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2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-16

海賊版についてなぜ日本海外永遠に噛み合わないのか

海賊版論争を見るたびに思うのだが、この話で人々が最初にやる間違いはだいたい同じだ。

それは、これを善人と悪人の戦いだと思い込むことである

日本側は「海賊版窃盗だ。作者に敬意がない」と言う。 海外側は「正規で読めないんだから仕方ない。供給しない側が悪い」と言う。

そして両者とも、自分けが現実を見ているつもりでいる。 もちろん、いつものことだ。インターネット論争というのは、だいたい自分の見ている半分の真実宇宙の全真理だと思い込んだ人たちが、残り半分を見ている人間野蛮人扱いすることで成立している。

だがこの件で本当に面白いのは、双方とも半分ずつ正しいということだ。 そして、半分ずつ正しい議論というのは、完全に間違った議論より始末が悪い。なにしろ本人たちは「自分は正しい経験」を実際に持っているので、相手が何を見てそう言っているのかを理解しようとしない。

その結果、海賊版論争はいつも道徳劇にされる。 盗人だの、既得権益だの、敬意がないだの、時代遅れだの。 気持ちはわかる。人は道徳劇が好きだ。構造の話より、悪人の話のほうがずっと気分がいいかである

しかし残念ながら、この問題の核心はモラルではない。 価格であり、供給であり、制度であり、インセンティブである

道徳は「海賊版はいけない」と言うことはできる。 だが「なぜ、いけないことがこれだけ大規模に起きるのか」は説明できない。 それを全部「モラルの低下」で説明するのは簡単だが、簡単であることと有能であることは違う。風邪を全部「気合いの不足」で説明する人間医者ではないのと同じだ。

海賊版が広がるのは、人々が特別邪悪からではない。 正規版より安く、速く、便利だからである。 まずこの当たり前の事実から出発しないと、議論最初の五分で終わる。

1.よくある説明は、だいたい半分だけ正しい

この手の論争には定番説明がいくつかある。

まず、「海外海賊版に寛容で、日本けが厳しすぎる」というやつ。 これが魅力的に見える理由はわかる。実際、日本では海賊版に対する嫌悪感がかなり強く、クリエイターの怒りも前面に出やすい。他方で海外では、違法視聴違法閲覧がかなりカジュアルに語られることがある。だから日本けが異常に神経質なんじゃないか」という印象が生まれる。

でも、ここで「海外自由進歩的日本は閉鎖的で遅れている」という、いかにもSNS向きの雑な物語に飛びつくとだいたい失敗する。 違うのは、著作権保護の有無というより、どこに責任を集中させるかという制度設計の差だ。日本権利者の感覚が強く前に出やすいし、英米圏はプラットフォーム責任フェアユース議論が混ざる。見え方が違うだけで、どこも別に著作権仙人のような寛容さで見守っているわけではない。

次に、日本側に多い「海賊版モラルの欠如だ」という説明。 これももちろん一理ある。違法コピーなのだから、悪いに決まっている。 だが、何百万人規模で繰り返し起きる行動を、ひたすら人々の人間性の腐敗で説明しようとするのは、説明というより願望である自分悪人を見抜いたつもりになれて気分はいいが、なぜその行動が再現されるのかは何一つ説明していない。

逆に海外側には、「正規供給が遅いのだから海賊版が広がるのは当然」という説明がある。 これもかなり正しい。とりわけ連載マンガや毎週更新アニメのようなコンテンツでは、内容そのものだけではなく、みんなと同時に消費すること自体価値になる。ネタバレは飛んでくるし、議論にも乗り遅れるし、数か月後に合法的に読めますと言われても、その頃には祭りは終わっている。

ただし、これも全てではない。 供給改善されても海賊版が消えないなら、問題タイムラグだけではない。そこには「ゼロ円」で「検索一発」で「広告で維持される違法供給」と、「固定費を回収しなければならない合法供給」の競争条件の差がある。

まり、よくある説明は全部、一理ある。 だが一理あることと、それで全体が説明できることは別だ。 SNSではこの区別がしばしば消える。なぜなら、一理ある話のほうが、複雑だがより正確な話より、ずっと気持ちよく怒れるからである

