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はてなキーワード: 文化史とは

2026-04-25

[]やおい論争(1992〜1996年頃)

やおい論争は、BL/やおい文化史上、最も象徴的な「現実ゲイ当事者 vs. 女性作者・読者」の対立として語り継がれる出来事です。

1990年代前半のフェミニストミニコミ誌『CHOISIR(ショワジール)』を舞台に繰り広げられ、「フィクション自由」と「他者表象倫理」をめぐる激しい議論となりました。

1. 背景と発端(1992年

やおいの隆盛:1970年代の「花の24年組」(萩尾望都トーマの心臓』、竹宮惠子風と木の詩』など少年愛もの)→1980年代同人誌ブームで「やおい」(やまなし・おちなし・いみなし=起承転結なしの二次創作)が爆発的に広がる。

1992年ゲイ当事者佐藤正樹氏が『CHOISIR』に投稿した連載「ヤオイなんて死んでしまえばいい」が火付け役

◦ 核心主張:BL/やおい現実ゲイ男性経験不正確にステレオタイプ化・美化・商品化し、性的ファンタジー材料にしている。「気持ち悪い女」「ゲイ玩具にするな」と痛烈に非難

◦ 当時のBL典型描写(美形・裕福・差別ほぼなしの純愛ホモフォビアセリフ「男同士なんて…」など)が、現実ゲイの苦しみを無視していると指摘。

この投稿は大々的なゲイコミュニティの総意ではなく、1人のゲイ男性過激な投書から始まったミニコミ論争でした(溝口彰子氏も後年「一般ゲイたちはほとんど気にしていなかった」と指摘)。

2. 論争の展開(1992〜1996年

BL/やおい側(女性作者・読者)の反論

◦ 「これはフィクションファンタジーで、現実ゲイとは無関係

◦ 「ほっといてください」(欲望自律性=女性性的想像空間干渉するな)

◦ 結果、BLファン層が「腐女子」という自称を生むきっかけにも。

ゲイ側(佐藤氏ほか)の追及

BLが「一見寛容そう」なのに、内在的にホモフォビア女性欲望優先を再生産している。

現実ゲイ経験を「借用・消費」するだけで、当事者の声は無視

この論争は「やおい論争」として記録され、BL研究必須トピックになりました。

3. 石田仁志氏の位置づけ(2007年論文

石田氏は1992年フェミニスト誌『Choisir』掲載佐藤正樹(ゲイ作家批評家)による批判と、BL側の反論を起点に論を進めます

BL側(女性作者・読者)の反論

フィクションから現実ゲイとは無関係」「ほっといてください」(現実ゲイ男性干渉される筋合いがない)という「欲望自律性(autonomy of desire)」を盾に、批判を退ける。

石田氏はこの「ほっといてください」という表明を丁寧に分析しつつ、「自律性」と「表象の横奪」の両立した視点批評します。

欲望自律性」は女性独自性的感情的空間として一定価値を認めつつ、それが「表象の横奪(representational appropriation)」という問題隠蔽していると指摘します。 

表象の横奪(Representational Appropriation)とは?

石田氏の造語概念女性作者・読者が他者現実ゲイ男性)の経験アイデンティティ表象を無断で借用・商品化している状態を指します。

• 「一見寛容そう」なBLの表層(男性同士の恋愛を描く)とは裏腹に、内在的な差別的要素を具体的に列挙。

主な問題パターン二次文献で最も頻繁に引用される4点):

1. ゲイキャラの「利用後捨て去り」:物語ゲイ男性を道具的に登場させ、恋愛成就した後は「現実ゲイ」として扱わず捨てる。

2. 言語的・二元的非対称性標準語=正常/オネエ言葉方言=異常という二分法で、ゲイを「異常者」として描く。

3. 頻出するホモフォビック発言キャラが「男同士なんて気持ち悪い」「こんなことしちゃいけない」と罪悪感・嫌悪を繰り返す。

4. 同性愛アイデンティティ否定:「自分たちホモじゃない」「これは特別相手だけ」といった、ゲイとしてのアイデンティティ拒否する描写。 

これにより、BLは「現実ゲイとは無関係」と主張しながら、実際にはゲイ表象ステレオタイプ化・消費していると結論づけます

4.論争の遺産今日意味

肯定的影響:BL作者・読者が表現を見直すきっかけに(ホモフォビア描写減少)。

• 残る課題石田氏が指摘した「表象の横奪」は今も根強い(会話で触れた書店配置:BL一般棚、ゲイ書籍は奥の18禁スペース → 一般人の「同性愛BL混同)。

商業的歪み:BL市場300億円規模 vs. ゲイ当事者メディアほぼ消滅女性欲望ゲイ文化を「巨大ポルノ産業」的に消費する構造固定化

海外でも「yaoi ronsō」として引用され、中国danmeiやThai BL研究の基礎に。

まとめ

やおい論争は単なる「感情的ぶつかり合い」ではなく、フィクション自由 vs. 他者表象責任を問う、BL文化の「原点回帰」の場でした。

この論争を振り返ると、現在BLブームドラマ化多数)や書店配置の歪みが、1990年代の「平行線」の延長線上にあるのがよくわかります

2026-04-08

[]ヌミノーゼ

ミノーゼ(Numinose)とはドイツ神学者ドルフ・オットー定義した概念であるオットーは「聖なるもの」のうち合理的理解にかなう部分を除けた概念をヌミノーゼと呼んだ。

 

概説

オットーは『聖なるもの』(1917年邦訳 岩波文庫)の中で、真・善・美の理想を求めるカント的理性宗教に対して、非合理的かつ直接的な経験こそが「聖なるものであると述べた。これを、ラテン語で「神威」を意味する"numen"から取った"das Numinose"という造語規定した。神への信仰心超自然現象、聖なるもの宗教神聖ものおよび、先験的なものに触れることで沸き起こる感情のことを指す。

 

ミノーゼ体験の特徴として以下のような点が挙げられる。

 

宗教体験により原始的感情が沸き立つものである

概念の把握が不可能説明し難い

畏怖と魅惑という相反する感情を伴い、身体内面から特殊感情が沸き起こるものである

絶対他者存在を感じさせ、人間本来備えるプリミティブな感覚により直感するものである

 

絶対他者との遭遇

オットーは『聖なるもの』でヌミノーゼを二つの切り口に分けて説明している。それは戦慄的な神秘(Mysterium tremendum)と魅力的な神秘(Mysterium fascinans)の二つのである。たとえそれが予期していたものであっても、絶対他者との遭遇は逃げ出したくなるような恐怖を伴うものである。それと同時に、恐ろしい、身の毛もよだつような体験とは、「こわいもの見たさ」と言われるようにしばし魅惑を含んだものとなる。このようにヌミノーゼは戦慄と魅了という二律背反的な要素を内包する。オットーは聖なるもの、あるいは神そのもの議論俎上に載せるのではなく、それが人間感覚にどのように影響するかを重要視した。このような価値観は、その後の宗教学や文化史に大きな影響を与えた。

2026-03-02

エイズっていつのまにか死の病じゃなくなっていたのだなあ 知らなかった

いや、依然不治の病で困難な病であるのだろうけれど、ある程度症状をコントロールできる程度にまで治療が発達したのだなあ

子どもの頃に読んだ本とか漫画とかだと、

登場キャラクターエイズ!なんてこった!悲劇!死!

