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はてなキーワード: 景気回復とは

2025-11-24

anond:20251124162907

ウクライナ戦争後恐慌になったわけでもないし台湾有事起きてもリーマンショックコロナほどの落ち込みにはならんやろなあ

しろデフレに陥りそうな中国景気回復して世界経済もよくなりそうですらある

2025-11-12

anond:20251112220241

今までの質疑では「財政」というキーワードが多く出てきました

高市政権財政」というテーマについて語り合いましょう

まずはバブル崩壊後の日本財政金融政策史をまとめてください

またそれぞれの時代ごとにどのような言説が人気を集めましたか

いいテーマです。まずは「バブル崩壊後〜現在」までの日本財政金融政策の要約年表を、主要な転機ごとにサクッと整理します(一次情報中心に引用)。

1990年代バブル崩壊後〜金融危機

バブル崩壊資産価格が長期下落、企業バランスシート調整を優先し需要が冷え込みました。

政府景気対策補正予算を繰り返し、公共投資や減税で下支えする一方、1997年には消費税を3%→5%へ引き上げ、需要の腰折れも経験します。

金融面では不良債権問題が深刻化し、破綻公的資本注入・預金保護の枠組み整備が進展。

日本ビッグバン制度改革が進むも、デフレ圧力が定着。

日本銀行は金利を急速に引き下げ、1999年ゼロ金利政策を導入(2000年に一時解除)。

結果として、財政赤字と政府債務構造的に拡大し、物価は下方硬直、成長率は低迷という「需要不足+金融システム調整」の時代となりました。

流行った言説

景気対策公共事業派:「需要不足が本丸財政で埋めるべき」「不良債権処理と同時に需要の下支えを」

デフレ懸念ゼロ金利:「デフレが成長を蝕む」「金融は下限に張り付き、財政併用が不可避」

構造改革派(序章):「護送船団・規制撤廃金融ビッグバン必要」「過剰債務ゾンビ企業の整理を」

緊縮志向の反発も:「財政赤字が危ない、ムダな公共事業」—97年の消費税引き上げをめぐる賛否が分極化

円高デフレ観:「円高産業空洞化を招く」→為替を巡る政策論が過熱

2000年代(量的緩和試行世界金融危機

2001年日銀世界に先駆けて量的緩和当座預金残高目標国債買入れ拡大)を導入し、デフレ脱却と期待の転換を狙いました。

小泉政権下では歳出改革郵政民営化などの構造改革を進めつつ、景気悪化局面では補正を併用。

2006年デフレ改善を受け量的緩和をいったん終了し正常化へ動くも、2008年リーマン・ショック外需が急減、景気は再び悪化

政府雇用中小企業需要喚起のための追加歳出を重ね、日銀基金創設等で信用緩和を強化しました。

ただし期待インフレは上がりきらず、名目成長は弱含み。

金融政策ゼロ下限の制約に繰り返し直面し、財政景気循環危機対応拡張と引き締めを往復する不安定10年でした。

流行った言説

構造改革ブーム小泉竹中路線):「規制撤廃民営化競争促進」「痛みなくして成長なし」「郵政民営化改革本丸

量的緩和と期待の議論:「デフレ脱却にはマネリー拡大」「期待インフレを動かせ」

プライマリーバランス重視論:「財政規律回復を」「増税を含む中長期の再建計画

アジアの成長取り込み:「外需主導・輸出立国」「中国需要を逃すな」

リーマン後の反転:一転して「需要下支え」「雇用維持」「危機時は大胆な財政・信用補完」が支持を集める

2010年代アベノミクス、QQE、マイナス金利とYCC、消費税10%)

2013年アベノミクスの下で日銀は2%インフレ目標明確化し、量的・質的緩和(QQE)を実施

長期国債の大量買入れと平均残存の延伸で期待に働きかけ、円安・株高・雇用改善が進行。

一方、2014年消費税を5%→8%へ引き上げ、需要山谷や実質所得の目減りが課題化。

2016年にはマイナス金利(-0.1%)と同年のイールドカーブコントロール(長短金利操作)を導入し、10年金利を概ね0%に誘導

超緩和を持続可能にする枠組みが整う一方、物価目標に持続的到達せず、期待形成の難しさが露呈。

2019年には消費税10%(軽減税率併用)へ。

財政景気対策社会保障費の増勢のはざまで、持続性と成長投資の両立が焦点となりました。

流行った言説

リフレリフレーション派の台頭:「2%目標を明確に」「量・質で国債買入れ(黒田バズーカ)」「円安を通じた期待・投資喚起

三本の矢”言説:①大胆金融緩和 ②機動的財政成長戦略—「第3の矢(構造改革)こそ本丸」という合言葉

消費税論争の定番化:「社会保障財源 vs 需要腰折れ」「景気回復まで増税先送りを」

デフレ・均衡から離脱:「賃上げ物価目標・期待形成」を巡る企業春闘連動の議論が注目に

副作用論:「長期緩和の金融仲介市場機能への影響」「格差資産価格バブル懸念」も同時に存在

2020年代コロナ危機物価高、超緩和からの“出口”へ)

2020〜21年はコロナ危機に対し、定額給付金雇用維持・資金繰り支援など未曽有規模の財政出動を実施

日銀企業金融支援資産買入れで超緩和を維持。

22年以降はエネルギー高・円安が重なり物価が2〜4%台へ上昇、政府電気・ガス・燃料への時限補助で家計負担平準化為替の急変時には円買い介入でボラ抑制を図りました。

2024年にはマイナス金利とYCCを事実上終了し、短期金利誘導回帰する「極めて緩やかな正常化」へ移行。

2025年補助金の段階的見直しと成長投資規制改革の両にらみが続く一方、債務水準の高止まりと金利上昇局面での利払い負担が中期の課題

物価賃上げ生産性財政規律をどう同時に達成するかが、政策デザインの核心になっています

流行った言説

危機時の大規模財政コンセンサス:「現金給付雇用維持・資金繰り支援必要悪ではなく必要条件」

MMT・反緊縮の再燃(議論として):「自国通貨建て債務は制約が違う」「完全雇用まで財政で下支え」—賛否が激しく対立

コストプッシュ・為替の再評価:「円安×資源高=輸入インフレ」「為替パススルー状態依存で強まる」

ターゲット支援の支持:「面の補助より、脆弱層・エネルギー多消費層へピンポイント

“新しい資本主義”や供給側強化:「賃上げ促進・人への投資半導体等の戦略産業支援」「GX/DXで潜在成長率を底上げ

出口・正常化言説:「マイナス金利・YCCの終了」「利上げのタイミング副作用」「利払い増と財政の持続可能性」—“どこまで・どの速さで”が焦点

価格介入・介入論:「電気・ガス・燃料の時限補助」「過度な為替変動には介入」—ただし“恒常化の副作用”も論戦に

2025-11-08

財政政策と金政策ポリシーミックスインフレ下で逆効果だろ

また出たな、ポリシーミックス経済を立て直すだの、財政と金融の協調で景気を支えるだのと騒ぐ連中。

お前ら、その言葉意味自分の脳で一度でも演算したことがあるのか?

協調という響きに酔って、政策を混ぜれば万能だと勘違いしてるだけじゃないか

そんなの、経済学でも政策でもなく、ただの自己放尿だ。

インフレ下で財政を拡大し、金融を緩める?

おいおい、火事場でガソリン撒いてこれで暖まるとか言うなよ。

既に物価が跳ねている状況で、国がさらに金をばら撒けば、どう転んでも価格上昇を助長するに決まってる。

しか中央銀行国債買い支えに加担した瞬間、財政規律は完全に崩壊する。

財政と金融の一体運用なんて聞こえはいいが、実態政治日銀の尻に火をつけているだけだ。

通貨価値担保する独立性を自ら放棄しておいて、何が政策協調だ。

もっとも滑稽なのは、当の政策決定者が景気回復インフレ抑制を両立させるとか言ってるところだ。

矛盾の塊だろう。そんな都合のいい経済宇宙存在しない。

財政拡大で票を取り、金融緩和で株価釣り上げ、短期的な幻影を成果と呼んで自己放尿に浸ってるだけ。

まり国家規模の自己放尿だよ。

インフレを抑えたいなら、やることは単純だ。歳出を絞れ。増税しろ

それで企業個人コストを思い出す。

だが、政治家は選挙が怖くて引き締めができず、日銀財政ファイナンスの中毒症状から抜け出せない。

両者が手を取り合って泥沼に沈んでいく。これが今の協調の正体だ。

経済政策とは、本来痛みを引き受ける覚悟のある者だけが語るべき領域だ。

だが今の連中は、痛みを恐れ、責任を避け、結果だけを数字で飾る。

そんな連中がどれだけグラフを描こうと、どれだけ専門用語を並べようと、所詮自分の尿で顔を洗って黄金水経済再生などと喜んでいるだけの話だ。

景気対策の皮を被ったインフレ助長策。理論の装いをした政治自己防衛。本質を見抜けぬ者たちが繰り返す限り、この国はまた同じ過ちを焼き直す。

ポリシーミックス?笑わせるな。それは政策じゃない。集団的自己放尿ショーだ。

 

追記: コストプッシュという名の集団妄想 anond:20251108222716

2025-10-30

経済悪化しているのに株価が上がるのはなぜ?