2.海賊版問題は、まずデジタル財の問題である

マンガアニメのようなデジタルコンテンツのやっかいなところは、作るのには金がかかるのに、複製するのにはほとんど金がかからないことだ。

1話作るのは大変だ。 1冊作るのも大変だ。 人件費がかかる。編集がいる。作画がいる。翻訳必要だ。監修もいる。配信網もいる。固定費は重い。

しかし、いったんできたものを、もう1人に読ませるコストはほぼゼロだ。 すると何が起きるか。 当然、固定費を払っていない側が圧倒的に有利になる。

正規事業者は、その固定費を回収しなければならない。だからゼロ円にはできない。 だが海賊版サイトは、その固定費負担していない。他人投資で生まれものコピーしているだけなので、極論すればほぼタダで配れる。 この時点で、「正規版が正しいのだからつべきだ」という願望は、経済学的にはかなり厳しい。正しさはコスト構造を変えないからだ。

そして国際市場では、さらに話がややこしくなる。

日本で700円が普通でも、別の国では高い。 英語圏では払えても、別の言語圏では厳しい。 なら国ごとに価格を変えればいいじゃないか、という話になるが、デジタル財は国境と相性が悪い。安い地域価格が高い地域に流れ込むのを完全には防ぎにくい。VPN時代に、地域価格理論上は正しくても、実務上は簡単に穴があく。

しか翻訳にはコストがかかる。 ライセンス交渉にも時間がかかる。 市場規模が小さい言語圏では、そもそも商売として成立しないこともある。

その結果として起きるのは、非常に単純なことだ。 ある国では合法的に安く速く読める。 別の国では高いか、遅いかそもそも存在しない。 その空白を埋めるのが海賊版である

ここで「海賊版利用者泥棒だ」とだけ叫んでも、たぶん何も起きない。 なぜなら、その人はたいてい、検索一発で読めるゼロ円の選択肢と、見つけるのも面倒で高くて遅い正規版を比べて行動しているからだ。 不快だろうが、それが現実だ。

3.日本海外で噛み合わないのは、法だけではなく感覚が違うから

この問題さらにややこしくしているのは、単に値段や供給速度の違いだけではない。 著作権のものに対する感覚が、かなり違う。

日本では、作品比較的強く「作者のもの」だと感じられている。 これは単に収益権の話ではない。人格の延長として受け止められやすい。だから無断転載や無断翻訳に対して、単なる売上の損失以上の怒りが生まれる。

海外、とくに英米圏には、もちろん著作権保護はあるが、それと並行して「公表された作品議論や変形的利用の素材にもなる」という感覚日本より強い。フェアユース的な発想がその象徴だ。

ここでよくあるのが、「海外自由で、日本は古い」という雑な整理であるインターネットはこういう二元論が大好きだ。たぶん脳のカロリー消費を抑えられるからだろう。 だが現実はもう少し不快に複雑だ。

日本には日本なりの整合性がある。 作品同一性や作者の意思を重く見るのは、単なる後進性ではなく、一つの権利思想である英米には英米なりの整合性がある。 作品公共的な議論に開かれるべきだというのも、一つの思想である

問題は、両方が自分の前提を「普通」と思っていることだ。 そして普通同士がぶつかるとき、人は驚くほど簡単相手野蛮人だと思う。

このズレがもっと露骨に出るのが二次創作だと思う。

日本では、多くの二次創作は法的にはかなり危ういのに、実務上はかなり広く黙認されてきた。 これは綺麗な制度ではない。かなりいびつだ。 だが、そのいびつさの上でコミュニティが回ってきたのも事実である。 つまり日本では、明文化された一般ルールより、「権利者が最後統制権を持ったまま、周辺をお目こぼしする」という形で秩序ができている。

英米的な感覚からすると、これはかなり不透明に見えるだろう。 ルールがあるのかないのか、はっきりしろと思うはずだ。 そして「二次創作はよくて海賊版はなぜダメなんだ」という問いも出てくる。

だが日本側の感覚では、そこは全然同じではない。 前者は、少なくとも創造的な付け足しやコミュニティ内部の礼儀の中にある。 後者は、単なる無断コピー流通だ。 この差は、日本側には大きく見えるし、海外側にはしばしば曖昧に見える。

まり、ここでも両者は同じ単語を使いながら、別のゲームをしている。

4.古い建物の保存観に少し似ている

ここで話を少しずらす。

日本では、古い建物を壊して新しく建てることへの心理的抵抗比較的低い。 街は更新される。建物は入れ替わる。古いものをそのまま残すことより、機能的に更新することのほうに価値が置かれやすい。

