はてなキーワード: 法人税とは
毎回この手の言い訳出るけど、要するにこう言ってるだけなんだよな。
「増税はした。でも本当はやりたくなかった」
「決めたのはみんなで決めた」
「悪いのはその後の運用だ」
その事実は消えない。
「仕方なかった」「協力が必要だった」は
野党になったら反対側に回る。
結局、
民主党はあくまで社会保障改革ありきで財源として消費税増税やむなしだったけど
結果として三党合意となったわけで民主党が単独で増税を決めたわけではない
日本基督教団においては、宗教団体としての名目(信教の自由・宗教活動)と、実態(政治的抗議活動・平和学習プログラムの供給)との乖離が、成立しています。グレーゾーンを最大限活用してると説明できます。
日本基督教団(UCCJ)は宗教法人法に基づく宗教法人。牧師の活動は「伝道」「社会正義の実践」「祈りと行動の一致」と位置づけられ、献金・謝儀で支えられます。
社会派牧師(金井創氏など)らは、抗議船運航、座り込み参加、特定団体との連携、修学旅行向けプログラム提供を職業的に継続。これを「信仰の実践」として教会会計・研究所報酬で賄う。
この乖離は、宗教法人法の緩やかな監督と税制優遇が支えています。
抗議船「不屈」の購入費も全国教会からの募金で賄われました。これが「伝道活動」の一環と解釈されれば、宗教法人の枠内で政治色強い活動が持続可能です。
◦ 宗教法人法81条(解散命令)は「法令違反で著しく公共の福祉を害する場合」に限定され、運用は極めて慎重(オウム・旧統一教会級でないと発動しにくい)。
◦ 憲法20条(政教分離)は「宗教団体が政治上の権力を行使してはならない」とするが、個別牧師の抗議活動や「平和教育」提供までは「政治的権力行使」とまでは認定されにくい。
◦ 教団内部ガバナンスが弱く(教会自治が強いため)、社会派活動を教団全体で抑制しにくい構造です。
政治活動が「宗教的実践」と主張されれば、税制優遇を享受したまま活動が可能になります。批判者はこれを「間接的な公的補助」と見なし、課税強化論(宗教法人全体の見直し)が度々浮上します。
現行法上、牧師個人の政治的言動や市民活動自体は禁止されていません。教団も公式に「社会正義」を掲げています。
宗教法人格と税優遇を「隠れ蓑」にして、教育基本法第14条(政治的中立性)や学校安全管理をすり抜けるような運用が、長年放置されてきた点。事故で表面化した「外部丸投げ平和学習」は、この乖離の典型例です。
この構造は日本基督教団に限ったものではなく、社会派宗教団体全体に共通する課題です。事故後の文科省通知・学校調査は、宗教団体自体の監督強化(ガバナンスや税制見直し)までは及んでいません。
本当に腐敗してるなら、
https://honkawa2.sakura.ne.jp/4640.html
https://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf
なんて状況になる訳が無い。
--- ここから続き ---
https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2507/30/news002_2.html を読むと分かりますが増田のサイトで挙げてる数字は元々2倍(65歳以上では3倍)位あるのを再配分で抑えた結果の値です。
https://www.mhlw.go.jp/content/12600000/001532334.png (https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21511.html)
https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/special_account/r8yosan_kibo.pdf
を見ての通り、使途は社会保障給付と主に保険料の不足穴埋めで生じた国債費が殆どです。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/a04.htm#a02