みたいな感じのノリだった記憶がおぼろげにある

記憶がおぼろげに、あるが……具体的にどの本とか、どの漫画とか……タイトルを挙げられない すべて忘れてしまった

なんかの少女漫画だったかなあ 姉の本棚で見かけたような

まあ主な感染経路を考えればちょっと大人向けの漫画で題材になるのも不思議ではない

エイズ文化史みたいな題材……フィクションなど各媒体エイズがどのように取り扱われてきたかの変遷について……気になるな あとでちょっと調べよう 日記

2026-03-01

anond:20260301074158

絵師を毎回変えていたようで絵柄が毎回全然ちがうのが文化史的な意味面白い

2026-01-28

なんで洋楽海外音楽を聞くかというと、品質が高くて好きな種類の音楽供給も多いから。

人口の母数が違うので当たり前だが、供給量が多ければ「当たり」の確率が上がる。

人口の単純計算でいえば、日本国内のみの音楽を聞くより、海外のものを聞く方が、80倍ほど当たりの確率は高くなる。

もちろんそんな単純ではないが。

 

単純では無い理由は、人が音楽を聞く時に、言葉カルチャーファッション、作り手の物語、シーン、文化史みたいな、音の周りにある情報摂取しているからだろう。

音楽サブスクで、そうした情報ほとんどなく聞いた時にはピンとこなくて、情報を得た後に聞くと、聞こえ方が変わるというのはあると思う。

たとえば好きなアルバムと同じ演奏者が参加しているとか、好きなミュージシャンが絶賛していたとか、そのレベル情報であっても。

 

それに気付くと、日本音楽を聞く時に、ある種の疑念生まれる。

自分音楽では無くて、情報を聞いているんではないか?」ということ。

そして、いや音楽を聞いているんだ、ということを自分証明するためにも海外音楽を聞くことになる。

しかし、そうしてなるべく音だけを聞くようにトレーニングしていくと、今度は音から様々な情報を得るようになる。

楽器エフェクトの種類、ジャンル演奏デジタル関係性、ミックス特性音響と気分の関係、音の位置周波数帯と聞こえ方の関係ジャンル混合の割合や試みの現在地点、韻と音の関係

そしてそうした音の情報は、歴史ミュージシャンの経歴や発言を知ると、さらに奥行きを増していくことになる。

音と情報を分離して聞く試みから、逆に音と情報の不可分にたどり着く。

2026-01-19

anond:20260119164058

価値観を共有する必要あるの?」って言うけど、

逆に聞きたい。共有できてない共同体が、長期的にうまく回った例ある?

EUNATOが成立してるのは偶然じゃない。

民主主義法の支配人権主権相互尊重みたいな

政治的制度的な価値観”を共有してるから成り立ってる。

これは国際政治学でも国際関係論でも、ほぼ定説

一方で、

漢字が同じとか、仏教が伝来したとか、

官僚制度のルーツが似てるとかは、

文化史」の話であって「現在価値観」の話じゃない。

日本中国過去文化的に密接だったのは事実だけど、

それは前近代の話。

今の中国

一党独裁言論統制司法の党支配少数民族弾圧現実

ここを無視して「価値観は近い」はさすがに無理がある。

文化の共有=価値観の共有、ではない。

ここをごっちゃにしてるから話が噛み合わない。

共同体を作るには、

意思決定ルール

権力を縛る仕組み

負担責任の分担

これを互いに信頼できることが前提。

価値観が違うと、全部ここで詰まる。

から価値観を共有しなくてもいい」は理想論で、

現実国際秩序では通用してない。

EUNATOも、その逆を証明してる。

2025-10-20

近江文化大学歴史文化学部が行った調査で、東欧小国トランスリトニア人民共和国に古くから伝わる儀式具「トルナ棒(Torna)」が、現代日本バイブレータに形を変えて存在している可能性があることが分かった。

ルナ棒は、リトニア人(Litnians)が風神イラを祀る儀式で用いた木製の棒で、巫女が膣に入れることで風の方向や強さを占う神聖な道具だった。棒は楢や樫などの硬木製で、長さ40〜60cm、直径2〜3cmほど。

調査チームによれば、この儀式具は中世日本に伝来し、奈良時代には女性特有の子宮の鬱血が原因と当時考えられていた疾病症状・ヒステリー・倦怠感抑うつ症状等の治療目的医療具で使用されるようになった。江戸期には医療具的な意味は薄れ、性交渉時に使われるように変化し、春画などでその姿が確認できる。現代でもアダルトグッズとして定着しており、元の宗教的機能ほとんど知られていないという。

田中教授近江文化大学歴史文化学部)は、「トルナ棒は形状の単純さから日本生活文化自然に溶け込んだ好例だ。材質や握りやすさが偶然にも性交渉時のアダルトグッズとして適しており、文化的な偶然の継承といえる」と説明する。

研究は、トランスリトニア民間資料古文書江戸期の春画などを総合して行われ、古代ルナ棒の形状と現代器具構造類似性が明確に確認された。研究成果は、近江文化大学学術誌『文化探究』に掲載されている。

2025-10-16

ポケットのことを語りたいなら最低限「ポケットと人の文化史」くらい読んでおいてほしい

鈴木さんはもちろん当然読了されていると思いますが(知らんけど)

彼女ポケットに対する思想批判するにせよ賛同するにせよ

ポケットというもの歴史的にどういう変遷をたどり

なぜ現代において女性男性ポケットは違うのか

ポケット論争マニアマストで押さえておくべき一冊

これを読みすらしないで印象だけで語ってる人たち、みんなバカです

2025-09-17

死体文化史という本に、昭和47年自殺した大学生の話が載っている。

死ぬ間際まで自分の様子をノートに書き続け「私は五分」と書いたところで事切れているもの

完全自殺マニュアルにも同じエピソードが載っているのでそっちで知っている人のほうが多そう。

近頃、彼が記した全文を読んでみたいとしきりに考えてしまう。

色々と検索しているがなかなかたどり着けない…

全文でなくても、せめてもう少しでも詳細が知りたい。

当時の新聞を探るしかないのか…

2025-09-07

男性はなぜハゲをそこまで気にするのか?