経済悪化しているのに株価が上がる」この現象、実はかなりよく起こります

直感的には「経済株価」と思われがちですが、両者は必ずしも一致しません。

理由はいくつかありますが、主なもの経済メカニズムに沿って説明します。

1. 株価は「将来」を映す

株式市場は、現在経済状況ではなく、将来の期待を反映します。

まり「今悪いけど、これから回復するはず」という予想があれば株価は上がるんです。

例:リーマンショック直後(2009年初頭)、世界経済は最悪期でしたが、株価は上昇を始めていました。

理由投資家は「金融緩和景気刺激策インフレになる」と予想していたからです。

2. 金融緩和金利低下の影響

経済悪化時、中央銀行(例:日本銀行FRB)は金利を下げたり、資金市場供給します。

これにより:

株価上昇

簡単に言うと、「お金の行き場がないと、株が買われる」現象です。

3. 相対的評価

景気が悪くても、「他の資産よりマシ」と見なされると株は買われます

特にインフレ局面では、株式実物資産のように価値を維持しやすいため、マネーの逃避先になることがあります

4. 企業収益マクロ経済のズレ

経済全体が悪化しても、一部の企業セクター好調なこともあります

たとえば:

まとめ

原因 メカニズム
期待先行 景気回復を織り込み株価上昇
金融緩和金利資金株式流入
相対的選好 株が他の資産より魅力的に見える
セクター 一部企業けが好調

2025-10-14

万博雇用吸って人手不足拍車かけてるのに万博もっとやれは草

タイトル通り

建築資材も建築人材運転手飲食アルバイトも、万博みたいな官主催イベントに吸われた分だけ民需への供給が減り、

その分だけ不足感が強まってインフレ圧に拍車をかけ、今の政治どうにかしろーと叫ぶ生計がひっ迫してる層へのダメージになるだろうに

需要不足時に需要を増やして景気回復を促すのが公共による投資だけど、今は人手不足

万博開催に税金を使うのはまた別。まさに今バラマキでインフレ加速するのを見越して円安に傾いてる話のバラマキの部分そのものだよね万博開催って)

2025-10-08

高市早苗はトラスショックを再現するか

まだ正式首相になったわけでもないのに、もう円が動いている。

高市政権」への期待――いや、むしろ懸念”といったほうが正確かもしれない。

市場はすでに彼女の登場を織り込み始めており、その期待値円安を加速させている。

そもそも高市早苗といえば、かの「利上げはアホ」発言でおなじみだ。

金融政策を「庶民目線」で語るのは悪くないが、通貨を扱うにはあまりに軽い。

実際、この発言のあとからじわじわと円が売られ、為替市場は“次の首相”に神経を尖らせている。

市場言葉に反応する。政治家一言が信用の天秤を傾ける――それが現実だ。

そんな高市氏が掲げている看板政策ひとつが「物価対策」。

だが中身をよく見ると、やろうとしていることはほとんど逆効果だ。

補助金の延長や金融緩和の維持、減税めいたバラまき。

これ、要するに“需要を増やして物価さらに押し上げる”政策なんですよね。

言ってることとやってることが真逆

庶民のため」と言いつつ、結果的には庶民の財布を直撃する構図が見えている。

しか問題なのは日銀のほうも政治家の“空気”を読みすぎていることだ。

物価が上がり続けているのに、利上げどころか腰が引けている。

政治的に波風を立てたくない」という忖度が、インフレ対応をどんどん後手に回している。

結果として、円安物価高も放置プレイ

まるで、国全体が「トラスショック」の序章をスローモーション再現しているかのようだ。

円安は確かに輸出企業には追い風だが、庶民にとっては完全に逆風。

輸入品は高騰し、実質賃金は下がり続け、生活は苦しくなる一方だ。

それでも政府は「インバウンド景気回復!」と胸を張る。

でも現実には、外国人観光客の波で家賃は上がり、地元住民は押し出され、バイト先は人手不足

誰がこの国の“安さ”の上に立って儲けているのか、もう一度考えたほうがいい。

そして今、政府国民に「NISA投資しよう」と呼びかけている。

だが、円安で割高になった株を高値掴みさせられる構図は否定できない。

結局、金融緩和で吊り上げた相場を“庶民の貯蓄”で支えることになる。

市場が崩れたときに誰がツケを払うのか――答えは明らかだ。

最後梯子を外されるのは、いつだって国民だ。

もしこのまま日銀政治空気に縛られ、インフレ放置し続けるなら、

「トラスショック」は再現どころか、もっと静かで長い形で日本に定着するかもしれない。

見た目は穏やかでも、気づけば通貨生活もジリジリと削られていく。

それでも政治家は、「経済は順調です」と言い続けるのだろう。

———

希望があれば、

はてな匿名ダイアリー向けにもう少し“個人の感想っぽい語り口”(たとえば「自分NISAやってるけど…」みたいな)を加えたバージョン

逆に経済コラム寄りに整えたバージョン

のどちらにもできます。どちらに寄せて仕上げましょうか?

2025-10-05

anond:20251005100536

外的要因でもたまたまでも、物価高が止まるなり景気回復すれば実績扱いにできるんだがまぁ運だよね

サナノミクスもインフレになりそーだし難しいだら

2025-10-03

anond:20251003103424

景気回復してないなら増税しなくていいという理屈なら、社会保障改革増税必須なわけないんだが。

そもそも自国通貨作れて国内への歳出に関して財源が問題にならない国で、かつ当時のデフレ状況下で増税必須とか経済システム的に考えて意味不

2025-08-26

アイドルがウォウウォウ歌って三十年失われたんだから繰り返しちゃダメだろ😂

2025-08-22

景気回復方法の一つ

消費税計算根拠である売り上げ総額から正社員人件費を控除できるようにすればいいだけ。

売り上げ以上に人件費にかけるアホウはおらんやろ?

2025-08-15

最近、やたらと「謝れない大人」が多くないか

ちょっと聞いてほしい。

兵庫知事とか、静岡伊東市長とか、最近ニュース見てて思うんだけど、なんであんなに頑なに謝らないんだろうな。「私の指導力不足不快な思いをさせたなら謝罪」とか、言葉遊びはいいから、まず「ごめんなさい」だろって。

極めつけは、終戦記念日の石破首相の式辞だよ。「反省」って言っただけで、ネットの一部が「英霊反省を迫るのか!」「国益を損なう!」ってギャーギャー騒いでる。いやいや、落ち着けよと。過去戦争で、アジア太平洋地域で数千万人、日本国内で310万人もの犠牲者が出た。この事実に対して、二度と繰り返さないために「反省」するのって、人として、国として当たり前のことじゃないのか?

いつから日本は、こんなに「ごめんなさい」が言えない、意地っ張りでダサい国になっちゃったんだろう。

「謝らない」のが強さだと勘違いしてる人たち

たぶん、彼らにとっては「謝ったら負け」なんだろうな。自分の非を認めたら、自分価値が下がる、弱みを見せることになる、と。

特に安倍元首相が「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」なんて言っちゃってから、この流れが加速した気がする。過去の過ちを直視せず、臭いものに蓋をすることが「誇り」だとか「国益」だとか、そういう話にすり替えられてる。

でも、それって本当に強いか

失われた30年の失政も「謝れない」から認められない

この「謝れない」体質は、個人問題だけじゃない。この国のトップが、ずっとそうだ。

「失われた30年」。経済は停滞し、みんなの生活は苦しくなる一方。国民の6割が「生活が苦しい」って言ってるんだぞ。これ、どう考えても政治の失敗、つまり「失政」だろ。

でも、今の政権与党の誰か、この30年間の失敗を「我々の政策が間違っていました。国民の皆さん、本当に申し訳ない」って、ちゃんと頭を下げたか? 見たことないよな。

景気が悪いのに消費税を上げ続け、国民の消費にブレーキをかけ、首を絞めてきたこと。これを間違いだと認めない。謝らない。だから、いつまで経っても「消費税廃止」なんていう、景気回復起爆剤になる根本的な対策に踏み切れないんだ。

自分の失敗を認められないから、間違った政策をダラダラと続けるしかない。その結果が、この国の長い長い停滞の正体だ。

逆に、ちゃんと「謝れる」強さ。山本太郎れい新選組を見てみろよ。

ここで、俺がなんで「れい新選組」を応援してるかの話になる。

代表山本太郎を見てると、その違いがよくわかる。彼は、過去自分言動、例えば原発事故後の発言で傷ついた人がいると指摘されたとき、どうしたか

「心よりおわび申し上げます

「私のアプローチがあまりにも粗削りで、デリカシーに欠けた配慮のない行動だとお怒りのお言葉はこれまでにもちょうだいしていました」

「あまりにも無知、未熟」

彼は、はっきりと自分の非を認めて、謝罪したんだよ。言い訳しない。話をそらさない。これって、本当に強い人間じゃないとできないことだ。自分の間違いや未熟さから目をそらさず、それを受け止めて、そこから学んで成長しようとしている。

「今後も私や政治への監視、間違ったことがあればご指摘いただき、使える政治家として育ててくだされば幸いです」

この言葉に、彼の誠実さのすべてが詰まってると思う。

「誰一人見捨てない」政治は、「間違いを許す」社会から始まる

れい新選組が掲げる政策の根っこにあるのは、「自己責任」論の完全否定だ。

消費税廃止して、物価高と低賃金で苦しむ庶民中小企業を救う。奨学金なんていう名の借金をチャラにして、若者希望を持てるようにする。障害があろうが、貧困に陥ろうが、誰一人として見捨てない。

これって、「失敗しても大丈夫だよ」「困ったときお互い様だよ」っていう社会からメッセージだ。

政治家が自らの失政を認められない社会で、国民の失敗や苦境を許容できるわけがない。「謝ったら負け」なんて言ってる政治家は、結局国民にも「自己責任」を押し付けるんだよ。

れいわの姿勢は、政治家のあり方と、私たちが生きる社会のあり方が、ちゃんと繋がっていることを示している。

結論:「謝ったら負け」はもう古い。これからは「謝れる」方がカッコいい。

過去戦争への「反省」も、失われた30年の失政への「謝罪」も、本質は同じだ。

過ちを認めることは、未来に同じ過ちを繰り返さないという決意表明であり、より良い未来を作るための第一歩だ。れいわが「二度と戦争をしない国づくり」を誓うように。

虚勢を張って謝らない政治家と、自分の未熟さや過去の失政を認めて、国民の声に耳を傾け、共に成長しようとする政治家。どっちを信じたいかなんて、もう答えは出てるだろ。

「謝ったら負け」なんていうちっぽけなプライドは、とっくに時代遅れなんだよ。

2025-08-05

消費税廃止したら景気が回復するの?本当に?

消費税廃止もしくは減税の議論って「財源はどうするんだー」ってのが中心になりがちだけど、自分はそこはどうとでもなると考えている。

それよりも生活困窮者の救済や景気回復目的廃止/減税を主張する人がほとんどのように見えるんだけど、これには疑問符が付く。

しかすると消費税が無くなれば、販売価格消費税分安くなると思われている?

本体価格1000円に消費税10%が付いて、販売価格が1100円の商品があったとする。

消費税廃止されたとしても、販売価格は1100円据え置きになるんじゃないかなぁと自分は思ってる。

消費税廃止前に仕入れ原材料もあるだろうから廃止10%分値下げにはならないでしょう。

そもそも今まで1100円で売れてる商品を、わざわざ利益減らして安くする理由ある?

仮に段階的に値下げする余地ができたとしても、原材料の高騰ペースのほうが早い気がする。(これは根拠なし)

まぁ価格据え置きで浮いた利益従業員還元してくれるのなら、そこから景気回復の気運が高まる可能性はあるかも。

ここら辺は詳しくないので、それでも消費税廃止景気回復するんだー!って主張する人がいたら、その根拠を教えて。

2025-07-26

anond:20250726155623

消費税減税されたら消費税分の売上にかかる税金消えるから要は会社収益が減税分だけ上がるんだが。

プラス減税による景気回復で売上の上昇自体も見込める。

まともな社会人で反対するやついるのか?

まあ細かい話すれば仕入れ税額控除とかあるからすべての事象者がそのまま一行目に当てはまるわけではないが。

2025-07-25

anond:20250725214901

まさにその通り。

結局、世界をかき回してるのは「俺以外の馬鹿」たちじゃないか、という実感には一定ロジックがある。

戦争を起こす馬鹿

21世紀にもなってまだ戦車を走らせミサイルを撃ち合。お前らの脳は石器時代か? 