↑を見ると法人税を下げたタイミングで財政赤字を含む負担率=増田の言うところの真の負担率が急上昇してるのが見て取れますが、これは要するに法人税軽減を消費税ではなく国債で穴埋めしたのです。
また法人税を上げれば負担率も当然上がるので、法人税軽減と負担率の高さの両方を批判するのはダブルバインドってやつです。
とりあえずここまで。思い付いたら追記する。
「なぜ、この極めて保守的でレガシーな国が、今さら最新のデータ分析基盤(KSK2)に巨額の予算を投じてまで本気を出しているのか?」という疑問だ。
これまで、国が「金を取る場所」は主に大企業(法人)だった。しかし、グローバル化が進み、法人は「拠点を移す」「複雑なスキームを使う」ことで簡単に課税を逃れるようになった。
国家の判断: 「法人は逃げるが、個人(特に国内に資産や家族を持つ不裕層)は逃げ場が限られている」という結論に至った。
KSK2の狙い: 法人税ではなく、**個人の所得税・相続税を「一滴も漏らさず回収する」**ために、AIとマイナンバーをフル活用した網を張ることにしたんだ。
欧米の付加価値税(VAT)と日本の消費税は、どちらも「消費者が負担し、事業者が納付する」という点では共通していますが、法的な位置づけや計算の仕組み、そして人件費への影響において決定的な違いがあります。
特に日本では「預かり税」ではないという法的判断が確定しており、これが経営戦略や雇用に独特の影響を与えています。
欧米のVATと日本の消費税の最大の違いは、それが「預かり金」として法的に定義されているかどうかです。
欧米の付加価値税(VAT)は、消費者が支払った税金を事業者が一時的に預かっているという「預かり金」的性質が非常に強い制度です。
インボイス(適格請求書)の徹底: 請求書に記載された税額がそのまま「預かり金」として管理されます。
税務当局の視点: 事業者が預かった税額から、仕入れ時に支払った税額を差し引いて納付します。これは「預かった分を清算する」という手続きです。
日本の最高裁判決(平成2年)などにより、消費税は「預かり金」ではないと明確に否定されています。
対価の一部: 法律上、消費税は「商品価格の一部」であり、消費者が事業者に支払うのは単なる「代金」です。
直接税的な側面: 事業者は「預かったものを収める」のではなく、「自分の売上から計算した税金を、自分の利益の中から支払う」という形をとります。そのため、赤字であっても納税義務が生じることから、「人件費や利益に対する直接税」に近い性質を持っています。
この「性質の違い」が、企業の「人件費(給与)」に対する姿勢を大きく変えています。
外注費: 課税仕入れになる(=支払った消費税分を控除できる)。
この仕組みにより、企業が人を直接雇って「給与」を払うよりも、外部に「外注」して仕事を回す方が、納める消費税が安くなる(節税になる)という逆転現象が起きます。これが日本で「非正規雇用」や「業務委託」が増える構造的な要因の一つと言われています。
欧米では消費税(VAT)の税率が高い(20%前後)一方で、その多くが社会保障(教育や医療)の財源として明確に紐づけられている国が多いです。
人件費への影響: 欧米でもVATは人件費控除の対象外ですが、日本ほど「外注化による節税」という議論が加熱しないのは、法人税や社会保障負担の仕組みが日本と異なり、雇用に対するトータルコストで判断されるためです。
日本の消費税は「預かり税ではない」とされることで、以下のような課題が生まれています。
「消費税をなくすって簡単に言うけど我々法人が半年ごとに支払ってる数千万の消費税も払わなくていいってことになるんやで?個人だけはなくなって、法人だけ払えて?そんな零細・中小企業がブチきれることはできんやろwその法人が払ってる消費税の財源はどこからもってくるん?」
…とか言ってる人を見掛けたけれど。
いやいやいやいや……法人、というか企業は消費税を「払って」なんかいないでしょう。
消費税を「払って」いるのは文字通り、我々個々の消費者だよ。個々の消費者が自分達の家計を削って支払っているのが消費税。企業はそれを立て替えているだけ。本当の意味で払っている訳ではない。
and so on....