男性はなぜハゲていくことをものすごく気にするのか。

ここでいうハゲはツルッパゲのことではない。頭頂部からの薄毛、額の後退、バーコードハゲ、などである

日本に限らず古今東西男性ハゲを気にしてきた。

ハゲを隠したい、という意識は、カトリック司教帽子

文化史上で男性のかつら(バッハルイ14世にみられるあれ)

辮髪や月代にもあらわれている。

月代には「兜をかぶるとき蒸れないように」という理由けがされているが

武士以外の商工人農民が行う必要がなく、江戸時代には身分で身につけるモノを制限されていたので

武士だけに許された髪形になった方が制度として論理的である

武士以外の男性も月代をしていたのは、全男性ハゲ隠しであり、武士の情けともいえるだろうか。

ハゲていくのは確かに見栄えがあまりいいものではない。

しかし、デブ、汚肌、体臭、ヒョロガリ、など他の美的マイナス点に比べ、ハゲだけは非常に気にする男性が多い。

女性からすればハゲというマイナスが加わったところで、どうということもないが、不思議である

おそらく女性に対する男性的魅力、モテとはあまり関係ないのだろう。

からこそ、男性の薄毛への特別忌避感の理由を知りたい。

女性ではないなら、男性同士の問題なのだろうか。

増毛や薄毛治療シャンプーなどケア用品もあるが、女性向けの美容や整形と異なりこっそり隠れてという印象が強い。

女性同士で情報交換するように、男性同士でも薄毛対策情報交換をするのだろうか。SNSなどでは少なくとも盛んではなさそうだ。

ハゲについて男性が向き合いたくない感情はいかなるものなのか、実に興味がある。

デブを貫禄、身なりの構わなさや不細工を男らしい、などと言い換えてきた男性社会ハゲ進行にだけポジティブな言い換えをできないのも面白い

ハゲなんて気にしていない、という人や文化解釈によってはあるだろうが、実際の薄毛男性で気にしていないと言い切れる人は実に少ない。

ハゲとは男性にとってなんなのか、なぜ気になるのか、よければ教えてほしい。

2025-03-27

オタク論の「欠如」という問題

いわゆるオタ文化とは直接的には関係しない領域男性文系研究者(ただいちおう副業的にオタク文化について扱った論文も書いてる)として、以下の記事面白く読んだ。

「女オタク論」の盛り上がりと、「男オタク論」の方がむしろピンチかもしれない話 - 深紫の雑記帳

なるほど確かに近年は女オタクに関する研究が進んでいるのに対して男オタクに関する研究が進んでいない、という現状認識については同意するものの、増田個人としてはそれが大きな「問題であるようには思っていない。理由は以下の通り。

(1)オタク文化に関する研究は充実しているのだし、それでよくないか

マンガ研究』や『コンテンツ文化研究』みたいなオタク文化歴史に焦点を合わせた査読はいくつかあるし、国文学関係学術誌を眺めていると現代サブカル作品についての研究が載ってることは普通だし、吉田正高二次元美少女論』(二見書房2004年)や玉井建也『幼なじみ萌え』(藝術学舎、2017年)のような記念碑研究もなされていて、オタク文化歴史に関する体系的記述歴史上類がないくらい充実しているわけだから、男オタク個人として不満はあまりないんだよな。まだまだ未解明の史実とか未発掘の作品とかそういうのはあるだろうけど、こういう流れが続けばいずれ研究されるだろうし。

もちろん、これは増田が文献の読み込みを主としたブッキッシュ手法を専門にしている研究者であり、インタビューとか参与観察とかを駆使した社会学的・人類学的・心理学研究にあまり馴染みがないことから生じているバイアスに過ぎないかもしれない(好みの問題であって善し悪しの問題ではない、念のため)。しかし、まずもって目の前の素晴らしい文化を愛するからオタクなのであって、オタク感情とかオタクコミュニティとかそういった問題にはあまり興味が持てないのだ。歴史の話なら面白いんだけどね。黎明期コミケはどんな感じだったの、とか、そういう。でも現代オタクの生態やら感情やらに関しては、自分当事者として生きているわけで、それを客観的研究に落とし込もうという気にはーー少なくとも増田はーーなれない。だって自分当事者じゃないか研究面白いんじゃないか(これは人それぞれだと思うので、同意できない人もいるだろうけれど)。

(2)女オタクのtoxicさへの揺り戻しは必ず来る(来なければ起こす)

いやー、そりゃ男オタクの界隈もtoxicなところはいっぱいあるけどさー、現在の女オタク論界隈は別種のtoxicさが蔓延してると思うのよね。

だって、いちおう大学出版会標榜するところからジャニーズファンについての研究書が出てるのよ? 定評ある出版社が出してるジェンダー史学についての入門書にも「ジャニーズ戦後日本」ってコラムがあるんだよ? さらに、本文中で挙げられてる『BL進化論』の著者さんって、「トランス役はトランス役者がやるべき」と主張して盛大に叩かれてたよね(anond:20200816115435)。これらがフェミニズム女性学観点からみて誇るべき研究成果っていうことでいいの? 本当に?

いやもちろんナチス研究者ネオナチではないわけだけど、それは彼らが必死に「ナチス絶対悪です!」ってあちらこちらで言ってまわってるから「そりゃそうだ、研究者研究対象は別だもんね」っていう反応になるのであって、「当事者による研究」を標榜してる分野でこんな有様だったら言い逃れできないでしょ。このへんってぜんぜん燃えいね。いや、別に燃えなくてもいいと思うけど、これが燃やそうと思えば燃やせるっていうのはわかってもらえるよね。

女性趣味」だからという理由で、圧倒的マイノリティである男性同性愛者の客体化(BL)や常習的レイプ組織への支援ジャニーズファン)が研究され、フェミニズム視点に基づく女性文化研究で~す! っていうていで流通していたわけじゃないですか。これが倫理的破綻した話なのはやす理解できると思う。男オタク界隈はそういった進歩的視点から目を背けてきたきらいはあるけど、それは同時にダブルスタンダードから自己防衛にもなっていたわけで。しょうじき、元記事で言われてる「女オタク学術自己客観視」は「全然できてねえじゃん!」って思いますよ。だってどう見ても問題直視できてないもの直視してたらそもそもBL研究なんて大真面目にできるわけないし(当事者重視とか性的客体化はダメかいった進歩的理論から「女がBLを書くのはけしからん」という結論が導かれるのは自明の理なので、進歩的理論に基づくBL研究はぜんぶ崩壊するか、研究対象を口を極めて罵るナチス研究スタイルに移行するかのどちらかの末路しかありえない)。もちろん直視しないのは自由だけども、さも自分たちは問題直視してます面をするなら、まあ揺り戻しは来ますよね。

(ちなみに『BL進化論』の著者さんはオープンリーゲイ小説家意味不明な絡み方をして論破されてるんだよね→https://kakuyomu.jp/users/Mark_UN/news/1177354054917237182BLいか真摯当事者と向き合ってきたのかがよくわかる話です)

そういうわけで、男オタク論の欠如は別に問題とは思わないし、女オタク論も足下すくおうと思えば結構すくえるよね、という話でした。まあn=1の話なのでそんな真に受けないでもらえれば。

2025-02-07

anond:20250207002250

「化粧をしないと失礼」、「いつから」で調べたらAI先生は↓のように答えてくれたよ

江戸時代くらいにはそういう通念ができ始め立てたらしい、あってるかは知らんけど

  

  

化粧をしないことは失礼かどうかは、人それぞれで判断が分かれるでしょう。

化粧を始める時期は人によって異なり、正しい答えはありません。また、常識範囲内で限度を考えて化粧をするのもよいでしょう。

化粧の文化史を振り返ると、室町時代には武家制度礼儀作法が整備され、化粧に関する記述も登場しました。江戸時代には女性向けの礼儀作法も充実し、化粧の心得なども詳しく記されるようになりました。

