたが、遊びにおいては清潔感に気を使ってもマイナスがゼロになるだけでしかない。
遊びによって
を新たにするようになった。
服装や髪型に関しては美容系インフルエンサーを参考にし、流行りを取り入れるようになった。
なお等身大の関係性を求める恋人がほしいとかであればこれらは不要である。
大人になってから友達を作ることは難しい。それなりに大きい企業で新卒同期が3桁以上居るような場所であればある程度は回避できる。
でも新卒で上京したりとか、大学卒業してフリータだったりする立場にとって友達を作るのは難しい。
例えばTinderは貞操観念がゆるい遊び歩く女性だけがやるものだと思っていたが実際そうじゃない。
女の子が女の子の友達欲しくてやってるケースとか、性行為に興味なくTinderをしている人も居る。
なんならマチアプ自体がドラッグである。恋人ほしいとか致したい関係なくハマってしまうものである。
どこかの研究でマチアプのスワイプに報酬系が働き依存性があるというのを見たことがる。
一方でヤリチンという不純な立場が、明らかに相手にとって何でも打ち明けられるオアシスの場になっていた人もいた。
それくらい都会は友達作りとかと相性が悪いし、冷淡。
ここをうまく解消できたら世界はもっと良くなると思いつつも、例えば友達作り用のマッチングアプリを作れば解決するみたいな、そんな簡単なことはない。
女の子の家にお泊りなんて恋人を除いてありえない。だけどセフレという関係はそれを裏ルート的にたどり着けてしまう。
純粋に他者の家には興味があったし、住む場所とか家賃感とかレイアウトとか、すごく純粋な面白さがあった。
ちなみに誰かの家にお邪魔するときは絶対にお土産を持っていくこと。それは同性の友達でも大事。
本当に人が信頼できなくなった。
どれだけ好きと言われても、絶対この人明日にも裏切って俺を捨てるんだろうなとか普通に思ってしまう。実際経験しているから。
これはヤリチンをやめて本気で人を好きになったときに、とんでもない足枷となった。
ずっと不安になる。ありえないくらい自分自身がメンヘラになっていた。LINEが10分帰ってこないだけで、定番のブロックパータンかなと不安になる。
ヤリチンをやっていた時期はその不安を同時に複数のセフレがいることで
性行為前提で女性を知るようになってしまったせいで、性行為無しで付き合うのが怖くなった。
一方で付き合う前にそういうことしてしまう女性は無理という価値観も残っていて、デッドロック状態になった。
今付き合っている相手には全部このことを話して受け入れてもらっている。
私は嘘を貫き通せないので、全部言うしかない。
当たり前だがヤリチンをしていた過去は、人によっては嫌悪感を極めて抱くものである。
両思いで付き合えたあとに過去ヤリチンだったことが知られるだけで破局するリスクは十分にある。
男側から見たとき、過去に風俗で働いていた女性と付き合うことに抵抗があるみたいなのに近いかもしれない。
一度水に垂らした墨汁が取り除けないように、ヤリチンをした過去は絶対に取り除けない。それまでとこれからがどんなに真面目でも。
遊んでないやつはキモいだとか、結婚するなら遊び終わった男がいいとか、そんなものはヤリチン・ヤリマンの立場を捨てられない人間のまやかしが多分に含まれる。信じてはいけない。
貞操観念が壊れた女の子をお持ち帰りできることと、しっかりした女性と付き合うことは全く訳が違う。前者を100回できたら後者が手に入るほどこの世界は単純じゃない。
(一方で遊び側の価値観を知っておくことで浮気防止になる可能性は多分にあるが、浮気をしてしまうような状況を作らないことや浮気を安易にしないタイプを見極めて付き合うことでそれは回避できるので遊ぶ必要性はない)
ホストをやられている方には大変失礼なのは承知だが、ホストはずるいなと思った。
仕事であるという理由で色恋営業が許される。ヤリチンがやったら刺される。
書きながら気付いたが、なんで変わってないんだ???