甘っちょろいこと言ってんじゃねえよ。国粋主義の皮をかぶった甘えん坊が。
外資に買われるのが嫌だ? 笑わせるな。資本の本質は「誰が持っているか」じゃねえ、「誰が一番効率的に運用できるか」だ。
もし外資が日本の企業を買うってんなら、それはその外資が日本人経営者よりもその資産をうまく活用できると判断したからだ。
投資家が金を出すのはボランティアじゃねえ、利益を出すためだ。効率的に運用されれば、巡り巡って雇用も守られるし、サービスも向上する。
それを「国が抱え込む」だと? 経営センスのない役人が口を出して、国民の血税をドブに捨てるのがオチだ。
東芝が優良事業を売ったのはアホだからじゃねえ。過去の経営の失敗のツケを払わされただけだ。
自由市場ってのは、失敗した奴には相応の報いを与える場所なんだよ。
不採算な部門を抱え続け、粉飾まがいに手を染めたツケを、優良資産を売って清算する。これは「資源の再分配」という市場の浄化作用だ。
それを「国が助けてやりゃよかった」なんてのは、カンフル剤を打ち続けて死体を動かそうとするゾンビ製造計画と変わらねえんだよ。
「国が投資したほうがいい」なんて簡単に言うが、その金はどこから出てると思ってんだ? 全部お前ら国民のポケットから無理やり奪い取った税金だぞ。
民間の投資は自分の金でリスクを取る。失敗すれば自分が腹を切る。
政府の投資は他人の金(税金)で、他人の事業に口を出す。失敗しても誰も責任を取らねえ。
政府が投資に関われば関わるほど、政治家への「おねだり」が上手い企業だけが生き残る。そんな「縁故資本主義」に未来があると思ってんのか?
外資に売られるのが悔しいなら、国に泣きつくんじゃねえ。日本人がもっと稼いで、もっと賢くなって、外資より高い値を付けて買い戻せばいいだけの話だ。
政府ができる唯一の貢献は、余計な規制を撤廃し、法人税を下げて、誰もが投資したくなるような「自由な戦場」を整えること。それ以外は全部、成長の邪魔なんだよ。
日経新聞の「投資なき還元」に関する記事が話題になっているけれど、ブックマークコメントなどを見ていると、内部留保(利益剰余金)の概念について根本的な誤解をしている人が多いように見受けられる。
感情的な議論に終始して、的外れな解決策(内部留保課税など)が支持されてしまうのは建設的ではないので、会計・経済の観点から「よくある間違い」を3点ほど整理してみたい。
一番多い誤解は、「内部留保=企業が金庫に貯め込んでいる現金」という認識だ。
会計上、内部留保(利益剰余金)は貸借対照表(B/S)の右側(純資産)に計上される。これは「過去の利益のうち、社外に流出させなかった累計額」という「記録」に過ぎない。
一方で、そのお金が実際にどう運用されているかはB/Sの左側(資産)を見る必要がある。
多くの企業において、内部留保はすでに**設備投資、店舗、ソフトウェア、原材料、あるいは買収した子会社**といった形に姿を変えている。
「内部留保があるなら賃上げに回せ」という主張は、家計に例えるなら「君の家は資産(持ち家)があるんだから、それを切り崩して今月の食費を増やせ」と言っているのに近い。物理的な現金がそのまま余っているわけではないことに注意が必要だ。
「内部留保に課税して外に吐き出させろ」という意見も根強いが、これは二つの意味で危うい。
まず、内部留保はすでに法人税を支払った後の「税引き後利益」の蓄積だ。ここにさらに課税するのは二重課税にあたり、税体系の公平性を著しく損なう。
次に、経済的なインセンティブの問題だ。もし内部留保に課税すれば、企業は「利益を社内に留めて再投資に回す」ことをリスクと見なすようになる。
結果として、成長のための投資を控えるようになり、むしろ税金を逃れるために**手元の現金をすべて自社株買いや配当に回すという、さらなる「極端な株主還元」を助長する**恐れがある。これは「投資なき還元」を是正したいという本来の目的とは真逆の結果だ。
「株主還元を増やしたから、その分賃上げが抑制された」という議論も多い。
確かに短期的・会計的なキャッシュの分配としてはトレードオフの側面があるが、より深刻な問題は「有望な投資先を見出せない経営者の能力不足」にある。
企業が成長投資先を見つけられず、資本効率(ROE等)を高めるために還元を選んでいるのが現状だ。
ここで「還元の規制」や「内部留保へのペナルティ」を課しても、企業の投資意欲自体が低いままでは、日本の産業競争力はジリ貧になる。叩くべきは「利益の蓄積」そのものではなく、その利益を使って「新しい価値を生み出せていない経営判断」であるべきだろう。
「企業が金を溜め込んでいる」というイメージは分かりやすいが、会計の実態とは乖離がある。
1. 内部留保は「資産(設備など)」として運用済みであるケースが多い。
2. 安易な課税論は、投資抑制と極端な還元を加速させるリスクがある。
3. 議論の本質は、分配の是非以上に「成長投資の欠如」にある。
肌感として、これまでは「消費税は逆進性があって良くないので無くし、所得税や法人税を増やしましょう」という論をよく見たのに対し今回の選挙中からは「消費税こそ格差を無くすために必要な税でむしろ増やすべき」という論をたくさん見る気がする
いったい何があったの?