2025-02-03

はてな匿名ダイアリー誕生発祥実験サービス増田」の船出

2006年9月24日京都発のIT企業はてな実験場「はてラボからはてな匿名ダイアリーがひっそりと産声を上げた。

当初は単なる試みの一つに過ぎず、誰もが自由匿名日記を書ける――いわゆる「匿名ダイアリー」、通称増田ますだ)」がこうして誕生したのである

ちなみに「増田」という呼称anonymous diaryアノニマスダイアリー)を日本語読みした際に「アノニ“マスダ”イアリー」と聞こえるダジャレに由来する。

サービス開始直後、匿名性を守るための施策が次々講じられた。リリース翌日の9月25日には投稿者プロフィールページマイハテナー)へのリンクが早くも削除され、9月29日には画像貼り付け機能禁止となっている。

テキスト主体で完全匿名を貫く方針が、最初の一週間で明確に示された形だ。初期の増田にはユーザー有志による「匿名ダイアリーならではの遊び」がいくつも提案されたものの定着はせず、10月上旬には投稿数も落ち着いた過疎期に入った。

しか10月下旬になると様相が一変する。匿名ダイアリー発のエントリが徐々にはてなブックマークの「注目エントリー」(ホッテントリ)に顔を出し始めたのだ。

たとえば「はてなブックマーク話題になるブログとならないブログの違い」といったメタ考察記事が注目を集め、増田発の長文論考がちらほらと人気入りするようになった。

サービス開始初日投稿された記念すべき最初増田タイトルが「はてなの名でやるような事でもない」だったことも象徴的だ。

冒頭からして手厳しい内部批評であり、いかにも「はてならしい」船出と言える。

しかし、この小さな匿名ブログが後に国会言及されるほどネット世論を動かす存在になるとは、当時誰が予想しただろうか。

発展:多様なエントリの台頭とサービス進化

サービス開始から数年、はてな匿名ダイアリーは着実に投稿数を伸ばし、技術ネタから社会批評まで多種多様記事が日々生まれてきた。

匿名ゆえに過激表現内部告発怪文書)、果ては明らかな釣り投稿まで玉石混淆だが、その一方で思わず涙ぐむような人情話や腹筋がよじれるほどの笑い話まで幅広く揃っているのがこの文化面白いところだ。

たとえば2006年増田人気記事には「JASRAC伝説」のようなネット業界の笑い話や、「プログラミング用のフォントを探してたら一日が終わってた」といったオタク自虐ネタランクインしている。

一方で「就職できない学生」のように現実社会問題を吐露するエントリも早くから登場し、匿名という気軽さを武器に時に鋭い社会批評が行われた。

2010年前後には、増田は既にはてなユーザーコミュニティ内で話題火種として定着していた。

とはいえ爆発的に脚光を浴びる転機は2013年に訪れる。この年の4月はてなブックマークトップページ刷新によって匿名ダイアリーへの導線が強化され、多数の増田ホッテントリ入りする事態となったのである

事実2013年以降は匿名ダイアリー全体の月間ブックマーク獲得数が急増している。

アクセス増に伴い投稿も活発化し、増田技術系・生活ハック系から時事ネタ人生相談まであらゆるジャンルネタが飛び交う一大プラットフォームへと進化していった。

技術面でもサービス改善が続けられている。

2016年にはサービス開始10周年を迎え、それを記念して公式Twitterアカウント(@hatenaanond)が開設された。

投稿HTTPS化スマホから投稿機能検討などもアナウンスされ、実際2017年には全ページ常時SSL対応が実現している。

また同2017年には「人気記事アーカイブ機能が追加され、過去の名作エントリを月別・日別に人気順で振り返ることができるようになった。

蓄積された匿名ダイアリーの膨大な記事群は、もはや日本ネット文化アーカイブとも言える存在感を帯び始めている。

ネット言論の文化史における増田匿名掲示板SNSとの関係

匿名ダイアリー増田)は、日本ネット言論史の中で匿名掲示板ブログ/SNS中間ポジションを占めるユニーク存在だ。

巨大匿名掲示板2ちゃんねる/5ちゃんねる)では多数の名無し達が雑然議論を交わすが、増田では一人の匿名ユーザーブログ形式で思いの丈を綴る。

いわば2ちゃんねる的な「名無しさん」の文化を受け継ぎつつ、ブログ的な長文表現とパーソナルな語り口を可能にしている点が特徴である

そのため「公式」と「名無しさん」の隙間とも言えるポジション位置づけられ、「実名では波風が立つが、完全匿名掲示板よりは自分言葉として語りたい」――そんなときに選ばれる場所となっている。

実際、ある著名人川上量生氏)がNHK番組での騒動について心中吐露した際、自身ブログではなく増田に「最後書き込み」を残したケースもある。

彼は立場上「公式」に発信すると面倒が大きいが、匿名ダイアリーなら「詠み人知らずだった」と言い張ることもできると判断したのだろう。

このように増田内部告発本音告白をしたい人々にとって格好の受け皿となってきた。

匿名掲示板との相互作用も見逃せない。

増田発のエントリ2ちゃんねる住民発見されスレッド引用議論されることもあれば、逆に「今現在2ちゃんねるで起こっていること」を増田がまとめてホッテントリ入りするような例もある。

まり匿名コミュニティ間の橋渡し役も果たしているのだ。

また、増田の内容が面白いまとめサイトTogetter転載・紹介され、そこからさら拡散する二次的な波及も起こる。

匿名掲示板まとめサイト増田はそれぞれ文体文化は異なるものの、互いにネタ供給し合い日本ネット言論空間を賑わせてきたと言える。

一方、Twitterとの関係も緊密だ。Twitter全盛期以降、ニューストレンドを見たユーザーが詳細な議論感想増田に書き、それをまたTwitterで共有するというサイクルが生まれている。

140字(現在拡張)の制限があるTwitterでは語りきれない本音体験談増田綴り、そのURLTwitter上で拡散されるケースは少なくない。

象徴的なのが2016年匿名ダイアリー上に投稿された「保育園落ちた日本死ね!!!!」という怒りの叫びである

このエントリは瞬く間に数百件のブックマークを集めてホッテントリの頂点に躍り出ただけでなく、Twitterでも大拡散し、ついには国会野党議員引用するまでに至った。

増田発のフレーズ日本死ね」は2016年流行語大賞候補に選ばれるなど、ネット世論リアル政治を動かした一例として語り草になっている。

Twitter上では当該エントリへの賛否共感が渦巻き、「#日本死ね」のハッシュタグが飛び交った。

増田で火が点いた匿名の声がTwitterという拡声器を得て社会現象化した典型と言えるだろう。

このように増田エントリはてなブックマークを起点に各所へ波及していく。

実際、増田Hatenaブックマーク関係は表裏一体だ。

匿名ダイアリー投稿された記事は誰が書いたかからないぶんタイトルと内容のインパクト勝負になる。

面白い有益/刺激的だと感じた読者がブックマークしてコメントを付けることで評価可視化され、一定数のブックマークが集まれホッテントリとしてトップページ露出する。

結果、さらに多くの読者が押し寄せてブクマ雪だるま式に増える。

逆に埋もれてしまえば読者はごくわずかだ。

この明確な評価システムゆえに、増田投稿者の中には「如何にブクマを稼ぐか」を意識して釣り気味のネタ炎上覚悟過激な持論を投稿する者も現れた。

実験的に一ヶ月間で13本もの釣りエントリを投下し、4本をホッテントリ入りさせた強者もいるという。

ブックマーク数という指標があることで、匿名とはいえ投稿者は観客の反応を強く意識するようになり、増田は単なる独白の場からウケる文章」の競演の場へと文化的に洗練されていった面もある。