一方、欧米では歴史的建造物物理的な形態のものに重い価値が置かれることが多い。 もちろん全部ではないが、「オリジナルを残すこと」自体道徳的含意を持つ。

これはそのまま著作権の話ではない。 建物マンガを同じにするのは乱暴だ。 だが、文化的な資産を誰のものとして、どう扱うかという深層の感覚には少し通底するものがある。

日本では、作品最後まで作者や権利者の意思に強く帰属するという感覚がある。 絶版にしたいなら絶版にする。再公開しないならしない。 乱暴に言えば「それは持ち主の権利だ」という発想だ。

他方で海外には、「公表された文化公共財的な性格をある程度帯びる」という感覚日本より強く存在する。 だから絶版作品アクセス可能にするのは文化保存だ」という理屈が出てくる。

この理屈は、気持ちはわかる。 実際、消えた作品や読めない作品があること自体を損失だと感じるのは自然だ。 だが、その理屈がそのまま海賊版免罪符になるかというと、そこはかなり怪しい。 文化保存は美しい言葉だが、翻訳配信アーカイブもタダではない。そして、そのコストを誰が負担するのかという最も不愉快問題になると、急にみんなロマン主義者になる。

まりここでも、対立善悪ではなく優先順位の違いだ。 統制を優先するのか。 アクセスを優先するのか。 作者の意思を重く見るのか。 文化の開放性を重く見るのか。

どちらかが完全に正しい、という話にしたがる人は多い。 たぶんそのほうが気持ちがいいからだ。 しかし残念ながら、社会はだいたい、気持ちさより面倒くささの上にできている。

5.結局これは、市場がまだ世界に追いついていない話だ

ここまでの話をものすごく乱暴にまとめると、こうなる。

海賊版蔓延は、モラル崩壊ではない。 デジタル財のコスト構造、国際市場の分断、価格差別の難しさ、翻訳ライセンスの遅さが合成された結果である

まりこれは、市場の失敗の話だ。

ここで「市場の失敗」と言うと、すぐ誰かの悪意の話だと思う人がいる。 いつものことだ。 だが市場の失敗というのは、必ずしも誰かが怠慢だったという意味ではない。 むしろ、全員がそれなりに合理的に動いた結果としても起こる。

日本権利者は、国内収益を守りつつ海外展開のリスク管理しようとする。 当たり前だ。 海外ユーザーは、手に入らない、遅い、高い、読めないという状況で、もっとも低コスト選択肢流れる。 これも当たり前だ。 海賊版サイトは、トラフィックが集まり広告収入が入るなら供給を続ける。 それも当たり前だ。

まり、全員がだいたい自分立場合理的に振る舞った結果、全体としてはひどい均衡ができる。 これが市場の失敗でなくて何なのか。

日本側が見落としがちなのは、「海賊版は悪い」と百万回言っても、便利さと価格で負けている限り、人の行動は変わらないということだ。 海外側が見落としがちなのは、「供給が不十分だから仕方ない」というのは説明にはなっても、正当化にはならないということだ。 権利者の投資回収が完全に崩れれば、長期的には供給のもの痩せる。当たり前の話である魔法のように作品が生えてくると思っているなら、それは経済学ではなく信仰だ。

ではどうするのか。 答えはあまりロマンチックではない。

もっと安くする。 もっと速くする。 もっと見つけやすくする。 もっと地域ごとの現実に合わせる。 そして違法供給資金源を断つ。

要するに、説教より設計である断罪より供給である。 徳の話より、インセンティブの話である

たぶんこれしかない。 なぜなら、人間インターネットで急に聖人にはならないからだ。

6.最後

インターネット国境を消した、とよく言われる。 実際には、消したのは国境のものではなく、国境が見えなくなるまでの時間だけだった。

法制度の差は残った。 所得の差は残った。 言語の差は残った。 権利処理の遅さも残った。 その上に、誰でも一瞬でコピーできる技術けが乗った。

だったら海賊版が広がるのは、むしろ当然である不道徳から広がったのではない。 広がるように世界ができていたから広がったのだ。

そして海賊版論争がいつまでたっても噛み合わないのも、同じ理由である。 人々は、自分道徳感情の話をしているつもりでいる。 だが実際には、価格表が未完成世界で起きている摩擦を、善悪物語翻訳しているだけなのだ