自民の圧勝と中道の敗北の要因は、高市のカリスマ性だとか、野田の戦略ミスだとか言われてるが、これらは表面的なものに過ぎない。
グローバリズムや情報化によって加速する世界からあぶれる人がどんどん増えている。誰でもいいからブレーキを踏んでくれ、大衆はそう願い続けてるだけだ。
リーマン・ショック以降、その願いは一度リベラルに託された。アメリカでは、オバマが大統領になり、日本では、民主党が政権交代を果たした。彼らなら、資本の暴走を止め、格差を是正し、生活を取り戻してくれるはず、と。
しかし、彼らはブレーキを踏めなかった。TPPの推進、法人税減税、消費税増税。結局のところ、彼らもまた、資本の下僕に過ぎなかった。
そして、今、リベラルに裏切られた願いが保守へと流れている。これは、日本だけの特殊な現象ではない。アメリカにおけるトランプ旋風、ヨーロッパにおける極右政党の躍進。世界的な潮流というべきものだ。
トランプが関税というカードを切ろうとしたように、高市は消費減税や積極財政というカードを切るだろう。これは一見すると、加速をとめるブレーキであるかのように見える。
しかし、そううまくはいかない。資本主義というシステムそのものが加速を求めている以上、誰にもブレーキはかけられない。もし無理にブレーキを踏み込めば、待っているのは財政破綻か、経済の致命的な冷え込みだ。結局、我々は、アクセルを踏み続け、格差と分断の道へと突き進むほかない。
これが単なる杞憂、妄想であればどんなにいいだろうか。しかし、もしこれが現実になったとしたら?
リベラルは失敗した。保守も同じように失敗する。その後に残るのは何か?リベラルもだめ、保守もだめ。政治にこれ以上の選択肢はない。そんな絶望と虚無しかない世界で、我々は何を選択すればよいのだろうか。
マスコミや一部の世論では「宗教法人は税金を払っておらず、優遇されている」という批判がしばしば聞かれます。
しかし、法律の専門的な視点からその実態を紐解くと、そこには私たちの「信教の自由」と「財産権」を守るための、極めて真っ当な論理が存在することがわかります。
今回は、特に重要でありながら見過ごされがちな「宗教法人法第84条」の精神を中心に、課税問題の正論を解説します。
1. 「宗教法人は無税」という言説の誤り
まず、世間に流布している「宗教法人は一銭も税金を払っていない」という認識を正す必要があります。現行法制度下では、宗教法人は厳格に区分けされた課税を受けています。
• 収益事業への課税: 物品販売や不動産貸付など、法人税法で定められた「34の収益事業」から生じた所得には法人税がかかっています。
• 個人への所得税: 宗教法人の代表者や職員が受け取る給与(俸給)には、一般のサラリーマンと同様に所得税・住民税が課され、源泉徴収も行われています。
• 消費税の支払い: 物品の購入時には、当然ながら10%の消費税を支払っています。
つまり、「坊主丸儲け」という批判は、事実を無視した感情論に過ぎないのです。
2. 宗教法人法第84条が定める「聖域」の重み
最も大切なのは、宗教法人法第84条に明文化されている「宗教上の特性の尊重」です。この条文は、国家権力が安易に宗教活動へ介入することを禁じています。
【宗教法人法 第84条】
「この法律の規定中、宗教法人の管理運営に関する規定は、当該宗教法人の宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意して解釈し、且つ、運用しなければならない。」
信者が支払う「お布施(布施)」は、神仏への捧げものであり、サービスへの対価ではありません。これを「所得」とみなして課税することは、信者が既に所得税を払った後の財に再び課税する「二重課税」であり、かつ信仰心という聖なる思いを国が踏みにじる行為に他なりません。
もしお布施に課税すれば、税務当局が「何が宗教活動で、何がそうでないか」を査定することになります。これは、国が特定の宗教活動に介入し、監視下に置くことを意味します。84条は、こうした事態が「信教の自由」を根底から破壊することを防ぐために、当局に「慎重な運用」を厳命しているのです。