バズる増田の傾向と主なエントリ例:はてブで響くものは何か

では実際、Hatenaブックマークで多数の反応を集める増田とはどのようなものだろうか。その傾向をいくつか具体例とともに分析してみる。

1. 社会への怒り・告発系:

先述の「保育園落ちた日本死ね!!!!」はこの典型だ。

自身の子どもが保育園落選した母親(と推測される)が、日本の子育て環境への怒りをストレートにぶちまけたこ文章は、多くの親世代共感と怒りに火を付けた。

ブックマークコメント欄は賛同政府批判の声で溢れ、大量のブクマが付くだけでなくメディア報道にまで発展した。

そして何よりも、この匿名叫びが国政レベル議論を誘発した意義は大きい。

他にも「民主党支持者としての愚痴」(民主党政権への苦言)や「東京都心の求人状況がヤバイ。はよ移民入れろ…」といった景気や労働問題への提言など、タイムリー社会問題を扱った増田ブックマークが伸びやすい傾向がある。

匿名ゆえに本音社会批判ができる点が、読者の溜飲を下げ「よく言ってくれた!」という反応に繋がるのだ。

2. 体験談人生相談

個人ユニーク体験談や、役立つアドバイス記事も人気を博す。

例えば2014年の年間ブックマーク数1位となった「部下がくれたアドバイス」は、ある上司が部下から教わった貴重な助言を紹介したエントリだ。

具体的な内容は伏せるが、職場での人間関係改善につながる示唆に富む話で、多くの社会人読者の心を打ち大量のブクマを集めた。

また「1人暮らしのための料理豆知識50」のように実用性の高い生活ハックも人気だし、「メールで使える英語のつなぎ言葉」のようにすぐ役立つ知識の共有は安定してブックマークが付く。

恋愛結婚離婚といった人生局面に関する赤裸々な語りも注目されやすい。「離婚序章からの帰還」というタイトルの連載風エントリ話題になったり、「本当に悲惨な独り身の最期」といったショッキング孤独死レポート議論を呼んだこともある。

この種の投稿は読者の感情を強く揺さぶり、同情や驚きのコメントとともに拡散していく。

3. ネット文化おたくネタ

増田発のネタの中にはネットならではのオタク文化サブカル話題も多い。

例えば「( ・3・)クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして」という2015年の人気増田は、音楽趣味の異なる上司と部下のユーモラスなやり取りを描いたもので、多くの読者の笑いを誘った。

他にも「Yahoo!チャットって場所があったんだよ」のように懐かしのネットサービスを語るノスタルジー系や、「無課金で数年続けていたソシャゲをやめて分かったこと」のように現代ネット文化ソーシャルゲーム)に関する内省などもバズりやすい。

こうした記事特定クラスタには刺さりやすく、はてブコメント欄でも「わかる」「懐かしい」「自分経験した」と盛り上がる傾向がある。

4. 創作ネタ

増田匿名ゆえに自由創作の発表の場にもなっている。ショートショート風のフィクションや、一発ネタ的なジョーク文章投稿されることもあり、出来が良ければしっかりブクマを稼ぐ。

家事は、レベルを上げて物理で殴れ」は家事のコツをRPG風に比喩したユーモア記事で、多くのユーザー爆笑を誘った。

また、一部では増田発の優れた文章を「増田文学」と称し、ファンが選ぶ賞を作る動きまである増田文学大賞など)。

このようにエンターテインメント性の高い文体オチの効いた話も増田ならではの楽しみであり、はてなブックマーク常連ネタ枠として機能している。


総じて、はてなブックマークで大きな反響を呼ぶ増田には「共感有用・驚き」のいずれか、もしくは複数が備わっていると言えよう。

強い共感感情喚起するもの、実生活知的好奇心に役立つ情報提供するもの、あるいは純粋ネット民を驚かせ楽しませるものが、人々の目に留まりやすい。

そして匿名という特性上、その内容が事実フィクションか判然としない場合もあるが、それすら含めて読者は一種物語として増田を消費している節がある。

からこそとき釣り記事に踊らされることもあるが、それもまた増田という遊び場の醍醐味であり、読者も「ネタかもしれないが面白いからヨシ!」と受け止めているのだ。

現在立ち位置展望匿名の声はどこへ向かうか

何にせよ、「増田」はネット深層心理を映し出す鏡のような存在だ。

喜怒哀楽嫉妬独白叫び祈り――匿名の影に人間本音が渦巻いている。

ネット言論の文化史において、はてな匿名ダイアリー2ちゃんねる匿名文化を継ぎつつブログ表現力を与えた場としてユニーク地位を占めてきた。

そしてその魅力は今も色褪せていない。

これからも誰かが増田にそっと心情を綴り、それが思いがけず何万もの人々に届いて共感を呼ぶことだろう。

匿名という仮面を被った本音ドラマは、きっとこの先もインターネットという舞台で上演され続けるに違いない。



(文責:ChatGPT deep research。執筆時間13分

2025-01-19

普通の街に旅行したい

規模は街じゃなくて町でもいいんだけどさ、どこかないかな。

年末無職になりしばらく時間ができたので、ちょっと今の街を離れてみたくなった。

あんまり外国人観光客がいなくて、ごく普通の知らない街で1~2週間くらい過ごしたい。

温泉なくていい。

観光名所特になくていい。

普通スーパー普通飲食店普通鉄道網もしくはバス網があるくらいでいい。

暮らしがあればなにかは見るもの絶対あるけど、そんな街ってそれこそ無数にあるからかえって検討がつかなくて。

札幌に生まれてこの方住んでるけど道内から出たの修学旅行青森秋田だけなんだよね。道内結構行ったけど。

五能線はいつか行ってみたいとか島根のあちこちを見て回りたいとかそういう興味はあるけど、いましたいのはそういう旅じゃないみたい。

なんかさ、普通の便利な暮らしを他の知らないとこでちょっとだけしたい。

どうせなら西日本の方がいいな程度の発想しか出てこない。

ここいいよ、みたいなおすすめあれば教えてほしい。


追記

なにげなく書いた増田今日見たら伸びてて驚いた。

コメント下さった方々ありがとうございます。いくつか追記

"札幌市って人口で言うと東京23区・横浜大阪名古屋の次だから札幌より便利であることが条件だとこのどれかしか無いぞ"