「話し合いで解決できる」とか言ってたの誰だよ、結局「大義」って名の自己正当化で人を殺すために生きてんだろ。

積極財政ハイパーインフレに近づく馬鹿

財政赤字問題ない!」「国の借金は返さなくていい!」とドヤ顔で言ってた結果、物価爆上がりで庶民生活崩壊

インフレ税で実質的資産強奪しといて「景気回復です!」とか、笑わせんな。

馬鹿犯罪者

欲望に脳を支配され、他者権利を平然と踏みにじる。

まれば「社会が悪い」と他責思考

そんなお前に社会批判する資格なんてねぇ。まず鏡を見てから発言しろ

倫理的問題のある発言をする馬鹿

炎上目的他人の痛みに塩を塗る。「言論の自由」とか盾にしてるけど、それ自由じゃなくてただの放言

責任を取らない言葉価値はない。

預言者

何も起きてねぇよ。

お前の中でだけ時空がねじれてんじゃね?

ババ・ヴァンガとか名前からして怪しい。なぜ人はこんな明らかなデマに縋るのか。

不安無知副作用だな。

陰謀論エンタメです!」とか言って煽る馬鹿

お前が言う「エンタメ」のせいで、Qアノンやらリフレ派やら、現実社会被害出てんだけど? 

炎上商法で他人の命と精神を弄ぶな。

ゴミ大量生産する馬鹿

無意味ノベルティ使い捨て包装、流行の大量消費。

環境が壊れても「経済回すことが大事」とか言ってんだろ。

地球よりGDP大事ですか、そうですか。

電力を浪費してる暗号資産中毒馬鹿

分散化!自由未来通貨!」とか言ってるくせに、実態投機煽り・電力泥棒

気候変動に加担しながら「技術革新」とか、白々しすぎる。

ケツ論

社会を蝕むのは、俺じゃなくて、「俺以外の馬鹿」たちだ。

からこの地獄は終わらない。

2025-07-07

景気回復少子化解決もできないけど敵を作ってイジメることはできます

こんなのが支持されてるとゆう事実

2025-07-06

選挙ウンコ、俺もウンコ、でも考えてるの俺だけ説

今日もキレキレの解説定評のある俺が、

選挙を!解説してやんよwwwカッケwww俺カッケwww

まずな、

どこの政党も言ってること一緒なんだよ。

つまるところ、

国民負担を減らす」

「成長する国家改革する」

これな。

で、なんでそうなるかっていうと、

あいつら票をもらうことに短期最適してっから

まり各々が「労力に見合ったリターン」を考えて

合理的に行動した結果、

言ってることが似通ってくるわけよ。

で、当選すりゃ御の字なわけよ。

でもな、じゃあ仮に、

まかり間違って本当に減税とか景気回復とかがうまくいって、

国民の“余剰”が増えたとするよ?

そこで問題

短期最適で票とってきたやつらが、

その余剰を「どう使うか」まで考えてると思う?

んなわけねーだろwwwwwwww

よくさ、ブラック企業で90連勤してる奴が

「ここを踏ん張ったら…楽できる…休み、取るんだ…」

とか言うじゃん?

あいつら、楽になれたことあった?

ないよなwwwそれなんだよ。

今の有権者にも、なんなら為政者にも、

「頑張って余剰作ったら、きっと楽できる」っていう、

信仰ちょっと残ってんの。

そこを突いて、あいつらは票を集めてんのよ。

でもよ、逆なんだよ。

減税とか成長とかより、

まず!休みだろ休みwww

ゲームだろゲームwww

…というわけで、

あいつらが言ってること、

ウンコですwww全部ウンコwwwwwwww

選挙?行くのもいい。

でもウンコ行く方がまだ有意義かもしれんwww

でもな、

本当に「あ、票がほしいなら休み増やさなあかんのか」

って思わせるためには、

俺らがそういうムーブしていかなきゃいけないんだよ。

それよ。

な?わかった?

まずはつぶやけ。「休みくれ」ってな。

2025-07-01

anond:20250701133450

あぁ、そうだな

それが不可能だってことにさえ目をつむればよォ〜

財源はどっから出てくるんだ?

消費税がいらなくなるほどの景気回復宇宙から降ってくるのか?

2025-06-09

なんで金融引き締めしたの?

あなた:

バブル期になんで金融引き締めしたの

ChatGPT:

バブル期1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブル抑制インフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやす説明します。

■ 背景:バブル経済とは?

1980年代後半、日本歴史的好景気にありました。以下のような現象が起きていました:

株価日経平均1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。

地価東京地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。

融資土地担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。

この背景には、1985年プラザ合意を受けて進んだ円高景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。

■ なぜ金融引き締めに転じたのか?

資産バブル過熱

株や不動産価格実体経済無視して上昇していた。

銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。

バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断

インフレ懸念(ただし実際の物価比較的安定)

消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレバブルインフレ)は深刻。

このままでは社会全体が不健全投機に傾き、崩壊リスク高まる判断された。

■ 実際の金融引き締め策(1989年〜)

日本銀行1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。

融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資抑制実施

■ 結果:バブル崩壊と失われた30年へ

株価1990年初頭から暴落(2年で半値以下に)。

地価:数年かけて下落。担保価値崩壊により不良債権問題が表面化。

経済企業銀行バランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済突入

■まとめ

日本銀行バブル期金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています

興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます




あなた:

土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般産業にもお金が不足するようになったのはなぜ

ChatGPT:

とても鋭いご質問です。

バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般産業製造業中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:

① 総量規制による「銀行貸し渋り

1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:

銀行は何が「不動産関連」かを厳密に判断できなかった。

リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。

結果として、資金需要のある健全企業中小企業にまで貸し渋りが発生しました。

担保価値の急落 → 融資引き上げの連鎖

バブル期融資は「土地担保」が基本でした。

バブル崩壊地価が下落すると、担保価値も大きく目減り。

銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保要求

企業は手元資金が減り、設備投資運転資金が不足。

これが連鎖的に一般企業資金繰り悪化を招きました。

銀行自身が傷を負い、貸せなくなった(信用収縮)

バブル崩壊で、銀行不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。

会計上は黒字でも、実態債務超過に近い銀行も多かった。

そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。

→ この結果、すべての業界資金供給が細るという現象が起きました。

補足:なぜ中央銀行政府は手を打たなかった?

バブル崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。

政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。

結果として、企業倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。

■まとめ

土地や株に関係ない産業資金不足に陥ったのは:

金融引き締めと総量規制副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制たから。

担保価値の下落で、企業資金調達能力実質的に低下したから。

銀行自身が深刻な損失を負い、貸し出せる余裕を失ったから。

まり、「バブルのツケを払わされ、被害経済全体に波及した」というわけです。

さらに知りたいテーマ(例:日銀判断ミスや、BIS規制、当時の政治対応)などあれば、深掘りできます




あなた:

土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか

ChatGPT:

本当に本質的な問いです。

そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者労働者たちの「実感」と完全に一致しています

ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?

これは単なる技術ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システム限界が重なった結果でした。

✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?

金融政策は「面」でしか効かない

日銀コントロールできるのは 金利マネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。

しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。

まり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。

🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態

② 総量規制が“雑”だった

バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度

ところが、不動産関係のある業種(建設流通サービス業など)も巻き添えに。

銀行リスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制

結果:元気な産業まで資金を断たれ、経済全体が窒息。

銀行自己保身と過剰反応(信用収縮の連鎖

地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制自己資本比率の縛り)。

同時に、「不動産融資した銀行自体」が傷んで、健全企業にも融資を出す体力がなくなった。

日本金融は間接金融銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。

💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。

日銀政府対応の遅れと過信

日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用無頓着だった。

政府も「市場自己調整力に任せよう」と景気対策を後回しに。

結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。

🧠 なぜそんなことになったのか?(根本

資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。

中小企業地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点政策判断がなされていた。

日銀大蔵省(当時)に、経済現場に対する感受性が欠けていた。

🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?

「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策構造上、経済全体を冷やしてしまった。

さらに、対応ミス銀行自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」

もしももっと段階的に、現場実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。

あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者歴史家が共有している、正当な問いです。




あなた:

不振に陥ったサラリーマン企業国有化しなかったのはなぜか

ChatGPT:

非常に核心を突く質問です。

なぜ、バブル崩壊不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?

これは、単なる経済政策の話を超えて、日本政治哲学制度設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的制度的・思想的な観点から説明します。

結論から言うと:

国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的否定的に扱われていたからです。

その背景には、以下のような事情があります

日本は「民間主導経済」が基本原則だった

戦後日本は「自由主義経済市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。

特に高度成長期以降、「政府ルールだけ作る」「経営民間に任せる」という方針が徹底。

企業は潰れるときは潰れるべきで、政府雇用保険融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。

📝 経済への国の関与は「産業政策行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ

② 「モラルハザード」を恐れた

企業が倒れそうなときに国が全部救ってしまうと、

経営者無責任になる

銀行安易リスクをとる

こうした「道徳的危険モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。

→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。

国有化財政負担が大きすぎる

バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。

これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金必要

当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。

例外的に「銀行」は事実上公的資金投入=国有化された

実は、国有化にかなり近い救済も行われています

1998年〜:「長銀日本長期信用銀行)」「日債銀日本債券信用銀行)」→一時国有化

その他、大手銀行にも公的資金が数十兆円規模で注入

💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。

企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。

社会主義全体主義へのアレルギー

戦後日本は「民主主義」と「市場経済」での復興を目指した。

「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。

特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。

✅ まとめ:なぜ企業国有化しなかったのか?

観点 理由

経済思想 市場原理・自己責任を重視していたか

政治判断 モラルハザード財政負担を避けたかたか

歴史的背景 日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった

対象の規模 企業数が多すぎて救済不能だった(全員は無理)

実際の行動 銀行だけは特例で事実上国有化公的資金

あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。

実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります

もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます




あなた:

竹中プランは全体の金融引き締めの中ではどのようなもの

ChatGPT:

竹中プラン正式には「金融再生プログラム2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。

このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。

竹中プラン概要2002年10月

当時、小泉政権経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。

メインの柱は以下の通りです:

施策 内容

不良債権の早期処理 銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない

自己資本の強化 不良債権処理で自己資本が不足する場合公的資金税金)で注入

金融庁の監督強化 銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さな体制に変更

株価下落対策 政府金融機関が株式購入などの支援株価維持策)も実施

✅ 「引き締め政策」としての位置づけ

厳密には、竹中プランは**金融政策金利通貨供給)**ではなく、**金融行政銀行健全化)**に分類されます

しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:

📉 銀行融資に慎重になる(信用収縮)

厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」

結果:中小企業への融資が激減

これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした

✅ 背景:バブル崩壊10年目、金融システム崩壊寸前

2002年当時、日本銀行は以下のような状態でした:

不良債権を大量に抱え、経営体力が瀕死

株価バブルピークの1/4以下、地価も下落

銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野

👀 小泉政権竹中氏は「このままでは日本銀行は潰れる」と判断し、

銀行死ね

2025-05-28

はてなリフレ派が多かったなんて、歴史改竄もいいところだ

そりゃ十年以上前の話だから知らない人もいるだろうし嘘を刷り込むチャンスはあるだろうけどさ、そういうことやってて人として恥ずかしくない?