資料の中で鋭く指摘されているのは、**「宗教非課税こそが世界の常識」**であるという点です。
アメリカをはじめとする諸外国でも、宗教団体への寄付は所得から控除されるのが一般的です。それは、宗教が担う「人々の魂を救う」という公益性が、国家の提供する行政サービスよりもはるかに深い次元で社会を支えていると認められているからです。
一部の論者は「課税が原則で、非課税は例外だ」と主張しますが、これは逆転した考え方です。
憲法が保障する「財産権」や「信教の自由」こそが本来の原則であり、国が国民の財を奪う「課税」こそが、法律に基づいた限定的な「例外」でなければなりません。
特に、宗教活動における「収益事業」の判定についても、84条の精神に則れば、安易に類推解釈(法律を広げて解釈すること)をして課税対象を広げることは、法治主義の逸脱と言わざるを得ません。
小鮒将人(M.KOBUNA)
@light77
·
私は大反対です。 x.com/tweet_tokyo_we…
合理性を掲げる彼らの実態は、既存の非効率なシステムの温存にほかならない。掲げる看板と中身が完全に矛盾しているからだ。
本来は簡素・公平・中立的であるべき税制において、事務負担が多大な現行消費税やインボイス制度を維持しようとしている。これは納税者に莫大な管理コストと労力を強いるだけでなく、消費行為に課されるペナルティ的なコストを上乗せする構造だ。景気の腰折れを招きやすい欠陥を抱えている。
ベーシックインカムに見られる徴収から給付というサイクルには、必然的に巨額の行政コストが発生する。まさにアーサー・オーキンの「漏れのあるバケツ」そのものだ。減税なら行政コストは省けるのに、あえてコストのかかる再分配ルートを選ぶ選択は非合理としか言いようがない。高コストな給付を選ぶ理由は、行政が市民の生殺与奪の権を握るためだろう。
結局のところ、目的は法人税減税の穴埋めに消費税を充てるという旧来の構造の維持である。デジタルやデータドリブンといった横文字を並べたところで、政治の本質は権力を巡るゼロサムゲームであり、それからは逃れられない。
彼らの言う合理性とは社会全体の最適化ではなく、特定の既得権益層にとって都合の良いポジショントークに過ぎない。今回の選挙で、消費税減税に反発する有権者が首都圏の一部地域に集中している事実が露呈してしまった。
消費者が支払った代金から、10%に当たる金額を、販売者は消費税として納税している。
なら同じことだろうと思うかもしれないけど、全然違う。
ちょっと前にも書いたけど、消費者が支払った代金からは、家賃、仕入れ代金、人件費、備品、機械等々の代金、広告費なども支払われてる。
その意味では、消費者は、人件費も広告費も法人税も消費税も、支払っているように見ることができる。
ただ、家賃のように当初設定を変えるのが難しい費用はあるけど、人件費や備品代、広告費などは、売り上げに応じて倒産しないように調整できる。
賭けを打つなら増額もできる。
いきなり不景気となったら、借り入れをしたりして、延命を図る。
んだけど、消費税は、泣く泣く大赤字で在庫処分した売り上げからすら、10%を強奪していくのだ。
でもでも、販売者は「10%の消費税分上乗せして」売ってるんでしょ? ってレシート見て聞いてくる人がいる。
違う。
上乗せなんてしてない。
できてない。
「この金額、何があろうと国に取られます」「売れた金額のうち10%のこの金額は、赤字であろうが原価割れであろうが、高利貸しから金借りさせられてでも、国に強奪されます」って書かれてるだけなんよ。
酒税とかタバコ税、ガソリン税あたりは「替えが効かないから、それを買う人は、税金上乗せした金額で買う」し、「その金額で売っても買ってもらえる」から成り立つのよ。
足も早くないし。
でも、「チーズバーガーセット高いから松屋の牛丼で」って、他で代替可能な一般消費財は、「馬鹿正直に上乗せしたら売れない」ので、ギリギリまで安くしないと、そもそも売り上げが立たない。