1行目にあるように、「札幌より便利であること」を条件とは全然していないです。

しろ規模感としては「市街地に人が全く歩いてないほどではない、札幌より小さめの地方都市」くらいですかね。

とにかく皆さん色々教えて下さって本当にありがとうございました

札幌は確かに人口でいえばそうなんだけど、鉄道網に限っていえばおそらくまだJRにも力があって私鉄もある九州近畿地方の県の方がはるかに発達していて便利にアクセスできてると思うので、一概に人口だけでいえない部分もあると思いました。

いまバス全然良くないので、札幌はというか北海道は。

旅行する分には基本日中動いていて遊んでいるだけで仕事時間が左右されるわけではないですから札幌のような都市部でなくまた地下鉄鉄道バス網がすべて揃っていなくても買い物の店、食べることと夜眠ることに不自由さえしなければ札幌より小規模の市街地でも問題はないかな…と思って書いた感じの増田でした。

なにより札幌より人が多いところには普通行きたくない……。

感覚的には、

オフシーズン観光地にしばらく滞在するの好き。普通暮らしなんだけど知らない人が住宅地をうろついていても怖がられないし、なんならおすすめ場所とか食べ物とか教えてくれる。今なら海が売りのところかな”

"札幌在住で"規模が大きくなくていいがそれなりに便利"というと小樽旭川くらいの街をイメージ奈良市生活圏に文化史跡)とか、高松市長崎市多島海の起点)が良さそうな気がする。温暖な気候生活体験もよさそう"

こんな感じで考えていたんですよね。ありがとうございます。人からおすすめされるとますます行ってみたいなと思います

小樽帯広に1週間ほど滞在したとき(それは仕事だったけど)は不便も感じずとてもよかったので、仕事でもなくそれを他でしてみたいなと。

でもワーケーション推進の街は確かにキッチンがついてるアパート的なとこを短期で借りるみたいな方が自由度が高いのかな。

海にあんまり縁のある生活をしてきてないので、海辺の街に行ってみたい。長崎いいですよね。憧れの事物がたくさんあります宮崎も気になる。瀬戸内海景色も憧れている。

そもそもこういう欲求は前からあって、なんとなく兵庫豊岡(冬の城崎温泉ってあんまり人がいないんだな、感じがいいなという映像を見てここいいなと思った)か、岡山津山四国予讃線に乗ることを目的として沿線のどこかの街に滞在するか、もしくは路面電車のある街のどこかというあたりで考えていたんだけど、

西日本各県の第二の都市に一ヶ月ぐらい住んでみるのはいいかもね。自分もやりたい。でもどこも車は要るだろうな。”

ということを考えて保留にしたりしていました。そもそもアクセスかいろいろ考えだすと難しいものだなと。

路面電車札幌にもあるけど、あの沿線の駅周辺を細かく見て回ろうと思うと市民でも1週間でも足りないくらいだなという体感があるから、その周辺に絞ればかなりアクセスよく便利に楽しめるんじゃないかと。これは街の規模にもよるとは思いますが。この点に関しては城下町もなるほどなでした。

テツというほどではないけど列車に乗って景色を見ることが好きなので、面白い鉄道がある街ならそれを目的にもできるし。

こういうことを考え出すと本当に長野もいいなあと思います豊中福津も気になる…本当に日本って広い。

ブコメトラバを参考に色々調べつつ計画を立てて、2月3月に決行できたらと思いますありがとうございました。

2024-11-09

anond:20241107202025

商業格闘ゲーム史ならともかく格闘ゲーム文化史ということなMUGEN絶対入るだろ

音ゲー史の文脈でBM98を見落としてるのに相当するレベルの欠落

2024-09-05

テントウムシ英語ladybug日本語漢字表記でも紅娘という書き方がある

奇しくもどちらも女性連想させる表記がある

なぜか

調べましょうね

以下思いつくままにメモ 後でぐぐったり書籍を探したりするとき用のとっかかりとして

ladybug

聖母マリアの虫、程度の意味

マリアが赤いマントを着ていた?由来

海外キリスト教圏でテントウムシフィクション作品に登場する時の扱われ方

女性的、というのは英語圏では違う?マリア的であって女性的とは違う可能

英語圏でテントウムシ擬人化したようなキャラがどの性別に割り振られるか?の調査

赤ずきん」、少女のずきんは赤である意味はあった?

『赤の歴史文化図鑑ミシェルパストゥロー (著), 蔵持 不三也 (翻訳), 城谷 民世 (翻訳)

男は青、女は赤のイメージは日本ではいつから?歴史でみる色分けについて-No.123 - トイレマークつれづれ

「青=男性、赤=女性」というジェンダーイメージは1964年以降に定着した。西洋でも歴史的にイメージは二転三転している!? -  着物ファッションと買い物のアルバム日記 part2

テントウムシは赤いかladyとか娘のような呼び名がある」というのは偽っぽいな

紅娘

語源がはっきりしない 初出を国会図書館デジタルコレクションで探す、の前に大きな辞書を引くべき リファレンスの返答で私はそれを学んだはずだ

娘は「小さくてかわいい存在」程度のニュアンス

男性は黒/青、女性は赤というイメージはいから/どこから? ←このテーマを掘るの面白そう→チコちゃんがとりあげてた

口紅歴史

化粧に赤色は太古からメジャーなのか

化粧の歴史/文化

日本だけでなく世界の化粧の歴史

メダロットnaviテントウムシメダロット女性ティペットだった

2024/09/04の東大王で難読漢字として出題

日本で他に「なんとか娘」のような名前が付いたものを探す

なんかこの呼び方中国っぽさを感じるが、関係はあるのか?ないかも 一応軽くググる

一旦ここまで、日記

2024-08-14

anond:20240814171050

残すことが目的研究ログなどは紙に起こしている。理系ではないが音楽史文化史の分野。

紙に起こしたものスキャンする事は簡単になったがその逆は案外不十分なので。

2024-07-25

燃えよ剣主人公チームが新選組じゃなくて官軍だったら日本の文化はだいぶ変わっていただろうな

三国志主人公劉備じゃなかったら孔明パリピになることはなかっただろうな。

誰かがどっかの時代で格好良く主人公させた連中が万民ヒーローになっていきそれが初めからそうだったように定着していくんだよな。

怖くないか

まりにも曖昧すぎるだろ人類文化史

2024-07-03

anond:20240703155436

ネットの噂で10年くらい前の記憶だし別の何かだったかもしれん 『鞭打ち文化史』を買ったまま積んでたのを思い出したから読んでみるわ

2024-05-01

anond:20240501091027

門前町花街を兼ねてた場合はままあるし、地域史が地元出版社新聞社雑誌社自費出版等で何冊も発行されてきた程度に規模の大きい都市なら、そういう記録は文化史として割と残されていそうに思う

もっと直截的・大衆的な性風俗実態が知りたいというのはなかなか難しそうだけど

(この話題と直接関係いかもしれないが、30年以上昔は歓楽街公衆電話にはピンクカードが挟まれていたりしたな。ああいうのを収集する遊びが悪ガキの間ではあったけど、それを保管していたら地域性風俗史料になったりしたんだろうか)

2024-02-16

天使の輪が死人を表す漫画表現になっているのって変だな

人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教世界観においても

この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう

どこかで発想の飛躍があったのかな

気になるねえ、ぐぐりましょうねえ

天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか

天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方

発想としては仏教の後光と同じか

まだ足りない

天使聖人を描いた絵画???漫画表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと

なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな

勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな

天使聖人を描いた絵画パロディで、天使を例えば政治家差し替え風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか

それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?