はてななんて、所謂はてサ揶揄されるような人たちが跋扈していた場所だよ?特に十数年前なんてまだはてサも今より元気だったし、しっかりサヨクだった。欧米左翼経済への政府介入を是とするものだけど、はてサに限らず日本左翼は単なる政府嫌いだから積極的金融政策なんて大嫌いもいいところだったぞ。バブルになるだの何だのって。円安もそれで日本国内での設備投資や付随した雇用が増えるとかのマクロな話より単に目の前の輸入品海外旅行価格が上昇するってことを重視して嫌いだし、エダノン始めむしろ利上げすれば利息収入が増えて消費が活性化して景気回復するって言っている奴も少なからずいた。

そして何よりはてサ安倍元首相が大嫌い。アベノミクス、その中身のリフレなんて敵扱いされるのが常道だった。リフレ推進系の記事ブクマには「りふれは」みたいな揶揄系のタグが付けられもしていた。酷いのになるとリフレ派とみなされたid人格攻撃するブクマブログまであったような状況。


はてなってリフレ派が多かったからね

大嘘


anond:20250524135742

2025-05-25

anond:20250525073454

リフレ山形浩生(がリフレであるかここでは議論しない)は「デフレマインドを吹き消すために消費税増税しろ」と言ってたよ

 

https://cruel.org/hotwired/hotwired01.html

山形浩生の『ケイザイ2.0

〜天下のまわりもの高座〜

 

 

第1回 連載開始記念大盤振る舞い (1998年7月)

スーパー・アクロバチック・不景気脱出策——

So Crazy It Just Might Work.

 

山形浩生の『ケイザイ2.0

〜天下のまわりもの高座〜

 

 

第1回 連載開始記念大盤振る舞い (1998年7月)

スーパー・アクロバチック・不景気脱出策——

So Crazy It Just Might Work.

 

 

 

 

 

 日本はいま、とってもとっても不景気だ、なんてことはぼくがいまさら言うまでもあるまい。企業倒産就職氷河期銀行もばたばたつぶれ、もうお先真っ暗なのに、いつまでたっても出口が見えない。わーん、どうしたらい? もはや矢弾も兵糧もつきた。あの戦争からはや50年、この神国日本もはやこれまでか! かくなるうえは……

 「いやいや殿。おそれながらあきらめるのは早いですぞ。聞き入れられるはずもないがゆえこれまでは黙っておりましたが、実はこの風来坊めに、景気回復の奇策がおじゃりまするのじゃ。かの匹楠導師が戯れに編み出したる外道邪法ではございまして、よもやこれを使う日がくるとは思うておりませんでしたが……」

「ええい、茶坊主どもめが控えおろう、このお国の一大事に身の程をわきまえるがよいぞっ!」

あい家老、しばし待たれよ。ほほう、奇策とな。句留愚庵に日和庵とかもうしたか、このたわけどもめが、おもしろいことをぬかしよる。よし、言うてみぃ。ただしふざけた代物であれば、即刻斬って捨てるぞ! してその奇策とは?」

 「はあ、それは……」というまえにそもそもお殿様、不景気ってなんだかおわかりでしょうか? 今回はそこからはじめよう。

 

1 そもそも不景気ってなに?

 不景気ってなに? みんなもちろんわかってるつもりでいる。でも聞いてみると、ちゃん説明できる人はほとんどいない。株価が下がってるとか、失業が増えてるとか、倒産が増えたとか経済成長率が低いとか、すぐそういう話をしたがる。でもそれは、結果として生じる現象しかない。不景気のものではないんだ。不景気が何か知らなければ、不景気対策の話もできないだろう。

 世の中には、ものを作る人と、それを買う人がいる。つくるほうが供給で、買うほうが需要だ。これはいいね。

 さて、その両者がものを売買するのが、市場ってところだ。両者はおたがいに相手の足下と自分在庫をみつつ、お値段の交渉をする。人気が高いブツは値段があがる。売れないブツは、売れるまで値段が下がる。いい、今の分をもう一回読んで頭に叩き込んでね。売れなければ、売れるまで値段が下がる。そしてブツがはける。それが市場なの。

 ところが、何かのきっかけで、これが機能しなくなることがある。たとえば、ブツが売れないときに、売り手が値段を下げようとせずに、いっせいに「もうちょっと様子を見ようか」と思ったら? そのブツはいつまでたってもはけずに売れ残ることになる。

 そしてもう一つ。この世では、極端なガキと年寄り以外はみんな働いてる。つまり、みんな働いてるときはつくる人で、働いてないときは買って使う人になる。そしてある人が買えばそれはつくった人の儲けになって、その人はその儲けをもって、こんどは買う人になるわけだ。

 さてここで、世の中の人がみんないっせいにちょっと多めに貯金しようと思ったら? 「山一拓銀が潰れるようじゃ、将来がちょっと不安だな」とか言って、みんな使うのを控えたりするわけだ。ところがみんなが同時にそれをやると、だれもモノを買ってくれなくなるので、売り上げが減る。すると思ったように貯金が増えない。これはまずいと思ってみんなもっと買い物を控える。するとさら収入が減って・・・こうしてモノがどんどん売れなくなる。

 不景気ってのはそういう現象だ。経済全体としての需用がいっせいに下がって、供給がだぶついちゃうことなんだ。そしてそれを市場価格メカニズムちゃんと調整してくれない。それが不景気ってことなんだよ。人は失業し(つまり労働力っていうブツが余ってる状態だ)、店には売れない商品がならび、工場開店休業オフィスビルは空室まみれで住宅売れ残り。株も売れずにどんどん値下がり。ね。まさにいまの日本状態

 

2 不景気退治の定番手口とその失敗

 すると、不景気はどうすれば回復する? 供給いくらいじってもだめだよね。みんながお金を使おう、買い物しようと思わなきゃいけない。

 じゃあまず、ものの値段を下げたら? でも自由主義経済では、値段を下げろと命令するわけにはいかない。

 それ以外の方法は? まず、金利を下げることだ。するとみんな、貯金しても大して利息がつかないし、じゃあ買い物しようという気になって、需要がふえる。ローンとかも気軽に組めるようになるしね。

 次に、公共投資ってのがある。政府が、道路をつくろうとか学校をつくろうとか、とにかくでかい事業借金してまでやらかす。すると工事を請け負った建設屋さんがリッチになって買い物して、はずみがついてみんな買い物するようになる。

 減税してもいい。税金が減ったら、その分みんな使うかもしれない。

 そしてもう一つ、お金をいっぱい刷るという手がある。そうすると、そのお金がまわりまわって(ここの仕組みは面倒なのでまたいずれ)みんなの懐に入り、みんな太っ腹になっていろいろ買い物をするようになる。

 さて、じゃあいまの日本でこれをやらないんだろうか。

 

 いや、全部やってるんだ。まず金利。これまでも金利はどんどん下げてきている。こないだも、日銀金利を0.25%下げた。でも、もう金利ゼロに近いんだ。だからもうあとがない。でも効果なし。

 減税。これもそこそこやってる。恒久減税だの一時減税だの、流派はあるんだけどさ、でもまあやってる。効果なし。じゃあ公共投資。これもあわてていっぱいやってる。それなのに効果がない。財政赤字ばかりがふくれあがって、「きみたち借金返せるの?」と信用もなくなりだしてる(格付けが下がるってそういうことね)。

 そしてお金を刷ることだけど、日銀お金をいっぱい増やしてるんだ。

 つまり手は尽くしてるのに、効果がぜんぜんない。それぞれの手口にはそれぞれシンパがいて、みんな「いやまだ公共投資/減税/資金供給が足りない」と叫ぶんだけど、じゃああとどれだけあれば十分なのか、だれもわかってない。みんな、現状をちゃん説明できるモデルがなくて困ってるんだ。でも、そう認めるのが恥ずかしいから、わかったような口をきいてるだけなの。

 さて、ここで新聞をよく読んでいる人は、首を傾げるだろう。景気対策という話で、構造改革とか不良債権処理とか出てくるじゃん。あれはどこいった?

 うん、どっちも必要だしどんどんやってほしいんだけど、でもどっちも景気対策とはあまり関係ないんだ。構造改革ってのは、つくる人がものをつくりやすしましょうって話でしょ。需要を増やす役にはたたないもの不良債権処理も、まったく無関係じゃないけど、あまり歯切れのいい理屈じゃない。「風が吹けば桶屋が」式のずいぶんまわりくどい話で、やたらに「かもしれない」が多い議論だったりする。それで景気が回復するかどうか、実はぜんぜん怪しいんだよ。とりあえず他にすることがないので騒いでる、というのが実状に近いんだ。

 もううつ手はないんだろうか。なんとか需要回復する手はないんだろうか。もうあとは神頼みしかないのか……

 

3 打つ手はある! 句留愚庵のとんでもない奇策

 ところが1998年5月、何のまえぶれもなく変な論文インターネット上にあらわれた。いいや日本くん、うつ手はある。金利もっと下げよう。いまの金利ゼロなら、金利マイナスにしよう。そして実質的金利マイナスにするには、インフレ期待をつくれ! 政府日銀が、これからインフレを起こすと宣言しろ! そう論じたのがMITポール・クルーグマン日本のはまった罠」(原文はココ、邦訳はココ)だった。

 インフレ期待があると、なぜ需要が増えるのか? インフレだと、手持ちのお金価値はどんどん下がる。だからはやくモノに変えたほうが得なんだ。昔のインフレ年率40000%なんていう南米ドイツだと、一日でお金価値が半分になったりするから、もうみんな金を手にした瞬間にモノを買おうとした。つまりインフレが長く続くと思ったら、みんなどんどんお金を使うようになる。だったら、インフレが長く続くと思わせようよ。そうやって需要を増やせばいいじゃないかクルーグマン議論は、基本的にはそういうことだ。そしてかれは、この方法がよくてそれ以外の方法がなぜダメかを、とってもきちんとしたモデルを使って理論的に説明している。いまの日本不景気まがりなりにも説明した、数少ないモデルだ。

 

 さて、かれの議論はどう受け取られただろうか。

みんなひっくり返った。怒る人さえいたくらい。インフレというのはこれまで、とっても悪いものだというのが常識だったからだ。インフレ物価高→生活圧迫。よってインフレ地獄の使い。それを政府日銀が旗振って起こせ? ふざけるな! というのがほとんどの人の反応だった。