こういうと冷たいと言われるかもしれない。 しかし冷たいのは現実のほうである現実はしばしば、魂の堕落より、流通設計の不備で説明できてしまう。

人は悲劇道徳劇にしたがる。 だが今回の話はたぶん違う。 これは堕落物語ではない。 文明の衝突ですら、半分しか正しくない。

もっと地味で、もっと厄介で、そしてたぶんもっと本質的な話だ。

これは、世界市場がまだ作品にふさわしい値札を貼れていない、というだけの話なのである

2026-03-06

今夜もしあわせなオナニーをした

しあわせを食べて生きる仙人になった

おやすみなさいみんな

2026-02-13

anond:20260213101149

霞を食ってる仙人なら、そんな汚い言葉使いはやめろよ

2026-01-28

anond:20260127202822

2026-01-22

anond:20260122195253

55ならおっさんじゃなくて仙人だろ

その年齢なら手を擦り合わせて祈ると稲妻を呼べるぞやってみ⚡️

2026-01-17

anond:20260117105835

だめだあああああああああああああああああ

それはバイコーディングとかAI使用前提のプログラミングスタイルだ。

思いとどまってくれ。

AIペアプログラミングしてできた成果は、AIの成果。

息子さんの能力が高い証明にはならない!

助手席に座るのはラマヌジャンじゃなくてもいい、ナーシャジベリじゃなくてもいい、

その助手席にはね、誰が座ってもいいんだ・・・

仙人になれとは言わないが、数学と生のコードとただひたすらに真剣に向き合うのが、プログラミング力の向上の条件。

社会じゃハッキリ明言されない真理がここにある。つまり友達づきあい人間関係のような仕事仕事をつなぎ合わせる糊の時間は少なければ少ないほどいい(QoL観点では必要だけど)。

2025-12-31

MISIAの後頭部って何入ってるの?

仙人骨?

2025-12-20

ドラゴンボールにおける仙術的飛行と亀・鶴両流派の陰陽構造

序論

ドラゴンボール』における飛行能力は、単なる超人身体能力の延長ではなく、東洋的な仙術観に基づく象徴的な技法として描かれている。本稿では、亀仙流と鶴仙流の対比を陰陽思想の枠組みで整理し、弟子世代において両者が統合される過程考察する。

仙術としての飛行の位置づけ

ドラゴンボール世界における飛行は、舞空術筋斗雲代表されるように、気の操作や霊的資質を前提とした能力である。これは道教的な御風術や駕雲の概念と深く結びつき、身体能力ではなく精神性・修行の深度によって可能となる仙術的技法として位置づけられている。

亀仙流の象徴性――地・陰・徳

亀仙流は、地道な肉体修行を重視し、基礎力と人格の涵養を中心とする流派である。亀は東洋において大地・長寿・忍耐を象徴し、陰の性質を帯びる。亀仙人自身高徳武人でありながら、色欲に弱いという人間欠点を抱える点も、地に根ざした“俗”の側面を示す。飛行能力を持たないことも、地の象徴としての性格を補強している。

鶴仙流の象徴性――天・陽・術

鶴仙流は舞空術を中心とした技巧的な武術を特徴とし、気の操作による飛行を当然の技として扱う。鶴は天・霊性・軽さを象徴し、陽の性質を帯びる。鶴仙人は高い術を操る一方で人格的には邪悪であり、徳を欠く存在として描かれる。これは東洋思想における「術に偏り、徳を欠いた仙人」の典型像に重なる。

弟子世代における陰陽の交錯

悟空クリリンら亀仙流の弟子は、地道な修行によって基礎力と徳を身につけつつ、後に舞空術習得し、天の要素を取り込む。一方、天津飯餃子ら鶴仙流の弟子は、当初は術と技巧に偏り、人格的未熟さを抱えていたが、亀仙流の徳と努力に触れることで精神的成長を遂げる。両者は互いの不足を補い合い、陰陽の要素を相互に取り込むことで、より高次の武の境地へと至る。

陰陽合一としての武の完成

東洋思想において、陰陽は対立するものではなく、相補的に統合されるべき原理である。亀仙流と鶴仙流の弟子世代は、陰(地・徳・基礎)と陽(天・術・飛行)の双方を兼ね備えることで、武の道の完成形に近づく存在として描かれる。この構造は、ドラゴンボールが単なるバトル漫画ではなく、東洋世界観を内包した作品であることを示す。