うーん、あくま根拠のない憶測

こういうのは英語圏情報を探さないといけないな

一応、英語圏イラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……

日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画いか

……手塚治虫がやってる気がする

あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか

ってことはディズニー作品でもなんかあるような気がしてくるな

うーん、探し方が下手

wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな

英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか

うーんアメコミにもヘイロー使用あるかもだが、アメコミに詳しくない

調査頓挫する予感

ここまで調べたというメモ

なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ

今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果

日記

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ポップカルチャー宗教序論」という論文を読んだ

こういう路線で調べていくのがよさそうか

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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋

漫画記号表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーアニメにも、ヨーロッパカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。

http://www.cartoonstock.com/cartoonview.asp?catref=amc0009

ふーむ、やっぱり古くから定番なんだな

この回答者によるとディズニーでもやはり使用されていると

人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー

人間死ぬ天使になります

アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーちゃんお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそば翼を広げて飛んでいますよ」。

死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式教理として教えられることはまれですが,映画テレビ連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます

あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書のものが何と述べているかを調べてみましょう。

うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか

それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?

ドラゴンボールの影響がどのくらい大きいか、気になるな

っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな

何より先に原作コミックを読んだほうがいいのかもしれん

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天使とは何か キューピッドキリスト悪魔

天使と人の文化史

ここら辺の本があるいは参考になるか

だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題から、そこに期待が出来る

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英語圏情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない

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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチエピソードがあった気がする

ネズミ取り必勝法』か、これ大好き

プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない

オチはやはり爆死で……天使になってるな、これ

やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ

翼とヘイローがあってハープを持っている

ネズミ取り必勝法』は1944年11月23日に公開

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ってことは

天使聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストアニメ天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた

……か?

まだ足りないぞ

「死後に天使になる」って発想がどこから来たんだって

キリスト教教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう

ヘイローは聖なるもの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?

でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい

まだまだ調べないと納得できないな

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ひょっとしたら演劇ミュージカル側の文化関係している可能性もある

死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない

一応留意して調べる事

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「池にコインを投げる風習はいから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな

これも同じパターン可能性がある

聖者記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない

しかあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう

あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず

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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ

①「死後に天使になる」という考えの源流を辿るルート

漫画表現で死者が天使となった描写漫画表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート

こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで

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次にやる事

守護聖人絵画での描かれ方を確認する

→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか

:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む

→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い

 →でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって

  →だとしても体系的な土台の知識が無いと何も始まらないだろ!

   →はい、おっしゃる通りです、すみません……

第一次世界大戦風刺画ヘイロー描写が無いか探す

第一次世界大戦1914年7月28日1918年11月11日、ちょうど探したい年代

キリスト教素養がない私がヘイロー描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える

→やっぱり基礎の勉強しましょうね~

そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる

→基礎(略

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②についてだが「ゲームドット絵キャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた

流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ

しかし調べるとっかかりとしては魅力的

ヘイロー関係ないけど「ゲーム戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう

棺桶幽霊化、ヘイロー付与etc……

また別の機会に調べよう

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Heaven Cartoons」というジャンル風刺画があるらしい

画像検索してみるとなるほど確かに天国天使なんやかんやする種類の一コマ漫画

いつ頃から描かれているかちょっと調べてみたがなかなか難しい

Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない

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星新一アメリカ一コマ漫画蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入

これにアメリカ一コマ漫画挿絵掲載されて……いない!

権利関係問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ

しか天国ものについてのエッセイは変わらず掲載がある

数少ない挿絵の作者は……Sidney Harris

漫画家としてのキャリア1955年から

うーん、トムとジェリーのほうが時代が古い

もっと挿絵を見たいか挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは

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Cartoon of the politics of the Second Empire (Bonapartiste Regime) directed by Napoleon III (Charles... | bridgeman images

やっとひとつ見つけた

ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画1868年1869年?に描かれた、ってところか

翼があり、ヘイローもしっかり完備

トムとジェリー1944年よりだいぶ古い!

しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議

なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するとき天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない

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トムとジェリー以前のオールカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体全然見つけることができていない

ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった

翼だけ背中にあってヘイローなし

実写映画も調べる範囲に含まないといけないか

オールカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画文脈だと思うんだけどな……

うーん、難航している いよいよ調査が行き詰まりそうだ

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マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ

天国観の変遷について言及がある

絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ

18~19世紀文学作品天国描写しているものを探すべきだな

ここらへんは先行研究論文を探しやすそうだ

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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説アメリカ1868年刊行されめちゃくちゃ売れたらしい

当時の人々の天国観に影響ありそうに見える

その小説で語られた天国観は

In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.

カルヴァン主義伝統とは対照的に、フェルプス天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである

とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳

うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする

カルヴァン主義の事よく知らないからそこは調べないといけない

マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文序文あたりに19世紀半ば以降に天国もの小説流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする

なぜ流行たかというと南北戦争の影響やろなあ

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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイロー写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい

なので宗教美術において死者(例えば聖人殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか

一度断絶しているのでは?という疑問を持っている

ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画カートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている

あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな

記号として復活させたとしても参照元は必ずあるわけで

19世紀アメリカで人々が見ることが出来た美術絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……

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自分確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法

オールカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないかもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)

キャラ死ぬ描写そもそも全然ねーんだわ

トムとジェリーがどんだけ過激なことやってるかって話ですよ

幽霊は沢山出てくるんだけどねえ

ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいか

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キリスト教教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)

19世紀半ばにスピリチュアル小説流行り、人々の天国観を変えた

→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった

→死後に天使のような装いになる認識が生まれ

たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞挿絵風刺画漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった

→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画カートゥーンアニメビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくま天使など聖なる魂的な存在専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧表現)と同じ装い)

日本キリスト教文脈無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号表現となる

……という流れだという仮説を立てることが出来た

うーん、自信ない

18世紀以前に普通の死者も天に召されるとき天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない

印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ

探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)

また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない

しかし、とりあえず一定レベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ

18世紀19世紀の米英のキリスト教史を調べないともうちょっと正確な認識ができるのだろうけれど、それは今後の宿題だな

西洋世界文化史キリスト教歴史は不可分だから体系的に勉強したい

2024-01-30

メイク苦手な女が自分人生を語る

当然ながらn=1の隙自語。

原風景ひとつは母が洗面台で化粧をしている姿。BBクリームをペタペタ塗っている。なんで化粧をするのかわけを尋ねると「化粧をしたという事実を作るためだよ」とめんどくさそうに答えていた。BBクリーム口紅を塗った母の姿に、なるほど化粧をした姿だ、と思った。美しいとも醜いとも思わない。憧れるでも羨むでもない。それはたとえば「大人になれば働かなければならない」なのと同じように、やがて自分がせざるを得ない、めんどくさいなにか、それ以上でもそれ以下でもなかった。