 でも批判は山ほど出てきたけれど、不思議なことにかれの理論のものに対する反論は一つも出ていない。少なくともぼくは見たことがない。これまで出ている反論はすべて「でも、インフレには副作用もある」と言っているにすぎない。「円安銀行が困る」とか「インフレ劇薬だ」とかね。でもそういう連中も、かわりの理論は出せていない。「不良債権処理」とか「土地流動化」とか繰り返してるだけ。なぜか?それは、クルーグマン理論基本的には正しいからなんだ。理論的な可能性としては、インフレ期待ってのが効くかもってことをだれも否定できないからなんだ。ただ、前例がない。インフレは悪いものだとさんざん叩き込まれてるし、失敗して収拾つかなくなったら何言われるかわからない。まして、そうでなくても付和雷同の好きな日本人。だから政府日銀がこの政策をためすことは、当分ないだろう、と考えられてる。バカだな、小渕政権なんてどうせ何も失うものはないんだからばーんとやっちゃえばいいのにぃ、とぼくは思う。それに、クルーグマンは各種の副作用批判に対して反論を行ってて(原文はココ、邦訳はココ)、これまたかなりの説得力なんだ。

 

4 そして世界初公開! 日和庵の外道邪法

 よろしい。インフレ期待ってのがあまりに無茶だと思うんなら、もしだれもやったことがなくて怖いっていうんなら、ぼくに別の案がある。需要回復できて、みんなが経験済みで、さらにとってもすぐれた副作用もおまけでついてくる妙案だ。耳の穴かっぽじってよくききやがれ。

 

 消費税を7%にあげよう。

 

 さっきぼくの景気対策説明を読んだ人は、アレ、と思っただろう。景気対策には減税してみんなの手持ちのお金を増やすんじゃないの?

 そしてそこで爆笑してるか絶句してるあなた。うん、あなたはわかってる人だ。あなたが考えてるのは、こういう話だろう。1996年には、景気が上向いてきてた。なのに、1997年消費税が導入されたので消費者が買い控えに走って景気がまた冷え込んだんじゃなかったっけ? だから共産党は、消費税を3%に戻して景気回復、なんて口走る。それなのに、そこで消費税をまたあげたら、さらに景気が悪化するに決まってる!

 でもそれはちがうと思う。それは因果関係が逆じゃないだろうか。1996年当時、あなたのまわりで家や車を買おうとしていた人はいなかった? 思い出してよ。みんなもう、9月までに買えば消費税が3%というので必死こいて駆け込みで買ったでしょう。だから消費が上向いたんだ。このケチなぼくですら、3月コンピュータを(中古だけど)買い換えたもの。だから景気が上向いたんだよ。増税したせいで景気が下がったんじゃない。増税期待のせいで景気があがったんだ。

 だったら、それをもう一回やろうよ。いますぐに税金を引き上げるって話じゃない。将来それがあがるという期待をつくるんだ。「2000年元旦消費税を7%に上げまーす」とアナウンス。するとかけ込み需要がたくさん発生して、景気は盛り上がるだろう。さらにそのままだと、増税した時点で1997年4月みたいに消費が冷えこむので、そうならないように、あげたその日にもう一発増税アナウンスしておけばいい。来年には10%にするよ、と。

 これはある意味で、クルーグマン議論と似ている。ぼくたち消費者からすれば、インフレ消費税アップも同じこと。いずれにしても、いまの手持ち現金の使いでが減るってわけだ。だから、はやく金を使おうとする。それで需要は上向く。

 さて、クルーグマンインフレ期待を盛り上げろとは言ったけど、じゃあどのくらい盛り上げればいいかはまだ詰めていない。でも、ぼくの案はなにせ前例があるもので、効果が試算できるのだ。1996年日本の実質経済成長は3.6%。このすべてが消費税効果ではないにしても、たぶん2%くらいの押し上げ効果はあったはず。1998年日本マイナス成長だよ。GDP成長率が2%アップっていったら御の字だ。

 そしてこの案のすばらしいところ。まず、やりやすいってこと。これからインフレしまーす、といって国民を納得させるのは、こりゃ至難の技だ。それが景気対策だってことを納得させるのは不可能といっていい。しか消費税アップは経験があるから、やりかたはわかる。そしてそれを国民に納得させるのも簡単だ。やっぱり景気回復には財政再建必要なんです、と言えばいい。「ごらんなさい。財政出動ばっかして赤字国債しまくったら、格付けが下がってジャパンプレミアムで、ボロボロでしょう。やっぱ国の財政がしっかりしてなきゃ景気なんか戻りませんや」とキャンペーンを張るんだ。

 もう一ついいこと。インフレは、手におえなくなる可能性はある。目標どおりにおさめるのはむずかしいかもしれない。でも、税金は7%と決めたらその率で決まりだ。さらにとってもすばらしい副作用財政再建方便にしても、これをやれば税収は確実にアップする。万が一需要が上向かなくても、とりあえず財政赤字は減る。それはそれで悪いことじゃない。なーに、どうせいつか消費税はあげようと思ってたんでしょ、みんな。それを来年やって何が悪い

 

 さて、このアイデアを友だちに話したところ「でもそれって、1回2回は使えても、3回目あたりからみんなひっかからなくなるでしょう」と言われた。ぼくも一瞬そう思ったんだが……そうか? 「ひっかかる」ってどういう意味? 別にますわけじゃない。税金をあげるよ、といってあげるだけだ。待てば待つほど税金は高くなる。なんのひっかけも隠し事もない。なんなら「今後10年で消費税を15%まで上げます」と宣言しておけばいい。

 そしてこれは、需要を前倒しにすることになる。消費税があがるぞ、とおもって、来年家を買う予定だった人が無理して今年ローンを組むわけね。だからだんだん後がなくなるような気もするんだが、一方でその一時的にしても上向いた分の需要がどっかでまわってくるから、また新しい需要も出てくるはずだ。1997年だって住宅需要1995年並に戻っただけで、それを割り込むようなことはなかったんだよ。

2025-04-29

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 野口旭『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』東洋経済新報社 2006-03-09 | Weblog

 いままで曖昧陰湿批判が横行していたムラ社会であった日本経済論壇の中で、革命的ともいえる実名批判箇所を明示しての率直な議論姿勢を示した『経済学を知らないエコノミストたち』(日本評論社)や『経済論戦』(日本評論社)に続く、野口氏の00年代経済論戦の記録を生々しくとどめた最新論説集である題名の「エコノミストたちの歪んだ水晶玉」というのは聞きなれない言葉である。本書によれば、「経済学は役に立たない」という世間一般の抜きがたい批判に答えることを目的にしているという。著者は、経済学は予測科学として十分に役立つが、世間で役立たないと思われているのは「歪んだ水晶玉」=間違った経済理論で預言を行う「エコノミスト」たちの活躍に原因のひとつがあるという。実際に野口氏が90年代後半から現在まで経済論壇で行ってきたことは、この「歪んだ水晶玉」で預言するエコノミスト評論家そしてメディアなどへの容赦ない批判だったといえる。

 

 本書の後半は、当「ノーガード経済論戦」を読まれている読者にはなじみ深いHotwired掲載された「野口旭 ケイザイを斬る!」をベースにした02年から04年までの当時の経済論戦の見取り図とその批判的な検証になっている。特に経済の動きは複雑でありマクロ経済学のような単純な論理では十分にとらえることができないと主張する論者の多くが、実は単純な自らの意見カムフラージュするために複雑系な話を利用していることが指摘されていることころなど改めて参考になる。

 

 前半は最近経済政策論争をベースにした最新版野口氏の経済見通しと政策への批判検証が収録されている。その要点は、1)小泉政権構造改革路線検証、2)03年から04年にかけて明瞭になった景気回復の原因、3)今日量的緩和解除論議をめぐる見通し のおおよそ3点に分けることができよう。

 

 1)の点であるが、これについては小泉政権構造改革路線が、日本経済の停滞が非効率部門存在という構造的な問題にあり、これを淘汰することで高い成長率を目指すという「清算主義」であったこと、そして構造的な要因が日本経済の停滞の原因ではなく循環的な要因である需要の不足にこそ真因を求めるべきことが明記されている。

 

 個人的な回想で申し訳ないが、小泉政権清算主義的な色彩の強かった01年当時の政策批判を行った野口氏と私の共著『構造改革論の誤解』(東洋経済新報社)は、私の事実上処女作の一つであり、そのときから野口氏は経済論戦を分析する上での私の教師でもあり抜きがたい目標でもあった。当時は「構造改革自体の満足のいく経済学的な定義さえも不分明であり、それを野口氏は同書でクリア説明し、もって構造改革マクロ経済政策は異なる政策目的に割り振られる政策であり、両者を適切な目的構造改革ならば構造問題マクロ経済政策景気循環問題)に割り当てるならば矛盾もしなければ競合もしないこと、さら適用する目的小泉政権のように誤まるとそれは経済社会の低迷をより深刻なものにすることを説いた。

 

 ところで本書によると小泉政権の当初の清算主義的な性格は、「国債発行枠30兆円以下」を公約にした財政再建路線に明白だったが、不況の深刻化からこの清算主義的な路線は早々に放棄されることになった。そして実態的には「循環的財政赤字」の発生を放置することで事実上受動的にではあれ)景気の落ち込みの下支えに貢献したことを指摘している。この点については、私も当ブログ裏声で語れ! 小泉構造改革」で説明したことがあるので参照されたい。

 

 また竹中平蔵経済財政担当相(当時)の金融就任とそれに伴って発足した「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」とそれが打ち出したいわゆる「竹中プラン」(金融再生プログラム)の評価は興味深い。当初、このチームにごりごりの清算主義者として名高い木村剛氏が加わったこともあって、いわゆる竹中木村ショックで日本株価は急降下した。政府不良債権の抜本的な対策銀行企業の統廃合に積極的にのりだすという懸念マーケット国民の間に広がった。しかし実際には清算主義路線放棄しつつあった小泉政権にあっては、その後のりそな銀行への公的な救済に端的に表されたように銀行を潰すようなハードランディング路線放棄された。竹中プランは骨抜きになったかみえた。しかし、本書ではマクロ経済的な清算主義放棄したものの、この竹中プラン金融庁が大手銀行を中心とした不良債権処理に不必要なほど過度の介入を行うことにお墨付きを与えてしまい、規制ハード化が資源誤配分を招来してしまたことを指摘している。この竹中プランへの評価妥当だろう。

 