結論

ドラゴンボールにおける飛行能力は、仙術的世界観に基づく象徴技法であり、亀仙流と鶴仙流の対比は東洋思想の陰陽構造を反映している。弟子世代における相互の成長と技術の交換は、陰陽の合一という東洋テーマ体現しており、作品の深層に文化的思想的背景が存在することを明確に示している。

2025-12-19

法律事務所追放される俺の戯言を聞いてくれ

何年も居た事務所追放されることになったので、追放されるまでの俺の体験や思ったことを書いていく。

某年目の弁護士

小中規模な法律事務所

最初は上手くやっていた。

なんか定期的に飲み会もやってたくらいだし。

こんな感じなら俺も給料を貰う立場から事務所自分の売上を入れるような、いわゆるパートナーになろうと思っていた。

しかし、突然、とある事務員自分無視したり、仕事を頼んでも明確に拒絶をしたりされるようになった(なぜこうなったかは今でも分からない。)。

そんな訳だけど、まぁそういうこともあるよなと思って、その事務員から嫌がらせを他のパートナーボス弁に話すことは無かった。

この事務員から嫌がらせは日に日に悪化していくんだけども、特に対応せずにスルーしていた。

今思えば、この辺りで、きちんと話をしておくべきだった。

そんなこんなで日々が過ぎていくなかで、経営層との面談があった。

そこで経営から言われたのは、自分事務員たちに迷惑をかけていること、自分の態度が悪いということ、事務員嫌がらせじみた行為問題では無いことだった。

この時には、自分がその事務員から嫌がらせを受けていることを経営層に伝えても、それは自分が悪いんだろうという対応をされるようになっていた。

時すでに遅し。

完全に事務所内の政治で敗北してしまい、事務所での居場所が無くなり、退所せざるを得なくなってしまった。

嫌がらせに目をつぶって事務所のために土日も働いて、頑張ってきたのに、この事務所を去ることになるのは本当に悔しい。

最近はこの事務員から嫌がらせ過激化してるけど、経営層は何もしてくれない。

もう人と仕事をするのは疲れたよ。

事務所を辞めたら、とりあえず、自宅登録か同期の事務所に籍を置かせて貰って、しばらく休養をする予定。

山にこもって仙人みたいな生活をしたい。

疲れた

2025-11-30

anond:20251130002701

配信をあまり無料で楽しんでるとちょっと罪悪感湧くので、維持可能なように程々に課金してたのがきっかけだろう ショバ代的な

で、みんなの前で名前呼ばれて、モブから少し浮き上がって承認欲求満たされて繰り返すようになったのでは

で、なんかいいことあった報告とご祝儀投げ銭して、みんなにおめでとうって言われたら、もうホビット村の仲間になっちゃ

 

人間、何者でもない無色透明孤独仙人にはなれないよ

あと、チン凸でレビューしてもらうお礼チンもあったのでは……

あれはメールメッセージアプリ経由か

2025-11-25

anond:20251125001936

やっぱり新卒にもなって全能感に塗れている幼稚なやつは徹底的に痛めつけてわからせるべきだね、もちろん合法的手段で間接的にだが

今時のZ世代大人びているんだから大卒にもなれば普通仙人みたいな達観したメンタルと知性が必要とされるのだから

2025-11-24

千歳くんはラムネ瓶のなか 公園でアリ見てた方がオモロ

@yua-n8b

虫とかゴミみたいなの持ってくるし意外と個性あっておもろい。

@cyc7779

​ @yua-n8b そんなデカいの持てるの!?ってのもおる

@ヘネシー-s3x

砂場でアリみてたら昼休み終わってて授業に遅刻した小学生時代を思い出した

@RED-nv8ni

…そういや子供の頃、サムライアリ同士を無理矢理戦わせて遊んでたな。気付いたらアリの首がそこら辺に転がってて……今更ながら凄え残酷な事してたわ…。

@エスきり

流石に動物園パンダくらいは見ようぜ

@ピチュピチュピチュピチュピチュー

​ @エスきり パンダよりアリのがおもろい

@nameless5183

川の流れもいいぞ。同じになりそうで瞬間、瞬間違う流れでファンタスティック

仙人おるやん😊

鴨長明降臨してて草




@みそかつの北沢お絵描き用ー

どうでもいいけど、ラムネ太郎がオサマビンラディンと語感が似ててクスッとなった。

2025-11-10

アンデラ再読中 7巻以降の感想実況 (私はファンの夢女です。)