多分女の子と遊べても、自分なんかと遊べる女の子は誰とでも遊んじゃうんだという気持ちが先行していた。
一方で紛れもなくコミュ力も上がっていることが客観的評価からわかる。
この矛盾を考えたときに考える仮説は、遊びで得た自己肯定感と、遊びで得た自己否定が釣り合っているのではないかと考える。
たしかに女の子と遊べたが、関係性を切られることもそれ以上にあったためである。
また一方で自己評価は遊び程度では変容しないとも考えた。
刹那的なやりとりでなく、長期的な関係性の構築で初めて手に入るのではないだろうか。
責任感や主体性は持てるようになったが、根の真面目さとかは変わっていない。
具体、といっても細かいことは書かない。相手のプライバシーもある。
再現性のない話である。正直人生2周目したらうまく遊びで自己効力感を見いだせず死んでいた可能性が高い。
そう言えるのは、マッチングアプリ初めて最初に出会った相手とホテルに行けたことが大きい。
マッチングアプリを始めた時点でクラブナンパや相席屋を試した後だったし、マッチングアプリの各種コツは知識として持っていた。
たまたまマッチングアプリでマッチし、トントン拍子で電話まで進み、翌日会うこととなった。マッチングアプリ初日の出来事である。
当日はおやつ時間に集合しカフェで時間を過ごしたり街を一緒に散策したりした。夜になって帰るときに実は遊びでやってるんだよねという話をした。
これができたのには理由がある。元カレとレスになって別れたという話を聞いていたことが大きい。
それ以外にも色々と付き合う前にしちゃうタイプの要素が垣間見れた部分もあり、そういう話をしても良いという暗黙知が形成できていた。
ホテル打診をし、結論としては「今日するつもりなかった」と言われつつホテルに行くことに。結局向こうがヤリモクだったが……
行為自体は微妙だった。というのも向こうが挿入以外にあまり興味がないタイプだった。
彼女としていたそれと、遊びのそれは根本的に別物なのだと思った。
しかし彼女とする性行為と遊びでの性行為は抜本的に異なる。好きな人とする性行為には絶対に幸福感や満足感で勝てない。雲泥の差である。
逆に言うと以後ヤリモクタイプには一度も出会っていない。ヤリモクが嫌で避けていたというのもあるが。
この偶然的な初回の成功体験が遊びに対する自己効力感を上げた。
その後はうまくいかないことが1ヶ月ほど続いた。本当にもう限界というタイミングで、またうまくいった機会があり、なんとか持ちこたえた。
以後もそのような希望と絶望が交互に続く。後半は以上に成功率が高くセフレが複数人いる状態だったが、最後には仇となった。
「好きな人ができたからごめんね」と伝えることにはかなり辛さがあった。
好きな人がいるのにセフレと関係を切るのが辛いは矛盾しているように見えるが。
いろいろな体験を通じせっかく仲良くなれたのに、みたいな部分も正直ある。
まだ解決してあげたい相手のコンプレックスとか課題が残っていたこともわだかまりの1つだった。
でも一番は、せっかく自分に期待してくれているのにそれを裏切るのが嫌だったということである。自分は弱い。
ヤリチンになることで、得たものは紛れもなくあったし、真面目な自分という根幹をぶち壊せたのは大きい。
社会に対する課題感もほんの少し分かったつもりになれたし、いろいろな職種のいろいろな事情を知れたことも大きい。
それにヤリチンが淘汰されない事情も極めてわかった。女性が必要としているケースが結構ある。
父体を危険に晒して一生涯消耗して酷い時には不具になったり死んだりする危険がある行為
元増田を含む人間のオスは妻子に餌を運んで世話して守っているのでは。
妊娠を問題にしてセックスの応否を論じるのは詭弁の色合いが強い。
結局この問題は
相手の幸福の為に身を切ったり付き合ったりする姿勢があるかないか
ということだろう。
まさに身を切る貢献をする。一生涯する。
使っていけばすり減るし戻ることはない。
それでも「俺は気が向かないから」 「俺の大事な体は俺だけが使う」なんて言って
そこで
女はそりゃあセックスに気が向かないだろうが、
これと決めたパートナー相手に身を切る貢献をする気があるのかないのか。
少なくともその気がないことを大威張りで表明するのは了見がおかしい。
男でそんなことを大威張りで表明する人間がいたら
社会制度によって貢献の取り立てすら受ける。
であるのに何故女は「貢献をするかしないかは自分の気分次第!」などと恥ずかしげもなく放言するのだろうか?
一人だったら避けたいようなことでも喜ぶ家族やパートナーの顔を思い浮かべて自分の身を切るんだろう。
もしもそこに自分の喜びが無いんだったら
その家族やパートナーはさっさと解散して別の相手を探すか一人で生きたらいい。
ここでの一番のカスとは
相手の体の切り身は平然と受け取りながら
「返報は自分の気分次第だ」と放言して不機嫌を撒き散らすという
上弦末席ぐらいは貰えそうな負のポテンシャルを秘めたアホども。
・性の自己決定権
のような概念を野放図に受け取った結果と推測できる。
いつか自分で選んだ大事なもののために切り取って張らなければならない。
「大事にしなさい」だけ教えて「どこかでそれを張るときがきますよ」とは教えない。
進歩思想はバカの善意によって出来ているため常に穴だらけの片手落ちであって
進歩思想にすがるような人間はフルパッケージのお任せ道徳を求めているため