 2)の点については、今日景気回復主動因についての分析である。それは簡単にいうと財務省円安介入と、それと連動した日銀当座預金残高の引き上げという量的緩和政策が重なったことが契機となっている。この事態を本書では「なし崩しのレジーム転換」という表現を使っている。これは私流に表現すれば、あくま財務省主導のデフレ対策としての円安介入であり、それを福井総裁意図せざる形でサポートした量的緩和政策のあり方を表現しているのだろう(本書では触れられていないが福井総裁は明確に財務省円安介入をサポートしたこと否定している)。野口はいわゆる中国特需表現されたり、アメリカから日本株式市場への投資が盛んになったことなど、外的要因が堅調であれば政策対応受動的でもかまわない、というスタンスである

 

 「以上から日本経済の二〇〇二~〇三年以降の契機回復様相については、ほぼ次のように整理することができる。まず、その最大の牽引車は、外需の拡大であり、それをもたらした世界的な景気拡大であった。しかしながら、国内マクロ経済政策リフレ的な方向へなし崩し的に転換されていたということも、同様に重要意味を持った。それは具体的には、二〇〇三年秋から〇四年初頭まで行われた、財務省の巨額為替介入日銀金融緩和の同時遂行という形でのマクロ政策協調である。つまり、今回の日本景気回復国内マクロ経済政策の両方に支えられて、かろうじて定着したのである」(本書20頁)。

 

 すなわち浩瀚喧伝されているような、「構造改革景気回復寄与した」のではなく、先の説明どおりに循環的要因=総需要不足の改善外需好転政策対応によってもたらされたというわけである

 

 3)については、現状の景気回復不安定であり、より一層のリフレ政策重要性が強調されている。そのため06年末頃まではデフレ脱却をめざすリフレ過程(少なくとも現状の財政金融政策スタンスの維持)であるさらに第二段階は金融政策正常化のための段階であり、量的緩和の解除、インフレ目標の導入、プラス政策金利への復帰などが目指される。これはほぼ2007年半ば頃であり、財政再建はその後の第三段階となる。野口氏は現時点での量的緩和解除はリスクありすぎて日銀採用しないだろうとみている。だが、この野口氏の楽観的な見通しだけが本書を通じて外れてしまいそうである。もちろんそれは野口氏の誤りではなく、通常では考えられないほどのリスクをあえて選択した日本銀行の誤りなのである

 

 本書は他にも、リフレ派の正しい定義、「声の出るゴキブリ」とリフレ派を批判した山崎元氏のその後、木村剛日本振興銀行の「実験」へのエール(?)など微苦笑を禁じえない記述も多く、あっという間に通読できてしまう。学ぶべきことが多い本書は野口氏の論戦の記録だけでなく、迷走する日本経済論壇の記録としても重要である

 

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 バーナンキインフレターゲット論の復習 2005-12-05 | Weblog

 ベン・バーナンキFRB議長指名を受けての上院銀行委員会公聴会においてグリーンスパン路線継承約束した。バーナンキ90年代からグリーンスパン後の金融政策のあり方のひとつとして、インフレターゲット政策採用すべきだとする論陣を張っていた。この上院での証言では、まさに物価安定と経済成長の安定、そして市場とのコミュニケーションを円滑に行うためにインフレターゲット導入が必要であると、バーナンキは力強く述べた。このバーナンキ証言に対して、委員会メンバーからインフレターゲット採用することで物価安定が優先されてしま雇用の確保が保たれないのではないか、という質問がだされた。それに対してバーナンキインフレターゲット物価雇用の安定に共に貢献することができると言い切っている。

 

 インフレターゲットとは、改めて定義すると、インフレ率の一定範囲(例えば2~4%)におさえることを中央銀行公表し、その達成のために必要金融政策を行うことである。ただしバーナンキ自身がかっていったように何がなんでもインフレ率の達成にこだわるような、「インフレ狂のいかれぽんち」に陥ることはない。

 

 バーナンキ自身は、現実経済は非常に複雑であり、また不確実性を伴うものであるので、しばしばいわれる金融政策とその政策担当者を「自動車運転手」の関係に喩えるのは誤りであると述べている(講演「金融政策論理2004年12月2日)。なぜなら運転手自分走行中におこることがらをかなりの程度予測して運転しているが、金融政策担当者には四半期先の予想でさえも困難なことが多い。確かに金融政策を通じて中央銀行経済主体の予想に働きかけることができるが、それがどのように現実経済反作用するかを見極めることは実に難しい。しかしそれだからこそこの複雑で不確実な経済において経済主体の予想に働きかける政策の方が、それを考慮しない政策よりも重要になる。なぜなら主体がどのように政策に反応するかの理解を欠いた政策実行は予期しない失敗を引きおこすからである

 

 そして経済主体の予想形成とその経済への反作用をしっかりと政策当局が見極めるためには、予想をベースにした政策の実行とともに市場参加者中央銀行とのコミュニケーションがきわめて重要になる、とバーナンキは述べている。そして中央銀行市場に対してその政策目的予測を伝えることで、市場からリアクションに対して柔軟に対応するべきである、とも述べている。これらの政策に対する基本姿勢は、彼のインフレターゲット論の中にいかんなく反映されている。

 

 従来の経済学では金融政策をめぐっては、「ルール裁量か」という二元論でしばしば議論が行われている。金融政策が長期的には貨幣中立性が成立していて、実体経済には影響を及ぼさずに、ただ単に名目変数(例えば物価水準)を動かすだけである、という点では新古典派経済学マネタリスト、そして(ニュー)ケインジアンは一致している。しか短期的に実体経済に影響を及ぼすことができるのか、いいかえると経済の深刻な変動に対して金融政策有効手段になるのかどうかで、新古典派ケインジアンには特に深い対立が残っている。

 現時点で新古典派マネタリスト、そしてケインジアンは非常に深く混じってしまっており、例えばバーナンキの初期の金融モデル新古典派的な発想に立脚したRBCモデルを基本にしている。しかし、最近バーナンキ政策スタンス経済の変動(産出量ギャップの大きな変化)には積極的金融政策中心の政策対応をすすめるものであり、その基本はまぎれもなくケインジアンである。そして財政政策よりも金融政策を中心に景気対策を行う点では昔風?の区分ではマネタリストでもあるだろう。

 

 一般的新古典派マネタリスト中央銀行マネタリーベースを四半期ごとにX%にコントロールする「ルール」に準拠して金融政策を行うことで、中央銀行戦前大恐慌時のように大きな経済変動の原因になることを未然に防ぐことができるとし、安定的経済成長資することができると考えている。そしてルールを事前に公表することで中央銀行の行動に対して市場が信頼をもつことができることも経済不安定性を回避するとルール主義者は信じている。それに対して裁量を重視する旧来のケインジアンは産出量ギャップの拡大に対して機動的な政策対応を主張している。裁量主義者ルールのもたらす「信頼」と、大恐慌のような予期しない経済変動に迅速に対処する際の政策の「柔軟性」にはトレードオフ関係があると信じて疑っていない。もし柔軟性を認めれば、そのことがマネタリストの主張するようなマネタリーベースの成長率ルールへの信頼性を損ねるというわけである

 

 バーナンキインフレターゲット論は、この「ルール裁量か」でいえばまさに彼の経済学の総合性格を反映するかのように、彼自身言葉で「制約された裁量」というコンセプトに即したものであるバーナンキの「制約された裁量」としてのインフレターゲット論は、バーナンキらの論集『インフレターゲット国際的経験からの教訓』やFRB理事としての講演「インフレ目標展望」(2003年3月25日ベン・バーナンキリフレと金政策』(高橋洋一訳、日本経済新聞社)に収録)に表明されている。

 

 バーナンキインフレターゲット論の主要内容は、1)フレームワーク、2)コミュニケーション戦略 のふたつで構成されている。フレームワークとは、先ほどの制約された裁量と同じであり、金融政策いかに行うかについての「ベストプラクティス」(最善の実践であるという。

 

 「制約下の裁量のもとで、中央銀行は、経済構造政策効果について知識が不完全なことに注意を払いながら、短期的な混乱は無視してでも生産雇用の安定のために自主的に最善を尽くせます(これが制約下の裁量の「裁量」部分です)。しかし決定的に重要な条件は、安定化政策実施するにあたり、中央銀行インフレーーそして、それゆえ国民インフレ予想??をしっかりとコントロールするという強いコミットメントを維持する必要もあるということです(これが制約下の裁量の「制約下」部分です)」(邦訳39頁)。

 

 そしてこのようなインフレターゲット金融政策が通常、半年から1年半ほどの政策ラグを伴って効果があらわれるために、先行して経済主体の予想をリードしていくという性格を色濃くもった期待形成フレームワークでもある。

 

 例えば、今日アメリカ経済低インフレの好循環が成立している背景には、まさに低インフレ予想がキーであるといえる。その反対のケースが70年代石油ショックエピソードである産油国石油価格戦略的値上げによってコストプッシュ型の激しいインフレが起きたというのが定説であるしかバーナンキは実際には石油価格の高騰が各種財やサービスコストを引き上げたことによってインフレが多少は悪化したのは事実であるが、むしろそれよりも深刻だったのは家計企業FRB金融引き締めが不十分であることを予想し、それが高いインフレ予想を招き、そして賃金値上げや製品価格値上げに移行した、という見方を立てている。むしろFRB石油ショックに直面する以前の金融緩和姿勢もそのような経済主体の高インフレ期待を促したともバーナンキは指摘している。

 

 実は日本でも石油価格の高騰が70年代の「狂乱物価」を引き起こしたとする通説が根強い。しか小宮隆太郎は「昭和47,48年のインフレーションの原因」の中で日本銀行石油ショック前の行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めの遅れがこの「狂乱物価」の犯人であり、日銀政策の遅れが(小宮バーナンキのように期待の経路は明示していないが)企業労働組合などに製品価格上昇や賃上げに走らせた、と述べている。そして70年代から80年にかけての第二次石油ショックの影響が軽微だったのは、日銀過去反省していち早く強い金融引き締めスタンス採用したことにあり、それに応じて(これも期待の経路は小宮では不明なのだが)労働組合企業賃上げなどのコストプッシュの要因をおさえるべく、労使協調路線採用することでこの事態を乗り切った、と書いている(小宮隆太郎現代日本経済東大出版会)。

 

 アメリカの方はボルカー元FRB議長1979年における断固たる“タカ派”的レジーム転換で、徹底的に高インフレと闘ったことで、その後の低インフレの好循環の基礎ができた、とバーナンキボルカーの業績を評価している。しかし、このボルカーのタカ派へのレジーム転換が社会的にきわめて重いコストを伴ったことを指摘することをバーナンキは忘れていない。

 

 ボルカーの行った「ディスインフレ」(高いインフレ率を抑えて低インフレにすること)政策が、積極的名目利子率と実質利子率の引き上げによって実行され、それが80年代に入ってインフレ率の劇的な低下を見る一方で、それと見返りに10%にせまる高い失業を生み出してしまった。バーナンキはこの70年代インフレ予想形成の失敗がいか社会的コスト失業)を生み出したのか、このような失敗を今後しないためにも経済主体の予想形成金融政策の欠かせない要素になると力説している。