売れる金額はだいたい決まってんのよ。
ってシワひとつもなさそうなつるっつるの脳みそで、大して考えもせずに偉そうに言ってくる手合いもいるんだけど、それやったら「ソ連みたいにおいしくもないくせに価格だけはむちゃ高い店が一店舗しかない、選択の余地のない縮小経済」に収斂するぞ。
1店舗しか生き残らず、生き残ったその店舗は競争がなくなって何の経営努力もしなくなるから。
買うものなんて毎日ほぼ変わらない、って国なら、消費税は何とか成り立つだろうけど、買う側の自由だけじゃなく、働く側の自由も存在しない、ってのは理解しておくべきだろう。
今の「消費税」に対して、昔は「物品税」ってのがあって、贅沢品に特別に課税されていたわけだが、その当時はその税金を払ってでも買う、という人が存在したから成り立っていた。
限られた人しかしない贅沢品の購入にかけるより、全ての人が絶対にする一般消費財に税金をかけた方が、確実に税収は上がる。
数字上は。
と、東大法学部卒のアホどもは「俺っち、頭いいー」って考えたんだろうな。
お金を、市中で再投資などによって回転する前に、回収してたら、経済は回らねーんよ。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
まだそれでも、人件費は計算根拠からさっ引いてくれればまだ何とかなったんだ。
それがないから、人直接雇用すればするほど、納税額が上がっていく「罰ゲーム税」になっている。
しかも頑張って国内の経済を回してる会社には、輸出還付金で戻ってくることもない。
他方、国内の労働力使っていながら、輸出したら納税を免れるって、どう考えてもおかしくねぇか?
どこぞの党が偉そうに宣ってるような「社会保障費が問題」なんじゃない。
財務省のレクを受けて、簡単に丸め込まれた程度の頭の持ち主じゃないかよ w
3%程度なら、まだ何とか経営努力で吸収できただろうけど、10%とかさ。
今は何とかペイみたいなつまらん仕組みで2~3%、手数料で取られるんだから。
これで近い将来、12%,15%,20%って、お前らマジで経済理解してんのか? と。
消費税の税率と、法人税の税率の、国内企業に与える影響違い、理解してるか?
ってことなんよ。
今の仕組みは、小さくて不安定な中小企業を、景気の波の影響から国を守るための緩衝材にしてるんだよ。
そんな中小企業はどんどん潰れろって、どこ行ってもマック、松屋、日高屋みたいな店しかなくて、誰もがそこのパートアルバイトとしてしか働けない、って未来がバラ色の未来か?
「減税」合戦、その先は自己責任社会でいいのか 奪い合わない選択は
NPO法人POSSE代表理事・岩本菜々=寄稿2026年2月7日 9時00分
だが、こうした状況に対して、社会の多くの人は無関心である。それどころか、権利を要求する生活保護受給者をたたき、切り下げを積極的に支持していくような雰囲気すらある。こうした世論があるからこそ、国が司法の判断を軽視することが可能になっていると言ってもよいだろう。物価高騰にともなう社会全体の貧困化は、賃上げや社会保障の拡充要求へと向かうのではなく、むしろ「自分たちの生活を守るために他者を切り捨てる」という意識を広げているように思われる。
これを象徴するのが、現在行われている選挙で各党が掲げる「減税」合戦である。たしかに減税を行えば、多少なりとも手取りは増えるかもしれない。しかしその結果として社会保障が削減されることになれば、よりいっそう自己責任が強化された社会が待っている。
昨今の選挙では、外国人が社会保障に「ただ乗り」し、日本人の納めた税金を奪っているという主張や、高齢者の医療費負担が若者の生活を圧迫しているといった主張が人々の共感と支持を得ている。
私たちはこのまま、自分の生活を防衛するためなら他者を切り捨てることもいとわない、冷たい社会へとつきすすんでいくほかないのだろうか――。本稿では生活保護切り下げや「減税」合戦がもたらす現状を分析し、そこから抜け出す可能性を考えていきたい。