6巻まではもう読んだ。

7巻以降の感想ツイッターの表アカがないからここにツイートみたく書き散らかすぞ🎶

ネタバレだらけ 怒涛のメモ

 

 

自己紹介:

ファンクーロンの夢女 アツかった時期は1年半ぐらい前

最終巻まで読んだけど詳細は微妙に覚えてない。記憶力が危うい。理解が浅い。

 

 

以下感想

 

ファンが好きすぎた頃はファンしか目がいってなかったから安野雲のあたりとか寝ぼけながら読んでたけど、今読むと激アツだ 昨夜6巻のそのへん読んでて目頭熱くなった

 

バニー風子かわいい〜〜〜~〜〜〜〜

 

ジュイスかっこいいなあ

 

ファンってどうやって移動してんの?全部雲?飛行機乗れば?シャチには乗ってたか 乗ってたつか呑まれてたけど ベチャベチャなるのやだ あの服何着持ってんの?次元帽子みたいにいっぱいあんの?

 

おっ!千本夢小説があったっていい男、テラーが登場 実際どうなん やっぱあんまない?探したことある可能性もあるが、忘れた ええやつやなとは思っとるけどそこまでモエたりはしてない

 

 

ヴィクジュイ 爆モエの可能

 

 

ファン 強いのとたたかいたいな〜ってだけでサマーにエサやりして なんなんこいつ

 

スポイルかわいいネ にくめないやつ

びっくりしてるとこもかわいらしいね

 

独断で向かったようです」←うける

 

ファン喋ったー!

 

ビリーがその通信ファンに向かって喋ってるのは何語?あ、あれか ネクタイあるから?ん?ないか? てかファン英語わかるよねたぶん わかるけど頑なに喋らんだけよね 中国語じゃなきゃ返事しませんけど?の姿勢なだけでわかってはいるだろうと…

 

サマー編=ファン活躍!!!ってはしゃぐ頭になってるからサマーって文字見るとファンに読み替えかねないほど強固に結び付いてる

 

「そっちの小さいの」呼ばわり笑

 

ファンどんな気持ちだったんか……台湾で会うまでにシェンがユニオンおるとか知ってたんか知らんかったんか 実際会ってどんなやったか ねー 青いな…つって 会えてうれしい?花いちもんめ

 

シェンは目がよすぎる

 

ファン(ジジイ)かっけえなあ その喋り方もうしないの?いつ変えたん?なんでやめちゃったん?キャラ変したかった?イメチェン

 

年取らんジジイ 仙人だね

メイを殺すなんて…イカジジイが……

 

八極?ってこのループで言ってたっけ?名前付けたんはシェンと別れたあとか?

 

素手で人の体に穴あけて殺すイカジジイ こわすぎる

まくりかっこいいなあ〜〜〜〜(←↑アンビバレント)

 

初めて読んだ時の私は「ファン出てきた!!♡♡♡」「ファン顔かわい〜〜〜〜」しか言ってなくて神経図太すぎる モエ以外の感度が極度に低い

 

今のわたくしといたしましては、イカれてんだろコイツと思います

 

顔かわい!!!!!!

これはしょうがないですね。だってかわいんだもんね。

 

このループと次のループで不老の発現時期ちがうんなんでやっけ?なんか理由あった?

 

ファンがいっぱい喋ってうれしい♡

てかさ、なんでこんな顔かわいいの?おかしいって。なんで?

 

ファン求道者ですか?バトルジャンキーですか?なんなんですか?何が動機

忘れたし、そもそも全然ファンのこと理解できとらん。2パターンあるし。むずい。

 

体軟らか〜い そのチャイナっぽい靴、バレエシューズみたいなやつ

 

自分の強さを知るために強者を育て強者を殺す」ですか 迷惑 大迷惑

 

「間違いなく否定者!! まず能力を把握する」

「血の噴射で加速した近接だぞ 何故当たんねえ」

アンディの疑問の答え全部「武の達人なだけです」なのがちうける 能力バトルものでただひたすら素で強いだけのやつ おもろくてしゃーないの

 

ここで戦闘関係ないのに老いの話わざわざ出してきたのは自分関係あることだから

 

否定能力じゃない…

 この強さは…

 純粋技術…!!」

爆笑

あと左下のコマの顔かわいっ

 

わざわざ技の名前口に出して教えてくれる。

 

「今からでも学ぶか? 我が真八極を」←名前いつ付けたん?最近

すぐ教えたがる。すぐ武を加えたがる。武マニア

 

そういえば最強になりたいんだったっけファンは 最強最強言いよったわ

 

絶招だ!↓↘→P?