 

 第二の要素のコミュニケーション戦略であるが、これはすでに自動車運転手比喩の話で触れたように、中央銀行国民市場参加者に対して政策目標フレームワーク経済予測を事前に公表することで、中央銀行政策に対する信頼を醸成し、さら政策責任明確化政策の決定過程とその帰結の透明性をはかろうというものである。このことが自動車運転手比喩でも問題となった経済の不確実性について、少なくとも政策当事者の行動とそれを予測する民間主体の不確実性を大幅に減少することは疑いがないであろう。

 

 ところでこの「ベストプラクティス」としてのインフレターゲットアメリカに導入される見込みはどうであろうか。従来、インフレターゲット導入への反対の論拠として、連邦準備制度目的規定連邦準備法2A条)とのダブルスタンダードになるという点をあげて反論するのが一般的であった。

 

 「連邦準備制度理事会及び連邦公開市場委員会は最大雇用物価の安定及び緩やかな長期金利という目標有効的に推進するために、生産を増加する経済の長期的潜在性と均衡する通貨及び信用総量の長期的成長を維持する」

 

 と連邦準備法にある。これはかってのハンフリー・ホーキンズ法の趣旨を反映した条文であるが、議会にもこの雇用物価の両方への重視が強いことはすでに述べた。このようなダブルスタンダード批判について、バーナンキはここでインフレターゲットの柔軟性を強調し、雇用物価双方にどんなウェイトづけを行っても首尾一貫したインフレターゲットの援用が可能である、と断言している。バーナンキ議長意思が強固なことが伺われる。

 

 今後、アメリカインフレターゲット導入の議論高まることは当然に予想される。この議論高まることによって日本においても同様の議論高まることが予想されよう。実際に政府の一部では強力にインフレターゲット導入を視野にいれた日銀改正論議まで行われようとしているようである。すでに私はこのバーナンキ経済学を通して、日本銀行がその政策説明責任、透明性、そして経済主体の予想形成、ほぼすべてにおいて稚拙な決定の連続であり、また今日においても外的な要因が重なっただけで金融政策レジーム転換なきまま景気回復がある現状も指摘した。簡単にいえば、丸山真男過去に指摘した官僚的な「無責任主義」がまだ日本銀行とその利益団体ともいえる日銀シンパエコノミストに根強い。この無責任主義を打破するためにもインフレターゲットの導入とそれによるリフレマインド形成日本社会にいま最も望まれているように思われる。

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 出口政策が熱い?!(その2) 2005-11-29 | Weblog

 

お待たせしました。続きです。(その1はこちら)

 

●出口政策理論的基礎―ニューケインジアンモデル

 

 出口政策理解するためにはやはりそれなりの理論的なフレームで考えなくてはいけないだろう。例えばバーナンキ次期FRB議長日本デフレ脱出に、エガートソンとウッドフォード経済学モデルを援用して、インフレ目標政策物価水準目標の合わせ技を提案した(ベン・バーナンキリフレと金政策日本経済新聞社)。以下ではこのエガートソンとウッドフォードモデルの枠組みをきわめて単純化して「出口政策」の理論的基礎とさら現在しばしば話題になる日銀預金残高の超過準備問題という技術的な側面についてコメントしてみたい。

 

 いわゆる「ルーカス批判」以降、政策による期待の変化という問題に耐えられる理論構造もつことがマクロ経済学に求められきた。そのひとつの解が、いわゆる「マクロ経済学ミクロ的基礎」である。「ルーカス批判」以後、マクロ経済学プログラムはこの「ミクロ的基礎付け」をRBC(実物景気循環論)モデルとニューケインジアンモデルの大まかふたつの方向で深化してきた。両者はいまでは見分けがつかないほど交じり合ってしまった。例えばバーナンキらの理論では長期においては市場自律的調整機能を信頼しているため、長期的スタンスをとれば例えば失業が深刻であっても市場の調整能力にまかせる、という選択最初から排除するものではない。しかしもちろんこのような態度は、バーナンキらの積極的に認めるところではなく、実際問題として不況が深刻であったり、極めて高いインフレが起きているとき政策介入を強くすすめることで社会的コストを避けるというのが、いわゆるニューケインジアン立場であろう。

 

消費者の行動(New IS曲線

 

 バーナンキらはまずマクロ経済を考える上で、家計消費者)の行動、企業の行動、そして金融政策担当する中央銀行の行動を主要なプレイヤーとして考える。それぞれのミクロ的な行動が経済マクロ的動向に影響を与えていくと考えるわけである

 

 まず消費者自分効用(満足)を最大化するために行動する。その際に予算の制約をうけるわけであるが、その制約の変化に対してなるべく消費を平準化スムージング)して行うことが最適な対応である、とこの消費者は考えているとしよう。消費の平準化というのは、今期(現在)と来期(将来)の消費量をあまり変化させずに似たような量だけ消費し続けることを意味している。例えば今期、クリスマス家族恋人プレゼントをするために消費を増やせば、それに対応して将来の消費を減少させることで、期間を通じてみれば消費は一定水準にあるというわけである。例えば経済全体の景気がよく将来的に家計所得が通常の場合よりも増加すると期待されたとしよう。このような状況を期待産出量ギャップが拡大したと表現する(あるいは期待拡張ギャップ存在とも表現可能)。将来の所得が増えると期待されるので、この家計はそれを見込んで現在の消費を増やすことで平準化を行おうとするだろう(そうしないと予想通りに将来の所得が増えた場合、将来の消費の方が今期にくらべて過大になってしまうので)。

 

 この状況は先の例でいえば、会社の成績が良好で、ボーナスの増額が望めるために、クリスマスプレゼントはその将来のボーナスで返済することを見込んで、ローンまでして高めのプレゼントを購入することに似ている。すなわち将来の期待産出ギャップ(期待される将来のボーナスの増加)が現在の産出ギャップ(ローンをすることでの現在所得の増加)に反映されることになる。このように家計の消費行動は「来期の産出量ギャップの予想」に依存している。

 

 さら家計は今期の消費と来期の消費をバランスするために現在の実質利子率を参考にするだろう。現在の消費を我慢して貯蓄するには、その貯蓄が経済的に見合うものでなくてはいけない。その報酬として実質利子率が付されるとも考えられる。そしてこの実質利子率が増加すればそれだけ消費者現在の消費よりも貯蓄を選ぶだろうし、また反対に実質利子率が低下すれば将来の消費よりも現在の消費を選ぶであろう。また家計のローンの負担も実質利子率が低下することで軽減され、そのことがローン契約耐久消費財の購入を促すことが知られている。すなわち消費者の行動は「今期の実質短期利子率」に依存している。

 

 ニューケインジアン経済モデルではこのような消費者の行動をIS曲線(New IS曲線)と表現して現在所得のあり方(産出高ギャップ)に、今期の実質短期利子率と将来の産出量ギャップが影響を与えると考えるわけである。ちなみに伝統的なIS曲線と同じように、今期の実質短期利子率と今期の産出量ギャップとの関係は右下がりの曲線に描くことができる。

 

企業の行動(ニューフィリップス曲線

 

 次に企業の行動をみてみよう。ニューケインズ経済学では企業価格設定行動も経済環境の変化に対して緩慢にしか変化することはせず、そのため価格粘着性という現象一般的であると主張している。この価格粘着性を説明するためにケインズ経済学企業代表的イメージとして「独占的競争モデル」を採用する場合が多い。経済学の想定する市場典型的な姿は、完全競争と独占である。完全競争市場では、多数の売り手と多数の買い手が、お互いに市場価格シグナルとして販売・購入活動を行っている。価格資源配分有効に行うと想定しているので、この完全競争市場では売り手と買い手はプライステイカーとして行動する。他方の独占市場では、売り手もしくは買い手ないし双方が市場価格コントロールする力を保有しており、独占市場では完全競争市場にくらべて、価格はより高く、取引される財・サービスの量は少ない。独占市場は完全競争市場に比べると資源の非効率的な配分が行われている。

 

 しかしこのような両極端な市場の姿よりも、次のような市場のあり方の方が一般的ではないだろうか。例えば近所の本屋にいけば、さまざまなビジネス雑誌販売されている。そしてそれぞれのビジネス雑誌は、特集する記事が異なったり、価格も各出版社独自色を打ち出してライバル雑誌に負けないとしているように思える。またどの出版社でも自由ビジネス雑誌を発刊することができ、自由にそれを辞めることができる点でも、完全競争市場の特徴を持っている。

 

 このようなケースは、なにもビジネス雑誌だけではないだろう。私たちは、完全競争と独占の両方の特徴を持った様々な財・サービス―例えば、書籍映画パソコンソフトレストランコンビニケーキ車など―を日常的に目にしている。経済学では、このような財・サービス市場を「独占的競争市場」と名づけている。独占的競争とは、同質ではないが類似した財・サービスを売る多くの企業存在する市場だということができるだろう。独占的競争市場では、たくさんの企業が同じ顧客相手競争を繰り広げている。その一方で、個々の企業が、他の企業と異なる製品供給している。これを製品差別化という。また同時に参入・退出が自由である

 

 完全競争市場では市場で決まった価格販売すればすべての財は売りつくされる。他方で独占的競争市場では、企業は「右下がりの需要曲線」に直面している。これは企業価格コントロールできるが、もし価格を上げれば需要は減り、下げれば需要が増加するという市場環境に直面していることを意味している。この結果、この独占的競争企業は若干の独占力を有しているために、限界費用を超える価格を自ら設定することができる。この限界費用というのは、財やサービスを追加的に一単位製造するときに要する費用のことである経済学ではこの「限界」的な単位消費者企業選択判断する。例えば、企業は売り上げ全体の動向と価格をみて供給を決定するのではなく、新たに一単位生産するときコストとその販売価格の大小関係で意思決定を行う。

 

 例えば『冬ソナ』のDVDを一冊追加的に生産するコスト(=限界費用)が1000円だとすると、この独占的競争企業は5000円で市場での販売可能になるということである限界費用価格との差額は、この企業にとっての「マークアップ」(超過利潤とイメージしてもいい)を得ることが可能であることを意味している。この超過利潤の獲得を目的にして、多くの企業がこの市場に参入する。もちろん独占的競争企業製品差別化によってこの熾烈な競争に打ち勝とうとするだろう。独占的競争市場では、このような熾烈な競争の結果、長期的には利潤がゼロになることがしられている。そしてこのような熾烈な競争に生き抜くために、企業製品差別化をはかり消費者需要喚起し、その有効手段とし広告ブランド戦略などを展開しているのである

 