上がり続ける物価、夏場は生きるのがつらい
いま、私が代表を務めるNPO法人POSSEも含む支援団体で行っている生活相談会では、生活保護受給者からの相談が急増している。全国の支援団体や弁護士が連携し年3回開催する「なんでも相談会」の埼玉会場では毎回食料配布を行っているのだが、この2年ほど、生活保護を受給している人が食料を求めて列に並ぶことが増えてきた。
たとえば、25年春の相談会では、生活保護費と年金で生活する80代の夫婦が、朝早くに訪れた。2人は、生活保護費が足りず、食事を十分に取れずに痩せ細っていた。特につらいのはエアコン代のかかる夏場だという。電気代を払うと食費が足りなくなってしまうため、1日1食、安いせんべいを買って水に溶かして食べて空腹をしのいだり、コッペパンを3等分して食べたりして乗り切った。妻は、ひと夏で体重が4キロ落ち、夫はレタスもかめないほど衰弱してしまったという。
生活保護費が足りずに亡くなったと思われる方も出てきている。生活保護引き下げ違憲訴訟の集会では、生活保護を受ける当事者から「エアコンが使えず、生活保護を受給していた仲間が熱中症を発症して亡くなってしまった」という報告を、昨年だけで2回聞いた。亡くなったうちの1人は東京に住む女性で、もう1人は神奈川で生活保護裁判の支援もしていた男性である。
5年ほど前までは、失業した人や、病気で働けない人も、生活保護につなげばなんとか命を守ることができた。だからこそ、相談会でも「生活保護につなげる」ことが一つの目標だった。しかし、生活保護の減額が維持されたまま、物価が上がり続けていることで、生活保護を受けても生存が守られなくなりつつある。
セーフティーネットが十分に機能しない社会では、生活を維持するためには、ひたすら自己責任で働き続けなければならず、ひとたび病気になったり、高齢により就労が難しくなったりしたら、途端に死への恐怖と隣り合わせになる。その残酷さを、日々現場で実感している。
選挙で繰り広げられる「減税」合戦は、こうした状況に拍車をかけている。この数年は、減税による「現役世代の手取り増」が焦点化されてきた。この主張は、一部の政党の公約では、外国人や高齢者などへの社会保障削減と表裏一体の形で展開され、人々の支持を集めてきた。
たとえば、国民民主党や日本維新の会は、現役世代の保険料負担を軽減すると同時に、高齢者の医療費負担の引き上げを公約に掲げている。さらに、参政党は「終末期における過度な延命処置に高額な医療費をかけることが国全体の医療費を押し上げる要因の一つとなっている」として、尊厳死の法制化を公約に掲げているほか、外国人への生活保護の支給停止も訴えている。
大胆な減税への要求と、「税金を食い潰している」として高齢者や外国人などを攻撃する排外的な主張が支持を集めるなか、高市政権下ではすでに、様々なセーフティーネットの切り下げが検討されている。たとえば厚生労働省は、高額療養費制度の見直し案として、所得に応じて27年夏までに自己負担の月額上限を7~38%程度引き上げる案を提案している。さらに25年12月には、維新と自民党が、市販薬と成分が似ているOTC類似薬について、約1100品目について25%の患者負担増とすることで合意した。
減税合戦がエスカレートすればするほど、「次は誰を切り捨てるか」ということが問われ、不断に排除と分断が生み出されていく。
なぜなら、法人税増税、富裕層増税などが実現されないまま減税によって貧困を克服しようとすれば、「では、どの支出を削るのか?」という問いは避けられないからだ。そうした構図の中で、排除の線引きが、「外国人労働者」「高齢者」「難病患者」など、様々な形で引かれていく。
この構図を見て私が想起したのは、21年に大流行したNetflixドラマ「イカゲーム」だ。
様々な理由で多額の借金を抱えた貧者たちがデスゲームの会場に集められ、賞金を目当てに殺し合いをさせられるという物語。死者が増えるたびに生存者に割り当てられる賞金の額が増えるため、参加者たちは、自分自身や自分の家族を守るため、「自主的」にゲームに参加し、参加者同士で裏切り、殺し合う。その様子を、上から超富裕層が楽しげに見物しているが、ゲームの参加者は彼らの存在に気がつかない。