ジェイミーの絶招は214Pだけどユンヤンの絶招は236Pで合ってる?わかりづらい。エアプ。

 

最強に興味がない→腰抜け、怠慢 なんだ😂

 

すぐ人を殺すのやめた方がいいですよ 自分が殺されたらどう思うんですか? 強いから殺されないからって。殺されたいんかね…死に場所探しよんかね……自分を越えてほしいんかね……降りたいのか、最強の座から どうなんだ

どうなんだっけ?次ループでは孤独に焦点が当てられてたと思うけどこっちはどうだったっけ?全てがあやふや

 

このイカ笑顔じゃなくてふつうに笑ってるとこが見てみたいなあ

好きです……(告白)

 

サマー編かっこいい場面多いいけどアニメ作画大変かなあ……めっちゃ立体的な動きするし

けどまじでアニメ化してくれ

 

てかさあのお前もつまらん所で降りるんか?じゃあ不運殺すが?のとこずっと腕アンディの内臓に突っ込んだままやったんね。だいぶ長いこと喋りよったけどね。

 

「一人で強くなったってむなしいだけだ」おっしゃる通りで

 

7巻感想:ファン好きや

7巻の色青と黄色かわいくて好き

最後アツかったな〜ファン出てきてからなお最高 8巻もたのしみや😊😊

2025-10-24

何がいいのかわからなくなってきた

頭の悪い男とばかり付き合ってきてさすがにそこそこ傷付いたので、アラサーなる前にしっかりした相手を探してみようと思って本気を出して、いわゆる良い男と付き合えそうだったので付き合ってみた。

高身長マッチョ、そこそこイケメンで温厚。実家も太くて育ちが良い、そこそこ高収入彼氏をほぼ棚ぼたみたいな感じで付き合っている。

けど、あんまり幸せになれてない気がする。自分はどうやら、育ちの悪い人の方が身の丈に合ってるのかもしれない。

育ちが良くて要領と頭がいいからか挫折を知らない。何か辛いことがあっても慰めてくれるけど真の共感がない。そりゃなんでもできるもんね。勉強の仕方を聞くと教科書覚えて問題集やれば良いとか平気で言う。

正義感が強くてなんかちょっとしたズルにも厳しい。ガーガー怒ったりはしないけど、そういうのどうかと思うとか、俺はやらないかな。みたいな態度を取られるのが悲しい。車が明らかにいないのに気分で青信号を待つような感じ。赤信号を渡って急ぐくらいなら早寝するために考えなよを素で言ってくる。

愚痴を全く言わない。達観している。同じく20代のはずなのに、1ミリも人に期待していなく、失望もしていない。人ってそういうものじゃん、が素地。悪口との距離感武器にして生きてきた田舎娘には仙人に見えるよ、あんた。

努力するのがデフォ努力の質と量が常人離れしすぎ。入ってくるお金の量が多いから質の良い出費ですぐ結果を出してくる。それでいて、別に趣味とか遊びとかで結果出すのが全てじゃないでしょ、人それぞれだよ。とか言ってくる。お前は人生何周目なんだよ。

すごくよくできた人間だなあ。っていう感想が出てきて、案外冷めた目で見てしまってる自分がいる。

いや、その優秀さとかかっこよさとかにしっかり惚れてしまう時の方が多いわけだけど、ふと自分との距離愕然とする時がある。これって楽しめてるの?って我に返るみたいな。

精巧人形を見つけて手に取りはするけど、いらないかなって置いて戻すような、そんな感覚になる。

贅沢な悩みって言われそうだけど、良いものは良いってわけじゃないかも。気分で怒ってきて、酒カスだけど、なだめてなだめ合ってしょうもない1日を過ごせるバカが、お似合いなのかもって思えてきてるって話。

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※すごい色んな人がコメントくれてるので追記

夜中に半分勢いで書いたことにこんなにコメントついててびっくり。

愛があったりなかったりするコメントたちから学ぶことも結構あったから、備忘も兼ねて自分気持ち現実を整理してみる。あと、何人か文章上手いとか頭良さそうとかって言ってくれた人がいたのに驚いた。ありがとうあんまり頭は良くないからついつい考え込んでしまうよ。