 ところで独占的競争企業価格設定を自ら行うことができるが、市場の動向に合わせて絶えず価格を変更しているわけではない。価格の変更に伴うコストメニューコスト)が発生するために頻繁に需要の変化に応じて価格修正することはしない。そのためメニューコストを原因とする価格粘着性が広く観察される。また価格改訂する企業が増加するにしたがって、この価格粘着性は緩んでいくと考えられている。この価格の変更に企業は今期の産出高ギャップをまず参考にする。これはいままでの議論では需要供給よりも多いと考えられるならば企業価格を上昇させるように改訂するだろう。また他方で将来のインフレ率の予想も重要である。なぜなら上記マークアップ名目額よりも各企業はその実質値に注目すするからである。将来獲得したいと期する利益に将来のインフレ率の動向が大きくかかわるわけである。まとめると企業価格改定行動は、今期の産出高ギャップと、来期の期待インフレ率依存している。経済全体でみれば現在インフレ率は期待インフレ率と産出高ギャップに影響される。この関係表現したのがニューフイリップス曲線という。

 

中央銀行の行動(テイラールール

 

 さら中央銀行金融政策ルールテイラールールの形で導入するのが一般的であるジョン・テイラーグリーンスパン率いるFRB金融政策の行動を「テイラールール」という形で表現することに成功した。テイラーによるとFRBは産出量ギャップ(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)とインフレ率に反応して利子率を設定しているというものであるテイラールールもっと古典的形式は産出量ギャップインフレ率を均等に重きを置いて考慮する政策スタンスを採り入れたものとなっている。

 

名目利子率=0.01-0.5(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)+0.5×目標インフレ

 

である。このテイラールールを用いると、産出量ギャップが0.01、目標インフレ率を0.02だとするとFRBは0.5%利子率を引き下げて、景気の後退を防ぐことがわかるだろう。このテイラールールグリーンスパン率いるFRBの動きをかなりうまく説明することができるといわれている。

 

 ところで中央銀行経済にふりかかるさまざまなショックから国民経済厚生を守るために行動するとみなされている。いま国民経済厚生を最大化するような中央銀行を考えて、この中央銀行が考えている経済厚生の損失の最小化が、そのまま国民経済厚生の損失の最小化になると考えるとしよう。中央銀行国民経済厚生の最大化(あるいは損失の最小化)をきちんとフォローできると考えるわけである

 

 このとき中央銀行経済厚生を最小化するための目的関数を「損失関数」といい、これは簡単にいうと今期のインフレ率と今期の産出高ギャップを足したものである。この「損失」を下の(a)(b)(c)のもとで最小化するのが、この経済にとってもっとも望まれる=最適と考える。

 

(a)New IS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存する 

(b) ニューフィリップス曲線では、今期のインフレ率が(1)今期の産出量ギャップと(2)来期の期待インフレ率依存する

(c) 中央銀行目標名目短期利子率を決めるにあたって(1)今期の産出量ギャップ(2)目標インフレ率を参照する。

 

 ところで上の意味での最適な中央銀行金融政策を考える上で重要ものが「コミットメントである。これは中央銀行金融政策目標達成への力強い政策的態度をしめす言葉といえる。具体的な目標について責任を持って期間内に達成することを約束することであ。例えば未達成の場合には具体的な形で責任をとる(ペナルティをとる)と考えて同じで効果を発揮する。このコミットメントを行うことが経済活動するさまざまな主体家計企業市場関係者)の予想に影響を与える。

 

 例えば、先の(a)のIS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存していて、さらに来期の産出量ギャップは(1)'来期の実質短期金利と(2)'来来期の産出量ギャップの予想に依存していて以下同様に…となると、結局、今期の産出量ギャップは将来の実質短期金利依存することになる。ニューケインジアンは産出量ギャップの変動を経済変動で重視しているので、これは将来の金融政策のあり方(=将来の実質短期金利をどうするか)への予想が決定的に重要になるということになる。

 

 「産出量ギャップ」という表現が苦手な読者は、消費者でいえば(借り入れのケースを含む)所得企業でいえばマークアップと考えてみればいいだろう。いまのサラリーの額や企業利益中央銀行現在から将来に向けての政策態度に影響されるというのがニューケインジアンモデルもわかりやすい含意だ。

 

 このような将来が現在規定するという考え方をフォワード・ルッキングという。このようなフォワード・ルッキング経済構造では、経済主体の予想に影響を及ぼすコミットメントいか重要になるかが分かるであろう。

 

●出口条件を考える

 

 さて出口政策の条件を考えるには上の(a)(b)(c)のもとで損失関数が最小化するように計算をしなくてはいけない。しかしここでは直観的な説明を行う。渡辺努岩村充氏の『新しい物価理論』(岩波書店)で用いられた仮設例を利用したい。この仮設例の面白いところは上記までは顔を出していない長期利子率の動きをフォローすることができることである現在の出口政策にかかわる議論が長期利子率のオーバーシュート財政危機の拡大?)への懸念にあることを思えばその重要性がわかるであろう。ちなみに以下では金利の期間構造モデル採用して、長期利子率は将来の短期利子率の予想値に依存していると考える。すなわち単純化して足元の長期利子率は、足元の短期利子率と次の期の短期利子率の単純平均とする。また産出高ギャップは長期利子率に反応すると考える。あとでわかることだが、長期利子率は短期利子率の予想へのコミットメント誘導されて決定されるのでいままでの議論と同じである

 

 いま三期間(0,1,2期)を生きる経済を考えよう。第0期はデフレ流動性の罠に陥ってるとする。現代版の流動性の罠バーナンキらは名目短期利子率がゼロ(=利子率の非負制約)であると考えている。そして第1期と第2期では経済回復しているとする。このとき渡辺岩村の仮設

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 出口政策が熱い?!(その1) 2005-11-16 | Weblog

 福井総裁量的緩和解除は来年春、と匂わせた発言に反応するかのように、政府与党から日銀の早期量的緩和解除をけん制する発言が相次いででてきた。中川政調会長日銀法の改正政策カードでちらつかせて、日銀デフレ対策が不十分であることを批判している。また安部官房長官もそれに呼応するように、日銀政府協調して財政再建のためにもデフレ脱却して、自然増収での財政基盤の健全化への寄与が実現されるべきだとこれもまた日銀牽制した。この種の発言はいずれもなにか具体的な政策に直結しているわけではないので、それ自体どうこうというわけではない。しか日銀の出口政策量的緩和解除をめぐる議論は今後も政治的話題として沸騰していく可能性があるのかもしれない。

 

 そもそも出口政策をめぐっては、1)前提条件であるデフレ脱却をし、0%以上の安定的インフレ率を維持できるのか? 2)出口政策技術的な難しさ の二点から問題が提起されている。最初の点については、『日経公社債情報10月24日号で匿名記事末吉名義の記事)「日銀ウォッチ デフレ脱却論議の謎」において、きわめて説得的な議論が行われている。日銀インフレ率の目安として採用している日本式アインフレ(生鮮食品を除く消費者物価指数)の前年比上昇率はゼロ近傍であり、このためデフレ脱却は難しく、デフレ脱却のためにはインフレ目標政策が一段と必要である、という趣旨の論説である

 

 この主張の背景には、伝統的なCPI上方バイアス存在(すなわち1%程度物価インフレにふれて計測されてしまう)と、さらにコアインフレ率をおしあげているのは石油関連商品であり、この上昇はピークアウトをむかえる可能性が大きく、そのインフレ率に与える押し上げ効果は0.4%程度にとどまると予測されること。そしてこの石油関連商品の影響を除外すると、インフレ率はマイナス0.5%程度であり、さら上方バイアス考慮にいれるとマイナス1~1.5%程度となる、と末吉論説は指摘している。これは非常に周到な分析であり、今日日本経済が決してデフレ脱却を確実にしているわけではなく、むしろ不確実なものであることを示している。

 

 さら安達誠司氏の『デフレはなぜ終るのか』(東洋経済新報社)では、1930年代アメリカデフレ脱却時の出口政策からの教訓をもって、今日の出口政策論議警鐘を鳴らしている。安達氏によれば、当時のアメリカ財務省主導によるドルの減価政策により「レジーム転換なきリフレ」を実現した。このレジーム転換とは、中央銀行であるFRBデフレ脱却のために従来の金融政策スタンスを転換して、超金融緩和政策コミットするというゲームルールの変更として理解される。しかしこのようなレジーム転換がない、すなわち従来の事実上デフレ継続的金融政策スタンスのままに、この「レジーム転換なきリフレ」に直面したため、FRB政策当事者には早急な出口政策模索(当時の異例な低金利政策放棄超過準備リスクマネーとして高インフレに転じる要因になることへの懸念さら株価の急騰をバブルとする警戒感が存在していたことの半面といえる)があった。そしてインフレ率はプラス推移であったにもかかわらず、FRBの早急な出口政策採用によりふたたびデフレに戻ってしまったと指摘している。

 

 安達氏によればこのようなデフレに舞い戻る経済脆弱性を克服するのには、中央銀行デフレ脱却にむけたレジーム転換へのコミット必要さらに実現されたインフレ率という「変化率」への注目だけではなく、それ以上に「水準」が重要であるとしている。本ブログでの「バーナンキFRB議長就任日本リフレ」(10月28日)で紹介した物価水準ターゲット重要である。すなわちデフレに陥る前のインフレ率(たとえば1%や2%)が現在継続していたらどうなるのか、という物価水準経路を考えて、その経路と現実物価水準の経路のギャップを解消していくという考え方である

 

 日本現在景気回復デフレスパイラル的状況からのとりあえずの脱出は、2003年から2004年初頭にかけての財務省の空前の為替介入と(予期せざる?)日銀マネタリーベースの増加がタイミング的に数度重なるという「非不胎化介入」の結果である(詳細は田中秀臣経済論戦の読み方』(講談社現代新書)参照)。すなわち日銀としては明確なレジーム転換が不在であり、あくまでも財務省主導という点で、戦前アメリカのケースに近似していると、前掲の安達氏は指摘している。これは有益歴史からの教訓である

 

 そのため今日日銀はまさに戦前FRBと同じように、出口政策に関わる発言において、「インフレ心理」への懸念を示したり(まだデフレなのに!)、インフレ「率」にのみこだわり、前記したようなリフレ過程には関心を示すことはまったくない。また日銀政策理解を示す衆議院議員佐藤ゆかり氏のように「中小企業家計部門オーバーリスクテイクの状況から守ることが大事で、量的緩和政策は速やかに解除すべき」「日経公社債情報」(10月31日)とコメントしているのも、戦前と同様に超過準備が高インフレ資産価格の急騰(バブル?)をもたらすことへの「懸念」と基本的には同じものであろう。

 

 本格的なリフレ政策採用と連結しないかぎり、デフレ脱却の道のりはかなり不安定ものであることは否めないのではないか。そして出口政策採用への日銀の現状の早すぎるコミットへの懸念は募るばかりである。(その2)では、仮にデフレを脱却(不安定であってさえも)した場合採用されると考えられるいくつかの出口政策について考えてみたい。

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