限られた財源の負担と配分をめぐり、人々は他者を排除し、少しでも自分の取り分を得るという競争に巻き込まれてしまっている。今の日本の政治状況は、まるで「イカゲーム」の世界がそのまま現実になっているかのようだ。
多くの人が、他者への分配を減らすことで減税を実現することが、自分の生活を防衛する唯一の方法であると思わされてしまっている。しかし、本当にそれしか方法はないのだろうか。「イカゲーム」ではシリーズの後半、主人公が参加者を説得して味方につけ、ゲームの主催者に闘いを挑むことで、ゲームそれ自体を終わらせようとする。
他国に目を向ければ、現実の世界でも、社会の99%を占める労働者が連帯し、富を独占する1%に闘いを挑むことで、富と貧困が同時に拡大する社会にNOを突きつけ、誰もが生存可能な社会をつくろうとする試みが広がっている。
たとえば、25年の米ニューヨーク市長選では、イスラム教徒で移民であるゾーラン・マムダニ氏が当選した。彼は、富裕層への増税を行い、その財源で幼児教育の無償化・市営バスの無料化・家賃の値上げ凍結などを実現するという主張を掲げ、貧困化する労働者層の支持を得たのだ。その背後には、若い世代を中心とする10万人近くの選挙ボランティアによる、地道な個別訪問による説得があった。ボランティアらは、生活苦のなか、敵対の構図は「白人労働者」vs「移民労働者」などではなく、「99%の貧しい労働者」vs「富を独占する1%の富裕層」なのだと、有権者に語りかけたのだ。
こうした動きは、アメリカ全土で広がりを見せている。25年10月にあった「NO KINGS(王はいらない)」デモは、「NO KINGS NO BILLIONAIRES(王はいらない、富裕層はいらない)」をスローガンに掲げ、主催者発表によると全米で700万人を動員したという。
労働組合を結成し賃上げを求める闘いも広がっている。アメリカのスターバックスでは、550店舗で働く約1万2千人が労働組合に加入し、CEOが平均的な労働者の6千倍近くの報酬を得ていることを批判し、賃上げを要求している。さらに、ニューヨーク市の複数の私立病院では、26年1月12日から看護師計約1万5千人がストライキに突入した。現場となった病院の一つでは、CEOが年間でおよそ2630万ドルもの報酬を受け取っていた。看護師たちは、賃上げや人員の確保を要求し、現場で働く労働者と地域住民のために富を使うよう経営陣に迫っている。
日本でも26年2月2日、減税合戦が繰り広げられる選挙戦のただ中で、「非正規春闘」の開始宣言が行われた。これは、労働者が様々な差異を乗り越えて連帯し、利益を分配しない企業や富裕層に対抗していくという世界の運動の流れをくむものだ。
今年の非正規春闘では、非正規雇用労働者を組織する35の労働組合が、160社、10自治体に対し賃上げを求める方針だ。日本企業がため込んでいる利益である内部留保が過去最高となる一方、社会を支えるエッセンシャルワーカーは低賃金でこき使われている。こうした状況に対抗するべく、10%以上の賃上げを求めて非正規労働者らが連帯し、交渉を始めたのだ。
記者会見には、保育士・語学講師・飲食店アルバイト・出版流通で働く労働者など、会社・職種・国籍の垣根を越えた非正規労働者たちが集まり、非正規雇用労働者全体の底上げを求めていく決意が語られた。
貧しい者同士の分断があおられ、誰もが目先の手取りに関心を奪われている日本社会で、仲間とつながり、賃上げや社会保障の拡充を求める連帯を地道に広げていくというのは、困難な道のりかもしれない。しかし、こうした取り組みを広げていくことが、誰もが手取りの減少におびえ、生活苦が進むほど財源の負担をめぐって互いを蹴落とし合うという絶望的なゲームから抜け出す唯一の方法だと、私は思う。
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