まず、やっぱり無いものねだりだとは思う。贅沢な悩みだろうし、傷つけられてはいない。今彼に関してはこっちが勝手に傷ついているだけ。

共感も、全くないわけじゃない。愚痴文句などのネガティブな事になると共感はないけど、趣味は合う。

合う趣味の中での共感は少なくない。だけど、いかんせん要領がいいから、一緒に始めた習い事とかはどんどんペースを離されちゃう感じはちょっと寂しい、そんな具合。

真の共感が頭の悪い男にはあるのかと言うと、あると思う。何気なく言い放っちゃう文句愚痴にも、本人より怒ったり、マジである!ムカつくよな!なんて言ってくれたり、その勢いでご馳走までしてくれようとしたり、ある意味でアホな行きすぎてる暖かさが好きなのかもしれない。元々は自分だってそっち側だから

面白半分なのかもしれないけど、肉体の相性は心から満足している。匂いが心地よい人と付き合うと生物学になんとやら、なんて言うけど本当にいい匂いがする。加齢臭となるとわからないが。

一緒にいて安心する・楽しい瞬間はもちろん当たり前にあるよ。やっぱり、当たり前に尊敬できる人と一緒にいると、心の底から安心できて、すごくありがたいと思ってる。

遠慮のないプラットフォームの声に背中を押されたので、もう少しだけ続けてみようかなと思う。それで釣り合うならよし、釣り合わないなら無理に続けても互いに不幸になるだろうし、その時また悩めばよし…ということにする。バカバカらしく。

真心で褒めたり貶したりしてくれた皆さん、ありがとう

2025-10-12

母は仙人

朝見た夢の話。

どこかに向かって歩いていると、いつの間にか背後を犬が付いてきている。可愛い

撫でると、急に犬はオッサンになった。

と、思うと、今度はオッサンは鳥になり飛び去って行った。

「あぁ、あれは仙術ね」母が言う。

え、仙術?

「私も昔、修業したから、使えるよ」

マジかよ母。

「だけど、仙術を使うためにはお金を所有してはいけないの」

そんな。ちょっと待って。

生きるための最低限のお金を持つこともダメなの?

そう聞こうとした、その時、姉が俺のプリウスで川に突っ込みそれどころではなくなる・・・

という、ところで目が覚めた気がする

2025-10-08

anond:20251007120057

眉毛が異常に長い爺さん仙人みたいでかっこいいよな

2025-10-03

anond:20251003105258

そんなのは仙人になり切れてない愚者の発想やね

仙人自分精神操作して、最も安いものを最もうまいと感じることができるんやで

2025-10-01

「年をとって新しいものを楽しめなくなってきたのは感性が鈍ったからではなく、思索の時期に入ったからだよ」

という先輩の言葉が素晴らしく好きなんだよな

そのための材料はもう十分吸収したからだ、

いつまでも消費だけしているのは子供だという意味もあって

創作か消費でもなく「思索」という知的領域を示している。仙人への道か

2025-09-28

たまに代々木仙人のことを考えている

たまに代々木仙人を思い出す。

テレビ企画で家についていく番組がある。それで60歳くらいのおじいさんの家がゴミ屋敷で、20代から働かず、本を読んで暮らしていたらしい。

2年ほどで酒で体を壊し、親の遺産を使って生活していた。

その仙人が言っていた言葉が「知識って最終的に虚しいよ」「1人で孤独で寂しくて心地が良いよ」「俺は孤独が好きなんだろうね」。

希望していた大学に落ち、その後他の大学就職たかは知らないが、とにかくそれがコンプレックスになっていたようだ。

仙人のその後は知らなかったが、検索してみるとどうやら番組側が色々介入したらしく、ゴミ屋敷キレイにしてどこか他の場所引っ越したらしい。

そして「人が恋しくて歩いているだけだよ」「こんな汚いところ住んでたんだ」と言動が変わった。見た目も前より若々しくなっていた。

この人の人生を知ったように語ることはできない。

ただ人間関係を避けるような生活になったのは、大学で選ばれるために努力し報われなかったことが関係しているように思える。

その後就職した先に馴染めたのかはわからないが、酒で体を壊したのをみるに、馴染めていたとは思えない。

生活の中でたまに代々木仙人を思い出す。

自分と重なるところが多いからだろうか。

2025-09-10

dorawii@執筆依頼募集中

じゃあどの関数実体なのかあげなよ?

じゃなきゃ口だけ仙人

てかcfwが高度かのの話もメインだったのに片方に逃げたな自分にできないからだろうな。

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