そんなわけなので、身だしなみにに対してうっすら苦手意識を抱いたまま小中高と進んだ(無論、二次元オタクにもなった)。大学生になって一人暮らしを始めたが、身だしなみのレベルは依然として低かった。髪を根元から乾かすと寝ぐせがなくなる、ということさえサークルの先輩に教わるまで知らなかった(実家家族はみな、わたしのことをくせっ毛だと思っていた)。母は化粧は嫌いだが服を買うのは好きで、セールで買い込んだ服を段ボールいっぱいに詰め込んで、コメ野菜と共に仕送りしてくれた。不十分な身だしなみに、試着もしないまま買い与えられた服を身にまとうわたしは、今思えばいかにもちぐはぐだった。自分で服を買うようになったのは社会人になってからだ。余談だが、その後わたしは服を買うことにすっかり目覚め、母に似た服道楽の道を歩むことになる。

化粧っ気のないわたしの周囲には、化粧っ気のない友人が集まり心地よく過ごした。たまに接触する化粧っ気のあるひとびとは、おおむねみな優しかったが、話していると気づまりすることも多かった。オフ会でお会いした年上のお姉さんは、髪にパーマをあてたわたしを見て「それなら、せめて眉は整えた方がいいよ」と優しく言った。サークルの先輩は「このメイクポーチ(の中身)でどうやってメイクするの?」と不思議がった。今思えば、それはどれも本心から心配や優しさからのものだったが、わたしのなかの「やっぱり化粧って苦手だ」を補強するには十分だった。

その頃わたしは、十代ゆえの傲慢偏見ゆえにすっかり「化粧」そのものを敵視するに至った。化粧とは、無知不器用自分の前に立ちはだかる、理不尽に高い壁に見えていた。それを強要する(ように見えた)社会も、それに迎合する(ように見えた)化粧上手な美人も、みな嫌いで、自分を害する「なにか」に感じられていた。

就活時は化粧をしたが、化粧下地なんて知らなかったので素肌にREVLONのリキッドファンデーションを塗った。

そんな自分も少しずつ変わっていった。転機は判然としない。

大学院に進学し、尊敬できる先生や先輩、同期に出会えた、卒後も専門性を活かせる職に恵まれ、「クラスルームの隅」以外に自分の居場所を見つけられたこと。自分で服を買うようになったこと。そしてなにより、年を追うごとに性格が丸くなり、「十代ゆえの傲慢偏見から解き放たれ、化粧上手な美人を見て素直に尊敬できるようになったこと。

化粧が苦手だったが、でもそれが悔しくて、無知なりに調べては挫折してを繰り返した。独学だったのでひどく回り道をしたが、ほんの少しずつだが経験値は積みあがった。またインターネットが発達し、「周囲の人」以外からTIPSを学ぶ手段が飛躍的に増えた。コンタクトマツエクも試してみた。気になることはひととおり勉強した。

それでも、「上手」には程遠い。

あるとき、一念発起して資生堂銀座本店の「メイクアップレッスン」に申し込んだ。一時間半くらいつかって、マンツーマンメイクを教えてもらえるやつだ。理想顔面比とは、という話からまり、「あなたは少し目と目の間が離れているから、目の間隔が縮まって見えるように、このように陰影を入れましょう」などとしっかり教えて頂ける。説明理論だっており、納得できるものだった。そして完成した自分の顔を見て、「ふうん。わたし顔面ベースだと、プロ技術でもこれが『限界』か」と理解した。

そしてわたしは化粧から「降りる」ことに決めた。

化粧とはふたつの側面があると、わたしは考える。

①「己の顔面を“理想顔面比”に近づけること」。そして②「化粧した顔になること」。

①の理想顔面比は残酷なまでに「正解」が存在する。①の達成難度はそのひとの持って生まれた骨格に依存する。美容整形はそれを打破する有効手段だが、高価だ。

②は一種符丁のようなものだ。この記事は、この増田https://anond.hatelabo.jp/20240129142710

きっかけに書いたものだが、勝手想像だがその元増田筆者はおそらく自他問わず「化粧をした顔」が好き(=かわいい、という認識)なのではないかと思う。なので「化粧をしたらブスでもかわいい、ブスなんていない」という結論になるのではないかわたしは考える。対照的に、わたしは化粧をしたひとの顔を見ても「化粧をした顔だな」とは思うは、「=かわいい」とは思わない。「化粧をした顔」そのものに美を感じるのは、それは一種価値観であり、文化的ものである。ゆえに符丁、と書いた。(関係ないが、化粧っ気のない人間は、他人の化粧に鈍感だ。化粧を自らして初めて、他人の化粧を認識できる、ところがある)。

今のわたしは、眉はしっかり整える。ファンデはしないか、してもごく軽く。アイメイクはたまにする。常にマスクマスク社会万歳!)。美容室には定期的に通う。服はそれなりに気を遣う。メイクした方が似合う服、というのはぜったいにあるので、それが着られないのは少し残念ではある。

WEARでたまにファッションスナップを上げる。画像加工で顔は消す。プライバシーのあれもあるが、己の顔は別に好きではないからだ。首から下は、まあ悪くはない。

クレ・ド・ポー・ボーテの化粧品の見た目が好きだ。でもお金時間アテンションも有限だから、優先度をつけてやるしかない。わたし人生において、化粧は、優先度はあまり高くない。

以上、化粧が苦手改め、化粧が苦手なりに愛憎入り混じった女の人生語りでした。

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【余談①】化粧の文化的側面については興味があるので、もし良い書籍を知っている人がいたら教えてください。文化史などの側面から語っているややお堅い雰囲気書籍だと嬉しい。

【余談②】メガネについて。化粧をするなら大前提として、メガネを外せ、コンタクトしろ、というのがあると思う。自分は(何言ってんだと思われそうだが)自分メガネ姿にアイデンティティを感じているが、近眼メガネ族は化粧界においては驚くほど透明化されている。自分が「化粧はだいたいでいいや」と思う理由ひとつがこれだ。

【余談③】メイクアップは嫌いではないが、スキンケアははっきり言って嫌いだ。詐欺まがいの商売が多すぎる。ひとの悩みに付け入って高いものを買わせる不健全業界だと思う(本当に人体に対し効能があるもの薬機法下では医薬品なので、そもそも医薬品ではないスキンケア商品の段階でどんぐりの背比べだろって思う)。日本皮膚科学会ホームページにある「皮膚科Q&A」だけ読んでれば十分や……まあ高いスキンケア用品つかってプラセボで良くなる可能性もあるとは思うが。

2023-12-25

おそらく昔の時代にも作法存在していただろうけれど、各地域や各流派で差があったのではないか

しか現代だと単一の「正しい持ち方」が広く認知されている

伝統的な持ち方」が広まった歴史を調べるのは面白そうだ

『箸の文化史世界の箸・日本の箸』市内の大きい図書館に蔵書有

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武士作法小笠原流寺子屋教科書(往来物)、明治時代作法

日記

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